ようこそ実力至上主義の教室へ 11.5

〇動き出す青春



 先日の松下の一件、その前の堀北やいちの一件。

 そしてさかやなぎ理事長及びちやばしら、真嶋先生との協力関係の構築。

 つきしろとの駆け引き。春休みだけでもオレの周りではずいぶんと色々なことが動いた。

 まず何よりも警戒すべきは月城だろう。他の案件と違い、無視しているだけでは状況は悪化の一途を辿たどる。気がついた時には退学通告を受けていたなんてことになりかねない。そのために教師たちと連携を取り対応していかなければならない。ヤツが言っていた、ホワイトルームから生徒を送り込むという話は、絶対ではないが十分あり得る話だ。月城が四六時中生徒たちの教室や廊下に出入りなど出来るはずもない。常に試験などの間接的なモノを通してしかオレに攻撃することは不可能だ。しかし生徒なら話は別。教室も廊下も自由に行き来できる。いつでもオレに対して接触が可能な環境を作り出せる。それだけ退学させるためのチャンスを得ることも出来る。更に情報偵察としても有能な働きをするだろう。

 それが現実のものになれば、周囲の中で一番の大きな変化と言える。

 そして次に堀北と松下の2人。これは言わばクラス内の問題だな。オレの実力に疑問を抱き、そのポテンシャルを知りたがっている。堀北とは勝負の約束もしているが、ひとまずは何も手を打つ必要はないだろう。

 いちの方も、これは当分先のことになる。これから1年間の戦いを見た上で、こちらからやるべきことをたんたんと行うだけ。だが、それらはあくまでも周囲の話。

 オレ個人の変化は、まだ微細なものでしかない。


 そう───今日までは。


 春休みもこの火曜と水曜の2日を残して終わる。

 生徒たちが訪れる新たな戦いを前に、最後の休息を楽しんでいるこの日。

 オレは大きな変化を求めて、ある行動を起こすことを決意していた。

 物事を進めるならこのタイミング。

 時刻は夕方6時過ぎ。

 日の入りが始まり、これから夜に切り替わっていく時間帯だ。

 ところで、出来ることならオレは大勢の人間に問いかけてみたいことがある。

 たとえば好きな異性がいたとしたら、どうやって告白までの道筋をつなぐだろうか、と。

 絶世の美男美女であれば、回りくどい方法を取らずいきなり告白することも出来る。

 君が好きだと言えば私もよと返ってきて、めでたしめでたし。

 だが大抵の人間はそんな恵まれた環境にない。

 顔のコンプレックス、性格のコンプレックス、あるいは身体的なコンプレックス。

 複雑に入り組んだ三角関係なども、告白までの道筋を邪魔する存在か。

 ともかく恋愛の入り口である『告白』が、簡単なことじゃないのは確かだ。

 だからこそ真剣に頭の中で妄想を膨らませる。

 告白の成功確率を懸命に絞り出して、考えるだろう。

 10%か、20%か。あるいは2分の1で成功するか。

 時には80%90%と、100%に近い確信を得ていることもあるかも知れない。

 それでも不安になるものだ。

 告白に失敗した時、相手との関係が今までと大きく変わってしまうことを恐れる。

 そんなことを気にしない、前向きな人間も少なからずいるだろうが、まだ高校生の若者にとっては学校が全て。普通はその学校という世界で、築かれた関係が崩れていくことに強い恐怖を覚える。

 更に考えるようになる。

 1%でも確率を上げるためにはどうすればいいかを。

 そして、様々な努力を始めるだろう。

 まずは出来る範囲から、髪型を相手の好みに変えてみたり、オシャレしてみたり。

 勉強したり身体からだを鍛えたりもする。

 あるいは、食事やプレゼントといった戦略を取るかもしれない。

 あの手この手で確率を変動させる。

 時には1%が99%に上がることもあるし、失敗して99%が1%に下がってしまうことだってある。

 相手のことを読み、相手の感情を見透かそうと必死になる。

 それが告白までのプロセスだ。

 そして───そんなプロセスを経るのはオレも同様だ。

 他の男女と同じように考え、悩む。

 ただ、こういったことは恋愛だけに限った話じゃない。

 幅広く言えばすべての物事には見えない確率が存在していて、日々それが事象によって変動している。

 高校、大学の進学のために勉強することも、合格の確率を変動させるように。

 それをどれだけ意識しているかで、状況の理解が大きく変わってくる。

 受験や告白だけにとどまらず、それが成功したとしてもそれで終わりじゃない。

 むしろそこからがスタートになることも多いだろう。

 進学した先でつまずけば、中退や退学につながるだろうし、恋愛も浮気や暴力で解消になってしまうこともある。

 オレは先の先までを想定する。1か月後、半年後、1年後。

 時には予定と変わることもあるが、突発的な行動はあまり好きな方じゃない。

 まして自分から行動することに関してはそうだ。

 さて、話を少し戻そう。

 この日までにやってきたことも、全ては『ある確率』を変動させるためにあった。

 もちろん成功確率を上げるため。

 その成否が、恐らく今日出る。

 読みが正しければ、そろそろ連絡が来る頃だ。

 オレの握りしめていた携帯が鳴った。

 ディスプレイに表示されるのは無機質な11桁の番号。

 携帯には登録されていない、かるざわけいからのものだ。

「オレだ。連絡もらって悪いな」

 数コールさせた後、そう電話に出る。

 30分ほど前、オレから恵に電話したが、その時は電話に出ることがなかった。その折り返しの連絡。

「いいけど。なに?」

「不満がありそうな声だな」

「別に。不満って言うか、確認したいことはあるけどね」

「この前呼び出しておいて、その後何も連絡しなかったことか?」

 ひよりと会った日。オレは恵を呼び出しておいて、結局話の内容を何も伝えなかった。

 思い出したら連絡するとだけしか言っていなかった。

 そして春休み終了間近まで、連絡を取ることをあえてしなかった。

「分かってるみたいね。なに、嫌がらせ?」

「そのことについて、直接会って話さないか?」

 オレはそう言って話を遮った。

「え?」

「思い出したら話すって言った件、思い出した。これから来られるか?」

「ったく……都合よすぎ。……いいけどさ。この時間、他の人に見つかっても知らないからね?」

 今の時刻は、寮を出入りする生徒も多い。

 けいがオレの部屋を訪ねるところを見られてしまう確率も高いだろう。

「それは気にしないで良い」

 その点は大丈夫だと伝えた上で、訪問を勧める。

「分かった。あ、あとあたし7時から予定あるから、そんなに時間とれないからね」

「手短に済ませる。多分10分か20分か。それくらいだ」

「なら問題ないけど。後でね」

 そう言って、恵は通話を切る。

 さて───始めるとしようか。

 準備万端。オレは部屋の中を見回す。いつもよりもれいにした室内。

 一度だけ鏡に視線を向ける。

 真顔で自分を見つめる自分と向き合い、すぐに視線をらした。


    1


 恵は不機嫌そうな顔をしてオレの部屋にちんしていた。

 そのかつこうは、確かにこれから外出の予定があるのか小綺麗にされていた。

「で、なに?」

 話を切り出さないオレに対して不機嫌そうな視線を向けてくる。

 呼び出しておいて、何も話さないわけにもいかない。

「なにが」

「いや、何がって。話したいこと思い出したんでしょ?」

「そう言えば、そうだったな」

「…………」

「…………」

 歯切れの悪いオレに対して、更に恵の嫌そうな目がより色濃くなった。

「だから何よ」

「まあ、そう慌てるなよ」

「さっきも言ったけどさ、7時から友達とケヤキモールでご飯なの。分かる?」

「まだ十分に時間はある、大丈夫だ」

「なーんか感じ悪いって言うか、あんたにしちゃウダウダしてる感じ」

 いつもと違う様子に、けいは不信感を抱き始めていた。

「……そうだ。あんたに不満を伝えておかなきゃならないのよね」

 いつまでもこちらが話を始めないために、恵が愚痴をこぼし始める。

「伝えておきたいことって?」

 恵が何を言いたいのか、正直分からなかったので素直に聞き返す。

とうさんから、あんたとの関係を色々と疑われてるんだけど」

 佐藤。最近はからむことがなかったが、オレに好意を向けてくれていたクラスメイト。

「告白を断ってから嫌われてると思ってたが。どんな風にだ?」

「あたしがひらくんと別れたのは、あんたと付き合うためなんじゃないかって。遠回しにそんなことを確認された」

 直接表現は避けたが、そう受け取れるような発言をされたってことか。

「もちろん否定したけど。どこまで信じてもらえたかは怪しいとこよね」

「そうか。似たような話がオレの方でもあったな」

「は? 何よ似たような話って」

まつしたから、おまえとオレの関係性を色々と疑われた。付き合ってるのかとかな」

 先日の松下とのやり取りを報告すると、恵の顔が青ざめていく。

「は? は? うそでしょ? それほんとに? 冗談じゃなくて?」

 もちろん冗談じゃないとうなずき、そのけいを説明する。

 松下がオレのように実力をひた隠しにしているタイプであることや、観察力に優れオレと恵の関係性に疑問を持ったこと。そしてオレの実力にも疑念を抱いていることなど。

「ちょ、ちょっと待って。あたし頭の整理が追いつかない」

 頭痛を覚えたのか、恵は額を押さえる。

「なんかすごく悪い方向に進んでると思うんだけど……そのことについて何かある?」

 今の状況を知って、オレの感想を求めてきた。いや対策案を求めてきた。

 今日呼び出したことにも関連しているし、ここは素直に答えてやるか。

「放っておけばいいんじゃないか?」

「いやいやダメだって! そもそもあたしたちの関係って……別に何もないじゃん!」

「何もないのに、何かあるように思われるのが嫌ってことか? もし、仮に松下からうわされることになったとしても、好きに言わせておけばいいんじゃないか?」

「はあ? 好きに言わせておけばって……そんなの放っておけるわけないでしょ。すぐに松下さんに言ってよ。あたしとあんたは何の関係もないってさ」

「今、松下に下手に言い訳しても逆効果だけどな」

「それくらいあんたなら最初から分かるでしょ。なんで中途半端なうそつくわけ?」

「どう話そうとも状況は変わらない。とうはオレとおまえの関係を疑ってるんだろ? その佐藤と仲の良いまつしたならいずれ、佐藤の口からオレとけいの関係が普通じゃないことを聞いたはずだ。いや、あるいは既に聞いたうえでの行動だった可能性も高い」

 周囲の意見を取り入れた上でオレに接触してきたと考えるべきだ。

「……そう、かもしんないけどさ……」

 これからも恵との接触は必然的に行われる。

 ここで強く否定したところで、今度は疑念が確信に変わるだけだ。

 そして嘘をつかれていたと分かれば、周囲に対してふいちようしていくこともある。

 それなら早い段階でこちら側につけておく方が今後のためでもあるだろう。

 だが恵が気にしているのはそんなことではないらしい。

「だって……あたしがひらくんと別れたのが、その、あんたと付き合うためって話が、万が一にもクラスって言うか、学校中に広まったら困るんですけど」

「どうして困るんだ?」

「だからさー。そんなの広まったら、あたしのこれからに影響あるでしょってことよ」

 詰め寄るように不満を言いながら、更にまくし立ててくる。

「いい? 男にしろ女にしろ、異性の影があったらアプローチだって減るもんなの」

 分かる?と人差し指をオレの眼前に突き立てる。

「つまり新しい恋を始めるにあたってオレが邪魔ってことか」

「……そういうこと」

 第三者の立場になって見れば、言わんとすることは理解できた。堀北のことが好きなどうを知っている人間は、堀北に対してアプローチをしにくくなる。そんな話だろう。

「ホントに分かってるわけ? そうよ、ちょっと、いい?」

 こちらが理解していないと思ったのか、恵が続けざまに話を切り出す。

「あんたって……しいって子と仲良くしてる?」

「椎名? ああ、ひよりのことか」

「ひよ……」

 下の名前で呼ぶ存在。

 もちろん、オレが名前で呼ぶ相手は恵を含めあいなどもいる。

 そのことは当人も知っているだろう。

 だが、他クラスにまでいるとは思っていなかったようだ。

「確かに仲良くしてる方だな。同じ読書好きとして趣味も合う。それがどうした?」

 そのことを伝えると、恵の顔色が変わっていく。

「へえ……同じ趣味。読書……へえ……へぇっ。あたしとは全然違うわけだ」

 もちろん、恵とは全然タイプは異なる。そんなことは本人がよく分かっているはず。

「それで?」

「……いや、だからさ……ああもう! 何言おうとしたか忘れちゃったじゃない!」

 怒り、そしてけいは一度腕を組んで明後日あさつての方向を見る。

 それから程なくして息を落ち着けると思い出したらしい話を始める。

「あたしとのうわさが広まれば、しいさんだって、その、あんたと親しくしにくいでしょ」

「なるほどな。確かにそうかも知れないな」

 オレがその事実を認めると、恵は立ち上がった。

「別にあんたが誰と仲良くしようと勝手だけどさ」

 そう言うと、恵は背中を向ける。

「悪いけどさ。話……今度にしてくんない? ちょっと早めにケヤキモールに行きたい。別のクラスの男の子たちも遊びに来るかも知れないから、噂払拭のためにも気合入れないといけないし。あんたなんかに構ってるひまないわけ」

「気合?」

ひらくんと別れたんだから、新しい彼氏探すのよ。悪い?」

「悪くない」

「……でしょ? だからもう行くから」

 ちょっと意地悪をし過ぎたか。

 オレは同じように立ち上がる。恵は玄関まで見送りに来ると思ったのだろう。

「別にいいわよ」

 語気を強めに拒絶してくる恵に対して、オレは名前を呼ぶ。

「恵」

「もう、何よ」

「単純に、嫌だったらスルーしてもらっていいんだが」

「はあ」

 返事のようなあきれた声。これ以上何を言う気だと警戒している。

「付き合うか?」

「え?」

 眉間にしわを寄せながら、よく分からないとこちらを振り返る。

「なにを? って言うか、何に?」

 どこかについて来い、みたいなかいしやくをしたのかそんなことを言った。

「そういうことじゃない。オレとおまえで付き合うか? って聞いたんだ」

「いやだから───よく意味が……わかん……な……」

 これ以上言葉は不要だろう。オレの恵に向ける目。それを受け止める恵の目。

 はくな関係ならいざしらず、この2人なら視線を合わせれば感情くらいは伝えられる。

「ちょ、え、は、え!? な、なんの冗談よそれ、たち悪すぎだけど……!?」

「冗談ならな」

「だ、だって! あんた今、椎名さんとのことほのめかしたばっかじゃん!」

「そっちは冗談だ」

「でも───この間───」

「それは単なる、そうだな。ちょっとけいしつするかどうか試したかったんだろうな」

 恵をカフェに呼び出し、オレがひよりと話し込んでいるところを見つけさせる。

 そんなことをする必要性は、もちろんほとんどなかっただろう。

 だが、これはオレが恋に不器用であることを見せるための一つの方法だ。

「こ、この話うそだったら、マジであたしとあんたの関係終わるけど……嘘の告白だって取り消すなら、これがラストチャンスだけど……そこんとこ、マジで分かってるわけ?」

 疑心暗鬼である恵は、イエスもノーも答えられる状況にないということ。

「もちろん冗談じゃない。答えを聞かせてくれ」

「っ……そ、そそそそ、そんなこと言われても!?」

「さっきも言ったが、嫌だったらスルーでも拒否でも好きにしてもらっていい」

「誰もスルーするなんて言ってないし! て、てか、なんでよ!」

「なんでよ、とは?」

「その、それは、あたしを、だから……とか。そもそも、なんで今日なのか、とか……」

 前者の方はハッキリ言わなかったので、後者の質問にだけ答える。

「なんで今日だろうな。今日であることの理由はく説明できないが、今である説明はうまくできる。お前が他の誰かの彼女になることを、したいと思ったからだ」

「つまり───あんたは、あたしのことが…………好き…………ってこと?」

 恵からの、その問いかけはこれまでに無いほど強い感情が込められていた。

 この瞬間、あるいはこの直前に心を震わせ、そして強く答えられる……そう思っていた。

「そうだ、オレはかるざわ恵が好きだ」

 人生一大イベントのひとつでもあるはずの告白。

 本当の気持ちをぶつける瞬間。

 オレは恵からの問いかけに、本心から答えられただろうか。

 本来誰かに告白するという行為は、単純に好きだからという動機が全てだ。

 意中の相手を自分だけのモノにしたいという欲求からの求愛行動。

「返事は?」

 オレからのボールは既に恵に手渡されている。あとは返事を待つだけだ。

 恵は混乱する頭の中を懸命に整理し、そしていつの間にか逃げていた視線を必死に戻す。

「───つ、付き合ってあげる……わよ」

「それはオレのことが好きってことで良いのか?」

「そ、そんなの言わせる!?」

 戸惑う気持ちは分かるが、ここは確認事項として外せない部分だ。

 その返事をもって、初めて2人の関係に確かな変化が訪れる。

「ああ、言わせる」

 こちらがそれを促すと、けいは驚きつつも露骨に拒絶することはなかった。

「っ……」

 第三者が聞いているわけじゃない、契約書に印鑑を押すわけでもない。

 2人だけが知る、2人だけの会話。2人だけが守り合う約束。

「答えられないか?」

 もし答えられないのなら、どうするかこちらから提案しなければならなくなるが。

「ちょ、ちょっと待って。今、今急いで気持ち作ってるから……!」

 パーに広げた両手を前に押し出し、ちょっと待ってくれと急かすのを止める。

 オレはその様子を見ながら、静かにその時を待つことにした。

 そして数十秒ほどして意を決した恵のひとみがオレを見つめた。

「……そりゃ、まあ? その、なんてーか……」

 決意はしたものの、それでも言葉を紡ぐのには苦労しているようだった。

 そんな姿を見ていて妙な愛らしさを感じられたためか、待つ時間は苦ではない。

「あんたのこと……だから、あたし……」

 たくさんの勇気を絞り出すのに苦労しながらも、けして目だけはらさなかった。

 それが恵の決めた覚悟の証明だったのかも知れない。

 かるざわ恵の強い部分。

 こうと決めたら、どんな状況でもそれを貫き通そうとする意志。

「す、好き……かな……かなって言うか……」

 段々と小声にはなりつつ、ごにょごにょと告白を続ける。

「あたしも……好き……になってた……。悔しいけど……みと、認める! 認めるって!」

 か怒りながら、それでも恵は両思いであることを言葉にした。

 オレは両手を伸ばし優しく恵の左右の腕をつかんだ。

「ちょ、ちょちょ!? ま、まさかキスとかするの!?」

 好きだと言わされそうになった時よりも、更に大きなリアクションを返す恵。

 ここでキスをしても恵が嫌がることはないだろうが、そこまでは踏み込まない。

「それはしない。まだな」

「ま……まだっ……」

 つまり、今後はそう言った行為も視野に入ってくるということ。

 それを想像し、恵はフリーズしたように硬直した。

 オレはそんな恵を、優しく抱き寄せる。

 これは2人の関係が大きく一歩を踏みだしたその証明でもある。

「これくらいならいいだろ?」

「───まぁ、これくらいなら……」

 顔を見なくても分かる。

 恵は今、きっと戸惑い緊張し、そして喜びを感じているはずだ。

 その顔は笑顔とも何とも言えない表情になっているだろう。

「ねえ、ちょっと身長伸びたんじゃない?」

「そうかもな」

 入学前に計った時は、176センチ。1年間で成長していてもおかしくはない。

 他の生徒たちだってそうだろう。

 人は成長する生き物だ。

 そして学習を好む生き物でもある。

 これは、本能。

 自転車の乗り方や泳ぎ方を覚えるように。

 箸の持ち方やストローの吸い方を覚えるように。

 オレはけいを通じて恋愛を学習する。

 これまでの人生で、学んでこなかったこと。

 ホワイトルームで学ぶことの出来なかったもの。

 探究心に突き動かされる。

 そして、その対象が恵であったことはもう1つの重要な意味を持つ。


 この恋愛が、かるざわ恵という人間の成長過程に必要になってくるからだ。


 この先1年を見通した時、オレとの関係が重要になってくる。

 宿主に寄生して生きる恵のままでは、いずれダメになる。

 それをするために、このステップは欠かせない。


 オレは───

 オレは今、どんな顔をしているのだろう。

 笑っているのか。

 それとも、恥ずかしさを覚えた顔つきをしているのか。

 あるいは戸惑いや微笑ほほえみを浮かべているのか。


 分からない。


 今、自分がどんな顔をしているのか分からない。


 ───いや。


 違う。

 本当は分かっている。

 自分が今どんな顔をしているのか。

 何を考え、何をしようとしているのか分かっている。

 人は学習に喜びを覚える。

 それは勉強でも運動でも、ゲームでも同じだ。

 上達したと実感すればえつを覚える。

 それは恋愛でも同じ。

 オレは、恋愛を知らない。

 恋を知らず、愛を知らない。

 男女の関係を知らない。

 果てに待つしゆうしんや快楽、そのたぐいを知らない。

 きっと近い将来、オレはその一つ一つの答えを知る。

 でも、何も変わることはないだろう。

 ただ学習するだけ。

 そして成長し、前に進んでいく。

 言わば、けいはオレにとって1冊の異性という名の教科書。

 それを読み終えた時───それは『役目』を終えることになる。


 それとも───


 そうじゃない未来が、待っているのだろうか。

 その身から離すことのない、掛け替えのない存在になっているのだろうか。

 分からない。

 そう願う自分と、それは不可能だと悟る自分がいる。

 どうか、祈ろう。

 今この瞬間───大切な人を抱きしめているオレは、微笑ほほえんでいるのだと。

 彼女を大切にすると誓う、一人の若き学生であることを祈ろう。

 優しく恵を抱きしめながら、オレはそう静かに願った。

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