〇少女は鏡の中の自分を覗き込む
今日は3月31日。
あの人が───私の兄さんが、この学校にいる最後の日だ。
「
覗き込んだ鏡に映っていた私の顔は、どこか沈んでいて暗い表情をしている。
その理由は、昨日ほとんど眠れなかったことに起因するだろう。
この学校で私が兄さんと話した時間は、一体どれだけあっただろうか。
1年間もありながら、きっと数時間にも満たない。
あまりにも
兄と妹。血縁関係者とは思えないほどに、近くて遠い距離にいる存在。
「このまま、兄さんと別れてしまっていいの?」
鏡の自分に問いかける。
当然言葉は返ってこない。
ただ暗い表情の私が、私を見つめ返しているだけ。
何を
兄さんに話したいことは山ほどある。
このまま別れていいはずがない。
そう思って1年が過ぎた。
結局、語り合う時間を作ることは出来なかった。
でも……今は違う。向き合えるようになったのだから堂々と会えばいい。
堂々と会って、最後のお別れを言えばいい。
「……いいえ、ダメよ」
今の私には、お別れの挨拶をする資格すらない。
確かに、私と兄さんの関係に変化は生まれた。
兄さんに私を見てもらうことは出来るようになった。
だけど……。
この1年間で、私は自分の成長を兄さんに見せることが
このままお別れをしても、きっと兄さんは喜ばない。
むしろ、無能な妹の心配をさせてしまうだけになるだろう。
そんな気持ちで、兄さんの輝かしい3年間を無駄にして良いはずがない。
いっそ会わない方がいいんじゃないだろうか。
そんな風にも考えてしまう。
私の
「違う。そうじゃない、そんなことで良いはずがないでしょう?」
再び鏡に映る自分に問いかける。
私は何も見せることが出来ていない。
だからって、逃げることが正解じゃない。
私は大丈夫ですと、自信をもって兄さんに伝えられれば問題は解決する。
ならどうする?
どうすればいいの?
もう、時間は残されてないのに。
自分の
入学直後に気がついていたなら。
「そんな過ぎたことを
時刻は朝の8時を回った。
今日の正午には、兄さんは旅立ってしまう。
「どうしたら───どうしたらいいの」
ありのままの自分を見せればそれでいい、そう思っていた。
だけど、今の私は、私であって私じゃない。
兄さんだけを追いかけ続けていた、とても愚かな妹。
鏡に映り込んだ私の姿は、過去の自分と重なっていた。
「私は……一体……何者なの?」
そう。
鏡に映っている自分は、自分であって自分じゃない。
「……偽者」
今の私は偽者だ。
思い返せば人生の半分以上を、私は
本当の自分を隠して偽り続けてきた。
『兄さんの求める妹』であろうとしてきた偽者だ。
外見も人格も成績も、全ては兄さんのため。
兄さんに認められるために作られた偽者。
そんな偽者じゃ、認めてもらえるはずなんてないじゃない。
違う、そうじゃない。この数年間の私は
偽りなんて呼ぶことは出来ない。
短い人生とはいえ、半生を共にしてきた本当の自分自身だったと言える。
そうしてきた自分に後悔だってない。
でも……。
「私が見てもらいたいのは……。本当に、兄さんに見てもらいたかったものは……」
私があの人に示せる、たった一つのこと。
それが、今見えた気がした。
「……ありがとう。偽者、そして紛れもない本当の私」
鏡に向かって、自分自身に向かって、私は一度頭を下げた。
長い髪が揺れる。
そして顔を上げて、鏡から視線を外す。
過去の自分と向き合うのはお
時間がない。
私が私として、やらなければならないこと。
最後の最後で気がついたこと。
安心して兄さんが旅立つための、最後の贈り物。