ようこそ実力至上主義の教室へ 7.5

〇伊吹澪の災難な一日



 クリスマスデートを2日後に控えた、23日の午前。

 オレは一人、ある目的のためケヤキモールに足を運んでいた。

 足早にある店に行き、必要そうなものを探す。

「この手のは飲んだことがないからな……」

 ネットの評判を見たり、店員に聞いたりしながら2つほど選んでおいた。

 小さな紙袋に商品を入れられ、会計を済ませる。意外と1つ1つが高額なことに驚きつつも、オレはその紙袋を片手に店を後にして、一度りように戻り始める。後は帰り道にあるコンビニで、ちょっとしたものを買い込めば目的は達成だ。

 その後は、再びケヤキモールに戻って、間もなく公開が終わってしまう映画を見る。

 それが今日一日のオレの計画だった。

 しかしある人物との接触により、その計画は崩れ始める。

げんようあやの小路こうじくん」

 広いようで狭い学校の敷地内。ウロウロしていれば色々な生徒にそうぐうするものだ。

 モールの出口を目前にして、一人の少女に声をかけられた。

 つえをつきながらゆっくりと歩みをこちらへと近づけてくる。

 1年Aクラスさかやなぎあり。オレがホワイトルーム出身だと知る、この学校の理事長の娘。

「こんな早くからお出かけか。今日は一人なんだな」

 普段坂柳の周囲には取り巻きの存在がいるのだが、見当たらない。

すみさんと遊びに来たのですが、まだ落ち合う前でして」

 坂柳はオレの手にある紙袋の存在に気づく。

「体調が悪いのですか?」

「いや、全く。見ての通り元気だ」

 両手を軽く広げ、オーバーアクションでアピールする。

 それから小さな紙袋をポケットにしまう。

「それは良かったです。よろしければ一緒に遊びませんか?」

 何ともありがたくない提案をされる。返事は考えるまでもない。

「遠慮しておく。おまえは目立つ存在だからな」

 オレが坂柳と一緒に遊んでるところなんて見られたら、無駄に騒ぎになる。

「ふふっ。残念です」

 坂柳だって、そんな無駄なことでオレを目立たせたくはないだろう。からかうつもりで遊びに誘ったことは明白だった。

 もしオレのことを周知させたいなら、とっくに行動しているはずだ。

 だがりゆうえんに対してすらも、何一つオレの話を漏らしていなかった。

 そのことから見ても、坂柳は自分だけでオレの相手をするつもりなのが分かる。

「多少の立ち話なら問題ありませんか?」

「立ち話することなんて何かあったか」

「こう呼ぶと彼は怒りますが、ドラゴンボーイさんはあなたを探していましたよね。正確にはDクラスを影で操る軍師を、ですが。その件はどうなりましたか?」

 今はまだ、屋上での出来事やその決着を当事者たち以外は知らないだろう。

 だが、情報の一部は入手していてもおかしくない。

 例えば───

「Cクラスの生徒が仲間割れをして、ずいぶんと大事になったようです。ごぞんでした?」

 そう。龍園たちがオレとの戦いで傷つき負傷したこと。

 これらは見た目ですぐ分かるため、色々な憶測もいやすい。表向きはCクラスが内輪もめをしたことになっているから、坂柳もどこかでそう耳にしたんだろう。

「軽くは聞いたが詳細は知らない」

「ドラゴンボーイさんがしやていけんしたそうなんです。でも、どうにもに落ちない気がしまして。てっきりあやの小路こうじくんがからんでいると思っていました」

「なんでそこでオレが出てくる。その軍師をオレだと決め付けているからだろう? こっちからすれば意外な事件だ。Cクラスはくまとまってると思ってたんだがな」

「Cクラスがまとまっている、ですか」

「恐怖政治だろうと独裁政権だろうと、1つになっているだろう」

「なるほど。そうかも知れませんね。あやの小路こうじくんは無関係そうです。見たところおをされた様子もありませんし……」

 こちらの表情や仕草をつぶさに観察しているようだが、そこからは崩せないぞ。

「内輪もめは本当かも知れませんね。ただ、Dクラスを気にかけていた彼の行動の説明がつきませんね」

「Dクラスには結構優秀な生徒がいるからな。こうえんなんかは特にそうだろ」

「なるほど。確かに彼ならドラゴンボーイさんの相手も務まりそうですしね」

 結果、さかやなぎはこう締めくくった。

「まぁいいでしょう。ことの真相は3学期が始まれば分かることです」

「話題を変えてもいいか?」

 ひそかに話題を誘導するのではなく、堂々と変える。

「ええ、もちろんです」

 そのことを坂柳は指摘することもなく受け入れた。

「この間のことが気になってたんだが、先日はいちと仲良くやってたみたいだな。自分のクラスは別として、他クラスと交流を持つとは思わなかった」

 オレは少し前、坂柳と一之瀬が仲良く歩いていたのを思い出した。

 わざわざ休日を一緒に過ごすというのは、仲良くなければできないことだ。

「ふふっ。冗談はめてください」

 こちらの発言が面白かったのか、坂柳が笑う。

「私と彼女は友人同士……ではありませんよ?」

「と言うと?」

「向こうは、私や綾小路くんを友人だと思っているでしょうけれど……」

 そう言って一度間を置く。

「CクラスがDクラスにお熱なようで、ちょっとけてしまいまして。私も退屈しのぎにBクラスにちょっかいを出していただけですから」

 単なる退屈しのぎの相手、ということらしい。

「それよりも3学期になったら、私と遊んでもらえるのでしょうか?」

「悪いがそのつもりはないな。やるならほりきたたちとでも遊んでくれ」

「彼女では私の相手は務まりませんよ」

「だったらりゆうえんでも、上級生でもいい。オレのことは無視してほしいもんだ」

「それは出来ない相談ですね。一日も早く、私はあやの小路こうじくんと戦いたいですから」

 こっちに乗る気がないと答えても、さかやなぎは引こうとしない。

 坂柳相手に謙遜し続けても効果はないだろう。

 ホワイトルームのことを知っている以上、その追及をやめることはない。

「無視し続けたらどうする?」

「それでも構いませんが……本当にそれでよろしいのですか? もし綾小路くんが相手をしてくれないのなら、別の方に相手をしてもらわなければならなくなります。あなたがたと協力関係にあるBクラスが崩壊してしまっても責任は持てません」

「さっきの雑談にからめて来るか」

 坂柳がいちに近づいたのはBクラスへの攻撃開始を意味しているらしい。

 はたしてどこまで本当か。坂柳との会話に少しだけ楽しみが出てきた。

「綾小路くんが私のお相手をしてくれるまで、当分の間、私はBクラスの皆様と遊ぶことに致します。すっぽり穴が開いて、綾小路くんたちは自然ともうひとつ上のクラスに上がるかも知れませんね」

 オレにだけ告げる他国への侵略。

 とは言えこの段階ではまだ、本当に仕掛けると決め付けないほうがいい。ただの挑発、言葉遊びかも知れない。だがチャンスであることには違いない。坂柳の目がオレから一之瀬へと流れてくれれば、不要な騒動に巻き込まれないで済むからだ。

「本当に一之瀬たちに勝てるのか?」

「とおつしやいますと?」

「入学時から2学期終了まで、着実にBクラスは力をつけている印象だ。一方でAクラスは身内同士で足の引っ張り合い。実力は自分が上だとアピールされてもしんぴようせいは怪しい」

「なるほど。口先だけでなら何とでもいえる、と」

 坂柳は冷静に受け止めつつも、感情を少しだけのぞかせた。

 オレは更に、もうひとつ燃料を投下する。

「オレも最近おまえの正体に気が付いた。この学校の理事長、その娘だってことをな」

「そうでしたか。どのような経緯でお知りになったんです?」

 坂柳が食いつく。食いつかざるを得ない話題だ。

「経緯はどうでもいい。明らかになったことがある。それはおまえがAクラスに配属されたのには父親の影響が少なからずあったんじゃないか、ということ。つまり実力で選ばれるべくして選ばれたと完全に言い切れないということだ。一之瀬を倒すと豪語されてもにわかには信じがたい」

 坂柳ありという生徒に、第三者が認めるほどの実力は確認されていない。

「私がクラス内で多数に支持されていることはどう説明をつけますか?」

「クラスからの支持? 何も実力だけが物を言うわけじゃない。おまえが格下だと思ってるりゆうえんいちだって同じことをしてるんだ。Dクラスで言えばひらもな。まとめ方としちゃ平田に軍配があがりそうだし、突出した実力の裏づけにはならない」

 カツンとつえを一度鳴らして、さかやなぎは別の角度からの訂正を始めた。

「あなた相手に子供だましの言葉では通用しませんね。失礼いたしました」

 そう言い一度謝罪する。

「しかしあやの小路こうじくん。あなたも少々おごりが過ぎるのではないでしょうか。ホワイトルーム最初の成功例と言われた自分に酔っているのでは?」

 坂柳からは、オレはそんな風に見えるらしい。

 これまで考えたことはなかったが、そうとらえられても仕方ないのかも知れない。

 成功か失敗の2択で言えば、オレはまぎれもなく成功に分類される人間だからだ。

 そうでなければあの男も……父親もオレにこだわったりはしない。

「やはり、綾小路くんはひとつ勘違いをしていますね。『ガラスの内側』にいた方が偉い、と思っているのではありませんか? 確かに、あなたが幼少期から学んでこられた知識量は、並大抵のものではないでしょう。この学校ではその事実をほとんど伏せているようですが、学力の高さや運動能力の高さも疑っていません。けれど、あの場所は『持たざる者』が天才になるべくして用意された施設。天才として生まれた人間には不要の場所、とも言えるのですよ?」

「そうかも知れないな」

 それは否定しない。事実父親の信念はまさにそれだからだ。遺伝子上優秀かどうかは関係ない。生まれた時から徹底した教育を受けさせ、睡眠時間から食べる物までありとあらゆるものを管理していくことで、最高の人間が完成する。そしてそれが日本を支える優秀な人材を生み出すたったひとつの方法だと、父親は信じていた。

「どうしてオレに対して敵対心を持つ」

「綾小路くんを倒すということは、生まれ持った才能には、凡人では絶対に勝てないということの証明になりますよね。どれだけ努力しても埋められない差は存在する。それが私の信条です」

 自分のことを天才だと疑っていない、ということか。

 坂柳を探していたのか、彼女の後方からむろがゆっくりと近づいてきた。

「ここにいた……はあ。あのね、勝手に約束の場所から動かないでよ。足悪いくせにさ」

 神室はオレに気づきながらも視線を合わせることはなく、坂柳に悪態をつく。

「ごめんなさい。早く着いたのでちょっと散歩していたんです」

「だったら連絡のひとつくらいしなさいよ」

 神室が合流した以上、オレに関する話題を不用意には出さないだろう。

 さかやなぎはオレの実力を周知させることには、一切興味がないように見える。

 というより、下手にオレのことを広めて獲物を奪われることを嫌っている。

「突然ですがすみさん。あなたはいちなみさんのことをどう思いますか?」

「本当に突然ね……」

 合流したばかりのむろみやくらくのない話に、少し戸惑ったようだ。

 特にそばにオレがいることで、話しづらい部分もあるだろう。

「実は今、一之瀬さん攻略について彼と話をしていたんです」

「攻略……ね。どう思うって聞かれても……一之瀬は優等生で、面倒見がいい。お人よし。そんなとこ?」

「そうですね。優等生という部分は明白でしょう。常にテストでは上位のようですし、クラスをくまとめています。あやの小路こうじくんはどう思いますか?」

 今度はオレに聞いてくる。

「同意見だ」

 手っ取り早くそう答える。

「ではそんな優等生である一之瀬さんを倒すことは、簡単だと思いますか真澄さん」

「難しいんじゃない? Bクラスの結束は固そうだから外からは崩せないし。買収なんかの手も一之瀬には通用しない。正攻法で戦ってくしかないわけだけど、ウチのクラスも完全にまとまったかって言われると怪しいしね」

「確かに一見すると、一之瀬さん攻略は難しいように思えますね」

「あんたにはそうじゃないってこと?」

「ええ。実はそうでもないんですよ。誰にでも弱点はあるものです。あの一之瀬さんにもありましたよ。決定的なウィークポイントが」

 そう言って坂柳は笑う。

「彼女が優等生だということはお2人も肯定するように疑いようのない事実ですが、果たして面倒見が良い部分やお人よしである部分。それは彼女の本心から来ているのでしょうか? 例えば心の底では他人を見下すような一面も持っていると思いませんか?」

「知らない……。ただ大抵の人間は上辺だけ、そういう態度をとるね。口では優しいことを言いながらも、腹の中じゃ何を考えてるか分からない。でもそれは悪いことじゃない。人は誰だって打算的に動いてるのが当たり前。でも、あの一之瀬は本当にバカなお人よしかも」

 神室の言うようにほとんどの人間には裏側の部分が存在する。

 くしのように激しい裏ではないにしろ、黒い部分はあって当然のものだ。

 しかし一之瀬帆波という生徒はそれを全く感じさせない。

 一之瀬のウィークポイントをつかんだということは、それに関係しているのか。

「あんたはそうは思わないわけ?」

「いえ。彼女は出来た人間です。性格に偽り無く善で埋め尽くされていますよ」

「ってことはマジな方のバカお人よしってことね」

「そうですね。正解です」

 笑顔で答えるさかやなぎ

「ではすみさんといちさんは、似た人物でしょうか?」

「は? 何それ。全然違うけど、いやでもいいたいわけ?」

「それはハズレです。意外だと思うかも知れませんが、真澄さんと一之瀬さんはよく似ています」

 似てない似てないとあきれるように否定するむろだが、坂柳は続ける。

「似ているんですよ。なら、彼女の抱える問題と真澄さんの抱える問題は『全く同じ』なんですから」

「問題が同じ? ちょっと待って。それ、どういう意味?」

 あやの小路こうじくんは分かりますか? と目で聞いてくる。

 分かるはずもないので、軽く左右に首を振って否定した。

「お分かりになりませんか? あなたが私に握られている秘密と、彼女が内に抱えている秘密が同じということです。もっとも、過程が同じだけで結果は全く違いますが」

 そう細かく説明され神室の中では何かがつながったのだろう。

「あの一之瀬が、私と同じことをしてたって言うの……?」

 にわかには信じられない、と神室が複雑な表情を見せる。

「それほど珍しいことではないようですよ」

「それは一之瀬が自分で言ったの? 根拠があってのこと?」

 食いつく神室の様子は普通ではなかった。比較的冷静な生徒だと思っていたが、一之瀬の抱える問題とやらが無視できなかったのだろう。

「もちろんです。彼女は私に詳しく聞かせてくれましたから。固い殻の中に閉じこもっていた彼女の心を優しくほぐしてあげたんです。コールドリーディングを使って」

 わざわざ説明口調で詳細を語ってくれるとは、丁寧なことだ。

 コールドリーディングとは話術のひとつ。注意深い観察力を用い、相手の情報を引き出しつかむ手法。恐らくは事前に情報も集めていたはずだ。厳密に言えばホットリーディングも織り交ぜて一之瀬に近づいたのだろう。

「人は自分をよく見せるためなら平気でうそをつく生き物です。あなたや一之瀬さんは氷山の一角。きっとたくさんいらっしゃることでしょう。人とは面白いものですね。どんなに優秀であっても、あっさりと過ちを犯すのですから」

 そう言って、オレに視線を戻すと坂柳はこう締めくくった。

「それ以外にもいくつか穴と呼べそうな部分はありますが、ともかくいちさん攻略のヒントは以上です。私は一之瀬なみさんを徹底的にたたつぶさせてもらいますね。それがひとつの証明として受け止めてもらえることを期待します」

 真実に自力で辿たどいて見せろってことのようだが、あいにくと興味がない。さかやなぎには好き勝手に暴れてもらいたいところだ。オレからの誘導がくいったようだな。坂柳もこっちの安い挑発には気づいているだろうが、その挑発に答えずにはいられないようだ。

「それでは行きましょうかすみさん」

 そういって歩き出す坂柳たち。オレもすれ違うようにして歩き出す。

 実際にすれ違う寸前、坂柳が口を開く。

「それにしても、何も言わないのですね真澄さん」

「は? 何が」

「私とあやの小路こうじくんが2人きりで話しているのを見て、そしてこれからの戦略を話し込んでいる。だというのに、そのことには何も疑問はわかないのですね。普通、何かしらの質問くらいぶつけてきそうなものですが……」

「は、なにそれ。別に興味ないだけなんだけど」

「そうでしょうか? あなたは意外と気になったことを素直に言葉にされる傾向があります。なのに今回はそれがない。どうしてでしょう?」

 むろが答えずにいると坂柳が続ける。

「もしかすると、あなたは既に綾小路くんに関して何かしらの情報を持っているのかも知れませんね。とすると、その情報はどこから得たのか……。もしかして、私の知らないところでお2人に接触機会でもありましたか?」

 わずかな不自然さを嗅ぎつけた坂柳が、鋭い瞳でオレを見た。

 だがオレから話す言葉も、向ける視線もない。

 落ち度があるとすれば神室の方である。

「ふふ。まあいいでしょう。今日は機嫌が良いので気にしないことにします。それではげんよう綾小路くん」

 そういい、神室を連れて去っていく。

 冬休み中も坂柳に使われて大変そうだな、神室のヤツも。それだけ握られている弱みが大きいってことだろうが。ただ一之瀬と神室が同じ問題を抱えていると言っていたくだりは話半分くらいに聞いておいたほうが良さそうだ。あの場面でうそをつくメリットは坂柳にはないが、だからといって坂柳の言説を信じて得することもない。

 本当に一之瀬が今の位置から転げ落ちた時に真実が分かればそれでいいだろう。

ほりきたの耳にだけ入れておくって手もあるが……どうするかな」

 同盟を組んでいる堀北は、一之瀬を援護する選択を取るかも知れないな。オレ個人としては放っておくべき案件だと思うが、それを決めるのはクラスを引っ張って行く人間、つまりほりきたの役目であるべきだろう。冬休みのどこかで直接伝えておくか。

 緊急性はないと判断し今すぐの連絡は見送る。

 嵐のような存在が去った後、何食わぬ顔でオレはりようへ戻ろうとした。

 購入したモノを届けるという、本来の目的を果たすためだ。

 しかしそんなオレの目的は意外にもあっさりと終了を迎える。

 ケヤキモールの入り口に差し掛かったとき、元気そうな姿のある少女とすれ違う。

 少し急いでいたのか、オレの存在に気づくことなく小走りでどこかへと向かっているようだった。念のためと思い後を追うと、友人と合流して店内に消えていく姿を目撃した。

 姿が見えなくなるまで見送った後、オレは寮に戻る選択を頭から消す。

「映画でもにいくか」

 そう決めて、映画館へと足を向けることにした。


    1


 映画館に来るのはオレにとって珍しいことじゃない。

 休みの日になると定期的に足を運んでいるからだ。人によっては、映画の鑑賞にポイントを使うのは無駄遣いだと考えるかも知れないが、様々なことに興味を持つことは意外と大切だ。オレにとって映画鑑賞は、趣味になりつつあった。

 息抜きに最適なうえ、新しい知識を吸収することが出来る。映画で様々なモノに触れることで好奇心を刺激されることもしばしばある。

 とは言え、今日見るのは専門技術が生かされた映画ってわけじゃない。クリスマスの熱に当てられたカップルたちが見るような、甘く切ないラブロマンス系の映画でもない。田舎マフィアの小さな抗争に焦点をあてたドンパチ系の作品だ。

 頭を空っぽにしてストーリーを見たい日も時にはある。ちなみに、この映画は公開が今日で最後を迎えることになっているが、けしてロングランの名作ではない。箸にも棒にもかからなかった、B級映画の位置づけだ。そのためネット上でいつでも席を予約出来たが、観るかどうかを悩み続けて、結局上映が終わる最終日、別の目的のついでに観にいくことを決めた作品である。

 受付の人間と短いやり取りをして観る時間と映画を指定すると、座席表の載ったラミネート加工されたシートを差し出された。

 ところがここで誤算が起きた。いつもオレが鑑賞している後方の席が埋まっていて、空きがあまりないらしい。

 上映予定だった人気作が公開をわずかに延期したことで、この映画に客が集中したようだ。

 しかもクリスマスが近いこともあってか、ほとんどの席が2人ずつのセットで席を押さえられている。

 恋人同士で何もないよりは、一つくらい観ておこうってことだろうか。

 前列の大きく道幅の開けた列の真ん中が見やすそうだと思いオペレーターに伝える。すると中央付近に運よく何個か空きがあり、席の確保に成功する。端の方の席が人気なのは、カップルの有無は関係ないんだろうか? その辺の映画館事情は良く分からない。

 上映まで20分ほどあるため、適当にパンフレットの置かれたコーナーで時間をつぶす。

 それから入場開始できる10分前になったところで、一人で入場した。

 後ろからもパラパラとカップルの生徒たちが入ってくる。

 前列の真ん中に座って、上映の開始を大人しく待つ。

 周囲の席は比較的早い時間から埋まり始めた。

 スクリーンに視線を送る。

 オレは映画本編前に流れる、近日公開予定の予告を観る時間が結構好きだ。

 だから予告が始まる前に、必ず席についている。

 自室のテレビで見るよりも、次にどんな映画を観ようか強い興味をかきたてられる。そんな大きなスクリーンは非常に魅力的で、それを目当てに映画館に足を運んでいると言っても過言ではない。

 ただ、今は劇場内は明るく映画の宣伝ではなく、コンビニ商品等のCMが流れている。

 ふっくらとしたお米をしゃもじで返していたり、パリッとしたを網の上で焼いているシーン、そして完成したおにぎりを食べる子供たちの映像が流れている。

 段々と席が埋まり上映時間が近づいてきた時、どんな状況か気になり辺りを見渡した。

 同列は殆ど埋まっていて、オレのすぐ右側にはカップルが、左側も1つ空けてカップルが座っていた。暗がりなのを良いことに、手を取り合ったりしている。

 この手の映画でもカップルは湧いてくるものなんだな。

 空いていた左側の席は一人のため、最後まで空席だろう。

 わざわざ誰もイヴの前日に一人むなしく映画なんて観に来るはずもない。

 携帯もマナーモードにすると同時に、念のため電源を落としておく。

 それとほぼ時を同じくして劇場内の照明がゆっくりと落とされていき映画の予告が始まる。ここからがわくわくする時間の始まりだ。

 するとそのタイミングで左側に影が差した。そして一人の生徒が座席に腰を下ろした。

 オレのようにイヴ前日に一人で映画を観に来る変わり者もいるらしい。

 この映画をチョイスしたところには素直に賞賛を送りたい。

 そう思いながら視線だけをスライドさせる。

「…………」

 思わず間抜けに口を開けてしまう。

 孤高の生徒の正体はCクラスの生徒、ぶきみおだった。

 つい前日、屋上で派手な一件があっただけに、気まずいものがある。

 ただ幸いなことに、既に映画館の照明は消えてしまっている。

 伊吹はこちらに気づくこともなくスクリーンに目を向けていた。

 エンディングのスタッフロールは最後までる派だが、最後まで残っていると照明が復活してしまう。やむをえない、今日はスタッフロール突入と同時に撤退だ。

 しかし、ここでひとつの誤算があった。

 それは、映画館で度々巻き起こる『ひじ掛け』問題だ。

 隅っこであれば、左右のひじ掛けを確実に自分用として使うことが出来るが、それ以外の席では常にひじ掛けのそうだつせん。映画館ルール的には、どちらが自分のひじ掛けであるかの規定はなく早い者勝ちだったりするケースが多いようだ。

 オレより先に席についていた右側のカップルがひじ掛けを使っていたので、空いていた左側のひじ掛けを使っていたのだが、伊吹はそのひじ掛けに無造作にひじを置いてきた。

 共有部分のスペース上2人分の肘も置けなくはないが、さいなことでそでと袖が触れ合う。

 それが気になったのか、伊吹が無意識に相手を確かめようとオレのほうを見た。

 当然全てを観察していたオレと目が合う。

「げ」

 即座に漏れ聞こえてきたのは、そんな伊吹の嫌そうな声だった。

 CMと予告の絶妙なせいじやくの間だっただけに、ずいぶんとハッキリ聞こえてきた。

「偶然、だな」

 何も声をかけないのは、それはそれで不自然だと思いそう声をかける。

 しかし、伊吹はそれに答えず視線を外した。

 どうやら無視を決め込むつもりらしい。

 それならそれで、こっちもやりやすいと割り切らせてもらおう。

 そう思いスクリーンに集中する。

 ところが……。

 上映が始まってから、定期的に伊吹側から向けられる視線を感じた。

 オレの存在が余程気になるのか、映画にはあまり集中していないようだ。

 ちゃんと観たらどうだ? と言いたいところだが上映中大声でも出さない限りそれも難しい。ならそっと耳打ちをしてみるか?

 いや、そんなことをすればたちまち伊吹にみつかれるかも知れない。

 ここは伊吹の視線に耐えながら、気にしないように過ごすしかない。

 幸いオレは幼少期から『監視』されることには慣れている。

 意識の中で気が付いていることをおくびにも出さず、映画をていく。

 ただ問題があるとすれば、映画の出来そのものが良くないことだ。まさにB級、だな。

 上映が始まって折り返しを過ぎた頃だろうか。

 これから主人公が敵を討つために敵地へと乗り込むクライマックス直前。

 手に汗握るシーンが訪れようとしていた時、突如として映像がブラックアウトした。

 最初は何かの演出だと思い、生徒たちは黙ってスクリーンを見守る。

 ところが、10秒待っても20秒待っても映像や音が進むことはなかった。

 おかしいぞ? と思い始めたところで館内にアナウンスが流れた。

「大変ご迷惑をお掛けしております。機器トラブルのため一時上映が止まっております。ご鑑賞中の皆様にはご迷惑をお掛けいたしますが、しばらくお待ちください」

 そんなアナウンスだった。

 生徒たちは一斉に不満を漏らしつつも、小声で雑談して待つことを決めたようだ。

「なんかついてないんだけど……」

 こちらへの当てつけのように、ぶきがため息混じりに言う。

 機材トラブルの原因がオレにあるとでも言うつもりだろうか。

「こっちも予想外だった。おまえが今日、映画に来るなんてな」

 こちらもその当てつけに対して言い返す。

「私がいつどのタイミングで来ようと勝手でしょ」

 それが気に入らなかったのかぶきは当然のように反論してきた。

「それはオレも同じだ」

 だから最終的に合わせるようにして答えた。

「あんたは……」

 何か言いかけて一瞬口ごもった後、伊吹が強い視線で口を開いた。

「今まで腹の中で私をバカにしてた。その事実が許せない」

 伊吹がそう怒りたくなる気持ちは分からなくもない。だがうらまれる筋合いはない。

 なぐさめや、そんなことはない、なんてフォローをしても伊吹には無駄だろう。

 だからオレは最善と思われる策を選ぶ。

「それも実力だ伊吹」

「は……?」

 映画館の一部、オレと伊吹の間にだけ不穏な空気が流れる。もちろん伊吹側からだ。

 殺気といらちの混じった鋭い視線が向けられる。

 だがオレは構わず言葉を続けた。

「どんな状況でも自分が相手を上回る力を持っていれば、問題にはならなかったんじゃないか? 相手が能力を多少隠していたところで気にめることもない。おまえがオレを止められれば、りゆうえんたちに勝ち目もあった。少なくとも引き分け以上には持ち込めただろう」

 強いとたんを切ったオレが屋上で返り討ちにされれば、それ以上ダサいことはない。

「それは……」

 伊吹が絶対的に反論できないこと。

 己の強さだ。相手が力量を隠す隠さないなどさいなこと。

「それに、だ。オレは龍園やさかやなぎたちと違って、上のクラスを目指すつもりも、ましてワンマンプレイで不用意に目立つつもりもなかった。当然目立ちたくないから、余計な能力もろうしない。龍園と戦うことになったのも、色々なモノをてんびんにかけた上での仕方がない選択だ。相手をバカにするとか、見下すとか、そんなことすら考えちゃいない」

 これは伊吹をあんさせるための話じゃない。ある意味伊吹に取っては今まで以上のくつじよくを感じたかも知れない。相手をじよくするってことはすなわち、相手を敵として認めている証拠。

 だがオレが言っているのは伊吹を道端の石ころとしか思っていないってことだ。

「……気に入らない」

 どんなに理屈にかなった話でも、当然心情的には受け入れがたいか。

「あんたは目立つつもりなんかなかったっていうけど、それはおかしい。無人島であんたが龍園を刺激する回答をしなきゃ、こんなことにはならなかったんじゃないの。違う、それ以前。どうの暴力の件を見逃してればよかった」

「そうだな。その点はそうかも知れないな」

 どうが仮に退学し、無人島でぶきの策略でDクラスがざんぱいし、船上試験もそのまま進行していれば、りゆうえんはDクラスなど眼中に置いていなかっただろう。

 とっくにBクラスとの戦いに身を投じていたはず。

「あんたは口で色々言いながらも能力を使った。隠しながらも使ったんだ」

 能力を行使することはオレの勝手。

 だが、その使い方が気に入らない伊吹にとっては、受け入れがたい現実だったんだろう。

 伊吹はこれ以上話すのも時間の無駄だと思ったのか、消えたスクリーンを見つめた。

 オレも反論せず、そのまま流すことにした。どうせすぐに上映は再開される。

 それで伊吹との時間も終わりだ。


    2


 映画が終わったらスタッフロールを見届けず立ち去る。そんな思い描いていたビジョンは、あっけなく打ち砕かれる。

 想定外の事態になった。

 待てど暮らせど上映が再開されない。

 機材トラブルの不具合がよほどひどいのか、それとももたついているだけか。

 オレも伊吹もお互い気まずいからこそ、さっさと済ませてもらいたいものだ。

「はあ」

 伊吹の方から繰り返されるあからさまなため息。

 しかしこんな状況じゃ、ため息もつきたくなるってものだ。

 オレは既に映画の内容がどうでもよくなり始めていた。

「あー……オチどうなると思う?」

 これ以上の沈黙もどうかと思い、オレはそんな風に話を振ってみた。

 オチが気になっているから、伊吹も席を立たないはずだ。そうでないなら、とっくに帰っているはず。あるいは他の生徒が帰る様子を見せないため、流れに乗れないか。

 が、伊吹はオレから反対側のひじ掛けにほおづえをついていて、こちらを見ようともしない。

 まるで見えないガラス、それも相当分厚いガラスがオレと伊吹の間に挟まっているような気がする。伊吹の態度は言うまでもなく、うざいから話しかけてくるなってことだろう。

 流石さすがにこれ以上やぶを突くのはした方が良いな。

 今にも毒をもった蛇が飛び出してきて、腕にきそうだ。

 結果、黙り込むことを決めた。

 だが、いつになれば映画は再開されるんだろうな。

 チラホラとだが、待つのを苦痛に感じた生徒たちが退席していく。

 ぶきもこの流れに乗じて帰るかと思ったが、席を立とうとはしないようだ。

 やはり単に映画の続きが見たいのか、それとも───。

 ともかくオレとしても、一応最後まで見てオチを知りたい。そうでなければこの映画をに来た意味すら失ってしまう。ここは粘り腰を見せる時か。

 携帯の電源を入れ、時刻を確認する。

 アナウンスが流れてから恐らく20分以上が経過しただろうか。

 この上映だけじゃなく、次の上映にも大幅に影響を与えそうだな。

 後ろを振り返ると、もはや客はオレと伊吹を含めて数人ほどにまで激減していた。

 恐らく一人で観に来ていたならもっと粘っていたんだろうが、カップル同士だとパートナーを待たせることにもなる。恋人との大切な時間をここで無駄にはしたくないのだろう。しらける前に移動してしまったと見るべきか。

「……あんた、帰らないの」

 携帯に視線を落としていると、伊吹が声だけをオレに向けてきた。

 顔の表情は見ることが出来ないくらい、明後日あさつての方向を向いている。

 どうやらオレが帰らないことへの不信感から、黙っていられなかったらしい。

「8割見たしな。正直オチが気になる。20分待ったしそろそろ復旧する頃だろ」

 ここまで粘ったのに帰ったらもったいない。そんな謎理論まで頭に浮かびだしている。

「結末なんて、ネットで検索すればいくらでも出てくるでしょ。面白かったかどうかも含めてね」

「他人の意思が反映されたレビューを読む気にはなれないな」

 その作品のしの本質は、自分で見なければ分からないものだ。

 もちろん、その作品を見るかどうかの参考指数にはなるが、評価を下すものじゃない。

 ましてもっとも重要な結末部分を、1、2行の説明だけ見て納得するなら、最初から映画館まで足を運んで観ようとは思わないだろう。

「私はもう映画なんてどうでもいい。あんたより先に帰りたくない、それだけ」

ずいぶんとストレートだな」

 本当に映画とは一切関係のない理由で粘っているようだ。

 ただ、残念ながら伊吹がこの勝負に勝つことはない。よくて引き分けだ。

 上映が再開されるまでオレは席を立つつもりがない。これが明日のイヴにも予定のない男の強みとでも言っておくべきか。

 そんな2人の戦いに終止符を打ったのは、悲しいアナウンスだった。機材の不具合を直すことが出来ず、上映を中止することになったこと、そして返金処理がされることになったことなどが説明される。

「ついてないな」

 つまり結末が知りたければ、レンタルされるのを待って借りるかレビューサイトのネタバレでも見て補完する他ない。

 上映の中止がアナウンスされてもぶきはこちらを向くこともなく動かなかったので、オレは用の済んだ映画館から立ち去ることを決めた。


    3


 さて、変な待ち時間もあったせいか妙に肩が凝った。

 さかやなぎや伊吹との予期せぬからみもあり、寄り道して帰る気にはなれない。

 さっさと帰ろうと映画館を出たところで背後から声をかけられた。

「ちょっと待ちなさいよ。このまま、あんたの正体を周囲に隠しとおせると思ってるわけ?」

 伊吹だ。わざわざ追いかけて来て何を言うかと思えばそんなことか。

「一連の会話を聞いてなかったのか? あの時のことは胸にしまっておくべきだぞ」

「冗談じゃない。今まであんたは、私のことを腹の中であざ笑ってた」

 それが許せない、と言われるまでもなく伊吹の顔に書いてある。

 さっきのオレの言動と理念に対しての不満は更にふくれ上がっていた。

「だったらどうする。言いふらしてみるか?」

「……それはしない。困るのは私だけじゃなくなるんでしょ?」

「そうだな。場合によっちゃ、屋上にいたメンバー以外、なべたちにも飛び火するだろうな」

 一連の経緯をたどって行けば、最終的に学校側もオレにたどり着くかも知れない。

 だが、言い逃れはいくらでも出来る。精々停学処分が関の山だ。

「そもそも、この学校はクラス対抗が基本だ。オレを責めるのはお門違いだろ」

 そこに正々堂々を求められても困る。

「分かってる、分かってるわよ……。ただ生理的に、あんたを受け付けないだけ」

 伊吹みおという少女を分析するに、まだ彼女は大人への一歩を上り始めていない。

 恐らく幼い頃から武道を学び自分の強さをし続けてきた。

 幼少期は男女の肉体における強さの差はほとんどない。それ故に技術があれば異性を圧倒できるだけの力を身につけることも容易たやすい。しかし、年齢を重ねて行くごとにそれは難しくなっていき、中学生に入った頃から肉体の持つポテンシャルが差を埋める。

 こと肉体の強さだけにおいて考えれば、女性が男性に勝るものは皆無に等しい。

 差別ではなく、純粋に存在する差。

 もちろん、ぶきは並の高校生として考えれば相当強い部類には入る。

 武術の覚えのない男では、到底太刀打ちできないだろう。

 だが同じ才能、同じレベル以上のたんれんをしてきた男には、残念ながら勝つことが出来ない。

 そういった事実を、本来人は自然と学んでいく。

 だが伊吹はまだ高校1年生。まだその差による壁を認めきれていないのだろう。

「黙り込んで何考えてるわけ」

「どうすれば、この場を丸く収められるのか思案してた」

「それで、思いつけた?」

あいにくと方法は浮かばなかった。何を話しても納得してもらえそうにないからな」

 伊吹は今日初めて、ほんの少しだけ唇の端をゆるめた。

「正解よ。私は納得しない、引き下がらない」

 だろうな……。

 不可解なパズルを解くには、一度正攻法に回ってみるべきかも知れない。

「ところで……結構映画は好きなのか?」

「は?」

 何聞いて来てんのよ、という伊吹の態度はもっともだ。

 しかしオレはその態度を無視して続ける。

 あえて普通の話題を繰り出してみた。

「一人であの映画をにいくくらいだぞ。しかも相当マイナーな映画だし」

「別にいいでしょ。私には私の目標があるんだから」

 不思議な言い回しに引っかかる。

「目標?」

「……この学校で上映される全ての映画を観る。大した目標じゃない」

 いや、それって意外とすごいことだろう。

 誰だって学校生活に、自分で決めた目標みたいなものを勝手に持ち込む。

 友達を作る。休日は必ず出かける。無遅刻無欠席で卒業したい。テストで1番を取り続けたい。簡単なものから達成困難なものまで様々だ。

 その中でも伊吹の掲げた『公開される全ての映画を観る』は、一見簡単そうで実は難しいものだと思う。自分の好きな映画なら足も軽くなるが、興味のないジャンルは当然その逆で足が重くなるはずだ。

 多くの人が、そんな目標ただの遊びだと思うだろう。

 しかしどんなもの、どんなことであれ目標を立てそれを目指す過程は意外と大切だ。

「……何よ。バカにしてるわけ?」

「さあ、どうだろうな」

 こちらの沈黙を悪いほうにとらえたぶきにらみつけてくる。素直にめることもできたが、あえてしなかった。こっちもちょっと困らされてるしな。

 ともかく伊吹とは早々に別れた方がいいだろう。これ以上付きまとわれると、余計な生徒たちにまで目撃されてしまう。

「これからどうするんだ。一緒にお茶でもするか?」

「冗談よして。帰る」

 当然誘いには乗ってこない。拒絶されることは分かりきっていた。

 その流れに乗るように言葉を続けた。

「だったら右だな、オレは左に曲がる。そういうことで今日はお開きにしよう」

 そう言って左右それぞれの道を指し示した。

 双方が別々に歩み出せば、何一つ問題が起こらない。理想的な道筋だ。

「何よ。私だってあんたとなんて一秒でも早く離れたいし。言われるまでもない」

 見事に相思相愛だったようで、伊吹はすぐに右に曲がった。

 オレもそんな伊吹に背を向けるように左に曲がろうとした。

 ところが───

 背後からぐいっと腕をつかまれた。伊吹がオレの腕を引っ張っている。

「おい、なんだ?」

「黙って。いしざきたちが来てんのよ」

 身を隠すように、物陰へとオレを引きずりこむと、こっそりと様子をうかがう。

 オレも少し遅れて伊吹の視線の先を追うと、石崎を中心に、みやこんどうがいた。

 今までならそこに、りゆうえんも含まれているはずだが、当然ながらその姿はない。

「大丈夫かよ石崎。まだふらふらじゃねえか」

「うるせえな。もう平気だっての。ってて……」

 全身が痛むのか、時折苦痛に表情をゆがめながら石崎が歩いている。

 そんな様子を見て小宮が不安そうに辺りを見渡しながら言う。

「つかさっきの話……龍園さんとやり合ったってマジなのかよ」

「……ああ。アルベルトと伊吹も一緒にな。もう龍園さん……いや、龍園の時代は終わりだ。これから龍園のヤツは、誰にも指図することはないんじゃねえの」

「それは、良かった、けどよ。でも誰がこれから作戦とか立ててくんだよ」

「知るか。かねとかがやるんじゃねえの」

 そんなやり取りをしながら、3人がオレたちの目の前を通り過ぎていく。

「ふう。気づかれなかった」

 あんする伊吹。オレと2人でいるところをクラスメイトに見られたくなかったんだろう。特にいしざきは、どんな反応を示すかわかったものじゃない。

 しかし聞こえてきた石崎の言葉はオレたちの耳にも届いている。

「……さっき石崎からメールが来た。りゆうえんのヤツ、退学しなかったって」

「そうなのか」

 ごとのように言うと、ぶきが詰めてくる。

「あんたが何かした。そうじゃなきゃ、あの龍園が思いとどまるとは考えにくい」

「引きとめようとして、おまえには止められなかったのか?」

 言葉尻や態度、そして口調からそうじゃないかと思ったが図星のようだ。

「私は龍園なんて死ぬほど嫌い。でも、クラスメイトでもないあんたの方が、あいつに強い影響を与えてるってことがもっと嫌いで許せない」

「他人だからこそ、与える影響もある。そして逆に、オレには出来ないこともおまえになら出来る。石崎のヤツが義理を果たすつもりのようにな」

 すれ違う際のやり取りだけでも、何があったかを推測するのは難しくない。

 男気、とでも言うやつだろうか。

 石崎もまた、元は龍園を嫌いながらもリーダーとして導いてきたことに対する礼儀を尽くそうとしているのが伝わってきた。

「……本当にそう思うわけ? 自分が龍園より上ってアピールできるからじゃないの?」

 素直に石崎の考えを認めようとせず、伊吹が言う。

 けどそれは鎌かけだろう。

 オレがどんな考えを持つのかを引き出す狙いが伊吹にはあった。

 そう伊吹の目が訴えかけている。

「おまえこそ、本当にそう思うのか?」

 だからオレはそのままの質問を返すことにした。

「……嫌ってはいるはずなんだけどね。散々しいたげられて来た訳だし。3人がかりだったとしても龍園を倒したってなれば、クラス内での石崎の評価は必然的に上がる」

「なるほどな。そういう見方も出来るか」

 こちらが納得した様子でうなずくと、軽くひざの裏をられた。

「これはけないの?」

「あのな。オレはエスパーでもなんでもないんだぞ。何でもかんでも避けられるか」

 伊吹は怪しみながらも、そのことを追及しては来なかった。

「それであんたはどう思ったの。石崎の発言」

 自分の意見だけを言わされて不服だったのか、そう言ってきた。

「嫌っていても、実力を認めてはいるってことだろう」

 龍園が退学することのデメリットを、石崎は肌で感じているのかも知れない。

 りゆうえんの立てた筋書きをみつつ、なかたがいしたことにする。

 オレとのことを一切表に出さず、約束をりちに守っているようだ。

 もちろんそれも計算のうちではあったが、絶対の保証などどこにもない。これまではともかく、明日には気が変わって全てを暴露する可能性も0じゃない。かるざわのことだって、触れようと思えば触れられるのだ。

「アルベルトはしやべったりしないだろうけど、いしざきのヤツがいつまでも黙ってると思う?」

 そのことをぶきも分かっている。だからこそ挑発するように様子を伺ってきた。

「話したら話したで、その時のことは考えてる」

「……あ、そ」

 こちらが驚きや動揺を見せなかったため、すぐに伊吹は興味をなくしたようだ。

 とにかく石崎たちは行ったな。これで解散の流れに───。

 オレはとつにしゃがみ込み頭を数十センチ下げる。

 その直後、オレの頭のあった位置を高速で伊吹の足が駆け抜ける。

「……何がけられないよ。避けたじゃない」

「そういう前フリからのりだったからな。というか全力で蹴ったな?」

 武道経験者の回し蹴り。直撃すればのうしんとうは避けられないレベルだ。

「強いくせに、それをおくびにも出さない。なんなわけ?」

「おまえは普段から、自分は強いですなんてふいちようして回ってるのか?」

「それは……」

「武術だろうとなんだろうと、それを使う機会がなきゃ誰かが認知するはずもない。オレはどうや石崎たちと違って、血気盛んなタイプじゃないからな」

「勝負して」

「なんだって?」

「もう一度私と勝負してって言ったの。本気の全力であんたと戦わせて」

 そのことがあきらめきれないのか、伊吹は再び戦闘モードへと切り替わっていた。

 石崎たちが現れなければ、あっさり別れられたんだが……。

「どうしてこんな話の流れになったんだ?」

「私はあんたが嫌い。表の顔と裏の顔を使い分けるところがね」

「なるほど」

 龍園や石崎みたいな連中は良くも悪くも見たままだからな。伊吹もそうだ。

 無人島の時だってスパイとしての演技はあったにせよ、素の伊吹は同じだった。

「オレは元々こんな性格だから、うらまれる筋合いはない。そう言ってもダメだよな?」

「無理」

 2文字で否定される。

「これまでのことは別としても、屋上での借りを返さなきゃ気がすまない」

 これは、何を言っても聞きそうにないな。

 ぶきは自分のコンディションが整った今、勝てる可能性を追いたいと思っている。

 ここで逃げることは簡単だが、3学期以降学校生活が始まってから同じように詰め寄られるのはもっと手間だ。それを伊吹も当然突いてくる。

「学校が始まって私があんたに不用意にからめば、それだけ面倒なことになるんじゃないの?」

 直接言いふらしはしなくても、他クラスの人間に付きまとっていれば周囲は怪しむ。

 それでいいのか? という多少強引なおどしだ。

 言ってしまえばそれも『言いふらす』ようなものなのだが、伊吹はそうじゃないと言いたいらしい。

「あんたが私を引き下がらせたいのなら、もう一度勝負するしかない」

 勝負なんて一口に言っても様々だ。

「囲碁や将棋で勝負しようってわけじゃないよな?」

「どっちもルール知らないし」

 それは残念だ。どっちも腕には自信があったんだが。

「勝負のつけ方なんて決まってるでしょ」

 そう言って、人通りもあるモール内で構えを取った。

 考えるまでもないが、そういうことだ。

 きっと、いつもそうやって物事に対して白黒つけてきたんだろう。

「……多分、何も変わらないと思うぞ」

「はっ。やっても結果は変わらないって?」

 オレの言葉に引っかかったのか、青筋を立てるように伊吹の唇がヘの字に曲がる。

 一瞬ゆるんでいた唇の形もはるか昔のことのようだ。

「結果だけじゃなくて、伊吹自身の考え方もな」

 屋上での負け方を踏まえて、再戦しても結果が変わらないことは分かりそうなものだ。

 だがどんな負け方だったとしても、伊吹は納得しなかったに違いない。

 男がとか女がとかじゃなく……多分負けを認めたくないだけなんだろう。

 だったらおまえの勝ちでいいよ、と言っても火に油をそそぐだけだろうしな。

「どうせ私の勝負なんて受けないんでしょ?」

 もちろん、普通なら受けることはない。

 まして疲れている今、余計な行動はしたくないのが本音だ。

 しかし───

「時間はいいのか?」

 オレは否定せずそうぶきに声をかけた。

「……別に。映画以外に予定もなかったし。もしかして受けるわけ?」

 オレが話に乗るとは当然思わなかったであろう伊吹が面食らう。

 むしろ一歩引いているようにも見えた。

「冗談だったのか?」

「そんなことない。あんたが受けてくれるって言うなら望むところよ」

 驚いたものの伊吹はすぐに食いついてきた。

 今すぐにでも始めたいようで、前のめりになっている。

 だがそうはいかない。

 ケヤキモール内は数多くの人が行き来している。あまりに目立ちすぎる場所だ。

「受けるの? 受けないの?」

「どうしたもんかな。何にせよ、ここじゃ目立ちすぎるだろ。仮におまえの言うように勝負するとして、場所はどうする」

 ここはケヤキモール。監視の目は無数にある。

 さらに人目も避けつつとなれば場所を移すことは避けられない。

 かといって、敷地内も基本的にはアウトだ。冬休みの今、どこに誰の目があるかは分からない。もはやりようの室内にでも移動するしかないが、そんなところでの勝負は成立しないと伊吹も分かっている。

「……探す。これから探す」

あきらめるって選択肢はないんだな」

「ここで会ったが100年目ってヤツよ」

 そう言って伊吹は背を向け歩き出す。ついて来いってことらしい。

「逃げたらどうする?」

「走って追いかけて、見つけたらその場で飛びりする」

 ってことらしい。逃げたくなる衝動を抑えながら後を追う。

「先に言っておくけどな、適切だと思える場所があることがこの話の大前提だぞ」

「そんなこと分かってる」

 それさえ承知しているなら、ひとまずは納得しよう。

 人気のない場所が見つからなければこの話も流れるはずだ。

 こちらが一方的に断った場合と違って、伊吹もちやをしてこないだろう。

 それを読んだ上での行動だ。

 前を歩く伊吹と数メートル離れているとはいえ、長い間行動を共にはしたくない。

 それから伊吹は、ケヤキモール内を必死に歩き回る。

 どこかに人気のない死角がないかを探す。だが簡単には見つからない。モール内の奥には生徒がそれほど寄り付かない場所もあるが、当然監視カメラはある。それに生徒はおらずとも従業員はどうしても存在する。

 かといって、それはモールを出ても同じだ。学校の校舎裏とかになれば話も変わってくるが、制服でないと入れない以上、それも無理だろう。

 わざわざ着替えてきて合流するのもおかしな話だし、オレたちが学校に入るところを他の生徒に目撃されれば、それはもう失敗みたいなものだ。

 それを見越して挑発行為に乗ったが、やはりこれが正解だったようだ。

「そろそろあきらめないか? この学校にそもそも死角は───」

「ちょっと待って」

 言葉をさえぎられる。

 何かひらめいたことでもあるのか、視線をある方向へ向ける。

 ぶきが見ていたのは『スタッフ以外立ち入り禁止』と書かれた窓ガラス付きの扉だった。丁度中でスタッフが作業していたのか、台車と共に中から出てくる。

 黄色いエプロンをつけていて、その胸には『むら』と書かれたネームプレートがある。

 そして大きな文字でケヤキモールドラッグストアの文字がプリントされていた。

 台車には商品が入っていると思われる段ボールが3つほど乗っていた。その台車を押してモール内のドラッグストアへと向かった。恐らく商品を運び入れるのだろう。

「ついてきて」

「おいそこは───」

 そう言いかけるも、伊吹は扉に手をかけた。

 扉を開くと、やはり商品の積まれた倉庫のようだ。

 スタッフはおらず、最低限の明かりのみの薄暗い空間だった。

 段ボール箱を見ると、お菓子やガーゼなども積んである。

 やはりドラッグストアの商品ばかりだ。暖房は効いておらず、少し肌寒い。

「ここなら誰にも見られることはない。違う?」

 確かにスタッフ専用のスペースには監視カメラは設置されていない。

 だが普段はじようされていてしかるべき場所じゃないだろうか。こんなところを普段から開けっぱなしにしているとは思えない。

 とすると、あの従業員が偶然鍵を閉め忘れていたか。あるいはすぐに戻ってくることを想定してかけずに出て行ったかのどちらかだろう。

 どちらにせよ、こんな場所に長時間いるとトラブルの元だ。

 こんなところに学生がいるのは不自然でしかないからな。

 見つかればしかられることは避けられない。

「大したことないでしょ。間違って入ったって言えばそれでおしまい。何か盗みでもしたなら話は違うでしょうけど、幸い私たちは隠すかばんもない、完全な手ぶらだしね」

 確かに言い訳は出来るだろうが……。

 なんとしてでも、ぶきは決着をつけたい気持ちが強いらしい。多少のリスクなどおかまいなしということだ。

 結果が分かっていても『あるいは』という感情は絶対に消えない。

「とてもじゃないが、こんな狭いスペースじゃ勝負なんて出来ないだろ」

 これじゃ最初に考えたりようの部屋とそれほど変わらない。

「私は別に構わないけど?」

 誰にも見られない条件さえ整えば、ぜいたくを言うつもりはないらしい。

「とは言えだな……さっきのスタッフがすぐ戻ってきたらどうする」

 それに普通、こういうところには迷って人が入らないよう鍵をかけるものだ。

 商品が盗まれるなんてことはまずないと思うが、確率は0じゃない。

 後で戻ってくるために鍵をかけなかったか、あるいは鍵のかけ忘れか。

 どちらにせよ長時間誰も訪れないってことはないだろう。

「それまでに決着をつければいいじゃない」

 こっちの意見には耳を貸さず、前向きなことだ。

 必死に場所を変えることを提案しようとしていると、ガシャン、と錠が閉まる音がした。

「どうやら、良くない方向の可能性があるぞ。締め忘れで戻ってきたみたいだな」

「別に慌てる必要ないでしょ」

「見てみろ」

 オレはドアノブを見るよう伊吹をうながす。伊吹はげんそうにしながらもドアノブを見る。

「……ちょっと。なんで鍵を開ける部分が無いわけ?」

「この手のガラス窓付きの扉は、室内側にサムターンがない場合がある。サムターンってのは、つまりおまえの言う鍵を開ける部分だな」

 サムターンを取り付けないのは、防犯のためだ。窓ガラスを割られてしまうと、手を入れて室内側のサムターンをまわしてデッドボルトを解除できてしまうからな。

「つまり出られないってわけ?」

「そういうことになる」

「何なのよ。なんであんたとかかわると、密室に閉じ込められるわけ? あぁもう、エレベーターのこと思い出したら更にムカムカしてきた」

「今回オレは一切無関係だ。おまえがこんなところに入ったからだろ」

「はあ? 私のせい?」

 いや、本当に伊吹以外に責任の持って行き所がない話なんだが。

 前は真夏のエレベーターで、今回は真冬か。奇妙なこともあるもんだ。

「とは言えエレベーターの時とは状況が違う。窓ガラスの素材は普通みたいだから、最悪たたること自体は簡単だな」

「じゃあ最悪出られるわけね」

「ただし、第三者には絶対に知られることになるけどな」

 オレたちが倉庫に入り込んだことを絶対に知られてしまう。

「……いい。考え方を変えて前向きに行かせてもらう」

「嫌な予感がするんだが」

「その予感は的中ね。ここなら邪魔は入らないことが確定した」

 ぶきはこちらを振り返ると、ゆっくりと構えを取る。

「ルールはあんたに決めさせてあげる。相手が負けを認めるまで? 意識を失うまで?」

 完全に逃げ切れないこの状況を、逆に伊吹は利用するつもりらしいな。

 今の状況なら、オレが逃げ出したいと思ってもそれはかなわない。

「ギブアップを宣言した方の負けで」

「……ちょっと待って。やっぱりルールは私が決める」

「おい」

「そのルールだったら、あんたは戦う前に負けを認めるんじゃないの?」

 正解。

「だから、私が勝ちと思うか負けと思うか。白黒付くまで勝負を続ける」

 なんとも強引かつ、ちやな話だ。

「分かった。おまえのその提案に乗ってもいい。ただしあれこれ条件を付けるんだ、こっちの条件もひとつ飲んでもらうぞ」

「なによ」

「決着が着いたなら、金輪際オレに対して挑んでくることを禁止にする。いいな? もちろん学校の試験での正当な勝負なら、それを禁止にする権利はオレにないけどな。あくまでも今回みたいな個人的な戦いはこれっきりにしてもらいたい」

「……元々ここでケリをつけるつもり」

 不服はないようで、伊吹は小さくうなずいてしようだくした。

 そうと決まれば切り替えていくしかないな。

 屋上の件からこっち、肉弾戦が続くのは想定の外だったが仕方がない。

 むしろ、伊吹を倒した後の方が問題だ。長引かせずに終わらせよう。

「ほんとむかつくヤツよね。ここから出ることのほうを優先して考えてる」

「場所が場所だ。オレたちが倉庫に入り込んだ事実を知られれば問題にもなる」

 間違えて入った、という言い訳はすぐに連絡しなければ効果は薄い。

 長時間も品物が置かれてある倉庫に入っていた、という事実は重い。

 そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、ぶきが警戒しながらもりを繰り出してくる。

 やはり足技が主体か。

 狭い倉庫の中でけ続けるのは簡単じゃない。それに加えて、出来れば積まれてある段ボールに損害を与えるようなことはしたくない。

 こっちは色々と物入りで、かるざわにも『大量のプライベートポイント』を借りている手前、無駄遣いは避けたいところだ。

 しかし、多少の反撃で今の伊吹の心が折れるとは思えない。己のプライドをけた戦いでやすやすとはギブアップしてくれないだろう。

 かといって意識を刈り取ってもそれは同じこと。伊吹は意地でも負けを認めない。

 本人が勝ち負けを判断するルール。厄介な勝負を押し付けられた。

 勝つには攻撃しなければならないわけだが、安易に殴るわけにもいかない。これが死闘ならこちらもようしやしないが、なんのメリットもない場外戦。顔だろうと腹部だろうと、下手な傷やあざは相手に残したくないものだ。

 となれば、こちらが使える技は必然的に限られてくる。

 相手に負けたとさとらせつつ、傷つけない。2つを両立させる手段。

 もちろんどちらも絶対ではないが……。

 オレは伊吹の蹴りを最小限の動きでかいくぐり、き手ではない左手を使う。

 パン、という乾いた音と共に伊吹のコメカミをしようてい打ちする。

 てのひらの付け根の堅い部分を使い相手をたたく技。

 叩いた対象の内部にダメージをしんとうさせることが出来る。

 強烈な音と痛みに、伊吹が後方へ吹き飛ぶように崩れ落ちた。

「は───」

 打ち込まれた相手は何が起こったかわからず、痛みとパニックによって意識がもうろうとしているはずだ。

 もう少し強く打ち込んでいたら、恐らく意識を失っていただろう。

 ちよとつもうしん、目の前の敵を倒すことだけに全力をそそぐ伊吹。意識をつのは簡単でも、気持ちを断つのは簡単じゃない。

「……本気、出すまでもないってわけ?」

 揺れる視界にあらがいながら、伊吹は額を手で押さえこちらをにらみつけてくる。

「おまえも武道の経験者なら分かるはずだ」

「分かってる。そんなこと指摘されるまでもなくね……だけど、納得したくないことだってある」

 それがこの、オレとの戦いってことか。

 伊吹は言葉にならない言葉を、雄たけびのようにあげオレに再び蹴りかかってきた。

 すきはけして小さくない、威力だけを重視したり。

 小細工をしてもこちらに命中しないことが分かった上での、一撃必殺にかけたい思いがあったのかも知れない。あるいはカウンター覚悟の相打ち狙いか。

 どちらにせよ、その攻撃を素直にもらってやるつもりはない。

 ぶきの繰り出した蹴りを右手でガードし、空いている左手で伊吹の首を取った。

「がっ……!」

 満足に呼吸もできない状態。

 伊吹はもがくように両手でオレの左手をつかむ。爪を立て、必死に抵抗するがオレの左手はびくともしない。

「決断しろ伊吹。ここで止めておくか、無意味に続けるか。そして後者を選ぶなら、おまえにその先はない」

 そんな簡単な言葉で納得するならこんな事態にはなっていない。

 だがそれでも、最後にもう一度オレは伊吹を試すことにした。

りゆうえんは示した。おまえはどうだ伊吹、示せるだけの実力を持ってるのか?」

「ぐっ!」

 最後の力とばかりに、こちらをにらみつけた伊吹。

 だが───。

 伊吹の手が震え、その手がゆっくりとオレの左手に乗せられた。トントントン、とタップするように3回弱々しくたたいた。その動きと目を閉じ観念した顔を見て理解する。

 ゆっくりと左手の力をゆるめ、伊吹を解放する。

「はあ……はあっ。女だから手を抜けなんて思わないけど、マジでようしやしないのね」

「手を抜けるような相手じゃないだろおまえは」

 それに手を抜けば、伊吹は更に激情する。

 まあ、実際には実力などほとんど出していないが、それは別の問題だ。

 手を抜いたように見せないことが大切だ。

「あぁもう。どうして……」

 くやしそうにしながらも、伊吹はどこか吹っ切れたようにその場に座り込んだ。

「いい。認めればいいんでしょ、あんたの勝ちだって」

 オレにとって勝敗はどうでもいいが、それで伊吹が納得するなら否定することはない。

 この無謀な戦いにも、互いにちょっとした意味はあったということだ。

「あんたほど強いヤツ、大人でも見たことない。どうやってそこまで強くなったわけ?」

「日々のたんれんを繰り返す。武道の心得がある人間なら当たり前のことだろ」

「あ、っそ」

 こちらが本気で答えていないことを理解し、伊吹はあきらめたようにため息をついた。

「それでここからどうやって出るわけ? 私にも協力しろって話だけど」

「簡単なことだ」

 オレは学校のサイトからケヤキモール、ではなくその中にある店のドラッグストアへと電話する。

「すみません、むらさんという店員さん……ええ、そうです。いらっしゃいましたら代わって頂けないでしょうか?」

 程なくして、木村店員が電話に出た。

 オレは彼にここに閉じ込められてしまったことを伝えた。

「このままじゃ問題になるんじゃないの」

「そうだな。ペナルティなしで切り抜けられる保証はない。大事にしないで済ませるためには、おまえにもバカを演じてもらうぞぶき

 程なくして、先ほど鍵をかけたであろうスタッフが、かいじようして中に入ってきた。

 倉庫内にいるオレたちを見るなり、何の用で入ったのか、そしてすぐに連絡しなかったのかと問い詰めてくる。

「すみません。彼女とデートで舞い上がってしまって、人気のない場所を探していました。ここに鍵をかけられたことにも気づかなかったんです」

 クリスマス目前であることを利用し、盛り上がってしまったバカなカップルを演じることにした。

 もちろん、うそでも『恋人同士』なんてことは発言しない。

 ここでのことをスタッフが上に報告すれば、虚偽だと取られかねないからだ。

 オレはあくまでも明言は避け、そうだと相手に思いこませることにした。

「なあみお、おまえからも謝れよ」

「は、はあ? あんた何勝手に───」

 下の名前で呼ばれたことに機敏に反応する伊吹だが、オレは視線で黙らせる。

 この状況下だ、明らかな失言が自分に跳ね返ってくることは分かっているはずだ。

 もちろん、万が一裏切った場合のことは考えて準備している。最悪こちらも肉を切られるだろうが、伊吹に半分以上の責任を押し付ける想定はしてある。この部屋に積極的に立ち入ったのが伊吹であることを証明するのは難しくないからだ。

「……すみません、でした」

 不服そうにしながらも頭を下げる伊吹。

 その流れのまま、荷物には指一本触れていないことも伝える。

 スタッフの男性は繰り返し厳しく注意してきたものの、自分が鍵をかけ忘れたことにも原因があるということで、今回は上への報告はなしということで終わった。モール内の別のスタッフではなく、鍵をかけた当事者を呼び出したのもそれが狙いだった。

 説教の後、むら店員は鍵をかけ仕事に戻っていった。

 こうしてオレたちは密室での苦難を超えて、無事外へと出ることが出来た。

「何とかなったな」

「……あんた、あの一瞬で店員の名前まで見てたわけ?」

 名前を呼ばれたことよりも、そんなことが気になるらしい。

「意図的じゃない。何となく視界に入ってただけだけどな」

「あぁそう」

 聞いてきたくせに対応はどこか冷めていた。

「とりあえず、もうあんたとは金輪際かかわらない。それで手を打つ」

「それはありがたいな」

「でもその前に……最後にひとつだけあんたの意見を聞かせて」

「意見?」

「Aクラスに上がるには一人2000万ポイントがいる、それは知ってるでしょ? クラス全体で見れば合計8億ポイント。そんなとんでもないプライベートポイント、卒業までにめることなんて出来ると思う?」

「不可能だな。誰もが考えて、結果あきらめる戦略だ」

 オレは即答する。

「そう。そうよね」

「それが最後に聞きたかったことか?」

「ええ終わり。じゃあね」

 それ以上何も言うことがないのか、黙って歩いていった。

 これでぶきとの縁は切れた、と思いたいが……3年間高校生活を共にする以上、そう言ってられない日は必ず来るんだろう。そんな予感だけはあった。


    4


「色々と災難だった」

 当初の予定から一部変更することになりつつも、長い半日を終え、オレはやっとりように戻ることが出来そうだった。冬休みの外出には危険がつき物だな。

 さかやなぎむろ、そして伊吹とのひともんちやくいしざきたちとのすれ違いもあった。

 携帯で時刻を確認すると、既に午後3時を回っていた。

「あはは。それ言えてるー」

 帰宅すべく、ケヤキモールの中を歩いていると、3人組の女子が角を曲がってきてオレの少し前を歩き始めた。

 とうしのはら、それからまつした。全てDクラスの生徒たちだ。仲良さそうに話をしながら歩いている。

 佐藤とは明後日あさつて会う予定があるため、無意識に視線を奪われた。

 オレは気配を抑えつつ気づかれないよう声の拾える距離を保つ。

 何かオレにとって役に立つ情報が手に入ればラッキー、という程度の考えからだった。

「私たち、結局クリスマスまでに彼氏できなかったよねー」

 松下が周囲のカップルたちを見ながらため息混じりに言う。

「作ろうと思ったらすぐ作れるくせに。あんた可愛かわいいんだから」

 篠原はニヤッと笑いながら松下の脇の下をつつく。

「妥協してまで付き合いたくないし」

「それはそうだけどさぁ。でもやっぱり彼氏は欲しいかな」

「じゃあ彼氏候補とかいるの?」

 篠原に対して松下が聞くが、篠原は腕を組んで難しい顔をする。

「それが全然。まずうちのクラスは壊滅的だしさ」

「唯一にして最高の物件は、かるざわさんに持ってかれたしねー」

 もちろんその物件とはひらのことだ。

「他クラスとは試験で戦ってばっかりで仲良くする暇もないし。いっそ上級生と付き合った方がいいのかなー、なんて思ってる。ほんとは大学生とかがいいんだけど」

 松下は同級生が対象外だと言った。

「上級生かー。私はなんか、年上って逆にダメかも。恋愛するなら同い年かな」

 対して篠原の方は同級生の方が良いらしい。

「佐藤さんはどうなの?」

「えっ? 私? そう、ねー。私も篠原さんと同じでクラスメイトかな」

「いやいや、クラスメイトとは言ってないし」

 即否定する篠原。その部分は否定しなければならない要素らしい。

「そう言えば佐藤さんって……あやの小路こうじくんに声かけてなかった?」

 突如オレの名前が出る。不意の振り返りでもされれば一発アウトだ。

 オレはそばの本屋、通路側に面したコーナーに目を向けた。

 追いかけることはすぐにあきらめ、切り替える。

 佐藤たちと距離を開けるためにも、しばらくこの辺りで時間をつぶそう。

「本年度流行グッズランキング、か」

 日用品から家電用品まで、身近な様々な物にランキングを付けたものらしい。

 このメーカーの洗剤がいいとか悪いとか、細々書かれてあるようだ。

 ちょっと興味を引かれたため、手にとって流し見してみることにした。

「……買って帰ってもいいかもな」

 付録のベストカー用品まとめは不要だったが、おまけだから気にしないでおこう。

 家電辺りの事情にうといので、商品を買う時に参考に出来るかも知れないな。

 とりあえずとうたちは帰っただろうと思い顔をあげる。

 しかし、か視線の先にはしのはらが一人で立ち尽くしていた。

 どうやら残りの2人はお手洗いに行っているらしく、篠原がその場で一人待機することになったようだ。

 もう少し、本を物色することになりそうだ。

 グッズランキング本を買うために手にとってから、他の物にも目を通していく。

 本屋にはそれほどの客はいなかったが、似合わない人物を見かける。

 にも悪さをしそうな立ち振る舞いの人物。りゆうえんかけるだった。

 学術書のコーナーに目を向けている。

 こちらからでは背中しか見えないため表情はうかがれない。

「似合わないな……」

 取り巻きもおらず、一人でたたずむ姿を見ているとどこか寂しげにも見えた。

 ただ、昨日屋上でオレに敗れた翌日にもかかわらず、堂々と外出しているのは流石さすがといったところか。龍園が出歩いていることの確認ができただけでも収穫だ。

 気づかれても立ち話をする間柄ではないので、今は近づかないことを決める。

「ねえちょっと、あんた1年でしょ?」

「え?」

「今私らのこと見てにらみつけてなかった?」

「い、いえ。私はそんな……全然そんなつもりなくって……」

 他の本に目を通していると、篠原の戸惑うような声が聞こえてきた。

 誌面から顔をあげると、どういうわけか上級生と思われる男女2人が篠原を囲むように睨み付けていた。女子の方には見覚えはなかったが、男子には見覚えがあった。3年Dクラスの生徒で、入学当初オレの持ちかけた交渉によって、テストの過去問を売ってくれた生徒だ。2年生や3年生は退学した生徒も少なくないと聞いていたが、山菜定食を食べながらも、今日まで退学せず残り続けていたらしい。

 上級生の2人は、ペアルックで同じ水玉ストライプの私服姿だ。それに腕が触れ合うほどの距離に立っている。ほぼ間違いなく恋人同士だろう。

「絶対睨んでたって。そっちが前見て歩いてなかったのがいけないんでしょ?」

「いいから行こうぜ……。構うなよ」

 男のほうは気にしていないようだったが、彼女のほうは何やら怒り心頭らしい。

「許せないんだけど。1年のくせに、あんただってDクラスなんでしょ?」

「それは、その、そうですけど……でも私、別ににらんでなんか……」

うそつきなさいよ。ぶつかってきといて逆ギレしてきたくせに」

 状況を見るに、どちらかが前方不注意で肩が触れ合った、ってところだろうか。双方にや転倒が見られないことからも、それほど強い接触ではなかったことがうかがえる。

「そもそもさぁ。上級生にぶつかっておいて、その態度はなに? 謝ってよ」

「で、でも前方不注意だったのは……」

「はあ? もしかして私とでも言いたいわけ?」

 自分の正当性を主張しようとしたしのはらだったが、上級生からの圧に耐えかねたようだ、しぶしぶ頭を下げる。

「っ……いえ。申し訳ありませんでした」

 だがその、しぶしぶといった態度は当然オレだけじゃなく上級生にも伝わる。

 既に上級生の女生徒の導火線には火がついていたが、更に業火へと変わってしまう。

「はっ。そんな態度取った後で謝られても全く誠意が感じられないんだけどー」

「せ、誠意って……でも前を見てなかったのは先輩の方だと思います」

 どうやら篠原からすれば、睨んだ睨んでないの前に相手からぶつかってきたらしい。

「ふざけないでよ。あんたが前見てなかったんでしょ?」

「そんなっ」

 どうやら上級生が主張するには、前を見て歩いていなかったのは篠原だと言いたいようだ。篠原の言い分とは矛盾する。

 だが本当のことは当事者たちか、目撃者にしか分からない。

 篠原では解決に導くのは難しい状況かも知れない。

 一応助け舟を出したほうがいいだろうか。オレもぶつかる瞬間を見ていたわけじゃないため真実は判断しかねるが……まぁくやれるだろう。

 そんな風に思い本を棚に戻そうかと思った矢先、ある生徒の姿が見えた。

 篠原がからまれていることに気づいたようで近づいてくる。

 もしや、と思って見守っていると、その生徒は篠原に声をかけてきた。

「何やってんだよ篠原」

 先輩たちを無視して、クラスメイトの男子、いけかんがそう声をかける。

「あ……池くん……えっと……」

 助かった、という反応ではなかった。どちらかというと、嵐が去るのを待っている最中に別の嵐がやってきたような、そんな困惑した様子を見せる篠原。

 普段、池はトラブルを持ち込むことの方が多いので無理もない。

「何あんた。邪魔しないでよ」

 突然の来訪者に、女の上級生がく。

「あぁいやすいません先輩。でも、クラスメイトなんでコイツ。何かしたんですか?」

 その口ぶりからして、いけは状況を知っていたように思えた。

 オレと同じように遠くから様子をうかがっていたのかも知れない。

「何って、ぶつかってきたのよ。しかもさかうらみしてにらんできてさ」

「あぁ~分かります分かります。俺もよくコイツに睨まれるんですよ」

 へらへらと笑いながら池がしのはらを指差す。

 篠原は不満だっただろうが、池の行動が理解できずぜんとしているようだ。

「ただ、こいつ目つき悪いんで普段から睨んだような顔なんですよね。先輩たち睨むような度胸はないって言うか。多分生まれつきかと」

 そういって篠原の悪口をまじえつつも、先輩たちに矛を収めるようにうながした。

 ぶつかったこと、つまりどちらが悪いかにはあえて触れなかったようだ。

「それに下手に騒ぎにしない方がいいと思いますよ。さっき先生もいましたから」

 もし見つかればトラブルのだねが広がってしまう。

 そんな風に池が機転をかせた。

 何より大きなポイントだったのは、その言葉を女にではなく男に向けたことだ。

 視線で分かりますよね? と彼氏側に伝えたことは効果的だったように見える。

「……もう行こうぜ」

 せつかくのイヴを目前に控えている。男としてもこれ以上ごとは起こしたくないだろう。

 争いごとに抵抗のあった彼氏側にしてみれば、切り上げるチャンスだ。

 女のほうはまだ少し不服そうだったが、それでも多少怒りが発散されたようだ。

「ふんっ」

 そう鼻で息を吐いて男と歩いていく。何とか事なきを得たか。

 先輩たち2人が立ち去った後、篠原はホッとするように息を吐いた。

「ありがと……」

 お礼を言われ喜ぶかと思った池だったが、意外にもそっけない態度を取った。

「別に……。何となくだよ」

 そんな短い言葉しか返さない。

「でもさっきの言いすぎ。私別に普段から睨んだ顔してないし」

「アレは助けるための方便だって」

「もっとマシな方法あったんじゃないの?」

「知らねーって」

「……その、あの……あ、ありが───」

「じゃ、じゃあな。精々彼氏のいないクリスマス楽しめよ!」

「は、はぁ!? あんただって彼女なんて一万年出来ないくせに!」

 いけか失言の置き土産を残して、その場を離れることにしたようだ。トイレから戻ってくるとうまつしたの姿が目に入ったからだろう。

 しかし、立ち去るところは当然2人に目撃されてしまう。

 戻ってしのはらと合流するなり2人はげんそうな顔を見せた。

「あれ、今の池くんだよね? なんかあったの?」

「またちょっかいだされてた? なんでうちのクラスってあんなバカばっかりなんだろ」

「う、うぅん、そういうんじゃないって。ちょっとね」

 怒りを2人にぶちまけるかと思ったが、篠原は特に出来事を語ろうとはしなかった。

 そしてただ静かに、篠原は去っていった池の背中を見送った。

 問題も広がらなかったようだし、オレも帰ることにするか。

 この場で佐藤の情報を拾えることもなさそうだ。


    5


 本の入った買い物袋を手に下げ帰宅中、一本の電話が入る。

 液晶に映るという名前を確認した後、電話に出る。

「あ、私だけど。唐突だけどさ、明後日あさつて皆で集まってパリピしない?」

「ん? 集まって何をするって?」

 明後日の予定は既に決まっていたが、聞いたことのない単語に思わず聞き返してしまう。

「パリピ知らないの? パーティーピープル。略してパリピ」

 いつの間にそんな新語が生まれていたんだ。

 いや、振り返ってみるとクラスの誰かが言ってるのを聞いたことがある気もするが。

 パーティー好きが集まってわいわいしようってことだろう。

「クリスマスは恋人たちだけのものじゃない、ってのがメインテーマね」

 なるほど。やはりクリスマスの与える影響はカップルだけにとどまらない。

 その周囲にいる独り身にも降りかかるもののようだな。

「悪いな。明後日は予定があるんだ」

 楽しそうだとは思ったが、ここは断らなければならない。

「……うん? 明後日はクリスマスだけど、どういうことかな?」

 どういうことかなと聞き返されても困るが、波瑠加たちも外で遊ぶなら見られる可能性もある。ここは正直に話したほうがいいだろう。

「佐藤と遊びに行く約束をしてしまった」

「サトウって、角砂糖のサトウ? ポケットにでも入れて出かけるわけ?」

 どんなボケだそれは。

「え、え? なに、もしかしてとうさんとデートするわけ? クリスマスに?」

 こっちが説明しなおすまでもなく、当然は意味を分かっていたはずだ。

 だが訂正するべきところは訂正しておこう。

「デートってわけじゃない。遊びに行くだけだ」

「世間じゃそれをデートって言うんだけど」

 そうかも知れないが、こっちとしてはデートなんて言葉を使うつもりはない。

「前に約束を何度か断って、25日でってことで佐藤に頼まれた」

「いーやいやいや、それはちょっとまずいでしょ」

 もちろん、オレもこの学校に入って世間というものを学んできた。

 クリスマスに男女が出かけることの意味を全く分かってないわけじゃない。

 それでもオレが佐藤の誘いを受けたのは、彼女が25日を選んだからに他ならない。

「確認するけど付き合ってるわけじゃないよね?」

しいの時と同じだ。オレは誰とも付き合ってない」

「そうだよね。ま、私がとやかく言うことじゃないんだけどさ……あいがね」

「愛里?」

明後日あさつて、きよぽんが参加しないってなったら、色々気にすると思うのよね。病気ってことにも出来ないだろうし」

 本当のことを話せばいい。そう伝えるのは簡単だが、そうはいかないんだろう。

「分かった。こっちで何とかする。明後日はどこに出かけるの?」

「予定に合わせてそっちも動くってことか」

「それしかないでしょ。きよぽんと佐藤さんがクリスマスにデートなんてしてるところ見ちゃったら、あの子気絶しちゃうかも」

 気絶とは大げさな、そう思ったが愛里ならなくはないか。

 場合によってはひどく落ち込ませてしまうかも知れない。

 オレがそう思っていると、電話の向こう側の波瑠加の空気が変わった。

「もしかして、愛里の気持ち……気づいてる?」

 核心にも近いことを波瑠加から質問される。

「波瑠加の考えている通りかは別として、他の人間から向けられる感情と少し違うことくらいは理解してるつもりだ」

「なーんか変な言い方だけど、そっか。そこまでにぶくはなかったってことね。もちろん、それが分かったからって私から余計なことは言わないけどさ」

 余計なこと。

 つまり、愛里の気持ちに答えないのか? といったことなどだろう。

 オレに言わせれば、愛里は自分で歩き始めたばかりのひなどり

 まだ多くの人間を知らない状態で、数少ない親しい異性であるオレに多少感情を寄せるのは無理もないことだ。まずは多くの男女と時間を共に過ごし、その中で成長しなければならない。

 そうすることで見えてくる、恋愛とは違う別の感情もあるかも知れないのだ。

 そしてそれはオレ自身にも言えること。

 学校とは何か、友人とは何か、そして好きな人とは何か。

 まだよく理解していないことばかりで、早計な判断など出来ない。

「とりあえず、また連絡するね」

「悪いな、遊びに行けなくて」

 そう謝罪したが、それに対してはすぐに言い返した。

「元々はそんな縛りの外で集まってるグループでしょ。変に拘束力が強くなっちゃったらグループの強みがなくなっちゃうし。好きなときに集まって嫌なときに断る。そんなことが出来るグループだから魅力なわけだしね」

 そう波瑠加は答え、通話を終える。

「確かにそうだな」

 誘いに強制力みたいなものが生まれたら、このグループの強みが無くなる。

 とてもありがたいグループなのだと再認識した。

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