ようこそ実力至上主義の教室へ 8

〇どこにでもあるもの



 日曜日はあっという間に過ぎ、試験5日目となる月曜日がやってきた。午前の授業4時間はすべて運動にあてられる。試験当日に行われる駅伝のコース往復18キロを実際に歩いて走って、午後の授業までに戻ってくるという課題だ。試験はリレー形式、つまり駅伝のため、本番に一人当たりが走る距離は1キロから2キロほどとそれほど長くはないが、アップダウンの激しい山岳地帯。オレたちは体力をしようもうしながら5キロほど歩き続けていた。先日まではグラウンドで軽く汗を流す程度だったため、その落差がすごい。

「いつまで続くんだよこの坂はよぉ。バカじゃねえの。キツすぎだろ」

 イノシシ出没注意の看板を過ぎたところで、いしざきが更に悪態を吐く。

「イノシシつったら、あそこはデカイのか? コイツのみたいに」

 そう言って、嫌な感じの目をオレに向けてくる。

「アレは凄かったな。いや、お見それしたぜあやの小路こうじ

 はしもと、以下他の連中からもさんの言葉を送られるが、オレにしてみれば不愉快極まりない。しばらくこのネタで遊ばれるのかと思うと、辛い気持ちになった。

 アルベルトなんてお手本のような軽快な音で拍手をかなでてくる。

 だが人をからかっている余裕もすぐになくなる。

 曲がりくねりながら山頂へと続く道は、車が通るように舗装されているものの、非常に傾斜角がキツい。単純に歩くだけでも足腰にきそうなレベルだ。

 しかも朝早くに起きて朝食作りをしている分、先輩たちよりも体力のしようもうが激しい。

 日曜日に休養を取れたのは学校側からのはいりよということだろう。

「これ帰ってくるのにどんだけかかるんだよ……」

「人の平均的な歩行速度は4キロ。距離が18キロだから歩きだけなら大体4時間半だ」

「ふざけんなよぉ。んなもん、昼飯食う時間も残らねえよ」

「だったら走るだけだろいしざき。走ればその分時間は短く済む」

 Bクラスのもりやまが、辛らつに言う。実際、大グループとして一斉にスタートしたものの2年や3年の大半はオレたちより早いペースで進んでいる。

ちや言うな。18キロも走れるかよ」

「無駄話して体力を使うな……俺の作戦に賛同したから、ここにいるんだろ……」

 息を荒くしながら、けいせいが石崎たちを注意する。長距離やスタミナを苦としない生徒は序盤から走ってもいいだろうが、確かに18キロを走り続けるのは得策じゃない。そこで啓誠が立てた作戦は、前半9キロを歩いて折り返しに到達、そこから走るというものだった。折り返しになれば下り坂が主になることも計算に入れての提案だ。

「まだ走ってもねえのに、折り返しまで持つのかよ」

「うるさい……黙って歩け」

 運動を苦手とする啓誠は、既に足にダメージが来ているのか明らかに余裕が無い。残る13キロほどを規定時間内に戻って来れない可能性も、ないわけじゃないだろう。口数を最小限にして、歩くことだけに集中したいと思うのは当然の状況だ。とは言えこの授業を通じて、だれが走れるかはある程度見えてきそうだな。現状で苦しそうなひこや啓誠は不向きであることは間違いない。

 遅れて歩いているこうえんなら頼りに出来そうだが、真面目に走るとはとても思えない。

「黙って歩けだと? もうヘロヘロのくせに偉そうだなゆきむら

 まだ石崎は続けるようで、口数が減る様子は無かった。

「責任者として、グループのために言ってるんだ。……しやべらせないでくれ」

「何が責任者だふざけんな」

 石崎は過度なストレスを抱え込んでいるためか、啓誠への口撃をやめない。それを見かねたBクラスの生徒、森山とときとうが石崎に対しても不満をぶつける。

「いい加減にしろよ石崎。今回の件は幸村が正しい」

 背中にあった気配が遠ざかっていくのを感じ振り返ると、高円寺が脇道を外れ森の中へと足を踏み入れて行くのが分かった。他の生徒は気づいた様子もなく一心に前だけを向いている。

 問題児はいしざきだけじゃないんだよな。

 単なる寄り道なんてものじゃないだろう。姿が見えなくなり戻ってくる気配が無い。

「仕方ないな……」

 黙ってこうえんを追いかけようかとも思ったが、オレまで道をれたと思われるだろう。

「高円寺が後ろの細道に入っていった。ちょっと呼び戻してくる」

「あ? 何やってんだよあの変人は!」

 石崎を止められる生徒が不在のため、声はどんどん大きくなっていく一方だ。

「あまり意識を取られるな石崎。高円寺はいないモノとして扱わないと損だぞ」

 けいせいは高円寺を空気同様の存在として対処するよう作戦を立てる。

 とは言っても、完全に無視するのも中々に難しい。

 あちこちでトラブルが発生する中、啓誠が申し訳無さそうにこう言った。

「……すまないきよたか、任せていいか」

 啓誠には後退して高円寺を探しに行く元気がないことは分かりきっている。

 オレは二つ返事で答える。

「高円寺相手だと手を焼くんじゃないか? 俺も手伝おうか」

 はしもとがそう申し出てくれるが、オレはそれを丁寧に断る。

だれが行っても連れ戻せないかも知れない。それなら、一人でも多く完走したほうが学校からの心証もいいはずだ。迷ったりするルートでもなさそうだし」

「そうか、そうかもな。連れ戻せないと思ったらすぐ戻ったほうがいいぜ」

 橋本からのアドバイスに素直にうなずき、オレは高円寺の後を追うことにした。積極的に動くつもりはなかったが、高円寺と2人きりになれる機会はそう訪れないことも考えてのことだった。話し合いを持っておくなら、こういう場所くらいしかないだろう。


    1


 細道は、舗装もされておらず地面は土のまま。

 足場の悪い中をペースを上げて進んでいく。高円寺が徒歩のままなら1、2分もせずに追いつける計算だった。しかし、ペースを上げてしまったのか追いつく様子が無い。

「面倒だな……」

 速度を上げただけならまだしも、道なき道に進んでしまっていれば厄介だ。オレは高円寺が歩いたであろう痕跡を探すようにしながらも、更にペースをあげる。そして100メートルほど進んだところで高円寺の背中を見つける。

 その背中を見て思い出したが、無人島でも似たようなシチュエーションだったな。あの時はあいがいてこうえんには振り切られてしまったが。

「高円寺」

 名前を呼び、オレは駆け寄るように高円寺との距離を詰めた。

「おやあやの小路こうじボーイじゃないか。ここは正規のルートとは違うはずだがね」

「連帯責任の可能性があるからな。どうしてこんな脇道に入ったんだ」

「イノシシの姿が一瞬見えたのだよ。興味があって追いかけているのさ」

 それはまた、ずいぶんと思いがけない理由だ。見つけてどうするつもりなのか、あえて聞くのはやめておこう。

「安心したまえ、時間内には戻るさ。私なら30分もかからない」

 その言葉を信用するしかなさそうだ。

「ところで、まだ私に何か用かな?」

 立ち去らないオレに続きがあることを感じ取ったのか、高円寺が言う。

「試験当日のことだ。グループに力を貸してほしい」

「耳にタコが出来るほど聞き飽きた言葉だね」

 オレが見ていないところでも、繰り返しけいせいたちに説得されているに違いない。

 それでも高円寺は一切首を縦に振らないのだろう。

「際立った成績は残さなくていい。当たり前のことを当たり前にやってくれ」

「それを決めるのは君じゃなく私だ。知っているだろう? ではまた後で」

 そう言って去ろうとする高円寺を、オレは腕をつかんで引き止める。それを気にした素振りも見せず踏み出そうとしたので、仕方なくオレは強く踏みとどまった。もっと強く抵抗されるのかと思ったが、か高円寺は力を弱めた。

「フフフ。なるほど、そういうことなんだね、綾小路ボーイ」

 高円寺はオレに腕を掴まれたまま、静かに笑い振り返った。

「なにがそういうことなんだ?」

「ドラゴンボーイを大人しくさせた人物の正体さ」

「ドラゴン……なんだって?」

りゆうえんというヤンチャな男のことだよ」

「その龍園と、どうしてオレに関係があるんだ」

「君はとぼけるのが上手なようだ。装うことに何の意図も感じさせない」

「どうしてそんな結論にいたるのか、よく分からないんだが」

「こうして君が僕の腕に触れている。そこから伝わってくる熱量で分かるよ」

 ただものじゃないことは分かっていたつもりだったが、どうやら高円寺はオレの更に上を行く変わり者らしい。この掴んでいる腕が結論に至る過程か。

「悪いが、盛大な勘違いだ」

「そうかな? 私のグループ内にいる不良くんの君を見る目や、仕草。それに周囲の反応から見れば疑いようのない事実だと思うがね」

 こうえんは物的証拠を何一つ持っていないが、自分の目に圧倒的自信を持っている。

 これ以上しを入れたところで無駄だろう。

「フフ。安心したまえ、君が隠していることを表に出すつもりはないさ。『それなりに優秀』だとしても私にとって見れば他愛の無い存在、雑多の中の1人さ。つまりこの話が事実であれうそであれ、私の口から公言されなければ問題はないだろう?」

「誤解を解きたい気持ちはあるんだが、それはどうなる?」

「残念だがあきらめたまえ。別の第三者が口をそろえてあやの小路こうじボーイが無関係だと言い切ったとしても、私がそう確信を持った以上、その答えは変わらないからね」

「なるほど……。じゃあ、本題に戻ってもいいか?」

「私にグループの一員としての務めを果たしてもらいたい、という話だったね」

「引き受けてもらえるか?」

「何度も言うが、断るよ」

 答えは変わらない。キッパリと言い切られる。

「私は私の思うがままに行動する。それが理念でね。試験を受けるか受けないか、成績をどう修めるか。それはすべて私のその時の気持ち次第さ」

「……そうか」

 色々説得手段も考えてはいたが、ここで下手に仕掛けるのは逆効果になりそうだ。

 うんてんを持ち込むことになるが、それが結果的に一番被害が少ない可能性が高い。

 高円寺は退学という処罰だけを避けたいことが明白だからな。その部分にけるしかない。オレはイノシシを追って姿を消す高円寺を見送るしか出来なかった。

「あの男は、だれにも動かせそうにないな」

 ほりきた兄もぐもも、そして仲間のことも関係ない。

 それが一年近く行動を共にしたクラスメイトとしてのオレの素直な感想だった。


    2


 高円寺を森の中に残し、オレはコースへと戻ってきた。

 外れていた時間は10分足らずだが、恐らく現在の順位は最下位になっているだろう。前にも後ろにもグループの生徒は見当たらなかったので、少しだけ飛ばして追いつくことに。

 程なくして歩いていたけいせいたち1年生の集団を見つける。

 こちらにすぐに気づいたときとうを皮切りに、一度全員の視線が集まる。

「一応見つけるには見つけたんだが……」

「やっぱりダメだったか?」

 予想していたはしもとが苦笑い。

 他の生徒も、特にオレを責めることはなく姿の無いこうえんに文句を言い出した。

 高円寺の悪口に盛り上がりながら、何とか折り返し地点に辿たどくと、ちやばしらが腕を組んで待っていた。ここ数日見ないと思ったが、定期的に借り出されて色々と授業の手伝いをしているようだ。

「2年と3年は全員折り返した。あとはお前たちだ」

「時間は何時ですか、先生」

「ちょうど11時になるところだな」

 ということは、昼の休憩まであと1時間。

 これがへいたんな道であればそれほど難しくない十分な時間だろう。しかし、既に勾配の急な上り坂を延々と9キロ歩き、相当な体力をしようもうしている。

 しっかりとしたペースで走らなければ昼休みに食い込んでしまうということだ。

「俺は先に戻るぜ。昼飯に遅れたくないからな」

「待て。その前に点呼を取るのが決まりだ、それぞれクラスと名前を言うように」

 ボードを取り出し、そこに折り返し地点に到達した生徒の記録をしているのだろう。

 それが済むといしざきはグループメンバーを置いてきびすを返してしまう。

 ここからはグループ関係なく個人戦だと割り切ったようだ。アルベルトもそれに続く。

「行こうきよたか

「先に行ってくれ。オレは少しだけ高円寺が来るかどうか確認して行きたい」

「それはいいんだが……あと1時間しかないぞ」

「足にはそれなりに自信がある。大丈夫だ」

「短距離と長距離は別物だぞ……まぁ、俺がとやかく言うことじゃないか」

 自嘲気味に笑うと、けいせいはぎこちない動きで走り出した。

「それじゃお先」

「ああ」

 残ってストレッチしていた最後のひとり、橋本も走り出した。

 この場に残されるのは、オレと茶柱の2人だけ。

「私に話がある、というわけではなさそうだな」

「高円寺を待ってるだけですよ。それと、最後尾から行かないと困ることもあります」

「困ることだと?」

 大したことじゃない。もし石崎のように体力のある生徒がさっさと先陣を切ってクリアしてしまえば、途中でリタイアしそうな生徒に気づけない。

 これはタイムアタックではなく所定の時間までにクリアすること。1時間で完走しようと4時間で完走しようと評価は同じだ。けいせいは体力こそないが、足を引っ張るまいとちやをするのは目に見えてるしな。

 それから20分ほどして、やっとあの男が戻ってくる。

「ここが折り返し地点のようだねぇ」

 ジャージには葉っぱや土などが付着しており、なにやら動き回った形跡があった。

「おまえが最後だこうえん。残りは40分だ」

「そのようだねぇ。もう少しゆっくりしても良かったんだが、イノシシとの触れ合いが思いのほか早く終わってしまったものでね」

「イノシシ?」

 突如理解不能なワードに疑問を抱くちやばしらだが、高円寺はさっさと折り返し、走り出しててしまう。

「点呼だ高円寺。失格とするぞ」

 そう声をかける茶柱に、高円寺は振り返らず名乗る。

「私の名前は高円寺ろくすけだ。しっかりと覚えておきたまえティーチャー」

 高らかな笑い声が野山に響く。

「いいんですか先生、クラス申告してませんけど」

「名乗った分、多少は大目に見よう」

「それじゃオレも行きますんで」

 オレが遅れて出発してから、どれくらいっただろうか。

 再びイノシシ出没注意の看板が見えてきたところで、2人の男子生徒の背中をとらえた。

 ひとりは、予想の範囲でもあった啓誠。体力の限界を迎えたというより、左足を痛めているようで隣の生徒に抱きかかえられるようにして歩いていた。

 そしてもう一人。最後尾から啓誠を抜きさって行っていただろうと読んでいたはしもとだった。

 オレが駆け寄ると、その状態が明らかになる。

「挫いたのか」

あやの小路こうじか。ああ、どうやらそうみたいだな。折り返しまでで足首は限界だったんだろうさ」

 啓誠の代わりにそう説明する橋本。人を抱えるのは相当な負担だろうが、それを気にした素振りはない。嫌がることもなくゆっくり寄りうように歩く。

「情けない……どうして、こんなことも出来ないんだ俺は……」

 そうくやしがるが、以前の啓誠とは考え方も変わってきているようだ。学生の本分は学業であって、運動やそれ以外の試験など理解しがたいと思っていたはずだ。

 どうやらストレッチして最後に走り出したのは、オレと同じ目的だったようだ。

「オレも手伝う」

 一人で抱えるよりも二人だ。はしもとの反対側に回り込みけいせいを支えることにした。

「……待ってくれ。そんなことをしたら、二人まで昼休みに遅れる」

「見捨てたらちやして走るだろ? 余計に足を痛める、試験で困るのは俺たちだ。昼休み一食抜くだけでの具合がマシなら安いもんだろ。なぁあやの小路こうじ

「そうだな、そうかも知れない」

「しかし……」

「偶然2人が後ろから走ってきたんだ、遠慮するな」

 そう言ったところで橋本はひとつ訂正する。

「3人、だな。こうえんのヤツはものすごい速さで下ってったか。化け物だなあいつ」

「体力は底なしのイメージだ。学年一は間違いないだろうな」

 持ち上げるわけじゃないが、素直に高円寺のポテンシャルを伝える。

「性格が最低なお陰で俺たちAクラスは救われてるかもな。あいつが役立つどころか、Cクラスに迷惑をかけてることは今回のグループでよく分かった」

 確かに高円寺がそのポテンシャルを如何なく発揮すれば、脅威になりうる。導入できない秘密兵器を武器としてカウントして良いかは何とも言えないところだが。

 結局、負傷した啓誠を抱えて林間学校に戻って来れたのは12時40分ほどだった。その後すぐに啓誠は保健室で手当てを受ける。

 オレと橋本は廊下で待つことに。

 10分ほどして、手当てを終えた啓誠が戻ってくる。

「どうだった?」

 橋本が聞くと、啓誠は苦笑いをしながら答える。

「軽い捻挫だ。二人が手を貸してくれたお陰で、軽傷で済んだ」

 若干左足を庇うようにしてはいるが、普通に歩くことはできるようだった。

「試験までそんなに時間もない。悪化させないように気をつけないとな」

 橋本はそう言って、軽くポンと啓誠の肩をたたいた。

「助けておいてもらって何なんだが……」

 そう言いかけたところで、すぐに橋本は理解する。

「心配するなって。仲間内には黙っておく、そのほうが都合がいいだろ?」

 聞くまでもなく橋本は理解しているようで、ホッと啓誠は胸をで下ろした。


    3


 昼食が抜きだったため、今日の夕食はいつもよりテンションが上がった。席を確保するなりオレはすぐに食事を始めた。

「きよぽん、隣空いてる?」

 そんなの声。振り返るとあやの小路こうじグループのメンバーがそろっていた。

「ここ数日、きよぽんが妙に見つけにくいところにいて苦労したんだから」

「……悪い。ちょっと広い食堂で、どうしていいか勝手が分からなかった」

 グループとしての行動が多い中いつものメンバーを揃えるのは楽ではなかったはずだ。

 席数が少し足りなかったので、オレが若干移動し5人が座れる場所へと移動した。

「な、なんか久しぶりだねきよたかくん」

 あいが、もじもじとしながら言う。確かに1週間近く言葉を交わさないのは珍しい。

 長期休み中でも、何かしら電話したり会ったりしてたからな。

「それより、みやっちの方は大丈夫なわけ? りゆうえんと一緒なんでしょ?」

 波瑠加もどこかで聞きつけたのか、あきに問いかける。

「ま、何とかな。俺も警戒はしてるが特に変わった様子は無い。授業だっていたって真面目に参加してる」

「座禅とか駅伝とかも?」

「ああ。怖いくらいに普通だ。むしろ下手なヤツよりよっぽどしっかりしてる。ただ、何度か話しかけたりしてみたが、だれかとつるむつもりは全くない様子だ」

けんに負けたショックで、どこかおかしくなっちゃった感じ?」

「さあ、どうだろうな。あいつの場合、これまでがこれまでだからな」

 油断は出来ないと、気を引きめる明人。

「俺よりおまえはどうなんだよ。他の連中とくやれてるのか?」

「私? 私は別に。誰とも親しくならず、誰とも喧嘩せずってね。愛里と同じグループだからそれで平気だしね」

「波瑠加ちゃんがいてくれて良かった」

 どうやら二人は同じグループになっていたようだ。親しい仲間が一人でもいると、相当心強いことだろう。

「どうやら一番の問題は俺たちのグループみたいだな、清隆」

「かも知れないな」

「え、そうなの?」

 特にうわさも耳にしてない、そんな様子で波瑠加と愛里が顔を見合わせる。

「誰の指示にも従わないこうえんと、ところ構わずいしざきがいるからな。アルベルトも一緒にいるせいか、制御が利かない。本気で頭が痛い」

「高円寺くんと一緒なんだ……大丈夫? 清隆くん」

「あいつは直接害があるわけじゃないからな」

「どっちかって言うと問題はいしざきって方でしょ。りゆうえんくん倒したからって、調子に乗ってるんじゃないの? ちょっと前までしやていだったのに」

 石崎の場合、オレと同じグループになったことが一つ悪い要因だったと感じている。ぶつけどころの無い怒りとくやしさを抱えている中、それをオレ以外に当り散らしているように思える。

「ともかく、俺も責任者として頑張らないとな……」

 足に爆弾を抱えつつも、けいせいは何とかしてグループをまとめようと必死だ。

「男子も大変よね~」

「な、なんだか私たちだけ場違いな感じだね」

「いいんじゃないか? おまえらが気楽なら、それはそれで俺たちも安心だ。なぁ?」

 あきの言うことももっともだ。

 女子の状況は、けいから情報を仕入れられると言っても見えない部分は多い。

 こうしてあいが同じグループで、かつ進行形で問題を抱えていないのなら、その分こちらも自分たちだけに集中できる。


    4


 林間学校での生活も6日目の火曜日を迎えた。ともなると、男子からはちょっと変わった声が聞こえるようになっていた。


 異性が恋しい。


 そんな声だ。

 心なしか、夕食の時間を楽しみにしている男子が増えた気がする。

 確かに男子だらけだと落ち着きはするものの、華やかさには欠ける。

「あーくそー。男ばっかりといると気がおかしくなっちまいそうだぜ」

「男子校だったら死んでたな」

 グループ内からも例に漏れずそんな意見が出てくる。

「とにかく男だけだと臭ぇんだよな」

 どうしても汗臭いイメージがついてしまうのは仕方ないだろう。

 ただ実際は、汗臭い生徒は少ない。夏場じゃなかったことをありがたいと思った方がいいだろう。ただ、個人的には男だけだと落ち着くんだけどな。大切なことなので二度繰り返す。

「っ、腰が……」

 雑巾がけの途中、けいせいが悲鳴を上げるようにその場でうずくまった。

 毎日、どんな授業があるにせよ清掃や朝食当番はしっかりとある。

 身体からだの丈夫じゃない生徒には、そろそろ限界が見えてくる頃だった。

 体力には自信がないと言っていた啓誠が、痛みを訴える。

 清掃範囲は広く、特にグループが少人数であるオレたちは一人負傷するとその穴埋めのために人一倍頑張らなければいけなくなる。

「何が腰が痛いだ、ちゃんとやれよ」

 啓誠のもとに詰め寄ってきたいしざきが、強引に腕をつかんで立ち上がらせる。

「わ、分かってる。ちゃんとやるから手を放してくれ」

「ちゃんとやれよ」

 吐き捨てて持ち場に戻る石崎。

 啓誠はすぐに清掃を再開しようとするが、身体がく動かない。

 特に捻挫した左足が上手く動かないことは見て明らかだった。

「く」

 小さく言葉を漏らす啓誠。

 痛みをこらえているようだが、無理をすれば明日にも響くだろう。

「少し休んでろ、オレが代わりにやる」

 ここは仕方がないと判断し、オレが啓誠の清掃範囲を掃除することを決める。

「すまないきよたか

「困った時はお互い様だ」

 これで事態は解決したはずだった。

 しかし。

「お前、今自分でやるって言ったばっかりだよな」

 オレが手を貸そうとしているのが気に入らないらしく、石崎が口を挟んできた。

 あくまでもオレには視線を向けることをせずに。

「ここはオレがやるから」

 そう答えるが石崎は納得する様子を見せない。

 ひたすらオレをスルーしながら、啓誠に対して強い言葉を続ける。

「お前責任者なんだろ、掃除ぐらいで音を上げてんじゃねーよ」

「……分かってる」

 責任は感じている啓誠。強く責め立てられればそう答えるのは必然だ。

「わかってねえよ、今他人に任せようとしただろうが。こっちはそういうのが気に入らねえんだよ。自分でやると言えよ」

「……わかった、俺がやる」

「そういうことだ、絶対に手を貸すなよあやの小路こうじ

 ここで初めてオレに対して言葉だけを投げるいしざき。すぐに逃げるように距離を取った。

「結果的にけいせいをすることになってもか?」

「怪我で駄目になったらその時はその時なんだよ」

 どうやら、グループのためにならないとわかっていても、石崎は啓誠の手助けを認めないらしい。

 アルベルトが無言で石崎に近づき、何かを伝えようとしていたが聞く耳を持つ様子はなかった。

「悪いなきよたか、ここは俺が踏ん張るしかなさそうだ」

 そうしなければグループの空気が悪くなると感じたのだろう。

 おそらくここ数日、啓誠の態度が気に入らなかった石崎。

 ここに来て啓誠がだれかの手を借りようとするのが許せなかったんじゃないだろうか。

 そして、啓誠もそれが分かったからこそ、忠告を受けて自分でやることを決めた。

 とはいえ、ここでのちやは大きな代償を支払うことになるかもしれない。

 今日持ったとしても、明日はさらにわからない。

 本番の試験では、座禅や駅伝など肉体を酷使する試験も複数ある。

 そうなった時に今以上に苦しむことになるかもしれないな。

 どうにか石崎にも理解を示してもらいたいが、簡単ではなさそうだ。

「おい石崎、ちょっと言いすぎだろ」

 状況を見かねたひこが、石崎に対して突っかかる。

「まともに掃除も出来ないこいつが悪いんだろ」

「そんなことは分かってる。だが、ならあいつはどうなる。同じように注意しろ」

 そう言って弥彦は、初日から今の今まで、一度も掃除する素振りすら見せていないこうえんを指差した。

「あいつは日本語が通じねえ。ゴリラに説教するほどこっちは暇じゃねえんだよ」

 一度も注意していないわけではなく、石崎はこれまで何度も高円寺に突っかかった。

 その上で、全く行動しようとしない様を見せ付けられてあきらめたのだ。そういう意味では、啓誠と高円寺の違いはまともな会話が出来るか否かにあったといえる。

「文句あるなら、おまえが説き伏せろよ。時間の無駄だろうけどな」

「それは……わかった、行けばいいんだろ行けば」

 弥彦は手近なほうきをひとつつかみ高円寺の下に歩いていった。

「無駄だぜ見てろ」

 馬鹿にするように鼻で笑う石崎。弥彦は高円寺に食らいつくように箒を突きつけ、掃除するよう説得していたが、数分間粘った末、ろうこんぱいな様子で敗走した。

 数日間グループを組んだとは言っても、やはり敵同士。くいくはずもない。

 一刻も早くグループを解消したいとほとんどの生徒が思っていることだろう。

 しかし、重要なのはオレたちのようなグループばかりではないということ。たとえ表面上だけだとしても、まるで同じクラスメイトのように関係性を深めているグループが存在することも事実だ。それは一年だけじゃなく、クラス間の情勢の固まっている上級生にも同じ現象がみられる。

 協力したほうが自分自身のためになる、そう理解しているからだろう。

 先まで見通すことができる生徒と、この場での嫌悪感のみで行動する生徒。

 圧倒的な能力差でもない限り、勝敗の行方を想像するのは難しくない。

「あーあ、やってらんねー。バカらしすぎるぜ。なんで他クラスの連中と仲良しごっこなんてしなきゃなんねーんだよ。なあアルベルト」

 アルベルトは肯定も否定もしなかったが、いしざきは一人続ける。

「俺はこのグループが死ぬほど嫌いだ。ゴリラのこうえん、持久走もまともに出来ないくせに口だけはうるさいゆきむら、へらへらしたBクラスに何もしねーAクラス。アホらし」

 パン、とほうきり飛ばす石崎。

「俺らの悪口を言うのは勝手だけどな、掃除はしてくれよ」

「っせえな。高円寺もやってねーのにやってられっかよ」

「だったら幸村に注意する資格もないぜ?」

 はしもとがそう説明するも、もはや石崎は聞く耳を持たず掃除を放棄した。

 トイレ、と一言言い残し去っていく。

 その姿を止めることも出来ず、くやしそうに唇をかみめるけいせい

「啓誠、一人で背負うのはやめておいた方がいい。残りの一日二日で何かを変えることはできない。今、判断を誤ると後々後悔するかも知れない」

 そうアドバイスを送る。いや、改めて再確認させようとする。

「そんなことはわかってるさ、でもやるしかないだろ。だれかに頼れば、石崎はグループからどんどん離れていく、かといって俺が何もしなかったらこのグループは最下位になる可能性が高い。だったら、ちやでもなんでもやるしかないじゃないか」

 選べる選択肢が、今啓誠の言った通りしかないのであれば確かに無茶する選択肢が濃厚だろう。選べる道がないのであれば、何とかして新しい道を用意しなければならない。

 しかし、今その新たな道、つまり選択肢が用意できるのは啓誠ではなさそうだ。

 このグループのことをもっと理解していて、他人のために動くことができる人材。

 黙々と清掃を続ける男、橋本をオレは見た。2日目に高円寺に食ってかかった石崎を止めたり、適切な距離でしっかりグループの関係をつなぎとめている印象だ。持久走で見せたフォローもかんぺきだった。さかやなぎかつらにどこまで買われているかは不明だが、能力の高い男だと思えた。敵として戦う前提の話になるが、好戦的なさかやなぎ、防戦的なかつらよりも一手が読みにくく、やりにくい相手だ。

「一応、オレもいることを忘れないでくれ。困ったことがあったら協力はできる限りする」

「ありがとうきよたか、そう言ってもらえるだけで少し気が楽になる」

 それがけいせいにとって救いとなる言葉であるなら、投げかけるのは簡単なことだ。


    5


 その後の授業でも、お世辞にもオレのグループは良い状態だとは言えなかった。

 負い目を感じた啓誠は責任者としての指示をく出すこともできず、いしざきはアルベルト以外と話す素振りすら見せなくなった。

 唯一あいあいと出来る可能性を持った食事の時間でさえ、グループは集まろうともしない。いつたん男子のことは忘れるか。

 どうせオレが、このグループのためにできることは何もない。

 苦しんでいる啓誠や、葛藤している石崎にアドバイスは送れても、直接行動に移して助けるまでのことをするつもりはないからだ。

 フェードアウトのための一歩目で、深く踏み込むのは矛盾している。

 そこでオレは、あいのことを思い出し、女子の動向を改めて探ることに。

 しかし、安易にけいと接触を繰り返すわけにもいかない。向こうには向こうでやらなければならないことがあるだろうし、似たような状況が繰り返されればオレたちの関係性に疑いを持つものができる。

 それに今欲しい女子の情報は、1年というよりも、上級生である2年生や3年生のほうだ。ほりきた兄に勝負を挑んだぐもの真意。それを確定させておきたい。

 こうなると接触できる人物はさらに少なくなる。

 そのため、多少のリスクを負ってきりやまと接触、ヒントを得るつながりを残したわけだが、副会長の桐山は南雲と同じグループの人間だ。内心ではうらんでいるとしても、今回の件で助言めいたことはしないだろう。

 別の方向から、南雲の想定の外から仕掛けたい。

 そこで引っかかっていた、ある1人の存在。

 2年のある女子に関する情報を、恵に探らせていた。


 その人物とは『あさなずな』。


 南雲みやびと同じAクラスに在籍し、南雲とも個人的に親しくしている人物。

 オレはこの広い食堂で、友人と食事をしているあさを何度か見つけていた。

 そして今も、やや離れたところから朝比奈の動向を注視している。

 彼女は生徒会には属していないが、クラス内での発言力は比較的高く、ぐもに対する影響力も大きいらしい。他にも南雲と親しい男女は無数に存在するが、情報を得るために朝比奈を選んだのには2つの理由がある。

 1つは、ラフな外見や口調とは裏腹に、義理堅く恩義を忘れないことで評判であること、そして南雲を崇拝しているわけではない、という点。

 そしてもう1つは『偶然』の接点をオレと持っていたことだ。

 南雲の情報を探る上で難しいのは、2年生全体が、南雲を支持している生徒であふれている部分。下手に接触してしまうと、こちらの情報が逆に筒抜けになってしまう。

 その点でも、可能な限り情報の漏れない相手に絞る必要がある。

 そのために『偶然』の接点は強い武器になるだろう。

 オレだけしか知りえない情報、朝比奈しか理解できない情報。

 偶然の生んだ産物を利用しようと思ったからだ。


 偶然、それは『お守り』だ。


 以前彼女が落し物をして偶然それを拾った事があった。その時は何も考えず届けただけだったが、思いのほか彼女にとってその落し物は大切なものだったらしい。

 それを裏付ける証拠が、この林間学校にもその落し物を持ってきていたことだ。

 大切そうに身につけ、肌身離さず所持していることも確認できた。

 偶然によって引き起こされるつながりは、意図的なものよりも時として強くなる。

 偶然を利用し、南雲の情報を引き抜ける存在になるかだけでも、確かめておくべきだろう。林間学校中だからこそ、接触もしやすい。

 残る問題は、どうやってその間接的な接点を直接的な設定に切り替えるか。

 露骨に朝比奈へと近づけば、彼女自身から直接でなくとも周囲の人間から南雲へと報告がいくかもしれない。それは極力避けたいところだ。

 そのタイミングをずっとうかがっていたが、朝比奈は夕食中のほとんどの時間をだれかと共に過ごしている。一人きりになるという時間を見つけることができないでいた。

 そして今日、ついに千載一遇のタイミングが訪れる。

「ちょっとお手洗い」

 朝比奈がそういう風に、食事の途中で切りだした。女子にしては珍しく他についてくる生徒もいないようで、オレは朝比奈の後をすぐに追った。トイレの妨害をするわけにもいかないので、戻ってくるのをおとなしく待つことにする。

 おそらく話せる時間は、長くても5分ほど。

 それ以上はあさ本人が嫌がるかもしれない。

 その5分間でどれだけ彼女と距離を詰めることができるかは未知数だ。

 あくまでも偶然の出会いである部分を、強調しておかなければならない。

 程なくして朝比奈が戻ってきた。

 左の手首にはいつも通りお守りが身につけられていた。

 何気ないすれ違いざま。

「あれ?」

 朝比奈に声をかけたようにも、ひとごとのようにも聞こえるつぶやきをする。

 すると、朝比奈は思わず足を止め軽くこちらを振り返る。

 オレがそれに反応しなければ、朝比奈は独り言だと判断し歩いていってしまうだろう。

 このわずかな時間に、オレは行動を起こす。

「あ、すみません。ちょっと以前、見たことのあるお守りだと思ってしまったので。気にしないでください」

 そう言ってオレは立ち去ろうとする。

 返事が戻ってこなかったら、こちらから話しかける準備もしている。

「このお守り、もう学校に入荷してないんだけどな」

 うまく返事が返ってきたので、遠慮なく続けさせてもらう。

「そうなんですか。もしかして、以前そのお守りどこかで落とされませんでした?」

 そう口にすれば、朝比奈もすぐ理解するだろう。

「もしかして……私のお守りを拾ってくれたのって君?」

「どうでしょうか。この間、帰り道に拾ったんですけど……いつだったかな……」

 いつ、どこでとはあえて具体的に言わない。覚えていないととぼける。

「多分間違いないと思う。そっか、君だったんだ」

 朝比奈はうれしそうに笑い、足を止めて近づいてきた。

「ありがとう。どこかで落としたって気づいて、すごく困ってたんだよね。それ以来なんか怖くなっちゃって、こうやって身につけることが増えちゃってさ」

 少し恥ずかしそうにしながら、手首を一度見る。

「このお守りはさ、入学してから買ったものだから、これ自体に何か強い思い入れがあるってわけじゃないんだよね。ただ、なんて言うか精神的支柱? こういうのが手元にあると凄く安心できるっていうか。だから逆になくした時は悪いことが起こる予兆みたいに思えて不安でさ。だれかが拾って届けてくれたのを知って嬉しかったんだよね」

 元々お守りの役目というのは、そんなものだ。

「まさか拾ってくれた持ち主が君だったなんてね」

「オレのことを知ってるんですか」

ほりきた先輩とのリレーで注目浴びてたから知ってる。この間もみやび、じゃわかんないか。ぐも生徒会長に声かけられてたでしょ」

「もしかして、その場に?」

 もちろん本当は知っている。あの時はいちも同席していたな。

「まぁね」

 今日以外のところでは、あさの存在に気づいてなかったことにしておく。

 下手に以前から知っていると伝われば、警戒心が強まりそうだからだ。

 あくまでもお守りを拾ったのが偶然であるように、このすれ違い、出会いも偶然のものでなければならない。

「オレは足の速さにはそれなりに自信はあったんですが、正直に言うとそれ以外の部分では全くで。何か勘違いされて、南雲生徒会長に目を付けられたんですよね」

 困ったように言うと、朝比奈は分かる分かると、繰り返しうなずいてみせた。

「あいつ堀北先輩を尊敬してたって言うか、目標にしてたところがあるからさ。あのリレーの時に自分が相手にされてないみたいでいちゃったんじゃないかな」

 朝比奈の話す言葉には裏を感じられない。

 良くも悪くも、素直な性格ということだろう。オレはもう少し踏み込むことにした。

「どうすればぐも先輩から目をつけられなくなりますかね?」

「何なら君が倒しちゃえば? 調子に乗ってるみやびの鼻っ柱を折って黙らせるとか。私としても雅にはちょっとくらい負けてもらいたいし」

 そう笑いながら言う。もちろん混じりっ気なしの冗談だろう。

 しかしオレは、あえてそれを拾ってみることにした。

「なるほど、それも一つの手かもしれませんね」

 答えると、直後にあさは一度呆然とした顔をしてこちらを見た。

 そして数秒後一気に吹き出す。

「あははは! やだもう、冗談だって。わかんなかった?」

 泣きそうになるほど笑いながら、バシバシとオレの肩をたたく朝比奈。

「南雲を倒されたら、やっぱり困りますか」

 冗談だと思い続ける朝比奈に対し、オレは少しだけ強い口調を向けた。

 ここで朝比奈が引いて南雲に報告するような人物なら、どの道それまでだ。ここで報告されても生意気な一年生、というだけで終わる。

「マジで言ってるわけ?」

「先輩は冗談だったんですね」

「いや、ほら。1年生にどうこう出来る話じゃないし」

 そう言って冗談を口にしたことをびる。

 だがオレはそのままの口調で構わず続けた。

「これまで見てきた2年生の中で、朝比奈先輩が一番まともそうですね」

「……一番まとも?」

「『南雲雅』に支配された2年から情報を得ることは難しいですから」

ずいぶん言うね。私だって2年生。雅とは結構『深い関係』なんだけど?」

「浅い深いじゃなく、どこまで染まってるか、という部分が大切なんですよ」

 どの道クラスが同じなら敵ということはまずあり得ない。

 南雲をどう思っていようと、クラスの不利益は望んでいないはずだ。

「似たようなものだと思うけど」

「まぁ1年の戯言、ですかね」

 そう言ってオレは頭を下げる。

「これで失礼します」

「あーちょっと待って。なんかこれじゃ、私が悪いみたいな空気じゃない」

 ふーっと息を吐いて笑みを消す。

「君が冗談を言ってるんじゃないのは分かった。だからお詫びも兼ねて、拾ってくれたお守りのお礼をさせて。聞きたいことがあるなら答えてあげる」

「いいんですか。ぐも先輩に弓を引くことになるかも知れませんよ」

「正直なところ、君に話をしたところで状況は変わらないと思ってるから」

 多少2年の状況をオレに教えても、大勢に影響が無いと確信しているようだ。つまり与えても意味の無い情報ということだ。

 そう思ってくれるのなら、こちらとしても非常にありがたい。

「2年生の女子で、特に南雲先輩と親しい人たちはどれくらいいますか」

「親しい女子? ほぼ全員? 男子以上にみやびのこと信頼してるからねー」

 一筋縄ではいかない相手なのはわかっているが、範囲が広すぎるな。

「南雲先輩の手足としてく動いてくれそうな主要メンバーは?」

「そんなことまで私が教えると思う?」

「先輩として、1年生に少しくらい華を持たせてくれてもいいんじゃないですか?」

「そういうこと言っちゃう? 生意気」

 そう言って笑う。だが嫌ではないようだ。

「まー私が言うのもなんだけど、2年は結束力が高いからね。正直、私たち2年生は1年や3年よりも早くにグループ分けに成功したんじゃない? バスの中で説明を受けた後、雅の指示ですぐに他のクラスにも情報の共有が行ったから」

 本来敵対しあっているはずが、やはり半ば仲間のような状態らしい。

 各クラスの代表格の名前があさの口から漏れ聞こえてくる。

 バスの中で4クラスは連絡を取り合い、ある程度の小グループを決めた。

 女子の方も同じように進んだらしい。

「1年や3年のグループと合流する時には? その時も適当に決めたんですか」

 男子は1年がドラフト制で選ぶという、南雲の提案だった。

「え? 大半はね」

「大半、ということは一部違うと?」

 そこで朝比奈は考え込むように、腕を組んだ。

「……どうして、だろ」

 朝比奈に、疑問が浮かんだのが分かった。

 その引っかかりはすぐに解決しないのか、沈黙が続く。

「話してもらえませんか」

「いやね、2年の女子から少しだけ大グループを決める時の要望が出たというか、調整が入ったのよね。その時の小グループって、雅に頼りにされてるメンバーが固まってた」

 グループが南雲の指示で作られたものなら、特別な役割を与えられている可能性がある。2年生の内情を知らなければ辿たどけない話だ。1年や3年の外野からは単なる仲良しの集まりにしか見えないだろう。

「その女子の存在する大グループに選ばれた1年や3年に、目立った人は?」

「そう言われても1年生のことはほとんどわかんないし。ただ3年生はほりきた先輩の書記をやってたたちばな先輩がいたかな。あ、でも責任者は別の人だから。変なことにはならないって。そもそもみやびは正々堂々やるって言ったんだよね?」

ずいぶんぐも先輩を信頼してるんですね」

 堀北兄も、その南雲の言葉に一定の信頼を置いているように見えた。

 堀北兄やあさの話を信じるのであれば、この一連の不信感は『フェイク』ということになる。正々堂々すると約束しつつ、裏では別の手段を講じようとしていると疑心暗鬼にさせたり集中力をぐためにそれを使う。

「あいつは言ったことは守るから。汚い手は使わない。そもそも女子グループに何かを仕掛けたって、堀北先輩と雅の戦いには何にも関係が無いでしょ?」

「そうですね。それは間違いなく関係ありません」

 朝比奈の疑問はもっともだ。

 南雲が提案したのは、堀北兄グループとの勝負であって、女子は無関係。

 だから橘のいる大グループに南雲の親しい2年女子が多数混じっているのも、無関係。

 表と見せかけて裏、と見せかけて表と言うこと。

 同じグループの3年、いしくら先輩への接触と意味深な言葉も、単なるフェイク、か。

 普通に探っていたら、いくつものピースが浮かび、はまっては消える感覚だろう。

 面白いやり方だな。

 さかやなぎりゆうえんとも違う、独特のスタイルの戦略。

「そういうわけで私に言えることがあるとしたら、気にしたほうの負けってこと」

「助かりました」

 ちやを聞き内情を話してくれた朝比奈に感謝を述べておく。

 もちろん朝比奈にしてみれば、それが雅への邪魔になるとはじんも思っていない。

 オレなどが相手になるとは考えてもいないだろうからな。

「まぁ頑張って雅に一泡吹かせてみて。ちょっとだけ期待してる」

「あぁそれと、一応もうひとつだけ」

「ん?」

 けいの情報と合わせればより正確性が増す、オレはもう少し深く突っ込むことにした。


    6


 グループの雰囲気が悪いまま迎えた6日目の夜。

 このままこの1日を終えれば、恐らくグループの明日は開かれないだろう。このままずるずると悪い関係のまま進行してしまうことが予想される。

 そして2日後に控えている試験で、高得点を残すことは難しくなる。

 入浴を終え、部屋に戻ってきても室内の雰囲気はかつてないほど険悪だった。

 いしざきは周囲に壁を作り、だれとも話そうとしない。

 けいせいも自分自身を強く責め、殻に閉じこもり口を開こうとしない。Bクラスの生徒は場を盛り上げようと雑談を繰り返していたが、周囲の重苦しい空気に耐え切れなくなりやがて沈黙してしまう。

 やがて消灯の時間が近づいたことを確認したひこが、部屋の電気を落とした。

 早く一日を終わらせるために。

「なぁ石崎。ちょっといいか」

 真っ暗な中、長く続く沈黙を破ったのははしもとだった。

「よくねーよ」

 橋本がベッドの上から声をかけるも、石崎は拒絶する。

 シーツの擦れる音から察するに、こちら側に背を向けたか。

「このままだと、多分このグループはかなり危うい。人数が少ない分有利な面もあるが、逆に不利な試験内容もいくつかある。最悪ゆきむらと誰かが退学になるぞ」

 その時、道連れにされるのは石崎じゃないのか?という含みも持たせた発言。

「っせえな。だったら退学でも何でも上等だ」

「やれやれ……」

 橋本からの救いの手が差し伸べられたかと思われたが、石崎は拒絶。

 あきらめたように橋本はため息をついた。

「……ふー」

 暗闇の中、橋本の顔を見ることは出来ない。

 これでグループとしての機能回復は不可能になったか。

 そう諦めかけた時だった。

「俺は小、中とサッカーをやってた。世間じゃ名門校なんて言われるところで、毎年全国で争うようなチームだった。エースってわけじゃなかったが、レギュラーで試合に出てはいたし、それなりにはくやってた」

 誰か特定の人物、ではなく室内の生徒全員へ向けた言葉が橋本から向けられる。

「おまえ今サッカー部じゃないだろ。だってしてるようには見えないし」

 暗闇から弥彦の指摘が飛んでくる。

「ああ。今時らないのは分かってたんだけどな、タバコ吸ってた時期があるんだよ」

「バレて退部ってことか?」

「いや、上手く隠れて吸ってたからな。知ってたのはウチの家族くらいなもんだ」

「喫煙は最低にしても、サッカーめる理由じゃないな」

 そんなひこの疑問はもっともだ。だれにもバレてなければ問題は生じない。

「疎外感みたいなのを勝手に感じてたのさ。全員一丸となって全国制覇を目指してる中、どこか冷めて見てる自分がいた。この場にいちゃいけないってな。あとはサッカーそのものが、それほど好きじゃなかったんだろ。だから俺はあっさりサッカーやめて、勉強することにした。元々器用な方だからな、勉強についていくのも難しくはなかったのさ」

「自慢かよ。聞かせんな」

 ここでいしざきからの嫌そうなツッコミが入る。

「良くも悪くも、世渡りのさだけが取り得なのさ。けど、たまに後悔することはある。グラウンドで練習に励むひらしばを見てると、俺もあの場所にいたのかも知れないってな。そんなに好きじゃなかったはずなのに不思議だろ?」

 そう自重気味に笑うはしもと

「おまえは? どんな幼少期だったんだよ、石崎」

「は? なんで俺に振るんだよ」

「なんとなくな」

「は……俺は何もねえよ」

 語るものはないと、話すことをこばむ。

 暗闇での会話に、けいせいが口を開いた。

「俺は小さい頃から、勉強ばっかりしてきた。歳の離れた姉が教員を目指してた影響もあってか、いつも生徒役みたいなものをやらされたんだ。小学校の時からバカみたいに高い難易度の問題を出してきたり、結構ちやする姉だった」

「それで勉強が得意になったってわけか」

 橋本が啓誠の会話を引き出すように、そう聞いた。

「ああ。それに運動が苦手で、何やっても大体ビリ付近だったのもある。苦手なものを克服せず長所を伸ばすことにした。スポーツ選手にでもなる人間以外、運動能力なんて伸ばしても意味がないと思ったからだ。この学校に入学してからもいろんな疑問にぶつかった。何より勉強の出来る自分はAクラスに相応ふさわしい能力の持ち主だと信じて疑っていなかった」

 その時を思い出すかのように、啓誠は一度口を止めて考え込んだ。

 啓誠の配属されたクラスはDだった。その時の絶望は計り知れないだろう。

「その後も、納得のいかないことばかりだった。クラスの連帯責任なんて納得がいかないし、無人島の生活なんてもっと意味不明で……ウチのクラスじゃどうが俺の対極に位置してた。スポーツは出来ても勉強は出来ない。最初はとんでもないお荷物と一緒にされたと思った。でも、無人島や体育祭じゃ、須藤の方が俺なんかよりもよっぽど役に立ってた。輝いている姿を、そばで見せられた」

 その声には、どこかくやしさのようなものをにじませていた。

「まだ納得できていない部分は、正直に言えばある。だけど段々理解してきたこともある。勉強だけが出来ても、運動だけが出来てもダメなんだと。この試験だってそうだ。両方出来ないと、好成績なんて収められない。違うか? いしざき

 ここでけいせいが石崎に話を振る。

「だから何で俺に───」

「俺は無人島や体育祭の時と同じ、くつじよく感で一杯だ。グループの足を引っ張ってる。身体からだを痛めて、だれかの負担が増えることになるし、何より士気を下げてしまったからだ。文句を言いながらも人並み以上にグループで役割を果たしてる石崎に、何一つ示せてない」

 ちやそうとしていた石崎が、言葉を詰まらせる。

 何も見えない。相手の顔すら見えない暗闇だからこそ、さらせるものがある。

「すまない石崎……手本を見せるべき責任者が、こんな状態だ」

 押し殺してはいたが、啓誠が泣いているのが分かった。

 だけど、誰もそのことに突っ込むようななことはしない。

 泣きたくて泣いているわけじゃない、悔し涙。

「ざけんな、んなので謝んなよ……って、責めたのは俺か……」

 そう自身を鼻で笑い、石崎も続ける。

「そもそも誰もやろうとしない責任者を、おまえが引き受けたんだったな」

 押し付けられても、拒否することは出来た。事実石崎は拒否した。

 それを受けた啓誠の誠意に、今石崎は気づいたのだろう。

「おまえに指示されるのはむかついてたけどよ、その指示がなかったら、グループはもっとひどい状態だったんだろうな。飯作るのにしても、持久走にしても」

「それは違いない」

 笑いながらはしもとが言った。

 勉強が出来る生徒、出来ない生徒。運動が得意な生徒、苦手な生徒。

 そんな十人十色の生徒が集まって、一つのクラスやグループが出来上がる。

 そこには、敵とか味方とか以前の問題があるんだろう。

 ぽつりぽつりと、ひこや他の生徒も語り始める。

 この日この夜、オレたちのグループが初めて、グループらしさを見せた。

 そんな気がした。

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