ようこそ実力至上主義の教室へ 11

〇男の涙



 葛城のかいじゆうで情報を得たが、それでCクラスが優位に立ったわけじゃない。

 それをよく分かっている堀北は、1つずつ不安材料の解消を試みる。

「ちょっと待ってひらくん」

 放課後、席を立って一番に帰ろうとする平田に、堀北が声をかけた。

 クラス内投票が終わってから、初めての出来事だ。

 平田は振り返ることなく足だけを止める。

「私とは口も聞きたくないでしょうけれど、ひとつだけ確認させて。Cクラスの選択する種目であなたの出番がやって来ることはないし、当日もあなたを起用する予定はない。でも、それは状況次第で変わってしまう。あなたの状態を理解している坂柳さんが、他人数を必要とする種目を複数放り込んでくることだって考えられるからよ」

 いくらCクラスが平田に気を遣っても、38人全員の出番が訪れる可能性はある。

「そうなった時、あなたはどうするのかしら。無気力に足を引っ張る? それとも、最低限やることはやってくれるの? それだけ答えてもらえないかしら」

 だが、平田は何も答えない。重たい沈黙だけが教室の中で流れる。

 そして時が進みだしたのは、平田が歩き出したのと同時。

「答えてももらえないわけ、ね」

 単純にひらあきれ、ほりきたあきらめたように視線を外した。

「……ねえ、私たち……やっぱり勝てないんじゃないかな……平田くん、あんなだし」

 女子たちかられる不安の声。

 それは、男子も同様だろう。クラスをけんいんしてきた男の不在。

 それが改めて、Cクラスに重圧となって襲い掛かって来る。

「あなたは周りの努力次第と言った。でも結局、彼が何も変わることはなかったわね」

「そうかな」

「え……?」

 不思議そうに顔をあげる堀北だが、オレの視線の先は別にある。

「平田くん! 待って!」

 これで何度目かはわからないみーちゃんの叫び。慌ててかばんつかみ後を追う。

「まだみーちゃんは諦めてない」

「私には、到底理解できないわ」

「堀北にはやるべきことがあるだろ。Cクラスをまとめ上げて、精度を高めることだ」

 今それが出来るのは、このクラスで堀北をおいて他にいない。

 オレは、みーちゃんの後を追う。

 寮へと続く道の途中で向き合っている2人を目撃する。甘酸っぱい告白とは違う。

 平田を立ち直らせるためのクラスメイトとしてのアタックだ。

「お願い平田くん。私たちには平田くんの力が必要なの……だから───」

「みーちゃん、いい加減にして欲しい。もう僕のことは放っておいてくれないかな……」

 何度言えば分かるんだろう、と平田は重くをこぼす。

 その鋭い言葉のやいばは、間違いなく彼女の心に深く突き刺さっただろう。

 しかし、彼女の瞳の力が弱まることはない。

 突き放しても突き放しても食らいついてくるみーちゃん。

「ほ、放っておけないよ……そんな状態の平田くん、放っておけないよっ」

「なら、どうしたら放っておいてくれるのかな。教えてよ」

「それは、その、平田くんが元に戻ってくれたら……」

「元に戻る? 無理だよそれは」

 冷たい言葉は、何度でもようしやなくみーちゃんに降りかかる。

「そんなことないっ、私は、私はまた平田くんが元に戻ってくれるって信じてる」

「無理だって言ってるだろ。勝手に信じてもらっても困るんだよ」

「それでも私は信じます!」

 こぶしを握りしめる平田。場合によっては、手を出しかねないような空気だった。

「ならやまうちくんを戻してくれるのかな」

「え……?」

「元に戻るっていうのは、そういうことなんだよ」

 一度退学したやまうちが、Cクラスに戻ることは二度とない。

 それと同じで、ひらも元には戻らない。

 その事実をみーちゃんに伝える。

「それは……」

「言葉にする前に分かってもらいたかったよ」

 背中を向け、歩き出そうとする平田。みーちゃんは思わず右手を伸ばしていた。

 平田の右腕をつかみ、引き留めようとする。

 寮の中に入られたら、また今日も1日何もできなくなるからだ。

「放してくれる?」

「は、放しません!」

 拒絶されても、みーちゃんは踏みとどまった。

 そうすればきっと、平田にも思いが伝わると信じて。

 オレは2人からは少しだけ距離を取ったまま、その場で光景を見つめる。

 下手に近づきすぎてみーちゃんの邪魔をしてはならないと判断した。

 だが、平田は露骨にため息をつく。

 そして思い切り右腕を上げ、みーちゃんの手を振りほどくように振り下ろす。

「きゃっ!」

 平田らしからぬ、強引な方法。

 みーちゃんは思わず勢いで、その場に倒れこんでしまう。

「……もう僕のことは放っておいて。そうじゃないと……僕は……僕はっ」

 転んだみーちゃんが見上げた先。

 怒りを含んだ平田の視線が、みーちゃんをまた傷つける。

「僕はもう、失うことを恐れていないんだ。これ以上つきまとうようなら……」

 最後の最後。

 今までの言葉とは比べ物にならないてつついを、平田はみーちゃんに下そうとした。

 そんな時に、オレの横を1人の男が通り過ぎていく。

 金髪の髪を風になびかせ、オーデコロンの香りを振りまく男。

「おやおや、今日もウジウジとしているようだねぇ君は。みにくい一面を見させてもらったよ」

 軽い言葉で平田をあおる。こうえんも基本的には帰宅組だったな。

「おっと、私のことは気にせず先ほどの続きをやってくれたまえよ。見ていてあげよう」

 そんなことを言われ、続けるほど平田も間抜けではない。

 むしろ乱入してきた男に対して敵意を向け始める。

「君も……僕に何か望むのかな……」

「望む? 望むものなんて何もないさ。私は全てを持っているからねぇ」

 そう答え、平田たちの脇を通り過ぎようとする高円寺だったが……。

「ただそうだねえ、強いて君に望むものがあるとするなら……」

 こうえんにとってみればただの通り道。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 ひらの心情など、どうでもいい。

「目障りだから私の視界に映らないでもらえるかな? ココが君にとって理想のスクールでなくなったのなら、さっさとリタイアすればいいだけじゃないか」

 高円寺らしい話だ。ウジウジし続けるくらいなら、さっさと退学しろという勧告。

「……うるさいんだよ……。僕の事情も知らないで……」

「知らないし興味もないさ。しかし推察することは出来る。クラスメイトに迷惑をかけるから簡単には退学できないとでも言うんだろう? ナンセンスなことだねえ」

「や、やめてください高円寺くん! 平田くんは何も悪くありません!」

 高円寺の平田へのしつような口撃を止めるべく、みーちゃんが立ち上がった。

「おっと。私の言葉が気に入らなかったようだね。それは失礼」

 笑いながらも、高円寺はみーちゃんに対して一定の敬意を払う。

「しかし早く平田ボーイのことは忘れた方がいい。これはもうダメさ」

 限界ギリギリを踏みとどまっていた平田が、目を見開き高円寺に詰める。

「だ、ダメ、平田くん!」

 明らかな異常を察知したみーちゃんが、平田を止めようと2人の間に入るが、平田は先ほどよりも強くみーちゃんを突き飛ばした。そして、見向きもせず高円寺に腕を伸ばす。

 胸倉をつかもうとした右手だが、逆に素早く高円寺の左手に、手首を握られ抑え込まれる。

「く!」

「私は向かってくる相手にはようしやしないよ? れいな顔に傷をつけられたくないのでねぇ」

 握力で手首をめあげているのか、平田に苦痛と怒りの表情が浮かぶ。

「いい加減、うつとうしいんだよ、高円寺……!」

「何をするのも自由だが、ガールを泣かせる君にとやかく言われる筋合いはないねえ」

 高円寺は座り込んだままのみーちゃんに一度視線を送る。

 そして、平田の手首を解放してこう言う。

「君が倒したんだ、彼女に手を差し伸べないのかい?」

「……もう僕には関係ない」

「関係ない、とは。中々手厳しいことを言われてしまったようだねぇ」

 平田を真正面から見つめることができなくなったみーちゃんが視線をらす。

「まぁいいさ。それも平田ボーイの自由さ」

「え、え、えっ!?」

 転んだみーちゃんを、高円寺はさつそうと抱き上げる。

「しかし君がいらないというなら、私がいただくことにしようか」

 何をするか分からない男の、突然のこうにみーちゃんも平田もぜんとする。

「傷心し、あまつさえまでしてしまったんだ。私がいやしてあげようじゃないか」

「あああああ、あの、あのっ!? 私どこも怪我していませんっ!」

「なぁに心配はいらないさ。私はこう見えても、とてもジェントルなのさ」

 おそらくだが、こうえんの言う傷とは肉体的な部分ではなく精神面。

 傷心を指している。と思う、多分な。

 ひらとの距離を離すように、高円寺は平田から離れ始める。

「あのあの、降ろしてくださいっ!」

「はっはっは! そうはいかないねえ。君は既に私がもらい受けたからねえ」

「ええええ!?」

 そんな高円寺の背中に、にらみを効かせる平田。

 それが届いたのか、高円寺は足を止めた。

「まだ私に不満があるのかな?」

 この場では無視して欲しかったのが正直なところだ。

「君はいつまでも僕を傷つけるんだね。どこまでも、どこまでも」

「そうじゃない。君が周囲を傷つけているのさ。少なくとも私は、好意を向けてくれるガールをないがしろにしたりはしないよ?」

 歩き出す高円寺は、騒ぐみーちゃんに耳を傾けようとはしなかった。

 寮に向かう足取りが同じだと気付いた平田は、これ以上同じ時間を過ごしたくないとどこか違う方角へと歩き出す。

 オレはどちらについて行くか一瞬迷ったが、この場はこうえんを追うことにした。

 みーちゃんが落としたかばんもそのままだしな。それを拾い上げ追いかける。

 寮の入り口に差しかかったところで、高円寺が優しくみーちゃんを下ろす。

「こ、高円寺くん、どうして……」

「フッフッフ。さてどうしてだろうねぇ」

 みーちゃんからの質問に答えず、高円寺は笑う。

「どの道今日は、ひらボーイを追うのはあきらめたまえ」

 オレはみーちゃんに、拾ってきた鞄を手渡す。

「ありがとう、あやの小路こうじくん……というか、いたんですね」

 気配を殺すのは得意だからな。とは口にはしなかった。

「君がエレベーターに乗り込むまで、私はここで見張っているよ?」

「……わ、分かりました」

 今から平田を探しても、どこにいるかは分からない。

 みーちゃんはいったん諦め、高円寺から解放されるためにエレベーターに乗り込んだ。

 オレもその様子を見守り、ロビーのソファーに座る高円寺を見る。

「さて……私に何か用かな? 綾小路ボーイ」

「どうして平田に声をかけたんだ、高円寺。火に油をそそこうだっただろ。それともクラスの為になると思って行動したのか?」

「君はまだ、私のことを理解していないようだねぇ」

 ちっちっち、と人差し指を軽く立てて振る。

「私がクラスのために行動することはないさ、私は私のしたいことをするだけなのでね。それが結果的にクラスにとってプラスだったとしてもマイナスだったとしても、それは単なるバイプロダクトに過ぎないのさ」

 あくまでも副産物ってことか。高円寺は自分のやりたいことだけをする。唯一例外があるとすれば、自らが退学になるリスクを負った時だけ行動を見せる、ということだろう。

みにくい彼の存在が、ハエのようにうつとうしく感じてしまってね」

 それで思わず声をかけてしまったということか。

「好き放題やるのは勝手だが、もし次にクラス内投票のような試験が行われたらどうする。正直今の高円寺以上に窮地に立たされている生徒はいないぞ」

「フッフッフ。どうとでもなるさ、私の実力ならばね」

 エレベーターからみーちゃんの姿が完全に消えたことを確認し、高円寺は立ち上がる。

「そうだ。君は確か今回の試験で司令塔になるんだったね」

「ああ」

「私はモチベーションが上がらないので、起用するのは避けてくれたまえ」

「悪いが、それを判断するのはほりきただ。オレに決定権はない」

「それは違うだろう? 彼女ではなく君が決定権を持っているんだ。司令塔の君がね」

 確かにルール的にはそうだが……こうえんに、その辺は通じないようだな。

「ともかく、りんおうへんに対応を頼むよ」

 そう言い残し、エレベーターに乗り込み自身の部屋へと戻って行った。


    1


 オレは寮から出て、ひらを探すことにした。

 学校に戻ることはないだろうから、ケヤキモールか、あるいはその周辺になるだろう。

 人気を避けることを前提とするなら外の方が可能性は高いか。

 ともかく、あちこちを歩き回ってみる。

 1時間ほど探し回ったところで、ベンチに座り込んだその寂しげな背中を見つける。

「平田」

 至近距離、手の届きそうな範囲にまで詰めたところで名前を呼ぶ。

「……あやの小路こうじくん」

 反応はゆっくりと返ってきて、平田がうつむいた顔をあげる。

 こうして正面から顔を見るのはずいぶんと久しぶりだ。

 まるで眠れていないのか、目の下には見たこともないほどひどいクマが出来ていた。

「少し時間をもらえないか」

 そうお願いすると、少しだけ平田は目を開いた。

「もう、うんざりなんだけどね。次から次に、どうして僕に構うのかな。綾小路くんだけは僕のことをよく知ってるから、放っておいてくれると思ってたのに。失望したよ」

「悪いな。嫌ならオレをみーちゃんみたいに突き飛ばして逃げるか?」

 あえて挑発と取れる発言をするも、平田はベンチから立ち上がることはなかった。

「時間、だったね。構わないよ、どうせこの学校じゃ逃げ場なんてないし。今日はもう疲れたから逃げる気力も残ってないんだ。でも……きっと期待には沿えないと思う」

 この短期間で、平田は随分と多くの生徒に声をかけられていた。

 心配する声、はげます声。そのどれもが苦痛で仕方なかっただろう。

『誰が』の部分は全て分からなくても『何を』平田に語ったかは想像がつく。

 傷心がえるよう、優しく包み込もうとしたはずだ。

 人気のないベンチで、そこに2人で腰掛ける。

「それで……話ってなにかな」

 もう分かっている、平田の中での予定調和。

 軽く聞いておいて、右から左に流すだけの作業。

「平田の話を聞かせて欲しい」

「え?」

 オレからの同情が飛んでくると思っていたひらの、気の抜けたような声。

「どんな子供だったのか。どんな考えをしていたのか。教えてもらおうと思ってな」

「……どうして?」

「さあ。何となく知りたいと思ったんだろうな。理由を求められると困る」

 重い息を吐く平田は、ゆっくりと首を左右に振った。

「今、僕は昔を思い出すような余裕はないんだ。話すことなんて何もないよ」

「余裕がないって、どうして」

「どうして、って……それは……」

 分かってるよね?と視線を向けてくる。

「どうしてなんだ?」

 そんな視線を無視して、オレはもう一度聞き返した。

「……やまうちくんが退学したからだよ」

 言いたくないことを言わされている。

 そんな自覚を強く持ちながら、平田はムッとしたように言った。

ひどいことを言わせるんだね」

「単純に疑問に思ったからだ。気を悪くさせたのなら謝る」

「……いいよ」

 反論しあう気力もない、と平田はまたため息をついた。

 背中を丸め、意味もなく首を左右に振る。

 放っておいて欲しい、構わないで欲しい。そんなアピールをする。

「山内が退学したことと、昔のことを話せないことに関係があるのか?」

 懲りないオレの要求に対し、平田は再度あきれた顔をする。

「今、僕の過去なんて関係がないよね?」

「ないことはないだろ」

 切り伏せようとした平田に、オレはかぶせるように言う。

「確かにクラスメイトが退学するのは嫌だ。それは誰だってそう思ってる。でも、いつまでもそのことをいてる暇はない。選抜種目試験は、もう目前まで迫ってる。ほりきたくしだけじゃない。いけどうだって、頭を切り替えて戦おうとしてる。なのに平田は? いつまでも山内の退学を引きずって、協力しようとも───」

 オレは言葉をあえて一度止める。

 そして、そんな話をしたかったわけじゃないとアピールして切り替える。

「知りたいのは、平田のそんな価値観を形成した出来事の話だ」

「それを聞いて何になるのかな。僕が話すとでも?」

「話すさ。今の平田は自分を知ってほしくて仕方がないからな」

 本当は心の内をさらけ出したい。でもそれが出来ないから、今こうなっている。

 今度はオレが視線で語り掛ける。

 話せ、とおどすように力強く。

 ひらはその目を見つめ返し、恐怖心を抱く。

かるざわさんがあやの小路こうじくんの前に全てを見せた意味が、本当の意味でやっと分かったよ。君のその目を見た……いや見せられたんだ。怖いくらいに深い闇が広がっている……その瞳を」

 平田もまた、抱えたその闇をオレに侵食されていく。

 この男は死を待っているわけじゃない。救われたいと日々願っている。

 だかららされた黒い救いの糸を、手につかんでしまう。地獄からがるために。

「君には一度話したことがあったよね……。小さい頃から仲の良かった友達がいたけど、中学の時その子がいじめの対象になってしまった、って話」

「ああ。すぎむらだったな」

「名前まで、よく覚えてるね……」

 その話を知っているからこそ、平田の精神状態を予測することが出来る。

 平田はその友人を助けたかったが、自分が虐めのターゲットになることを恐れた。

 結果、ぼうかん者としての時間を過ごすことになった。

 そして───

「僕の友達は───飛び降り自殺した」

 当時のことを、やっと思い出し始めたのだろう。

 少しずつ語り始める。

「命だけは取り留めたけど、彼は今も快復することなく眠り続けている……」

 平田は両手を合わせて強く握りこぶしを作る。

「命をつというこうを彼にさせてしまった。その責任の重さは変わらない」

「それは平田だけのせいじゃない。その根源は別の人間にある」

「そうだね。だけど、傍観者もまた同罪だと僕は思ってる」

 船の上で、平田は語った。だからこそ、自分の傍にいる人たちは救いたいと。

 事実、平田はいつもクラスの問題ごとに率先して介入した。

 解決の糸口を探るために、その努力をしまなかった。

 どうが誰かとごとを起こした時も、けいとの偽装カップルにしてもそうだ。

 だがそれだけでは説明のつかないことがある。

「君が疑問を抱えているのは分かるよ」

 視線を向けることもなく、平田は言う。

「友達が飛び降り自殺を図った。あの話には続きがあってね……」

 船上では語られなかった、その後の話。

「彼が飛び降り自殺を図ったことで、一連の騒動は全て終わったと思った。重たいせいを払って、学校から虐めはなくなったんだって。でも違った。あの事件の後、僕は人間の底知れない闇を見たよ」

 身を震わせ、その目には殺意のようなものが見え隠れしていた。

「新しいいじめのターゲットが、今度は僕のクラスメイトから出たんだ」

 感情を抑えて、息を吐きながら独り言のようにつぶやき始める。

「信じられなかったよ。あんなひどいことがあったばかりで、もう新しい虐めが始まってしまったんだ。それまでただのぼうかん者でしかなかった子が、同じ目に遭い始めた。しかもこれまで虐めに加担していなかったクラスメイトたちまでが虐めを行い始めたんだ」

 虐めはじんぞうに生み出される。

「カーストの最下位が不在になれば、当然その1つ上にいた生徒が最下位に位置してしまう。ある意味自然の摂理だな」

「あんなことは二度と繰り返させちゃダメだと思った。絶対に止めなきゃって思った」

「それで……おまえは行動を起こしたのか」

 うなずく。二度、三度と。

「同じ過ちを繰り返さないために、僕はある方法を取ったんだ」

 ひらはゆっくりと顔をあげ、正面を見つめる。

「それはね、分かりやすく言えば、恐怖で支配しようとしたんだ」

「平田が、か?」

「うん。僕はどうくんやりゆうえんくんみたいに、特別けんが強い人間じゃない。でも、本気で人を殴れる人なんてそうはいないからね。僕が本気でこぶしを振るっても、殴り返してこれる相手はいなかったんだ。僕だけが上に立ち、残りの生徒全員を最下位にする。そうすることで虐めを無くそうとしたんだ。ごとが起これば、僕が間に入った。両方に同じだけの制裁を与えた、苦痛を与えた。そこには差なんてありはしない。だけどつかせいじやくはあったんだ」

 それが正義ではなかったこと、間違いだったことは平田も分かっていたんだろう。

 それでも、誰かが虐められる世界を見たくなかったのだ。

「結果的に1つの学年を……生徒たちを最終的に壊してしまったのかな? 笑顔は消えて、ただただ無機質なロボットのような毎日を、皆で送ったよ。このことは当時、僕の住んでた地域じゃちょっとしたうわさ……事件扱いされたくらいにね」

「結局、学校側はどう対処したんだ?」

「異例の対応だったと思う。全部のクラスが強制的に一度解体されたよ。僕をはじめ、全員が再編されることになった。そして卒業まで厳しい監視の目が残り続けた」

 それだけ有名な事件なら、当然広くに知れ渡っている。

 この学校が察知していないはずがない、か。

 いや、その事件を知ったからこそ、平田に入学を進めたのかもしれないが。

 ともかくDクラスで入ってきた理由がやっと見えたな。

やまうちがターゲットにされ、攻撃されるこうがどうしても許せなかったんだな」

「うん……。僕は、僕の耳にさえ入らなければ知らないフリをしようと思った。クラス内投票のその日まで、沈黙を貫きたかったんだ」

 結果的にほりきたの裁判によって、不要な存在をあぶりだされることになった。

「僕はダメなんだよ。やっぱりクラスをまとめようとしちゃいけない人間だったんだ。打てる手を打っても、結果やまうちくんを守ることが出来なかった……。わかっただろう、あやの小路こうじくん。僕はもうダメだ。誰かを守るために、また恐怖で支配しようとした。アレは過ちだと、わかっていたはずなのにね……」

 声を震わせるひら

 もはや、心のバランスは崩壊寸前。

 平田は幸せもどん底も、クラス全体で共有すべきことだと考えている。

 誰かが苦しむ、誰かが欠ける、そんなことに耐えられない。

 きっと、これまでもずっと自問自答、都度繰り返して来たんだろう。

 みーちゃんや他の生徒に、どこまで打ち明けたかは定かじゃない。

 ただ、きっと口をそろえてこういったはずだ。

『仕方がなかった』

『平田くんは何も悪くない』

『悪いのは裏切った山内だ』

 三者三様でも、平田は正義でそれ以外は悪。

 その図式だけは絶対に変わらない。

 これでは解決になるはずがない。

 クラスの誰かを守ろうとする平田に、その誰かを責めるように話しても無駄だ。

 むしろ、余計に自らの殻に閉じ込もってしまう。

「ハッキリさせておきたいことがある。山内が退学になったのは、堀北のせいでもなければ、もちろんオレの責任でもない。そのことは分かってるか?」

「……うん。アレは仕方がなかった、僕たちには、どうすることも出来なかったんだ」

 君を責めたりはしないよ、と小さく言う。

 平田には、オレが悪いわけじゃないんだと、念押ししているように聞こえただろう。

 オレのことをうらんでくれるなよ?と言っているように聞こえただろう。

「山内がCクラスから、この学校から去ることになったのは、誰の責任だと思う」

「彼自身……と、考えるしかないんだろうね」

 認めたくはないと言いつつ、平田が出した結論。

 自業自得。退学にされても仕方のない能力、生活をしていた山内のせい。

「それは違うな」

 否定する。オレは真っ向から、その平田の甘い考えをいつしゆうする。

「山内が退学したのは、おまえの責任だ平田」

「っ……!」

 顔をあげ、オレを見る。

 何を言っているんだ、と理解できない顔をしている。

「おまえが助けたいと思うなら、何としてもやまうちを助けなきゃいけなかった」

「だ、だけど───僕は精一杯───! でも、どうしようもなかったんだよ!」

「Bクラスのいちは、誰一人せい者を出すことはなかった」

「それは、それは、だけど彼女の場合は特別だった。僕たちにはない、大量のプライベートポイントがあったから出来たことなんだっ」

「なら、おまえがそう導いてこれなかったことに問題がある。この1年間で一之瀬のように積み立てるなりして、退学者が出た時に救えるようにしておけばよかった」

 それで山内は退学になることなく、今も40人がクラスに残り続けていた。

「無理だよ。僕たちは入学早々にクラスポイントを失った。仮に失っていなかったとしても、今の、僕らのクラスの生徒がそんなことに応じるはずがないじゃないか」

「クラスポイントが0になったのも、応じるように導けなかったのもおまえの責任だ」

 どれだけ逃げようとしても、ひらの責任であることは変わらない。

「理不尽だ、それは理不尽だよ」

「ああ、理不尽だな。でも仕方ない。おまえがその道を選んだんだ。全員を助けるなんて幻想は本来、胸の内だけにしまっておくこと。それなら誰が退学になってしまっても平田を責めることは出来ない。だが、その気持ちを周囲に対して持ち続けるのなら、失敗したときにすべての責任を受ける。それだけの覚悟が必要だ」

「───ぼ、僕は───!」

「オレは勘違いしていた。おまえは優等生タイプで、クラスメイトの多くから尊敬を集める人格者だと思ってきた。でも、そうじゃない。ただ出来もしないことを大言して語るだけの薄っぺらい無能な生徒。それが平田ようすけ、おまえなんだ」

 これは突き詰めた極論。けして、無能なんかではない。

 平田という人間は高校1年生とは思えないほど良くできた生徒であり、優秀な人材だ。

 守りたいと口にすることは悪いことではないし、それが達成できなかったからといって責任が発生するわけでもない。

 それでもオレは平田を責める。

 とことんにまで責め立てる。

 重圧を与え、すり潰されるまでしつように追い込む。

 平田を思えばこそ? 違う。

 平田が今後、全員を守れるように強くしていくため? 違う。

 きっと全員は守れない。

 また、どこかで同じように退学者は出る。

 それが出た時、クラスがじゆんかつに機能するために、平田というパーツが必要だからだ。

「いつまで夢見てるつもりだ」

 義務教育の枠から、一歩も踏み出せていないだけ。

 高校は自らの意思で進学し、自らの意思で進退を決める場所。

「それが、それが君の……本性、なのかな? 恐ろしくようしやない、冷たい言葉だ……」

 ひらの右側の目から、あふれ出る涙。

 それは程なくして、左側からも同様にあふれ出す。

「おまえが何を願うのも自由だ。けど、それを願うのなら、せめて最後まで戦って、そして限界までく以外に方法はない。その過程で退学者が出るのなら、それは甘んじて受け入れるしかない。それでも前に進み続けるしかない」

ざんこくな……話だね」

「今立ち止まってしまえば、周りの生徒は次々と脱落していくぞ。だからこそ、平田が最後まで前を向いて、そして前を歩き続ければ、きっと全てが終わった時、すぐ後ろには多くの生徒が立っている」

 人よりも一歩前に出るのは、とても勇気のいるものだ。

 いつどんな障害が出て来て転んでしまうか分からない。

「でも……なら、僕はどこで弱音を吐けばいいのかな……。僕だけが、1人我慢して前を歩き続けなきゃならないのかな?」

「そんなことはない。おまえが困った時は他のクラスメイトに頼ればいい。ほりきたも、くしも、どういけ、みーちゃんやしのはらだって構わない。お前が頼りたいと思った相手に弱音を吐けばいい。前や後ろなんてものは関係ない」

 前に立つ者が弱音を見せてはいけないなんて、そんな決まりは存在しない。

 後ろに立つ者たちは、転びそうな前の人間に手を差し伸べることが出来る。

 平田の弱音を、懸命にクラスメイトは受け入れてくれるはずだ。

「僕は……僕は……こんな僕が……みんなの前を、歩いてもいいのかな……」

「もう大丈夫だ。今のお前なら前を歩いても大丈夫だ」

 一度肩をたたく。

 その小さな衝撃で、平田の目からは更に多くの涙が溢れ出てきた。

 清算する。

 平田の背負ってきた大きな大きな荷物を、一度全部空っぽにする。

 身動きの取れなかった平田は、身体からだを起こして立ち上がれる。

「ありがとう……ありがとうあやの小路こうじくんっ……」

 うつむいた平田の顔からこぼちる沢山の涙。

 男は特別な時以外には涙を見せられない、厄介で面倒な生き物だ。

 だからこそ、涙を見せられるような友を持ちたいとオレも思う。

 もう言葉はいらない。

 傍でただ仲間が、この男の弱音を受け止めてやるだけでいい。


 そうすれば───また、前を歩き始める。


    2


 夜が明けて、次の日がやって来る。

 刻一刻と迫って来る学年最後の特別試験の本番。

 登校してきた教室にひらの姿はなかった。みーちゃんの表情は、やはりどこか暗い。

 全員が頭の片隅に追いやりながらも、どこかで心配し続けている存在。

 Cクラスになくてはならない男が姿を見せた。

 誰もが、目を向けることすら抵抗を覚えている今。

「お、おはよう……平田くん」

 やっぱり、みーちゃんは誰よりも先に平田に対して声をかけた。

 悲しみをこらえ、自分なりに精いっぱいの笑顔を作って。

 それを見た平田は、距離を詰める。

「っ」

 昨日のことが頭をよぎったのか、一瞬身を固くするみーちゃん。

 そんな姿を見て、平田は思い切り頭を下げた。

「おはよう。それから昨日はごめん。僕は、みーちゃんにとてもひどいことをした」

「……え?」

 ひらからの感情が含まれた謝罪の言葉。

「それから、いつもいつも僕に声をかけてくれていたのに、無視をしてごめんね」

「そ、そんな、その、私は全然……」

 明らかに様子の違う平田に戸惑ったのはみーちゃんだけじゃない。クラス全体だ。

「皆も───おはよう!」

 昨日までがうそのように晴れやかな、爽やかな笑顔で登校してきた平田。

「ひ、平田くん?」

「僕はもう大丈夫。もう、大丈夫だから」

 そう言ってみーちゃんに優しい笑顔を向けた後、今度は全員に対して頭を下げる。

「今更謝っても遅いかもしれないけれど……皆さえ良ければ今日からまた、クラスのためにこうけんさせてほしい」

 頭をあげないまま、そう言う平田。

 男子も女子も顔を見合わせ、事態が理解できないまま数秒が過ぎる。

 だが───。

「平田くんっ!」

 まず、数人の女子たちが平田の下にけよると、男子も女子も多くがそれに続いた。

 待ち望んでいた平田の復帰に、喜ばない生徒はいない。

「何があったの?」

 遠巻きに状況を把握できないまま見ていたほりきたが、オレに聞いてくる。

「周りの努力次第だと言っただろ?」

「それは、そうだけれど……無理をしているわけではないのよね?」

「そんな風に見えるか?」

「見えない、わね」

「立ち直るキッカケなんて、人それぞれだ。大げんした次の日にも、大抵の人間はケロッとしてまた仲良くしだす」

 人間関係というものはそんな風にできている。

 一通り復帰の歓迎を受けた平田は、最後の相手として堀北に近づいてくる。

「おはよう堀北さん」

 ぐな透き通った瞳が、堀北を見つめる。

「え、ええおはよう」

 思わず、その平田をまぶしいと思ったのか、堀北がどうようした。

「僕はこの間のクラス裁判の件、自分が間違っていたとは思わない」

「……そう」

「でも───君のやったこともまた間違いじゃなかった。いや、1つの正しさだった」

 あの時は受け入れられなかったこと。

 それを平田は、自分の中で消化してきた。

「僕はそのことに気がついていなかったんだ」

「頭を打ったの? 昨日までとは、ずいぶんと考え方が変わったようね。きよせいを張っている、という感じでもなさそうだけれど……」

 ひらほりきたに疑われても、屈託のない笑みを浮かべて見せるだけだ。

「失った信用を取り戻すために全力を尽くすよ。後で特別試験の詳細を教えて欲しい」

「分かったわ。状況の把握、そしてあなたが本当に使い物になるのかどうか、そのテストをさせてもらうけれど、構わないわね?」

「うん。もちろんだよ」

 手を差し伸べる平田。和解を求める握手を、堀北も正面から受けとめた。

 それからも、再び次々とクラスメイト達から声をかけられる平田。つい数分前まで、漆黒の中にいた教室とは思えないほどに明るく、爽やかな空間に変わっている。

「ともかくこれで、やっと特別試験と向き合える、ということかしら」

「そうみたいだな」

 平田の復活は、Cクラスにとっては何よりも大きな助けになると言えるだろう。

 こうえんだけは何一つ、変わることはなさそうだったが。

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