ようこそ実力至上主義の教室へ 7

〇交錯する思い(2)

    3


 階段を上がる。

 一段、また一段。

 ゆっくりと歩みを進めると、その先には黒い影。屋上への道を守る門番がいた。

 仁王立ちし、静かにこちらを見下ろしている。

 Cクラスのやまアルベルトだ。先ほどから動いた気配はない。かんぺきな見張り役だな。

 あまり詳しいことは知らないが、この男もまたりゆうえんの舎弟ということだろう。

 値踏みするような様子でオレを見下ろす。

「通してもらえるのか?」

 日本語が通じるのかも知らないが、とりあえず声をかけてみる。

 しかしアルベルトは全く動こうともせず、ただこちらを観察し続けるだけ。

 拒絶の無言なのか、言葉が通じていないのか分からないところがもどかしいな。

 大きな手で素早く携帯を取り出し、器用にどこかへ電話をかけようとする。

「Don't panic. I'm the one you are seeking for.(慌てる必要はない。オレはおまえたちが探し求めていた相手だ)」

 英語でそう伝えると、アルベルトの動きが止まる。

 だが返事は返ってこない。

「Today, I'll solve the trouble by myself, and no one interferes.(今日の問題はオレ一人で解決する。それ以外の介入は一切ない)」

 改めて英語で説明すると、少しだけ考えた後アルベルトは携帯をった。

 そして静かに道を開ける。通れという無言の合図だった。どうやら認めてもらえたらしい。ただ、階段の上に留まられたんじゃこっちの作戦にも支障を来たす。

「悪いがこれから龍園をつぶすぞ。おまえの協力なしにはヤツに勝ち目はない」

 あえてその挑発を日本語で言うと、アルベルトは一度階段の下を見た。誰もいないことを確認すると、アルベルトは自らの手で屋上のドアを開いた。

 それからアルベルトも屋上に出ると、ドア脇に立ってこちらを背後から見張る。

 どんよりとした雲は今にも雨が降り出しそうだ。扉から離れた、フェンス寄り。そこにうずくまかるざわを見つける。そして、扉の開閉に気づいたいしざきぶき、そして龍園がこちらへと視線を向けた。オレは前後左右を見回し監視カメラをチェックする。

 そのレンズ部分は黒で塗り潰され、監視カメラとしての役割は果たしていない。

 なるほど。シンプルにスプレーで視界をうばったか。

 状況をあくするとすぐに視線を龍園たちへと戻す。

「あやの、こうじ……?」

 一番最初に声を発したのは伊吹。

 オレの名前を聞いて、軽井沢もこちらの存在に気づく。

 だがすぐに声は出さなかった。

 ただひとみの色で、ここに来たのかと驚いていることだけは分かった。

「遅くなって悪かったな」

 そう声をかける。

「どうして……どうして、来たの……?」

 かすかな声をしぼし、かるざわがこちらを見る。

「どうしても何も、約束しただろ。おまえに何かあれば必ず助けると」

「りゅ、りゆうえんさん。あやの小路こうじがXなんですか!?」

「そんなわけないでしょ。こいつは絶対にない」

 いしざきが慌てるが、それを龍園より先にぶきが否定する。

「龍園。Xは綾小路を利用しようとしてるだけ。だまされないで。多分軽井沢にも別の人間が助けに行くことを事前に伝えてあるはず───」

「黙ってろ伊吹」

 笑った龍園は、軽井沢から距離を置き、少しだけオレに近づいてきた。

 それでも、距離にして5メートルほど空けて立ち止まる。

 その時点で龍園がこっちを強く警戒していることがよく分かった。

「これはこれは、誰が来たかと思えば。いつもすずにくっついて回ってる綾小路じゃないか。冬休みに入った人気の無い屋上になんのようだ?」

「軽井沢からメールをもらった。助けて欲しいってな」

 具体性を外し、そしてあえて龍園から連絡を受けたとは言わない。ならオレは龍園に間抜けにも狩場へと誘い込まれた、ハンターによって狩られる獲物なのだから。

「ほう?」

うそに決まってる。あんたに指示が飛んできたんだ。かるざわを助けに行けって」

 黙っていろと言われたばかりのぶきだが、かやけにオレの存在を否定してくる。

「どうした伊吹。おまえはあやの小路こうじがX本人じゃないと思いたいようだな」

「思いたいんじゃない、違うって言ってるの。コイツは、コイツはただの間抜けなおひとし。多分Xだとか軽井沢だとか、状況すら分かってないんじゃない?」

「お人好しだと? そう思うからには根拠があるんだろうな?」

 りゆうえんが伊吹に問う。

「私はDクラスを撹乱するために無人島の時に軽井沢の下着を男子のかばんに忍ばせた。誰もが当然、Cクラスである私を犯人だと考えてた。だけど、コイツは疑いもしなかった。間抜けにも私に向かって犯人とは思わないって言い切ったのよ」

「それがうれしかったわけか」

「冗談よして。そもそも犯人は私なのに、嬉しく思うわけないでしょ。ただ、明らかに怪しいヤツに対しても疑いすら持てない無能な生徒。そう認識しただけ」

 そんなヤツがDクラスを裏で操っているとは思えない、というわけだ。

「龍園さんは信じるんですか? その、綾小路がXだって」

「元々綾小路は臭かっただろ。あれだけ有能だともてはやされたほりきたに常にべったりだったんだからな」

「でも、露骨過ぎるって言うか……正体を隠すにしてはあからさま過ぎませんか?」

「確かにな。おまえの言いたいことも分かるぜいしざき。だから俺も慎重に外堀を固めて行った。そしてなべたちの一件を知ってから本命に再浮上させたのさ。軽井沢のいじめ問題からの対応の早さや手段から見ても、綾小路かひらのどっちかだってな」

かつつけないでよ。あんたはその後も綾小路や平田を最優先のターゲットにしてなかったじゃないっ」

 Cクラスの中でも意見が割れる。

 オレが認め、伊吹たちが認めないという特異な状況になっていた。

「一番怪しいからこそ、意図的にそう見せてた。あるいは堀北を利用する以外に方法がなかったとかな」

「でも───!」

 オレはあいまいな、ふわりとした優しい一石を投じることにした。

「心配しなくても、オレがおまえたちの探し求めていた人間だ」

「はっ。やっぱり怪しいじゃない。自分でそんな風に言う? おかしすぎる」

 これまで隠し通してきたからこそ素直に受け入れられないのも当然の反応だ。

「俺も怪しいと思います。本当の黒幕におとりとして名乗り出るように言われたのかも……」

 確信を得る寸前のりゆうえんに、ぶきいしざきが待ったをかける。

「あんただってXはここに姿を見せないって読んでたんじゃないの?」

「確かにな。これまでほりきたかくみのにしていたヤツが、こんな見え見えのわなにあっさりと引っかかって姿を見せるのは、普通に考えたらおかしな話だからな」

 その点に関して疑ってくるのは自然の流れか。

「俺には悪手に見えるぜあやの小路こうじ。この一件で唯一おまえが取るべき最善策はかるざわけいを見捨てることだった。無謀にも飛び込んでくることじゃなかったのさ。伊吹たちが疑うのも無理はないかもな。おまえが本当にXなんだとしたら、このきゆうをどう乗り切るか教えてくれよ」

 それが唯一にして最大の証明だ。そう龍園が付け加える。

「素朴な質問なんだが、今のオレは窮地なのか?」

 間抜けに問うこちらに対して、龍園たちにも一瞬しらけたような空気が流れた。

「オレは軽井沢に助けを求められてここに来ただけだ。試験でも何でもない今、証明も何もないだろ? Xである証明が欲しいのなら、次の試験までとっておけばいい」

「そうじゃないだろ。おまえは今俺たちに正体を握られた。しかも軽井沢の秘密も。ここで何もせずに帰ったら、明日には大変なことになることくらい分かるだろ」

「大変なこと?」

「いい加減とぼけるのはめろ。さあ、どうするのか見せてみろよ」

「どうするもなにも、オレはどうもしない」

「分かりましたよ龍園さん。そばどうたちを待機させてるんじゃないですか?」

 石崎が半分ほど開いたままの扉に視線を向けて言った。

「それはない」

 だがそれを龍園は否定する。

「そ、そうなんですか?」

「多数のクラスメイトが軽井沢の惨状を知れば、俺が言いふらすまでもなく、それだけで軽井沢の地位は終わる。少しは頭を使って考えろ」

 その確証がなければ、龍園だってこんなちやな行動は起こせない。

「な、なるほど……」

「しかし、とぼけてんなら大したもんだな」

「もういいでしょ龍園。Xが堂々と一人で乗り込んでくるなんて絶対にない」

 伊吹が龍園に進言する。

「やれやれ困ったもんだな。伊吹や石崎はおまえをXだと信じないそうだぜ」

 龍園は肩をすくめ、伊吹と石崎にあきれた様子を見せる。

「何もしないと言ったな綾小路。だがこっちには真実かどうかを確かめる必要がある。そのためには周知させて確かめていくしかないが、それでいいんだな?」

 そう言い、笑顔でこちらの一手を見守るりゆうえん

「オレは最初から認めてるんだが。信じられないならもう少し情報を開示しよう。ぶき

 疑うことをやめない伊吹にオレは声をかける。

「無人島の試験。おまえはリーダーのキーカードをデジカメで撮影するように指示されていた。だが、か肝心のデジカメは故障していて使えなかった。違うか?」

「な、なんでそれを!?」

かばんに隠していたデジカメを壊したのはオレだ。外傷がつかないように水を使った」

 デジカメを所有していたことを知る人物はCクラスでも少ないはずだ。

「ちなみに、森で伊吹に出会った時、おまえの指先は土で汚れていた。おまけに座っていた付近の土は一度掘り返されたあとがあったからな。夜中に調べてみたら無線機が埋められていた。あれは龍園と連絡を取り合うためのものだったんだろ?」

 ここまでネタばらしすれば、嫌でも理解してくれるはずだ。

 あの時手が汚れている伊吹を見ていたのはオレかやまうちあいしかいない。

 つまりそこまで見抜いている人物、という確実な証拠だ。

「認めるしかないな伊吹。あやの小路こうじがXだ」

「待って、待ってよ。多少頭がキレるからって、それがXと同一人物だと言い切れる?」

「これ以上何を疑う必要があるんだ」

 龍園は更にあきれた表情を浮かべる。

「だっておかしいでしょ。仮に綾小路が本当に裏で糸を引いていたXだったとしても、何で素直に出てきたわけ!? これまでのこと全部ぶち壊しでしょ!?」

「策くらい用意してるだろ。俺たちの想像すら及ばないミラクルってやつを。そうでなきゃ……その時はただのバカになるかもな」

「策? この状況で打てる手なんて存在しない。おまえたちはかるざわの過去という大きな秘密を握ってるんだ。不用意なことをすればどうなるかくらいわかる。そもそも打つ手がないように下準備した結果が、今の状況じゃないのか?」

「ハッ。だったらどうする? これでおまえの存在はいつでも明るみに出来るぜ? 正体をつかませた以上、こっちから軽井沢のいじめをばくする意味も薄れた。俺たちが黙ってる分にはおまえらも不用意なことは出来ない。完全な手詰まりになるよな」

「ここで軽井沢にしたことを学校に報告する、ってことも出来そうにないしな」

 試験中と違って、普段の学校生活における暴力は即退学ってわけでもない。

 仮にすべてを実証できたとしても、どこまでダメージを与えられるか怪しいものだ。

「もし俺たちの行動をチクれば、刺し違えるつもりで軽井沢の退路を断つぜ」

 そう。龍園たちにペナルティを与えれば、こっちは軽井沢を完全に失う。

 肉を切ったと思ったら骨を切られていたなんて場合もありそうだ。

 かるざわの過去を攻撃手段に使っていたりゆうえんは、ここで防御手段へと切り替えた。

「どうみても、こっちが圧倒的リードってヤツだ」

「状況が分かったなら満足しただろ。軽井沢を連れ帰らせてもらう」

「拍子抜けすること言うなよ。せつかく来たんだ、もっとゆっくりしていこうぜ」

 龍園は軽井沢の腕をつかむと、強引に引きずり立ち上がらせる。

「っく!」

「おまえが無意味に正体をさらすわけがない。どんな手を考えてきた。見せてみろよ」

 挑発するように手のひらをクイッとオレに二度三度向けてうながす。

「悪いが龍園。何度聞かれても期待には答えられそうにない」

「あ……?」

「オレはおまえに手のひらで転がされた。それだけのことだ」

 この場にいる誰もが、そんなことをXが言うとは思ってもいなかっただろう。

 軽井沢を見捨ててでも己の正体を守る残酷なX。あるいは正体を守りながら軽井沢を救い出せる頭のキレる生徒。そのどちらかで考えていたはずだからだ。

 これまでは笑顔だった龍園にも、ついに陰りが見え始めた。

「こんな大げさなことまでして突き止めたXが、こんな間抜けじゃ肩透かしもいいとこでしょ。デジカメの件だってきっとマグレか何かよ」

 仲間でありながらも、ぶきは常に龍園に対して不信感を抱いている。

 演技ではなく本当にそう思っているからこそ、堂々と疑問を投げかける。

 頃合いと見て、オレは次の行動に出る。

「オレは確かに正体を晒した。だが、それですぐに困るわけじゃない。オレがDクラスを影で動かしていた事実を知っているのはほりきたと軽井沢だけだ。つまり、他クラスに漏れた場合にはこの中の誰かが言いふらしたことになる」

「それがどうした」

「オレの存在を周知させるなら、その時はこの屋上で起きたすべてを学校に報告する」

「それが出来ないから、おまえは追い込まれてるって言ってるんだ」

「出来るさ。軽井沢を犠牲にするだけでいい」

「……あ?」

「元々おまえはオレが軽井沢を見捨てると思っていたはずだ。なのに、この場にオレが現れてからはそうじゃないと思い込んで話していた。違うか?」

「それこそ理にかなってないだろ。最初から見捨てておけば正体はバレずに済んだかも知れない。それが出来なかったから来たんだろ。ハッタリかましてんじゃねえよ」

「いい……。もしきよたかのことがバレたら、あたしのことを話してもいい」

 倒れこんだ体をゆっくりと起こしながら、かるざわがオレを見てきた。

 オレはすぐに視線をりゆうえんに戻す。

「ということらしい。信じるか信じないかは勝手だが、その時は徹底して交戦することになるな」

「あの……ひとまずXの正体が知れただけで、いいんじゃないですかね」

「私も賛成。マジで捨て身でかかってくるかも」

 元々Xをあぶすために始めたこと。いしざきぶきはこれ以上を求めていない。

「……クク」

 か、突如頭を抱えた龍園は、小刻みに震え笑い出した。

「確かに片方が秘密をばくすれば戦争が始まるかもな。それは認めてやるよ」

 浅い深いの違いはあっても、両者に傷が残る。

 しかも考え方によっては、軽井沢の場合は致死ダメージになるとも限らない。

 過去にいじめられながらも立ち直った少女、という図も勝手に浮かび出てくるはずだ。

 ここで龍園が終了を宣言すれば、それで終わるだろう。

 が───


 この男は、絶対にそんな選択肢は選ばない。


「正直、今のところ拍子抜けだ。あっさり正体をつかませた上に、相手に判断をゆだねる方法でしか身を守れない。だが、それでも俺を楽しませてくれたXがあやの小路こうじであることは間違いない。だったら最後まで楽しませてもらわなきゃ損ってもんだ。そうだよなぁ石崎」

「は、はい」

「俺にとっちゃすべてがゲームなんだよ。Aクラスに上がることだけじゃない、いちつぶすこと、すずを潰すことも全て遊びの延長だ。Dクラスを潰すこともBクラスを潰すことも、最後のごそうに取ってあるさかやなぎまでの退屈しのぎだ」

 龍園は笑いながら、軽井沢の前髪を掴み上げる。苦痛にゆがむ軽井沢の顔。

 だが、そのひとみにはもはや恐怖の色はなかった。

「クク……。あれだけ絶望を抱いてたくせにまるで恐怖を感じてない。綾小路がXであるかどうかの議論をしていたのがあまりに馬鹿らしいぜ。綾小路を信じきった絶対的な目をしてやがる。俺が綾小路の正体をバラせば、自分から虐められたことを報告に行きそうなくらいにな。安心しろよ。これでおまえの役目は明確に終わりだ」

 もはや軽井沢への興味はせたのか、髪を放すと肩を突き飛ばした。

「おまえは俺を楽しませてくれたぜ綾小路。たかだかDクラスの不良品が、何度も俺の策を見切って裏をかいてきた。しかもやり方が俺に似てるときやがる。興味を持つなってのが無理な話だろ。黒幕を引きずり出してみる。それが俺の楽しみに変わった。その先なんざ考えちゃいない。会った時に考えればそれでいい、ってな」

 ずいぶんじようぜつに、そして愉快そうに自らの胸の内を語る。

「そして決めたぜ」

「……あんたはあやの小路こうじをどうするつもり?」

「何をそんなにイライラしてんだぶき

 伊吹はオレから距離を取ると、りゆうえん相手にもおくせず眼前まで迫る。

「この先の行動はCクラスの危機につながるって話」

「クク。いつぴきおおかみを気取ってクラスメイトと協力しようとしないおまえが、ここに来てCクラスの危機なんて口にするとはな。笑わせてくれるぜ」

「これまであんたに従ってきたのも、あんたのちやがクラスのためになると思っていたから。でもこれはそのはんちゆうを超えた。明らかに綾小路に打つ手は残ってない」

 めていたうつぷんを晴らすように、伊吹は続ける。

「だからあんたが今からやろうとしていることを、私は認めるわけにはいかない」

「おまえに俺が何をしようとしてるのか分かるのか?」

「4月からずっとあんたを見てれば分かる。暴力で屈服させようって言うんでしょ?」

 話を聞いていたいしざき身体からだわずかに硬直する。

「石崎も、みやこんどうも。アルベルトだって全部あんたは暴力で落としてきた」

「力の差を見せ付けるにはそれが一番だからな」

「もう差は歴然でしょ」

「これまで綾小路に何度か煮え湯を飲まされたことは事実だ。その借りは返さないとな」

「だから、そういう考えがクラスをピンチにしてるってこと!」

 パン、と乾いた音が響く。

 龍園の手のひらが伊吹のほおとらえたからだ。

 その途端に、伊吹は黙り込む。

「俺は俺が楽しめればそれでいいんだよ。暴力は特に分かりやすい」

 今のようにな。そんな言葉が聞こえてくるようだった。

 やはり龍園が辿たどりつく答えはそこか。

 化かしあいの出来る舞台が用意されていない今、それしかないのは必然だ。

「いいか。今回のことで一番大切なのは互いに得た情報をどうしたいか、だ。綾小路は自分の正体とかるざわの件も含めて、ここでの出来事を誰にも知られずに済ませたい。こっちとしても軽井沢をきようかつし、冷や水を浴びせたことは事実だ。万が一報告されれば相当重たいちようばつを食らう。言い換えれば、この場で起きたことはお互いが秘密にし続ける限り、何が起きても外部に漏れることはないってことだ」

 今までの流れを考えれば、それは簡単に推理できることだ。

 かるざわの過去とオレの正体をたてにすれば、ここでのことは絶対に外に漏れない。

「何が起ころうとも、互いに泣き寝入りするしかないのさ」

 それでもなおめに揉めるCクラスの面々。

「おまえが遅れて正体を見せた理由が少しわかったぜ。確かにこれで、お互いに場外で戦い合うことは出来なくなったな。扉を閉めろアルベルト」

 アルベルトがりゆうえんからの指示を受け、屋内へと続く扉を閉めた。

「だが、結局それが悪手だったことに変わりはない。おまえはここで終われると思ったかも知れないが、そうはさせねえよ」

 これから何が起ころうとしているのか、この場の全員が肌で感じる。

 龍園の方針は変わることはないだろう。

「退路はなくなった、か。これで思う存分おまえの望む展開が出来るな」

「まずはそのました顔を恐怖に変えてやる。タカをくくってるんじゃねえのか? こっちがちやをしないと」

「本当に暴力に訴えるつもりか」

「何も戦いってのは頭脳戦だけじゃないからな。強固な陣を敷く軍師の裏をかいて、当人を暗殺するのも立派な戦い方だ。暴力はこの世でもっとも強い力だ。どれだけ小細工しようと、暴力の前には屈さざるを得ない」

 今にも仕掛けてきそうな状況になったところで、オレは一度龍園、ぶきいしざき、そしてアルベルトに一度ずつ視線を送った。

「おまえの無様な姿を目に焼き付けて、それで手打ちにしてやるよ。3学期からはいちの調理に入るからな」

「確かに人は暴力の前には屈する。その理屈は分からなくもない。ただ、その理論をつらぬき通すには常に相手の力量を上回る必要がある。そのことを分かっているのか?」

「あ?」

「この場にいる4人だけじゃ、オレは止められない」

「……?」

 理解できない伊吹が、まゆをひそめる。

「ク、ククク。ククククククク」

 よほどおかしかったのか、龍園は腹を抱えながら笑った。

あやの小路こうじはこう言いたいのさ。おまえらごときじゃ、暴力で支配することなど出来やしないとな。だったら見せてもらおうか、その自信のほどをよ。石崎」

「い、いいんですか」

 攻撃命令に、石崎が思わずちゆうちよする。

 どうのようなけん慣れしている相手ならいざしらず、オレは普通の生徒。

 指示されても抵抗が生まれるのは無理もない。

「遠慮なくやれ」

「しかし……」

「俺たちがあやの小路こうじを徹底的にたたきのめしても何も心配いらない」

「待って!」

 詰め寄ろうとするいしざきを止めたのは、かるざわの叫びだった。

「なんでこんなバカみたいなことするわけ!? きよたか殴ったっていいことなんてないでしょ!?」

「おいおい、急に参戦してくるなよ軽井沢。おまえはもう用済みなんだ。コイツがにえになることで過去をバラされる心配がなくなったんだ。感謝だけしてろよ」

 水を差すなというように、りゆうえんが再び軽井沢の髪をつかみ上げる。

「ッ!」

 そしてそのまま後ろに軽井沢を突き飛ばした。

「だからすっこんでろ」

 それでもなお、軽井沢はオレのために龍園に対してきばこうとする。

 起き上がり龍園に対して飛びかかろうとする。

「心配するな軽井沢」

 オレはそんな軽井沢に声をかけ、やめさせる。

「で、でもっ」

「何も心配はいらない」

「そうだな。おまえはテメェの心配だけしてろ」

 石崎が前に出る。

「悪く思うなよ綾小路。これも龍園さんの指示だ」

「別にいいさ」

 こうなることまですべて織り込み済みの展開だ。

 石崎は、ただ無造作にこぶしを振り上げる。無抵抗な赤ん坊を殴るかのように。

 小学生や中学生でもけられるような単調なモーション。

 大振りに繰り出される右拳をオレは右手で受け止める。

「あ……?」

「石崎。やるなら本気でやった方がいい」

 一度だけ警告をする。だが、拳を止められても石崎にはピンと来ていない様子だった。

 止められても仕方ない動き。止められても無理のない威力だったからだろう。

 オレは受け止めたままの石崎の右拳を、右手の握力で握り締める。

「お? あ、っ、え……っ!?」

 いしざきの表情が段々と硬くなっていき、りようひざが震え始める。

「ちょっと石崎?」

 明らかに様子がおかしいことに気がつき、ぶきが振り返る。

「あ、っ、つ! た、たんま、やめっ!」

 身体からだを支えきれなくなり、両膝から崩れ落ち、屋上の冷たい床に膝がつく。我慢できなくなったのか、石崎は自分の左手で必死にオレの腕をつかがそうとするが無駄だ。

 この中で事態を真っ先にあく出来たのは、伊吹でも、そしてりゆうえんでもなくオレの背後にいたアルベルトだった。黒い影が迫る。

 ボスの許可を得る前に、アルベルトがその電柱のように太い腕を振り上げ、振るう。

 あえて動かせるオレの左手側から攻撃したのは、石崎が逃れた後、オレが防御に回れるように配慮したものだったのかも知れない。

 とは言え、余計なお世話ではある。受け流し身をかわすこともできたが、あえて多少のダメージを負うことを覚悟で、オレはこぶしを左手の手のひらで正面から受け止めた。

 バチッと高く重い音が響く。

 ジンジンとひじから肩口まで強烈な威力が突き抜ける。

「……流石さすがに痛いな……」

 サングラス越しでアルベルトの表情は分かりづらいが、状況は十分に把握できただろう。

うそでしょ……あ、遊んでるんじゃないの、アルベルト。石崎」

 遠くから見る伊吹には、アルベルトが本気で打ち込んだようにも、そして石崎が本気で痛がっているようにも見えなかったのか。

 あるいは信じたくない光景なだけなのか。

 オレが右手の握力から解放すると、石崎はうずくまって自らの右腕を抱え込んだ。

「やれアルベルト」

 龍園の指示が飛ぶ。

 アルベルトは屈強な身体で突進してきて、その豪快な腕を振るう。

 人体の構造上、破壊力を持った攻撃を繰り返し受け続ければダメージはちくせきする。

 一度目は意図的に受けたが、ここから先は食らってやるわけにはいかない。

 突き出されたひだりこぶしけたところで、まずは正攻法で攻める。

 カウンターをねらう形でアルベルトの腹部に拳をたたむ。手加減することも出来たが、未知数の実力の相手に対し手は抜かない。

 無表情だったアルベルトの顔にわずかな変化が生じるが、それもほんの少しだ。

 直撃させたこちらの拳に返ってくる硬い感触からしても、ダメージは浅い。

 純粋な日本人にはない恵まれた肉体に加え相当鍛えられていることが分かる。

 ならば、その鋼鉄の肉体をつらぬくのは手間がかかるだけだ。

 人間には弱点とされる箇所が無数に存在する。

 例えばみぞおちは、鍛えることが出来ない。

 もちろんだからといって一撃必殺の部位だと思い込むのは早計だ。

 あくまでも鍛えにくいというだけで、その痛みに慣れることや耐えることは可能だ。

 アルベルトも本能からこちらがみぞおちにこぶしたたもうとしたのを察知したか、巨体を器用にひねりそれをける。

 それを予期した上で、オレはのどに手刀の先端を突き込んだ。

「~~~~~~~~っ!」

 声にならない声がアルベルトから漏れる。

あやの小路こうじっ!」

 背後から叫び、殴りかかってくるいしざき

「……来るなら叫ぶなよ……」

 わざわざ敵に塩を送る石崎にあきれながら、石崎が踏ん張る左足のひざった。

 いくらなんでもぐすぎる。

 こちらの背後に回ったアルベルトが下半身から崩れていくのを確認し、回転してその顔面へと蹴りを叩き込んだ。そして即座に石崎のほおを左手で打ち抜く。

 石崎がくずおれ、屋上はせいじやくに包まれた。

 ただその信じがたい光景を、りゆうえんぶきかるざわも目に焼き付けるしかなかった。

「どうやら、俺たちが思っている以上らしいな。あそこまで強気だったのも、腕に自信があったからか。それは想定外だったぜ」

「こっちの用意した舞台が、綾小路にとってたまたま好都合だったってこと? 何よそれ……」

「それは本気で言ってるのか、伊吹」

「え……?」

「龍園が暴力を使って相手を支配するタイプの人間であることはとっくの昔にていしている。その上で暴力を振るっても全く問題が起きない状況が出来上がっているなんて、Cクラスにとってあまりに好都合すぎると思わないのか?」

「は?」

 伊吹が首をかしげると同時に、龍園にも大きな疑問が浮かんで来たようだ。

「待てよ綾小路。流石さすがに俺も理解してやれないな。この状況は俺が作り出したものだ」

「ここまで丁寧に話してもまだ状況が見えてこないか」

 ふーっと息を吐いた後、オレはすべてのネタバラシをする。

「オレとおまえが、こうやって向かい合うことは前から決まっていた。そして互いに学校へと告げ口が出来ない状況の中、りゆうえんかけるが信じてやまない暴力で決着をつけることもな」

 龍園はこれまで、自分が計画を立て、予定通りそれを順調に実行してきた気になっている。

 だがそれは大きな誤りだ。

「もしオレが本気で正体を悟らせないつもりなら、最初からなべを利用したりしない。スパイ活動させて入手した録音データを送りつければ、犯人探しが始まることは火を見るより明らかだ。そしておまえは独裁者らしく真鍋たちに辿たどりつく。そして聞かされたわけだろ? かるざわに手を出したことで弱みを握られ、仕方なく従ったと」

 ここまでは龍園側に否定する材料は無い。当然だ。

「おまえはオレと軽井沢がつながっていることを確信した。後はどう実行するか。そのためにどんな下準備をすれば効果的かを考えた。いしざきみやたちにDクラスの生徒を尾行させたり、露骨な行動でこうえんに接触したのはXに危機感を持たせるため。まあ、お前の場合は純粋に楽しんでたか、オレに考える時間を与える面もあったかも知れないけどな」

「ク、クク。面白いことを言うじゃねえか。俺の手のひらで、あえて泳いで見せたと?」

「正確には手のひらで泳がされているように見せて、こっちが泳がせてたんだよ」

「謝らせてくれあやの小路こうじ。おまえはやっぱりキレ者だった。さっきまでのこっちの優位はどこへやら、あっという間に大ピンチだ。どうするぶき

 こちらの一部始終を見ていた龍園は、技量を見せ付けられても楽しそうに笑う。

「何なのよ……あんたも、綾小路も……!」

 いらちをぶつけるように伊吹が駆け、オレに飛びりをかましてきた。

 下着が見えることなど気にした様子もない。

 いや、正確にはそんなことを考えるほど冷静じゃなかったのかも知れない。

 オレは後方に下がり、落ち着いてその蹴りをける。

 伊吹も改めてスイッチが入ったことだろう。

 即座に地面を二度三度踏み、距離を詰めてすきの少ない蹴りを主体に攻めて来る。

 非常に良い動きだ。

 体調不良があったとはいえほりきたを倒すだけのことはある。

「っ」

 こちらがすべての蹴りを当たらないギリギリの動きで避けると、伊吹は一度攻撃を止め苛立ったように舌打ちした。

「ホントにあんたなワケ……?」

「ここまで見ても信じられないか?」

「ムカつく。なんかわかんないけど、ムカつく!」

 再びちようやくする伊吹に対し、オレは即座に距離を詰めた。

「っ!?」

 お遊びに付き合ってやってもいいが、あまり長い時間をかけるのは得策じゃない。

 オレはぶきけたりガードする暇も与えず首をつかむと、そのまま床へと背中をたたきつける。目を見開いた伊吹は、即座に意識をもがれピクリとも動かなくなる。

 頭をたたきつければより確実だが、殺し合いをしにきたわけじゃないからな。

「暴力は何もりゆうえんたちの専売特許じゃない」

 伊吹、いしざき、そしてアルベルト。

 龍園の右腕とも呼べる生徒たちが崩れ落ちた今、残っているのはただ一人。

 その光景を一人目撃するかるざわは、言葉を発することも出来ないようだ。

「この状況を見ても、まだ冷静でいるのは流石さすがといったところか」

「頭のキレだけじゃなく、暴力まで一級品とはれしたぜ」

 素直な敬意を表すように拍手し、龍園がオレの前まで歩いてくる。

「その上で俺が何を言いたいか分かるか? あやの小路こうじ

「さあ」

 状況をきゆうに感じることもなく、龍園は努めて冷静に分析して見せる。

 余裕を見せているのは単なるハッタリだけじゃないんだろう。

 龍園にしかない、龍園だけの優れた特質。

 それがあるからこそ、ここまで堂々としていられる。

「暴力の勝敗を決めるのは、何も腕っ節だけじゃない。心の強さも関係する」

 龍園がやや腰を低く落としひだりこぶしを繰り出してきた。

 ねらいは顔面ではなく腹部。

 オレは後方に飛びそれを避ける。

 すぐに龍園は追撃するように距離を詰め、今度は利き腕の右拳を繰り出す。

「悪いがまともに攻撃をもらうつもりはない」

 更にそれを避けると、今度はオレが仕掛ける。

 龍園の前髪を掴むべく伸ばした右腕。

 それに素早く反応を見せ、龍園は左手でそれを払った。

 ───直後、オレのりが龍園のわきばらに直撃する。

「っ!?」

 オレの右腕に気を取られた瞬間、即座に攻撃を仕掛けた。

 龍園は立て続けに攻撃されるのを回避するため、一度距離を取る。

「やるな龍園」

 総合力が石崎をはるかに上回ることは言うまでもないが、素直に感心した。

 そこそこ重い一撃が入ったのに、倒れる気配がない。

おもしれぇなあ」

 そう言って笑った。

 だが、まだアルベルトに勝てるほどのいつざいとは思えない。

らくたんさせておきながらの盛り返しがまた、たまらねえよあやの小路こうじ

 今までより一層笑みを強め、遠慮の全くない攻撃が繰り出される。

 武道を習っていた動きじゃない。

 いくもの修羅場をくぐり抜けて身に着けた、独学の戦闘スタイル。

 すべての攻撃をかんぺきけ続けられるわけもない。

 反撃するのは容易たやすかったが、オレは何度かガードしながらその威力を受け止める。

 4発目のこぶしを受け止めた時、りゆうえんが語りかけてくる。

「なんで表に出て戦わない。おまえなら堂々とやり合えるだろ」

「こっちにも色々ある」

「そうかよ。だったら勝って聞かせてもらうとするか」

「勝てると思ってるのか」

「クク。おまえは負けないと思ってるのか?」

「……悪いな。負けるのは想像つかない」

 龍園に見えていて、オレに見えていないもの。

「この場ではおまえが勝つだろうな。だが、明日は? 明後日あさつてはどうだ」

「繰り返してれば、いずれ勝てると?」

「しょんべんしてる最中は? くそしてる最中は? どこからでもねらってやる」

「負けることが怖くないのか」

「恐怖なんて俺にはないのさ。一度も感じたことがない」

「恐怖がない、か」

 なかなか面白いことを言う。

 恐らくそれが龍園の自信の源。

「おまえも痛みを知れば分かるさ。常人はそれが後々恐怖へと変わるのさ」

「だったら、その痛みってヤツを教えてもらおうか」

「望むなら幾らでもな!」

 龍園はオレの両肩をわしづかみすると、高速のひざりを腹部にたたむ。

きよたかっ───!」

 心配し叫ぶかるざわ

 だが、食らおうと思って食らった一撃だ、心配するようなことじゃない。

「二度、三度食らえば分かってくんだろ! なあオイ!」

 同じ箇所を狙うように、龍園はぐ左足を踏み込んだ。

 踏み込むと同時に距離が近づき、左手で顔をガード。

 右手を突き出し、それを引きながらぐ右足のひざを突き出す。

 今日一番のこんしんの一撃。

 オレは後ろによろけ、全身を駆け巡る痛みと出会う。

「どうだ。これでわかってきたか?」

「……あいにくと何もないな。ただ痛みが広がるだけだ」

「おまえも、俺と同じように恐怖を感じないとでも言うつもりか?」

「そうじゃないさりゆうえん。そういうことじゃない」

 オレは痛みによる恐怖の存在を知っている。

 敗北者になることが、どれほどみじめで恐ろしいことかを知っている。

 目の前で、何度も何度も崩れ落ちていく存在を見てきた。

 だがいつしか、それは恐怖じゃなくなった。

 冷めていくのを感じた。

 他人がどれだけ苦しみ絶望しても、自分が痛むことはないと知ったからだ。

 己を守るすべさえ身につければそれでいい。己さえ無事なら、それは勝者なのだ。

「もっと遊ぼうぜ!」

 龍園が叫び、二度三度とオレの腹部へと集中砲火を浴びせて来る。

 わずかにこちらのひざが下がったところで、龍園のりが頭部へと迫ってくる。

「ちっ! お見通しかよっ」

 それを焦ることなくけることでオレは対処。絶対に致命傷は負わない。

「遊んでやがるのか? あやの小路こうじ。避けれる攻撃を避けない理由はなんだ」

「おまえの言う恐怖ってヤツが、本当に呼び起こされるのか試してるんだ」

「どこまでもめた野郎だ」

 力の差を感じていながらも、龍園は勢いを失う様子を見せなかった。

 これが向こう見ずの無鉄砲なら話は別だが、自分のけん、腕っ節に自信があればあるほど、圧倒的な差を感じた時に絶望するものだ。だがその気配がない。

 龍園に優位な段階から計算を狂わせ、すべてを覆して見せることで心が折れると踏んでいた。そういう意味じゃオレの計算は少し間違いだったことになる。

 無論、上限を読み間違えていただけで、さしたる問題ではない。心を折るまでに必要な工程のひとつが長引いただけ。その分龍園は痛みを負うことになる。

「おまえ、どこでそんな力を身につけた。普通じゃないな、綾小路……」

 喧嘩の場数を踏んで辿たどりつく領域じゃないことだけは確かだ。

 オレは答えず、一歩一歩開いた龍園との距離を詰めていく。

 ギラリと鋭い目はこちらに一矢むくいてやろうという意図が見え見えだった。

「それだけの能力がありながら、こそこそ隠れてやがったわけだな。を見下しながら日々生きてきた気分はどうだ? 射精するほど気持ちよかったか?」

「見下すも見下さないも、そんなことを考えたこともない。他人が成功しようと失敗しようとオレには直接関係のないことだらけだからな」

 その答えが気に入らなかったのか、りゆうえんは髪をかきあげながら笑った。

「そんなわけがあるかよ。人間ってのは欲の塊なのさ」

 無欲な人間など存在しない、と強くオレの考えを否定する。

 もちろん、オレにだって欲と呼べるものはいくつもある。

 ただ、それはまた別の話。

 これ以上遊んでも、多分何も変わらないだろう。

 オレは体勢を立て直す。

「だったら恐怖するまで何度でもたたんでやるよ!」

 もういいさ龍園。

 顔面へのひざりへとねらいをシフトした龍園の左腕をつかみ、オレは強引に相手の身体からだをたぐり寄せるとようしやなく顔面へと右フックをさくれつさせた。

「がっ───!?」

 意識が刈り取られるほどの衝撃を受け、龍園が吹き飛ぶ。

 だが一撃では刈り取らない。

 あくまでもその一歩手前で威力を押しとどめる。

 コンクリートに腰から落ちたところで龍園の上に馬乗りになり、左右のこぶしを上から振り下ろす。

「おまえは恐怖を感じたことがないって言ったな龍園」

「はあ、はあ……クク、そうさ。俺は恐怖を知らない。一度も知ったことがない」

 視界の半分がれあがりつぶれても、龍園は下から反撃してきた。

 だが威力は損なわれ、あつなく空振りする。

 代わりに、オレは上からの的確で強烈な一撃をお返しする。

 龍園の表情がけわしいものに変わる。

「ずっ、ぷっ……! 俺はけんに自信があるが、負けたことがないわけじゃない。いや、人一倍やられてきたからこそわかるんだよ……」

 少ししやべづらそうだ。口内が切れたのか、口から血を吐き出し地面へと吐き捨てる。

 オレは再び拳を振り下ろした。

「かはっ! ……あ、くそが、また喋り辛くなりやがった」

 左右への攻撃を、小さく小刻みに繰り返す。

 だが、それでも龍園は本当に恐怖しなかった。

「暴力ってヤツは人間の本心が見える。殴るやつにも、殴られるやつにも」

 りゆうえんは一度目を閉じ、笑った。

 好きなだけ殴れよと挑発する。

「はあ、はあ……ク、クク……さぞ楽しいだろうなあやの小路こうじ。それだけ強けりゃ態度だってでかく出来る。何でもやりたい放題だ。だからこそ見せてみろ綾小路……」

 龍園は目を開く。

 その龍園に対し、オレは顔をねらうようにこぶしを繰り返し振り下ろす。

 既に顔はれ、出血し、内出血もひどいことになっている。

 それでも龍園は恐怖しない。

 人間として、本来備わっているはずの感情の一つ。

 それが機能していない。

「もういいだろう龍園」

 こちらからそう提案するが、当然龍園が受け入れるはずもない。

「ク、クク。どうした綾小路。俺はまだ参っちゃいないぜ。息の根を止めてみろよ」

 自らの命を差し出し挑発する龍園に対し、オレはもう一度拳を食らわせる。

 痛みにこそ表情をゆがめるがそれも一瞬。

いてぇ痛ぇ……だが、それだけだ」

 こちらを見る目は出会った時から変わっていない。

 目先の敗北ではなく、最後にやってくる勝利を信じて疑わないようだ。

「今ここでおまえが俺に勝っても、俺は何度でも食らいつく。学校のどこにいても、すきを見つければ仕掛けてやる。そして最後に勝つのは俺だ」

 今まで、そうやって龍園は逆転し生き残ってきたんだろう。どれだけ強い相手でも、常に無敵なわけじゃない。その隙を逃さず仕掛けてきたからこその自負。

 暴力を持って相手に恐怖を植え付け、支配する。

 こいつを敵に回すと、いつ襲われおおをするか分からないという恐怖。

「今一時のえつを味わえよ。さあ、勝利は目前だぜ綾小路!」

 反撃する力を失いながらも、龍園は最後の最後まで笑い続ける。

「人間は弱者に対した時、面白いように感情をのぞかせてくれる。そして、その感情の裏にこそ恐怖がひそんでやがるのさ」

 感情の裏に恐怖が潜んでいる?

「勝ちたいのか? 負けたくないのか? お前はどんな感情を持ってるんだ綾小路」

 勝ちたい?

 負けたくない?

「おまえは今……俺を支配して笑ってるのか? 怒ってるのか? それとも興奮し喜んでいるのか? あるいはいらっているのか? 俺に教えてくれよ!」

 コイツはさっきから何を言っているんだろうな。

 あいにくとオレはオレの顔を、表情を見ることは出来ない。

 だが、ひとつだけ確信できることもある。

 こんなつまらないことに、心が揺れ動くことはない。ということだけ。

 感情をのぞかせることなど、ありはしない。

 もう何度目かも忘れたこぶしりゆうえんの顔面へと着弾させる。

「っ!」

 もう止めたりはしない。

 右へ左へ、ただただ同じ威力の拳を繰り返す。

 龍園の顔が引きつる。

 ああ、それだ龍園。

 おまえにも見えたんだろう?

 恐怖という感情は、己の中に確かに存在する、ということを。

 今までよりも強烈な一撃を、りゆうえんたたんだ。

 最後は意識を刈り取る一発。

 おまえはこっちの心をコントロールしようとしているつもりだったかも知れないが、操られるような心はあいにくとオレにはない。

 オレはゆっくりと龍園の上から立ち上がった。

 これ以上、寒空の下かるざわを放置しておくのは忍びない。

「悪いな、ずいぶんつらい状況で待たせてしまった。はないか?」

「それは……大丈夫。ちょっと寒すぎて感覚はなくなってきたけど……」

 座り込んだまま一部始終を見ていた軽井沢の前に手を差し出す。

 つかんだその手は凍ったように冷たかった。

「オレに幻滅したか?」

「当たり前、でしょ……。最初から裏切ってたんだから」

「そうだな。なら、どうして龍園に売らなかった」

「……自分のため。ただ、それだけ」

 そう言い、オレの胸元に倒れこみ身体からだを震わせた。

「怖かった……怖かったよぉっ……!」

「今は何も考える必要はない。今日されたことも、今ここで起こったことも。すべて考えるのは後でいい。ただひとつ確かなことは、今日のこの瞬間、おまえのじゆばくはなくなったってことだ。これから先、なべ……いや、他の誰かが過去をほじくり返すことはない。あとは今まで通り、いつものように振る舞えばいい」

 踏ん張る力も残っていないのか、その身全てをオレに預けるかるざわ

 軽井沢にしてみれば、本当に災難続きの数ヶ月だったはずだ。

 偶発的に起きた真鍋たちによるいじめ。ねらわれていると分かっていてからの虐め。

 りゆうえんに過去の傷を掘り返され、そして、その全てがオレのせいだと分かったこと。

 精神は不安定でボロボロだろう。

こくな過去を乗り切っておまえは今を作り上げた。それを明日から再開するだけだ」

 だが、軽井沢けいならば問題はない。

 屋上で再会した時にそれを確信した。

「おまえを傷つけたのはオレだ。許してくれとは言わない。ただひとつ覚えておいてくれ。今日のように、おまえに何かあればオレはおまえを助けに来ると」

「きよ、たか……」

 これだけ打ちのめされながらも、軽井沢はオレという宿木からは離れない。

 軽井沢は、オレという存在なしにはこの学校に存在できないものにまで達した。

 この先オレが存在する限り何があっても心が砕け散ることはない。

 もしも、仮に早い段階でオレが軽井沢を助けていたらどうだっただろうか。

 確かに約束を素早く果たしたということで、軽井沢からの依存が強くなったことは間違いない。しかし、逆に次に同じような目にあって見捨てられたとき、軽井沢のらくたんは目に見えて濃くなる。

 ところが、最初の段階でここまで引っ張ることで、どこまで行こうとも最後まで信じぬくという意思が生まれる。それと同時に、軽井沢が簡単に裏切るような人間でないこともあくすることが出来た。

 もっとも、オレの名前を吐いていたとしても、それはそれで『罪悪感』にさいなまれ、以降オレが有利に動けたことは考えるまでもない。

 手に入れた軽井沢恵というごまを手放すのはもつたいいからな。

 必要性があるかどうかは二の次で、手中に収めておくに越したことはない。

「少し降りた先で生徒会長……今は元生徒会長だが、と多分ちやばしら先生が待機している。ある程度事情を分かっているはずだから、れた制服含めく対処してくれるはずだ」

「わ、わかった……きよたかは?」

「オレには後始末が残ってる。それに一緒にいるところを見られると何かと面倒だ。先に帰ったほうがいい」

 そう言って軽く背中を押し出すようにし、かるざわを屋上から帰す。

「さてと……」

 屋上に4人を放置して帰るわけにもいかない。

 ちやばしら先生はともかく、他の教師に見つかれば問題は避けられないからな。

 オレはいしざきから順番に、ほおを軽くたたき意識を呼び覚ましていく。

 そして最後にりゆうえんも。

「っく……」

「目が覚めたか」

「この問題が……これで終わったと思ってんのか、あやの小路こうじ

「終わりだ。まさか今から続きをやろうなんて言いださないだろ」

 どんな人間が見たって、今回の勝負に決着がついたのは明らかだ。

「俺はどんな手段でも使う。勝つためならな」

 そう言って、龍園はゆっくりと上半身を起こした。

「必要なら戦争だ」

「オレに殴られた、とでも言って訴えるか?」

「……クク。さすがにそれはダセェな。だが、勝つためならそれも選択肢のひとつだ」

 どれだけ無様でも、オレに勝つためなら検討するってことらしい。

「なんなら強引におまえが仕組んだことにしてやろうか?」

「一応助言だけしておくが、オススメはしない。降りた先で元生徒会長が待ってる。詳細は知らなくても問題行動があったことはすぐにバレるぞ。先に仕掛けたのが龍園であることは、屋上の監視カメラをつぶした時間からも確実だ。一方のオレは、その時間帯ケヤキモールにいた。その気になればいくらでもアリバイを証明できる」

 何枚でも保険をかけておくのは当たり前だからな。

「……最初から部外者を目撃者にも出来たのに、しなかったのか」

「一度おまえを叩いておかないと、攻撃をめないだろうからな」

「俺がこの敗北で納得するとでも?」

「少なくとも、オレはそう思ってる。おまえの敗因はたった一つだ龍園。攻略する順番を誤った、それがすべてだ。いちたちと戦い、かつらさかやなぎと戦って経験を積んでいれば、もっとオレと近い位置で戦いあうことも出来た。好奇心で動きすぎたな」

 包み隠さず言うと、龍園は苦笑いを見せた。

「はっきり言いやがる……」

「リベンジマッチはいつでも受け付けると言いたいところだが……オレは今後目立ったことをするつもりはない。出来れば他を当たってくれ」

 すぐに龍園らしい言葉が返ってくると思ったが、か沈黙し考え込む。

「あえて目撃者に距離を取らせたことを深読みすれば、俺が今後もおまえを執拗にねらえば、自分の正体とかるざわの過去を捨ててでも俺たちを追い込む算段、ってことか」

「極力避けたいが、そうするしかないだろうな」

「そして、俺だけじゃなくこの場に居たいしざきぶき、アルベルトも道連れか」

 処分のほどは定かじゃないが、相当重たい処罰になるのは避けられない。

「オレの正体と軽井沢の過去が絶対であると過信したのも失敗だったな。未然に防ぐにはもっと大掛かりにやるか、見張りを多く立てておくべきだった」

 この学校というエリアの中では、どうしてもりゆうえんのやり口は難易度が高い。

「つまり俺が存在し続ける限り、Cクラスは手負いのままってことか」

「別にこっちに対してちやしなければ、今回のことを道具に使うつもりはない」

「そんな口約束を信じるほど、俺は甘くねえよ。もしもCクラスによっておまえがきゆうに追い込まれれば、今日のことを学校側に通告する。違うか?」

「かもな」

 確かに絶対の約束にはならないな。

 常に頭を押さえつけられた状態ではCクラスはまともに機能しないか。

「だがどうする? 起こった事実は取り消せないぞ龍園」

「うるせえよ。おまえとの勝負は終わりだ。そして、俺自身の戦いもな」

 龍園は伊吹たちを見回すと、携帯を取り出し何かを入力した。

 そして、屋上の床の上に、伊吹の足元へと携帯をすべらせた。

「何よ……」

 黙ってオレと龍園の会話を聞いていた伊吹がにらみつけてくる。オレのことも。

「責任はすべて俺が取る。その前に俺のポイントを全ておまえに移行しろ」

「は……? 龍園、あんた、何言ってんの……? バカ?」

「そ、そうですよ龍園さん! ここでのことは口外しないわけですし、責任なんか取る必要ないですよ!」

 今回の出来事は互いに公言できない。そういう表向きの平等。だが実際はDクラスが圧倒的に優位であることに龍園は気づいた。それを帳消しにする方法はたった一つしかない。

あやの小路こうじ、この件は全て俺一人がやったことだ。退学になるのは俺だけでいいだろ」

ずいぶん真面目まじめなんだな。やったことに対する責任を取るなんて」

 くだらねえと龍園は言葉を吐き捨て、同時に口の中にまった血も吐き出した。

「暴君が許されるのは、その権力が意味を成している間だけだ。ここまで負ければ、それに付き従う人間はいなくなる」

 これまでの横暴な態度も、行動も、全ては結果がともなってきたから許されたこと。

 他クラスを巻き込んでのX探しはそれだけ多くの波紋を生んでいた。

 ここまで強引な手法を取り敗れた自身に、その資格はないと悟ったか。

 思ったよりもずっと物分りがいいようだ。

 ここまでおぜんてし、りゆうえんが全力を出せる環境に整えたのはやはり正解だったな。

「ふざけないでよ。なんで私にたくすわけ……」

「おまえが俺を嫌ってる。だからこそだ。残ってるプライベートポイントは全員で分け合え。俺が退学することでかつらさかやなぎは契約無効を突きつけてくるだろうが、流石さすがにそれはどうにもならねえな」

 契約者本人が学校を去れば、確かにそうなる可能性は高い。

「龍園さん、マジで言ってるんですかっ!?」

 いしざきも立ち上がり、悲しそうな声でそう叫ぶ。

「うるせぇよ。叫ばなくても聞こえてんだよ」

 薄く笑う龍園。

「後はおまえらでやれ」

 本気で退学する決意を固めたのだろう、携帯に見向きもせず立ち上がる。

「じゃあな」

 そういい残し、屋上を去ろうとする龍園。

 その背中にはぶきの言葉も、石崎の言葉も届かない。

「いいのか? 本当に学校をめて。後悔することになると思うけどな」

 龍園をオレは呼び止めた。

「なんでテメェがそんなことを気にするんだよ」

「ここで負けたことの意味すら知ることなくここから去れば、おまえの成長はそこで終わるぞ」

「あ?」

「なんでオレに負けたのか。それを知らないままでいいのか」

「……抜かせ。そもそも俺を助ける意味がどこにある。おまえのこともかるざわのことも知ってる俺を残しても得はないだろ。いつこのことをバラすかもわからない」

「そうだな……。いて理由を探すなら、おまえが坂柳やいちつぶしてくれれば、Dクラスはオレ抜きでも楽に戦える。それに葛城と結んだ契約が残ってくれれば、Aクラスは少しずつダメージも受ける。何よりいきなり退学すれば、坂柳や一之瀬は、龍園がXにやられたと思うだろう。そうなれば後々面倒なんだ」

 つまり打算的な話だ、と付け加えておいた。

「もし今回の件が予期せぬ形でオレたちの思惑を飛び越えたとしても、幸いオレは人目につく箇所はどこもしていない。誰がどう見ても、うちめしたようにしか見えないんじゃないか?」

「……だったら筋書きはこうだ。働きの悪いおまえらに制裁を加えようとしたが、逆に返り討ちにあい、俺は一線から退しりぞくことを決めた。そういうことにしておけ」

 それならオレにも迷惑はかからない、と言うことか。

「あんた……そんなんでいいわけ?」

「ここにいる全員が、あやの小路こうじ一人に無様にやられたんだ。今更もへったくれもあるか。それに俺一人が消える方がよっぽどダメージが少ない」

「一つだけ追加で言わせてもらおうか。自主退学するのは勝手だし、疑うのも勝手だが、オレは今回の件を誰かに言いふらすつもりは無い。下で待機している元生徒会長にも、ここでのことはすべて他言無用ってことで落ち着いてる。つまり退学に値するようなことは何もなかったってことだ。その上で退学するなら止めはしないが……」

「だったら止めるな。俺は人を簡単に信じたりしない」

 そうりゆうえんは言い残し、屋上から姿を消した。

 後に残されるいしざきはもちろん、ぶきも龍園の行動には納得がいっていない様子だった。

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