ようこそ実力至上主義の教室へ 9

〇変わらないつもり



 木曜日の夕方。オレは帰宅中のいちの背中を見つけた。

 いつも男女問わず沢山の生徒に囲まれていることの多い一之瀬だが、今日は珍しく一人らしい。どことなくがないように感じる。友達が周囲にいないのは偶然というよりも、自ら遠ざけたのではないだろうか。今、学年の中でも一番注目を浴びている人物。

 下手に自分のうわさに巻き込まれると、二次災害の被害を受けかねない。

 一之瀬ならそう判断してもおかしくない。先日のかんざきはしもとの話を思い出す。

 少し声をかけてみるか? そう思ったのだが……。

 オレは背中に気配を感じて、行動を中止することを決めた。

 携帯を取り出し、カメラモードを起動。

 背面のレンズからの映像を、画面側についたカメラのものへと切り替える。

 そしてさりげなく背後の様子をうかがう。同じように1年の寮に帰る生徒が2人。

 そのうちの一人は、橋本だった。

 普通に歩いているだけだが、先日のことといい偶然とは思いがたい。

 オレの後を追っている、か?

 だが、それを確認する間もなく、もう一人の生徒がオレへと近づいてきた。

 その生徒は迷わずオレへと接近している。

 即座にカメラを終了させ、携帯をポケットにう。

「あ、あのあやの小路こうじくん。ちょっと時間いいかな……?」

 背後から声をかけてきた生徒。それはクラスメイトのワン美雨メイユイだった。

 呼びづらいため『みーちゃん』とするが、頭の中でそう呼ぶだけでも少しテレ臭い。

「これから……ちょっとだけ時間をもらえないかな? 少し相談したいことがあって」

 オレに相談? これまで彼女とはほとんど接点がない。

 こうして面と向かって話しかけられたことも、ほぼ初めてと言っていい。

 みーちゃんの他に誰かがいる、というわけでもなさそうだが……。

 いちはこちらに気づくこともなく遠ざかっていく。

 今から小走りに追いかけて話しかけるというのも、変な話だ。

「ごめん、忙しかったかな……」

「いや、帰るだけだったからな。大丈夫だ」

 そう言うと、みーちゃんは少しうれしそうにホッと息を吐いた。

 みーちゃんと話している間に、はしもとはオレとすれ違い寮へと戻っていった。

 視線を向けてくることもなければ、声をかけてくることもなかったが。

「それで───オレに相談って?」

「ここだと、ちょっと」

 辺りを見渡して、もじもじしている。道すがらで話すような内容ではないらしい。

「そうか」

 寮は近いが、オレの部屋に来るか?とは流石さすがに言えない。

 かといってオレがみーちゃんの部屋に行くなどという選択肢は更にないだろう。

「どうする?」

 こちらからではなく、みーちゃん側に場所の選択権をゆだねることにした。

 少しだけ考えた後みーちゃんが提案する。

「カフェ……でもいいかな? 帰るの遅くなっちゃうけど」

 本人がカフェを希望しているのなら、こっちから断る理由は特にない。

 遅くなると言っても徒歩で5分10分の違い。大した問題じゃない。みーちゃんの提案通りオレはケヤキモールのカフェへと、場所を移すことに。とは言っても、慣れない二人。くっつくように歩くというよりは、やや距離を置いての移動となった。


    1


 いつ来ても人気のカフェは今日もはんじようしていた。

 普通の高校生、という常識がやや欠落しているオレでも、今ならその理由は分かる。

 ここは世間でいう超メジャーな企業が出店している、ちまたでも特に女子に大人気のカフェ。一杯当たりの値段も高校生にすれば高く、いつでも飲めるようなものじゃない。アルバイトをしていない普通の高校生なら月に数回訪れるのが精一杯。しかし、この学校の生徒たちにはクラスポイントに応じたお金が支給されるため、余程苦しい状況でもない限り、多くの生徒は好きなだけカフェを楽しむことが出来る。

 そうなれば、連日にぎわうのも必然というものだ。

 ただ、席が取れないほどではなかったので、2人向き合って座ることに。一度も視線を合わせようとせず、みーちゃんは注文した手元のカップの一点を見つめる。あいとタイプが似ているんだろう。下手にこちらからプレッシャーを与えると余計に口が堅くなる恐れがある。こちらからは切り出さず、みーちゃんの反応を待つことにした。

 その間オレは、砂糖を取ってくると言ってカウンターへ。

 そこでシュガースティックを1本もらう。

 視線を泳がせず、カフェにはしもとが来ていることを確認する。

 急にコーヒーが飲みたくなった、というわけでもないだろう。

 間違いなく、橋本はオレの後をつけている。

 さかやなぎから送り込まれた監視役? いや、それはしっくり来ない。坂柳は現状オレの存在を広めることを嫌っている節がある。やるにしても手足のように使っているむろをその役割にするだけで十分のはずだ。橋本がどういう人間かを坂柳がつかんでいるのなら、こういったケースの利用に向かないことは分かっていそうなもの。

 下手に橋本にオレの情報を与え、それが第三者に漏れ広がるのを嫌がるだろう。

 なら、独断でオレの後をつけている?

 合宿で、オレは橋本がいるところで余計なことをした覚えはない。

 単なるグループの仲間の一人でしかなかったはずだ。りゆうえんいしざきやアルベルト、それにぶき。可能性のある人物を頭に浮かべては消していく。

 まあ……今考えたところで結論は出せないか。

 ただし近々、どうにかしなければならない問題にはなりそうだ。

 ひとまず、無視してみーちゃんとの話を進めるのが先決だろう。

 それから1分ほどして、席に戻った直後、みーちゃんが沈黙を破る。

「あのね……その、ひらくんのことに関してなの」

 平田に関して、か。

「色々教えてほしくて……」

「特別親しいってわけじゃないぞ、オレと平田は」

 予防線を張るようにすぐそう答えたが、みーちゃんは意外そうな顔を見せる。

「でも、平田くんはあやの小路こうじくんが一番頼れるってアドバイスしてくれたよ?」

「……そうなのか」

「うん。クラスの中で一番しっかりしてるって。すごく褒めてた」

 平田に褒められたことは素直にうれしいが、こうやって話が広がっていくと面倒なことになりそうだ。ただひらがオレを名指しするのも、分からなくはない。

 頼れる生徒は沢山いるが、ことCクラスに限っては複雑なところだろう。

 男子に限定すれば、平田の次に白羽の矢が立ってもおかしくはない。

 しかし平田の件か。

 との会話から照らし合わせると、何となく想像がつく。

「最近、平田くんとかるざわさんが、その……別れたって話、知ってるよね?」

流石さすがにな」

 それがどうしたのか? と推察していない風を装う。

「そ、その、えっと……」

 何度か話すのを躊躇ためらった後、ついに本題を口にする。

「……ひ、平田くんって今、好きな人いるのかなっ?」

 そう、聞かれた。この場合はなんと答えるのが正解だろう。

 そんなことを一瞬思ったものの、素直に答えるのが一番だとすぐ判断する。

「いないんじゃないか?」

「ほ、ほんとに?」

「もちろん絶対とは言い切れないが、知る限りはいない。そもそも軽井沢に振られたばかりで、誰かを好きになるには早すぎるだろうしな」

 それは確かに、とみーちゃんもどうを落ち着けながら言う。

「ひとつだけ、興味本位で聞いてもいいか?」

「う、うん」

「いつからその、ひらのことが好きになったんだ?」

「えええええ~~~~~~っ」

 何か変なことを聞いただろうか。みーちゃんは顔を真っ赤にして、慌てた。

「そそそ、そんなこと聞いちゃう?」

「いや、答えられないことなら無理に答えなくても───」

「───入学式の後にね?」

 話すのか。

「私、ちょっとドジなところがあって……」

 平田との出会い、そしてそれが恋に落ちるキッカケ。

 それをみーちゃんは赤裸々に語った。

「……って感じ、かな。です」

「そうか」

 様々あれど、ひとつ確かなこと。それは平田の優しさにかれた、ということだ。

「でも───」

 平田との出会いを語り、ほおを赤らめていたみーちゃんだが、すぐに現実に引き戻されたように表情がくもっていく。

「私は……私なんかが、平田くんの彼女になれるわけ無いんだよね……」

「どうして」

 そう言い切れるのか、不思議に思い聞き返す。

「だって、ライバルが多すぎるよ……それに、恋愛とか、したことないし……」

 好きな思いはあふれていても、実行に移す勇気はないらしい。

 恋愛経験の有無がハンデにつながるとはあまり考えたくないが、全く影響がないかと言われればそうとも言い切れない。

「えーっとみーちゃんは……って、みーちゃんって呼ぶのは流石さすがに悪いか」

「ううん、全然大丈夫。皆そう呼んでくれてるし。私の両親はどちらも中国人なんだけど、日本でのあだ名を気に入ってくれて、みーちゃんって呼んでくれてるんだ」

 つまり、ハーフではないということか。

「留学でこっちに?」

「えっと、私が中学1年生になるときに、お父さんが仕事で日本に来ることになって」

 それで家族で日本へと引っ越してきたのか。

「不自由はなかったか? 言葉の壁とか」

「最初は大変だったけどね。言葉よりも、友達が出来るかが心配で……だけど、私が入学した中学には英語が得意な人も沢山いたからく打ち解けられたの」

 そういえば、みーちゃんは英語が得意だった記憶がある。

 英語でコミュニケーションをとりながら、中学の3年間で日本語を完璧にマスターしたようだ。中国人は日本人よりもはるかに厳しい競争社会の中で学業にはげむと聞く。

 恐らくみーちゃんも、そんなレベルの高い学習を受けてきたからこそ、スムーズに日本へと溶け込めたのだろう。

 あとは、あいと同じようにコミュニケーション能力を高めていくだけだ。

「私でもチャンス、あるかな……」

「無責任なことは言えないが、十分あるんじゃないか?」

「本当?」

うそは言ってない。ただ……」

「た、ただ?」

 不安にさせるようだが、難しい問題点も伝えておく必要はあるだろう。

ひらいヤツだろ?」

「うんっ」

「だからこそ、もしかしたら次に付き合う時には慎重になるんじゃないか? あいつのことだ、かるざわを幸せに出来なかった、とか責任を感じてるかも知れないしな」

 なるほど……とみーちゃんはうなずく。

「そうだね。私も、すぐに告白……なんて出来ないと思うし」

「ライバルが気になるかも知れないが、あせって告白しても断られる可能性が高そうだ」

 ゆっくり、どっしり構えていればいいとアドバイスを送る。

 もちろん本当にそうであるかなど、平田に聞かなければ分からないこと。

 しかし、平田が不用意に女子と付き合うビジョンは今のところ見えない。

 恐らく告白してくる女子の大半とは、付き合う選択肢を選ばないだろう。

 そういう意味じゃ、ゆっくり攻めた方が勝機もある。

「……私ね、ちょっとあやの小路こうじくんのこと誤解してたかも」

「誤解?」

「ほら、普段あまりしやべらないって言うか、無口だから……。怖いイメージみたいなのがあったんだ。でもこうやって面と向かい合って話してみると、すごく話しやすいって言うか、ああ本気で私の話聞いてくれてるんだなって感じて……」

 どうやら褒められているらしい。

 ただ、本気で聞いているというより無意識の内に会話を分析しているだけ。その情報が自分にとって後々有益か無益か、利用できるか利用できないかを精査しているに過ぎないのだが。受け取り手がそう感じているのなら、こっちとしては好都合だ。

 もう少し踏み込んでおくか? 今なら色々と聞き出せるチャンスもありそうだ。

「あら? みーちゃんと……綾小路くんじゃないですか」

 やっと重い口を開かせ、これから色々と聞き出せそうと思ったところへ、1年Dクラスのしいひよりが現れた。オレは開きかけた口を閉じる。

「ひよりちゃん。こんにちはっ」

 ひよりちゃん、みーちゃんという互いの呼び方から、二人はそれなりに親しい関係らしい。

「もしかしてお二人は、デートというヤツでしょうか?」

「ちち、違う、違うよひよりちゃんっ」

 慌てて立ち上がって、全身全霊、身振り手振りで否定するみーちゃん。

 そこまでじように否定されると、何となく傷つく。

「では私もお邪魔して、よろしいですか?」

「もちろんだよっ。……いいかな?」

「ああ」

「ありがとうございます」

 うれしそうにひよりは微笑ほほえみ、みーちゃんのそばの椅子へと腰をおろした。

「珍しい組み合わせのように思えますが、どんなお話をされていたんです?」

「え、えぇっとぉ……」

 好きな人に関して、とはみーちゃんも答えづらいようだ。

「中国に興味があって、少し話を聞いていた」

「中国に……ですか?」

「ああ。一度行ってみたい国の一つで、中国人のみーちゃんに話を聞いていたんだ」

 そうだよな?とみーちゃんに視線を送る。慌てて二度、三度とうなずいた。

「いいですよね、中国。私もばんちようじようとかすごく興味あります」

 両手を合わせて笑顔を見せるひより。

 どうやら思いのほか食いついてくる話題だったようだ。

「中国と言えば外せないスポットだろうな。けど、個人的にはへいようじように行ってみたい」

「平遥古城、ですか」

 聞き覚えがなかったのか、初耳のひより。

 一方でみーちゃんはオレが知っていたことに目を丸くする。

「世界遺産だけど、よく知ってるね……」

「聞きかじった知識だけどな」

「ところで二人は……友達なの?」

 オレとひよりが自然と話していたのを見て、みーちゃんが聞いてきた。

「はいっ。読書友達です」

「まぁ、間違ってはないな」

「読書友達……?」

 よく分からない、とみーちゃんは不思議そうな顔をした。

 だがその後、すぐ前向きな考えに変わったようだ。

「クラスを越えて友達が出来るのっていいよねっ」

 と、そう言った。

 恐らく合宿以前までは、クラスメイト以外に友達がいなかったのだろう。

「私もそう思います。敵対しあうだけが、学校生活ではありませんし」

 基本的に他人と争うことが課されている高度育成高等学校。

 多くの生徒はクラスメイト以外、つまり他クラスの生徒をライバル視する傾向が強い。

 しかしこの時期に来て、クラスを越えて打ち解けだす生徒も増え始めた。

 学校側にも、ある程度その狙いが見え隠れしている。

 そうでなければ、あの合宿のようなルールにはならない。ただ、後でこれがマイナスになる、ということも無いとは言い切れない。強制的にいがみ合う関係に持っていかれたとき、中途半端な友情が、かえって逆効果を生んでしまうこともある。


    2


「今日はありがとう、あやの小路こうじくん」

「いや、お礼を言うのはオレのほうだろ。一方的に中国の話を聞いたんだから」

「あ、そ、そっか。そうだね」

 思わずお礼を言ってしまい、みーちゃんは恥ずかしそうにほおを人差し指でかいた。

「オレはちょっとポスト見てから上がる」

 エレベーターに乗り込んでいくみーちゃんとひよりにそう言って、背を向けた。

 オレは週に1、2回ポストの中身を確認する。

 もちろん他の生徒も似たようなひんだろう。

 主にポストに届くものは学校からが多いが、個人同士のやり取りで荷物が届くこともある。あるいは学校を経由した通販などだ。

 もっとも、オレが確認したいのはそれらの一般的なことではない。

「今日もなし、か」

 父親がこの学校を訪ねてきて以来、定期的に郵便物をチェックしている。

 何かしらの接触をしてきても、おかしくない時期だからだ。

 特に何もなくエレベーター前まで戻ってくると、ひよりがオレを待っていた。

「少しよろしいですか?」

「ああ」

 エレベーター前から離れ、ロビーのソファーのそばへ。

「先ほどはみーちゃんの手前、お聞きしなかったことがあるのですが……」

 ちょっとだけ周囲を気にしてから、ひよりが口を開く。

いちさんのこと、何か聞いていますか?」

「と言うと? 妙なうわさのことなら一応知ってる」

「そのことです。あれはどなたが言いふらしたことなのか、ごぞんですか?」

「いや……分からない」

 さかやなぎ、あるいははしもとの名前を出すのは簡単だが、それは避けておく。

「正直、私はいちさんが苦しめられている姿を見るのは嫌なんです。彼女は私のように友達の少ない生徒にも、他と変わらず接してくれます」

 確か、ひよりは先の合宿で一之瀬と同じグループだったか。同じ食事を食べ、同じ場所で眠り、他の生徒たちよりも強いきずなのようなものを感じたのだろう。

あやの小路こうじくん」

 ひよりは、何か秘めた決意の目をしていた。

「本来、私は誰かを傷つけたりすることは好きではありません。ですが、友達を守るためであれば、時には戦う必要があると思っています」

「そうだな。誰も彼も平等に救うなんてことは、できるはずも無い」

「敵同士である一之瀬さんですが、きっと助ける方法があるはずです。その方法は、今はまだ思いつきませんが……協力してもらえないでしょうか」

「協力、か。だったらほりきたにでも相談してみるといい」

 そう言ってオレは、ひよりに堀北を紹介しようと考える。

「堀北さん、ですか」

 しかしひよりの表情は浮かない。

「もしかしたら、Cクラスも一之瀬につく、ということになるかも知れない」

 そうなれば3クラスでAクラスを包囲する展開も起こりうる。

 しかしひよりは、喜ぶ素振りを見せなかった。

「綾小路くんではダメですか?」

「オレの存在はCクラスへの影響力なんて皆無だぞ」

「そうなのです?」

 不思議そうに首をかしげる。

「女子は堀北。男子はひら。そのどっちかに話をつけてもらうしかない」

「そう、ですか……」

 どこか残念そうにひよりは肩を落とした。

「不満か?」

「いえ……ただ私は堀北さんや平田くんとは、ほとんど面識がありませんし……。綾小路くんとならば、そう思ったんです」

 しゅんと肩を落とす。見るからにショックを受けていた。

「悪いな。どうにも出来ないことはどうにも出来ない」

「いえ……私が勝手に考えて、一方的に話したことですから」

 そう言って、頭を下げる。

「一応オレから、軽く話だけは振っておこうか?」

「そう、ですね。そうしてもらえるでしょうか」

 一度はそう言ったひよりだったが……。

「すみません、やはりまたの機会にしましょう。下手に話が広がれば、その分いちさんにご迷惑をかけてしまう可能性も上がってしまうかも知れません」

「そうだな。そうかも知れない」

 一之瀬に仕掛けている連中が、どんな次の一手を打つかも分からない状態だ。

 下手な刺激は逆効果。一之瀬のうわさを真実へと近づけてしまう恐れもある。


    3


 部屋に戻った後、オレの下にチャットが届く。ほりきたからだった。

『少しいいかしら』

 返事をせず見つめていると、チャットが続けて飛んでくる。

『既読がついているみたいだから、勝手に話を続けさせてもらうわ。今日の夜、一之瀬さんが私の部屋に来る。あなたも来ない?』

 そんな予想外のチャット。

 適当にボーっと眺めているだけのつもりだったが、返事をすることにした。

『どういうけいでそうなったんだ?』

『Bクラスとは同盟があるもの。状況に応じて手を貸すのは当然のことよ。でも、今回の件は全貌が見えなすぎる。だから本人に話を聞こうと思ってる』

 それで、一之瀬に接触し直接会うことを取り付けたわけか。

 結構大胆に動いたもんだな。

 断ることは簡単だ。

 後で堀北に聞けば、どんな話し合いがあったかくらいは語ってくれるだろう。

 とは言え、それで全てが知れるわけじゃない。

 側近であるかんざきすら、一之瀬のことについては知らないことがある様子だった。

 ならオレが直接一之瀬を見て話した方が、より真実に近づけるか。

 問題はここで足を半分踏み入れることでオレも関係者になってしまうこと。

 どうしたものかな。

 少しだけ考えた後、オレは堀北へと一文を送る。

『何時だ?』

『7時よ』

 少し遅めの時間。

 他の生徒の目に触れないようはいりよしたものだろう。

『分かった。向かう直前に連絡する』

 オレは堀北と共に一之瀬に会うことを決めた。


    4


 それから約束の時間まで、オレは部屋でのんびりと過ごした。

 午後7時5分前、そのタイミングで部屋を出た。

 そしてほりきたの部屋へと足を運ぶ。

 すると、ほぼ同時に隣のエレベーターからいちが姿を見せた。

「あっ。こんばんはあやの小路こうじくん」

 オレは軽く手を挙げて一之瀬に答える。

「お邪魔するぞ」

「あはは。お邪魔するのは私もだけどね」

 そう言い、一之瀬主導でチャイムを押すと、すぐに内側の鍵が開けられる。

「どうぞ」

 7時の待ち合わせ。同時に来ても不思議ではないため、堀北は特に何も言わず部屋に招き入れた。

 オレは適当な床に腰を下ろす。

 堀北の部屋は以前訪れたことがあるが、そのときとほど変わった様子はない。オレの部屋と似たり寄ったり、色のない部屋だ。

「平日の夜に呼び出してごめんなさい一之瀬さん」

「私のためにはいりよしてくれたんでしょ? 謝ることじゃないよ」

 こうして対面している限り、いつもの一之瀬だ。

「さてと……遅くなったら明日に響くし、長話をするつもりはないんだけど……。とりあえず、色々不安にさせるうわさが飛びかってるよね」

「ええ。あの噂を広めているのは誰?」

 単刀直入に、堀北が一之瀬に聞く。

 オレにしてみれば、素直に一之瀬が答えるかも気になるところだ。

「絶対の保証は出来ないけど、さかやなぎさんなんじゃないかな」

 そう、思ったよりもずっとハッキリと答えた。

 もしこれが半分以下の確率であれば、一之瀬は特定の人物の名前を口にしなかったんじゃないだろうか。無意味に人を疑うようなをするタイプではないからだ。

 その点から見えてくる事実。

 噂を流される覚えが、少なくとも一之瀬にはあるということだ。

「坂柳さん……。どうしてその可能性が高いと言えるの?」

「分かりやすく言えば、宣戦布告されたから、かな。それだけじゃ納得できない?」

 坂柳が好戦的な性格の持ち主であることは堀北も知るところだろう。

 かつらを蹴落とすために自らのクラスでも対立を深めていた部分から考えても、Bクラスに仕掛けるためにリーダーの一之瀬を狙うことは容易に想像ができる。

「いいえ。それで十分よ」

 ほりきたもオレと同じように考えるからこそ、今以上に深く聞き出そうとはしなかった。

「根も葉もないうわさを彼女に流され、ダメージを負っているというわけね」

「んー……それはどうかな」

「噂を否定しないの?」

「ごめんね堀北さん。その部分に関して、私は答えることが出来ないの。堀北さんやあやの小路こうじくんは友達だけど他クラスの生徒。協力関係にあるとは言っても、いずれは戦う運命にあるわけじゃない?」

 聞けば何でも答えてくれそうないちが、そう言って回答を拒否した。

 だが当然の選択だろう。

「無理に聞き出すつもりはない。でも、沈黙は噂を認める発言と同じと受け取られかねないわよ」

「噂を耳にしてどう受け止めるかは堀北さん、そしてみんなの自由だよ。でも私は今回の件に関して、じように反応するつもりは一切ないの。Bクラスをかき乱すためのさかやなぎさんの戦略。その唯一の攻略法は、沈黙にあると思ってるから」

 一之瀬は笑顔を見せた。いつもと変わらない自然体だった。

 この手の嫌がらせはどこでもにちじようはんに起こっている、100%の解決方法のない状況だ。過剰に反応しようと、あるいは沈黙を続けようと、結局ギャラリーは好きなように騒ぎ立てる。おくそくで物事を進める。だから一之瀬は最初から何も反応せず、時間がつのを待つ選択肢を選んだ。

「私が今日、堀北さんに会ってこの話をしようと思ったのは、この件に不用意に足を踏み入れないでほしいと思ったからなの。せつかく沈黙を続けてても周りが騒げば、沈静化には余計な時間がかかる。何より私を助けるためにCクラスが坂柳さんに目をつけられる必要は無いからね。私は大丈夫だから」

 一之瀬は力強くうなずき、変わらない笑みを向ける。

「……あなたの心が強いことはよく分かった。真実はどうあれ、あんなれつな噂を流されたら誰だってダメージを受ける。なのに、あなたは自分のことだけじゃなく、周囲の人間のことを考えてくれている」

「そんな立派なものじゃないけどね」

 少しテレ臭そうに、一之瀬は言って続ける。

「だから、堀北さんたちはいつものようにしていて。私の問題は私が片付けるから」

 一之瀬はそう言って、早々に腰を上げた。

 堀北に手出し無用の注意喚起だけをするために、わざわざ出向いてくれたようだ。

かんざきたちのことは分かってるのか?」

 余計なことかも知れないと思いつつ、オレは少しだけお節介することにした。

「神崎くん?」

「先日も、Aクラスのはしもとに詰め寄ってうわされ流しをやめるよう頼み込んでいた。いや、頼み込むって領域は出てるかも知れないが」

「そっか……かんざきくん優しいから。何もしなくて大丈夫だよって言ったんだけどね」

「多分、神崎くんだけじゃないでしょうね。あなたのために、何人ものクラスメイトが何とかしようともがいているはず」

 神崎のことは初耳だった様子のほりきただが、その推察は当たっているだろう。

「クラスメイトには、もう一度私から言っておくね。今日の話は終わりでいいかな?」

「本当に大丈夫なのね?」

 念のため、堀北はいちを引き止め再確認する。

「もちろんだよ」

 迷わず答える一之瀬。

「心配してくれてありがとう。あやの小路こうじくんも、夜遅くにありがとう」

「いや。オレはオマケみたいなものだ」

 今度は堀北は引き止めなかった。

 一之瀬はおやすみとオレたちに告げ、部屋から出て行った。

「本当になんてことは無いのかしら」

「さあ、どうだろうな」

 接する限りでは、いつもと変わらなかった。

 気丈に振舞っているというより、あまり考えないようにしている。そんな印象だった。

「私はどうするべきだと思う?」

「意見が欲しいのか?」

「ええ。素直に欲しいわ」

 迷わず堀北は言った。

「だったら、何もしないことだな」

「その理由は?」

「噂の出所が一之瀬の言うようにさかやなぎであるなら、おまえがこの一件に関与することで、Cクラスが目を付けられることになるかも知れない」

「そうね。でも、もし一之瀬さんが坂柳さんに敗れたら? 次の矛先はCクラスである私たちになるんじゃない?」

 どちらにせよ狙われる、そう言いたいのだろう。それは当然の話だ。

「遅かれ早かれ、オレたちのクラスは狙われることになるかも知れない。けどその時は、やつかいなBクラスのリーダーがつぶれてくれている。それはそれでありがたい話だ」

「……一之瀬さんがどうなっても構わないということ? ずいぶんれいてつね」

「冷徹? 元々、おまえはそういうスタンスじゃないのか。クラスメイトを助けるならともかく、一之瀬は他クラス。いずれは戦って倒さなきゃならない相手だ。それを潰してくれるなら歓迎することはあってもうれえる必要はない」

「彼女とは共闘関係にある。さかやなぎさんたちAクラスが落ちて、Bクラスと一騎打ちの状態に持ち込むまで───」

「それは理想論だろ?」

 都合よくAクラスがCクラスにまで落ち、いちやオレたちがAクラスとBクラスに浮上したところで互いに健闘しあう。そんなものは夢物語でしかない。

 頼られている状況ならいざ知らず、一之瀬自身が手助けを拒んでる。

 初期のほりきたであれば、もっと早い段階で納得したはずだ。

 どこをどうして、今のような考えを持つようになったのか。

 ま、くしとの関係改善を目指していることから、推察することは出来るが。

「放っておくべきだ」

「そう、そうね……」

 本心では堀北だって、そうすべきだと分かっている。

 だからこそ強くオレに対して反論してこなかった。

 今回、オレたちは同盟のパートナーとして心配している、助ける用意はあると一之瀬にアピールできた。それで良しとしておくべきだ。Cクラスは目立たず、静かに他クラスに追従すればいい。上同士でつぶしあっている間に、ゆっくりと詰め寄るのが得策。

 ただし、ここで大切なことは『助けてはいけない』ということではない。

 意見を求められたためこう答えただけで、どうするかは最終的には堀北が決めること。

 しかし、恐らく堀北はこれ以上Bクラスに関わらないだろう。

 一之瀬の作戦の邪魔をしてまで、好転する状況に持ち込むすべを持っていないからだ。

「オレも帰る。遅くに男子一人で女子の部屋にいるわけにもいかない」

 午後8時を過ぎるとやつかいなことになるだろうしな。

「そうね……」

 考え込んでいる堀北は、こちらに目を向けることもなくそう言った。

 少しずつ変化し始めている堀北。

 だが、今はまだあまりに極端な変動の中、自分というものを見失い、その場の空気に流される傾向が増えてきている。

 当面の間、自他共に苦労する時間は続くだろう。

 その先にある、本当の自分にたどり着けるかどうか。

 それが重要だ。

 部屋を出るとエレベーター前には一之瀬の姿があった。

 オレが出て来るのを待っていたのか、こちらを見て笑顔で片手を挙げた。

「こっちこっち」

 小声で呼ばれ、そのまま吸い込まれるようにエレベーターに乗り込んだ。

 一之瀬はロビーに降りる1階へのボタンを押す。

「ちょっと付き合ってもらえるかな?」

「それは構わないが……どこに行くんだ?」

「んー。ちょっと外でよっか」

 ロビーに降りる。ちょうど人の気配は無かったが、そのまま外へ。

 すっかりが落ちて暗くなった中、いちと共に学校へ向かう途中の休憩場へ。

「寒いと思うんだけど……目立ちたくないからさ」

「分かってる。一之瀬の方こそ大丈夫か?」

「私は平気。あー……えっと、なんていうかさ……本当にごめんね」

 何を話すかと思えば、一之瀬から最初に出てきたのは謝罪の言葉。

「なんで謝罪なんだ?」

ほりきたさんやあやの小路こうじくん、Cクラスの人たちに迷惑をかけてるから、かな。うわさのせいで必要のない心配までかけちゃってるし。とにかく気にしないでいて」

かんざきたちにもそう言ってるんだってな」

「それが最善の答え。噂がどこかに行くまでの間、私はこのスタンスを崩さないから」

 そう言って決意の視線を向けてくる。こんな風に言われては、一之瀬を支える神崎たちBクラスの生徒はそれに従うしかないだろうな。

「それだけなんだけどね……寒いね。帰ろっか」

「そうだな」

 わずかな時間話しただけ。

 先に帰るよう促され、オレは一足先に寮へと戻ることとなった。


    5


 オレの周りが慌ただしくなりだした日常。

 自分から積極的に、何かをすることはなく、周囲に流されるように過ごす時間。

 多少大変ではあるが、手にしたかった日常の形はこういうものなのかも知れない。

 ひとつの答えにたどり着きそうな予感。

 しかし、そんな時にな出来事が起こる。

 夜。枕元に置いていた携帯が静かに振動した。

 時計に刻まれた時刻は、午前1時過ぎ。

 非常識な時間に鳴った電話を確認すると、登録していない番号だった。

 ただ、外部からの連絡ということはないだろう。

 学校で支給された携帯は指定された電話番号以外はかけられない、そして受けられないようにあらかじめ設定されていて、それを変更することは出来ないようになっている。不用意に外部と連絡を取れないようにするためだ。

 ほど珍しい機能でもなく、小さな子供に携帯を持たせた時などにも利用されるセキュリティーシステムを利用したものだ。つまり、オレが番号を登録していない敷地内で生活する誰かからの電話、ということになる。

 それが生徒なのか教師なのかは、定かじゃないが。

「……もしもし」

 多少警戒しながら、というか眠い状態で通話に出る。

 左耳に押し当てた携帯。

 向こうからは声が聞こえてこない。

 無言は続く。

 だが、呼吸する音だけは、耳の先端にかすかに届く。

 出方を待ち、30秒ほど互いに沈黙。

「何も話さないなら切るぞ」

 いい加減、無言に付き合うのも疲れたので警告する。

あやの小路こうじきよたか

 名前を呼ばれる。

 全く聞き覚えの無い声だった。

 しかし声の若さからして、大人とは思えない。

 となると、生徒が濃厚か。

「あんたは?」

 そう聞き返す。

 またも沈黙が流れた。

 そして、通話が切れる。

「名前だけ呼ばれてもな」

 これでは単なる間違い電話とは言い切れない。

「動き出した、ということか……」

 相手が誰なのかはさいな問題だ。

 あの男による策略が、オレに対して動きを見せ始めた。

 ただ奇妙なのは、このような形でこちらに悟らせることをしたのか。

 もしもオレの退学をもくんでいるのなら、もっと不意打ちに近い形を取るべきだ。

 わざわざつぶすぞと、脅すようなもの。

 何らかの、あの男の力の及ばないことでもあったのか……。

 どちらにせよ、始まったことに変わりは無い。

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