〇交錯する思い(1)
Dクラスでは
「冬休み中、校内の一部は改修のために立ち入り禁止になる。その点を忘れないよう。それから今日は終業式で部活も休みだ。出来る限り早く帰宅するように」
必要なことだけを説明し終えた先生。
しかし、
いつまで待っても終了を告げる合図は訪れず、
「先生どうしたんですかー?」
「既に
「お、おぉ。先生が素直に
池だけじゃなく、クラスメイト全員が同じ感想を抱いたことだろう。
「だが油断はしないことだ。冬休み中に大きな問題を起こせばクラスポイントに影響を与えることもある。長期休みでも学生としての本分を忘れないようにしろ」
そう告げ、
「本当に珍しいわね。茶柱先生が私たちに優しく
「そうかもな」
問題行動は起こすな、そのフォローを入れた形だったのは間違いない。
オレは教科書を
すると軽井沢は、他の女子と会話しながらもこちらに目を向けてきた。
朝、非常用に伝えていたオレのアドレスに軽井沢から送られてきた一通のメール。
オレは驚きもしなかったし、返事もしなかった。
ヤツは軽井沢がチクるチクらないなど気にもしていない。
最初からオレをおびき寄せるためだけに行動している。
だが軽井沢はオレがメールを見たことを視線で感じ取ったのか、満足したように友達と教室を出て行く。一度学校を出て、後で戻ってくるつもりだろうか。
1時を過ぎる頃には、ほぼ
「ケヤキモールに寄って行こうって話になってるんだが、どうする」
帰り支度を済ませた
「ああ。今日は特に予定もないし付き合う。準備したらすぐに行く」
「廊下で待ってるぞ」
一応教科書等は持って帰っておこう。何かしら使うことがあるかも知れない。
「あ……っと。ひょっとして今予定埋まっちゃった感じ?」
申し訳なさそうに声をかけてきたのは
「ああ。今
「そ、そっか。ついてないなぁ」
がっかりした様子で肩を落とす佐藤。
もしかして、前回のように誘おうとしてくれたのだろうか。
「……今日は無理になったが、冬休み中でもいいか?」
「えっ?」
「いや。二度も断って悪いし、もし佐藤が良ければなんだが……」
「ほ、ほんとに!?」
「あ、ああ」
グイッと前面に
「や、約束!」
顔を真っ赤にし、佐藤は
一体オレの何にそんな興味を持ったんだか……。
もちろん悪い気はしないが、まだ教室には人も残っているので恥ずかしい。
「とりあえず明日以降ならいつでもいいから。また詳細はメールで」
「わかった! またね
ホクホク顔で
篠原たちは怪しむような顔でオレのほうを見た後、教室を出て行った。
さて、
廊下では既に全員
歩き出してすぐ、波瑠加が切り出してきそうだったのでこちらから切り出す。
「別に深い意味は無いぞ」
「まだ何も聞いてないのにどうしたの?」
「どうしたもなにも、今まさに聞こうとしてただろ」
「だって、ねえ? あの佐藤さんの様子じゃ、ちょっと色々想像しちゃうし?」
「不純だな
「ちょっと遊ぼうと誘われてるだけだ」
「女の子が男の子を誘うなんて、よっぽどだと思うんだけど?」
「さ、ささ、佐藤さん、清隆くんのこと、気になってるんじゃ、ないかなあ!?」
前にもひと
「……そんなことはオレに聞かれても困る」
「駆け込みゴールでラブラブクリスマス? いやいや、それ
波瑠加は波瑠加で、勝手な展開を想像する。
「それよりどこに行く? 今日は相当混むと思うぞ」
明日から長期休みとなれば、今日は夜通し遊ぶ生徒も少なくないはずだ。
何をするにも急いだ方が良いと啓誠は判断する。
「まぁ、何となくぶらぶらでいいんじゃない? 慌てなくてもさ」
そんな話し合いの中、
明人の意識はオレたちではなく、その後ろに集中していたからだろう。
移動しながら、その背後からの気配の正体を探っていく。
「つけてくる様子は無いな……」
小声で
どうやら
もはや後を付け回す必要はないと判断したか。
「でもあれよね。ケヤキモールには何でもあるけど、やっぱり外にも出たいよね」
そう言って
「渋谷とか原宿とか行ってさー、表参道のイルミネーションとか見たいよねー」
「ケヤキモール内はともかく、通学路なんかは代わり映えしないだろうからな」
特別変わった準備が進められることもなく、外はいつもと変わらない。
「私は今の環境に満足してるけどなあ。必要なものってほとんど
まあ、無理に話を合わせなくてもいいだろう。
「愛里のようにこの環境に満足はしてるけど、外に出たいって気持ちも分かるかな」
「規則を守るためなのか知らないけど、家族への連絡もダメとかやり過ぎだって。普通の家庭だったら子供のこととか気になって仕方ないんじゃない?」
3年間自分の子供に会えないのは、確かに普通じゃないな。
「ウチの母親は心配性だからな。確かにその辺り不安に感じてるかも知れないな」
「学校側もその辺りはケアしてるって話だ。生徒の成績表から何から、定期的に報告しているらしい」
「それは……もっと心配させてるかもな。もう少し勉強頑張るか……」
「男子よりも女子の方が、親御さんは心配するだろ」
「あーウチは大丈夫。それはないから」
サラッと波瑠加は話を流した。
何か触れて欲しくなさそうなものがありそうだったので、オレたちも追求しない。
1
「じゃあ次はカラオケ行く? ちょっと混んでるかも知れないけどさ」
「まさか、また罰ゲームするんじゃないだろうな……?」
「もちろんするに決まってるじゃない。ゆきむーのリベンジのためにね」
次にどこに行くか相談しあっている中、オレは足を止めた。
「どうしたの? 清隆くん」
「悪いな、これで帰ることにする」
「まだ2時前だぞ?」
明人が携帯で時刻を確認しながら言う。
「実は昨日徹夜してて結構眠いんだ。また休み中にでも誘ってくれ」
グループに別れを告げ、オレは背を向けた。
そして携帯を取り出し担任である
「私だ」
「どうも。少しお話があるんですけど、今から会えます?」
「どういうつもりだ。もう私とかかわるのは
「そうなんですけどね。清算しなきゃいけない問題が残ってることに気がつきまして。出来れば電話じゃなく直接会って話がしたいんですが。学校に行ってもいいですか」
「……教室で待っている」
「分かりました。数分で着きます」
そんなやり取りを終えすぐにDクラスの教室に戻ってきた。
既に他の生徒の姿はなく、オレの席の近くで窓の外を見る茶柱先生一人がいた。
「例年通りなら、今年もそれなりに雪が降るだろうな」
「雪が好きなんですか」
「好きだった。だが大人になると嫌いになっていくものだ」
カーテンを閉じ、ゆっくり振り返る茶柱先生。
「それで私に話があるそうだが、どんな用件だ」
「答えを聞いてなかったなと思いまして。どうしてオレを利用してまでAクラスに上がろうとしていたんですか」
余程強い思いがなければ、教師が
「この学校は生徒同様教師も競い合っている部分がある、ひとつでも上のクラスを目指すのは自らの査定を考えても当たり前のことだ」
「それが本当の動機とは思えませんね。もし最初からAクラスを目指す意志があったなら、Dクラスの生徒に不利になるような発言はしなかったはず」
1学期最初の中間テストで、茶柱先生は意図的にDクラスだけが不利になるように情報を与えなかった。
「……それはもはや、学校のルールとは別の問題だな。私個人にかかわること。おまえに話すようなことは何もない」
「あの時点で
この先生がどんな思いを秘めているのかは別にどうでもいい。
大切なのはこちらが利用するに値する存在かどうかだ。
「どうやら無駄な時間だったな。私は仕事に戻るぞ」
背を向け逃げ出そうとする教師に、再びオレは言葉をかける。
「答えないんだったら、少なくともオレを利用することは
「やはりそういう話か。念を押す必要はない。既におまえは私の手を離れた、違うか?」
「肝心な話はここからですよ。今日という日を無駄に過ごせば、DクラスはAクラスに上がれない。それどころかCクラスに上がれるかも怪しいことになるでしょうね」
「何を言っている」
オレは教室にある時計を露骨に見る。
「2時を回りました。今頃屋上では、
「……龍園が軽井沢を?」
「先生でも知りませんか。軽井沢が過去壮絶な
「初耳だ……」
普段の軽井沢の様子からでは、虐められている姿は想像も出来ないだろうな。
「そして恐らくは明日以降、この話は学校中に
だがすぐに冷静さを取り戻すと、いつもの強い視線を向けてきた。
「なるほど、おまえの魂胆は読めた。今回の件を聞くにおまえだけで事態を収束させることは非常に難しい。だが、この学校の教師である私なら話は別だからな。問題解決どころかおまえの正体も悟られずに済む。これ以上ない手だろう」
「協力をお願いしたら受けてくれますか?」
「調子に乗るなよ
「ですよね」
「教師が生徒同士の問題に介入して解決する行為は、少なくともこの学校では
それはそうだ。教師が単身屋上へ乗り込み、龍園に虐めを
茶柱先生が拒否するのも当たり前のことだ。
「でも、安易に断っていいんですか? この先オレがDクラスの妨害をしない保証はないですよね? 巧妙に立ち回って上のクラスに上げないようにすることも出来る」
「……まさか生徒が教師を
「先生が借りを返してオレとの関係を対等な教師と生徒に戻すというなら、少なくともこの先妨害行為はしない。それだけでも大きなメリットだと思うんですが?」
「この件を断ることでAクラスに上がれないのなら、それはこの先も同じことだ」
「安心して下さい。最初からそんな手助けは先生に求めていませんよ」
「なに?」
最初から教師に頼る作戦など、計算に入れていない。
「ちょっとからかっただけです。なんなら遠くで見届けますか? この一件の結末を」
そう言ってオレは、茶柱先生に物語の見物客として誘いをかけた。
2
予定通りなら、
慌ただしく
床に落ちていた水滴から察するに、何度か往復しているようだ。
恐らくは軽井沢に過去の
オレの描いていた筋書きとは、少々異なる結果になってしまった可能性がある。
だがそれは、本来想定することを
「どういうつもりだ
茶柱先生を連れ出し教室から移動したオレは、Cクラスの生徒、
だがもう少し。
ここまで来たのなら、慌てて行動を起こす必要はない。
タイミングは遅ければ遅いほど、こちらの思惑通りに進む。
もちろん、遅い分リスクもあるが、それはメリットを考えた上での必要経費だ。
「雑談しませんか」
「この状況で雑談だと?」
疑問を抱く茶柱先生を無視してオレは話を振る。
「入学して早々の話になるんですが、
「……ああ覚えている。おまえと
あれから半年以上
「プライベートポイントで買えないモノはない。そうおっしゃいましたよね」
「事実だ。
「確かに、点数の購入は理屈にはしっかり当てはまりますが、常にそれが許されるような環境ならそもそも退学者はまず出ないと思いませんか。赤点を取るたびに誰かが同じように
「だがプライベートポイントの確保は
「確かに。でもやはりシステムとしては欠陥になってしまいませんか。ポイントによる救済が常にあれば、テストによる退学のハードルは極端に下がる」
「そうかも知れないな」
否定しなかったが、
「問題点は、オレがポイントを売ってくれとお願いした時、茶柱先生が付けた値段のことです」
「今になって高すぎると言いたいのか?」
「そうじゃありません。1点10万ポイントと口にしたのは何となくだったのか、あるいは根拠があったのかということ。口ぶりでは
「何が言いたい、
「この学校は、徹底的にポイントに関する事柄が細かく明文化されているんですよね? 点数を買うに際してのマニュアルも当然用意されている。とすれば納得のいくことです」
「つまり私があの時つけた須藤の1点の値段は、学校が
「そうです。お答え願えますか」
タイムラグが生まれる。
これまですぐに返答していた茶柱先生が少しだけ言葉に詰まった。
「聞けば何でも答えるわけじゃない」
「それは答えられないと解釈してよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
「ではこちらで勝手に判断します。学校は
「あれこれ考えるのは自由だが、この会話に何の意味がある。今は
オレはその言葉を
「入学からの一定期間だけ1点につき10万ポイントという価格なのか、あるいは点数を買う
「いい加減にしろ。そんな質問に私が答えると思うか? 仮に答えたとしても、それが真実かどうか確かめる
「ありますよ。先生に直接問いかければいいんです」
オレは先生が
「今、次回の中間テストで1点を売ってもらうには
「…………」
完全に
「答えないわけにはいかないでしょう、いち教師として。もし答えてもらえなければ、オレは当然別の教師に同じことを
もっとも、茶柱先生だけでなく、他の教師ですら答えられないということもあるだろう。その場合複数のケースが考えられる。そもそも最初の1点だけしか点数を売れない決まりがある場合や、実際に赤点を取って点数が不足している時にしか答えられない仕組み、などなど。
だが、答えてもらえないこともまたひとつの答えだ。
点数が不足している時のマニュアルも用意されている、という答えになる。
「ルールに足を突っ込むつもりか」
「そうしている生徒は少なからずいるでしょう。ポイントを
日々様々な試行錯誤を繰り返しながら、自分のクラスに有利な戦略を見つけようとしている。
「わかった。おまえの問いかけに答えよう。確かに、この学校の仕組みを攻略する糸口はプライベートポイントに関するルールの実態
「ではオレの問いかけに対しては『答えられない』が正解ですか」
「そうだ」
これで一つの
次の中間テストで1点を買うときの値段は決められているが、教えることで対策を立てることが可能だ。しかし不明なままであれば、無謀なことは出来なくなる。1点に100万ポイントかかると言われれば、それだけで詰んでしまうからだ。
「……この話がこの件に関係するのか?」
「いえ。これはあくまでも雑談ですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。もちろん、今回の件にも一切関係はないです」
「さて……そろそろ頃合ですかね。かくれんぼはもう終わりにします」
携帯で確認した時刻は2時40分を回った。
オレは一通のメールをある人物に向けて送る。
すぐにこの場所へ来るよう指示したものだ。
「私は詳しい事情を知らないが、
「屋上にはオレが行きます」
その言葉に茶柱先生は驚きを隠せなかった。
「……正気か? そうなれば学校中に知れ渡ることになる」
「今までの策。それをオレが立てたものだと
「そうなればおまえは一躍時の人だ。平穏な学校生活は失われる」
恐らく茶柱先生の中にはある思いがくすぶっていたはずだ。
オレが正体を見せない限りはDクラスに協力させる手立てもあるはずだと。
しかし、どんな形にせよオレがCクラスに接触すれば龍園たちはオレがXだと確信する。いや、確信まで行かずとも第一容疑者になればそれで終わり。
これまでノーマークで動いていたオレの存在が周知の事実となってしまう。
言葉には出さず、茶柱先生は目を
「私の思い違いだったのかも知れないな」
「思い違い?」
「
「なるほど。確かに目標を持たせることで、人に対して
「私の失敗は、安易におまえを利用しようとしたことか。DクラスがAクラスを目指す。そんな夢物語を追ってしまったことが間違いだったか」
だが、
「夢物語ではないでしょう。事実今、DクラスはCクラスに上がろうとしています。近いうち
「確かにその通りだ。過去になかったことを達成する。それだけでも価値あることだろう。しかし本気で言っているのか? 堀北がクラスをまとめていくと」
「担任から聞かされたくない言葉ですね。少なくともオレはDクラスを率いていくに十分な力を堀北は持っていると思いますけど」
茶柱先生にとって、堀北はオレを利用するための手段でしかなかったようだが。
「結果的に堀北は成長し始めています。クラスメイトの多数もそうだ。あとはあんたが教師として導いてやれば、Cクラスを維持する……あるいは限りなくAクラスに近づけるかも知れない」
実際に上がれるかどうかは、また少し違う能力も必要になってくるだろうが。
「おまえは、本当に降りるのか」
「今のところは、そう思ってますよ」
生徒個人の感情を、教師の感情で
そんなことは茶柱先生もよく分かっているはずだ。
この場に茶柱先生を連れてきたのは、単なる保険のためだけじゃない。
オレが確実にクラス競争から離脱することを見せ付けるためでもあった。
「話を戻そう。堂々と姿を
「絶対の保証は出来ませんよ。あくまでも
目的の人物が姿を見せたことで、オレは茶柱先生にお礼を言った。
もういつ立ち去ってもらっても支障は無い。
「待たせたな
そう声をかけてきた元生徒会長、
「どういうことだ……?」
「今回、
教師の証人が最強のカードであることは分かっているが、実質利用は不可能。
となれば、それに近い立場の人間を利用するのが賢い選択だ。
「先ほど私が言った手で、堀北に事態を収束させるつもりか?」
「元生徒会長が、そんなことしてくれる人に見えますか?」
一度堀北兄を見た茶柱先生だが、すぐにあり得ないという結論に
先生同様、堀北兄も余計な参加などするはずがない。
「屋上で起こったことを目撃した人間が居る。その事実さえあればいい」
そのために、オレは堀北兄との契約を交わした。
まあ、今そのことは関係ないが。
「オレが屋上に上がって数分
元生徒会長が屋上を出入りした生徒を目撃していた。
それだけで龍園たちに対する効果は
「いいだろう。だが
「もちろんです。どうせ
「分かっているならいい。手短に済ませろ」
堀北兄に見送られ、オレは屋上に続く廊下へと足を向ける。
「待て綾小路。堀北に
「さあ、その場合はどうだったでしょうね」
といいつつ、考えてはいた。恐らくオレのことを知る
それがダメなら───いや、既に不要になったプランを考えても仕方が無い。
「10分か20分か。それくらいで戻ってくる予定です」