〇罠と手料理と頼み事と
その日、ちょっとした珍しい出来事が起こる。
それは昼休みに入り、
「なあ
「めっずらしいよね、柴田くんってあんな風に怒ることあるんだ」
「確かに意外だな」
「そうなの?」
他クラスとの交流がない
サッカー部に所属する柴田は、
オレが知る限りあんなふうに声を荒らげるタイプじゃない。
「でも単なる偶然ってことはないかな?」
怒っている柴田に対して、一之瀬が諭すように言う。
しかし柴田には思うことがあるらしく、すぐに否定した。
「それはないって。今日で3回目なんだぜ? 絶対
移動中のオレたちに気付いた神崎が、柴田に軽く促す。どこかばつの悪そうな顔をしてオレたちを見て平静を
「ねえ、これからお昼に行くところなの?」
そんな風に、一之瀬がオレたちに声をかけてくる。
特定の誰かというよりは、グループ全体に向かって。
Bクラスのリーダーとの接点が薄い仲間は、どう答えていいか分からず戸惑う。
隣に立っていた波瑠加に
「……ああ。カフェの方に。何か関係があるのか?」
「そっか、偶然だね。私たちもなんだよ」
それを聞いて一之瀬が
「良かったらさ、これから私たちと一緒にランチしない?」
そんな予想外な誘いに、オレたち一同は面食らって顔を見合わせる。
「一之瀬、どういうつもりなんだ?」
そんなことを言いだすと思っていなかったのか、神崎が慌てたように聞く。
「どういうつもりって……Cクラスと戦うわけじゃないんだし、問題はないでしょ?」
「それはそうなんだが」
しかし
一方のオレたちも、どうしていいか分からず答えられずにいると……。
「時間も
そう笑顔で言われると、当然誰にも断ることは出来なかった。
1
カフェの一角に2つのテーブルを借りて、食事を取ることになったオレたち。
BクラスとCクラスの、しかも異色の組み合わせでの場が設けられる。
「ごめんね、急に誘ったりして。今日は私がご
そんな風に一之瀬が謝りつつも、そう言う。
「いいのか一之瀬」
一之瀬は1つ前の特別試験、クラス内投票で退学者を出させないため
その際にクラスの持つプライベートポイントは全て吐き出したはずだ。
何らかの方法で
「どうせオレたちも普通に食べるつもりだったんだ、自分たちの分は自分たちで出そう」
オレがそう言うと、グループの全員も納得したように
「私が強引に誘ったんだし、気にしなくていいのに……」
「いいんだ。その方がオレたちも
対等な関係で食事できるように、という建前を持ち込み一之瀬の奢りを回避する。
「それで……俺たちを誘ったのはどうしてなんだ?」
そのことを聞かずにはいられなかった
「さっきの
その一之瀬のジャッジは、ある意味で正解かも知れない。多分声をかけられなかったら、オレたちはしばらく柴田のことで談義していた。どうしてあんなふうに怒っていたのだろうと。そして場合によっては、第三者にも話をして意図せず広めていた可能性もある。
「いいのか、話しても」
「強く警戒する必要あることだと思う?」
「Cクラスの中に、関係者がいる可能性は否定しきれない」
「そうだとしても影響はないんじゃないかな」
「確かに単なる
柴田が言うと、神崎はやや鋭い目で見る。
「な、なんだよ神崎」
「いや……」
その真意は
「どの道ここまで聞かれちゃったなら、話すのが最善じゃないかな?」
「……そうだな」
柴田の
「簡単に言うと、ちょっとDクラスから強い嫌がらせを受けてるみたいなんだよね」
「嫌がらせ?」
柴田が食い入るように言う。
「なんか俺や
ここまで話してしまったら、あとは同じだろうと判断したのか神崎も話に参戦する。
「一応2人にも聞き取りを行ったが、まず間違いないだろう」
つまり特別試験が始まってからDクラスに一部の生徒が狙われているという話。
「
「今のところは」
追い掛け回したり追い詰めているだけで、物理的な被害は今のところなさそうだ。
もちろん向こうが手を出してくれば、それは大問題に発展するわけだが。
「Dクラスなりにプレッシャーを与えようとしているんだろう。試験当日までに何度かこの手の嫌がらせを繰り返して、動きや判断を鈍らせるのが狙いと思われる」
「勘弁してほしいぜ。ただでさえDクラスって怖いイメージなんだからさ。Cクラスだって面倒事に巻き込まれたことがあるから分かるよな?」
柴田が言ったのは、恐らく
そんなやり取りを見て静かに聞き入っていた
「
「そう、なのか?」
啓誠は
「Dクラスも必死だから、拾える情報は拾っておこうと思ってるってことかー」
Cクラスの話を聞いて少しだけ柴田は納得した素振りを見せる。
とは言え、確かに受けている被害はBクラスの方が大きそうだ。
「正攻法で戦えば、間違いなくウチが有利な試験だ、無理もないだろう。校則に触れないギリギリの範囲までは、今後も仕掛けてくる可能性があると見た方がいい」
あるいは何か別の狙いがあるのか。
「
「そういうことになるだろうな」
「気になるのも分かるけど、私たちは私たちに出来ることをするだけだよ。結束力が乱れないように足並みをそろえて種目を選んで、本番を精いっぱい戦うだけ。違う?」
そう問いかけた一之瀬に、Bクラスの男子たちが同意する。
「つまり一之瀬さんたちはDクラスに対して何かしたりはしないってこと?
「うん。私たちはしないかな。来週上がって来る10種目、その全部に対応するつもり」
あくまでも自分たちのクラスだけで戦うということ。
情報に惑わされず真実だけと向き合うのだろう。確実で手堅い手段だ。
「なんて言うか、本当に
「上のクラスに勝つためなら普通はどんなことでもするんじゃないか? 偵察も無言の
Cクラスも表面上はAクラスに対して何もしていないが、あの手この手で情報が集められないかと苦心している部分は少なからずある。
「どうかなー。私たちがそこまで器用じゃないってだけかも知れないよ?」
そんな風に言って、一之瀬はちょっとだけ笑って見せた。
「ともかく何が言いたいのかは分かった。俺たちが
嫌がらせ
そうなれば、Bクラスは今よりも対応を迫られる。それなら
「だから、出来る限り広めないで欲しいなって」
「こっちも言いふらすメリットはないし、Bクラスを敵に回したくないからな」
同意する啓誠に続いて、
「皆、本当にありがと」
Cクラスの生徒にお礼を言う一之瀬。その中で一度だけオレとも目が合う。
その時、ふと一之瀬は髪の毛を少しだけ触った。
そして風に乗ってか、
視線はすぐに外され、また全体を見る一之瀬。やはり今日の一之瀬は少し変だな。
ともあれ、それは今オレが指摘するようなことじゃない。
2
昼食を終え
「やっぱ一之瀬さんって
「俺は、別に……」
「あ、ゆきむー思い出して顔赤くなってる」
「なってない」
「無理に否定しなくていいって。そりゃさ、女の子でも一之瀬さんは可愛いと思うんだから、男子なんて絶対イチコロよね」
「みやっちも
オレと
「私の気のせいじゃなかったらなんだけど……一之瀬さんって前から香水使ってたっけ」
「あ、それ私も気になった。シトラス系の香水つけてたよね?」
「うん。私、それが一番驚いたかも。何か心境の変化とかあったのかなぁって」
「ねえ今の話、3人はどう思う?」
そんなことを男子に聞いたところで分かるはずもないだろう。
「香水なんて付けてたか? 付けてたとしても、今日はそんな気分だっただけだろ?」
適当に啓誠が返すと、波瑠加が露骨に嫌なため息をついた。
「男子ってホント……ちょっとした変化に気がつかないんだから。ねぇ?」
「……そんなことより。俺たちだけじゃなく、向こうの対決も大変そうだな」
これ以上
「Dクラスだって、上のクラスに勝つためにはなりふり構ってられないだろうからな。もしかすると、これからもっとDクラスの嫌がらせは増えていくかも知れない」
啓誠も逃げるように、明人の話に乗る。その予想は多分当たっている。
今は3人程度らしいが、もう少し被害者が増えてもおかしくはない。
「
「それにしたって、やり方まで龍園くんを模範してどーすんのよって感じだけど」
確かに、プレッシャーをかけていくやり方は龍園がやりそうな戦略だ。
「けど無意味だろ。Bクラスの
「え、どうしてゆきむーはそう思うわけ?」
「あいつらの結束力の固さとか、自分たちを過信せず真面目に取り組む姿勢は、多分どのクラスも勝てない部分だ。どんな種目も安定して結果を残してくる。勝てる気がしないな」
Bクラスは全てを水準以上に仕上げてくる。それを啓誠は恐れたようだ。
「でもさー、全部水準以上だったとしてもさ、負けたら意味ないでしょ」
7種目全てで80点や90点の戦いをしても、100点の戦いをされたら負ける。
「当日7種目、どんなものが選ばれるかも分からないのに勝ち続けられるのか? 俺たちCクラスやDクラスは、特化して勝てる種目もあるかも知れないが、逆に
「そっか……そうかも知れないね」
「ねえねえ、ちょっと」
廊下の角を曲がったところで、先頭を歩く啓誠の腕を
「なん───」
聞き返そうとしたその口を手で押さえ、正面を指さす。
その先にいたのは
「な、なあ篠原」
「何よ」
「その……えーっと」
「歯切れ悪いわね、何?」
オレたちが静かになったことで前の会話が小さくだが届く。
「……日曜とか……ひ、暇してる?」
「日曜? 今のところ別に予定とか入れてないけど……え、なに?」
「何って言うか、その、ちょっと遊びに、とかさ。行かないかなって」
そんな2人のやり取りが、小さくだが聞こえてくる。波瑠加と愛里は顔を見合わせどこか楽しそうに、啓誠と
「日曜ってホワイトデーよね。もしかして篠原さん、池くんにチョコあげたのかな?」
「そうかもっ」
池の誘いに最初は
「いやほら、一応、チョコ
「義理なのに
「少しくらい
「……嫌とか言ってないじゃん」
「じゃ、じゃあ……」
「か、勘違いしないでよ? もうすぐ特別試験だし、息抜きできる最後のチャンスだしね。あんたが
なんだか今朝のルームシェアの話が思い出される。
オレの知らないところで、色々と小さな種が芽吹き始めているのかも知れない。
「行くぞ」
「え、待ってよ、今いいところなんだし」
「人の恋愛事に首を突っ込むなよ」
「もうちょっとくらい聞いてもいいじゃない。なんかわくわくするしさ」
「俺はしない」
「これだから無頓着な男子は……ねえ、
「う、うん。私もちょっとわくわくしたかも……。でも、見られてたら恥ずかしいよね」
「そりゃそうだけど、そこは見られてる方が悪いってことでさ」
ここでオレたちに
3
それぞれの得意な種目を持ち寄り、それらを情報として集める段階は続いていた。
放課後の集まりは日増しに少なくなっていったが、代わりに大規模なCクラス専用のグループチャットは活発になっていく。
結果的には発言する勇気を問わないこっちの方がCクラスに合うのか、意見交換も活発に行われるようになった。と、あくまでもこれは外から眺めている限りの情報。
オレは
戦略、司令塔としての役割はその後から考えていけばいい。
それでも、不安な要素は
特に今の平田は、堀北では何一つ解決できない部分だろうからな。
グループチャットに参加していない2人は、特別試験に対して前向きには動いていない。
前者の高円寺はいつも通りだとしても、平田の不在は痛い。
その平田の生活は一変したまま、まるで別人のような状態がずっと続いていた。
表現は悪いが、
そして、他にもある不安要素。
「……平田くんっ!」
帰路に着こうとする平田に、みーちゃんが追いかけ声をかける。
もう何度目の光景だろうか。
また1人、また1人と
それが恋のなせる
しつこくすることで嫌われるかもしれない、そんな恐れは必ずあるはず。
それでも彼女が繰り返し平田に声をかけるのは、
「なんか、平田くんホント見てられないよね……」
教室内に残された女子たち、
「うん。
「もうあたしが言ったって無駄だと思う。
先日、恵が声をかけた時の、
「そうだよね。平田くん、軽井沢さんに振られて、
そんな女子たちの話し合いを横目に、オレは教室を後にする。
とは言え今日の目的は平田じゃない。もう一つの不安要素解消のための探り。
みーちゃんの後に教室を出て行った、別の生徒に用がある。
「なあ、ちょっといいか?」
オレがその少女に声をかけると、少しの間をおいて振り返った。
「どうしたの?
この特別試験の期間中、特に発言をしていない
クラスメイトを助けるわけでもなく、邪魔をするでもなく。
静かなクラスのパーツの1つとして過ごしている。
いつもの櫛田なら、サブリーダー的ポジションになってクラスを支えている。
しかし、今回はそれが全く見られない。恐らく理由は2つ。
1つは前回のクラス内投票で、自らの立ち位置が揺らいだこと。
山内に利用されたとはいえオレの退学に加担していたという事実が明るみに出た。
多くの生徒が同情の余地ありと判断したが、それは
自らが善人であるという見せかけのプライドに、傷を入れられた事件。
もう1つは、
櫛田にとってみれば、そっちの方が本命と見ていいだろう。
過去の事件を知る堀北を、櫛田は当初から嫌っている。
それに付け加えて、クラス内投票ではその堀北に強い
どんな理由があれ不当な退学者を生み出そうとした
致命的なまでに、プライドは傷つけられたはずだ。
「今回、堀北のサポートには付かないんだな」
それを分かっていながら、オレはあえて話を放り込んだ。
この特別試験で櫛田がどう動くつもりなのかを、把握しておきたいからだ。
普段のニコニコした仮面は、遠くから見ていてもその本心は見えてこない。
仮面の下に眠る、本当の素顔を見なければ分かってこない。
「歩きながら話そ?」
「そうだな」
下手に会話を聞かれたくない櫛田は、そう促して歩き出す。
「今日はこれから予定あるのか?」
「うん。Bクラスの子たちと、ちょっと遊ぶ予定があるの。こんな大変な時期に遊ぶなんて悪いことだと思う?」
「いや、息抜きは必要だ。それは学年全体が分かってることだと思う」
24時間、試験のことだけを考えて過ごすなんて
「分かってるんじゃない? 私が何もしない理由なんて。私は
あえて、櫛田は本命である堀北のことには触れなかった。
「なんか納得いってないって顔だねー」
「まあ、な」
「言っておくけど、堀北さんがリーダーしてるから手を貸したくないわけじゃないよ?」
「本当か?」
「本当本当」
うんうん、と二度三度
「あ、疑ってる」
そりゃ疑う。そんな顔をしなくても、櫛田もそう考えるに決まっている。
だからオレが疑ってくると決めつけている。
「綾小路くんには、今の私はどう見えてるの? 正直に言ってみてよ」
「そうだな……」
見た目には、
しかし───。
オレは仮面の下、そこに隠した
「あのクソ女、絶対にぶっ殺してやる! クラスメイト全員の前で恥をかかせやがって、絶対に許さねぇからな! 殺す! 殺す殺す殺す! 絶対にぶっ殺す!!」
青筋を立て、
聞くに堪えない用語を連発する。
「…………」
そんな風に想像した姿を、オレは声に出して表現できなかった。
「今、ものすごく失礼なこと考えてた?」
「いや……全く」
ちょっと想像が過激すぎたため、オレもちょっとだけ言葉に詰まった。
それを頭から振り払い、本題を切り出すことにした。
「協力出来ないのなら、その事情は最大限
「その代わりクラスの情報が欲しい……かな?」
この特別試験が意味するものを櫛田はよく分かっている。
「正解だ」
「今の
変わらぬ笑顔で、だが協力を二つ返事では引き受けない
契約を結んだ間柄でも、櫛田からの警戒心は再び再燃し始めている。
オレが敵なのか味方なのか、最後のターニングポイントを迎えているのだろう。
「全員、櫛田ほどじゃない」
「そういってくれるのはうれしいんだけどね。私にも色々とあるから」
「色々?」
「意地悪だなぁ綾小路くん」
自分の立場が以前より後退してしまったことは、櫛田にとって大きなマイナス。
1年間かけて構築してきた櫛田
クラスメイトから依然支持が高いのは間違いないが、それでも歯の奥に引っ掛かるものがあるだろう。信頼を得るのは難しいが、失うのは一瞬だという典型的なパターンだ。
「じゃあ逆に質問させてくれ。どうやったら協力してもらえる?」
「今回は
つまり協力はしないが
ただ、種目になれば最低限の成果は出すということでもあった。
「オレだけじゃなく
「そうだね。そう受け取ってもらってもいいよ。私にとって、この学校は思ったよりもずっと居心地の良いものだったってことが、この間認識できたから」
しばらくは偽りの仮面を
こちらにとって好材料を提出してくるのも、櫛田のテクニックなんだろう。
ここで櫛田から協力を得られないのは痛いが、素直に飲んでおいたほうがよさそうだ。
「わかった。無理言ってすまなかったな」
「ううん。頼ってくれたのは素直にうれしいよ」
オレは、玄関まで来たところで櫛田と別れることにした。
櫛田は一度も足を止めることもなくケヤキモールのほうへと向かっていった。
4
週末が終わり、あっという間に日曜日、3月14日のホワイトデーを迎える。
正直この日、オレは日曜日であることに感謝を覚えていた。
机に用意したお返し数個。
これが平日だったなら、オレはどのタイミングで渡せばいいか分からず苦労しただろう。
朝、授業の前に渡すのか、それとも放課後に渡すのか。
渡す順番や他クラスの場合にはどうしたらいいのかなど、考えることが山積みだ。
何より周囲にその様子を見られるのが、どうにもイメージとしてよろしくない。
周囲の視線を気にせず返すのが一番良いのは分かっているが、とてもじゃないが無理だ。
しかし休みの日なら、シンプルにポストに
鉢合わせを避けるため、早朝に部屋を出たオレは寮のポストに向かった。
「えーっと……」
それぞれ、オレにバレンタインチョコをくれた生徒のポストに投函していく。
全部のチョコを入れ終え、さあ部屋に戻ろう、と思ったところで
何か見ちゃいけないものを見たかのような一之瀬の反応。
「お、おはよ
「あ……ああ、おはよう」
まだ時刻は7時前だというのに、なかなかレアな
しかし今日も一之瀬はオレと視線を合わせようとはしてこなかった。
「ちょっと目が覚めちゃって、散歩から戻ってきたところだったんだ」
こちらを見ているようで少しズレた位置を見つめながら、一之瀬が言う。
ポストをチェックして部屋に戻るところだったのだろう。
「あー、えっと、どうぞ」
ポストを見れるよう道を譲る。
「見てたなら分かると思うが、一応、その、お返しだ」
ポストから箱を取り出した一之瀬は、少しのあいだ固まったように動かなかった。
「お礼なんて、その、必要なかったのに……」
言葉を思い出したかのように答える一之瀬。
「いやそうもいかない」
「……あ、ありがとう。その、ごめんね。こういうの慣れてないから、なんか緊張する」
それはオレも同意見だ。誰にも会いたくないタイミングだっただけに戸惑う。
少し気まずくなったので、話題を変えよう。
「……そう言えば、木曜日に話してくれた
「あ、えと、その、気になるんだ?」
「ちょっとな」
話題が変わったことで一之瀬も話しやすくなったのか、いつもの感じが戻って来る。
「あの後すぐに全員に聞き取りを行ったんだけど、柴田くんから報告を受けた3人だけだったの。でも───」
「でも?」
「金曜日になって、一気に被害者が増えた感じ。他にも男子3人、女子3人。同じように付け回されたり声をかけられたって報告が昨日上がってきたの」
つまり、これで合計9人が被害にあっていた。しかし試験が発表されてからの3日間は3人だけに絞られていたものが、金曜日で一気に6人も増えたのか。
「後をつけてた生徒は誰か分かってるのか?」
「分かってる範囲では
合計で6人か。
ある程度汚いことにも手を染められる生徒たちだ。
ここまで顔が割れているなら、こっそりやっているというわけではないようだ。
「この6人が、手当たり次第に後を付け回していくつもりなんじゃないかな」
Dクラスも多くは普通の生徒だ、そう考えるのが自然だろう。
「週明けから、また細かく聞き取りはするつもり」
「想像通り被害が拡大したらどうするつもりだ?」
やがては一之瀬や
「んー。どうにもできないよね。暴力を振るわれたわけでもないし……実害が出るまでは我慢してもらうことで同意してる。心のケアは
もし、何かしら実害が出れば即動くだけの準備はしておくのだろう。
「そうか」
奇妙な動きを見せるDクラス。
本当にBクラスの生徒全員を狙っていくつもりなのだろうか。
もし実行メンバーが6人しかいないのなら、あまり強いプレッシャーにはならない。
こんなことを繰り返しても、嫌がらせをしてきてるな、くらいで終わるのが関の山だ。
単に作戦を考えた石崎が、そこまで考えが及んでいないのか。
あるいは、多少精神的にダメージを与えられればそれで良しとしているのか。
「私、何か対応間違えてるかな?」
オレが何かを考えているのが伝わったのか、一之瀬が少し不安そうに見上げてきた。
「いや……今はそれでいいんじゃないか。実際学校に
「うん、そうだね」
だがDクラスの目的が、今想像しているモノと一致しているのかを確かめておく必要はあるだろう。とは言え一之瀬は動く気がないようなので、これは余計な話か。
専守防衛でやるというのなら、こちらから発言するのはお門違いもいいところだ。
「10種目は決まったのか?」
「うん。私たちはお互いの得意不得意を早い段階で理解してたしね。あとはDクラスが苦手そうな種目と
「オレは今回、何もタッチしてない。10種目の内容は全て
「でも、司令塔の関与方法についてはどうしてるの?」
「それも含めてお任せだ」
司令塔であるオレが適当にしていると思わなかったのか、
「
「100%前者だ。オレは一之瀬と違って仲の良いクラスメイトが少ないから、正直よく分からない。司令塔になったのだって、退学者を防ぐための人柱だ」
「でも、じゃあどうしてAクラスと対戦することを望んだの?」
「それも堀北の考えだ。あいつには、何か勝機が見えたのかもしれないな」
そっか、と一之瀬はこれ以上追及してこなかった。
話も終わったので、2人でエレベーターを待つ。
「あー……油断したぁ……」
何かを思い出したように、隣に立った一之瀬はくるくると髪の毛に人差し指を絡める。
「油断?」
「う、ううん、何でもないの気にしないで」
乗り込んだエレベーターは、オレの部屋がある4階にすぐ到着する。
「それじゃ、また」
エレベーターを降りて振り返ると、油断していたらしい一之瀬と一瞬だけ目が合った。
「わたたた!! ま、またね!」
急に慌てだして、閉じるのボタンを連打。エレベーターの扉を閉められたため、すぐに姿が見えなくなる。最後は妙な形の別れ方になったが、ともかくこれでホワイトデーの大変なイベントは乗り切れたので良しとしよう。
「そう言えば今日はシトラスの香りがしなかったな」
休みの日の早朝だ、わざわざ香水をつけて出かけるわけもないか。
5
月曜日の朝、今日は対戦相手の10種目が発表される日だ。
果たしてAクラスはどんな種目とルール、そして司令塔の関与を持ち込んでくるか。
通学路の途中で偶然にも堀北兄と
オレを待っていたという様子はない。ただ、本当に偶然時間が重なっただけ。
橘は特に何も言わず、静かに一歩下がった。
始まるであろう2人の会話を邪魔しない
その辺は、生徒会で堀北兄を支え続けただけあって素早く丁寧な対応だ。
「特別試験の方は順調か?」
堀北兄のことだ。深く説明せずとも、こちらの状況は把握しているだろう。
「それはこっちのセリフだ。あんたこそAクラスで卒業できそうなのか?」
「さて。それは来週の結果次第だろう」
確実に大丈夫とも、不安があるともその顔からは読み取ることは出来なかった。
「こっちはあんたの妹が奮闘してくれてる。思った以上に兄貴の効果があったらしい」
「そうか」
まるで魔法の水にでも触れてきたかのように、
今も10種目すべてに対して、勝つための戦略を日々練り続けているだろう。
「普通この時期の3年生はとっくに休みになってるんじゃないのか」
「そうだな。俺もその点に関しては入学後に知らされて驚いた。大半の高校なら、既に休みに入っている時期だからな。だが当然、進学や就職に関しても順調に進んでいる。おまえたちの知らないところで着実にな」
特別試験が行われる合間に、色々と大変なものが重なっているようだ。
「しかし、まだどこがAクラスで卒業するか決まってないのに進学や就職か」
「いずれ分かる」
それだけ言い堀北兄は深く答えようとしなかった。
残される在校生には言えないこともあるということか。
Aクラスであることが生きてくるどうかを知るのも、卒業直前だということだ。
「何か聞き残したことがあるなら聞くといい。答えられる範囲で教えよう」
「教えられる範囲が狭そうだな」
皮肉を言うと、堀北兄は本当に
「そうかも知れんな。元生徒会長としてのシガラミだと思ってくれ」
学校全体にかかわる問題は、下手に口に出来ないということだろう。
「まあ
この何気ない偶然の中で、オレは堀北兄に質問をぶつけてみることにした。
「堀北……あんたの妹に関してだ。あいつは優秀な人間だとオレは思う。学力も、身体能力もけして低くない。1番かと言われればそうじゃないかも知れないが、2番手3番手につけるだけの実力は入学時から持ってた。生徒会長を務めるあんたほどじゃないのかも知れないが、
そして、何よりも感じた違和感。
「そもそも妹との
中学生2年生と3年生の堀北にはもう会うことが出来ないのだから。
もし妹の入学時の成績を知ったのだとしても、やはり不満を生むほどではないはず。
あの時、寮の外で見た堀北兄の妹に対する態度は、平静からは
「なるほど。確かにあの時の様子を見ていたおまえなら、不思議に思うのも無理はない」
まさに思い出していた、オレが初めて堀北兄と接触した時のことだ。
「俺が
「心の成長?」
「元々、今の
あいつが良く笑顔を見せる?
……ダメだ、正直全く想像がつかない。
「つまり、あんたの影響を受けてクールなキャラを演じてるってことか?」
「どこまでも俺を
結果
「完全無欠に見えたあんたも、妹とのコミュニケーション作りには失敗したってことか」
「完璧な人間などいない。違うか」
「そうだな」
その点は、あえて否定しない。
「要は学校で再会して、あいつと話をして分かったってことか?」
とてもじゃないが長々と語り合っていた様子じゃなかったがな。
「話すまでもなく再会した瞬間に分かった。鈴音は、2年間何も変わっていなかったとな」
兄にしか分からない何かが見えてしまったのだろうか。堀北兄は続ける。
「俺が言ったことには、あいつは全て忠実に応えようとしてきた。勉強をしろ、運動をしろ、アレをするな、コレをするな。それだけならまだいい。俺が好きな食べ物、飲み物、果てには好きな色や服装のセンスまで。どこまでも俺に対する強い依存を見せてきた」
もはやそこまで来ると、ちょっとした怖いものを感じるな。
だが入学時からの堀北の態度を見れば、それも
「あんたは妹とこの学校で再会して、依存症のままだってことを感じ取ったんだな?」
エスパーでもなければ、2年間の空白を確かめるには材料が少なすぎる。
「そうだ。小さい頃の鈴音を知る者なら、誰でも見ればわかる。あいつの───」
言いかけて、堀北兄が言葉を詰まらせる。
「……いや、これはおまえにも伏せておく。俺にとって鈴音が本当に変わったかどうか、それを確かめる絶対の判断基準にしたい」
「まだ、妹は変わりきれてないってことだな」
頷く堀北兄。以前よりも
「懸命に過去の
兄貴の言う判断基準とやらを、卒業までに満たせるのだろうか。
卒業式まで、あと10日もない。
「だがもしも───」
堀北兄が、一度足を止めオレを見つめる。
オレもまた、
「もしも
一陣の、春の風が吹く。
「あいつは俺を超え、そしておまえにとって無視できない存在になるだろう」
ただの親バカならぬ兄バカ、というわけではない。
オレも
ふと、オレの
いや、やりたいこと。それがふと見えた気がした。
「あくまでも───あいつが変われたらの話だがな」
「変わるんじゃないか?」
オレは、そう言っていた。
「いや、ちょっと表現が違うか」
オレは訂正する。
「あいつを変えてみようと思う。今までのように何となくではなく、本気で」
「……ほう。おまえがそんなことを言うとはな」
ここで堀北兄と偶然会い話したことが、オレの人生に大きく関与していくような。
その読みが的中したかどうか、それが分かるのは
「なあ。卒業前にもうひとつ聞いてもいいか。これも完全に個人的な質問だ」
この先、こうして話をする機会があるかも分からない。
「なんだ」
「あんた、後ろの
くだらない質問であることは自覚していたが、聞いてみた。
生徒会を卒業してもなお、2人は共に行動することが多い。
「いや、そのような事実はない」
あっさりと否定する堀北兄。隠すために
ただ横目で確認した橘の顔はどこか複雑そうにも見える。
少なからず、橘が堀北兄に好意のようなものを寄せているのは間違いないだろう。
「この3年間は、良くも悪くも学校のことだけを考えてきたからな」
「そうか」
「しかしおまえの口からそんなことが出てくるとはな。普通の高校生だったか」
「オレは普通が一番似合う高校生のつもりだ」
「そうか、そうだったな。その普通の高校生のおまえには、彼女は出来たのか?」
こちらから振った話題とはいえ、それに乗っかって来るとは。
「今のところ全く。相手がいれば募集したいところだ」
「おまえなら
「当たり前だろ」
あるわけがない。
「だ、ダメですよ。そういうのはフラグになっちゃったりするんですから」
これまで静観していた
「フラグ?」
「いや、えと、そういうのはこう逆に働く法則と言いますか……。絶対に付き合わないと思ってた2人が付き合うのは、往々にしてよくある話なので」
オレも堀北兄も、橘の説明がいまいちよくわからず、顔を見合わせる。
「い、いえ何でもないです」
伝わらないと思ったのか、橘はそう言って話を切り上げた。
6
教室で、朝のホームルームが終わる。
それと同時に、対戦相手であるAクラスの選んだ10種目が発表された。
教室に残された資料を基に、堀北の手によって読み上げられる。
それらを、種目に必要な人数順にまとめるとこうだ。
『チェス』 必要人数1人 持ち時間1時間(切れ負け)
ルール・通常のチェスルールに準ずる。ただし41手目以降も持ち時間は増えない
司令塔・任意のタイミングから持ち時間を使い最大30分間、指示を出すことが出来る
『フラッシュ暗算』 必要人数2人 時間30分
ルール・
司令塔・任意の1問だけ答えを変えることが出来る
『
ルール・1対1を3局同時に行う。通常の囲碁ルールに準ずる
司令塔・任意のタイミングで一手助言しても構わない
『現代文テスト』 必要人数4人 時間50分
ルール・1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う
司令塔・1問だけ代わりに答えることが出来る
『社会テスト』 必要人数5人 時間50分
ルール・1年度における地理歴史と公民の学習範囲内の問題集を解き合計点で競う
司令塔・1問だけ代わりに答えることが出来る
『バレーボール』 必要人数6人 時間制限10点先取3セット
ルール・通常のバレールールに準ずる
司令塔・任意のタイミングでメンバーを3人入れ替えることが出来る
『数学テスト』 必要人数7人 時間50分
ルール・1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う
司令塔・1問だけ代わりに答えることが出来る
『英語テスト』 必要人数8人 時間50分
ルール・1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う
司令塔・1問だけ代わりに答えることが出来る
『大縄跳び』 必要人数20人 時間30分
ルール・2回のチャレンジで、より多くの回数を跳べたクラスの勝利
司令塔・一度だけ、対戦相手の並んでいる順番を任意に変えても良い
『ドッジボール』 必要人数18人 時間制限10分2セット
ルール・通常のドッジボールルールに準ずる。1勝1敗の場合はサドンデス
司令塔・任意タイミングで、アウトになった選手を1人コートに戻すことが出来る
「思いのほかスポーツも入れてきたわね。全て筆記試験とか頭を使う種目で固めてくると思っていたわ。とは言え、フェイクの可能性も十分あるけれど」
「チェスや
このクラスで、チェスや囲碁の名前を知らない生徒はまずいないだろうが、実際にプレイ、触ったことのある生徒はそう多くないだろう。
「想定と違ったのは、司令塔の関与、その多くが最小限に抑えられていることよ。特に学力メインの種目は、関与しても勝敗に影響を与えないものばかりだわ」
「それだけ仲間の力に自信があるってことなんだろうな。Aクラスが特に自信を持つ学力テストは4つある上に必要人数も多い。かなり厳しいぞこれは……」
毎回テストではAクラスが常に総合力で1位を取っている。
どのテストも参加人数が多めなのは、その自信の裏付けからだろう。
司令塔に出来ることも最小限のため純粋なクラスの学力勝負を強いられる。
筆記試験だけで埋め尽くさなかったのも正しい判断だ。
7つも8つも放り込めば、こちらも完全に勉強だけに考えをシフトできる。
こっちが捨てる教科を作りつつ、勝負する方法を取られることを避けるためだろう。
「バレーは6人と交代要員を合わせて9人。ドッジボールは18人。大縄跳びは最大の20人。どれか1つでも入ってくれば、簡単に2巡目に入りそうな大人数の種目ね」
10種目のどれが当日採用されるか分からない以上、全てに手を抜けない。
しかも大人数を必要とするスポーツが多いため割り振りや練習に膨大な時間と労力を割かされることになる。大胆に体育館などを借りて練習すればAクラスもそれを嗅ぎつけてくるだろう。つまり隠れて、
だが、正式種目として採用されるかは不明。もし、オレたちが膨大な時間を使って練習したとしても、それを
Aクラスの生徒がこの1週間で、どう動くかを見極めるのも大切だが、早朝や深夜の
10種目すべてに手が抜けず、どれが採用されても面倒なものばかり。
こちらが喜んでやりたくなるような種目は、当然のごとく存在しなかった。
「この中に、チェスや
挙手を求める
「囲碁は家族と少し打ったことがある、けどルールを知ってくるくらいで強くないぜ」
2種目とも絶望的なスタートラインであることは間違いなさそうだ。
オレも遅れて手を挙げる。
「一応チェスは覚えがある。ただ囲碁に関しては全く未知数だ、触ったこともない」
司令塔だが、教える側には回れることをアピールしておいた。
「経験者がいるだけでも救い、かしら。けれど改めてとんでもない試験よね。私たちはここで示された10種目、その全てをないがしろにすることは出来ないのだから」
1週間足らずで、チェスや囲碁をどれだけマスターできるか。もしくじ運が
元々持っている生徒のポテンシャルに頼らざるを得ない部分はあるだろう。
しかし
「どうしたの、
不思議そうにオレの顔を
「……いや、何でもない」
関与があまりにも大きいチェス。ほぼ司令塔同士の戦いも可能な内容だ。
この種目でオレと戦いたい、そんな強い気持ちが込められているように見えた。
「なあ
「10種目の中から、Aクラスが何を正式な種目として選ぶのか……それを探るのね」
「ああ。正直、今からこの10種目をカバーするのはかなりキツイ。何かしら情報を手に入れないと、こっちの勝ち目は相当薄くなるぞ」
「けどAクラスが簡単に情報なんて出すわけないだろ」
男子からそんな言葉も飛ぶが、それは誰もが分かっていることだろう。
「そのうえでやるんだ」
「あなたの気持ちは分かるわ。でも、今すぐに決断はしかねるわ。まずはそれぞれの種目の経験者がどれだけいるのか、その把握をさせて」
情報戦は後回しにして、堀北は全10種目の把握から始めるようだった。
7
「堀北、少しだけ時間
休み時間、啓誠は堀北に声をかける。
「構わないわ。なに?」
「ここじゃちょっと……特別試験に関することだ」
内密な話がしたいということで、静かに廊下に出るよう促される。
オレは見送るつもりだったが、堀北が視線を向けてきた。
「
「……分かった」
あまり歓迎はしていないようだったが、啓誠は同意した。
断る流れでもないので、2人についていく。
「俺が言ったこと、考えてくれたか」
「情報戦のこと?」
「ああ」
「そのことなのだけれど……Aクラスから情報を手に入れるのは容易じゃないと思う」
「けど、何もしないのはあまりにも
どうやら啓誠は、一刻も早く情報を集めるための動きを取りたいらしい。
勝つために、手を尽くしておきたいという気持ちはよくわかる。
「Aクラスの生徒に張り付いて解決することかしら?」
「そうだな。正式な5種目を一般の生徒が知ってるかどうかも疑わしいところだ」
あいつなら徹底した情報管理をしていてもおかしくはない。
「正式な5種目は
「まぁ、クラスメイトなら分かってるだろうな」
1年間共に生活してきている以上、得意不得意はある程度分かっている。
自分たちでこれが選ばれるだろうという推理くらいは立てられるだろう。
「そこで、だ。Aクラスから情報を手に入れる方法を思いついた」
「その方法はなに?」
「
周囲に人がいないことを確認し、小声で
葛城。かつてはAクラスで坂柳と対立していたリーダー格だ。
「葛城を
坂柳に恨みを抱いているのは間違いないだろう。
「坂柳さんに一泡吹かせるためだけに、彼がクラスを裏切ると思うの?」
「もちろん、それ相応の交渉材料は必要だろうな」
その点についても、啓誠には考えがあるらしい。
「俺たちCクラスに勝利をもたらしてくれれば、4勝3敗でも130ポイント手に入る。クラス全体で考えれば、1年間で600万以上のプライベートポイントが入る計算だ。更に毎月貯蓄していけば2000万ポイント近く
そこまで聞けば、何を言いたいかは見えてくる。
「俺たちがAクラスに上がったら、葛城にクラス移動の権利を提供する。それを条件にすればどうだ? しかもこれなら、葛城まで仲間になる」
「普通の生徒なら、まず引き受けない話ね。何を言っても私たちはCクラスなのよ?」
「でも今の葛城の置かれた立場ならそうも言ってられないだろ」
「確かに今の葛城に居場所はないかもな。だが、裏切ってることがバレれば、次に退学させられるのは葛城になる。悠長にオレたちが2000万貯めていられるだけの時間はない。クラスポイントが順調に上がっていくと仮定して、なおかつクラス全体が完全協力したとしても、最短で半年以上かかるだろうな」
無理なく貯めるという意味では、現実的に1年くらいを見ておいた方がいい。
それにクラスポイントを得るためとはいえ、2000万ポイントの対価は安くない。
「どう思う、
「……そうね。
「なら───」
「けれど、私は幸村くんの提案に対して、とてもじゃないけれど賛同出来ないわ」
「ど、どうしてだ」
「確かに
即金で用意できるなら話も違うが、1年以上先ともなると怪しいものだからな。
「でも動かなきゃ何も情報は手に入らないだろ」
「動いたところで、情報が得られるとは思っていないわ」
「試さないで何が分かるって言うんだ」
食い下がる
「情報戦をすることに、すべて否定的なわけじゃない。でもその作戦はダメよ。もし新しいアイデアが浮かんだらまた相談して」
そう言って、堀北は話を切り上げ教室に戻って行った。
「くそっ!」
「……なあ
「堀北の説得をか?」
「いや……俺たちだけで葛城の説得に当たるんだ」
それはまた、なかなか思い切ったことを言い出したもんだ。
「堀北が勝つことを
このままオレが否定意見を出しても、多分止まらないだろうな。
それならまだ同行した方が、色々と状況は把握できるかもしれない。
「どうやって葛城に接触するんだ?」
「それは───少し考える。試験まではまだ時間もあるしな」
「わかった。なら決まったら教えてくれ」
先走って1人で行動しない様にだけ言っておき、ひとまずは啓誠に協力することにした。
8
「ねえ。良かったら今から少しだけ話さない?」
夕食前の午後6時過ぎ。オレは鍋を温める火を見つめながら、そんな堀北の言葉を聞いていた。ちょうど湯が煮立ち、グツグツと
「食事の準備中、だったかしら」
「いや、気にしないでくれ」
まだ湯を沸かしただけで、特別なことは何もしていない。
「話って? 何の話だ?」
種目を決めるための協力に関する申し出なら、断るつもりで問い返す。
「安心して、種目決めはあなたに頼らないから。それは約束するわ」
こちらの思惑は、
「ただ、そうね。もしあなたさえ良ければ、直接会って話せないかしら。1時間ほどで話は終わらせるつもりよ」
電話口では話しづらいこと、あるいは直接目を見て何か探りたいことでもあるのか。
1時間なら、それなりの時間だな。直接会うことを否定するものはない。
「分かった。こっちに来るか?」
「それでもいいのだけれど、最近あなたは何かと
予期せぬ来客が来るかもしれないことを警戒したようだ。
堀北の部屋には以前足を運んだこともある。特に拒む理由はないだろう。
火を止め、オレは携帯だけ
9
チャイムを鳴らすと、程なくして鍵を開ける音が聞こえた。
いつもの真顔で迎え入れられると思ったが、意外な形で幕を開ける。
「いらっしゃい」
思いのほか、機嫌の悪くない堀北に玄関から迎え入れられたのだ。
その意外な部分に、逆にオレは
室内からは
「丁度夕飯の準備をしていたから。入って」
何もそんなタイミングで呼び出さなくてもいいと思うんだが……。
部屋に入ることを
遅くなってからの呼び出しに抵抗があったのかも知れない。
その程度の考えで
小さなテーブルに、
オレとの話し合いが終わった後、別の誰かと夕食を共にするんだろうか。
「なあ……」
確認しようとすると、言葉を
「遠慮なくそこに座って」
いや、そこにって……明らかにその場所は箸が置かれている。
本能が告げる。これは、オレに何かを強いるための
「それで、話って?」
オレは座ることを
「立ち話するつもり? こっちにも準備があるから、座って待っててもらえるかしら」
「いや……立ってたい気分なんだ」
「どんな気分よ。立っていられると私が落ち着かないの。座って」
だんだんと
いつもの強気に、強引さと理不尽さを
オレから距離を開け、そして堀北からも距離を開け始めていたため、忘れていた。
とりあえず、座って大人しく待つか。
ただ、パッと見た所料理はまだ途中。作り終わる頃には結構時間が
「なあ。1時間で済むんだよな?」
「ええ、話自体は1時間もかからないわ」
背中越しに聞こえてきた堀北の言葉に、当然オレは引っかかりを覚える。
確かに電話口でも、話は1時間で終わると言われた。
つまり話以外の時間は含まれていない、と。
「それ以外の時間を含めると?」
「そうね……1時間半から2時間前後ってところかしら」
やっぱりそういうことか。
「時間も時間だし、夕食くらい食べて行ってもらおうと思って」
誰もそんなことは望んでいない。理不尽な言葉遊びに
とはいえ、既に用意され始めている料理を見せられては、今更食べないと言って帰るのも気が引ける。
背中越しだが、料理をして動いている堀北の
むしろ、高校1年生であることを考えれば
「私の両親は共働きだったから、夕食を担当することが多かったのよ」
まるでオレの視線、考えが分かっているかのように、堀北は
「面倒だとか、手間だとか思わなかったのか?」
料理は作り出すと楽しいが、面倒な部分も少なからずある。
「兄さんがこの学校に進学したことを知ってからは、自分から料理の機会を増やしたわ」
「自分もこの学校に進んで一人暮らしになるのを見越して、か?」
「正解よ」
トン、と包丁で何かを切り終え、今度は鍋の
しかし特別試験でないのなら、何の話をするつもりなのか。
その点だけがまだ見えてこない。
10
更に待つこと15分ほど。
もしもこの光景を
誤解だと言ったところで、何も通じたりはしないだろう。
むしろ、こういった振る舞いを須藤にも既にしていると信じたい。
いや、仮にそうだとしてもオレは
「食べて」
そう
その光景には強いデジャヴを感じる。
入学して間もない頃、学校の食堂で手を出して堀北に利用されたことを思い出した。
「疑うの? 私を」
「どうにも、嫌な感じがするのは事実だ」
「人の親切を疑うようになったら、人間として問題がある証拠ね」
「それをおまえが言うか」
「今日は特別よ」
「…………」
気を遣って作ったのであれば、手を付けないのも失礼な話か。
しかし疑ってしまうのは人としての
不用意に堀北の部屋に踏み込んできた時点で、勝敗は決していたのだ。
とりあえず汁物から手を出してみることにした。
「麦みそなんだな」
一口飲んで、口内に広がる
「よく分かったわね。九州で好まれる味噌なんだけれど、口に合うかしら」
「料理、上手だったんだな」
素直に
「今の時代、特別なスキルは不要だもの、
料理を作るだけならそうかも知れないが、盛り付け方、野菜などの切り方ひとつとってもセンスは出るものだ。一朝一夕で出来るものじゃない。
「須藤にも振舞ったりしてるのか?」
そう聞いてみると、やや不服そうに
「どうして私が彼に料理を食べさせなければならないの?」
「いや……よく勉強を教えてるだろ」
「そうね。でも、だからと言って彼に料理する理由には
「私が彼に勉強を教わっている立場なら、今の質問にも
見事なぐうの音も出ない道理なのだが……。
「あなたは賢いのかバカなのか、分からないわね」
それはこっちのセリフでもある。
「さて。それじゃあ本題に入らせてもらってもいいかしら」
そう断りを入れ、堀北はノートを取り出した。そしてそれをオレに差し出してくる。
これは? そう聞き返すまでもないだろう。ここ最近堀北がずっと向き合っていたもの。
「Cクラスにとって最善と思われるプランを考えた。あなたに私の評価してもらいたいの」
そして、こう付け加える。
「ご飯、食べたわよね?」
実に汚いやり方だ。先に
ちなみにCクラスが選んだ10種目は『英語』『バスケット』『弓道』『水泳』『テニス』『卓球』『タイピング技能』『サッカー』『ピアノ』そして『じゃんけん』。
最後の1つは困った時の秘策で放り込んだようだな。
各種目誰が得意としていてどれだけの確率で勝てそうか。堀北の評価点も書かれている。
必要なことの全てがこのノートに集約していた。オレは静かに細部に渡るまで目を通していく。その様子を見て、堀北は驚いたような顔を見せる。
「飯のことはさておき、オレが真面目に読むと思わなかったんだろ?」
「え、ええ。突っぱねることも覚悟していたのだけれど……」
「今回の特別試験は、分析に分析を重ねたおまえのデータが必要不可欠だ。それに目を通さずして司令塔の力を発揮することは出来ない」
オレが聞きかじったデータと照らし合わせても、何一つ相違点はない。
「ウチのクラスが丸裸になるようなデータの集合体だな」
「この1週間悩みに悩んだ末、導き出した答えよ。正確でなければ困るわ」
これがあれば、極端な話他の誰にでも司令塔が務まるだろう。
「私はこのままノートを改良して、最終的にはAクラスの10種目すべても割り当てる。あなたはそれを見て司令塔として挑んでもらう形になると思うわ」
「そうだな。
静かに
「ノートの内容に異論はない。が、ひとつだけ注文を付けてもいいか」
「何かしら」
「Aクラスが選んだ種目の中に、チェスがあったよな」
オレは水を一口飲んで、そう切り出す。
チェスが得意な生徒はいないため、ノートもまだ当たり前のように空白だ。
「ええ。今のところ後回しにしている種目ね。私だってやったことないもの。教室の中でルールを知っているのは司令塔のあなただけ。その辺はアドバイスを聞くかもしれないわ」
「そのことなんだが、チェスの種目はおまえにやってもらいたい」
「……私に? 確かに誰かが練習しておく必要はあるけれど……。どうして?」
とても強くなることは出来ない、そして勝てないと堀北は答える。
「オレが教えるのに適任だと思ったからだ」
「私相手なら、関係を一から構築する必要はないから楽、ということかしら」
「その側面がないと言えば
「私が引き受けてもいいけれど……あなたに従順な生徒も少しはいるはずよね? それにこう言ってはなんだけれど、他にも私が役に立てる種目はあると思う」
堀北は基本的に万能な生徒だ。
筆記試験もスポーツも一定以上の成績を出してくれる。それはこちらも疑ってはいない。
「求められるのは純粋な能力だ。向こうの設定した司令塔の関与部分は、時間制限付き。いくら
序盤で圧倒されるような事態になれば、こちらからの
「個別にチェスに注目してるのは単にルールを知ってるからじゃないわよね? あなたの読みでは、Aクラスはチェスを5種目に選んでくると思うのね?」
「ほぼ間違いなくな。チェスだけ司令塔の関与が強すぎることも気にかかる」
「確かに私もその点は引っかかってた……いいわ。あなたの裁量に従う」
快諾してくれたことに感謝しつつ食事を続ける。
「それで、チェスの練習方法は?」
「堀北には苦労を強いることになるが、練習は夜中にネットを通じてやろうと思う」
「確かにそれなら、人目につくこともないわね。それに細部を知られることもない」
他の練習を圧迫しないで済む部分も利点だ。
11
これで話が終わると期待していたが、そうは問屋がおろさない。
「あなたにお願いがあるの、
「おまえ、何度も何度も
食事も半分ほど進んだところで、悪魔が再び斬り込んで来た。
さっきのノートだけで終わらないのか。
「卑怯? 私はあなたのやり方にこそ、卑怯なものがあると思ってるのだけれど?」
「なんの話だ」
「この間のクラス内投票。私を裏で動かしていたのはあなたね? 答えて」
「待て。オレは何も───」
「兄さんが私にアドバイスを送った。あの背景にいたのはあなたよ」
適当な思いつきで話しているようには思えなかった。
かといって、
「最初は気がつかなかった。でも、じっくり考えて分かった」
自力で、その結論に至ったということだ。
「あなたは私がどう行動するかを全部読んでいたのよ」
「否定しても信じてはもらえそうにないな」
「ええ。確かに決定的な材料は何もない。兄さんに聞いたところで、あなたの関与をほのめかすようなことは何も言わないでしょうね。でも、私の中では確信に変わってる」
堀北は1年間を通じ少しずつ成長してきている。
それはオレも、そして堀北兄も認めるところにある。
だが兄との
オレよりもずっと付き合いの長い兄貴だからこそ、堀北の持つ潜在能力の高さには気がついていたはずだ。だからこそ、兄を追い続けるだけの妹に
「
「圧迫面接を受けてる気分だからな」
「まぁいいわ。あなたの態度からはやっぱり崩せないことが分かったし」
そう言って話を切り上げる。今後は裏から操るのも難しくなっていきそうだな。
「これから質問をするけれど、これは答えなくても自由よ」
オレの視線を
「
「全く
「……いいわ。私は私にできる
「現に今、おまえは立派にやってるよ」
それを先導し勝利に導くための準備。
オレには出来ない部分を率先して行ってくれているのは素直に感謝したい。
「これからも任せる。全部おまえが判断して決めてくれ」
「分かってるわ。でも、司令塔に関するルールの部分だけは、あなたが判断して決めてた方がいいんじゃない?」
「それもおまえがやればいい」
「……あなたは、最後まで私の用意した材料だけで戦うということ?」
「どうせクラスの詳細は分からないしな」
「まったく……それでAクラスに勝てると思っているなら甘い考えよ」
「かもな」
玄関先まで見送られ、オレは堀北の部屋を出た。
「今日はとりあえず、ご
飯を出されるたびに
「そうね、別の手を考えておくわ」
いや、そういうことじゃない。
12
すぐにオレに電話が入り、人気のない場所へと呼び出される。
基本的に孤立している葛城は1人で行動しているため、捕まえやすかったんだろう。
「……それで、俺にどうしろというのだ?
「葛城、協力してもらいたいことがある」
「この時期の相談だ。何のことだと問い返すまでもない」
啓誠が提案しようとしたことを、葛城は先回りして察知する。
「なら話は早い。正式採用される5つの種目が何かを教えてもらいたい。そしてもう1つは、試験中手を抜いてもらいたいんだ」
オレや堀北にも言っていなかったことを、啓誠は口にする。
「そんなことをして、俺に何の見返りがある」
「葛城、俺たちのクラスに歓迎する」
「それは面白い話だな。Aクラスを裏切り、Cクラスに落ちろと?」
鼻で笑うように、啓誠の提案を
「俺たちはいつかAクラスに上がる、それだけの実力はあるんだ」
その時に、この取引が生きてくると啓誠は再度提唱した。
だが、
「いつかAクラスに上がる、か。どのクラスに耳を傾けても同じことを言うだろうな」
「それは……」
「本当に実力があるというのなら、こんな
ぐうの音も出ない葛城からの、
「まぁいい。仮におまえたちが本当にAクラスに上がれるとして、情報と引き換えに今すぐ2000万ポイントを提供してくれるとでも言うのか? いや、それはあり得ないだろうな。もしそんな額を今の時点で俺に用意できるのなら、その前に
そんな大金を持っていないことなど、当然葛城にも分かっている。
「それは……」
「2年後に2000万ポイントを用意するから待っていてくれとでも言うつもりか?」
「……そうだ」
「夢のまた夢のような話だな。おまえたちがAクラスに上がれたとしても、その時に2000万ポイントを用意できる保証はない。契約を交わしたとて、無い
葛城は単なるバカな生徒じゃない。こちらのことは手に取るように分かるだろう。
もしCクラスの総意であったなら、
「必死なのは理解できるが、交渉としての前提すら用意できていない。俺が協力することを快諾してから話し合って許可を得る? そんなことで引き受けると思ったのか」
仲間のクラスを裏切るという
ましてそれが義理堅い男であればあるほど。
「……
「なに?」
「
正攻法では葛城を落とせないと踏んで、啓誠は玉砕覚悟で突っ込んでいく。
「俺はそんな
「最後は惨めだとののしって
「くっ!」
そんな葛城の矛先は同席しているオレの方にも向く。
「何か言うことはあるか、
「いや、葛城の言う通りだ。オレたちに反論できる余地はない」
白旗をあげる仕草を見せると、葛城はすぐにオレから視線を外す。
「幸村、俺は何もおまえを責めたいわけじゃない。だが、裏切らせようと思うなら、それ相応の覚悟を持っていなければダメだということだ」
壁にもたれたまま、どこか視線を
何かを見ているというより、何も見ていない。
「しかし、おまえは1つだけ正しいことを言った」
「……正しいこと?」
既に戦意喪失した啓誠だったが、葛城の言葉に顔をあげる。
「俺が坂柳に対してどうしようもない怒りを覚えているということだ。それは交渉の材料を抜きにしてでも、個人的に動くべき価値のあることではある」
葛城は腕を組んだまま、ジッと啓誠の目を見る。
「ある程度予測はついているかも知れんが、坂柳は誰にも正式な5種目を明かしていない」
予想通り、坂柳の胸の内だけに秘めている状態か。
「俺はそれも気に入らん。今回のようにクラス全体が協力し合う試験でやることじゃない。本来なら仲間で共有し合い、確実に勝つための戦略を採って
5種目が何であるかがリークしないのは最大の強みだが、その分種目に向けた強化練習をすることは
「俺の勝手な予想で良ければ、教えてやらないこともない」
「ほ、本当か!?」
とても葛城を
それだけ
「ここでのことは、絶対に他言しないと約束できるなら……だが」
「も、もちろんだ。後で
それを約束するように、
「それは不要だ。仮に有益な情報だったとしても、おまえたちに2000万を用意することは出来ないだろう」
「なら、何を見返りに求める」
「何もない。強いて言うなら、坂柳の敗北だけだ」
そう言って
「『チェス』『英語テスト』『数学テスト』。この3種目は確実に本命だ。次点で『現代文テスト』や『フラッシュ暗算』か。逆に大人数を必要とする大縄跳びやドッジボールはほぼフェイクと見ていい。俺が知る限り練習も行っていないようだ」
葛城の言ったことが合っているかどうかは、当日にならなければ分からない。
だがこの中で3種目以上本命として食い込んでくれば、間違いないだろう。
「本当に良かったのか? その、見返りなしで」
「言っただろう。交渉の材料を抜きにしても、動くべき価値はあると」
難しいと思っていた葛城からの情報を、思わぬ形で得た啓誠。
その喜びがだんだんと
「や、やったぞ
ガッツポーズを取る啓誠。
「それともう1つ。俺に試験で手を抜いて欲しいという話だったな」
「え、あ、いや。それは無理にとは───」
「ふっ。ここまで交渉しに来ておいて、その情報だけで満足なのか?」
慌てようが面白かったのか、葛城が少しだけ笑った。
「そういうわけじゃないが……」
「中途半端に協力するだけで勝てる相手と思わないことだ。俺が手を抜いて、やっと互角に戦えるくらいだと考えておく方が賢明だろう。しかし、俺がおまえたちに協力できるのは、フラッシュ暗算か、万が一選ばれた時の大縄跳びくらいなものだが」
オレはそう話す葛城に、1つだけ疑問をぶつけることにした。
「坂柳に警戒されてる中で種目に参加させてもらえるのか? 大縄跳びが種目になれば1巡以上はする可能性はある。ただ、結局1人2人が種目の勝敗を左右するフラッシュ暗算で葛城を頼る保証は?」
「Aクラスでフラッシュ暗算を得意としているのは俺ともう1人の
あれだけ反抗していた勢力の
それが
「だが、俺がワザと負けていると坂柳に知られるのは極力避けたい。大縄跳びは偶然に見せかけたミスも出来るが、フラッシュ暗算に関しては簡単な問題は解かせてもらうぞ」
互角を演じながらも
「ただし当日フラッシュ暗算が選ばれたとしても、俺が指名されなかった場合には、運がなかったと思って
それでも破格の情報提供に、不満があるはずもない。
葛城が去って行ったあと、
「早速、このことを
「いや……今回葛城に接触したことは、まだ堀北に言わないほうがいい」
「ど、どうしてだ?」
「
「だとしても、情報を有益に使うべきだろ」
「話すタイミングはオレに一存して欲しい。悪いようにはしない」
少し啓誠は悩んだようだったが、最終的には
黙って葛城に接触したという後ろめたい事実が、そうさせたのだろう。