ようこそ実力至上主義の教室へ 9

〇一之瀬の秘密、神室の秘密



 かんざきはしもとの接触から今日で4日目。金曜日。

 一之瀬に対するうわさは日増しに広がり、今や全校生徒が知っていると言っても過言ではない状態にまで広がりを見せていた。

 だが、一之瀬自身から学校側へは何も申告されていないらしい。

 本人も強く意識した様子はなく、日々を当たり前のように過ごしている。

 嫌がらせのような悪評を流されても、ぜんと対応する一之瀬に対し、一部からは流石さすがとの声も上がり始めていた。やはり噂は噂、全て真っ赤なでっち上げ。うそだったのだ、と。


 人の噂も七十五日。


 一之瀬をおとしいれる策略は不発に終わった。

 沈黙を貫き通したことで乗り切ることに成功した。誰もがそう思い始め、学年末試験へと気持ちをシフト、本腰を入れ始めていた。

 そんな時期に、再び噂に火をつける出来事が起こることになる。

 それは金曜日の放課後。

 寮に戻ってきたオレは、ロビーに出来た人だかりを目撃することになった。

 帰宅部が寮に戻ってくるタイミングでの、以前どこかで見たような光景。

「デジャヴ、だな」

 しかも面白いことに、あの時と同じような位置にかつらが立っていた。前回と違うのはそばひこも立っていることくらいだろうか。他に話しかけられそうな相手もいなかったので葛城に近づき声をかけることにした。

「何か騒動でも起きたのか?」

「ああ。ポストに手紙がとうかんされていたらしい。前に起こった事件とるいしている」

 葛城は不服そうに腕を組み、嘆くようにつぶやいた。

「おまえのところにも入ってるんじゃないか? あやの小路こうじ

 弥彦にそう催促され、軽くうなずく。

「一応確認してみる」

 オレは自らのポストの前に行き、ダイヤルを回して中を確認する。

 するとご丁寧に、以前と同じ四つ折の形式で『紙』が仕込まれていた。

 これが以前と同じであるならば印字物、つまり『プリント』ということになる。

 本来、この四つ折状態では『手紙』か『プリント』かを見分ける方法は無い。

 ゆっくりと紙を開いた。


いちなみは犯罪者である』


 そう書かれてあった。

 だが、今回は以前のように差出人の名前が入っているわけではなかった。

 あくまでも1行だけ。

 フォントもありきたりなもので、非常にシンプルな作りになっていた。コンビニを使って印刷したとは思えないため、恐らく購入した印刷機を使ったのだろう。

 沈静化しかけたうわさを、思い出させるような一文。

 しかも今回はこれまでとは異なり『犯罪者』と言い切っている。

 何を犯したか、という点には一切触れていないが……。

「一之瀬もあきれていることだろうな、この悪戯いたずらには」

「けど、ここまであからさまな表現で書くと、色々不都合が起こりそうなものですよね。二度も三度も悪意のある行動をして、支障は出ないんでしょうか」

 ひこが手紙の存在は悪手ではないのか、とかつらに問う。

「確かに、以前とは状況が全く異なる。あの時は一之瀬が不正にポイントをめた可能性があるという告発でしかなかった。不正行為ではなかったものの、大量ポイントの保持を学校側も認めたため、異例の発表を行ったほどだからな。しかし、今回は明らかに一之瀬をおとしいれるだけの内容だ。学校に報告し対処を求めれば、とうかん者を特定させられる可能性はある」

「バカですよねー」

「いや、そうとは言い切れない」

「そうなん、ですか?」

「そんな単純なことが分からない人間でもないだろう、あいつは」

「え……もしかして噂を流した人間が誰か、葛城さんは分かってるんですか?」

「あくまでも目星に過ぎないがな」

 さかやなぎはオレに対して予告こそしていたが表面上は事実を認めていない。はしもとが単独で工作を行っている可能性、あるいは2年や3年の指示を受けて動いただけの可能性。今回の噂の出所は全く異なる場所からだった、ということだってあるのだ。

 しかし葛城が出所に対して心当たりがあると言った。

 そうなると、やはり本命の坂柳が浮上するか。

「学校が動くかどうか。それはこの件の中心となっている一之瀬の対応次第だろう」

 プリントを投函した人間は、噂を流された時同様、一之瀬が学校側に一切訴えないことを確信している。何をしても沈黙を続けると踏んでいるということを。

 一之瀬が噂や手紙に対してアクションを起こさなければ、学校が動くはずもない。

 そんな中、一之瀬が帰宅してきた。というよりもBクラスの仲間から連絡を受けて、きゆうきよ寮に戻ってきた、そんな様子だった。

 そしてすぐ、友人からプリントを渡され目を通す。

 オレやかつら、この場にいる10人ほどの生徒がいちを見つめる。

「…………」

 一之瀬は言葉を発することもせず、ただただ、ジッとプリントを見下ろしていた。

 脳内で読み上げるのに、1秒ほどしか要しない1行。

 それを何十秒もかけて、繰り返し読んでいるのが視線から伝わってきた。

「……これがポストに?」

「うん……ひどいことするよね。多分1年全員に……」

 Bクラスの女子、あみくらが一之瀬を抱きしめるように近づいてきた。

「ねえ、もう我慢する必要ないよ。先生に相談しよう? こんなの許せないよ」

「そうだよ。先生たちなら、きっと犯人を見つけてくれるよ!」

 これまでは目に見えないうわさが相手だったが、今回は違う。物的な証拠となりうるものが出てきた。誰かが悪意をもつて一之瀬を攻撃しているという明確な証拠だ。

「大丈夫。私、これくらいのこと気にしないから」

「だ、ダメだよ。これじゃなみちゃん、どんどん悪い噂広まっちゃう」

 クラスメイトが必死に一之瀬を説得しようとするのも、無理はない。

 仮に10人のうち9人が噂を信じなくても、1人が信じればそれは大事だ。一之瀬帆波という生徒へのイメージは、ゆっくりと暗転していくことになる。

 沈黙を貫くことに迷いのない一之瀬だが、周囲は違う。

 何とかして一之瀬を助けようとする。けつぺきだと証明させれば、相手への制裁にもつながるだろう。しかし、それが一之瀬を追い込んでいく。

「皆ごめんね、私のことで変に気を使わせちゃって。でも、本当に気にしないで」

 そう言って、Bクラスの女子たちに笑顔を向けた。

 この紙が仕掛けられたのは、ほぼ間違いなく深夜。誰もが寝静まった夜中だろう。朝、ポストをチェックする生徒はかなり限られているため発覚は帰宅する放課後になる。

 あとは誰かが見つけて、一之瀬の耳に入るのを待つだけ。

 どうようするBクラスの様子を、注意深く見ている女子がいた。

 葛城は、その女子を鋭い眼光でにらみつけるように見た。

 1年Aクラスのむろすみさかやなぎそばについて回る女子だが、今日は一人のようだ。

「神室がどうかしたのか?」

「いや……なんでもない」

 葛城は答えず、プリントを傍のゴミ箱へと捨て、エレベーターのボタンを押した。既に1階に待機していたエレベーターに乗り込んだ葛城とひこは、最後まで険しい顔のままだった。そのエレベーターが上がっていくのを見て、オレも部屋に戻ることを決める。


    1


 オレの部屋は寮の4階、401号室。

 エレベーターに乗るとむろも同時に乗り込んできた。

「何階だ?」

 操作盤の前に立っていたオレがそう聞くも、答える様子はないため黙って閉じる。

 静かに動き出すエレベーターは、瞬く間に4階へ着いた。

 オレがエレベーターから降りると、それに続くようにして神室も降りる。

 単なる偶然。男子の誰かを訪ねに来た。

 なんてことはないだろう。

「オレに何か用か?」

 一応部屋の前まで(と言ってもすぐだが)歩いてから、神室に声をかけた。

「話があるんだけど」

「出来れば、もっと早く言ってもらいたいもんだ」

「何、予定ある?」

「いや。立ち話じゃ困るか?」

「私冷え性だから。良かったら入れてくれない?」

 良かったら、と言うが、もはやそれは入れろという半ば脅しでもある。

「いいけどな……」

 鍵を開け、部屋の中へ。

 神室は一切表情を変えず、真顔で室内を見渡した。

「色の無い部屋」

「強引に上がりこんでおいて、最初の一声がそれか」

「どこが強引? ちゃんと許可取ったでしょ」

 そう言って、神室はオレのベッドへと腰を下ろした。

「その許可の取り方が……まぁいい。で?」

「何か飲み物出して。少し長話になるし」

 何とも、ずうずうしいヤツ。

「じゃあお茶かコーヒーをれる」

「ココアはないの?」

「……ある」

「じゃあ、ココアで」

 2択を用意してやったのに、まさか自分から第3の選択肢を要求してくるとは。

「それで話ってなんだ。寒いならロビーでも良かっただろ」

 ロビーは暖房も効いているため、問題なく話が出来たはずだ。

 ココアを準備しながら、神室に話を振る。

「ここなら誰の邪魔も入らないだろうし、話をするにはベストでしょ」

「どんな話なんだか」

 正直、興味もないし聞きたくもない。

「もしかして警戒してる?」

「警戒しないほうがおかしいだろ。親しくもない女子、しかも敵であるAクラスの生徒が部屋に上がりこんできたんだ」

「あんたのとこのやまうちとは違うわけだ」

 こちらを見ながら、むろはそう言った。試すように。

「気になる?」

「全く」

「そう。じゃあそっちの件は触れないようにしておく。どうでもいいしね」

 携帯による盗聴、あるいはボイスレコーダー。その手の道具を隠し持っている可能性もあるが、神室の場合はやや特殊な立ち位置にある。さかやなぎがオレのことを知っている以上、その点において言葉を選ぶ必要は無いだろう。

 必要なら、ヤツはいつでもオレに対して仕掛けることが出来る。現状それを実行していないのは、坂柳自身が、オレが目立ってしまうことを嫌っているからだ。

「さっきのいちの手紙。どう思った?」

「どうとは?」

「そのままよ。犯罪者だって話、信じる?」

「さあ。それにも興味がないからな」

「興味がなくても考えるくらいするでしょ。いちが善人なのか悪人なのか」

「犯罪者だからって悪人とは言えないし、犯罪者じゃないから善人だとは言えない」

 そもそも、善か悪かなど、あいまいな定義だ。見る視点や立場、関係で大きく異なる。

「…………」

 むろは面白く無さそうにオレを見つめる。

 それから、何も話を進めようとしない。

 ここで会話の本質を避け続けても話は前に進まないんだろうな。

「どこかの誰かが流したうわさがあるだろ」

「そうね。どこかの誰かが流した噂は耳にしてる」

「オレの予想じゃ、あの噂の中の1つ以上に、真実もしくは事実に近い何かが含まれていると思ってる。だから一之瀬は、噂やプリントを受け取っても反撃しようとしない。反撃すれば、その隠しておきたい真実がていするからだ」

「無視し続ければ、疑惑のままで済むってわけね」

「ああ。だが、これは解決にはならない。結局隠したい事実を知っている人間が噂を流しているのだとしたら、認めずともいずれもっと具体的なことを書かれる。そうなった時にはしきれない可能性が高い」

 お湯が沸き、カップにお湯を注ぐ。

 そしてココアの入ったカップをテーブルに置いた。神室は、すぐには飲もうとしない。

「飲まないのか?」

「猫舌だから」

 どこまで本当なんだかな。

「あんたの予想通り。今、一之瀬は隠したい事実を知る生徒に狙われてる」

「なんでそんなことがおまえに分かるんだ」

「分かってるでしょ。さかやなぎはあんたの前では言ってたんだから」

 もちろん、そのことは覚えている。

 しかし神室自ら、それをオレに教えてくるとは。

 これも坂柳の戦略のひとつか?

「言っとくけど、今私がここであんたに、この話をしていることを坂柳は知らない。多分知ったら怒るでしょうね」

「つまり、坂柳を裏切ってると?」

「そういうこと」

「悪いが信じられないな」

「でしょうね。だから、一之瀬が隠してる事実をあんたに教える。多分明日か明後日あさつてには、その事実を他の生徒も知ることになるでしょうから」

 それで、むろの言っていたことが本当だったと証明される、か。

「だけどその前に。どうして私がさかやなぎにこき使われてるか。その話からする必要があるわね」

「身の上話、か」

「興味ないのは分かってるけど聞きなさいよ」

 興味がなくて構わないのなら、聞くだけ聞くとしよう。

 そうしない限り、帰ってはくれないだろうからな。


    2


 私が坂柳に声をかけられたのは、入学式が終わって、1週間った頃だった。

 寮に戻る途中にあるコンビニに立ち寄り、所用を済ませて店を出た直後だ。


「待ってください」

 コンビニを出て、寮へと向かう途中の私をクラスメイトの女子が引き止めた。

「何か用?」

「入学して間もないですし、少しお話がしたいなと思いまして。神室さん」

「私の名前、覚えてたんだ」

「クラスメイトの名前と顔くらいは、覚えさせていただきました」

 そう言って歩く女子の歩みは遅い。

 片手に握られたつえが、彼女の足が悪いことを表している。

 名前は確か───坂柳あり、だっけ。ハンデを持つ彼女は目立つから、クラスメイトを覚えるつもりのない私も、何となく名前を記憶していた。

「一緒に帰っても構いませんか?」

 普通なら断る。だけど、足の悪さは直接の関係はないものの、断りにくい空気が流れる。

「勝手にすれば」

「ありがとうございます」

 うれしそうに笑うと、彼女はやや歩みを速めるように隣に並んだ。

「無理して転んでも助けないから」

「大丈夫です。杖との付き合いも長いですので」

 そうは言うが、歩みはけして速くない。

「はあ……」

 重いため息をわざとついてやったのに、坂柳は気にした素振りも見せなかった。

 見かけは細いくせに、心は図太いらしい。

「ところで───先ほどはコンビニで何を?」

「何をって?」

「見たところ何も買われていないようでしたので」

「別にいいでしょ。欲しいものがないことだってある」

 話を切り上げようとした私の腕を、さかやなぎつかんできた。


「万引きしましたよね」


 私の目を見ながら、坂柳はそう言った。

 まるで面白いおもちゃを見つけた、そんな輝いた目をしていた。

「何度か下見に行ってカメラの位置はあくしていたと思われますが、学校では初めてですか? それとも今回で何回目か?」

「私が盗んだって確信があるわけ?」

「ええ。あなたは私を気にも留めていなかったようですが、確信しています。そうでなければ万引きしましたよね?なんて言いませんよ」

「そうね。確かにそう」

 その現場を見たからこそ、坂柳は私に声をかけてきた。

「盗んだとしたら、何だって言うの? 学校にチクる?」

「そうですね。報告するのは簡単ですが、その前に聞かせてください」

「は?」

 私のしかめっ面に気づいたのか気づかないのか、坂柳は続ける。

「あなたの手際は見事でした。何より驚いたのは、その冷静さです。普通はガムやあめのように安いものだけでも購入して罪悪感を減らしたりするものです。しかしあなたにはそんな素振りは一切見受けられなかった。それは、こういった万引き行為があなたの中で日常化してしまっている証拠でもあります」

 坂柳の言っていることは当たっていた。行動一つで、何度も繰り返してきたことだと見抜かれた。だけど、それがどうしたというのか。

 長々と話をするつもりはない。

 どれだけ手際が良かろうと、見つかった事実は取り消せない。

「好きにして」

 かばんの中に手を入れ、コンビニから盗み出したアルコールの缶を取り出した。

 通常20歳に満たない人間には買うことが許されないもの。

 校内で生活する教員向けに置かれてあるものだ。

「さっさと連絡しなさいよ」

 そう言ったのだが、坂柳は全く関係ないことを口にした。

「アルコールを常飲されるんです?」

「は? ……しない。別にお酒に興味なんてないし」

「つまりあなたにとって万引きとは、日々の生活を楽にするための行動ではなく、あくまでもその罪の意識、そしてスリルを味わうための行動でしかない、ということですね」

 勝手に分析を続ける。

「あんたが冷静に分析できるのは分かったから、さっさと学校側に突き出せば?」

「よろしいのですか? 万引きともなれば、停学は免れないでしょうね」

「だから?」

「入学して、まだ1週間。これから楽しいことも楽しくないことも沢山ありますよ?」

「あんたが連絡しないなら、私からする」

 携帯を取り出そうとすると、その手を止められた。

「気に入りました、むろすみさん。あなたには私の最初のお友達になってもらいます」

 そう言って、携帯をうよう促した。

「何言ってんの」

「あなたの秘密を守る代わりに、色々と私に協力してください」

「それ、友達って言わない」

「そうですか?」

「それに、素直に従うと思ってるわけ?」

「確かにあなたは、学校側に申告されてもダメージは少なそうです。しかし、それでも神室真澄という人間が万引きをする存在である、ということは露見してしまいます。そうなれば今後、万引きを行う際にも問題が生じるのではありませんか?」

「万引きを見逃すどころか、もっとやってもいいって?」

「どうされるかはあなたの自由です。その部分に私が関与することはありません。そもそも道徳的にあなたに犯罪行為はダメだと訴えたところで、心に響かせることができるはずも無い。違いますか?」

「それは、まぁね……」

「ですが───私についてくれば退屈はしないと思いますよ。万引きすることでしか満たされないあなたの心を、別のモノで埋めることはできるかも知れません」


 それが、私とさかやなぎありとの出会い。


    3


「───あー疲れた。こんなに口を動かしたのは久しぶり」

 話し終えたむろは、当初と変わらない目でオレを見上げる。

「つまり私は万引きの常習犯」

「最近は?」

「万引きする暇もないくらい、坂柳のヤツにこき使われてる」

 本位ではない、そう言いながらも満更でもないようだ。

 神室は、恐らく今まで誰にも必要とされていなかった。そこに闇を抱えていた。

 だが坂柳が必要としてくれることで、罪を犯さずに済んでいるということだ。

 坂柳はく利用したな。神室に万引きを繰り返されれば、いずれ足がつく。

 敷地外ならいざ知らず、ここは限定された学校のテリトリー。

 在庫が合わない現象が続けば、すぐに事実にたどり着く。

 そうなればAクラスが受けるダメージも大きくなることは明白だ。

「合宿で坂柳が言ってたな。おまえの秘密といちの秘密は同じだと」

 つまり、これらの話が全て本当であるとするなら一之瀬は万引きの経験がある、ということになる。

「そういうことね」

「だが、過去を赤裸々に話してまでオレに何を求めてるんだ」

 場合によっては過去にさかのぼって、調べさせることも不可能じゃない。

 そうなれば不利益を被るのは神室だけだ。

「私は別に、坂柳も一之瀬も好きじゃない。でも、一之瀬が万引きをしてるって事実は、正直言って衝撃だった。あんなに人気があって、何もかも満たされてるはずなのに、私と同じなんてね」

 自嘲するように神室は笑った。

「坂柳を止めてよ。あんたならそれが出来るんじゃないの」

「つまり、いちを助けろと?」

「そう。このままだと、間違いなく一之瀬はつぶされる。肉体的にじゃなく心がね」

「なるほど」

 むろの話が本当かどうかを確かめるのは困難で実証が難しい。

 在庫がくたなおろし価額から導き出せるロス金額を出したとしても、ロスの原因が何であるかを特定するのは難しい。店員の処理ミスであることだってあるだろう。入学当初に万引きをしたと言っても、露骨に同じ商品を繰り返し狙ったわけでもなく、一度きりの行動。

 かといって監視カメラを見せてくれと頼み込むことも不可能だ。

 唯一取れる対策があるとすれば、神室の万引き事実を学校側及びコンビニ側にリークすることだが、真実でもうそでもオレ個人にはデメリットが多すぎる。

 仮に話が全て真実だとしても、神室の言葉を素直に受け止める気にはなれない。

 さかやなぎに対して不満を抱えていることは事実だろうが、裏切ってまで謎の多いオレに助けを求めてくるというのはやや動機に欠ける。

 なら、この一連の流れは何のために行われたのか。

 現実的な路線としては、全て坂柳の考えの下、行われていると考えるべきか。

 オレとの直接対決を実現させるために、一之瀬を利用している……という線。

「私が嘘をついてるって?」

 長考を受けて、神室は自ら沈黙を破った。

「正直、絶対の保証はない話だ」

 もちろん、今の話を聞く限りでは、ほぼ間違いなく事実だと判断できる。

 それでもオレが認めなかったのは神室が坂柳の側近であるからだ。

「……なるほどね。わかった、だったら証明して見せればいい?」

「証明できるのか?」

「多分ね」

 そう言って神室は学生証を取り出し、それをオレに手渡してきた。

「じゃ、鍵は閉めないで待ってて」

 それだけ言うと、部屋を出て行く。

 まさか、今から盗んで来て自分が万引き犯だと証明するつもりか?

 しばらく意味もなく神室の学生証を眺めて待っていると、10分ほどして神室が戻ってきた。そして服の中から、何かを取り出し見せた。

「おいおい……」

 どうやら、予感は的中したようだ。

「ガムとかにしようかと思ったけど、ビール。こっちの方が信用できるでしょ」

 確かに誰でも購入可能なガムなどであれば、あらかじめ購入しておくだけで盗んだフリも可能になる。しかしアルコールとなれば話は別。仮に外で誰かに学生証を借りた、としてもこのアルコール飲料は用意できない。年齢制限のかかった商品を購入することは不可能だからだ。かといって、教師や敷地内で働く社会人を利用することも現実的じゃない。間違いなく盗み出してきた商品。

 オレからの信用を得るために、実行してみせたか。

「分かったでしょ?」

 そう言ってビール缶をおうとするむろに対し、オレは手を伸ばした。

「一応本物か確かめさせてくれ。偽物ってこともある」

「……バカね。こんなものが作れるとでも?」

 一瞬抵抗を見せたように思えた神室だったが、程なくしてオレの手に渡してきた。

 キンキンに冷えたそれは、今まさにコンビニで手に入れて来たと思われるもの。

 ぐるりと缶をゆっくり一周させる。間違いなく本物のアルコール飲料だ。

「必要ならあんたにあげるけど?」

「やめてくれ」

 万が一そんなものが部屋の中から見つかれば、面倒なことが起こる。

 そうよね、と神室はアルコール飲料をオレの手から取り上げると、手元でポンポンと小さく浮かせキャッチを繰り返した。

「とにかく信用してくれた?」

「本物を見せられたんだ、信用しないわけにはいかないだろ」

「それは良かった」

「で、オレなんだ」

「あんた以外、私が声をかけられる人間はこの学校に一人もいない。それくらいわかってるでしょ」

 オレは神室のためにれたココアのコップを手に取る。一口も飲まないことを確信したからだ。既に10分以上口をつけられていないため、ぬるくなってしまっていた。

「オレにメリットがない」

「そうかもね」

 満足したのか、神室は立ち上がる。

「結末がどうなるのか、楽しみにしてる」

 一方的に会話を打ち切り、オレの部屋を出て行こうとする。

「ちょっと待て」

「……何?」

「学生証、忘れてるぞ」

 すっかり忘れていた、と神室は学生証をアルコール飲料を持っていない方の手で受け取った。その後、改めて神室はオレの部屋を後にした。

 にしても、面倒な問題提起をしてくれたもんだ。

 やはりいちに関する問題は放置しておくことが得策か。

「いや……そうとも言い切れないか」

 むしろこの機会を利用するのも手かもしれない。

 オレは学生証と携帯を手に、部屋を後にしてコンビニに向かう。

 その途中、ほりきた兄から電話がかかってきた。

 来客が帰ってやっと落ち着けると思ったが……。

 とは言え意外な人物からの着信。無駄話をするためにかけてきたわけでもないだろう。

「話しておきたいことがいくつかある」

 通話ボタンを押すなり、堀北兄は開口一番そう言った。

「急ぎ、ってことか」

「場合によっては手遅れになりかねない。妹に関してだ」

「……妹に関して?」

 それはまた珍しい。

 余程のことがない限り、堀北兄から妹に関しての話が聞こえてくることはない。

くしきようが、ぐもみやびと接触した」

「へえ」

 驚きを感じると同時に、堀北兄の耳の早さに感心した。

「てっきりあんたの周りは敵だらけだと思ってたんだが、よくそんな情報をつかんだな。誰からその情報を仕入れたんだ?」

きりやまからの情報だ。前回の合宿で、俺と南雲の関係には大きなれつが明確に出来た。この先も間違いなく仕掛けてくるだろう。こちらとしても動かざるを得ない」

 桐山副会長、か。

 オレが考え込むように沈黙すると、堀北兄はこう続けた。

「手放しに信用できないか?」

「オレはあんたほど桐山のことを知らないからな」

「それでいい。おまえは常に疑う側でいろ」

 生徒会長を務めた男として、桐山だろうと南雲だろうと堀北は一定の信用を持って接している。疑わしくとも裏切られるまでは信用を固持する。到底オレには出来ない行為。

「それで?」

「堀北すずを退学にするための助力を願ってきた。ずいぶんと大胆な行動をするものだ」

「なりふり構っていられない事情が出来たんだろ」

 約束した賭けで敗北した櫛田は、今後は妨害しないと言ったはずだ。

 とは言え、それをりちに守るつもりは毛頭ないということ。

 りゆうえんに擦り寄り利用したように、次は南雲に接触した。合宿での南雲の立ち回りを見ていれば、そうなってもおかしなことじゃない。

 もちろん櫛田だって気づいているだろう。そうやって堀北を追い込むごとに、自分自身も追い込んでいることに。だが背に腹は替えられない。そんな覚悟は伝わってくる。正直龍園への接近に対しては時期尚早だったとは思うものの、南雲に擦り寄るのは悪い考えじゃない。1年先輩であれば、卒業していなくなってしまえば事実を知る者はいなくなる。

 ただ、これはぐもが信用できる人間である場合に限ってだ。

「これから、南雲もしくはその近くの人間が、すずに対して手を打つだろう」

「オレに何をしろと? 妹を守ってくれとでも?」

「この先、鈴音が退学することになったとしても、それは自分自身の責任だ。だが、くしはおまえの存在もやつかいだと口にしている」

「なるほど……」

 南雲は大してオレに興味ないだろうが、繰り返し名前が上がれば嫌でも意識する。

 早いうちに連鎖を断たなければ、厄介ごとは次から次に降って来るということだ。

「南雲とはしもとが接触した可能性は?」

、そのようなことを?」

「合宿の序盤と、終盤で橋本の態度にわずかながら変化があった気がした。確信はなかったが、この間会った時に、その変化が気のせいじゃなかったと疑念を深めた。合宿終盤で橋本は誰かにオレのことを聞いた、ということになる」

 オレのことを知りながら、橋本にそんな話をする生徒がいるとしたら極めて限られる。

「読み通りだ。合宿中、南雲は橋本におまえについて話をしていた。とは言え、恐らくまだ橋本もおまえが鈴音を操っていた生徒だという答えには至っていない」

「なるほどな」

 それで、真相を確かめるために色々と嗅ぎまわっているということか。

「あえて言うほどでもないと思っていたが、不服か?」

「いいや。先に聞いてても、今と状況は変わってない」

 だろうな。とほりきた兄はつぶやく。

 さかやなぎ陣営の生徒なら、オレに対して不信感を抱いたところでさいなことだ。

 どれだけ探られようとも、オレが何もしなければ何も出てこない。あるいは対策を講じたところで坂柳が話してしまえばそれまで。りゆうえんや南雲よりよっぽど楽だ。

 ただ、全ての基点に南雲がいる点を静観するのはやや問題か。

「情報は渡した。その上でどうするかはおまえが判断しろ」

「そうするさ」

 通話が切れる。

 この学校では、こういった情報がモノを言う部分は少なくない。常に誰かが誰かをおとしいれようと、日々策略に動いている。そういう意味では、オレが抱えている情報源の1つ、堀北兄は役に立つ。南雲ほどの器用さ、そして広範囲に及ぶ情報網はないが、信用度や正確さという意味でははるかに高い。

 ともかく降りかかる火の粉、それをいち早くするには先手先手が必要になってくるだろう。

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