ようこそ実力至上主義の教室へ 7

〇決着の刻

「以上で、ホームルームを終了する。冬休み中も当校の生徒としての自覚を持ち、節度ある一日を送るように。以上だ」

 さかがみのありがたくも無意味な言葉を聞き流し、俺は携帯を取り出す。

 ついに仕掛けるべき日がやって来た。

 それは2学期の終業式。この日は午前ですべての行事が終わり、放課後となる。

 部活動は休みであり、学校側も生徒に早く帰るよううながす日だ。

 つまり校内にほとんどの生徒が残らない。

「消せるヤツを消したが、それでも10人近くは可能性のある候補が残ったか」

 俺が一度も口を利いたことのない連中も数人混じっているが、それは仕方ない。

 かるざわを利用せずたどり着くのが理想だったが、流石さすがにXも尻尾しつぽつかませなかった。

「まあ、逆に楽しみが増えたとでも言うべきか」

 正直に言えば目星をつけてはいるが、今ここでしぼり込むことに意味はない。

 むしろ頭を空っぽにしてXを迎え入れる方が刺激的で面白い。

 俺はペーパーシャッフルの試験以降、ある行動を起こした。

 Cクラスで動かせるヤツをフル動員させ、見張るべきターゲットに張り付かせた。

 だが、張り込ませることでXの正体に近づこうとしたわけではない。

 また大きな問題になるリスクを考え、気の弱い男や女への尾行はあえて付けなかった。

 見張るのはあくまでも、どう三宅みやけのような不良タイプにしぼり込む。

 あるいはひらのように問題が広がることを恐れる保守的な人間だけにしておいた。

 それだけでも、Dクラスの連中はオレの行動の不穏さに気づく。須藤の場合は想像以上に頭が悪かったせいで、直接挑発しに行く手間こそあったがな。

 ともかく肝心なのは俺が『ねらっている』ということを常に意識させることにある。

 ヤツは日々、戦々恐々とした時間を過ごしたことだろう。

『正体を知られるかも知れない』という恐怖。

 これまでヤツはすずかくみのにしてかたくなに正体を隠し続けてきた。

 つまり、自分がDクラスを影で操っていることが露見することを恐れている人物。

 なら、じわりじわりと追い詰め、真綿で首をめてやる。

 その感覚を恐ろしいと感じないはずがない。

 そしてもう一つ。俺がかるざわを狙っていることをわざわざヤツに教え、それでもすぐに行動を起こすことはしなかった。

 ヤツはこの2週間ほど神経をすり減らし続けてきたはずだ。どうやって軽井沢に接触するのか。どんな風に聞き出すのか。ウィークポイントである軽井沢に日々のしんちよくを聞き異変がなかったかを問い掛けただろう。自分の正体に迫る俺がどんな行動をしてくるのか。そのことばかり考えていたに違いない。

 それは、想像以上に疲弊する。そして一種の混乱をきたす。

 どこまで尻尾しつぽをつかまれているのか、正常に判断できない。しんあん

 そして今日───パニックにおちいったXを捕まえる最良の日になったわけだ。

 ものの数分でクラスは半数以上が帰路に就き始める。

 教室に飾られた時計の針の進みはいつもより遅い。

 生徒は次々と学校を後にする。

「クク……」

 俺は心が高鳴っているのを感じていた。

 ここ数年味わうことの出来なかったこうようを感じている。

 先日、ぶきに問われたことを思い出す。

 わざわざ、危険をおかしてまでXを見つけ出そうとするのか、と。

 見つけ出したところで意味などほとんどないと伊吹は言った。

 確かに、その正体を見極めたところでその先はない。

 ああ、おまえだったのかで終わることだと思うだろう。

 だがそれは普通の連中に限っての話だ。

 俺はこれまで、いくつかの戦略を練ってDクラスとの勝負を行ってきた。

 いやでも理解する。Xは俺に似た思考の持ち主である、ということを。

 俺は俺以外にそんなヤツが存在するのを、今まで一度も見たことがない。

 その興味が、ここまで俺を強く駆り立てている。

 Xと知りそいつと対面した時、俺自身にどんな変化が訪れるのか。

 何を求めようとするのかを知りたい。

 これまで俺を楽しませてくれたXに会える。

 それは初恋を思わせるほどに、胸を高鳴らせていたからだ。

 そのためならどんな手段でも使う。

 今朝Xに送っておいたメールは既に開封済みの通知があり、ヤツに届いていることは間違いない。

 今日これから起こることを知り、Xはどんな策を見せてくるのか。

りゆうえんくん」

 動かない俺の隣に立ち声をかけてきたのはしいひよりだった。

「なんだ」

「今日はずいぶんと、皆さん落ち着かない様子ですね」

 そう言い周囲を見渡す。

 残っている生徒は、俺の近くで動く連中ばかりだ。

「これから何をなさるつもりですか?」

「ここ数ヶ月、俺を楽しませてきた存在との対面だ。おまえも来るか?」

「いえ、遠慮しておきます。あまり楽しそうには見えませんし……」

 それに、と付け加える。

「本当に追い詰めなければならないのでしょうか?」

「あ?」

「……いえ。それはクラスのリーダーである龍園くんが決めることですね」

 自己完結したのか、ひよりは歩き出す。

「私は図書室にいます。もし困ったことがあったら連絡してください」

「おまえが力になれることでもねえよ」

「そうですね。それでは良い冬休みを」

 ものじすることなく、ひよりは自分のペースでたんたんと話をし、帰って行った。

 ひよりは頭はキレるが、争いを嫌う。

 く利用できるかと思ったが、やはり俺のコマとしては役に立たないな。

 それよりも、付き従い行動する連中の方がよっぽど使いやすい。

 ぞろぞろと準備を終えたコマが集まってくる。

「時間ですねりゆうえんさん」

 いしざきが、どこか落ち着かない様子で話す。

「精々楽しめよ」

 俺はかばんを石崎に持たせる。その中には必要不可欠なものが入っている。

 ぶきとアルベルトも立ち上がった。

 大人数で行く必要はない。

 必要最低限の人数。そして口の固い人間が必要だ。

 これからやることは、このお行儀のいい学校にはとうてい似つかわしくない行動だからな。


    1


 ホームルームが終わって30分もすれば、冬休みに突入した校内はほぼもぬけのからだ。夏休み同様、生徒たちは一斉に校舎を後にしている。

 堂々と移動したところで、俺たちを意識する人間はほとんどいない。

「それで……どこに行くつもり? 何をするのかいい加減教えなさいよ」

 今回の作戦は、伊吹を含め誰にも話すことはしなかった。

 伊吹たちも石崎たちに指示を飛ばし、三宅みやけたちを見張らせていたことしか知らない。

 結果、こうえんに迫った本当の理由にも気がついていなかったからな。

 口を閉ざしてきたのは、なべたちのようなスパイがCクラスに入り込んでいる可能性を消せなかったからだ。ヤツも正体を隠すために出来る限りの手を打つに違いないからな。

 あくまでも確実にXを追い詰めるため、本番のことは伏せた。

「気になるのか伊吹」

「付き合わされるほうの身にもなって。あんたがちやするせいで、こっちはいつもハラハラしてるんだから」

 伊吹に続いて石崎も真意が気になるのか距離を詰めてきた。

かるざわの話は覚えてるな。真鍋たちがスパイとして利用された原因となった女だ」

「Dクラスのやかましい女でしょ。それくらいは知ってる」

 無人島の試験でDクラスに潜り込んだ伊吹なら、よく分かっているだろう。

「俺は今日、その軽井沢をメールで屋上に呼び出している。アドレスは軽井沢とも交流のある女から聞き出し手に入れておいた。もちろん俺からのメールだと分からせた上でな」

 交流のある女……そいつの名前はあえて伏せた。『くしきよう』のことはまだ誰にも言う必要はないと判断したからだ。

「は? 屋上? あんたからの呼び出しに軽井沢が来るわけないでしょ」

「必ず来る。もし来なければかるざわの過去をばくすると書いてやったからな」

 過去にいじめられたなんてみじめな話が表に出れば、周辺は大騒ぎだ。

 今の地位が危ぶまれることを思えば、危険覚悟で乗り込んでくるしかない。

「もし軽井沢が来たとしても、それでXの正体を聞き出せると思うの?」

「まぁ普通には吐かないだろうな」

 Xは軽井沢に、なべたちを含む敵から守ることを約束させられているはずだ。

「俺はXにもメールを送りつけておいた。今日これから軽井沢を呼び出し、おまえの正体を聞き出してやる、とな。そのためならどんな手段でも使うと。これで軽井沢だけじゃなく同時にXに対してもおどしをかけたことになる」

「けどさ……あんたの脅しメールが軽井沢に届いてるわけでしょ? もしそれ持って学校側にチクられたらどうすんの。Xの入れ知恵ならそうするかも」

 そこまで考えてるわけ? とぶきが挑発するようににらみ付ける。

「出来やしねえよ。そんなことをすればこっちはストレートに軽井沢の過去を暴露するまでだ。どんな方法を取っても軽井沢には俺たちを抑え込む方法はねえのさ」

 唯一の対抗策は、軽井沢かXが直接出向き俺を説き伏せることだ。

「最悪のシナリオがあるとすれば、軽井沢も現れずXも現れないパターンだ。だが、それはそれで軽井沢がどうなるのかを楽しめる」

「リスクに見合ってるとは思えないけどね……」

「そうでもない。軽井沢をつぶすってことはXのごまを潰すことにもつながるのさ。ヤツは軽井沢を利用して色々と悪知恵を働かせてるみたいだからな」

「なんでそんなことが分かるんですか? 確かに軽井沢を守るために、Xが真鍋たちを脅してたことは分かりましたけど……」

 軽井沢が手駒であることに気づいたのは俺もつい最近だ。

 ペーパーシャッフルの時の不可解な疑問点に気づいたからこそ、辿たどりついたこと。

「クク。まぁ楽しみにしてろよ。Xはともかく、虐めの過去話が露見することを恐れてる軽井沢は、絶対に現れるさ」

「あんたの話の通り軽井沢が屋上に現れたとして……それで具体的にどうするわけ。さっきも聞いたけど正体を聞き出せなかったら?」

 伊吹もいしざきも、その点が気になっていたようだが……。

「真鍋たちの話じゃ、軽井沢は過去に相当つらい虐めにあったようだ。こくな経験をした人間は似たような環境下に置かれると理性を失うらしい。なら、その状況を再現して作ってやろうじゃないか。俺たちで盛大にもてなすのさ。そしてXの正体を話すまでしつように責め続けてやる」

「まさか……私たちで軽井沢に何かするつもり? 正気じゃないんだけど」

ちやですよりゆうえんさん。どうの時でさえ問題になったのに、数人がかりで女子をいじめるなんて……そもそも屋上にはカメラがあります!」

「そんなことは百も承知なんだよ。そのための対策は考えてある」

 屋上に続く階段を上る。

 その途中、背後で二の足を踏むぶきいしざきに俺は振り返る。

「嫌ならおまえらは逃げてもいいんだぜ」

「に、逃げるなんてそんな。俺は龍園さんについていきますからっ」

「おまえは? 伊吹」

「ここからの、あんたの策次第。危険だと思えば私は下がる」

 こいつもXに関しては前から気にしている様子だからな。

 俺は屋上に続く扉の前で伊吹たちを待機させ石崎からかばんを受け取る。

 中から必要な道具を取り出し、再び鞄を石崎に持たせた。

「それって……!?」

「待ってな」

 一人、俺は屋上の扉を開いた。

 年中屋上が開放されている学校は珍しいが、それには訳がある。

 しっかりとした柵が備え付けられているだけじゃなく監視カメラも常備されているからだ。危険をともなう問題行動を起こせば、すぐに記録として残ることになる。

 当然、それが分かりきっているから生徒は大人しく屋上を利用する。だが、屋上は年中を通しての不人気スポットだ。この学校にはカフェやモールと、人気となる場所が無数にある。わざわざここに来ようと思う変わり者は俺くらいなもんだろう。

 だがカメラを設置している箇所は限定的。

 屋上に出た外側の扉の上にしか設置されていない。

 隠れる死角の少ない屋上には1台で十分ということだが、逆に言えばこれが機能しなくなれば監視するものはなくなるというわけだ。

 監視カメラの真下に立ち、カメラのレンズを直視する。

 そしてあらかじめ用意しておいた黒のスプレー缶を手にし、それを屋上を見張る監視カメラに向けて噴射した。

 屋上のカメラは校舎と同じでバンダルドームカメラだ。強力ポリカーボネイトのレンズカバーにスチールのボディは破壊行為に対して強い。だが防犯カメラを無効に出来るのは何も破壊行為には限らない。スプレー缶1本で十分。

 スプレーは瞬く間にカメラのカバーに付着し、その視界を真っ暗に染めていく。

 どんなに衝撃に強い頑丈なカメラでも映像は映らなくなる。

「これで監視する目はなくなった」

 学校側がどのような監視体制を敷いているかも下調べは済んでいる。

 校内に設置されてある何百台というカメラのうち、リアルタイムにモニタリングされているのは主要な場所に限られている。すぐに異常事態に気づくことはない。

 俺は以前にも同じように、別の場所で監視カメラを塗りつぶした。そしてさかがみに自ら申告しペナルティを受けた。結果は監視カメラの修理清掃費としてのポイントを取られ注意を受けたのみ。そしてその時に常に見られているのかどうかも聞き出しておいた。

 特に今日は既にほとんどの生徒が帰路に就いている。なおさら学校側の警戒はゆるい。

「アルベルト。おまえは少し下りたところで待機だ。かるざわが来た時には通せ。逆に予期せぬ客人……教師連中が来た時にはすぐ俺に携帯で連絡しろ」

 静かにうなずき、アルベルトが階段を下りていく。

 念のために見張りを立てておけば、不測の事態にも対応できる。

「カメラを塗りつぶしたってわけね……ちようばつもんじゃないの」

「単なる悪戯いたずらだ。大したおとがめにはならねえんだよ」

「あんたの読み通り軽井沢が来ればいいけどね」

「来るさ。あいつにとっちゃ死活問題だ。放置なんて出来やしねえよ」

 後はただ、予定の時刻を待つだけだ。


    2


 午後2時が近づき、約束の時間の少し前、屋上の扉が開かれ一人の生徒が現れる。

 冷たい風をその身に浴び、わずかに身体からだを硬直させる今日の主役。

「クク。来ると思ってたぜ軽井沢」

 携帯の画面を消し、俺はポケットにしまう。

 ぶきいしざきは多少緊張した様子で軽井沢に向き直る。

「……今朝あたしに送ってきたメール、アレどういう意味?」

「今更聞き返すことでもないだろ。内容を理解しているからここに来たはずだぜ」

 俺が軽井沢のアドレスに送ったメール内容はこうだ。


なべたちからおまえの過去はすべて聞いた。放課後一人で屋上に来い。誰かに相談したりすれば、明日にはおまえの過去に関するうわさを学校中にばくする』


 真鍋たちの名前を出せば、それだけで軽井沢は内容を理解する。理解せざるを得ない。

「約束通り黙って来たか? いや、黙って来るしかないよな。誰にも過去を知られるわけにはいかないんだからな」

 秘密を知るXにだけはきゆうおちいったと慌てて知らせを飛ばしたかも知れないが、そんなことはどっちでもいい。さっきぶきたちにも言ったがXには既に俺がメールを送っているからだ。

 今日かるざわに対して刑を執行する。そしておまえの正体を追及すると。

 軽井沢が助けを求めようと求めまいと同じってわけだ。

「しかし、やっぱり一人だったか」

「あんたが一人で来いって言ったんでしょ……」

「クク、そうだな」

 元々正体を隠し通しているやつが不用意に現れるわけもないか。

 軽井沢はX以外の他の生徒に助けを求められない。

 そうなれば、自分の過去がていするからだ。そしてそれは正体を隠すXも同様。

 つまり両者とも行動を強く制限されている。

「ちょっとさ、何のことだかさっぱり分からないんだけど……。寒いから早く話を終わらせたいのよね」

 手のひらで両腕をさする軽井沢。事情を知らないアピールなど無駄なことだ。

「だったら何でここに来た。無視するのも手だったはずだぜ?」

「それは───根も葉もないことを言いふらされたくなかっただけだし」

 極力平静をよそおっているようだが、当然それがハッタリだということは明白だ。

「根も葉もないうわさ? ここにいるメンツは全員知ってるぜ? おまえが高校デビューの元いじめられっ子だったってのことはな」

「っ……」

 隠し通そうとしても、真実を突かれれば態度に現れる。

なべたちに知られたのが運のツキだ。く立ち回らなかった自分をうらむんだな」

「……何が目的。あたしをおどしてあんたに得があるっての?」

「暇つぶしだ。俺がそう言ったらどうする?」

 余裕のあるこちらに対して、既に軽井沢には余裕が無い。

「もしあたしに何かしたら……すぐ学校に言いつけてやる」

「おいおい、それが出来ないからここに一人で来たんだろ? 誰の助けも呼べずにな」

「……りゆうえん。そんなに調子乗っていいわけ。向こうも何か策があるかも」

 屋上に一人で現れたことに裏があるんじゃないかと疑う伊吹。

「Xに頼るくらいしか軽井沢には出来ない。不必要に警戒する必要は無いんだよ。もし、軽井沢が俺との会話を録音しようが録画しようが、そんなもの切り札にはなりえない。ヤツは過去をばくされることを一番恐れてるからな。俺たちがその事実を漏らさない限り、どこまでも無抵抗でいるしかないのさ」

「けど───」

「いいから黙ってろ」

 ぶきの言いたいことはわかっている。

 なべたちはかるざわいじめていた証拠を握られおどされた。以後虐めをめること、誰にも口外しないことを約束させられた。そして利用された。自分で自分の首をめるように、Cクラスの情報を漏らすように誘導された。

 つまり今度は俺たちが証拠を握られ脅されるんじゃないかと伊吹は不安視している。

 だが、そんなことはあり得ない。


『軽井沢が虐められていた過去』


 という武器はその扱い方を分かっていれば恐れることはない。

 この場合俺たちを追い込むということは、軽井沢を追い込むことにつながるからな。

 だが、危険と表裏一体であることは事実だ。もろの剣。

 軽井沢の過去をばくするだけなら、こんな風に脅す必要は無い。

 今ある情報をもとに騒ぎ立てれば一定の効果が得られるだろう。

 しかし暴露してしまえばそれまで。この諸刃の剣は使い物にならなくなる。

 軽井沢が沈むだけでXにはたどり着けない。

 俺が望むのは軽井沢の裏にひそんでいるヤツを引きずり出すことにある。

 今日行動を起こした以上、ここできっちりXの正体を見極めないとな。

 そのためには、軽井沢とXがどこまでの関係にあるかを計る必要がある。

「回りくどいことは止めにしよう。おまえもすぐに解放されたいだろ。おまえの裏に隠れてるヤツの正体を話せ。そうすれば過去のことはすべて黙っておいてやるから」

「意味、わかんないんだけど」

 軽井沢は明らかに今までよりも動揺を見せる。

 俺がDクラスに潜む存在を探していることは、既に軽井沢も知っている。

 だがその存在と自分が繋がっている事実を捕まれているとは思っていなかったはずだ。

「おまえは真鍋たちに虐められていたところをXに助けられたんだろ?」

「は、はあ? 違うし」

「今更隠しても無駄なんだよ。こっちにはいくつかの証拠もある」

「……証拠?」

 どうやら軽井沢は思ったよりもXから詳細は聞かされていないようだな。

 ゆっくりと、一手一手扱いを誤らないように軽井沢を追い詰めていく。

「おまえの裏にいるXがどうやって真鍋からおまえを守ったと思う?」

「知らない。あたしはいじめられてもいないし、そもそもXとか言われても……」

「分かった分かった。認めないなら先に結論を教えてやるよ」

 そうしなきゃ、かるざわも認めるに認められないようだからな。

「Xはなべたちの弱みを突いたのさ。おまえを虐めた事実をバラされたくなければ大人しくしておけってな。そうやって口封じをしたのさ」

 何も答えず、軽井沢はこちらをにらみつけてくるだけだった。

「クク。なるほど……。Xがどうやって真鍋たちを封じたかは知っているわけだ」

「あ、あたしは何も言ってない」

「言葉ではな。だが目ではしっかり真実を話してんだよ」

 俺は話を続ける。

「そこまでなら、まあよくある展開だ。だがXはそれだけじゃ飽き足らず、体育祭の時には俺を裏切るようなまで真鍋たちにさせたんだぜ? スパイになって情報を提供しろってな。もちろん、従わなきゃ虐めた事実をばくするっておどしてな」

「何それ。マジでさっきから言ってる意味がわからないんだけど……」

「目が泳いでるぜ? 体育祭のくだりは初耳だったみたいだな」

 まさかとは思うが、軽井沢自身もXの正体を知らない可能性もあるか?

 常にフリーのアドレス等から接触し、動かしていたとしたら……。

 いや、顔も見えない素性の知れないヤツに軽井沢が付き従うとは考えにくい。

 そもそも本当に知らなければ、ある程度事実関係を認めてしまった上で正体を知らないと告白した方が軽井沢としても楽だ。

 何もかも知らぬ存ぜぬを通すのであれば、それなりの理由が無ければおかしい。

「俺が欲してるのは、俺に攻撃を仕掛けてきたXの正体だけだ。本来おまえの過去になんて興味ないんだよ。大人しく正体を教えるのが賢い選択だと思わないか?」

「何回聞かれても答えは同じ。あたしは何も知らない。マジ寒いんだけど……」

 長居するつもりもなかったのか、そのかつこうは非常に薄着だ。

「そりゃ寒いだろうな。だからさっさと話を終わらせて帰りたくないか?」

「何も話すことなんてない」

「そうか。Xをかばうんだったら仕方ないな。おまえのことをすべて暴露していいんだな?」

「っ……」

 軽井沢にとっては正にめん

 攻められれば黙り込むしかない。

 どの選択肢を選んでも敵を作ることになるだろう。

 長考に入るが、そんなことは時間をに消費するだけだ。

「無駄な知恵をしぼっても意味ないんだよ。おまえが考えて打開できる状況じゃない。選べる選択肢が既に限られていることは明らかだ。そして選べる選択肢の中で一番正しいのは、おまえの裏にいるヤツの名前を吐くこと。それだけだ」

 そうすれば、少なくともかるざわの秘密だけは守られる。

 状況がひつぱくしている今、Xを切り捨てる他に自分が助かる道はない。

「……もし、もし仮にあんたの言うようにあたしの後ろに誰かいるとして、ここで口にした名前の人がそうである保証はないでしょ。あんたに真実が確かめられる?」

 いしざきもそれが引っかかったのか、許可もなく会話に割り込んできた。

「軽井沢の言うように、確かめるすべはありませんよりゆうえんさん……」

 今、このバカが会話に加わることは軽井沢に逃げ道を与えることにしかならない。

 俺は視線と仕草で石崎に黙っているように指示を飛ばす。

 でしゃばったことに気づいた石崎が、申し訳なさそうに口を閉ざした。

うそをついたことが分かれば後で過去をばくすると言ったらどうする」

「それは───」

「おまえにはすべて洗いざらい話すことしか助かる道はないんだよ」

 そう笑うが、軽井沢は目じりをあげ強気に反論してきた。

「あたしだってバカじゃない。今真実を話そうと嘘を話そうと、いずれあんたはまたあたしをおどしてくる。ことあるごとに利用されるなんて真っ平ごめんよ」

「クク。確かにな。なべたちがXに利用されたように、俺がおまえを利用しない保証はどこにもないな。だがだったらどうする?」

「いるとも言わないし、いないとも言わない。適当に誰かの名前も口にしたりしない。つまり、あたしはあんたに何も答えない」

 軽井沢は沈黙することが唯一の正解だと判断したようだ。

 悪い選択肢じゃないが、それが最善とはとうてい言いがたい。

「黙ったままなら暴露する、そう言ったら?」

「あんたはあたしの裏に誰かがいると思ってる。だけど確実な正体に近づけないからあたしに接触してきた。なら、簡単にそのチャンスを捨てるとは思えない」

「なるほど。聞き出す前におまえの過去を暴露してしまえば、おまえは口を割る理由はなくなるな。俺が探してるXにたどり着くのが遅くなるかも知れない」

 そう言うこと、と軽井沢は視線をらした。

「俺としては、おまえの口からXの正体が割れなくても問題は起きない。ゆっくり時間をかけてやっていけばいいだけの話だ。正体を突き止めるチャンスはこれから先いくらでもあるってことを計算に入れてないようだな」

「でもそれは、今後も仕掛けてくればの話でしょ。あんたに正体を探られていることに気づけば、不用意に正体をさらさないよう注意するのは当たり前のことじゃないの?」

 思ったよりもやるな。頭の回転が速く口の回る女だ。

 Xが俺と似たような思考の持ち主なら、かるざわがDクラスの中で高い地位を築いていることを踏まえ、その利用価値を感じたからこそ助けていたと見るべきだろう。他人を利用することをいとわない性格の持ち主。つまり軽井沢をも平気で切りうる。

 XはDクラスを浮上させるために裏で動いていたことは間違いないだろうが、それよりもいったん正体を隠すことを優先する可能性は排除しきれない。

 安易にいじめ問題をばくすれば、軽井沢の言うように雲隠れされてしまう可能性はある。

 万一、これ以降Xが完全に潜ってしまえば、俺の楽しみは大きく損なわれる、か。

く自衛手段を考えた上で、ここまで単身乗り込んできたか」

 軽井沢が何も考えず、この場にやってきたとは思えない。

 Xに入れ知恵されていた線もあるが……それは微妙なラインだな。

「分かった? あたしを大人しく帰すことが最善だと思わない?」

 俺は携帯の画面を見る。だが誰からの連絡も入っていない。

 こっちがXにてて送ったメールも不発に終わったか。

 そう簡単に尻尾しつぽを見せるわけが無いのは分かりきっていたこと。

 多少の危険は覚悟で次の段階に移らせてもらうとしよう。

「要はおまえにXの正体を吐かせればいいわけだろ? 十中八九おまえが正体を知っているのなら、ここで聞き出すのがベストな選択だ」

 おまえが悪いんだぜX。軽井沢を救うことと正体を隠すことをてんびんに掛けた結果だ。

「……おどしが効かないのに、どうやって口を割らせるわけ?」

「決まってるだろ。昔から口を割らせるのはごうもんってのが相場だ」

りゆうえんさん、やっぱり本気で……?」

ぶき、軽井沢を押さえろ」

「なんで私が。あんたが自分でやればいいでしょ」

 これからすることに対して気乗りしない伊吹が指示にそむく。

「やれ」

「私は加担しない。どう考えても危険すぎるけじゃない」

「失態続きで降りるなんてダセェな伊吹。大切なのはに信頼を取り戻すかだ」

 伊吹の腕をつかみグッと引き寄せる。

すべての責任は俺が持ってやるから安心しろ。だから遠慮なくやれ」

「ち……」

 反抗的な態度の伊吹にもう一度命令し、実行させる。

 伊吹は舌打ちしながらも軽井沢に近づいていく。

「な、何よ」

「こっちにも色々事情がある。悪いわね」

 素早くかるざわの後ろに回り、ぶきが両手を拘束する。

「痛っ!」

 悲鳴を上げる軽井沢。

 伊吹は心底嫌そうにしながらも、軽井沢の抵抗をすべて抑え込む。

 格闘技経験のある伊吹に抑えられては軽井沢になすすべはない。

いしざき、バケツに水をんで来い。とりあえず2杯だ。ひとつ下の階のトイレなら、この時間利用するヤツはまずいない。男子トイレに清掃用バケツが2つある」

「え? 水、ですか。何に使うんです?」

「おまえまで俺に反抗するのか?」

「い、いえ。すぐに持ってきます!」

 慌てた石崎が、前のめりに転びそうになりながらも伊吹の横を駆け抜けていく。

「石崎が戻るまでの間、もう少し雑談に興じようじゃないか」

「嫌よ! 放して!」

 軽井沢はけんめいに暴れるも、伊吹の拘束から抜け出すことは出来ない。

 身柄を押さえたのは逃がさないためじゃない。これから起こることへの恐怖を増幅させるための下準備だ。

 現にかるざわは自分に起こることを予感したのか、必死の抵抗、最後の悪あがきを見せる。

「マジで指一本触れたら言いつけてやるからね!」

「ククク。ここに来てずいぶんと強気だな。今回もXが守ってくれると思ってるのか?」

 何度聞かれても同じだと、存在の有無についてはかたくなに認めようとしない。

「これは俺の勝手な推理だが、おまえはDクラスを影で操るXに、もしもの時はその身を守ることを約束されているんじゃないのか?」

 軽井沢の目が泳ぐ。隠そうと思ってもそう簡単に隠せるものじゃない。

「そうでなきゃ話のつじつまが合わないのさ。他クラスの女子からもうとまれがちな強気な性格が災いして、なべたち以外からもターゲットにされる可能性はあるからなぁ」

 ぶきは軽井沢から視線を俺へと移す。

「真実を知る人間に対し日々不安を覚えて仕方がないはずだ。ところが、おまえは今日まで誰にもその事実を悟らせずいじめられることもなくやって来た。だ? それはおまえに味方し助けてくれる存在が常に背後に張り付いたからに他ならない」

「それがXだってわけ?」

 伊吹が問い掛けてくる。

「今はな。だが───最初からそうだったわけじゃないだろ。Xは真鍋たちと軽井沢が接触したことで初めて事実を知ったはずだからな。俺が思うに……おまえはひらを彼氏にしてその身を守ってきたんじゃないのか?」

 軽井沢のどうこうが開く。

「ち、ちが……」

「違わないだろ。あんまり俺を甘く見るなよ軽井沢」

 ひとみのぞむ。軽井沢の奥に眠るであろうやみを引きずり出す。

 きっと同じようにしたであろう、Xのように。

「ひっ……!?」

 やっと可愛かわいらしい一面を見せ始めてくれた。

「……りゆうえん。あんた何でそんなことまでわかるわけ」

 俺の言葉に驚くのは何も軽井沢だけじゃない。

 伊吹もその不可思議さに突っ込まずにはいられなかった。

「経験則ってヤツだ。俺はこれまで、腐った人間を山ほど見てきたからな」

「ふぅ、ふぅ。お、お待たせしましたっ」

 慌てて水をみに行ったいしざきが、数分で戻ってきた。

 8割ほど水の入ったバケツ。その中は激しく波打っている。

 それを見た伊吹が再び質問をぶつけてきた。

「バケツが2つあることだってそう。なんでそんなことまで調べてるわけ」

「お前らはこの学校のどこに、何台監視カメラが仕掛けられているか。それすら知りはしないんだろうな」

「は? そんなの分かるわけないでしょ」

「調べなきゃわかるはずもない。だが、調べれば目に見える範囲はすべあくできる」

 俺は日々少しずつ、この学校の内部にある監視カメラの位置を調べ上げた。

 トイレに2つバケツが常備されていると知ったことも、その成果だ。

「それを確かめるための実験の一つが、いしざきたちにどうを襲わせた事件さ。間抜けにもDクラスの中に目撃者がいたようだけどな」

 面目なさそうに石崎がうなだれる。

 もしも目撃者がいなければ、あの事件はもっとCクラスにとって有利に働いたはずだ。

「俺は言ったはずだよな石崎。絶対に非を認めるなと」

「は、はい……あの時は、その、つい弱気になってしまって……」

 だが、結果的に偽の監視カメラにだまされ石崎たちは自白した。

「この学校は一見、規律に守られた仕組みをしているように見える。だが実態はそうじゃない。強引な手法もやり方によっちゃ認められるようになってるってことだ」

 それに気づくためのヒントは、日常のいたる所に転がっている。

「おまえらには分からないだろうが、少し頭の切れるヤツらは常に試行錯誤している」

 俺が入学して最初にやったことは、この不可思議な学校の『ルール』と『クリア方法』を探ることだった。

 俺がこの学校に入学して、そのシステムを理解するうえでやったこと。

 それはプライベートポイントがどこまで有用なものであるかを計ることだった。

「例えば試験の仕組みひとつとってもおかしいと思わないのか。無人島にしろ船上試験にしろ、ペーパーシャッフルにしろ上級生に確認すればその詳細を知ることが出来る。一見そう思う。だが、聞き出してみても満足に答える生徒は一人もいない。だと思う」

「……毎年実施されてる試験が違う、とか。ルールが違う可能性もある」

「そうだな。全ての試験が毎年同じってことはないだろう。だが、厳密に表現するならこうだ。『学年毎』に課せられたルールが異なっているってことさ」

「どういうことですか、りゆうえんさん」

 もし上の連中に試験の内容を確認してクリアできるようなら、それは試験としての前提が成立しない。ただ上級生にびるだけの下らない争いになる。

 それをするには絶対的なルールでしばらなければならない。

「2年以降、『試験内容を漏らした生徒は即退学』そんなルールが追加されていたら?」

 テスト内容が同じかそうでないかにとらわれず、そんな足かせが用意されていたら?

「それは───絶対に話さないです」

「そうだ。後輩に頼まれたところで話すことは出来ない。1年間退学を懸けて戦ってきた連中が、不用意な発言をして退学するリスクを負うはずがない。事実、俺は2年のDクラスに所属する生徒何人かにプライベートポイントをチラつかせ交渉してみたが、一度も成功しなかった。話せば相応のリスクがある証拠だ」

「でも……確かにそうかも。みやこんどうが前に言ってました。先輩にヒントをもらおうとしてもほとんど何も教えてくれなかったと。むしろ、聞いちゃいけない空気みたいなのがあるらしくて」

 誰だって考えるからこそ、代々それを許さない空気が既に出来上がっている。

 厳密にはもっと細かなルールが敷かれている可能性があるが、いずれ分かることだ。

「こんな風に、俺は常に許容と違反の境目をねらい続けてきた」

 監視カメラ、上級生の買収、Aクラスとの裏取引。

 出来ることと出来ないことの線引きを細かく確認してきた。

「今日ここでこれからかるざわにすることも、その実験のひとつなのさ」

 寒さに若干身体からだをふるわせ始めた軽井沢。

「トラウマってヤツは言葉で呼び起こすよりも、実体験することでより強く目覚める」

 なべたちの証言通りなら、すぐに強気な軽井沢は鳴りをひそめるだろう。

 オレはいしざきに目で合図をする。

 それだけで石崎は何を指示されているかが理解できただろう。

 ぶきが軽井沢を前に押し出すようにして離れる。

 石崎は俺に命じられるまま、バケツの水を軽井沢の頭に思い切りかぶせた。

「っっ!?」

 真冬の寒空の下、浴びる水は心のしんまで冷やしてしまうだろう。

 あまりの衝撃とショックに、軽井沢はその場に崩れ落ち身体を震わせた。

 両腕で自らの身体を抱きしめるように押さえる。

 先ほどまでの強気な姿はバケツの水一杯で消えうせた。

「思い出すか? おまえが前の学校で受けてきた洗礼を」

「い、いや……!」

 耳をふさぐ。

 まるで少女が幽霊におびえるかのように、ただただ身体を震わせた。

「こんなもんじゃ済まさないぜ。徹底しておまえを壊してやる」

 携帯を取り出し、録画を始めると俺は軽井沢のれた前髪をつかみあげた。

 目から生気が抜け出ていくのが分かる。

 今、軽井沢の中には過去のいじめがフラッシュバックしているだろう。

「虐めの動画だ。おまえが何も話さないなら、学校中にばらいてやるよ」

 もちろんうそだったが、もはやかるざわに正しいジャッジを下すことは出来ない。

「ほら泣け、叫べ。許してくれとこんがんして見せろ」

「いや、いやぁっ!!」

 深くられた傷ほど、えぐりがいのあるものはない。

「見るにえない……やっぱり手を貸すんじゃなかった……」

 ぶきが逃げるように視線をらした。

「弱い者いじめも中々面白いぜ。心をわくわくさせてくれるからな」

 かつて俺に仕掛けてきた連中のことを思い出す。

 調子に乗ったツケが回ってきた時、赤子のように泣きじゃくったヤツもいた。

 だが軽井沢の場合は少々状況が異なる。

「徹底的に虐められてきたおまえが、よくDクラスでとうかくを現したもんだ。感心するぜ」

 元は弱者だったヤツが、自力で頭角を現し新しい自分を構築した。

 ひらを利用し、Xに守られ今日まで立場を維持し続けた。

「出来ることじゃねえよ、そう簡単には」

 一度虐められたヤツは卑屈になる。繰り返されるほど根は深くなる。

 そうなるように虐めによって教育されているのだからそれは仕方がない。

「ある種、俺にも負けないきもわった女ってことかもな」

 しゃがみ込み、震える軽井沢に対して俺はあざ笑うように続ける。

「けどな、人間の本質ってヤツはそう簡単には変わらない。変われないんだよ。おまえは潜在的に虐められる人間であって、虐める人間じゃない。それをよく思い出せ」

 いしざきの足元に残されたもう一つのバケツを手に取り、今度は俺が軽井沢にぶっかける。

「~~~~~~!?」

 声にならない声をあげ、軽井沢が強烈に身体からだを縮みあがらせる。

「石崎。もう一度行って来い」

「は、はいっ」

 転がった2つのバケツを拾い上げ、石崎は再び屋上を降りて行った。

なべたちの口を封じ、おまえを守ってるのは誰だ?」

「そんな人、いない……! いない、いないいない!」

 頭を振り、イヤイヤと逃げるように否定する。

「クク。まだ隠し通すか。やっぱり肝が据わってるな。いや、虐められることに慣れてるからか? お前に取っちゃこの程度じゃ虐めにも入らないのかもな」

 軽井沢の腕をつかみ、強引に引き上げる。

「……見てられない」

「面白くなるのはここからだぜ?」

「心底むなくそ悪いだけよ」

 ぶきは立ち去るわけではなく、あくまでいじめに加担することを拒否し屋上の扉にもたれかかった。

「Xの正体を確かめたら帰るから」

「それでいいさ」

 おまえらを楽しませるためにやってるんじゃない。

 俺は俺の快楽のために、かるざわを壊す。


    3


 しんまで冷える。

 髪から滴り落ちる水の冷たさ。

 これで都合4回、頭上でバケツをひっくり返された。

 制服を通り越し、とっくに下着までびしょれだ。

 だけど恐ろしいのは身体からだが寒さで震えることじゃない。

 心の奥が冷えてしまうことだ。

 世界そのものをうらみたくなるほど、暗く重たいやみが顔をのぞかせてくる。

 どうしていじめられているんだろう。

 そんな感情から、徐々に変わり始める。

 なんであたしは生きているんだろう。

 なにがいけなかったのだろう。

 自分を責め始める。

 冷え切った心が身体からだむしばんでいく。

 刻み込まれた深いきずあとが、熱を持ったようにうずき始めた。

「なあ、いい加減楽になれよかるざわ。これ以上苦しむ必要なんてないぜ」

 あたしの目の前で、りゆうえんが笑いながら自白を迫る。

 だけどこれは実質袋小路だ。私は何も答えることが出来ないようになっていた。

 もし、きよたかのことを話せば一時的にあたしは解放されるかも知れない。

 だけどそれは救いにはつながらない。

 龍園が再び、同じことであたしをおどしてこない保証はどこにもない。

 再び目の前に現れて、Dクラスを裏切れと指示して来るかもしれない。

 ドラマでよく見る最悪な展開が待っている。

 裏切りを続けた人間の末路は、総じてさんだと決まっている。

 だったら、あたしは最後の希望を抱き続けるだけ。

 守ると約束してくれた清隆の言葉を信じるだけ。

 それが……やみに飲み込まれようとしているあたしの心を守ってくれる最後のとりでだ。

「おまえの考えは分かるぜ。ここでXの正体を明かせば、そいつに守ってもらえる可能性すら失ってしまうことになるからな。希望のロストだ」

 ガチガチと寒さと恐怖で歯がふれあい音を鳴らす。

 止めようと必死にくけれど、心は言うことを聞いてくれない。

 脳裏にたたきつけられるおぞましい記憶。

 重なる過去と現実。

「希望を抱いたまま死ぬか? また昔に逆戻りする、本当にそれでいいのか?」

 ただ一方的な言葉の暴力があたしを攻め立てる。


「おまえを救ってやれるのはXじゃない。ここで白状すれば俺に救われるのさ」


 怖い。


「だが敵対するってなら、弱みを攻撃せざるを得ない」


 助けて。


「おまえのあることないこと、そのすべてをつづって学校中にバラまく」


 怖い。


「その時、おまえは冷静さをよそおって今まで通りクラスの中心人物でいられるか?」


 助けて。


「いいや無理だな。おまえはまた以前のおまえに逆戻りする。みじめにいじめられていた自分に戻るんだよ。本来の姿にな」


 かつての虐めが、あたしの中で強く、強く強く繰り返しフラッシュバックする。

「いやだ、いやだ、いやだいやだ、いやだいやだいやだ……」

 あの暗くて惨めで、死にたいと思うような世界に戻りたくない。

「だったら楽になれ。楽になって今の自分を守って見せろ」

「おねがい、ゆるして、おねがいゆるして……!」

 もはやプライドなど砕け散った。

 そうじゃない。セロハンテープでくっ付けていただけで、元々砕け散っている。

 なんとかつなぎとめていた、かるざわけいという自分が死んでしまう。

 楽しい学校生活が、音を立てて崩れ落ちていく。

「俺はなべたちのようにようしやなんてしねえぜ。俺たちはおまえの秘密を知った。仮に俺を退学に追い込めても、この真実を知る人間は一人や二人じゃない。すぐにうわさまんえんする。そうなれば下に見ていたクラスメイトたちにすら虐められるかもな?」

「いや、いやだ、いやだ……」

「だったらよく思い出せ。昔の自分に戻ることが、どれだけつらいことかを」


 ───嫌でも思い出している。


 一瞬脳裏に広がる白い世界。


 そして直後のやみ


 中学時代、あたしはさいなことから地獄への入り口を開けてしまった。

 元々勝気、強気な性格だったあたしは、入学早々に同じタイプの女子たちを敵に回してしまったのだ。それからの日々は、楽しい学校生活とは程遠かった。

 教科書への落書きやノートの紛失、そんなものは可愛かわいいものだった。

 お決まりのように、トイレ中に水をかけられたことも一度や二度じゃなかった。

 殴られてられて、そんな様子を動画に撮影されてクラス中で笑いものにされた。

 うわきに仕込まれたびようや机に入っていた動物のがいたち。全部覚えてる。

 クラスメイトの前でスカートを下ろされたこともあった。

 水泳の授業の後下着を隠されたり、制服そのものが無くなったことだってある。

 好きでもない男子に告白させられたことも。

 地べたに散らばったオカズを口で拾い上げ食べさせられたことも。

 靴をめたこともある。

 くつじよくという屈辱を味わった。


 そう、そうだ。


 思い出してきた。


 こんな時、人間が取る最後の防衛手段。


 受け入れてしまえばいいんだ。


 りゆうえんたちにいじめられている、という現実を受け入れる。


 そうすれば、楽になれる。


 ああ、また、あたしはあの時に逆戻りしてしまうのかな。

 その時、あたしは自分の心がきっと耐えられないだろうことを知っている。

 優しくしてくれた子が、仲良くしてくれている子が変わっていく。

 あの残酷な時間に、二度と耐えられるはずがない。

 あたしを見捨てた学校が、唯一してくれたこと。

 それはこの学校のことを教えてくれたこと。

 あたしを知る生徒は誰もいなくなるという救いの糸をらしたこと。

 それがなくなったら、あたしは───。


 天を仰ぐ。


 隠してきた涙が、あふれてこぼちる。


 どうして、あたしは今こんな目にあっているんだろう。


 …………。


 ───いやだなあ……。


 そんな感情が、あたしの心の中に生まれた。


 このまま素直に受け入れ、過去に逆戻りするのは嫌だ。


 目の前のりゆうえんが言うには、ただ探している人物を見つけたいだけらしい。

 つまりきよたかの名前を出せば、それで解放される。

 でも、それであたしのいじめ話がばくされない保証はどこにもない。

 翌日には知れ渡っているかも知れない。

 そうなれば同じことだ。

 清隆の信頼を失った上で、友人すべてを失う。


 だけど───


 助かる可能性はある。

 名前を口にしてしまえば、楽になればこのつらい時間も終わりを告げるかも知れない。


 仕方ないじゃない。


 助けてくれる。


 そう約束した清隆は、結局助けに来てくれなかった。

 信じて待ち続けても、この状況に何の変化も訪れない。

 送ったメールに気がついていない?

 だけどあたしは彼に目で合図を送った。

 そして、目と目があって、確かにしようだくしてくれた。

 守ってやるから安心しろ、って。

 そう思っていた。

 思い込んでいただけ?

 もうわからない。

 それを確かめるすべもない。

 あたしときよたかの関係は、あまりにも希薄。

 なべたちがあたしに何かをしない保証のないまま、彼はあたしとの関係を絶った。

 自分がもう、表に出る必要がなくなった、そんな身勝手な理由で。

 あたしのことなど二の次。

 裏切られた?

 あたしは、彼に見捨てられた?

「アルベルト。誰か来たか? ……そうか、また連絡する」

 目の前でりゆうえんが、静かにため息をつく。

「おまえもわずかに期待してたと思うが、誰も助けに来る気配はないってよ」

 ああ、やっぱり見捨てられてしまったんだ。

 いいや、信じないでどうする。

 清隆は助けるって言った。

 事実、真鍋たちからあたしを守ってくれた。

ずいぶんとXのことを信用しているみたいだなかるざわ

 龍園はあきれたようにため息をつく。

「おまえはだまされてるのさ」

「ちがう……」

「違わないんだよ。おまえがXに教えられていない船上試験での真実を教えてやる」

「しん、じつ……?」

 龍園の顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。

「真鍋はもろふじふくしゆうのためにおまえをいじめるつもりだったが、その機会は得られないでいた。おまえを人気のない場所に呼び出したところで素直に応じるわけもないからな。ところが、おまえはか一人で最下層のフロアに足を運んだ。それはなぜだ?」

「それ、は……」

 それは、ようすけくんに呼び出されたからだ。

 あの時あたしの心は不安定で、寄生先だった洋介くんに頼るしかなかった。

 だからあの場所に行った……。

 そしたら、あの場所になべたちが偶然やってきて……。

「本当に偶然だったと思うか?」

 またりゆうえんが、あたしの心の中を見透かす。

「広い船内で四六時中おまえを追い掛け回すなんて出来るわけがない。だとすれば、それは偶然じゃなく、真鍋たちが現れるのは必然だったってことだ」

 なら、あたしはようすけくんにだまされた、ってこと?

 違う……。

 そうじゃない。

 そうじゃないことは、すぐに分かったのに。

 一瞬、洋介くんのせいにしようとしたんだ。

「もう分かっただろ。Xはひそかに真鍋に接触し、おまえを誘い出す手引きをしたのさ。かるざわを憎む者同士、協力し合わないか甘い言葉をかけてな。ホイホイそんなえさに釣られたのは間抜けとしか言いようがないが、それが真実だ」

 確かに、おかしな出来事だったのは覚えてる。

 あたしを呼び出したはずの洋介くんは、結局あの場に現れることはなかった。

 今のきよたかを知っているから分かる。

 洋介くんに指示をしてあたしを一人にさせたんだ……。

「Xはおまえを意図的にいじめさせその現場の証拠を押さえた。非道だと思わないか?」

 違う、と思いたい。

 だけど龍園の言っていることは……けして単純な話じゃない。

 あの場に清隆が現れたことは、そして救ってくれたことは偶然なんかじゃなかった?

「おまえは助けだされたんじゃない。おとしいれられたのさ。間抜けな話だよなぁ」

 騙された……?

「周囲を見渡してみろ。今ここにXがいるか? おまえを助けてくれているか?」

 あたしは……清隆に、最初から騙されていた?

「正体がバレそうになっておまえを切り捨てたと考えるのがとうだろうな」

 そんな、そんなのっ……。

 そんなのってないよ……。


 あたしは───助けてもらえなかった。

 こんなにも苦しんでいるのに……。

 清隆が仕組んだわなに引っ掛けられ、助けられた気になって。

 色んなこと、手伝わされて。

 肝心な時に捨てられる。

 だってこれじゃ……。

「おまえももう気づいただろ。そう、それもまた悪質な『いじめ』なのさ」

 やみがあたしを覆いつくす。

 あたしは結局、虐めと言うメビウスの輪から抜け出せない。

「いいや、助かる方法はたったひとつ残されているぜ」

 名前。

 きよたかの存在を、りゆうえんに教えること。

「そうだ」

 なら名前を言えば、楽になるのかな……?

「そうだ。楽になる」

 心の中を読むように、再び龍園が笑う。

「名前を言えば、おまえには今後一切かかわらないと約束する」

 ああ、助かるんだ。

 たった一言、あやの小路こうじ清隆、と口にすればいい。

 信じるか信じないかは知らない。

 だけどあたしの本心からの言葉を聞けば、きっと目の前の男は理解する。

 その確信だけはあった。

 意志に反して、唇がかすかに震えながら動く。

 裏切られた絶望と怒り、そして助かりたいと願う心。

 だけどまだ声にはならない。

 寒すぎて心の声を引っ張り挙げることが出来ない。

「ゆっくりでいい。そいつの名前を言え」

「───た……」

 出た。

 震えて震えて、怖くて怖くて。

 そして一言出た。

「た?」

 聞き返す龍園。

「た……か……」

 ゆっくり、ゆっくりとあたしはしぼす。

 それで解放される。

「もう一度。ゆっくりと話せ」

 龍園の顔があたしに迫る。

「何度……」

 言葉が出る。

 違う、そうじゃないんだ。

 あたしは、最初から、そんなつもりはなかった……。

 だってあたしは───

「何度聞かれても……ぜっ『た』いに、言わない……『か』ら……」

「…………」

 笑顔だったりゆうえんの表情が固まる。

 くもり空に、一筋の光が差した気がした。

 現実には何も変わらない世界で。

 あたしが辿たどりついたもの。

「たとえ、明日からあたしの居場所が、ここに、この学校になくなってしまうとしても……苦しめられ続けるとしても……」

 信じ抜かなきゃならないもの。

 それは龍園の言葉でも、きよたかの存在でもない。

「名前は、絶対に言わない……」

 胸の内にすっと入ってくる暖かな光。

「……それでいいんだな、かるざわ

 いい。

 これでいい。

 後悔するかもしれない。

 だけど、これでいいんだ……!

「Xがおまえを利用しただけだとわかっていながら、かばう」

「知らない……」

 そんなの、あたしが聞きたいよ。

 だけど───今わかっている唯一のこと。

「あたしにだって、最後までかつつけたいことはある……!」

 ぼやけていた視界が、一瞬だけ晴れた。

「そうか。残念だぜ軽井沢、おまえの居場所は今日限りこの学校からなくなる。俺としても手間なことはしたくなかったが仕方ない。だが、尊敬には値する。過去のトラウマ。唯一頼りにした存在に裏切られても、そいつを売らなかったことは素直に認めてやる」

 これでいい。

 これでいいんだ。

 何度もそう自分に繰り返す。

 私はここで、壊れてしまうけど。

 だか自分が、少しだけ誇らしかった。

 裏切られたくせに、裏切らなかったことで、あいつが助かるなら。

 あいつが求めていた平穏ってやつに協力できるなら、悪くない。

 それはそれで、何となくあたしかついいじゃない?

 あたしの人生面白いことなんてほとんどなかったけど、きよたかと組んで色々やってる時って刺激的で悪くなかった。

 ちょっと楽しかった。

 なんていうか、ヒーローを影で支えるヒロインみたいな?

 あいつのしてたことは、よく分からないことも多かったけどさ。

 なんか、非日常的で面白かったんだよね。

 それにどんな形でも、助けられたことは事実だし。

 だから悔いはない。

 悔いはないんだ。

 でも、さ。

 でも本当は、心の底で、あいつは助けに来てくれるんじゃないかって。

 そんな淡い感情があったことも───本当かな。

 あーあ、間抜け。

 すっかり手のひらで踊らされた。

 自業自得、か。

 ようすけくんに守ってもらう、清隆に守ってもらう。

 ほんとあたしは、一人じゃ何も出来ない女よね。

 寒い冬の空。

 あたしはどこか心地よかった。


 さようなら。偽りだらけのあたし。


 お帰り、無機質な昔のあたし。

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