ようこそ実力至上主義の教室へ 11.5

〇卒業式



 3月24日、卒業式。

 3年生たちもすべての課程が終了し、いよいよ旅立ちの日を迎える一大イベントの日。

 他の在校生にしてみれば単なる通過イベントに過ぎないものの、個人的に見どころはある。

 まず気になるのはほりきた兄対ぐもの結果だ。

 最後の最後まで争いを繰り広げていたであろう戦いの結果を、オレはまだ知らずにいた。

 堀北兄がAクラスで卒業できたのか、それとも南雲の介入によって敗れたのか。

 休みだった昨日の内に結果は分かっていたんだろうが、やることがあったため一歩も部屋を出なかったからな。

 どちらにせよ、恐らく今日結果を知ることが出来る。

 それから、単純に卒業式がどんなものなのかという興味だ。

 卒業式でも終業式でも、初めて体験することには自然と心が躍る。

 登校の時間が近づき、部屋の鍵を閉めオレは学校へ向かうことに。

「おはよう」

 エレベーターで鉢合わせしたけいせいに声をかけられ、軽く答える。

 他クラスの生徒も数人いたため、特に雑談することなく、そのまま静かにロビーから寮の外へ2人並んで歩く。

せつかく上がったCクラスも結局1年で振り出し。けど思ったよりダメージは受けなかった」

 そんな啓誠のつぶやきが快晴の空に吸い込まれるように消えていく。

 1年最後の特別試験で敗北したCクラスは、またDクラスに転落する展開を迎えた。

 少なからず生徒たちにショックはあっただろうが、幸いなのは対戦相手がAクラスだったこと。そしてプロテクトポイントを保持するオレが司令塔になったことが、かんざいのような役目を果たしていた。負けても仕方がない。あるいは善戦しただけ立派だった、と。

 Dクラスに落ちることになったものの、クラスポイントの増減ではけして悪い数値じゃない。


 3月下旬のざんていクラスポイント

 さかやなぎの率いるAクラス  1131ポイント

 いち率いるBクラス  550ポイント

 堀北の率いるCクラス  347ポイント

 りゆうえんの率いるDクラス  508ポイント


 この数字はあくまでも3月下旬時点のものだ。

 クラスポイントが確定するのは基本的に毎月1日であり、その時点でクラスが変動するため、今はまだオレたちはDクラスではなくCクラスになる。そしてりゆうえんたちがCクラスに再浮上すると共に、Bクラスとほぼ横並びのクラスポイントになる。

 このままのポイントで来月4月1日を迎えれば、クラスは大きく入れ替わる。

 だが、この学校では様々な状況が加味されて毎月クラスポイントに変動を与えることを忘れてはならない。

 真面目な生徒が多いいちのクラスと、お世辞にも優等生とは言えない龍園のクラス。

 恐らくは私生活の面などで、クラスポイントにも違いが生じているはずだ。

 今頃Bクラスの生徒たちは、この状況に肝を冷やしているところだろう。

 だが、それでも1年間を通して一之瀬がBクラスを死守できたのはせめてもの救いか。

 とは言っても、現時点での差はたったの42ポイント。

 次の特別試験などで、龍園がBクラスを確実なものにする可能性は大いにあるだろう。

 これだけを見ればDクラスに戻るオレたちだけが大きく出遅れたようにも見えるが、忘れてはならないのは、去年の4月と5月時点のクラスポイントだ。

 去年の4月は、全クラスが1000ポイントで横並びというスタートだった。

 Aクラスであるメリットも、Dクラスであるデメリットもなかった。

 今にして思えば、ここで踏ん張ることが最大のチャンスでもあったわけだが……。

 しかし、オレたちDクラスは1か月に満たない間に全クラスポイントを使い切った。

 その結果……。


 去年5月1日時点のクラスポイント

 さかやなぎの率いるAクラス  940ポイント

 一之瀬率いるBクラス  650ポイント

 龍園の率いるCクラス  490ポイント

 ほりきたの率いるDクラス    0ポイント


 全クラスがポイントを下げての5月。実質、この月から勝負が始まったと言ってもいい。

 そう考えると、オレたちのクラスは1年間で347ポイントを得たということになる。

 生活態度や遅刻欠席などが影響して、もう少しクラスポイントは少なくなるだろうが、大体330ポイントから340ポイントという結果になるだろう。

 ここから見えてくる答え。それは年間を通して一番クラスポイントを増やしたクラスだったということだ。年間2位の上昇値であるAクラスの191ポイントを大きく上回る。

 去年の春、早々に0ポイントのどん底まで急降下したことを思えば上出来と言えるが、2年生に進級後は、クラスメイトたちの更なる活躍が求められる。

 そうしなければ上位との差を詰めることは出来ない。

 堀北、ひらなどリーダー格の成長と、クラスメイト全体の能力の底上げ。

 それらを踏まえれば十分に上のクラスと競っていくことも現実的だろう。

 そばから人の気配がなくなったところでけいせいが何かを察したように口を開く。

「大丈夫だ。他のクラスメイトからおまえを責めたりする声はほとんどなかった」

 オレが司令塔での失敗を悩んでいると思ったのか、そう声をかけてきた。

 当然気になどしていなかったが、啓誠の言葉を拾い上げる。

「殆ど、か」

 なぐさめのつもりではあるんだろうが引っかかる言葉でもある。

 つまり少数ながら、オレに対して不満を抱えている生徒もいるということ。

「それは……完璧にとはいかないだろ。だけどきよたかが悪いというより、もっとしっかりした人が司令塔になるべきだったって声が聞こえてくるだけだしな」

 ある意味責めていると同義な気もするが。人とは理不尽なもので、一度納得したつもりでも、後で異を唱えることはけして珍しくない。

 Aクラスに負けた理由が『司令塔の差』だと不満を漏らすことは不思議じゃないからな。

「好き勝手言ってくるやつがいても強気でいるんだぞ? プロテクトポイントがなければ、司令塔になんて誰もなれないんだ」

 今後オレに文句を言ってくる生徒がいた時のことを考え、そうフォローしてくれる啓誠。

「大半はそうだろうけど、りゆうえんの例もあるからな」

 オレがそれを言うと、啓誠は苦笑いを軽く浮かべて首を左右に振った。

「あいつは特別だ。ちやすることもパフォーマンスの一環として捉えてるんだ。事実、唯一プロテクトポイントを持ってなかった龍園が出てきたことで、Bクラスは意表を突かれて大敗することになったしな」

 表面上だけを見れば啓誠の言う通りだ。

 ただ、事実はそれだけじゃない。計算された龍園の勝ちへの戦略だった。

 無防備なパフォーマンスはその布石の1つに過ぎない。

「……なあ清隆、聞きたいことがある」

 話がひと段落ついたところで、改めて啓誠がそう言った。

「俺が独断でかつらかいじゆうしようとしたこと、どうしてほりきたに報告してなかったんだ?」

 啓誠は学年末試験でAクラスに勝つために、さかやなぎと対立し敗れた葛城を仲間に引き入れる戦略を堀北に提唱した。しかしリスクの高さや実現性の難しさから堀北は却下した。

 だが啓誠は納得がいかず、自らの判断で葛城の懐柔を実行した。結果は失敗。

 まぁ実際には、失敗したところで大きな影響はなかったわけだが。

 葛城が協力しなかっただけであり、受けた実害は皆無に等しい。

「被害が少なかったから良かったじゃないか」

 啓誠にとってみれば、重要な部分はそこじゃない。

 それを分かっていながらオレは、あえて慰めるような言葉を口にした。

「それは葛城がれつな手を良しとしないタイプだったからだ。もし、これが坂柳や龍園のような人間だったなら、こちらはもっと壊滅的なダメージを受けていた」

 強引にかいじゆうしようとしていただけに、その責任を強く感じているけいせいは、起こることのなかった未来をうれえている。

 口ぶりからして、どうやら啓誠は自分からほりきたかつら懐柔の件を話したみたいだな。

「……ああ。堀北には俺から話した。責任は取るべきだと思ったんだ」

 しつせき覚悟で打ち明けたことを認め素直に話す。

「葛城がAクラスを裏切るはずがないって、そんな確信がおまえにはあったのか? きよたか

 そして疑問をストレートにぶつけてきた。

「別に確信なんてない。実際、葛城が寝返る可能性は確かにあった。そうだろ?」

「それは……そうだが……」

 それが50%なのか1%なのか、それはこの際置いておく。

「堀北に報告しなかったのは単純に失念してただけなんだ。司令塔の役割を果たせるかどうか不安で、頭がそれで一杯だった。そういう意味じゃオレにも大きな責任がある。葛城の懐柔が成功していたらく事を運べなかったかも知れない。お互い様だ」

 両者が謝ることで、葛城のくだんの話を終息させる。

「お互い様、か。それでも自分の見通しの甘さを痛感してる。リスクを考えれば葛城懐柔はそもそもするべきじゃなかったんだ」

 過ぎ去ったことはなかったことには出来ないが、振り返ることは出来る。

「見通しの甘さがあるとしたら、オレだって同罪だ。その場にいて何も言わなかったんだ」

「そう言ってくれると、俺の気持ちも少し楽になる」

 あの試験、受け身になる生徒が多い中、啓誠は勝つために必死に何かをそうとした。

「それに今回のことで分かったんじゃないか? ああいった戦略は簡単には成功しない」

 失敗の中から学べることも沢山ある。

 それをかせるかどうかは、本人次第だが。

「……そうだな。俺は勝ちたいあまりに、目の前のことが見えてなかったんだ。まったく、冷静になると情けない話だ」

 反省するように、ポツリとつぶやく。

 葛城の懐柔は確かに甘い考えではあったが、チャレンジしたことは評価したい。

「それで堀北のヤツは啓誠になんて言ってたんだ?」

「堀北は俺を責めなかった。下手したらクラスに被害を与えていたかもしれないのに。それどころか、次もアイデアが浮かんだらぜひ聞かせて欲しいと言われた。もちろん勇み足は勘弁してほしいと忠告は受けたが」

 どうやら、堀北も似たような評価を啓誠に下したようだ。

 人は失敗を繰り返して成長していく。結果だけを見てたたくようでは指導者にはなれない。

 もちろん失敗だけを延々とし続けるような人間はいずれ見限られるわけだが。

「正直に言うと、俺は今まで堀北がリーダーのようなポジションに立つことにはこうてい的じゃなかった。確かに頭脳めいせきで運動神経も良い。でも、物言いというか、見下すような態度に受け入れがたいものを持ってたからだ」

 その点はオレも否定しない。少なくとも現時点までは、ひらいちのような人徳でリーダーをしているタイプではないからな。

 一定の味方を作れる一方、必然的に敵も作ってしまう。

「けど……俺も似たようなものだったしな。スポーツなんて不要だと思っていたし、頭の悪いヤツは全部見下してきた。同じ穴のむじなだ」

 入学したてのけいせいは勉強の出来ない生徒を一方的に軽蔑する傾向があった。

 学生の本分である勉学の出来不出来こそが全てだと思っていたからだ。

「今の啓誠と1年前の啓誠は全然違う。ずいぶんと変わってきた」

「ああ。自分でも不思議なくらいそう感じてる。勉強はもちろん一番大切だ。だけど、運動もコミュニケーション能力も、そして友情も。どれもこれも必要なんだって理解した。でも、それはほりきたも同じだった。あいつも少しずつ変わってきた。前よりもずっと頼もしくなってるし信頼も出来るようになってきた」

 啓誠はあやの小路こうじグループ以外のメンバーにはあまり心を許していない。にもかかわらず、ここまでしっかりと堀北の褒めるべきところを褒めているのは、こちらとしてもその発言を本音として素直に信じることが出来る。

「そうかもな」

 簡単にだが同意しておく。

 1年かかったが、直接かかわりあうことで堀北という生徒が見え始めたのだろう。

 クラス内投票の件以来、徐々に堀北はクラスメイトに受け入れられ始めた。

 その主な要因は、戦略の鋭さやリーダーシップ性の高さとは違うところにある。

 堀北の強固だった心の壁が、少しずつ取り払われてきたからだ。その壁があったころは自分以外の生徒を足手まといだと決めつけ、弱者は切り捨てられても仕方がないと割り切っていた。まさに啓誠と似たような傾向の持ち主だった。

「もちろん、堀北の発言の全てに従うことが正しいことだとは思ってない。堀北が間違った判断をしたと思えば遠慮なく突っ込んでいくつもりだ。俺は間違ってるか?」

 そうやって考えをまとめる啓誠。

 信じるべきところは信じ、そして疑うべきところは疑うというスタンス。

「いいや、正しい。それが本来のクラスのかただ」

 どれだけ頼れるようになってきたといっても、堀北もまた同じ高校生。

 時に大きな間違いを犯すことだってあるだろう。

 そんな時に、その間違いを指摘する生徒が1人でも多いことは喜ばしいことだ。

 肩を並べて話し合い、解決に向けて努力しあうことが出来る。

 さかやなぎりゆうえんのような独裁制のクラスには、まずそれが出来ない。

 どちらかと言えば一之瀬寄りのクラスにこれからオレたちのクラスはなっていくだろう。

 そして自分たちのクラスに出来るやり方で、差を詰めていくことが大切だ。


    1


 体育館。

 集められた全校生徒と、そして全教師たち。

 関係各位、普段見ることのない大人たちも列をなし、今卒業式を温かく見守っている。

 3年生たちが、新しい門出に向けて大きな一歩を踏み出そうとしている瞬間だ。

 進学する者、就職する者、道を決められず立ち止まる者。

 子供という枠を越え社会に巣立っていく。

 オレは考える。

 2年後、自分はあの場所にどんな風に立っているのだろうか。

 そして何を考えているのだろうかと。

 たとえ歩んでいく道は決まっていても、きっと様々なことを思い描いていると信じたい。

 ここで学んだことが、生きていく上での糧になると信じたい。

「ではこれより、3年間を戦い抜き晴れてAクラスで卒業したクラスの代表者より、とうを述べて頂きたいと思います」

 進行役の大人が、マイクを通してそう話す。

 より一層、せいじやくに包まれる体育館。

「代表、Aクラス───」

 ここで名前を呼ばれた生徒が、ほりきたまなぶあるいはそのクラスメイトでなかった場合。

 すなわち最終試験の結果でクラスの変動があったことになる。

 在校生の多くが、その瞬間に強い思いを感じただろう。

 この学校に在籍する以上、Aクラスで卒業することが唯一にして最大の目標だからだ。


「───堀北学くん、前に」


 その名前を聞いた時、心底堀北はあんしたことだろう。

 ぐもの妨害がどれだけあったかは不明だが、堀北兄は無事にAクラスで卒業となったようだ。

 堂々と壇上へと歩みを進めると、在校生や関係各位へと視線を移す。

「答辞。梅の香りに春の息吹いぶきを感じるこの日、我々は卒業式を迎えました───」

 堀北兄の答辞が始まる。

 盛大な卒業式を行っていることに対する感謝などが述べられていく。

 それから3年前に入学してきた時のことが語られる。

「───高度育成高等学校に入学し、他校とは違う雰囲気を感じ、未来を担う大きな責任を持つとともに、やりがいのある3年間にしようと誓ったことを鮮明に覚えています」

 ゆっくりと話す雰囲気には、どこかおだやかさのようなものを感じられた。

 1年前の入学式の後、生徒会長として同じ場所に立っていた人物とはどこかが違う。

 粛々と進んでいくとうに対し、オレはそんな変化を感じ取っていた。

 ほりきた兄だけじゃない。在校生たちもまた、月日を経て大きく成長していると。

「私事ではありますが、生徒会の代表として昨年1年生たちに言葉を述べたことがあります」

 オレの思考とリンクするように、堀北兄がそんな風に話し出す。

「昨年この場所から見た時と比べていちもくりようぜん、皆さんの成長を感じ取ることが出来ます」

 1年前、オレたち1年生の浮足立った空気を堀北兄は沈黙によって変えた。

 あの時には多くの生徒たちに見えていなかったもの。

 今、この卒業式で私語をする生徒は1人もいない。

 そして堀北兄もまた、巣立つ生徒として、温かいまなしを在校生たちに向けていた。

「そしてこれから3年生となり、在校生をけんいんしていく立場の2年生には、この学校の規律を守ったうえで、存分にその力をはつして頂きたいと思っています」

 そして数分後、やがて答辞は終わりへと近づいていく。

「この学校で学んでいることはこの先の人生において、何よりも宝となり役立つものになるであろうことをここに約束します」

 そして改めて、堀北兄は在校生たちを見つめる。

「来年、そして2年後。答辞を述べる人にも、きっと理解できる瞬間が訪れるでしょう」

 答辞を述べる人物。

 それはつまり、Aクラスで卒業することになるクラスのリーダー。

 2年生であれば先ほど送辞を読み上げていたぐもが筆頭候補だろうか。

 1年生たちはまだ混戦の中にいる。堀北か、いちか、りゆうえんか、さかやなぎか。

 それとも新しいリーダーとなる別の誰かか。

 早くも3分の1が過ぎた学校生活だが、まだ3分の1に過ぎない。

 この先もクラスは入れ替わり生徒も減っていく。

 それでも勝ち残った者のリーダーが、代表としてあの場所に立つことを許される。

 ゆっくりと、されど流れるような答辞を読み上げる堀北兄。

「───3年間、本当にありがとうございました」

 やがてその時間も、ほどなくして終わりを迎える。

 それから答辞は生徒たちから、教師たちへと、学校へと向けられていく。

 見事な答辞が終わりを告げ、卒業式は次のステップへと進んだ。


    2


 卒業式が終わった後、オレたち在校生は一番初めに体育館を後にする。

 そして一度自分たちの教室へと戻った。

 この後は卒業生と全教師、そして参加する卒業生の保護者が集まり謝恩会が始まる。

 謝恩会とは、卒業していく生徒たちと、そしてその保護者が教師をねぎらう会らしい。

 在校生は帰宅しても構わないようだが、部活に所属している生徒や3年生と仲の良かった生徒たちは、この後準備をして卒業生が出てくるのを待つらしい。

 花束を渡したり、あるいは何か特別な告白や話があるのかも知れない。

 浮足立ったり、緊張して物静かになる生徒など様々だ。

「さて、明日の終業式で話しても構わないことだが、簡単に今学期のそうかつをしておこう」

 全員が着席して少しして、ちやばしらがそう言って生徒たちに目を向ける。

「まずは学年末試験、Aクラス相手に善戦したと評価しておこう。先生方もおまえたちの成長ぶりに驚いていた」

 負けた戦いだったが、普段辛口の茶柱が素直に褒める。

「1年前、入学してきたばかりのおまえたちとは大きく見違えた。よくここまで成長した」

「けど先生。俺たちまたDクラスに落ちるんですよ? 超かつ悪いじゃないですか」

 悔しそうにいけが言う。

「確かに、振り出しに戻るようにも見える。だが、1年間で確実におまえたちは成長した。単なるクラスポイントの差以上に、実力面で他クラスに迫ったと言っていいだろう」

「そんなに褒められると逆にこええな。なんかあるんじゃねえだろうな先生」

 褒める茶柱に対してどうがそう言いたくなるのも無理はない。

 この後引き続き試験をするとでも言いだしかねない。

「何もない、純粋にそう思っただけだ。教師になって4年目、私が受け持つクラスはおまえたちで2つ目だが、前回のDクラスの生徒たちよりも一回り以上優れている。とは言えそれは他クラスにも言えること。おまえたちが上のクラスに上がれるかどうか、それはこれからもたゆまぬ努力を続けていくかにかかっていると言えるだろう」

 トン、と一度黒板を軽くノックするようにたたいた茶柱。

「明日は終業式だ。授業がないといっても学校の一日に変わりはないことを忘れるな」

 茶柱から話を受け解散となったクラス。

 どれだけの生徒が3年生の出待ちに向かうかは分からないが、隣人はどうするだろうか。

 生徒会長を務め、そしてAクラスのリーダーとしてとうを務めた男の妹。

 ほりきたは、まっすぐ黒板を見つめるように動きを固めていた。

 頭の中では色々と考えているところだろう。

 不用意にやぶつつくとまれそうな気もしたが、試しに聞いてみる。

「行くのか?」

「何のこと?」

「いや、流石さすがに分かるだろ」

「兄さんに会いに行くのか?という問いなら、そのつもりはないわ」

 ほりきたはそう言って視線をらす。

 行くつもりはない……か。

「この前話せるようになったんじゃないのか?」

「別に、あなたには関係ないでしょう? 私たちには私たちなりの問題があるの」

 その問題を抱えているのは、今やおまえだけの気もするが。

「この機を逃したら、このままズルズルいくぞ」

「それは……」

 雪解けしかけているとはいえ、かんじんなところではるんだな。

 それだけこの数年間の関係がこじれていた証拠でもあるか。

「オレは会いに行く」

「え? 兄さんに会うつもり?」

 普段人と深くかかわらないオレだからこそ、堀北は意外にも驚いてみせた。

「あいつと仲良くすることはなかったが、今日が最後かも知れないしな」

 挨拶くらいしておいても悪くない。

「そう……」

「何か問題でもあるのか?」

「別に。あなたが兄さんと会うのは自由よ」

 顔には何であなたが、と書いてあるがそのことには触れない。

 オレは立ち上がる。

 今、この時間の多くの教師は謝恩会に駆り出されている。

 それは理事長代理をしているつきしろも同様だ。参加しないわけにはいかない。

「どこに行くの?」

「時間つぶしだ。謝恩会のことを考えたらしばらく手持ちだからな。おまえも兄貴に会うなら後で合流してやろうか?」

「……考えておくわ。謝恩会はどれくらいやってるのかしら」

 行くつもりはないと言っていたが、それはてつかいってことらしい。

「さあ。1時間か2時間か、そんなところだろうな」

 実際の謝恩会の予定時間は『90分』で、終わるまではかなり時間がある。

 その間にこっちはやるべきことをやっておく。


    3


 ここから日付は昨日の23日に遡る。

 選抜種目試験が終わったその日の夜、オレはある人物に電話をかけていた。

「もしもし、さかやなぎです」

 落ち着きのある大人の声。

 オレが電話をしたのは同級生の坂柳ありではなく、その父親。

 つきしろわなによってちつきよさせられている坂柳理事長の方だ。

 電話に出た坂柳理事長だが、当然こちらの番号に覚えはないだろう。

「夜分遅くに失礼します。ごしてます、あやの小路こうじです」

 そう名乗り、まずは誰であるかを理解させる。

「え? 綾小路……? 綾小路くんか」

 みようとそして声から、坂柳理事長は理解して驚きを見せる。

 こちらが無意味な悪戯いたずらで電話したわけではないことを、早々に伝える必要がある。

「突然のお電話申し訳ございません」

「いやいや、驚いたね。どうして僕の電話番号を知ってるのかな?」

「娘さんにお聞きしました。学校関係者と連絡を取る時に使う電話番号だと」

 学年末試験の帰り道、坂柳に尋ねたところ二つ返事ですぐに教えてくれた。

「理事長も娘さんにだけは、電話番号を教えていたんですね」

 ひいはしていないだろうが、やはりまなむすめ可愛かわいいということだろうか。

 そう思っていたが、坂柳理事長の反応は意外なものだった。

「有栖が……? いや……僕は娘にも電話番号は教えていないよ」

 驚きながら、そう否定した。

「一体、いつどこで知ったんだか」

 苦笑いしている様子の坂柳理事長。その話し方にうそは感じられない。

「普段から理事長の電話番号は伏せられているんですか?」

「先生方はもちろん全員知っているし、関係者に配る資料なんかにはせているかな……」

 であれば、入手自体はそれほど難しいものじゃないということだ。坂柳がどこかで目にして、記憶していたとしても不思議はない。ただ気になることはある。坂柳理事長は大切な娘であっても公平性を貫く男だろう、泣きつかれて手を貸すとは思えない。では、わざわざ電話番号を記憶していたのか。近況報告や雑談話をするためでもないだろう。

 オレは坂柳に電話番号を聞いた時、うれしそうに答えてくれたことを思い出す。

 もしかしたら、坂柳はいつかオレが困って理事長の電話番号を聞いてくるかもしれない、そんなことを想定していたのかもな。

「それで……僕は君に対してどう反応すればいいのかな?」

 電話番号の入手方法よりも、理事長にしてみればそちらの方が重要だろう。

 生徒からの直通など、歓迎していないことだけは確かだろうしな。

「理事長に電話してはいけない、というルールはありませんよね?」

 先にその点だけは確認しておく。

 この時点でアウトだと言われれば、通話を続けることは出来ない。

「確かにそれはないね。この電話自体は、僕が拒絶すべきものではないよ」

 そしてこうも続ける。

「個人的には、早くこの電話を終わらせるべきだと思っているよ。僕に何の用件かな?」

 向こうは困惑している様子だったが、こちらをとがめる様子はない。

 まぁ理事長に電話してはいけないという罰則規定はないだろうからな。

さかやなぎ理事長。今不正疑惑できんしんとのことですが、こちらは真実ではありませんよね?」

ずいぶんと学生らしくない、そして直接的な質問だね。当校の生徒が理事長にするような話としては非常に不適切だ」

 あくまでも物腰柔らかく、こちらの質問に対しての回答を避ける。

 だが話すべき本題にも直結していること。

 ここはもう少し粘る。

「出来れば答えて頂けないでしょうか」

「……あやの小路こうじくん。君の狙いが何かは分からないけれど、それは答えることが出来ない。その理由は話すまでもないね?」

「学生に聞かせるような話ではないから、ですよね?」

「そうだよ。何の関係もない話だ」

 坂柳理事長の置かれているきようぐうや立場。それは学校の生徒には本来無縁のもの。

 そうやって拒否するのは、至極当然の反応と言える。

「百も承知です。しかし、そうも言っていられない事情があります」

 まずは坂柳理事長にこちらの状況を知ってもらう必要がある。

「どんな事情があるのか知らないけれど、君は当校の生徒だ。そこには綾小路も坂柳も関係ない。そのことをはき違えていないよね?」

 子供を適当にあしらうのではなく、きちんと丁寧に説明をする坂柳理事長。

 その対応からも人間として出来た男であることはうかがえる。

「もちろんです。オレ個人と坂柳理事長の間に生徒と学校関係者以上の接点はありません。いえ、あってはならないと思っています」

 そんなことで特別な枠に入れられることを、オレは誰よりも望んでいない。

「ならこの電話はもう終わるべきじゃないかな。今日のことは聞かなかったことに───」

「いいえ。それでは『不純物』を取り除けません」

 その一言で、坂柳理事長に事態を飲み込ませるための合図、スタートとする。

「今、僕たちの間に不純物があると?」

「はい。その不純物とは、つきしろ理事長代行のことです」

 そして遠回りをしても得はないため、一気に本題を切り出す。

「……月城くんがどうかしたのかな」

 わずかにだが声のトーンが変わる。

 思い当たる節があるからこそ、不純物=つきしろの図式がすぐに脳裏によぎったはずだ。

「生徒同士が実力を競い合うための大切な試験で、月城理事長は私的に活動し妨害工作を行いました。さかやなぎ理事長はそのことをごぞんではありませんね?」

「話のぜんぼうが見えないよ。月城くんが試験に介入? 一体何のことだか……」

 あくまでも、表面上は知らぬ存ぜぬを装う坂柳理事長。

 こっちの真意が見えないのだから、当然の反応か。

「坂柳理事長に不正疑惑が持ち上がったのも、月城理事長代行のわざです。公平な立場を重んじる坂柳理事長を邪魔に感じたのでしょう」

 電話の向こうで坂柳理事長は少し考えている様子だ。

 ホワイトルーム関係でつながりがあるとはいっても、オレは一介の生徒。

 大人の事情を話す相手として適任ではないだろう。

 だが、全てがオレに起因しているのなら話は別だ。

 いやそんなことは坂柳理事長も早い段階から察しがついていたはず。

 しかし実害が出ない限り、何も行動は出来ない。

「どうして月城くんがそんなことを? 彼は元々上の人間だ。わざわざ僕なんかを落とす必要はないんじゃないかな。この学校にきて試験を妨害する? 必要性が感じられない」

 これは最後の確認だ。

 オレと対等に情報を共有できる相手かどうかを見極めるための確認。

「月城の狙いはみつにオレを退学させることです。そのためだけにこの学校に来た」

 こちらが理解していることを、ここで確実なものとさせておく。

「根拠があってのことでないなら問題発言だ」

「そうですね。しかし悠長に駆け引きをしている時間はありません。あの男は目的完遂のためには手段を選ばないでしょうから」

 理事長がどこまで父親のことを知っているかにもかかっている。

 はくな関係であれば、そこに現実味は生まれにくい。

 だが、これまでの電話の応対を見ていれば大体の予想はつく。

 この坂柳理事長は父親のことを、父親の思考をよく理解している。

「先生が……お父さんが君を連れ戻すためだけにそこまですると?」

 その根拠とも言えるセリフが、今のセリフだ。

 オレはまだ月城の裏に父親がいるとは口にしていない。

 それを確認するまでもなく結びつけていることが証拠だ。

「学年末試験で妨害工作があったと言ったね。何か実害があったというのかな」

 当然ながら、坂柳理事長は今回の特別試験の裏側を知る由もない。

 知っていれば、今頃何かしらのアプローチはあってしかるべきだ。

「これからお話しします」

 学年末試験で月城は、システムをしようあくしこちらの答えをかいざんした。

 プロテクトポイントを外させるために、1勝を奪いさった。

 たかが1勝、されど1勝。

 それは学年全体に影響を及ぼす不正行為。

 もしもこの1勝があれば、オレたちのクラスは上位クラスにグッと詰め寄ることができていた。

 オレがけいを説明するに連れ、少しずつ応答が弱くなっていく。

 たかだか1人の生徒を退学させるために、どんな手でも使うことが明確になったからだ。

 そしてこれは終わりじゃない。

 あやの小路こうじきよたかという生徒が退学するまで続く、その始まりであることを意味している。

「と、そんなところです。信じていただけますか?」

 普通なら生徒のたわごとだと取られても仕方のない話でもある。

 だがさかやなぎ理事長はオレの父親を知っている。オレの過去を知っている。

 おのずと勝手に結論を導き出してくれる。

 あることもないことも含めて。

「信じるしかないだろうね。彼が君を退学させるためにウチに入り込んできたことを。新システムの導入は聞いていたけれど、まさかそんなことのために……」

 名目は学校や生徒のためだが、その実はオレを退学させるための1つの手段に過ぎない。

「綾小路くんを取り戻すためには、なりふり構わないということか。君が僕に連絡してきた意味が理解できた気がするよ。生徒にはどうしようもない話だからね」

 一度状況を理解してもらえれば、坂柳理事長ならそう言うと思っていた。

「僕に助けを求めてきた、ということでいいのかな」

「似たようなものです」

 それを素直に認める。

 目には目を歯には歯を。

 学校側の戦いには学校側の人物をぶつけるしかない。

 まして理事長という立場にあるつきしろとは普段接触することもかなわない相手だ。

「だけどその前に聞かせて……いや、確認させてもらってもいいかな」

「なんでしょうか」

 答えられることも答えられないことも、望む回答を用意する心構えを作る。

「試験の結果にまで介入する月城くんを相手にしなければならないのは、君にとっては非常に厳しい戦いだ。この先しのぎ続けることが難しいと判断して僕に助けを求めてきたことからも、ピンチであることは疑うまでもないし。なのに君はずいぶんと落ち着いているね」

 そしてこう続ける。

「もしも勘違いしているのなら、先に訂正しておきたいんだ。僕は君の期待に応えられる自信も、そして立場にもないよ」

 何を言いたいのかは分かる。

 さかやなぎ理事長の鶴の一声で、つきしろを排除できないか。

 そんなことをオレが期待して電話をかけてきたとしたら。

 だとしたらお門違いだと言いたいのだ。

「僕は今、不正疑惑を受けてきんしんさせられている身。自分自身のきゆうすらしのぐことが出来ていない。そんな僕に過度な期待をされても困るよ」

 だから焦りすら感じられないオレに対してハッキリとその部分を強調したのだ。

「確かに純粋な助けを求める電話であれば、そうだったかも知れませんね」

「……と言うと?」

「これまで、オレは極力目立たないことを信条としてこの学校で生活を送ってきました。それは普通の学生として3年間を過ごしたいと思って入学したからです」

 それが入学前の目標。気持ち。ここにやってきた本心。

「生まれて初めて、オレは自分で目標を立て、そしてそれを実行しようとしてるんです」

「……うん。それはよく分かるよ。だから僕は君を受け入れた」

 事情は知らなかったが、結果的にその好意にはとても感謝している。

「ですが、このまま理事長代行の介入を許せばその根幹を揺るがすことになる。今回はプロテクトポイントで助かりましたが、次に同じようなことを許せば退学は避けられない」

 月城も当然、その立場を利用してこちらの想定を上回る手を打ってくる。

 中途半端な対処では、学校側の不正に対して反撃することは出来ない。

 つまりこれまでと同じようなスタンスではダメということだ。

「だから僕に助けを求めてきたんだよね? それが違うと?」

「今回お電話した目的は、坂柳理事長に『月城』を止めて欲しいというお願いではありません。相手がおきて破りの戦略を使ってくるのなら、こちらもそれに合わせて動く。結果的に、学校は騒動に巻き込まれるかも知れません」

「なるほど。つまり僕に電話をしてきたのは……」

「ええ。不測の事態が起きた時、後ろ盾になる存在が必要不可欠です」

 月城の排除を頼みたいのではなく、月城を排除した時に生じるへいがいの話。

 刃物で刺してくる相手を刺し返した時、正当防衛だと認めてくれる存在が必要になる。

 その時に学校側の手助けが必ず必要になるだろう。

 そして、その時に切り札となりえるのが坂柳理事長ということだ。

 月城を排除して疑惑を晴らせば、理事として復帰してくることは目に見えている。坂柳理事長としても、疑惑を晴らすためにピースとなりえるオレは歓迎すべき材料のはずだ。

 ただ子供に期待を寄せて良いのか躊躇ためらわれる部分があるのだろう。

 それを取り除いてやることが重要だ。

「だけど本当に月城くんを止められるのかい? とてもじゃないけど一生徒には……」

「確かに理事長の権限を持つ月城は厄介です。生徒と違って試験で落とすことも出来ない。その点は大きな違いです」

 それに普段は姿を見せないため、攻撃を仕掛けることすら許されない。

 一方的に仕掛ける時だけ自由に動けるcheatingな存在。

「ひとまず、こちらから仕掛けられない以上つきしろの出方をうかがいます」

「それで彼の攻撃をしのげるのかい?」

「必要な手立てはいくつかあります。まずは最低限の防衛網を広げる必要があるでしょう」

 あの男の指示を受けているのなら、月城にもそう長い猶予はないはずだ。

 悠長に1年も2年もかけて退学に追い込んでいたら意味がない。勝負に出るとしたら春休み明けの4月。そこでの攻防が中心だろう。そこを凌げば、こちらから仕掛けずとも必然的に月城は追い込まれる。追い込まれれば無理な一手を打たざるを得なくなる。

「タイムリミットこそが、ヤツの唯一にして最大の弱点となります」

 こちらはその時に、万全の態勢で挑む。

「学校関係者に対する生徒の発言とは思えないね。普通の人が聞いたら激怒してもおかしくない……。だけど先生の息子さんだと知ったうえで聞くと不思議と受け入れられてしまう」

「敬うべき存在にはこちらも適切な態度を取ります。ですが、生徒同士で争う場所で強引に手を突っ込んでくる大人にはようしやするつもりはありません」

 さかやなぎ理事長は返事こそしなかったが、それを受け入れるように聞き流す。

「容赦しないとして、月城くんからの妨害をどうやって防ぐつもりなのかな」

 どうやって防衛網を広げるのか、その手段を聞きたがっている。

 やるべきことは決まっている。

 不正を許さないためには、こちらも学校側の人間を使う以外にない。

「まずは、月城に対抗できる学校側の人間が必要不可欠です。監視の目が強まるだけで、一気に身動きを制限させられますから。今回のように楽には動けなくなる」

 相手に楽をさせないこと、それはなる勝負事でも必須行為。避けては通れない戦略。

 権力者である必要性はない。立ち向かう勇気を持った存在が求められる。

「そうだね、それなしでは始められないと僕も思う」

 どうやら坂柳理事長も、自分が何を求められているかを理解したようだ。

 学校側の事情をオレは知らない。誰が信用出来て、誰が信用出来ないのか。

 月城という組織の偉い人間に対しても正義を貫ける人物がいるのかいないのか。

 月城に寝返る可能性のある教師は引き込めない。

 電話の向こう側で、坂柳理事長が考え込む。

 人員の選択が運命を分けることが何よりも大切だと理解しているのは、坂柳理事長をおいて他にいない。

「担任のちやばしら先生のことは、もう分かっているね? 僕が君を見守るようお願いしておいた存在だ」

「ええ。こちらの事情を少し知ってるようですね」

「うん。現実味のない話に対して、少なからず理解している存在だ」

 使える使えないは別にして、な。

「オレも事情を知る者の無視は出来ないと思っています。彼女を基点に、信頼できる教師をこちら側に引き込めればベストです」

 自分の父親が息子を退学させるためにさかやなぎ理事長を失脚に追い込み、学校の試験を操作しているなどという話をしても誰も信じるはずがない。だがちやばしらが事の詳細を話せば話は変わってくる。

「それなら───」

 少し考えた後、坂柳理事長が出した答え。

「やはり1年Aクラスのしま先生が適任だろう。君たち1年生の試験の担当者でもあるし、誰よりも生徒のことを考えている。子供たちのことを一番に優先する素晴らしい先生だよ」

「この現実味のない話に、リアリティを感じてくれる存在でしょうか」

「どうだろうね……すぐに受け入れられるとは思えない。だけど、このことが事実であると理解すれば必ず生徒側に立ってくれる。それは保証するよ。彼は権力に屈さず、そして信念を貫き通せる教師だ」

 それ以上の適任者がいないなら、こちらから不満を言うことは何もない。

 むしろ身近にそんな教師がいたのなら上出来とも言える。

「茶柱先生とは同期である点も期待できる。話をつなげるのも難しくないはずだ」

「分かりました。真嶋先生ですね。まずは茶柱先生に話をして話し合いを持てるように動いてみます」

「でも簡単にはいかないよ。学校の多くは人の視線、そして監視カメラであふれてる。会うタイミングと場所は慎重に考えた方がいいね」

 つきしろが四六時中オレを監視していることはない。とは言え、何かしらの警戒を持っていても不思議ではないからな。オレと真嶋先生が内密な話をしていれば、そこに疑いの目を向けられるのは避けられない。

 普段どこにいるのか知らないが、月城はある程度自由に行動できる。こちらと不意のバッティングなんてことになったら笑えない。

「何か助言を頂けるなら、こちらとしては動きやすいんですが」

 高度育成高等学校を、そして理事という職務を誰よりも知る坂柳理事長にアドバイスを求める。

「早急に動くなら……そうだね、卒業式が終わった後は、3年生と教師たちが集まっての謝恩会が開かれる。そこには理事長も毎年参加する決まりだ。つまり月城さんも必ず参加する。興味があろうとなかろうと、責務は果たすだろう」

「理事長としての職務をたいまんにこなせば、学校からの批判も強まりますしね」

「うん。そういうこと」

 好き勝手動くためにも、月城は坂柳理事長よりも出来る男を演じなければならない。

 つまり監視の目が必然的に緩む瞬間。

「1年生の担任も参加されるのでは?」

「謝恩会は表向き1時間ほどとなってるけど、例年少し延長して90分を目安にしているんだ。20、30分先生が2人消えても、それほど問題は生じないんじゃないかな。席を外すことは普通に起こりうることだし、基本的に必要とされる先生は3年生の担任だし」

 密会を行うに適したタイミングは卒業式の後、謝恩会の時か。

「場所は───応接室がいいんじゃないかな。応接室には監視カメラもないから。それを利用するのが一番かも知れないね」

 つまり会っていた明確な記録が残ることはない。

 教師たちに生徒の寮に来させるわけにもいかないしな。

「こちらは、その提案に異存ありません」

 その方向で話し合いの場を設けることに賛成する。

「最初の一歩。ちやばしら先生には、僕が簡単に連絡しておくよ。だけどどこまで話すかは君が判断するんだ。そのうえで説得できないようなら、諦めてもらうしかないと思う」

「十分すぎるほどです」

 さかやなぎ理事長からの連絡ともなれば、茶柱も、そして話が行くしま先生も無視できない。

 この電話で得られる可能性のあった最大限のアシストをもらえたと言える。

「夜分遅くに、突然のお電話失礼しました」

「いいんだ。───あ、最後に1つ、僕から余計なことを聞いても良いかな」

「余計なこと、ですか」

「君が普通の生活を夢見てこの学校に来てくれたことは素直にうれしく思う。でも、卒業後のことは何となく考えているのかな? 何がしたいとか、どこに進みたいとか」

 そんなことを聞いてくる坂柳理事長。

「どこまでごぞんかは分かりませんが、オレの運命は決まっています」

「……それはつまり……」

 その反応だけで十分だった。

「卒業後、オレはホワイトルームに戻り、そしてそこで指導者としての道を進むことになるでしょう。あの男もそのためだけに、ここまで育ててきたわけですしね」

 この学校を出てしまえば、オレを守る防壁はどこにもなくなる。安アパートの一室、夜襲でも何でもしてホワイトルームに連れ戻すことは、難しくないだろう。

「君は運命を受け入れた上で……その上で、今ここにいるんだね」

「だからこそ、この3年間を守り通すつもりでいます」

 簡単に言えば反抗期のようなもの。

 父親の命令を拒否して、やりたいことをやっている。

「君にとってこの学校が生涯忘れることのない良い記憶になることを願うよ」

「ありがとうございます。そのつもりです」

 さかやなぎ理事長との通話を終え、オレは一息つく。

 どこまで信用していいかという部分はあるが、少なくともつきしろ側でないことだけは確か。

 あとは娘が学生で、オレの同学年であるというのも優位になるだろう。


    4


 それが、オレと坂柳理事長との昨日のやり取り。

 そして今、まさにセッティングされた応接室に向かっている途中だ。

 どこかで合流していくという流れではない。

 辿たどいた応接室前。

 既に誰かが来ているのか、あるいはオレが一番乗りか。

「失礼します」

 ノックをしたのち、応接室に足を踏みいれたオレはちやばしらに迎え入れられた。

 窓際に立ったままこちらへと視線を向けてくる。

「早い到着だなあやの小路こうじ。時間まではまだ10分以上ある」

「あまり時間がギリギリになってもと思いましてね。そちらも早いみたいで」

 こちらをうかがうようなまなしを向けつつも、言葉を選んでいる様子の茶柱。

 坂柳理事長から話を聞かされた時、どんな風に考えたのかは大体察しがつく。

 ソファーは空いているのに両者座らない不思議な状態が出来上がる。

しま先生は?」

「声はかけてある。私と一緒に抜けるわけにもいかないからな。しかし、おまえも思い切ったことをしたものだな綾小路。へいおんな学校生活を送りたいんじゃなかったのか?」

 真嶋先生が現れるまでの間、茶柱の言葉遊びに少しだけ付き合うとするか。

「最初にその平穏を乱しておいて、ずいぶんな言いようだな」

「事情はどうあれ教師に対する態度とは思えないな。改めるつもりはないのか?」

「教師にあるまじき行動を取っておいて、随分と都合の良い話だな」

 何でもない一介の生徒であるオレをおどしてまで、Dクラスを上のクラスに引き上げさせようとした。そのことに対してオレは不信感……いや嫌悪感を強く抱いている。

 茶柱はどこかバツが悪そうに視線を外す。

「確かに、それは否定できないな」

 それだけ内心ではAクラスへのおもいが強かったというわけだが。

 坂柳理事長に信頼されて頼まれた手前、表立ってオレを使うわけにはいかなかったのだろうが、もっとうまく立ち回るべきだったな。

 いや───どんな方法で来ていたとしても同じことだったか。

 茶柱からの説得で態度を軟化させることはなかっただろう。

 とは言え1年って、こちらの事情も当初からは大きく変わってきた。

「おまえには嫌われている。だが、私に声をかけた、あやの小路こうじ

 自分がこの集まりに呼ばれたことが不思議でならないらしい。

 しま先生を引き入れるための駒とはいえ、確かに外すことも出来た。

 あえてそれをしなかった理由を知りたがるのも無理はない。

「少なくともあんたを好きじゃないことだけは確かだ」

「そのようだな」

 感情はどうあれ利用できる状況は何でも利用しなければならない。

 何故なら、好き嫌いと損得は全く別の問題だからだ。

 ちやばしらがいることで真嶋先生の説得が1ミリでも優位に運ばれると判断したからこその今。

「どこまで聞いた?」

「私から真嶋先生に声をかけ、この集まりの場をセッティングすること。そしておまえから重要な話があるので協力してやって欲しい、ということだったが……」

 まだつきしろについては何も聞かされていないか。

 理事長は完全にこちらに、全ての権利を与えてくれるつもりらしい。

「それで? 私たちに何の用だ」

「それは真嶋先生が来てから。二度話すのは手間なだけだしな」

「どんな話かは知らないが、私に協力をようせいするのならそれ相応の態度があるだろう?」

 これまで防戦一方だったからか、茶柱はそんな風に抵抗を見せてきた。

さかやなぎ理事長の指示には教師として基本的には従うが、絶対ではない。意味は分かるな?」

「そんなにオレの態度が気にさわるのか」

「ああ、障るな。ある程度優秀だろうとまだ高校1年生だろう? それに、クラス対抗とはいえ学年末試験では坂柳に後れを取って敗北した。私が期待していたおきて破りの実力は保持していなかったことになる」

 期待通りの実力者じゃなかったことに、勝手に落胆しているということか。

「実力があれば多少の言動は大目に見る。だが、格付けが済んだなら話は別だ」

 Aクラスである坂柳に勝てなければ茶柱の理想はかなえられない。

 いつまでもオレにマウントを取られたまま、黙っていられないらしい。

 教師である茶柱だが、今回の件は普通の職務内容からはいつだつしたものになる。

 話の内容次第では拒否することも、当然できる。

 そして場合によっては、月城側につくことも出来てしまうだろう。

 オレが完全にコントロール下から離れたことをアピールし続けても、逆効果。

 ある程度の知恵があるようで安心しつつ、オレは一度息を吐く。

「分かりました。一度態度は改めます、茶柱先生」

「なに?」

 あっさりとこうていして見せたことに驚く茶柱。

 あの程度の抵抗で、こっちが折れてくるとは思わなかったのだろう。

 この後の話につなげるためでもあるが、オレをなずけられる可能性を残してやる。

 いや、その可能性だけではちやばしらが全面から信頼することなど到底できるはずもない。

 内心ではオレが舌を出しているんだろうと、勝手にイメージしているだろうからな。

 オレという存在がDクラスにとってプラスであることを押し出していく。

「少し考えが変わりましてね。4月からは本気でAクラスを目指すつもりです」

「何の冗談だ? この場を設けたこともそうだが、いったい何を考えている」

「本当の話ですよ。2年の終わりにはDクラスやCクラスの枠を出ている予定です。流石さすがにクラスポイントの差がありすぎるので、2年生の間にAクラスに上がれる保証は出来ませんが……。Bクラスは手堅く取るつもりでいます」

 それは茶柱にとって、本来一番望んでいるモノ。

 DクラスがAクラスに上がること。

 かつて、この学校で誰も成しえたことのない領域。

「目からうろこ、だな……。だが口約束などいくらでもできる」

「確かに。ですがAクラス行きの切符は手元に残したいんじゃないですか?」

 切符が本物にせよ偽物にせよ、手ぶらよりは遥かにマシだ。

「さっきも言ったが、おまえはAクラスとの学年末試験で負けた。3勝4敗と善戦はしたが負けは負けだ。運が大きくからむ試験とはいえ、それを言い訳にさせるつもりはない」

 改めてかぶり過ぎていたことを強調される。

「どんな相手、どんな試験でも勝って見せる。それくらいの過度な期待を抱いていた」

 実に身勝手な幻想を抱いてくれていたものだ。

「今日、この後の集まりでその真実も見えてきますよ」

「真実が見える……?」

「話を最後まで聞いたうえで、オレの実力が信じられないなら好きにすればいい」

「それはどういう───」

 追及しようとする茶柱だったが、応接室に響く力強いノックに言葉が遮られる。

「……はい」

 茶柱が返事をすると、しま先生が応接室へと入ってきた。

「既に集まっているようだな」

 そして───

「御機嫌よう」

 Aクラスの生徒、さかやなぎあり

 彼女もまた、真嶋先生と同行するように姿を見せた。想定外の来客。

 こちらから呼んだ覚えはなかったが、真嶋先生が声をかけたとも考えづらい。

「私はAクラス。真嶋先生と一緒のところを誰かに見られても差し支えはありません」

 言うまでもないだろうが、とフォローを入れる坂柳。

「茶柱先生からの通達を知っていた。今回の件にも関係があると言われ連れてきたが……」

 さかやなぎ理事長は、娘の方にオレからの電話を受けたことを話したのだろう。

 念には念を。オレが本当に娘を経由して連絡してきたのか裏取りをしたってところか。

 しかしこの場に坂柳が現れた理由と関係があるのかどうか。

 何かしらの役割を仰せつかったのか、あるいは単なる好奇心か。

 十中八九後者だろうな。

「問題ありません。想定内です」

 オレは来客を歓迎すべき対象として受け止め、そう答える。

 坂柳はクスリと笑い軽くこちらにしやく

 その後、ちやばしらの方には一切視線を向けることもなく応接室の扉を閉める。

 坂柳がこの場に現れたことに茶柱は理解力が追いつかないようだ。

 いや、それはしま先生も同じだろう。

 ともかくこれで、必要な人間はそろったことになる。

 限られた時間を有意義に使わないとな。

「俺に話があるそうだな、あやの小路こうじ。わざわざ坂柳理事長からの通達に加え、謝恩会を抜け出しての密会のようなごと……余程のことなんだろうが、どういうことだ」

「これからお話ししますよ」

 オレは2人の教師に対し、まずは座るように促した。

 しかし真嶋先生はまず坂柳に座るよう指示をする。

「ではお言葉に甘えて」

 足にハンデを負う坂柳を座らせ、真嶋先生は立ったまま腕を組んだ。

 自身が座るかどうかは、話の内容が見えてからということだろう。茶柱もそれに合わせる。

 3人の視線がオレに注がれる。

 謝恩会を抜けていられる時間は精々20、30分。非常に限られた時間だ。

 単刀直入に話すつもりだが、果たしてどのタイミングで理解が及ぶか。

 一度や二度の話で、簡単に理解されるほど状況は現実味を帯びていないからな。

 時間を惜しみ、オレはつきしろ理事長代行の話を始めることにした。

「忙しいタイミングに集まっていただいたのは月城理事長代行に関しての重要な話です」

「……月城理事長代行に関しての重要な話? 一体何を言っている」

 冒頭から想定外の話を切り出され真嶋先生は困惑の色を強める。

 突拍子もないことを生徒が言い出せば、そんな顔をするのは当たり前の反応。

 茶柱も同様に話についていけていないようだったが、この場に現れた異例の人物である坂柳へと一度視線だけを向けた。そんな視線を坂柳は正面から受け止め、不敵に笑う。

 おまえたちより、私の方が詳しい事情を知っている。

 そんなえつさえも感じさせるような表情を見て、実に坂柳らしいと思った。

「学校のかたそのものを揺るがす、見過ごせない事態が今引き起こされています。お二人にはその事態を収束させるため、ごくに手を貸していただきたいと思っているんです」

「大切な話があると聞いていたが……私をからかっているのか? ちやばしら先生」

 そんなことはないだろうと思いつつも、しまが茶柱に説明を求める。

「からかったつもりはない。私がほしみや先生のような無意味なことをするとでも?」

「それはそうだが、この状況に全く理解を示すことが出来ん。今は謝恩会の最中だ」

 本来は卒業生たちと最後の交流を行える貴重な時間。

 子供の妄想話に耳を傾ける余裕はないと、いつしゆうしようとする。

あやの小路こうじは何をしようとしている」

「さあ。説明しようにも私からは不可能だ。昨日話したように、私もさかやなぎ理事長から指示を受けてこの場を用意したに過ぎない。同じように理解できる説明を求めている」

 両者から疑惑の目を向けられる。話を前進させてもらうとしよう。

「今現在、坂柳理事長の不正疑惑が持ち上がってきんしんしていること、そしてつきしろ理事長代行がこの学校にやってきた原因がオレにあると言ったら、真嶋先生はどうお考えになりますか?」

「なに?」

 本題に触れるも、簡単には状況は進展しない。

 それどころか真嶋先生のこちらに対する疑惑は深まっていく。

「全く理解できない話だ。綾小路に原因があるとは?」

 当然、そういう反応になるだろう。

 学校の仕組みそのものが個人の在学退学に振り回されているとは頭の片隅にすらない。

 やはり、まずは学年末試験の内容に触れていくべきか。

けいからご説明します───」

 オレが学年末試験のことに触れようとした時、さかやなぎの手が上がった。

せんえつながら、全てお話ししても構わないのなら私から切り出させていただけませんか」

 この状況を予期していたかのように、坂柳がそう申し出る。

「おまえも事情を知っていると言っていたな坂柳」

「ええ。少なくとも先生方よりは詳しいと自負しております」

 早速坂柳が動いた。当人から話すよりも、事情を知る人物からの発言の方が周囲の理解が早いと踏んだのかもしれない。オレが軽くうなずくと坂柳はしま先生へと視線を移す。

「それは坂柳理事長に事情を聞いた、ということか?」

「いいえ。私が個人的に知っているだけのこと。あやの小路こうじくんとは───そうですね、分かりやすく言えばおさなじみのような関係ですので」

 楽しそうにそう説明する坂柳。そんな言い方でどうなるものかと思ったが、教師たちにとっては意外と驚く表現だったようだ。

「幼馴染……まさかそんな関係だったとはな」

 その事実を口にするちやばしらに、坂柳は補足する。

「あくまでも『のような』関係ですが。ともかく、一度ご説明しましょう」

 一度幼馴染の話を区切ると坂柳が説明を始める。

「先日行われた学年末試験。私と綾小路くんが司令塔として戦ったことは記憶に新しいと思います。そして最後のチェスで私が勝ったことによって勝敗が決したことになっています」

 それが学校の知る結果、真実。

「それがどうかしたのか」

 当然、そのことを真嶋先生も茶柱も疑っていない。

「もしも───あの時の勝負に横やりが入っていたとしたら? そして、それが原因で勝敗が変わってしまい、結果に大きな影響を与えてしまっていたとしたら? 非常に大問題だと思いませんか?」

「試験は厳正に行われている。問題になりようもない」

「それは何をもって厳正だと言えるのでしょう。お二人ともあの試験では不在でしたよね?」

 自分たちの受け持つクラスから担当教師は除外されることになっていたため、ここにいる茶柱と真嶋先生はいちのクラスとりゆうえんのクラスを担当していた。つまり試験は見ていない。

「本来なら、チェスによる勝負は私が負けていました。綾小路くんの勝ちだったんですよ」

「チェスがあやの小路こうじの勝ち? いやだが、私は結果を見た。もちろんその過程もだ」

 その話に真っ先に食いついたのは、しま先生ではなくちやばしらだった。

 チェスでの敗北で再びDクラスに転落したのだから、気になっても無理はない。

「まだ分かりませんか?」

 そんな教師陣を試すような言い方で、さかやなぎは真嶋先生と茶柱に問う。

「何を言っている。まさかつきしろ理事長代行がチェスの結果をひっくり返したとでも? さかがみ先生とほしみや先生とも試験後に会議を行ったが、何一つ問題点は指摘されていない」

「結果をひっくり返したのではなく、過程を変えたんです。常識の枠にとらわれていては真実は見えてきません。司令塔の送った指示は直接生徒には届かず、一度学校側に審査されてから後、インカムを通じて知らされる仕組み。不正を防ぐ意味では理にかなったシステムですが、逆に言えば学校側による自由な改変も許される」

 ここまで言えば分かりますか?と、坂柳は少しずつ2人に理解させていく。

 真嶋先生が、そこで初めて月城理事長代行と試験についてのある疑問符を頭によぎらせる。

「大がかりな設備を利用しての試験は、先生方にとっても異例だったはず。それもそのはずでしょう。アレは月城理事長代行が試験に不正介入するためにきゆうきよ用意したものなのです」

 坂柳は、うそやハッタリも絶妙にぜている。

 どこまで月城が計画したものであるか、その詳細は月城にしか分からない状況だからだ。

 事実確認をせずおくそくで都合よくかいしやくして、あたかもそれが真実であるように話す。

 その言葉に淀みはなく、教師たちには事実のように聞こえていることだろう。

 しかも間髪入れず発言を続けるため、真嶋先生も茶柱も、情報過多で扱いきれないまま坂柳の話は進んでいく。真実としていったん脳が処理を始めてしまう。

「彼が最後に入力した1手と、実際にほりきたさんに届いた音声───つまり機械によって読み上げられた1手の内容は異なっていたということです。綾小路くんの考えた1手が採用されていれば、負けていたのは私でした。この意味がご理解できますか?」

 処理能力を試すように、坂柳は微笑ほほえむ。

 それくらいは分かりますよね?と強制的に答えを1つに絞り込ませて。

「月城理事長代行が───裏で手を回したと?」

「退学をもくむあの方にとって、綾小路くんの持つプロテクトポイントは邪魔ですから」

 2人の教師が黙り込む。

 しかし、すぐに真嶋先生は声を上げる。

「坂柳の言ったことに間違いはないか、綾小路」

「はい。合っています」

「両名が口をそろえてうつたえていることには一定のしんぴようせいがあることは認めよう。俺も1年間担任として坂柳の性格や考え方は理解してきているつもりだからな。仮にわざと綾小路に勝たせようとしていたのならチェス等も含め試験を適当に投げ出すだけで済んだ話。自身の評価を下げる覚悟をして、あやの小路こうじを持ち上げるメリットはない」

 Aクラスのリーダーであるさかやなぎが、うそをついてまで自らの負けを認める利点はない。

 しま先生の言うように、もし私的な理由でオレを勝たせようとしたのなら、時間切れでも何でも、いくらでも確実に勝ちをゆずる方法はあった。

 わざわざこんな場をセッティングして、しんぴようせいの疑わしい話をする必要性はない。

「しかし、だ。話の筋は見えたが、それが真実であるかどうか第三者が確かめるすべはどこにもない。そうだろう?」

 笑われてもおかしくないばなしとも取れる坂柳の発言に、ちやばしらがそう返す。

にわかには信じられない話……真嶋先生はどう考える」

 茶柱が、険しい顔つきで話を聞く真嶋に、意見を求める。

「どう考えるも何も、今の材料だけでは到底受け入れられるような話じゃない」

 真嶋先生が一歩後退しそうなところで、茶柱がそれを止める。

「私個人の意見では、2人の話には一定の真実が含まれていると思っている。つきしろ理事長代行が来てから、どうにも学校全体の様子がおかしい」

「単純に月城理事長代行が気に入らないから、などという個人的な感情であれば考慮にも値しない。あるいは自分のクラスの勝ちを信じたいというもうしんも同義だ」

 生徒側に立った茶柱に、真嶋先生が厳しい言葉をぶつける。

 そしてすぐ生徒であるオレたちにもぶつける。

「2人とも証拠を示せるんだろうな?」

「私たちが直接月城理事長代行から不正したことを聞かされたと言っても、真嶋先生は信じて下さいませんよね?」

「……当然だ」

 裏で不正行為を働く人間が、自らその行為をていするわけがない。

 その話をしたところで響かないのは分かりきったこと。

「月城理事長代行ほどの人間が動いてまで、退学させようとする子供がいるなどと想像がつかないのが本音だ」

「そうでしょうね」

「生徒を疑いたいわけじゃない。こんなところで無駄にうそをついても得がないであろうことが分からないほど、おまえたちがおろかだとも思わない。だが根拠に、証拠に乏しい」

 信じてやりたいが信じるにたるソースがなければ、真嶋先生は納得しないだろう。

「おまえは何者だ、綾小路。それを俺に教えてくれ」

 真嶋先生がその疑問をぶつけてくることは、時間の問題だった。

 坂柳理事長を汚職疑惑できんしんにさせ、月城という人間が送り込まれてきた。

 そしてその月城は、ただオレを退学させるためだけに動いている。大切な試験に不正関与してまで、それを遂行しようとしているのだから疑問を抱くのも必然だ。

 自分の口で説明するべきか、あるいは任せるべきか。

 オレが答えないでいると、しま先生の目はちやばしらへと向けられる。

「おまえはあやの小路こうじのことを知っているのか?」

 先ほどオレたちの発言に一定の真実が含まれていると言った茶柱に真嶋が問う。

「……正直に話せば、私も触りだけしか知らない」

 こちらをうかがうような視線を向けてきたが、オレはそれを涼しく流す。

 ここで茶柱の知る浅い情報をさらされたところで何のデメリットもない。

「入試の筆記試験、綾小路の結果を私は見た。全科目50点という珍妙な成績のな」

「全科目50点……。つまり意図的にそろえたということか」

「調べれば真嶋先生にも分かるだろう」

「フフッ。ずいぶんと面白いことをなさっていたんですね」

「だがそれだけで何かの証明になるわけではない。通常通りに考えれば、入学するために手を抜く生徒はいないが、ある程度の学力があればほぼ均等に点を取ることは難しくないだろう。事実当校の入試問題の配点方式は非常にシンプルだ」

「まだある。綾小路が入学する際、さかやなぎ理事長から特別な生徒だとだけ聞かされていた」

「坂柳理事長から……? それがこの場に茶柱先生がいる理由ということか」

 茶柱がうなずき、その時のことを話し出す。

「担任として、綾小路に不都合があれば報告するように頼まれていたからな。そこにいる綾小路きよたか、その父親は非常にけんある人物だ。そして、この学校への入学を望んでいなかった。坂柳理事長の計らいで、半ば強引に入学を許可したと聞いている」

「保護者の許可を取らず入学を認めたのか。坂柳理事長も強引なことをするものだ」

 普通の子供なら、親の許可があって初めて高校への進学が可能になる。

 義務教育を外れるといっても、子供が好き勝手出来るほど世の中は甘くない。

「私の父と綾小路くんは面識があります。だからこそ、綾小路くんの置かれた不遇をうれえて行動したのでしょう。しかし、それがここにきて問題になりつつあるということです。つきしろ理事長代行という存在が近づき、父をねつぞうによる不正疑惑できんしんさせ、綾小路くんを退学にしようとしているのです」

 この点が、何よりも真嶋先生にとって引っかかる部分だろう。

「父親が息子の強引な進学に反対し、月城理事長代行を送り込んだ……か」

 中途半端な権威では、到底不可能なこと。

「そんなことをせずとも直接学校側に抗議すれば済む話だ」

「既に父親は綾小路と坂柳理事長に接触を済ませている」

「つまり、退学するよう綾小路自身に保護者からの通告はあったと見ていいわけだな?」

「はい。茶柱先生の言うように、オレは坂柳理事長と父親を交えこの応接室で面談しています。廊下に設置された監視カメラ映像を遡れば、事実だと確認できます」

「その上で綾小路が残っているということは、理事長含め退学を拒否したということか」

「そうです」

 しま先生が確認し、ちやばしらうなずく。

さかやなぎ理事長は生徒の意思を尊重した。それでいったんは収束したが……まさかつきしろ理事長代行があやの小路こうじを退学させるためだけに送り込まれた存在とは想像もしていなかった」

 そう振り返る茶柱に対して、坂柳も同意する。

「無理もないことです。茶柱先生は何も知らないのですから」

「おまえはずいぶんと詳しそうだな」

「ええ。私の方が茶柱先生よりもずっと綾小路くんのことに詳しいですよ」

 そんな必要のないマウントを取りに行く坂柳。

「予定になかった私がこの場に現れても、拒否しなかった彼を見ればいちもくりようぜんでしょう?」

 有無を言わさぬ事実だけを突きつけ、坂柳は誇るように笑った。

「やっと、俺にも話の全体像が見えてきた。少なくとも父親が息子を連れ戻そうとしていることは本当のようだ」

 話の状況をだいぶ理解した真嶋先生ではあったが、まだ事態の納得には至らない。

「しかし……。綾小路の父親がどれほどのけんを持っているのかは知らないが、こんなやり方をしてまで退学させようとしているのはだ。そこにリアリティが欠けている」

「綾小路くんが、他のぼんたちには無い素晴らしいスキルの持ち主だからですよ」

「先日の綾小路の選抜種目試験の結果は見た。フラッシュ暗算、そしてチェスの技量に関してはかなりのものであることは間違いないだろう。だが優秀な生徒は他にも大勢いる。特別視するほどのことではないはずだ」

「真嶋先生。ご自身を納得させようとさくすることを否定はしません。しかし、いい加減今起きていることを理解しては如何いかがですか。入学前から私の父は彼に目をかけ、そして月城理事長代行が不正をしてまで退学にさせようとしている。それが現実であり唯一の真実です」

 腕を組み、真嶋先生は一度目を閉じる。

「既に真嶋先生の中にも結論は出ているはず。証拠などはこれから探せばいいのです」

 しばらく沈黙した後、目を開きオレと坂柳、そして茶柱を見る。

「そうだな……。意に反した息子の進学が気に入らず、何とかして退学させようとしていることまでは信じよう。だが素直に協力する気になれない。その理由は分かるな?」

 オレたちが表面上の話しかしていないことを真嶋先生はよく分かっている。

「すべてを話すつもりはないのだな?」

 今回の話を整理し、世間に知られたくない事情があることは感じ取ったようだ。

 それくらいの深読みをできるくらいでなければ、こちらとしても困る。

「そうですね。話しても仕方のないこと、いえ意味のないことです」

 ホワイトルームの話を一からしたところで、大人には理解が及ばないものだろう。

 常識的に考えれば、あの男がおかしなことをしているのは明白。

 それに、ここで声をあげてホワイトルームの話をしたところで真実にはたどり着けない。

 徹底的な根回しの末されることは確実だからだ。

 なら、そんな無駄な工程を踏む必要はない。

「もし俺が協力を断ればどうする」

「泣き寝入りするつもりはありませんが、つきしろ理事長代行への対応にはりよするでしょうね。学校側なら試験だろうとなんだろうと不正をすることは簡単でしょうし。事実、種目選抜試験ではそれを許してしまっている」

 生徒だけでするのはほぼ不可能なやり口だ。

 あとはしま先生がそれを見過ごせる人間なのかどうか、それを問うだけ。

「俺を試そうというのか、あやの小路こうじ。……いいだろう。今後行われる特別試験や筆記試験など、月城理事長代行の不正関与を許すがないように善処しよう」

 話し合いの中、ついに真嶋先生がこちら側へつくことを口にする。

「真嶋先生。それが簡単なことじゃないことは分かっているんでしょうね?」

 受け入れた真嶋先生に対し、ちやばしらが苦言を呈す。

「不正をしているのが事実だとしても、下手をすればこちらの首が飛ばされる」

 茶柱がそう言いたくなる気持ちは分かる。

 月城への反抗はすなわち、教師生命をおびやかすことにもなる。

 中途半端な正義感だけでは、到底戦える相手ではない。

「まだ完全に信じきったわけじゃないが、綾小路たちの言っていることが真実ならしきことだ。学校側が不正に試験内容や結果を変えていいはずがない。やる以上は徹底する」

「しかし真嶋先生は、今あまり厄介なことにかかわらないほうがいいのでは? 選抜種目試験のルール違反で、今朝減給を言い渡されたばかりでしょう」

 面白い発言だと思ったのか、さかやなぎがそれに食いつく。

「ルール違反で減給? 何をされたのです」

「おまえたちに話すようなことではない」

「DクラスとBクラスの試験内容に抵触するからですか? 遅かれ早かれ、私たちの耳に詳細は入ることです。それに、今話している月城理事長代行の不正疑惑に関係しているのなら、懸念材料はこの段階で話しておいて頂かないと。あとで問題になりかねませんよ?」

「今回のこととは一切無関係だ」

 話そうとしない真嶋先生に代わり、茶柱が声をあげる。

「私が話そう。Bクラス対Dクラスの選抜種目試験、最後に選ばれた種目にはDクラスの柔道が選ばれた。そして生徒はやまアルベルト。Bクラスのいちはこの時点で戦意喪失し、出場すべき生徒を選ぶことが出来なかった」

「山田くん相手では無理ないですね。彼に柔道で勝てる1年生はまずいないでしょうし」

「一之瀬も、当然柔道で戦ってもらう生徒は決めていたはずだ。だが、あのままランダムに生徒を選び出していればどうなったと思う。不測の事態になると誰もが気付いたはず」

 時間切れになれば種目参加していない生徒が選ばれる。

 男子だけじゃなく女子も例外じゃない。

「あっさりと負けてくれるなら良いですが、仲間思いのBクラスですからね。いちさんのために、選ばれた生徒は全力で立ち向かっていった可能性があります」

 相手が誰であれ、アルベルトが全力でたたきのめすことも十分考えられる。

 そうなれば、大きな事故にもつながりかねない。

「だから独断でしま先生は不戦敗のジャッジをした。その点がつきしろ理事長代行は気に入らなかったのだろう」

 それで減給処分か。ルール違反と言われれば、確かにルール違反だ。

「その件も今回の件も同じだ。生徒にとって危険と判断すれば止める。不正があれば正す。教師が生徒に教えていることを守らないでどうする」

 そのためなら、自らの進退を揺るがすことになっても後悔がない。

「止められないようだな」

「常に覚悟を持って、俺は教師を続けている」

 言うだけなら簡単だが、真嶋先生は有言実行できる逸材のようだ。

「おまえの……いや、真嶋先生の決断がそこまで固いのなら、これ以上言うことはない」

「ひとまず交渉成立と言ったところでしょうか」

 さかやなぎからオレに言葉が向けられ、オレもうなずいて答える。

 これ以上真嶋先生への説得は無意味と判断したのか、ちやばしらは引く。

「真嶋先生が首を縦に振ったのなら私も協力しよう。構わないな? あやの小路こうじ

「こちらの陣営が1人でも多いことは歓迎すべきことなので」

「この話はここで一度とどめておく。けして口外しない。それで問題ないな?」

「もちろんです」

 真嶋先生も茶柱も、月城の不正疑惑を実際に見ているわけではないからな。

 それに囲い込む教師が増えれば、それだけ情報がれることにも繋がる。

 不正を暴こうと動いていることを気づかれれば、当然月城は警戒心を強める。

「私もひとまずは綾小路くんの味方につくつもりです」

「坂柳。綾小路の事情を知っているからと言って特別視するのは問題だぞ」

「何をおつしやっているのですか? 彼を特別視するのは当然のこと、いえ権利です」

 真嶋に対して、真っ向から反論する。

「……権利だと?」

「そうです。クラス別に争い合う制度とはいえ、当然様々な事情が交錯しあうもの。他クラスの友人や恋人のために裏切る生徒、金銭で協力し合う関係。あるいはおどし。感情1つでクラスのかきを越えた協力関係になることだってある。この学校はずっとそうだったのではありませんか? いいえ、社会全体で見ても変わりないでしょう。違いますか?」

 誰にだって特別視する相手くらいはいる、それを止める権利は無いと坂柳は主張する。

「私がAクラス全員を見殺し、綾小路くんだけを救い上げたとしても、それを先生方に非難されるいわれはありませんね。恨んで良いのは犠牲となった生徒たちだけです」

 さかやなぎの言葉にしま先生は不服を覚えただろうが反論はしなかった。

「ですが───必ずしも特別視が、彼の歓迎するものであるかどうかは別でしょう」

「どういうことだ」

「代行を排除するまでの間は静観しますが、それ以降の話は別だということです。それに、DクラスがAクラスにとって邪魔となる場合には、いつでもようしやなくたたつぶします」

「そうか。それならいい」

 強い意志を持って臨む坂柳を、真嶋先生は受け入れる。

「改めて確認しておくが、つきしろ理事長代行が不正をした証拠はどこにもないんだな?」

「既に抹消されたでしょうね。今から探りを入れても無意味かと」

 わざわざ証拠を残すような間抜けなはしない。

「なら、やはり次の出方を待つしかないようだな」

 2年に上がった後の試験など、オレたちよりも教師側は深く知っている。

 月城がどう出てくるかを考えるのは真嶋先生たちに任せることにしよう。

「そろそろ30分を超える。いつまでも謝恩会を抜け出しているわけにもいかない。まずは生徒のおまえたちが出るんだ。こっちは後でバラバラに退室する」

「分かりました」

 オレと坂柳は同時に応接室から出て、廊下へ。

 そして2人で歩き出す。

「思い切った判断でしたが、真嶋先生を仲間に引き込めたのは大きなプラスですね。1年生のそうかつ役であれば、誰よりも月城理事長代行に近づけますし」

「ああ。完全に防ぎきれないとしても、抑止力になれば十分効果的だ」

「正義感の強すぎる点が、やや気がかりでしょうか。アレはマイナス評価ですね」

「そうだな。頼もしい反面、それが足を引っ張ることもある」

「深く突っ込みすぎれば、容赦なく真嶋先生の首は飛ぶでしょうね。まぁそうなってしまうような人物なのであれば、遅かれ早かれではあるのでしょうけれど」

 そう話す坂柳の横顔は、とても幸せそうだった。

「楽しそうだな」

「楽しいですよ。あやの小路こうじくんは楽しくありませんか?」

「どうかな。こっちからすれば面倒事だからな。おまえがここに来たのは───」

「はい、楽しそうだったからです。ご迷惑でしたか?」

 すぐにそう認める坂柳。

「いや。おまえが来たことで真嶋先生に対する説得力が上がった。感謝してる」

「それは良かったです」

 こっちを向いて、坂柳が笑う。

「それに、学校側の不正で何度も勝負を邪魔させるわけには参りませんからね」

 つきしろのやった不正に対し、さかやなぎは強く憤慨していた。

 徹底して戦い、排除する方向で動いていくだろう。

「今敵は油断しています。早々にケリをつけるべきでしょう」

 月城からしてみれば、オレたちはたかだか高校生。何が出来るのだと高をくくっている。

 そこにすきが出来る。

あやの小路こうじくん。当面の間、月城理事長代行の排除にじんりよくされてくださいね」

「それなら遠慮なくそうさせてもらおうか」

 信用できるかどうかをてんびんにかける必要はないだろう。

 これまで接してきて、坂柳の性格は十分に熟知したつもりだ。


    5


 生徒2人が去った後。

 しまちやばしらに対して率直な意見をぶつけた。

「俺にはまだ、少し理解が及んでいないところがある」

「それは私も同じです真嶋先生。しかし、実際に綾小路の言っていることは真実でしょう」

「生徒1人のために学校の仕組みにまで手を入れる、か」

 どれだけ現実だと周囲に促されようと簡単に理解できることではないと真嶋はなげく。

「実際に綾小路を1年見てきた茶柱先生の目にはどう映った」

「それは難しい質問ですね」

 長居するわけにもいかず、2人は綾小路と坂柳が出て1分ほどして応接室を出る。

「一見すると無気力で無頓着。どこにでもいそうな目立たない普通の生徒だ」

 それは他クラスの担任を受け持つ教師も似たような印象を抱いていただろう。

 現に印象は薄い。名前と顔が何とか一致する程度の存在。

「だが大人相手にも動じず、全てを見透かすあの目は、とても子供のそれとは思えない」

「俺にはまだ、半信半疑だがな」

「確かに。高校1年生、と言ってしまえばそれまで」

「まだ教師になって数年だが、この学校で様々な生徒たちを見てきた。ここ数年で言えばほりきたまなぶぐもみやびが頭一つ抜けて優秀な印象だったか」

「それは私も否定しない」

 両者ともに学力、身体能力は優秀。学年随一。そしてたぐいまれなカリスマ性を持っている。

「今年の1年生たちは、今現在あの2人には一歩及ばない印象だった。もちろん、一部の能力だけであれば匹敵する生徒もいるが、全てというわけにはいかない。総合して、綾小路はどこまで持っていると見る」

「それは今後に何か影響があることなんでしょうか?」

「いや、それはない。綾小路がどれほどの生徒であれ月城理事長代行の勝手を許すつもりはない。単なる俺の好奇心だ」

「好奇心……珍しい表現を使いましたねしま先生。ですが私も探っている段階」

 ちやばしらもまた、あやの小路こうじのことを知りたくて仕方がない人物の1人。

 答えたくても答えられないのが実情だ。

「まったく厄介な問題を持ち込まれたものだな」

 あきれるように真嶋は腕を組んだ。

「本来教師とは、生徒と適切な距離を保ちかんかつする立場にある。妙な関係を築くのは得策じゃない」

「そのためには、一刻も早くつきしろ理事長代行を排除しないと」

「排除して───それで終わることなのか?」

「どういうことだ」

「不正を暴き、その後次の刺客が送り込まれてこない保証はないだろう。そうなれば、綾小路個人の問題から飛び火し、学年全体……場合によっては学校全体に悪影響を及ぼす」

 それが不安だと真嶋は言った。

 とは言え個人の生徒を見捨てるようなを当然真嶋はしない。

「泥沼の展開になっていくことを、俺は恐れている」

「そうだな」

 そうなれば正当な評価を受けられなくなる生徒も出てくる。

 それは教師として絶対に防がなければならないこと。

「願わくば、俺のこの予感が当たらないことを期待する」

 2人の教師は、この先に待ち受ける展開を想像し、それがゆうであることを願った。


    6


 教師やさかやなぎとの話し合いを終え時間つぶしを済ませた後、オレは体育館そばにやってきた。

 間もなく謝恩会を終えた3年生たちが出てくることになっている。

 要は出待ちの状態。

 1年生も2年生も時間が近づくにつれ緊張が増しているようだ。

 3年生の中にはこの卒業式が終わった直後の今日、学校を旅立つ者もいるという。

 中には今日まで伝えられなかった様々なおもいを口にする生徒もいるかも知れない。

 全部で何人くらいいるだろうか。目に見えている範囲でも100人近くはいる。

 そして、やや集団から離れた所に見知った人物の姿もあった。

「やっぱり来たんだな」

 待ち人たちの中に立つほりきたに声をかけると、にらかえされる。

「……何よ、いけない?」

「いけなくない。むしろちょっと見直したくらいだ」

「見直す? よく分からないことを言うのね」

「以前のままのおまえだったら、この場に来れてなかったんじゃないかと思ってな」

 そんなオレからの褒め言葉を、ほりきたはどこか不服そうに聞く。

「そうかしら。私は私よ、何も変わっていないわ」

 成長、あるいは自己の見つめ直しを否定する。

 いや、否定するというよりは、他人の前で素直に認められないだけか。

 体育館での謝恩会が終わったのか、ついにその扉が開く。

 晴れて卒業式は完全な終わりを告げたようだ。

 卒業生、在校生に残された公式な最後の交流の場は、この瞬間だけになった。

 解散を受けて続々と出てくる3年生たち。

 その姿の多くは晴れやかだが、一部の生徒たちに笑顔はない。

 学校を去ることの寂しさか、それともAクラス卒業がかなわなかった故か。

 だが、後者であれば大半の生徒の様相が沈んでいなければおかしい。

 一見しただけだが、Aクラス以外の生徒の表情にも喜びのようなものが含まれている。

「どう思う」

 その様子を堀北に問う。

「夢への近道が叶わなくても、自力で切り開くことは出来るからじゃないかしら。進学も就職も、実力があれば特権などなくても大抵は実現できることよ」

 人生の道はこの先も立ち止まることなく続いていく。

 多くの生徒は現実と向き合い、これからの進路を決めて歩き続けているってことか。

 そういう意味ではこの晴れ舞台を堂々と過ごしていても、何ら不思議はない。

 中には誰ともからまず一目散に寮へと帰っていく生徒もいるが、大半は足を止めている。

 3年間で残してきた爪痕、いや痕跡がここで見られるような気がするな。

 残った卒業生、生徒会長を務めた堀北まなぶの姿もそこにあった。

 まだ誰も駆け寄っていない今がチャンスだ。

 下手に人が集まるようなことになれば、堀北に入り込む余裕はなくなるだろう。

 この時を心待ちにしていた堀北だが、一歩も動けずにいた。

「行ってくればいい」

「それは分かってるわ」

 言われるまでもないこと。兄と話すため、ここで待ち続けていた。

 しかし、いざその時が来ると体が動かない。

 そうこうしている間に、1人、また1人と堀北兄に近づいていく生徒が増えていく。

 待っていては物事は進まないと判断し、強引な手段を取る。

 オレは踏み出すことに躊躇ためらいを見せる堀北の背中を押す。

「ちょ、ちょっと?」

「妹としての特権を使ってこい」

 そう促すが、ほりきたかたくなに足を地につけ前に行こうとしなかった。

「……今私が兄さんの下に駆け寄るのは、とても不自然よ」

「おまえが混ざっても別に不自然じゃないけどな」

「不自然、不純物よ」

 自分で自分をさげすむように、堀北はそう評した。

 この間のわな、堀北の手料理とどこかかぶるように、入学直後を思い出す。

 1年生たちの前で演説する堀北まなぶを、遠くの届かない存在を見つめる目で見ていた。

 細かな部分で変化していても、核心部分は同じものがある。

 多くの経験を積んで成長してきていても、難しい部分はあるんだろう。

 また弱気が顔をのぞかせたせいか、そう思ったが……。

「でも勘違いしないで。単に弱気になってるわけじゃない。兄さんの3年間を……どんな3年間だったのかを見てみようと思ったから、私はここに来たの」

「なるほどな」

 話しかけることが全てじゃないと。

 それも悪い話じゃない。

 堀北兄の下には、更に何人かの2年生が駆け寄った。

「おまえの兄貴、結構人気あるんだな」

 生徒会長として、そしてAクラスとしてあり続けた男。当然人望もあるんだろう。1年生とは接点がないとばかり思っていたが、意外にも多くの1年生が駆け寄っている。

 やがて小さな輪は大きくなりはじめ、卒業生を交えていく。

 兄貴は時折小さな笑みを見せながらも柔らかい態度で後輩たちと接していた。

 最後の最後でちょっとした、違う顔を見たというか。

 重圧のようなものから解放された雰囲気を見ることが出来た。

 そんな兄の様子を、堀北は目に焼き付けるように、まばたきを惜しむように見ている。

 そして───そんな兄の下に1人の男子生徒が姿を見せた。

 現生徒会長、2年Aクラスのぐもみやびだ。

 それに続くようにして、副会長のきりやま、秘書のみぞわき殿とのかわあさの姿もある。

 場が重くなったというわけではなく、独特の空気のようなものに変わっていく。

「卒業おめでとうございます、堀北先輩」

 素直にしようさんする言葉を投げかけながら、南雲が笑みと共に堀北兄に近づく。

 そんな南雲を堀北兄は嫌がることもなく迎え入れた。

「全く、流石さすがですね堀北先輩。結局、俺はあなたをおびやかすことは出来なかったッスよ」

「そうでもない。正直、最後の最後まで俺がどう転ぶかは分からなかった。もしおまえに敗因があるとすれば、それは俺と同じ学年でなかったことだ。どれだけ深く干渉しようとしても、結局は外野に過ぎない」

 どれだけ戦おうと願っても、学年という違いだけは飛び越えることが出来ない。

 直接試験に参加できない以上、やれることも極めて限られてくるからだ。

 もし本気で落とすことだけを考えるなら、りゆうえんのように場外乱闘をする方法もある。

 だが、ぐもはそういった手立てを講じることはなかったと思われる。

「そうッスね。あーなんで1つ年下に生まれたんだか」

 そこには不満はなく、むしろ同学年でなかったことをやむ姿だけが見て取れた。

「こんな俺でしたが、最後に握手してもらえませんか」

「もちろん、断る理由はどこにもない」

 ほりきた兄も快くかいだくし、2人の間に握手が生まれる。

 しばらくの間心地よい沈黙が流れた。

 生徒会長同士、言葉を交わさずとも分かり合える要素は多いのかも知れない。

「おまえにはこの後も、長い1年間が待っている。満足のいく学校生活を送れ」

 先輩からのアドバイス。南雲の暴走を危ぶむような発言は含まれていない。

 むしろ、好きなことをやれとはつをかけた。

「ええ。先輩がいなくなった後の少ない期間、精いっぱいやらせていただきます。本当の実力主義の学校に変えていきますよ。その準備は整いましたからね」

 その発言を、堀北兄は正面から受け止め一度うなずく。

「年下であることを悔やんでいたが、似たような気持ちかも知れない。おまえの作っていく学校を見られないのは少し残念だ。間近で見れば、もっと理解できたこともあるだろう」

「どうッスかねえ。こればかりは先輩とあいれないと思いますよ」

 学校の伝統とルールを守ろうとする者と、それを壊そうとする者。

 それぞれの考え方が真逆である以上、対立は避けられない。

「それに、大丈夫ッスよ。ほりきた先輩が残した後輩もいるじゃないですか」

 そう言うと、ぐもの視線は少し離れた所で見守っているオレを捉えた───わけではなく堀北妹をえる。

 隣に立つ堀北が、わずかにだが身体からだを緊張させたのが分かった。

「あなたの妹がいれば、十分に後で語り継いでもらうことが出来ます」

 卒業後、兄妹きようだいであれば遅かれ早かれ再会する。

 その時にでも自分の話を聞いてくれ、ということのようだ。

「そうかも知れんな」

 こうていし、堀北兄と南雲の力強くつながれた手と手が離れていく。

「ありがとうございました」

「こちらこそだ」

 元生徒会長堀北まなぶ、そして現生徒会長の南雲みやび

 最後の最後は、意外にもおだやかなムードで幕を閉じた。

 南雲は他の生徒の邪魔をするつもりはないのか、すぐに堀北兄から距離を取る。生徒会長同士の組み合わせは華があるが、逆に他人を寄せ付けにくいモノもあるからだろう。

 そんな南雲は距離を置いて見守り続ける堀北の方へと近づいてきた。

 同じく2年Aクラスの生徒、あさなずなも一緒に。その他生徒会のメンバーと思われる生徒は、別の卒業生に会いに行くのか姿を消していた。

「話は聞こえてたよな? 来年、じっくりとたんのうしていってくれ。確か名前は───」

「堀北……いえ、すずです」

 緊張を含んだ堀北の声。

 普段の堀北であれば動じることはないのかも知れないが、兄との会話を聞いた直後の影響だろうか。

 その様子をどこか楽しむように南雲は一度振り返る。

 視線の先が捉えたものは言うまでもない、生徒会長の堀北学。

 リスクを顧みず、どこまでも戦いを挑み続けた相手。

 今は後輩たちに囲まれ、卒業の花束などを渡されているところだった。

「鈴音、おまえの兄貴はとんでもない人だった。兄妹であることを純粋に誇っていい」

 そう言って褒め、再び堀北鈴音へと視線を戻す。

「はい。誇りにしています」

 返ってきた視線に対して、堀北は力強く答えた。

「何か俺に聞きたいことがあるなら答えてやってもいい。今日は気分がいいからな」

「……それなら遠慮なく聞かせてください」

 そんなほりきたは、ぐもに対して1つの疑問をぶつける。

いはないんですか」

「悔い?」

「南雲生徒会長の目には、くもりなど何一つなさそうに見えたので」

 先ほどの2人の握手、そして会話のことを言っているのだろう。

 南雲は堀北まなぶがAクラスで卒業したことを、心からしようさんしているようだった。

 だが、外部から見た生徒会長同士の関係は違う。

 南雲がしつように堀北学に戦いを仕掛け、Aクラスからの降格を狙っていた。

 そんな南雲を、当然堀北妹は快く思っていなかっただろう。

 だからこそ、素直に堀北学のAクラス卒業を褒めたたえる南雲。

 自らの仕掛けた戦いが、防がれたにもかかわらず。

「堀北先輩に簡単に勝てるとは思ってない。勝てる相手なわけがない、そうだろ?」

「それは……そうですが」

みやびも、堀北先輩には完敗って認めてるんだ」

 口を挟んできたあさに、南雲は軽く視線だけを向ける。

「負け? 何を以て負けなんだ? なずな」

「え? だって堀北先輩はAクラスで卒業したわけでしょ? 負けじゃない」

 わざわざ聞き返されることじゃないと、朝比奈は答える。

 そんなことを言う彼女に対し、南雲は即座に間違っていると指摘した。

「確かに結果だけを見れば先輩のAクラス卒業を許した。だが、それが負けにつながると?」

「負け……だと思うけど? ねえ?」

 朝比奈はそばに立つ堀北に同意を求める。

 堀北は答えず、南雲の言い分に耳を傾けた。

「俺は確かに勝負を挑んだ。だが、勝ち負けを求めたわけじゃない。仮に、もし堀北先輩がBクラスに落ちてたとしても、根底にある評価は何ら変わってなかっただろうな。あの人の強さやすごさはクラスがどうとかで測れるものじゃないからな」

 南雲の言い分に朝比奈はどこか納得がいっていないようだった。

「分からないか? なら、俺が今回のことで何か評価を落としたか? この学校で生徒会長をしていて、Aクラスの座にとどまり続けてる。そのどこに負けの要素がある?」

「いやー、でもさ」

「そもそも、2年と3年じゃまともな勝負が成立するはずもない」

 言いたいことは分からないでもない。

 しかし、まともな勝負が成立しないと分かっていても南雲は堀北兄に挑み続けた。

「ただ俺は認めてもらうために……いや、認めさせるために今日まで先輩にアタックしてたようなものなんだよ」

 そういう意味では、今日の堀北兄を見る限り南雲を認めている節はあった。

 いや、元々実力そのものは評価していたと考えられる。

 ただやり方を受け入れることが出来なかっただけだ。

 恐らくぐもは、そのやり方を含めて認めさせたかったんだろうが。

「なんか、それって恋する乙女みたいな発言」

「そうかもな。卒業後、先輩がどうするのか大体話は聞いてる、俺もそれを追うだけさ」

 南雲の顔には本当に悔しさや負け惜しみのようなものは見られなかった。

 純粋にほりきた兄とのやり取りを、最後の最後まで楽しんだってところだろうか。

「卒業後も、って。本気ぃ? 進路まで堀北先輩に合わせるわけ?」

「少なくとも今の俺はそのつもりだ」

「あーあ。ホント好きよね堀北先輩のこと」

「2年の中に俺の敵はもういない。当然1年の中にもな。つまり、この学校でやるべきことはあと1つだけだ。学校の仕組みそのものに手を突っ込んで退屈を面白くする」

 南雲みやびが生徒会長になって任期の半分が過ぎようとしている。

 しかし、今日まで何か目新しく動いたことはない。

 堀北まなぶが卒業し自らが3年生になることで、いよいよ始動するのだろう。

 それがどんなものになるのか、今はまだ想像がつかないが。

「それにしても、この1年おまえの評価はよく分からないままだったな、あやの小路こうじ

 南雲の視線がここで初めてオレに向けられる。

 その目は堀北兄妹きようだいに向けられるものとは違い、まさに『退屈』の目だった。

ていするまでもないってことですよ」

 オレが注目されていることに、何か引っかかりを南雲も感じているだろう。

 だが、その違和感だけでは興味を持つには至らない。

 それでいてくれるのなら、今こっちが刺激を与える必要性は皆無だ。

「ま、4月になれば嫌でも分かる。本当の実力主義になれば嫌でも戦うしかなくなる」

 堀北兄たち3年生が卒業したことで、南雲の完全な支配下となった学校。

 生徒会とはいえ、どこまで学校に対し影響力を及ぼせるかはかいてきなところだが、南雲の自信を見るに1年度の時とは違ったものになることは間違いなさそうだ。

「クラス戦ではなくする、ということでしょうか」

 そんな南雲の発言が気になったのか、堀北は質問をぶつけた。

「それが出来るなら理想なんだが、それはどうにも不可能だ。学校側が認めない」

 肩をすくめながら、南雲はあきれたような息を吐く。

「だが、これまで以上に個人の実力が左右する仕組みには変える。優秀な生徒が上位のクラスにいるのは当たり前のことだ、そうだろ?」

 その点を、堀北は同意も否定もせず、黙って聞いていた。

「それから、1年から3年までが今まで以上に一緒くたになるような面白いモノをいくつか提案中だ。学校側が認めれば───おまえと戦うこともあるかもな」

 もちろんぐもにしてみれば、今のオレなど眼中にないだろう。

 だがそれでも、本能のどこかではこちらを値踏みし、はかろうとしている気がする。

みやび、そろそろ行かない? 挨拶したい先輩いるでしょ、帰っちゃうよ」

「そうだな。1年とはいつでも話が出来るか」

 南雲とあさは、2人でほりきたまなぶ以外の3年生のところへと足を運ぶようだった。

「ふう……あの手の人と話すのは色々と気を遣うわね」

「生徒会長だしな」

 学年は1つしか違わないが、オレたちからすれば雲の上の存在だ。

「私は帰るわ。もう、やるべきことは済んだもの」

 結局、この場で兄貴と話すことは諦めたらしい。

「いいのか? 明日には学校を去る可能性だってあるんだぞ」

「そんなこと……あなたに言われるまでもなく分かってるけれど……」

 どうにもならないジレンマをみしめながら、堀北は一足先にに就くようだ。

 それを強制的に止めるわけにもいかず、見送ることに。

「あなたは帰らないの?」

「ああ。オレはもう少しここに残る」

「そう……それじゃ」

 何となくオレの動向が気になるようだったが、堀北は背を向け寮へと戻って行った。

 オレは何となく、堀北学を始め3年生たちの様子を見つめることにした。

 特に興味があったわけじゃない。

 どうせなら、この光景を目に焼き付けておこうと思ったからだ。

 まだ見ることの出来ない、2年後の自分を、何となく想像しながら。

 それからしばらくの間盛り上がりを見せていたが、1人、また1人と帰路に就く。

 やがて全体が解散の流れとなった頃。

 別れの挨拶を済ませたであろう堀北兄が、オレを見つけ近づいてきた。

「まだ残っていたのか」

 この場に似つかわしくないことを、堀北兄もよく分かっているんだろう。

「俺を待っていたのか?」

「そんなところだ」

 オレが他の3年生に話しかけていないことは、遠目にも分かってただろうしな。

「あんたと話す機会もこれで最後になるかもしれないと思ってな。いつ学校を出るんだ?」

 早速だが、かんじんなことを聞いておくことにした。

 もしこの後すぐにでも旅立つようなら、堀北に声をかけなければと思ったからだ。

「31日の昼。12時半のバスに乗る予定だ」

 つまり一週間後か。即日ってことではないらしいが、すぐだな。

すずは帰ったようだな」

「ひとまず、あんたの3年間を目に焼き付けて帰っていった」

 2人で寮の方角へと一度視線を向ける。

 当然、もうそこにほりきたの姿はない。

「そうか」

 その表情からは、喜怒哀楽を読み取ることは出来ない。

 しかしこのままセッティングをしなければ、2人は会えないまま終わる可能性もある。

 そんなことを勝手にしていると……。

「もし良ければ、すずことづてを頼みたい。31日の正午に正門近くで待つと」

「自分で伝えた方がいいんじゃないか? 今からだって時間はあるだろ」

 むしろ会う意思があるなら話は早い。

 堀北はすぐにでも飛んでくるかも知れない。

「あいつは素直になれない可能性があるからな。おまえからく伝えて欲しい」

「逆効果かもな。オレが伝えたら来ない可能性はあるぞ」

 ひねくれてる部分があるからな。

「その時は、鈴音がその選択をしたというだけだ」

「本当にいいんだな?」

 念を押して確認すると、迷わず返事が返ってくる。

「いい。おまえにゆだねる」

 まあ、責任を取らなくていいのなら伝えておくだけなので断る理由もない。

 それにこの話を聞けば、堀北は十中八九見送りに来るだろう。

 既に雪解けは始まっている。

「おまえとはもう少し話がしたかったが、この後は俺に予定が入っている」

 後輩たちからは色々と誘われていたみたいだしな。

 今日くらいは兄妹きようだいだのなんだのを忘れて、1人の学生として過ごしたいか。

「それにおまえも、無意味な長話は求めないだろう?」

「まぁそうだな」

 いくらひとがなくなってきたといっても、やはり元生徒会長といるのは目立つ。

「もし良ければ31日、おまえにも見送りに来てもらいたい」

「大勢の前で別れの挨拶を述べるのは苦手だ」

「心配ない。当日はおまえと鈴音以外に呼ぶつもりはない」

 それならばと、オレは小さくうなずいてそれをかいだくする。

「すまないな」

 そう残し堀北兄はオレから離れた。

 3年で唯一話す相手だけに、堀北兄がいなくなれば用事はなくなる。

 オレも帰るとするか。

あやの小路こうじくん。良かったら一緒に帰らない?」

 そんなところで、そう声をかけてきたのはひらだった。

 先ほども、大勢の3年生のところに挨拶していたのは遠目にも確認できていた。

「もういいのか?」

「うん。今日が卒業式と言っても、ほとんどの先輩たちはあと数日学校にとどまるからね。親しかった人たちは個別でお別れ会を開くみたいだから」

 ひらのことだ、そういった場への招待もいくつか受けていることだろう。

 3年生は最大4月5日までの滞在が認められている。

 もちろん、それまでの間に準備を済ませた生徒から学校を後にするんだろうが。

 残された期間はわずか。ほとんど身支度は済ませていると見てもいいはずだ。

 断る理由もないので、そのままオレは平田と寮へと戻ることに。


    7


 平田と帰ることになったが、コンビニを過ぎた辺りで平田がこちらを向いた。

 そして、また何事もなかったかのように正面を向く。

 そんな感じのことを、この数分間で平田は何度か繰り返していた。

 先ほどから会話のタイミングをうかがってるようだが……。

 やがて意を決したように平田が口を開いた。

「実は───ちょっとあやの小路こうじくんの耳に入れておきたいことがあって、ね」

 少し歯切れ悪そうに、平田がそんな風に切り出した。

 学年末試験のことに触れるのかとも一瞬思ったが、そんな感じでもない。

「何か相談事、か?」

「そうだね……うん。相談になると思う」

 少しだけ考えた後、それを認める。

「解決してやれるかは分からないが、何でも言ってくれ」

 平田に頼られるのは悪い気がしない。

 だが相談の内容を予測することは出来なかった。

 やまうち退学の件で沈んでいた時はそれ一辺倒だったが、その件は既に解決した。

 心の中にくすぶっているものはぜんあるだろうが、相談事にするほどのものじゃない。

 既にある程度の消化を終え、自己解決出来るほどにはなったはずだ。

「意外だって思うかも知れないけど……」

 そんな風に前置きして、平田が話し出す。

「僕は、その、今は恋愛に対して積極的になれないというか……よく分からないんだ」

 本当に意外な切り出しだった。

 まさか平田から恋愛に関する相談をされる日が来るとは。

「よく分からない?」

 とりあえず話のぜんぼうを聞くことにしよう。

 話を続けるように促す。

「僕が、多分女の子を好きになったことがないせいだとは思うんだけど……」

 どこか恥ずかしそうに、そう告白するひら

「つまり、女の子と付き合ったことはないと?」

かるざわさんとの契約を除けば、そうなるね」

 意外ではないのかも知れないが、やっぱり少し意外だ。

 男女どちらに対しても平等に接する平田だが、恋愛経験の1つや2つはあると思っていた。

 けいとの恋人関係は流石さすがにノーカウントだろう。

 互いに恋人のフリをすることで、恵がいじめにうのをするためだけにあったもの。

 しかし女の子を好きになったことがないとなると……。

「今も、気になる女の子もいないってことか」

「そうなるね……」

 女の子を全員等しい目で見られるってことは利点でもあるが、なんとも不思議なものだ。

「じゃあみーちゃんのことは?」

 みーちゃんは、平田との関係が進展することを強く望んでいる。

 そして平田に対して明確な恋愛感情を見せている。

「僕には言えなかったよ。それ以上の関係にはなれないって」

 友達から始めて欲しいと言ったみーちゃん。

 その先には、当然発展があって、恋人になっていくことを望んでいる。

 しかしひらにその気がない以上それは望めない。

 そして無意味に明言を避けて引っ張ることも、みーちゃんのためにはならない。

 そういうことなんだろう。

 これが相談内容か。平田は迷っている。

「改めてハッキリ言うべきだって分かってる。だけど、難しいね」

 彼女を傷つけずに、されど悟らせることの難しさ。

「矛盾───してるんだろうな。きっと」

「そうだね」

 心優しい平田だからこそ、常にこうして苦難に巻き込まれる。

「けどそれは、今現在の話だろ? この先はどうなるか分からないんじゃないか?」

 恋愛感情なんてものは、自分でコントロールできるものじゃないだろう。

 ふとした瞬間、スイッチが入るものだ。

 ……恐らく。

「確かにそれは、可能性としての話なら分からない。でも……」

 平田なりに、みーちゃんとの関係性が発展することは見えないということだろうか。

 外見や性格など、特に不満に挙げるような部分はなさそうだが。

 もちろん恋愛はそんな部分だけじゃ計れないことも沢山ある。

「多分、断言に近い形で───無いと思うんだ」

 分からないとしつつも、平田なりに答えを強く持っているようだ。

 それなら、オレから言ってやれることは1つだろう。

「ハッキリ言うべきだ。みーちゃんが前に進むことを望んできたんだからな」

 オレは平田の目を見てそう言った。

 答えを保留にするということは、みーちゃんにも待ちを強いることになる。

 それなら、早いうちにハッキリさせてやった方がいい。

 その上でみーちゃんが平田をおもい続けるのなら、それは自由だ。

 しかし平田の目が一度逃げる。

「……彼女が、傷つくとしても?」

「答えが分かっているのに先延ばしにする方が相手を傷つける。そうだろ?」

 もう一度、オレは平田の目を見て言った。

 平田は目を合わせたものの、またすぐにどこか違う方向へと視線をらす。

「う、うん。そうだね。その通りだ……」

 自分に言い聞かせるように、平田は二度三度とうなずきを繰り返す。

 そして改めて結論に辿たどく。

あやの小路こうじくんに相談して良かったよ。これで僕も勇気を持てた。相手が傷つくことを覚悟しないことは、ただ逃げてることになるよね」

 また、1つの答えを得ることに成功したようだ。

「ちゃんと言えるか?」

「正しい考え方かどうかは分からないけれど、どちらの方が傷つく行為なのかが分かったからね」

 ひらてんびんにかけた。

 黙っていることと、素直に伝えること。

 そして後者がみーちゃんのためになると理解して迷いが消えた。

 以前なら悩み続けて答えを出すのに時間がかかっただろう。

『相手を傷つけずに済む』という選択肢をさくし続け、思考と感情は迷宮入りしていたはずだ。

 悩みの解決から少しして、平田はまだ何かを言いたそうな雰囲気を残していた。

「どうした?」

 こちらから聞いてみる。

「あの。その……今度から……きよたかくん、ってこれから呼んでもいいかな」

「え?」

 何を言うかと思えば、まさに斜め上の言葉だった。

「僕のことも、その、良かったら下の名前で呼んでくれたら……なって」

 それは、友情が一歩先に進んだということでいいのだろうか。

 かつてけいせいあきあいとの関係が一歩進んだように。

「もちろん平田がいいなら」

 そうかいだくすると、平田は心底うれしそうにあふれんばかりの笑みを見せた。

「本当に? いいの?」

「下の名前で呼ぶだけの話だろ? 平田にしたら、いやようすけにしたら珍しいことでもないんじゃないか?」

 普段男女問わずみようで呼んでいる印象だが、けして珍しいことじゃないはず。

「確かに、あの事件までは僕にとっては珍しいことじゃなかったかな」

 あの事件とは、平田の中学時代に起こった親友のいじめ、そしてその自殺未遂のことだ。

「どうしてもアレ以来……人と距離を詰めていくのが怖くて。僕は誰とでも平等に接する代わりに、大切な人を作らないようにしてきたんだ」

 あれから2年ほどっているが、その間は苗字だけで呼んでいたらしい。

 言われてみれば、平田はどんな生徒に対しても等しい扱いをしていた。

 それこそクラスから満場一致で追い出されることになったやまうちに対しても。

 どうやらまた1つ、そして今度は自分からその殻を破ったらしい。

 多くの生徒がこの1年間で成長を見せる中、平田の飛躍はかなり大きなものだ。

「だから本当に感謝してるんだ。……きよたかくん」

 らされていた視線が戻ってきた。何かを伝えようとしている、そんな目だった。

「何となくテレるな。そこまで感謝されると」

 むずがゆい感覚に襲われながらも、素直に思ったことだ。

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