ようこそ実力至上主義の教室へ 8

〇敗北の予感



 学校生活では休みである土曜日も、この林間学校に滞在している間は授業がある。

 ただし授業とは言っても、平日とは多少異なる時間割だ。

 午前中で授業と呼べるものは終わり、その後は自由時間となっている。

 木曜日から幕を開けた特別試験も、早3日目。グループ内には不協和音が響き始めていた。それは早朝の5時を過ぎたところから始まる。

「あああ、クソ眠ぃい!」

 校舎脇にある屋外の炊事場で、石崎が叫ぶ。

「それは全員同じだ。あ、おい味噌の分量を間違えないように計りを使ってくれ」

 教師に渡された朝食用のメニューが載った紙をめくりながら、啓誠が注意する。

「っせぇな。そもそも何で俺まで飯作んのに参加しなきゃなんねーんだよ」

 手を動かし味噌を溶かしながらも、悪態をつくのをやめない石崎。

「仕方ないだろ。人数が揃っていないとペナルティになる可能性があるんだ」

「知るかよ、クソ……。あ」

「なんだ今の『あ』って」

「……なんでもねえよ」

「なんでもあるだろ。手に持ってた塩はどこにいった!?」

「全部入れたんだよ」

 どうやら、いしざきの担当していた味噌汁に大量の塩が投入されたようだ。慌てて火を止め、けいせいが味見をする。そしてむせ返る。

「入れすぎだ、げほっ! 飲めたもんじゃないっ……」

 そんな味噌汁を上級生に振舞ったら、強烈なバッシングを受けるだろう。そもそも身体からだにも悪い。

「作り直すしかないな」

「ふざけんなよ。作り直すんだったらおまえが一からやれよな。つかこうえんは!?」

「俺が知るわけ無いだろう」

「同じクラスだろうが」

 やいやいと味噌汁の件でめている2人をしりに、はしもとはカセットコンロの上でフライパンを器用に操り上手に卵焼きを作っていた。

「器用なもんだな……」

「いつも飯は自分で作ってるからな」

 そう言って自慢するでもなく、橋本はテキパキと料理を進めていく。そんな橋本のもとに無言で近づいてきたアルベルト。手にはボウル、溶かした卵が入っていた。

「サンキュー。もし出来るなら野菜のカットも頼む」

 アルベルトは大きな見た目ながら、器用にまな板で包丁を振るい始めた。食べる人数が多いため、橋本は次から次へと卵を焼いていく。どうやら料理に関しては、この2人がエース級の活躍をしてくれそうだ。そんな一方、オレは生野菜や食器の用意をするという非常に楽なポジションを勝ち取れていた。

 とは言え野菜も用意する人数が人数なだけに、大量だ。焼き物は手伝えないが、野菜のカットくらいはオレも手伝ったほうがいい気がする。アルベルトのそばに立つと無言でこちらを見てきたので、何となく目で会話してみる。

『切れるのか? おまえに野菜が』

『多分な』

 とかなんとか、適当な感じで理解しあいつつ包丁を手渡される。りよう生活になってから、多少なりとも扱っていて良かった。アルベルトの技量に合わせ野菜をカットする。

 にしても高円寺のヤツはどこに行ったんだろうな。トイレに寄ってから行くと言って既に30分以上っている。AクラスとBクラスの生徒を1人ずつ探しに向かわせたが戻ってこないところを見るに、見つけることが出来てないようだ。

 結局高円寺は朝食まで戻らず、戻ってきても腹痛でトイレにこもっていたの一点張りで多くを語ろうとせず、いしざきこうえんの関係はかんぺきに悪化したと見ていいだろう。


    1


 そんな土曜日の午前の3時間目、教室で道徳の勉強をしている時だった。

 外から女子の元気な声が聞こえてくる。

 3階の窓から外をのぞくと、元気よく校庭をランニングするいちの姿が飛び込んできた。

 初日はグループ作りに苦戦しているようだったが、元気そうで何よりだ。さかやなぎが一之瀬をつぶすと息巻いていたが、今のところその気配は見られない。表面上に限っては、だが。

 一之瀬のグループメンバーがだれであるか、上から見ることである程度あくできた。

 ウチのCクラスからは意外にも1人しか姿が見えない。Bクラスの生徒も一之瀬以外には知らない顔ばかりなところを見ると、男子と同じように4クラスを維持するための最低メンバーとしてBクラスから選ばれたのか。AクラスとDクラスの生徒は少し詳細が分からないが、体育祭の時にほりきたとの接触プレーに見せかけるため、りゆうえんの策略で深手を負わされた女子もいる。幸いにも完治したのか、今は差し支えなく走ることが出来ているようだ。

 ちなみにオレと同じCクラスの生徒は王美雨ワン・メイユイという名前の子がグループに参加していたようだ。

 中国出身で、小学生の時に日本にやって来て、以降この国で生活しているらしい。

 そんな話をクラスのどこかで聞いたことがある。

 愛称はみーちゃん。親しくもない人間が呼ぶにはハードルの高いあだ名だ。あとオレが知っていることといえば、クラス内での成績は非常に良くて、特に英語を得意にしている……そんなイメージ。テストの合計点では多少の差こそあったが、学力はけいせいと同等と見てもいいだろう。そして不思議なことに、運動面でも啓誠とは似ている部分がある。

 必死にグループのメンバーに食らいつこうとしているが、ダントツの最下位だ。今にも倒れそうに空を見上げながら、息を吐き走っている。フラフラと危なっかしい。

 いちはみーちゃんが遅れていることに気がつき、速度をゆるめた。

 そして支えるように励ましながら一緒に走ることを決めたようだ。そして、少し遅れてもう一人女子が合流する。Dクラスのしいひよりだった。

 運動は得意そうではないが、笑みを浮かべ2人と並走した。りゆうえんや周辺の口ぶりでは、椎名はDクラスの女子リーダー的な役割を担っているようだった。仮にそれが事実だとすれば、今見ている女子グループには2クラスのリーダーが存在することになるのか。

 こうなるとほりきたさかやなぎが混じっていても不思議じゃないが、2人はまた別のグループらしい。

 どうしてこのメンバーになるにいたったのか、その過程に少しだけ興味がいたところで、オレは授業内容に集中するべく窓の外へ視線を外した。教師から発せられた言葉によって、教室の中に重たい空気が流れ始めたのが分かったからだ。

「これから、おまえたちには自己紹介をしてもらう。だが、これは単なる自己紹介ではなく授業の一環であることを覚えておいて欲しい。これから毎日、おまえたちにはスピーチをしてもらうことになる。学年ごとにスピーチテーマの詳細は異なるが、判断基準は4つ『声量』『姿勢』『内容』『伝え方』となっている」

 スピーチという単語はバスの中で読んだ資料にも掲載されていた。

 これがこの林間学校における試験科目の一つであることは疑いようがなかった。恐らくこの大グループの中で一人一人が考えたスピーチをろうしなければならない。コミュニケーションを不得意とする人間にしてみれば、地獄のような試験内容かも知れない。

 1年生は、この一年を通じて学校で何を学び、これから何を学んでいきたいかということをスピーチするよう通達される。2年や3年は進路や就職など、将来に関する内容を含んだものになるようだ。

「マジかよ。クソみたいな試験だな……」

 そう吐き捨てたくなるいしざきの気持ちも分からないではないが、少々声が大きい。

 教師の耳にも届いたようだったが、特にとがめられることはなさそうだった。真面目にやるのも不真面目にやるのも、結果は最終的にはグループに返ってくる。好きにすればいいということだろう。

 休み時間になると、一人の男が1年のグループへと近づいてきた。足を机の上に乗せていたいしざきだったが、その男の登場に思わず姿勢を正す。

 2年Bクラスのきりやまという男で、ぐもみやび率いる生徒会の副会長を務めている。元Aクラス出身で、南雲に敗れたことからその軍門へと下ったようだ。しかし内心では南雲の失脚を望んでいるようで、ほりきた兄を通じてオレともつながりを持った。

「もう少し授業に対する態度を改めた方がいいように思える」

「は、はぁ。いやでも、別に騒いだりはしてないッスよ」

「石崎だけじゃない。おまえもだこうえん

 失脚を望んでいるとは言っても、あくまでも普段は従順な副会長を演じなければならない。大グループ全体の評価に影響しそうな点は、修正しておきたいんだろう。

「この特別試験は、最終日に行われる試験そのもので評価されるのだろう? 授業を真面目に受けるか受けないかは、然程重要なことではないと思うのだがねえ」

「今回の特別試験は筆記試験だけではない。林間学校中の態度による印象点も加味される可能性があると考えることは出来ないのか。それに真面目に授業を受けず、どうやって試験で高得点を取るつもりだ」

「答えはシンプルイズベスト。私だからというべきかな?」

「なるほど。高得点を取ることは容易たやすいということか。しかし、おまえが本当に高得点を取れるかどうか分かるのは試験終了後だ。グループ活動である以上、周囲が不安にならないように務める必要があるんじゃないか?」

「私の行動ひとつで不安になるようなグループなど、グループとしての価値はないねえ」

「それを判断するのはおまえじゃない高円寺」

「ではだれが判断してくれるのかな?」

「個人ではなく全体だ。この場にいる生徒全員で判断する」

 副会長の言葉に、堪えながらもニヤニヤと笑う石崎。高円寺をやり込めている様を見て喜んでいるんだろう。しかし高円寺はそんな『常識』が通用する相手じゃない。

「君たち全員が束になったとしても、私の方が人間としての価値が高い。きの出来ない人間に正しい判断など到底出来ないことさ」

「どうやらおまえは高校生と呼ぶにはあまりに無知であり、幼稚なようだな」

 全くひるまない高円寺に対して、桐山も常識という武器で戦う。気がつけば2年の半数近くが1年の座る席を囲うようにして姿を見せる。石崎も笑ってばかりはいられず、強張った顔つきへと変わる。周囲からは、やや恫喝に似た言葉も聞こえてきた。

「それに高円寺だけじゃない。他の生徒にもチラホラと問題が見られる」

 問題のある生徒には当然いしざきも含まれているだろうが、後のメンバーは正直浮かばない。全員がそれなりに真面目な態度で授業に取り組んでいたはずだ。恐らくきりやまは1年をひとくくりにして、気を引きめ直させるねらいがあるのかも知れない。生意気な態度を取り続ければ上級生を敵に回すことになる、という圧力で抑え付けようというのだろう。こうえんはあくまできっかけに過ぎない。

「そこまでにしておいてやれ桐山」

 3年生のいしくらが、この状況を見かねて助け舟を出してきた。

「あまり行き過ぎた指導は、いじめと受け止められることもある。妙なうわさが広まれば困るのはお前たちのほうだぞ。1年は十分に状況を理解したはずだ、そうだな?」

 石倉からの確認に、高円寺以外のオレを含めた生徒全員がうなずく。

「お見事ですね石倉先輩。ちゃんと状況を分かってるじゃないッスか」

 一部始終を、会話に参戦することなく傍観していたぐもうれしそうに話しかける。

「Bクラスにしておくには、もつたい無い人ですね。そもそも石倉先輩は運がない」

「運だと? 認めたくはないが、実力の差だ」

「俺はそうは思いませんね。先輩はAクラスにほりきたまなぶという天才がいたせいで、これまでずっとAクラスに上がることができなかっただけです。3年間、大健闘してきたことは知っています。AクラスとBクラスのクラスポイントでの差は312。卒業間近とは言え、肉薄していると俺は思っています」

「だったら、おまえがこのグループを勝たせてくれるとでも言うのか?」

「そうッスね。石倉先輩が俺にすべて託してくれるのなら、この特別試験で勝つ、なんて小さな満足ではなく、Aクラスに上がるための手伝いをさせてもらいますよ。堀北先輩を学校からはいじよすることだって出来るかも知れませんよ?」

「残念だな南雲。今回堀北は責任者についていないようだ。おまえも同様だろうがな。道連れに出来るような材料をあいつが作るはずもない」

「責任者がどうとか道連れがどうとか関係ないんですよ。つぶす方法はいくらでもあります」

 そう言って笑う。

「悪いが、おまえのことは信用できない。Bクラスの命運を託すなど到底な」

「それは残念ッスね」

 南雲はベラベラとグループ全員の前で口を開く。無邪気な無防備さか、それとも意図的に無防備さをさらしているのか。前者であるはずはないだろう。


    2


 その日の夕食。オレはこの日少し行動を起こすことにした。

 行動とは言っても、女子側の状況をよりあくしておくためのものだ。いちしいが同じグループであることが少し引っかかったからだ。他のグループがどうなっているのか、それだけでも理解しておくに越したことはない。

 けいはオレが接触しやすいよう、毎日似たような場所で食事をしていた。こちらから指示していたわけでもないのに、実に堅実な行動だ。

 対するオレは空いている場所を不特定にねらい、食べる場所を固定しなかった。

 念には念を入れ、恵と露骨なやり取りを避けることを選んでいたからだ。りゆうえんたち一部のDクラスの生徒、それから2年副会長であるきりやまと、オレと恵の関係を知る生徒も少なくない。それに身内側にも警戒しなければならない存在がいるしな。

 オレはタイミングをうかがい恵の近くに腰を下ろす。

 あとはどうやってオレの存在を気づかせるか悩もうとしていると───

「んー」

 恵に小声であいさつ? のような言葉をかけられる。どうやら友人との食事を楽しみながらも、恵はオレが来たことには気づいていたようだ。

 なら、慌てず向こうが邪魔者を追い払うのを待てばいい。

 恵はゆっくりと食事を進め、友人に対して先に部屋に戻るよう誘導していた。

 もし、途中で別の生徒が接触してくるようだったり、友人が最後まで残るようなら接触の延期も視野に入れるつもりだったが、誘導はく行ったらしい。

 やがて周囲から恵とオレに目を向けるものがいなくなったところで会話を始める。

 もちろんだれかが来れば、会話は即中断だ。

「それで? 3日目にしてあたしの力を借りたくなっちゃったわけ?」

「そんなところだ。女子の情報がなさ過ぎる」

「まあ仕方ないんじゃない? コミュ障のあんたに接触できる子は限られてるし」

 早速冷や水を浴びせられる。

 だが、それで恵がアドバンテージを取れ、関係維持につながるのなら安いものなのだが、少しだけ意地悪してみることにした。

「ならオレのアドバイスがなくても、特別試験は切り抜けられそうなんだな?」

「あ、当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるわけ」

「そうか。なら心配無用だな」

「……あとで一応、あたしの状況が心配ないかどうかも分析しておいてよね」

 不安になったのか、恵はそう言った。

「とりあえず女子のグループ分けから聞かせてもらおうか」

「あ、話の前にひとつ気になってたことがあるんだけど」

「手短にな」

 長々と2人で話し込んでいれば、怪しむ生徒も出てくるかもしれない。

「結構大事なことって言うか……あいつ、りゆうえんのヤツはどうしてるわけ」

「気になるのか?」

「そりゃあ、ね。女子の方でも話題になってるし。どうしてあいつがリーダーをめたのか、本当のことはだれ一人分かってないみたいだけどね」

「借りてきた猫、って表現は龍園には合わないが、今はずいぶん大人しくしてるみたいだ」

「あんたのおきゆうが効いたってことか」

「お灸、ね」

 その強気な発言の裏には、けいの弱気な感情も見え隠れしている。自身の弱みを龍園に見せたことに対する不安から、どうしても様子が気になるのだろう。

「龍園のことは心配するな。あいつは不用意なことはしない。少なくとも恵に対して何かするってことは今後ないと言い切れる」

 安心させるためにそう伝える。

 しかし、恵からの反応が戻ってこない。

 警戒していたつもりだったが、誰か来たか? そう思ったが違うらしい。

 オレはすぐに状況を察する。

「……ごめ、なんでもない」

 そうしてくる。

「なんでもないって様子じゃないだろけい

「な、なんでもないってばっ」

「恵、本当か?」

「……ちょっと待って。あんたわざとでしょ!」

 振り向きこそしなかったが、恵のドスのいた声。

 ちょっといじりすぎたか。

「あぁもう。ほんと、下の名前で呼ぶのなんて許可しなきゃ良かった……」

「そもそも最初に呼び出したのはそっちだけどな」

「あ、あれは仕方なくだし」

 そんなことより、りゆうえんのことが納得できたなら早く話を進めさせてもらいたい。

 けんそうまぎれていると言っても、知る人間が見ればこの位置関係に疑問を抱く。

「一応、可能な限りは情報を集めてきたけど……話していい?」

「ああ」

「ってか先に言っておくけど、あんたの希望してたグループの全体あくなんて全然出来てないからね」

「分かってる。おまえにそこまでは求めてない」

「なーんかむかつく言い方。さすがのあんただって、どのグループにだれがいるかなんて全部は分かんないでしょ?」

「さあ、どうだろうな」

「……何よ、まさか全員覚えてるとでも言うつもり?」

「一言もそうは言ってない」

「Bクラスのしばくんは?」

かんざきが率いるBクラス中心のグループ」

「Aクラスのつかさくんは?」

「それも似たような感じだな。まとって生徒が構成したAクラス中心のグループ」

「じゃ、じゃあすずくんは?」

「その名前のヤツなら、オレとは違う小数グループに配属されてたな」

「全部覚えてんじゃん!」

「名前を知ってるヤツ限定だ。ただ顔を見ればどの生徒が、どのグループになったかは覚えてる」

 この試験があってよかったと思ったことは、1年の生徒の名前を全員覚えようと決められたことだ。

 試験後には恐らくほぼ100%、名前と顔を一致させることができるだろう。

 確認漏れや、勘違い等がなければ、だが。

「はー……どうやったらそんな記憶力良くなるんだか。あんたってメガネかけたガリベン君タイプだったとか?」

 残念ながら、けいの言ってることはよく分からない。

「それより本題だ。さかやなぎむろのグループはどうなってる」

「2人は同じグループでAクラス9人の3クラス構成。最初にAクラスが固まったのよね」

 説明を恵から受ける。Aクラスは男子同様ほぼ固まってくる戦略を打ってきたか。

 しかし12人ではなく9人にしたか。

「3クラス構成ということは、どこかは参加しなかったんだな。あるいは坂柳が入れなかったのか?」

「Bクラスからは受け入れないってことで、最初から拒否してた。いちさんは信用できないとか何とか。まぁ言ってたのは坂柳さんじゃなくて神室さんだったけど」

「信用できない、か」

「そりゃ別のクラスの生徒なんてだれも信用できないけど、名指しでそう言われたのは一之瀬さんだけなのよね。でもそれって変じゃない? あたしでも彼女の良い評判は聞くし」

 もし1年の別のクラスで信用できる生徒を一人げろといわれれば、間違いなくオレも一之瀬を挙げる。もちろん他クラスの人間ならば、くしの名前を出す生徒も少なくないだろうが。

 ともかく一之瀬は学年では1、2を争う信頼度の高い生徒のはずだ。

 しかし3クラスかつ最小人数となればほうしゆうも目減りする。

 絶対的な勝ちは拾えないが、絶対的な負けもない戦略。

「ずるいよね。Aクラスは守ってればいいんだから。グループ作るのも強気強気」

「そうだな」

 堅実な手堅い作戦だが、この手を立案したのは十中八九坂柳のはず。

 攻撃的な性格のあいつが、守りスタンスの戦略を使うとは意外だ。

「それで、あたしはこの後どうしたらいい? 何か仕掛けたりしたほうがいい?」

「今回の試験では小細工じゃどうにもならないこともある。ただ、何人か監視してもらいたい相手がいる」

 そう言って、オレは主要になりそうな人物を数人ピックアップして伝える。

「ん、結構大変だけどやってみる」

 しっかりと教え命じられたことには素直に従う。それが恵の長所だ。

「でも今回の試験なんなわけ? 作法だとか道徳だとか本当に必要なものなの?」

「どうだろうな。これは物語的に言えば、マクガフィンみたいなものかも知れない」

「え? マグカッ───」

「マグカップじゃないぞ」

「わ、分かってるわよ。で、それがなんなわけ?」

 全然分かっていないようだった。

「登場人物にとっては重要な『モノ』だが、物語上では対して重要じゃないモノのことだ」

「全然分かんない。きよたかが頭良いのは分かったから、分かりやすく説明しなさいよ」

「作法や道徳は必要なものだが、一つ一つはそれほど重要なものじゃないってことだ」

 食事の時間も残りが少なくなり生徒が散り始めた。

「しかし今回の試験は───荒れるかも知れないな」

「荒れるって……どういうこと? 清隆の思ってる方向に進んだら、ヤバイことになるってこと?」

「安心しろ。少なくともおまえに被害が出ることはない」

 今回、荒れるのは恐らく1年じゃないだろう。オレはトレーを持って立ち上がる。

「また必要があれば声をかける」

「了解」

 そんなやり取りを終え、オレは一度共同部屋へ戻ることを決めた。


    3


 それは3日目の夜。3度目の大浴場に入ったときのことだった。広い浴場の中、ある一角に数人の男子生徒が集まっていた。やまうちいけの姿だけではなく、しばなどのBクラスの生徒も一部見えた。

 偶然一緒にへと入ってきたかんざきと顔を見合わせる。

「珍しい組み合わせ、のようだな」

 神崎も驚いた様子でその集団を見つめる。

「みたいだな」

「そっちのグループはどうだ。特にトラブルは起きていないか?」

「どうかな、あまり順調とは言えないかも知れない」

 素直にそう答えると、神崎は驚くこともなく納得した様子を見せた。

「少人数で4クラスの生徒が満遍なくいると、そんな傾向になりやすそうだ」

「それだけならいいんだけどな」

もりやまたちから報告は受けている、全員がこうえんには手を焼いているそうだな」

 そのあたりの事情は、当然想定の範囲内か。

「クラスメイトとして尽力してるんだが、全く制御できない」

「制御と言えば……りゆうえんの様子は聞いているか?」

「いや、全く耳にしないな」

 あきりゆうえんをグループに引きいれてから今日で3日目。

 やトイレ、食事時に姿を見かけることはあってもすれ違うだけだ。

「何か企んでいればうわさのひとつも出てきそうなものだが、報告は全く上がってこない」

 Bグループのサブリーダー的立場のかんざきがそういう以上、そういうことなんだろう。すべての事情を知るオレにして見れば龍園が何かするわけがないのだが、周囲の疑いの心もついに薄れてきたのかも知れない。

 しかし、当面の間気を抜くことはないだろう。試験本番、その最後に仕掛けを打ってくることだって多いにあると予想できるからだ。

「もし困ったことがあれば相談してくれ。Cクラスとはこれからも良好な関係を続けたい。もちろんいちもそう考えている」

「ありがたいことだな」

「一之瀬はほりきたを高く買っているようだ。能力、というよりは素直さの面をだが」

「素直さ……ね」

 堀北が素直な性格かと言われれば、正直なところ素直とは到底思えない。

 しかしここで神崎の指す素直という言葉は、オレの考える素直という言葉と少し意味合いが違うものなのだろう。

 約束したことをしっかりと守る、そんなりちさの部分じゃないだろうか。

 さかやなぎや龍園には、その面は全く期待できないだろうからな。

「おっ神崎! こっちこっち!」

 入り口に立ち尽くして話し込んでいた神崎を見つけしばが手を振る。

あやの小路こうじ~おまえもこいよ~」

 そしてオレも似たようなタイミングでやまうちに捕捉され手招きされた。断るような流れでもないため近づいていく。

「どうした」

 神崎が柴田にそう声をかける。

「いやさあ、実はちょっと変なことで山内たちと盛り上がっちゃってさ」

「変なこと?」

「学年で一番アレが大きいのはだれかって話になったんだよ」

「アレ、とは?」

「決まってるじゃんココだよココ」

 柴田は笑いながら、白いタオルを巻いた腰もとの中心を指差す。

「……そうか。面白いことをしているな」

 そう言いつつ、神崎は柴田の子供のような競いにあきれたため息をついた。

「いや俺だってガキみたいだなって思ってるんだぜ? けどさ、意外と盛り上がるんだよコレが」

 どこに盛り上がる要素があるのか、かんざき同様オレにもさっぱり分からない。

 互いに顔を見合わせ、タイミングを見て距離を置くことを決める。

 しばたちが談義を再開したところで神崎が離れた。

 オレも少し遅れてその場を離れようとする。

 しかし───

「今のところ、だれが暫定王者なんだよ」

 話を聞きつけたのか、ゆうしやくしやくの態度で現れたのはどう

 がっちりとオレの両肩をつかんで聞いてきた。そのため逃げられなくなる。

「……さぁ、オレにはさっぱり」

 そうはぐらかす。

 大半の生徒が腰にタオルを巻く中、堂々とした姿を見せている。

「おぉ……さすが須藤」

 Bクラスの柴田が、固唾かたずを飲み込んだのが分かった。

「暫定王者はDクラスのかねだ」

「金田ぁ? あんなヒョロメガネかよ」

 どけ、と柴田を押しのけやまうちたちに合流する須藤。

 金田は参戦する気など全くなかったようで、居心地悪そうにしている。

「来てくれたかけん! おまえだけが頼りだ!」

「任せとけ」

 Cクラス代表として須藤が参戦する。

 争いに巻き込まれ、困惑する金田に須藤が立ち向かう。

の中までメガネかよ」

「そうしないと、視界が悪すぎて歩けませんからね……」

「そうかよ」

 もちろん暴力行為などは一切無い。ただ、互いに隣に立ち合うだけ。

 勝敗が着くのは大抵一瞬だ。

「っしゃあ!」

 須藤が高らかに風呂場でガッツポーズする。声が響き渡った。

 やっとゲームが終わった、そんな様子で金田は逃げ出す。

 巻き込まれたのが災難だったな、としか言えないが。

「俺が王者で決まりだな」

 須藤の強さを知って挑む生徒もそうはいないだろう。

 これで無益な争いは終了か、そう思われたが……。

「王者? 笑わせるなよどう

 高らかに笑い続ける須藤に、ひこが食って掛かった。

 しかし須藤は弥彦の裸をいちべつしただけで、相手にしない。弥彦は前を隠していないため、もはや戦うまでもなく勝負はついている。

「俺とおまえじゃ勝負にならねえよ」

「確かにな……だが、相手をするのは俺じゃない」

だれが相手でも同じだ。王者はDクラスの───」

「違うぞけん、CクラスだCクラスっ」

「……そうだった。王者はCクラスの須藤健様だ!」

「最下層から1つ上がっただけだろ。Aクラスのかつらさんに勝てると思うなよ!」

 どうやら戦うのは弥彦ではなく、その弥彦が慕ってまない葛城のようだ。

 その葛城はに座り、まさに頭を洗おうとシャンプーに手を伸ばしたところだった。

 シャンプーをどの部位に使うのか多少興味があるが、聞けるような空気じゃない。

「やめろ弥彦。俺はこんな下らない争いに興味は無い」

「そうはいきません。男のプライド、いえ、Aクラスの威信にかけて勝たなければ!」

「下らん争いだ……」

「そうでもないんじゃないか葛城」

 はしもとが近づいてくる。弥彦は露骨に嫌悪感を見せる。

「弥彦の言うようにAクラスのプライドがある。須藤に立ち向かえるのは、おまえの持ってるソレくらいなものなんじゃないか?」

 橋本は直接葛城のソレと呼ばれるものを確認した。

 そして勝算があると見込んだのだろう、不敵に笑い勝利の可能性を抱く。

 一方の葛城は立ち上がろうとしない。

「来いよ葛城」

 挑発する須藤に対して、葛城は静の態度を崩そうとはしなかった。

 しかし、周囲のボルテージは上がる一方。

 葛城と須藤との戦いを見たいとはやし立てる。

「全く。このままでは落ち着いて頭を洗うことも出来ん」

 ということは、やはりシャンプーは頭に使うつもりだったのか。

「勝負は一瞬だろ葛城」

「……好きにしろ」

 もはや勝負を受けることが最善の策だと、ゆっくりと立ち上がる。

 大きな身体からだに、周囲が感嘆の息を漏らす。

 そして相対する竜虎。

「こ、これは───!?」

 判定に回ったやまうちが、しゃがみこむ。

 左右それぞれの戦力をチェックするが、その差はどうもきんらしい。

 判定待ちの間、どうは感心する。

「やるなかつら。Aクラスの切り札と言われる理由に納得だぜ」

「くだらん……」

「判定結果は───」

 山内が立ち上がる。

「ドローだ!」

 引き分けなどあまりなさそうな戦いで、ドローのジャッジが下される。

 その判定に物言いをしようといけしばたちも集まってくる。

 だが、山内の判断は的確だったのか、どっちが上だと断定できない様子。

「……もういいか?」

 見物されることにへきえきした葛城が、強引にもとの位置に戻った。

「認めたくは無いが、暫定1位2人っつーことで」

 だれも反論しないだろうと思われたが、事態はこれで収束しない。

「おまえらの死闘見させてもらったがよ、甘いな」

 そう言ったのはDクラスのいしざき

「はっ。笑わせんな石崎。おまえじゃ相手にならねぇよ」

 戦うまでもない、と須藤は笑う。石崎はひことほぼ同レベルだ。

「相手をするのは俺じゃねえ」

「なに?」

「バカが! 俺たちDクラスには究極の切り札がいんだよ!」

「……まさかりゆうえんか?」

「ちげえよ!」

 石崎が高らかに叫ぶ、その男の名前を。

「アルベルト、おまえの出番だ!」

 そう呼ばれた瞬間、周囲の男子がざわついた。誰もが一度は頭に過らせながらも、あえてアルベルトだけは外して考えていた。そんな暗黙のルールが破られた瞬間だった。

「おまえ、それはずるいだろ!」

 王者の風格を漂わせる須藤ですら、動揺を隠せない。

「抜かせ。学年一を決める試合ならアルベルトだって俺たちの味方だ!」

 まぁ話の流れから考えれば石崎の主張はもっともだ。

 ただ国を飛び越えての戦いが、不利なことはだれにも否定できない。

 日本のプロ野球もレベルは高いが、メジャーの試合を見れば、身体能力の差は火を見るよりも明らか。

 身体からだの骨格、遺伝子から違う外国人の肉体に驚かされるだろう。

 ぬっ、と静かに現れるアルベルト。どうかつらも恵まれた体格をしているが、その比じゃない。

 しかもなのにサングラスをかけている。普通はくもって前が見えなくなりそうなものだが、曇り止めジェルでも使用されているのか、アルベルトの動きに迷いは無い。

「くっ、でけえ……」

 アルベルトの腰には、バスタオルが巻かれている。

 どうやら須藤のつぶやきは体格に対してのもののようだ。

 こうして直に比べてみると良く分かる。

 中学生と大学生、それくらいの差がある。

 となると、当然互いの持っている武器の差も、ソレに等しいか。

 あるいはわずかながら、大した武器ではないことを祈るしか須藤には出来ない。

「かかってこいやあ!」

 恐れず、須藤は前へ。

 王者として、逃げるわけにはいかない。

 アルベルトはただただ、無言。

 そしてあつ的。

 バスタオルを取る作業すら、いしざき任せだった。

 取り払われるヴェールを、王者須藤のみならず全員が見守る。

 ラスボスに相応ふさわしい武器が飛び出すのか。

 はたまた大番狂わせ、意外にも小物なのか。

 今、雌雄が激突する。

「いけ───アルベルト!」

 石崎も知らないのであろう、アルベルトの戦闘力が明らかになる。

「こ、これは───!?」

 まず真っ先に王者の目に飛び込んできた、秘められしアルベルトの正体。

 そして訪れるせいじやく


「負け───た」


 王者須藤の一声。

 ひざから崩れ落ちる、圧倒的敗北感。

 かつらとの対戦のように、判定にもつれることすらない。

 それほどに強烈な差がそこにはあった。

「これがアルベルト……ラスボスの強さなのかよっ」

 やまうちしばたちも戦意を失い、どうのように崩れ落ちる。

 もはやかなう相手などいない。

 絶望の風が吹き荒れる。

 アルベルトは巨体をゆっくりと屈めてタオルを拾い上げ、そのまま歩き出す。

 男たちは須藤に続くように膝をつく。

 敗北を認め、全員があきらめかけたときだった。

「はっはっは。君たちはチルドレンのような愉快なことをしているようだねぇ」

 この重い空気を一瞬で両断するこうえんの声。

 湯船の中から、この一連の騒動を見守っていたようだ。

「んだよ高円寺。おまえはくやしくないのかよ! 須藤のこの無様な姿を見ろよ!」

 叫ぶ山内。須藤は悔しさからまだ立つことが出来ないでいる。

「知っているさ。レッドヘアーくんにしては、健闘していたようだがねぇ」

「んだ、てめぇ、おまえならアルベルトと戦えるとでも言うつもりか?」

 瞳の色を失った須藤からの質問。

 高円寺の態度はいつもと変わらなかった。

「私は常にかんぺきな存在だ。男としても、究極体なのだよ」

「はぐらかすな。具体的にはどうなんだ」

 湯船から出ようともせず、高円寺は髪をかきあげる。

「争うまでもないことさ。私より優れた者がいないことを知っているからこそ、無益なことで血を流す必要はないのさ」

「そんなこと言って、アレはそうでもなかったりするんじゃねえの?」

 山内が針を刺す。

 しかし、高円寺の態度には全く変化をもたらさない。

「実に愚かだねぇ。しかしたまには君たちの遊びに付き合ってみるのも面白いか」

 挑戦を受けるつもりのようで、高円寺は再び髪をかきあげた。

「それで私の対戦相手は、アールベルトくんでいいのかな?」

 なぜ伸ばし棒をつけた。

「違う、葛城さんだぁ!」

 ひこが叫ぶ。

「いや、俺は関係ないだろう弥彦……」

「アルベルトと勝負して、こうえんが勝てるわけないじゃないですか! 日本人代表として、お願いしますかつらさん、どうかあいつを倒してください!」

 ひこも、高円寺と同じグループだからな。

 日々色々と思うことがあるのだろう。

 湯船にいたとはいえ、高円寺は恐らくどうたちの戦力を具体的には知らないはず。

 互角である葛城なら十分勝機はあるだろう。

「……全く……。あと一度だけだぞ」

 あきれながら、日本人代表、葛城が立ち上がった。ぶるんとアレが揺れる。

 その度に男子は、神々しいものを見るかのような目に変わっていく。

「や、やっぱりデケェ。アルベルトは無理でも、高円寺なら───」

「フフフなるほど。に一度は王者に上り詰めただけのことはある、ということだね」

「早く済ませてくれ」

「しかし、私の相手ではないね」

 それを見て、湯船から立ち上がろうともしない高円寺。

「おいおい、びびってんじゃねえのか高円寺。湯船に隠れたソレは飾りか?」

 いしざきからもあおりが飛んでくる。

「戦うまでもない相手に、刀を向けるほど愚かではないのさ」

「へっ。だったら完膚なきまでに心を打ち砕いてやるぜ。なぁアルベルト!」

 海外代表の男アルベルトも、葛城の横に立つ。

 すると葛城すら、小物に見えてしまうという現象が起こる。

 それを目の辺りにした高円寺の表情が初めて劇的に変わったのが分かった。

「ブラボー」

 パン、と手をたたく。

「なるほどなるほど。流石さすがは世界代表、伊達ではなさそうだ」

「分かったか高円寺。おまえがどんだけピエロだったかってことがよ」

「俺はもういいだろう」

 身体からだを洗い終えた葛城は、高円寺から距離をとるように湯船へと入った。

 もはや全員葛城に興味はなく、高円寺とアルベルトの戦いに興じる。

「本来、男には見せる主義ではないのだがね。一度きりのサービスだよ」

 高円寺はあえて、そばに置いておいたタオルを手にすると、武器を隠すように立ち上がり腰に巻いた。

 そして、ゆっくりと湯船から出てくる。

「や、やる気かよ高円寺」

 たいする究極の変人対王者。

「勝負は最初から分かっていることだがね。全員に生き証人になってもらうよ」

 こうえんはポージングを決めながらヴェールに包まれたタオルを取り払った。

 その瞬間まばゆいばかりの光が目に飛び込んでくる。

 金髪に染め上げられた、ライオンのタテガミにおおわれた一本の剣。

 いや、それは剣と呼ぶにはあまりに巨大すぎた。


 アルベルトがそばで小さくつぶやくのが聞こえた。


『Oh my God』と。


「これで私がかんぺきな存在であることは証明されたようだね」

 生き証人とされた男たちからは、声すら漏れない。

「おまえ、本当に人間かよ」

 もはや国籍を超えた圧倒的なパワーの前に、どうはそう評するしかなかった。

 須藤やかつらがライフル、アルベルトをバズーカとするなら、高円寺は戦車だ。圧倒的火力の前には、太刀打ちすることなど出来ない。その巨大さと装甲、火力でなぎ倒す。

 もはや、高円寺の道をふさぐ者など現れることはないだろう。ならこの大浴場には、アルベルトを倒すことの出来る生徒も存在しないのだ。

 そう、だれもが認めかけた時だった。

「クク。待てよ高円寺」

 声がかかる。

 高円寺が先ほどまでいた、湯船の中からだった。

「りゅ、りゅうえん……」

 誰かが正体に気づく。

 高円寺の近くのジェットバスで、身体からだを温めていた男、Dクラス元リーダーりゆうえんかける

 アルベルトや高円寺たちの戦いを見ていたであろう男の瞳には、色が宿っていた。

「まさか君が私の相手になれるとでも?」

「いいや、さすがの俺もおまえのソレには勝てないようだ。だが、良い勝負をするヤツが一人だけいるかも知れないぜ?」

 匂わせる表現をすると、一斉に生徒たちは見回す。

 しかしそんな存在などいるはずもない。

 それで直感する。

 今まさに、オレは龍園のわなにかかってしまったのだと。

「ほう? ソレは誰だね」

 こうえんも多少興味があるのか、りゆうえんに問いかける。

「さあな。だが俺の勘違いでなけりゃ、この場で腰にタオルを巻いていて、その実力をひた隠ししているのは、あと一人だけみたいだけどな」

 そんな本当にやめてもらいたい爆弾だけを残し、龍園は湯船に入って背を向けた。

 幸いにも龍園の言葉を聞いていたのは数人だったが、どうしても視線は集中する。

 恐らくはこの浴場にいる全員のみならず、日本中の人間が注目している気がする。

「まさかおまえみたいなヤツが? まさかなぁ」

 そう言ってひこは、オレのそばに近づきにらみつけてきた。

「……あんなヤツの言葉を真に受けるのか?」

「そんなつもりはないけどな……。ただ、おまえだけずっと隠してるのは気になる」

「気になるも何も、オレは最初から参加するつもりはないだけだぞ」

 一歩下がりながら参加を拒否する。

「そうだろうけどな、一応チェックさせてくれよ」

 やまうちと弥彦がオレを挟むように近づいてくる。

 その時、龍園が不敵に笑ったのが見えた。

『おまえに敗北を味合わせてやるよ』

 そんな視線と笑み。

 やはり……。

 オレのがどうであるかなど知るはずのない龍園が、意図的にけしかけてきた。

 高円寺とたいさせ、どんな形でもオレを『負け』させたいらしい。

 なんとも龍園らしい意地の悪い戦い方だ。

 全力で浴場から逃げ出すことも出来るが、それはこの林間学校での入浴をすべて否定することにもつながる。遅かれ早かれ、このヴェールはがされてしまうだろう。たったひとつだけ助かる方法があるとしたら、向かってくる生徒全員を返り討ちにすることだが、それはもはや策略とは言えない。どちらにせよ負けみたいなものだろう。

 つまり、この理解不能な戦いを避けて乗り切る方法は皆無ということ。

 オレが微動だにしないでいると高円寺が笑う。

「はっはっは。恥ずかしがることはないよあやの小路こうじボーイ。プロテクターがついていたとしても、それは日本男児の多くが持っているもの。保護してくれる大切なものさ」

「おまえは保護してないだろ高円寺」

「既に圧倒的な強さを身につけているからねえ。防具は不要なのさ」

 いや、まだ逃げ切る方法はあるはずだ。

 考えろ、探すんだ、活路を───。

「おまえらコールしてやれ、コールを」

 ドロップアウトしたくせに、湯船からそう生徒たちをきつけるりゆうえん

 策を打ち、こちらを逃がさない戦略を仕掛けてくる。

「外せ! 外せ! 外せ!」

 突如として沸き起こる、男子一同の外せコール。

 だれが焚きつけたなど男たちにとってはさいなことか。

 オレは龍園によって、そして男子全員によってからめとられた。

 ただ一日の疲れをいやすために入った、この浴場で。

「……分かった」

 時に、戦う必要があることは否定しない。

 そして今がその時であることも認めるしかないだろう。

 武器を手にする男として、戦えるのであれば、戦うべきなんだろう。

 大切なのは勝敗、いやプライドなどではないのだ。

「好きにしてくれ」

「介錯してやろうか? あやの小路こうじ

 近づいてくるどう。オレはそれを手で制する。

 オレは鳴りまない外せコールを受け、その腰に巻いたタオルを自ら外す───。

 続いていたコールが、ボリュームを一気に落としていく。

 そして先ほどまでのうるささがうそのように、せいじやくな時間が訪れた。

「ま、マジかよ綾小路のヤツ……」

「信じられない……」

 ひそひそ話をするかのように、誰かがどこかでオレのことを話す。

「これはこれは、正直感心したよ綾小路ボーイ。まさか日本人で私と互角の戦いを演じることが出来る人間がいるとは思わなかった。誤差数ミリなど私たちにしてみればあってないような差だよ」

「……まるでTレックス同士の対決のようだな……」

 湯船から、感心するようなあきれるような目でオレたちを見上げる男子たち。

「君たちは歴史の生き証人になったみたいだねぇ」

 全員に向かって、こうえんはフフフと笑いながらタオルを肩にかけた。

「しかし厳密には私の勝ちだろうね。Tレックスにたとえて言うなら、獲物を食らってきた数、すなわち経験値の差でね」

 もはや詳しく語るまでもないと、高円寺もざばりと湯船に身体からだをつけた。

    4


 夜中、オレは共同部屋のベッドの上にいた。

 既に消灯時刻は過ぎ、深夜1時。当然ながら全員寝静まっている。

 明日に備えて眠るべきタイミングで起きていたのには理由があった。

 それはオレの枕の下に置かれてあった一枚の紙。そこには25という数字が書かれていた。

 シンプルだからこそ考えられることは少ない。25時という合図が受け取れるメモだった。だれが置いたものかは見当がつかないが、それを確認するために起きていた。

 これが単なる悪戯いたずらや全く異なった意味のものであれば、それはそれでいい。

 この時間を使って、落ち着いて物事を考えることが可能だ。

 この特別試験の本質がどこにあるのか。特別試験の内容のぜんぼうが少しずつ見えて来た。

 具体的に加点部分が説明されたわけではないため、憶測の部分も含むが、ほぼ確実に試験にからんでくるであろう項目がいくつかある。


『禅』

 座禅開始までの作法から、座禅そのものの姿勢などを採点。作法の間違いや、警策でたたかれたりした場合に減点されると予想できる。

 『駅伝』

 順位とタイムで競われるシンプルな判断基準になるだろう。


『スピーチ』

 大グループ内で1人1人がスピーチを行う。採点方法は既に開示されていて『声量』『姿勢』『内容』『伝え方』の4項目。


『筆記試験』

 道徳問題を中心とした筆記試験もあると考えられる。これは通常のテストと同じで点数のしがそのまま結果に直結するはずだ。


 他にも『清掃』や『食事』など気になる要素もあるが、今はまだ判断できない。

 遅刻の有無やグループ内におけるトラブルなども、場合によっては試験外だが査定の一つになっているかもしれない。

 この異質な特別試験の攻略に、多くの生徒が頭を悩ませているんじゃないだろうか。

 本質を理解することで見えてくる必要戦略。

 真っ当にグループ内の結束力を高め、カバーしあい、高い平均点を獲得する。

 言わば王道の戦略。簡単なようにも思えて、なかなかハードルが高いことはグループ作りの時から見ても分かる通り。普段敵対しあっている生徒と完全な形で協力するというのはとても難しい。

 ウチのクラスで言えばほりきたひら、他クラスならいちかつらが選択する方法だろう。グループ内に強い影響力を持ち、統率力を発揮できるかで差が生まれてくる。

 メンバーの選定はもちろん重要だが、この特別試験の内容から活躍できる生徒を最初の段階で見抜くことはほぼ不可能だ。学力では申し分のない活躍が期待できるけいせいだが、初日の座禅では5分2セットすら苦しい様子だったし、足を組むことすら出来ない生徒もいた。今の段階では運動の出来る出来ない、勉強の出来る出来ないだけでは測れないものが大半で、これから先は、適応力を持った生徒が頭角を現してくるだろう。

 そして王道とは外れた戦略を打ってくる生徒も、少なからず存在すると思われる。

 学校側も趣向の変わった試験を用意するのに苦労していることが、今回のルール説明の時からうかがえている。初めての特別試験、無人島の時からそうだが、ルールには必ず虚を突く穴のようなものが存在する。暴力を禁止された無人島で、ぶきと堀北が殴りあいをしたように、死角が存在するからだ。

 もちろん、その違反行為がバレた時のデメリットは大きい。即退学措置も用意されていることから大半の生徒は実行に移すこともしないはずだ。そもそも、違反行為をすれば勝てる、という単純なものでもない。

 わずかな死角、穴を突いて王道を出し抜く一撃を放てるかどうか。高いハードルを越えなければならない。

 オレはこれまで、特別試験では何かしらの手を加えてきた。

 無人島ではほりきたをリタイアさせることでリーダーをすり替え、船上試験では携帯を使ったトリック、体育祭ではあえて目立つ行動を取り、ペーパーシャッフルではくし封じをした。

 だが今回、オレは何もしないことを早々に決めた。

 情報は集めつつも、あくまでも傍観者を決め込む。それが、フェードアウトし、一般生徒として卒業するためのプロセスに必要な行為だと判断しているからだ。

 もし、今回のことでCクラスが大きなマイナスをこうむるとしても、何もしない。

 一定の関心をオレに寄せてきているさかやなぎぐもに、オレが戦う意思のないことをアピールするねらいもある。効果のほどは、懐疑的だが。

 堀北兄も、オレが静観したとして責めることは出来ないからな。

 ただし、唯一こちらが取る手段があるとしたら、それは防衛だ。オレを退学させようとしてくる生徒がいれば、自衛させてもらうのは当然のこと。

 25時を過ぎた。特に変わったことは起きないようだ。

 だったらそろそろ眠ろう。そんな時だ。

 部屋と廊下を結ぶ扉のすきから、光が僅かに差し込んできた。モールス符号だ。

 光の点滅での通信。林間学校の夜中、廊下は非常に暗いため懐中電灯が部屋に何本か常備されている。恐らくそれを持ち出してのことだろう。オレを呼び出す合図だということは分かった。光は音もなく静かに去っていく。オレは上半身を起こし、静かに立ち上がる。部屋にはトイレがついていない。夜中にトイレに立つ行為そのものは、けして不自然なものではないだろう。


    5


 部屋を抜け出す。廊下は真っ暗だったが、僅かに足音が遠ざかっていくのが分かった。

 追いかけていく。その光の正体は、堀北まなぶだった。

「あんたがオレに接触してくるなんてな。目立たないか?」

 オレのベッドにメモを仕込むには、オレが寝ている位置のあくが必須だ。

 となれば、思い当たる人物はひとりだけ。

 初日にトランプを持って南雲と共にやってきた3年のいしくらだろう。

 ヤツに聞けばオレがどのベッドを使っていたか分かっただろうからな。

「寝静まった夜中に、密会する生徒は少なくない。今回の試験では2つ3つ策略が動いているだろうからな」

 1年から3年までが勝つために知恵を振り絞っている。とは言え、こうして密会する連中の考えることは大抵ろくでもないことだ。

、このタイミングで呼び出したか分かるか?」

ぐもの行動が不気味だから、って理由以外には見当たらないな」

「その通りだ。同じ大グループに含まれたおまえなら、何かつかんでいる可能性があると思って声をかけた。それにバスの中で送ってきたメッセージの返答を返したかった」

「先に言っておくが、期待はずれだ。南雲におかしな動きはない」

 いくつか気になる点はあるものの、オレは何も掴んでいないとうそをついた。

 南雲はほりきた兄に勝負を持ちかけた。大勢の前で直接対決を持ちかけた以上あっさりと負けるのは同じ2年に示しがつかない上に、先輩や後輩からも今後懐疑的な視線で見られかねない。戦う以上絶対の勝算を持って挑むはずだ。だが、それが掴めない。正々堂々を堀北兄に注文された上での勝負となれば、大グループの授業に対する取り組み姿勢などを厳しく徹底管理していくと思っていたが、その気配もまるでない。

 それが堀北まなぶに対して不安を与えているのだろう。

 そうでなければリスクをおかしてオレを呼び出したりはしない。

「では、南雲は何も策を打たないで本番の試験を迎えると?」

「さあ。第三者を巻き込まずに出来ることなんて限られてると思うけどな」

 私語や居眠りをしない、遅刻をしない、体調を崩さないなどの注意喚起は出来るとしても、それで飛躍的にテストの点数を向上させられるわけじゃないだろう。あくまでもマイナスになりうる要素を消す作業でしかない。

「現状、大グループの総合力はこちらが上だと見ている」

 堀北兄はそう冷静に分析していた。確かに1年からも、Aクラス中心のグループを抱き込んでいる。このまま試験本番を迎えれば、勝ちの可能性は濃厚ということか。

 だからこそ何もしていない南雲に不気味さを覚えている。

「約束をにする可能性は? どんな形でも、あんたに黒星を付けたい可能性はある」

「確かに南雲は逆らう者にはようしやしない。りゆうえんのような反則まがいの行動を取ったことも一度や二度ではない。そしてそれが2年の異様な退学率にもつながっている。しかし、ヤツは一度口にしたこと、約束したことを破ったことはこれまで一度もない」

「第三者を巻き込まずに戦う約束をした以上、それは守ると?」

「そうだ」

 その点に関して、堀北兄は迷いなくうなずいて見せた。2年近く生徒会で共にしていたからこそ、見えている部分というわけだ。その絶対なる確信を聞き、オレは当初に抱いた疑問、その答えに辿たどく。今目の前にいるほりきた兄も、そして恐らくは2年や3年の生徒すべてに言えること。ここで、今ひとつのアドバイスを堀北兄に送ることは出来るかもしれない。しかし、恐らくそれはあまり意味をさないだろう。

 敵である相手を信じることでしか、攻撃を防ぐことが出来ないと判断しているからだ。

「どうやら時間の無駄だったようだ」

 背中を向け、部屋に戻るため歩き出す堀北兄。

「おまえの知りたがっていた件だが……生徒会は特別試験に対して発言力を持っている。ルールへの口出しやペナルティの一部変更など、生徒目線の意見を取り入れる形を採用しているからだ。ただし、好き勝手決めることが出来るわけではない」

「そうか」

 こちらの要望にはしっかりと答え、堀北兄は去っていった。

「負けるかもな」

 オレは気がつかないうちにそうつぶやいていた。

 いや、負けるという表現は正しくないか。堀北兄はミスをしない。

 徹底してグループを管理してく立ち回るだろう。抜かりはない。

 ただ……だからと言って、それが完全なものでないことは明らかだ。

 3学期開幕のこの試験を皮切りに、大きく何かが変わるかもしれない。

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