ようこそ実力至上主義の教室へ 7

〇再会と別れの知らせ(3)

    6


 夕暮れの並木道。

 首を上げ息を吐くと、白い煙が頭上を越え淡く消える。

「寒い」

 口や鼻から息を吐くたび、面白いように白息が出ては消え出ては消えを繰り返す。

 温度差の激しい日が続くため忘れがちだったが、もうすっかり冬だな。

 去年の今頃は、ずっと室内にいたからな……。

 見知らぬ女子生徒が一人、寒そうにしながらオレの横を抜けていく。

 手には携帯電話が握られていて、誰かと楽しそうにおしやべりをしているようだ。

「ほんと生徒会長になった途端に付き合いが悪くなったよねみやび。あはは、冗談冗談。別に怒ってるわけじゃないけどさ。今度色々おごってもらうから覚悟しておいて」

 寒空の下からのぞかせる太ももはとても寒そうだった。

 肩口のセミロングから香ってきた、シャンプーの残り香。

「生徒会? 悪いけどそれはパス。私その手のには興味ないし。それに雅はまだ元生徒会長との決着がついてないでしょ? って、ちょっと何いきなり告白してくるわけ? あっちもこっちも手を出してるのは知ってるんだからね」

 あまり盗み聞きするつもりはないが、こう大きな声で話されちゃ嫌でも内容が聞こえてくる。会話の内容から察するに2年生の女子だろう。

「まぁ……もしほりきた会長に勝ったら、その時は考えてあげてもいいけどね。それじゃまたね」

 女子生徒は通話を終えると、ふーっと白い息を吐いた。

 そして一度立ち止まり携帯をポケットにしまう。

「調子に乗ってるなあ、雅のヤツ。にしても堀北生徒会長も使えないって言うか、雅を止めてくれると期待してたのに。結局、ゲームは雅の勝ちで終了かな」

 先ほどまで楽しそうに会話していたのに、通話を終えた途端トーンダウンしていた。

 すれ違ったオレの存在など気がついていいのか、そのまま歩き去って行く。

「うわっと!?」

 しかし、ちょっとしたハプニングが起こった。

 各学年の寮へと分岐する分かれ道で、つまずいたのか盛大にすっ転ぶ。

「ったた……」

 すぐに起き上がると、少しだけ顔を赤くしながら辺りをキョロキョロする。

 そして後方にオレが歩いているのが見えたのか、初めてこちらに気づいたようだった。

 ちょっと恥ずかしそうに苦笑いした。

 様子からしてをしたってほどではなさそうだ。

 逃げるように駆け出し、2年生が住む寮へと消えて行った。

「やっぱり2年生、か」

 この学校では、生徒会や部活動を通じて以外ではあまり学年を飛び越えての交流はないらしい。だから顔を覚える機会なんてほとんど無いんだよな。

「女子は寒いよな」

 時々、教室ではスカートの下にジャージを穿きたいと口にする生徒もいる。

 履かせてやればいいと思うが、校則では禁止事項らしい。

 女子も色々大変だな。

 初めて体験する『冬』。

 こんなにも肌寒く、そしてどこかはかなげに景色が見えるとは思わなかった。

 犬が雪を見て、興奮して駆け回るなんて歌があるが、よく分かる。

 雪が降ってきたら、オレも興奮するんじゃないだろうか。

 ふーっと息を吹きだし、今日の出来事を回想する。

 父親の接触やさかやなぎ理事長の存在、学校の方針なんてものはどうでもいい。

 ちやばしら先生のうそが見抜けたことが大きな収穫だった。

 これだけでオレは大きく前に進むことが出来る。

「……終わりにさせてもらうか」

 これまで極力裏方に徹していたが、試験の結果が公表される仕組み上、Dクラスが活躍すればそれだけ注目の的になることは避けられない。

 必然的にマークは厳しくなり、誰が中心となって行動しているのかを調べられる。

 事実ほりきたをその中心人物に仕立てたものの、りゆうえんはそれがフェイクだと気づいた。

 坂柳もオレの過去を知っているし、いちも疑い始める頃だろう。

 引き返すなら今しかない。

 もちろん早計なジャッジは身を滅ぼすことにつながりかねないが、前進後退の両方を視野に入れた動きが必要とされていく。

 となれば、目下の問題は龍園にどう対処するかだ。

 オレはポケットから携帯を取り出し、アドレスを直接手打ちする。

 そしてある人物に一通のメッセージを送る。

 通話できる状態になったら連絡をくれ、と。

 するとすぐに既読がつきメッセージが戻ってきた。

 どうやらその人物は、珍しく友人と遊ぶこともなく、早々に寮へと戻っていたらしい。

 オレはすぐに通話ボタンから手動で11けたの番号を入力しコールする。

「もしもし」

 ややけだるそうな声の主は、1年Dクラスかるざわけい

 本人はまだ知るよしもないが、今現在龍園に目をつけられている存在の一人だ。

 堀北以上に、オレが裏でDクラスに対し行動していることを知る人物。

 もっとも、どこまで関与し何をしているか具体的に知らない部分も多い。現状言えることがあるとすれば、かるざわから見たオレは非常に不気味に映っているということ。

「何してるかと思ってな」

「冗談でしょ。あんたが意味もなく電話なんてするわけないじゃん」

 フットワーク軽めの切り出しだと思ったが、軽井沢にそれは通じなかった。

「もう少し話を楽しもうって気にはならないのか?」

「そう言ってる当人に、楽しむ気がないなら無理でしょ」

「……ごもっとも」

 にDクラスの女子を束ねているわけじゃない。よく相手のことを理解している。

なべたちからの接触はないか?」

「うん。それは今のところ問題なし。……その確認するために連絡してきたわけ?」

 驚いたというより、あきれたような反応が返ってきた。

「あれからずいぶんったが、ここまで何もなしか。これ以上の心配はなさそうだな」

「そうだといいけど。でもいつどうなるかなんて誰にもわかんないでしょ」

 軽井沢にしてみれば、卒業するまでは本当の安息は訪れないと考えているようだ。

 風が吹き、むき出しの顔を冷たく刺していく。

「まだ外なんだ」

 電話越しに風の音が聞こえたんだろうか、そんなことを言う軽井沢。

「今帰ってる途中だ。おまえこそ今日は早かったみたいだな。いつもはもっと遅いだろ」

「あたしにだって早く帰りたい日くらいあるわよ」

 ちょっとツンとした反応が返ってくる。

「あ」

 オレはあるものを見つけ声が漏れた。

「なに」

 話しかけられたと思った軽井沢が反応する。

「いや、なんでもない」

 寮への道の分岐点、さっき上級生が転んだところに赤いお守りがひとつ落ちていた。

 さっきの上級生が落としたものだろうか。ほうっておく方が良いのかも知れないが、夜からは雪が降る予報になっているため、このままだとみずびたしになる。

 気づいて戻ってくる気配もないし、寮の管理人にでも渡しておくか。

「あのさ。あんたにどうしても確認しておきたいことがあったのよね。ついでだから聞いていい?」

「確認したいこと?」

 お守りを拾い、2年生の住まう寮に足を向けながら軽井沢との会話を再開する。

「どうしてあんたは頭良いのに誰にもそれを見せないって言うか、言わないわけ? バカばっかりのDクラスなんだからさ、ようすけくんみたく前に出てけば支持されるんじゃないの」

 どうしてそんなことを確認してきたかは想像に難くない。

「頭が良いって、何をもってそう思ったんだ?」

「何をって……」

「テストの点数は平均そこそこ。クラス内でも特別有益な発言するわけじゃないし、おまえが評価するような部分はどこにもないだろ」

「あたしが言ってるのはそういうとこじゃなくってさ」

 もちろん、かるざわの言いたいことは分かっている。

 オレはこれまで、いくつかの裏方作業で軽井沢に協力を求めてきた。

 盗撮だったり、ペーパーシャッフルでのくしの件。

 それらを総合して不思議に思っても仕方のないことだ。

「そういうのをさ、もっと前に出してけばあんたのクラス内での評価も上がるんじゃない? それどころか学校から注目されるようになるかも。体育祭の時みたいに」

 自分には一切関係のないことのはずなのに、軽井沢はテンション高めにそんなことを言った。

「オレがそういうことを望むタイプじゃないって分かるだろ?」

「だったらどうして色々するわけ? 望まないなら最初からしなきゃいいじゃん」

「もっともな意見だな」

 オレだってしたくてしているわけじゃない。

「元々オレは何もするつもりはなかった。ただ、しなきゃならない理由があったからDクラスに手を貸していただけに過ぎない」

 本来なら絶対にしないような話だが、今日は少し特別だ。

 気分がいい。

「なんだかもつたいい気もするけどね」

「これまでもこれからも、オレは表に出て何かするつもりはない」

 この点だけは、軽井沢に対しても念入りに言っておく必要があるだろう。

 今後Dクラスに問題が起こったとき、オレを頼りにあれこれ動かれても困る。

「やっぱりあんたなのよね? 今りゆうえんまなこになって探してるヤツって」

 どうあきだけじゃない。尾行の範囲は日々広がっていて、そのうわさはDクラスの垣根を越えて広がっている。龍園がDクラスの中の誰かに敗れ、ふくしゆうのために探している。なんてことまで口にする生徒も増えてきた。

 軽井沢がオレだと理解するのに、時間は必要なかっただろう。

「今日の本題はその件にも関係する。おまえにひとつ謝罪をしようと思ったんだ」

「謝罪?」

「これまでは明確な理由があったから、オレはDクラスがポイントを取れるように手を貸していた。でもその必要性がついさっきなくなった」

「ふうん? じゃあこれからは大人しくしてるわけ?」

「ああ。ほりきたひらたちにすべて任せるつもりだ。りゆうえんに正体を悟られて面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだからな。不用意に目立つ可能性があることは前回でおしまいだ。おまえにはカラオケでの手伝いといい、くしへの接触といい、色々面倒をかけたな」

「そっか、じゃあやっと解放されるわけね。あんたに付き合わされてたあたしも」

「そういうことだ」

 これまでかるざわは、こちらの想像以上に働いてくれた。

 だから遠慮なく切り出すことが出来る。


「オレからおまえに連絡するのはこれが最後になるだろう」


 そう、はっきりと伝えた。

「え?」

 だが、軽井沢の反応はにぶかった。

「ごめん。今、なんて……?」

 風が吹き荒れていたわけでもないのに聞き逃したとでも言うのか。

「おまえに連絡するのはこれが最後だ」

 もう一度伝える。

 今度こそ軽井沢の耳にもしっかりと言葉を送り届けることが出来たはずだ。

「頼みごとがなくなるんだから自然なことだろ。元々オレと軽井沢に接点が生まれてることは誰も知らない。意味もなく接触を繰り返せば怪しまれるからな」

「そう、ね。それは、まぁ、確かにその通りだけど……」

 言葉を詰まらせる軽井沢。

 引っ掛かりを覚える軽井沢だが、オレは勝手に話を続ける。

「もちろん万が一不測の事態があれば約束通り助ける。それは守る。念のため非常用のアドレスは前に教えた通り残しておいて構わないが、基本的なものは証拠を残さないよう完全に消してくれ。こっちはもうおまえの連絡先は消去してある」

「ちょ、ちょっと待ってよ。なによ、なんで急にそんな言い方になるわけ?」

「なにがだ?」

いくらなんでも、その、冷たすぎるっていうか……」

「冷たいもなにも、元々オレと軽井沢の関係なんて冷え切ったものだったはずだ」

 なべたちのいじめに関与しなければ接点など生まれるはずもなかった。

 根暗な生徒とイケイケ女子なんていう天と地の差がある。

「おまえだってオレに使われるのは嫌だったんじゃないのか?」

「それは、そうだけど……」

 かるざわの歯切れの悪さはなくならない。

 それどころか沈黙まで増えてきた。

「もう話は終わりなんだが、何か言うことはあるか?」

 あまり引っ張っても良いことはない。

 オレは混乱する軽井沢に対して強引に言葉をさいそくした。

「……わかった」

 とうてい納得とは程遠いテンションの返事だったが、返事は返事だ。

 だがどうにもならないことをやっと悟ったのか言葉を続ける。

きよたかとこうして電話するのも最後か」

ごりしいのか?」

「そんなわけないでしょ」

「なら問題は何も無いな」

 たんたんと、しゆくしゆくと話を進める。

 そこに感情の一切ははさまない。

 挟むことはない。

「じゃあもう切るから……」

 軽井沢も、それを電話越しからも強く感じ取っただろう。

 自ら通話を終わらせると口にする。

「じゃあな」

「ぁ……」

 最後に何か言いかけた軽井沢だが、その後は何も続かなかった。

 数秒待ったところで、オレは通話を切る。

 そして履歴を消去し携帯をポケットにい直した。

 軽井沢はオレという寄生先に身を寄せ多くの安心を得ていた。

 そんなオレに突き放されれば、心は強く揺れ動く。

 電話越しに伝わってくる不安や孤独感は、恐らく日増しに強まるだろう。

 もし、そんな不安定な状態でりゆうえんにつけねらわれれば───

 ほぼ間違いなく、軽井沢けいの心は崩壊する。

「色々遠回りしたが、これで入学した時の状況への軌道修正は始まったか」

 ほりきたも、軽井沢も、龍園もさかやなぎも関係ない。

 オレはもう、ここから先の試験に積極的に参加することはないだろう。

 残る問題を片付ければ、それで終わりだ。

 ただその問題を片付けるためには、どうしても『協力者』が必要になる。

 その後寮の管理人に2年生の物と推測されるお守りをたくし自分の寮へと戻った。


    7


 ゴミを吸着させたウェットシートをヘッドから取り外し、ゴミ袋へと捨てる。

 手を洗ってからベッドに座ると、わずかにスプリングがきしむ音が響いた。

 年末が近づいて来たこともあり休日を利用して大掃除をしていた。

 元々部屋には余計なものがないため、半日ほどですべての工程が終了した。

「部屋がれいってのはいいもんだな」

 初めてこの部屋に足を踏み入れたときとそんしよくない輝きを取り戻したんじゃないだろうか。

 湯沸しポットの電源を入れ、憩いのひと時を求める。

 ピカピカに磨いたばかりのカップを使うのは多少躊躇ためらわれたが、むをない。

 オレは携帯を取り出し、学校のアプリへとアクセスを試みる。

 クラスポイントや個人残高などが表示され、意味もなくそれを眺める。

 お湯が沸くまでの間と決め、自分自身のこれからのことを整理してみることにした。

 そもそもの順を追う。

 オレがこの学校に入学したのか。

 それは以前の環境に戻らないためだ。

 ホワイトルームでの生活に不満があったわけじゃない。

 人権的観点から見れば問題は山積みだが、少なくとも最高の教育を受けられる場所であることは事実だ。そのお陰で、オレはオレという人格を形成し何不自由ない能力を手に入れることが出来た。

 しかし、父親が最高傑作だと称する自分自身に、言いようのない不満を覚えたのだ。

 もしもオレが最高の人間と呼ばれるものであるとして……それは本当に喜ばしいことなのだろうか?と。

 常に学ぶべき存在があるという前提で生きてきたからこそ、学習することにも意味があった。にもかかわらず、上がいなくなったとしたら? それはひどく退屈なものだろう。

 まあそんなことはどうでもいいことか。

 今後どうしていくべきなのかを考えるべきだな。

 いずれ父親が接触してくることは分かっていた。夏の時点でちやばしら先生が退学を臭わせて来た時点で覚悟は決めていたことだ。もっとも、あの時から半信半疑ではあった。

 もしも本当に父親が接触してきたのなら、ちやばしら先生がかばう庇わないの問題では済まされないからだ。クラスの担任ごときで相手に出来るような男じゃない。

 だが、父親のことを知っている点から全くのうそだと決め付けることも出来なかった。

 そのためにあえて協力姿勢を見せ、Aクラスに上がるためにいくつかの手を打ってきた。

 ポットから湯がふつとうする音が聞こえ始める。

 しかしここに来て、茶柱先生の発言が嘘で塗り固められていたことが判明した。

 しくも父親が登場することによって。

 ここで一番大切なことは、彼女が父親と接点を持っていなかったこと、ではない。

『オレが服従しない場合に退学させる』とおどしてきた点が嘘だと確信できたことだ。

 茶柱は自身の過去に強いトラウマを持ち、Aクラスに上がりたがっている。

 ほりきたけいせいと変わらない。いや、それ以上にAクラスにこだわりを持っている人間。

 そんな人間にクラスから退学者を出すような勇気はないだろう。

 いや、当初は自爆覚悟の行動をとっていたとみてもいいか。無人島試験で差を詰めるまで、Dクラスは非常に苦しい立場に立たされていた。まだ希望を抱くには薄すぎた。

 オレが利用できないならいっそ、という気持ちは少なからずあっただろう。だからこそ、その迫真の言葉に隠された嘘を見抜ききれなかった。

 メッキががされた今、オレに対して命令する力は急速におとろえ失われた。

 AクラスだろうとDクラスだろうと、普通の学生として3年間過ごすことが目標のオレにしてみれば、これ以上のクラスへの深入りは面倒なことを増やすだけだ。

 事実、いちさかやなぎといったメンツがオレに興味を持ち始めている。しかし今フェードアウトすることに成功すれば、すぐに興味を失ってくれるはず。

 問題が残っているとすれば、りゆうえんかけるただ一人だけ。

 ヤツはオレまでたどり着けば、それこそ周囲に騒ぎ立て事実を触れ回るかも知れない。

 だからこそ、正体を知られずに済むのがベストだ。

 しかし、それはもはや不可能だろう。

 かるざわけいとの関係を切ろうと、見えない『糸』はつながったままだ。

 放置しておけば、龍園は『いつか』その糸を必ずつかみ取りたぐり寄せてくる。

 1週間後? 1ヶ月後? 1年後?

 そんな不確定な『いつか』ではこっちも困る。

 ボコボコと音を立て沸騰を知らせると同時に、ポットの電源が自動的に落ちた。

「……紅茶でも飲むか」

 以前は色々と来客が多かったせいで、うちの戸棚はティーバッグであふれている。

 コーヒーや紅茶、緑茶にほうじ茶まで無駄に幅広いバリエーションが備蓄されている。

 カップに紅茶のバッグを投入したところで、一階からの呼び出しがかかった。

「一階?」

 もしクラスメイトの誰かなら、直接玄関のチャイムを押すはずだが。

 仕方なく確認しに行くと、意外な顔がそこにあった。

 居留守を使うことも出来たが、オレは素直に応対する。

 こちらから出向くことを考えていた人物が、向こうからやって来たからだ。

「少し時間をもらいたい。それとも出直した方がいいか?」

「……別に。今は大丈夫ですよ」

 しかしなんとも珍しい客人が訪ねてきたもんだ。

 モニターに映し出されたのは、この間まで生徒会長を務めていたほりきたの兄だった。

 オートロックを解除し、寮の中へ招き入れる。その間にオレはふつとうしたばかりのお湯を紅茶のバッグと共に新たに用意したカップにそそぐ。

 程なくして、玄関のチャイムが鳴らされた。

「立ち話は避けたいから上がってくれ」

「同意見だ」

 こんなところを堀北にでも見られたら、いろいろと文句を言われかねない。

 そして他の生徒にも、元生徒会長と一緒にいるところを見られるのは極力避けたい。

 堀北兄を部屋に招き入れる。

 室内に招き入れると、堀北兄はすぐに紅茶の存在に気づいた。

「丁度飲もうと思ってたから、ついでですよ」

「1年目とは言え、ずいぶんれいに使っているものだな」

「物がないだけです」

 わざわざ今日綺麗にしたことは言わないでもいいだろう。

 残念なことに、ゴミ袋から薄く見えているウェットシートたちを見て、昨日今日掃除したのだとバレたかも知れないが。

「わざわざ1年の寮にまで出向いて、元生徒会長がオレに用件でも?」

「来週で2学期も終わる。俺に残された学校生活もそう長くはない」

 実質学校に通うのは休日を差し引けば2ヶ月とちょっと。あっという間だろう。

「俺がこの学校を去る前に、お前に話しておきたいことがある。ぐもみやびに関してだ」

 南雲雅。説明は不要だと思うが、2年Aクラスにしてこの学校の現生徒会長だ。

 体育祭のやり取りや新任あいさつしか知らないが、色々と濃い人物に思える。

 しかし南雲だの何だの、そんなことはオレには関係のないことだ。

「たかだか1年の生徒に話すようなことがあるとは思えないけどな。オレはいちのように生徒会に属しているわけでもない」

 そう説明するも、堀北兄は全く気にすることなく話を続けた。

「俺もこんな話を誰かにするつもりはなかった。だが少し事情が変わった」

 事情が変わった、ねえ。

「俺はこの学校が築き上げてきた伝統をしてきた。それはこの学校の仕組みやルールに納得出来ているからであり、それが正しいものだと思ってきたからだ。しかしぐもはその根底を覆そうとしている。恐らく来年、この学校は前代未聞の数の退学者であふれかえることになるだろう」

 今はまだ表立って生徒会の活動はしていないが、それも時間の問題ということか。

「南雲が1年の時、あんたは既に生徒会長にしゆうにんしてたんだろ? だったら、南雲を引き入れた責任はあんたにもあるんじゃないのか?」

「そうかも知れんな」

 否定せず、ほりきた兄は受け止める。

「俺は生徒会に入って一つミスを犯した。それは後継者の育成に失敗したことだ。唯一才能を感じさせたのは南雲だったが、俺の方針とは違う形で大きく成長してしまった。他の2年も、ほぼすべてが南雲の支配下にあると言ってもいい」

「おかしな話だな。2年のAクラスが全員南雲を支持するのは理解できるが、それ以外のクラスにしてみれば敵のはずだろ」

「ヤツは既に学年全体を取り込んでいるということだ」

 どんな戦略を打っているのか知らないが、相当ちやなことをしているらしい。

「今年の1年で、生徒会の門をたたいたのは2人。かつらいちだった。どちらの生徒も将来性のある優秀な生徒だが、俺はあえて採用を見送ろうとした。純粋な優秀さだからこそ、南雲の支配下に置かれ影響を受ける可能性をしたからだ。だが、南雲は水面下で情報を集め一之瀬に接触し、結果として一之瀬を強引に生徒会へと招き入れた」

「そんな内情をオレにベラベラ話して何をねらってるんだ?」

「おまえが表舞台に立つことを拒否するならすずを利用しろ。これまでの試験のようにお前が裏で鈴音を動かせばいい。生徒会への橋渡しは俺がする」

「中々に無茶な話だな。あんたが生徒会にいるなら妹も喜んで引き受けるだろうが、生徒会長を退しりぞいた今、あいつは生徒会に興味を持たない。それに妹が生徒会に入ろうと入るまいとオレは何もしない」

 少し間を置き、紅茶を口に含む。

「あんたや先代たちが守り続けた伝統とやら。それが変えられるのもまた時代の流れや運命なんじゃないのか」

 そんなこと、オレが言わなくてもこの男なら分かっているはずだ。

「そうだな。そうかも知れん」

 話の流れにはつかみきれない部分も多いが、見えてきたものもある。

 ほりきたまなぶはこの学校に在籍した生徒の一人として、来年から行われていくであろう生徒会の行動を何としても止めたいと考えている。

 そしてそのために都合よくオレを利用したいと思っている。

 だからこそ、こんな1年生の寮にまで押しかけているのだ。

「邪魔したな」

 何の武器もなしにオレをろうらく出来ないことなんて、分かっていそうなものなのに。

 そうさせるほど、堀北兄の心に余裕はなかったのかも知れない。

「一応あんたの連絡先を聞いてもいいか?」

「なに?」

 オレは携帯を充電器から抜き取り、手元に持ってくる。

「妹を生徒会に入れてオレが裏で操る件、少しだけ考える時間をもらいたい」

「検討する、と?」

「断られることを前提で訪ねて来たんだ。考えるくらいしないと悪いだろ」

 こちらが思いのほか前向きな態度を見せたことに、堀北兄は逆に不信感を抱いた。

 だが、下手に聞き返すこともなく連絡先を教えてくる。

 それだけぐもみやびの生徒会を注視している証拠でもあるのだろう。

「協力してもいいと思ったら連絡する」

「期待せず待つことにしよう」

 結局堀北兄は一度も座ることなく、紅茶に口をつけることもなく部屋を後にした。

「そこまで生徒会にこだわる必要なんてなさそうなもんだけどな」

 あと数ヶ月で卒業する人間のことを考えても仕方ないのだが、少しだけ気になった。


    8


 土曜日の深夜、この地方に初雪が観測されたニュースが流れた。わずかに降った雪は明け方には溶けてなくなってしまったようだが、そのりはれたコンクリートにみずたまりとなって残されていた。しかも不思議なことに、前日に雪が降ったにもかかわらず最高気温は24度と夏日近いものとなった。はんそでで出かけても問題ないほどの天候だった。

「いよいよ来週で2学期も終わりかー。なんかちょっと実感薄いかも」

 日曜日。午前中部活にはげあきの様子を皆で見学に行った。そしてその帰りに明人を誘い、オレたちあやの小路こうじグループはケヤキモールで夕暮れまで遊び倒した。適当にショッピングしたり、カフェで雑談。昼食を取ったりカラオケで盛り上がったり。普通の学生たちが普通にすることを満喫した一日だった。

「ちなみに……こほん。あーのどが痛い」

「5連続は歌いすぎだったよねゆきむー。意外にくてびっくりだけど」

「……のどを痛めた原因は罰ゲームにあるけどな」

 けいせいは喉元の違和感と戦いながらうらめしそうににらみ付ける。

 カラオケにはフードメニューも色々あり、罰ゲームを前提としたものもあった。

 6つのたこ焼きの中に1つだけ激辛が入っているという分かりやすいものだ。

 それを引き当てた人物が残さず激辛を食べ切り直後に歌わなければならない、というなぞのゲーム。しかも歌いきるまでは水を飲むのは禁止というオマケ付き。

 意味こそ不明だが、盛り上がったからゲームとしては成立していたんだろうな。

 ただし、ゲームというにはこくで『罰ゲーム』と呼ぶべき代物ではあるだろう。

 立て続けに啓誠が激辛たこ焼きを引き当てるのが面白く、どこまで連続して引くのか試そうということになったのだ。結果は5連続。

 それだけなら意外と起こりそうな気もするが、確率にすると7776分の1だ。

「ついてない……」

「むしろラッキーなんじゃない? 今年の厄を全部落とせたと思ったらさ。今年はこれから良いことが一杯待ってるって」

「厄も何も、あと2週間ほどで今年も終わるだろ……わざとだな波瑠加」

 腹を抱えて笑う波瑠加だったが、不満げな啓誠に謝罪する。

「ごめんごめん。そんなに辛かったんだ?」

「口から火が飛び出るかと思った……激辛にも程度ってものがあるだろ」

 まだ舌に辛味が残っているのか、ウォエっと舌を出した。

「ちなみに、最後に引き当てた俺がようしておくとマジで辛かったからな」

 6連続という大偉業をしたのはあき

「じゃあまたカラオケ行ったらやろっか」

 再びの提案に、あいを含め3人が嫌そうな顔をする。

「いいけどよ、おまえが当たっても最後までちゃんと食えよ?」

「分かってるって。言いだしっぺがきようなことするわけないじゃん」

 明らかに激辛を引くことを恐れていない。

 自分が引くわけないなんてことは流石さすがに考えていないだろう。

「辛い物には相当自信があるみたいだな」

 そんなゆうしやくしやくの態度を見せ続ける波瑠加にオレは核心を突いて見る。

「あ、バレちゃった?」

「隠す気もなかっただろ……」

「超激辛ラーメンも余裕で食べれちゃうんだよねえ。むしろ好み?」

 もはや一人だけ罰ゲームのフィールドに立っていない気がするが……。

「私食べきれるかなあ……」

 ゲームの前からずっと不安を口にしていたあい

「大丈夫大丈夫。もし苦しかったら吐き出しちゃえばいいから。愛里に無理に食べさせようなんて男の子はいないはずだし」

 それはごもっともだ。あきけいせいも無理いさせることはしないだろう。

「ゆきむーもだけどさ、愛里も歌いよね。カラオケ初めてってホント?」

「う、うん。その、すごく恥ずかしかったけど……」

「後はもうちょっと声量があったらかんぺきね」

 多少もじもじしながらも、愛里は頑張ると意気込んだ。

「そろそろ帰ろうか」


    9


 そんな充実したカラオケからの帰り道。

 時刻はまだ5時前だが、既に夕日は沈み始めている。

「日中は凄く暖かかったから、今日は薄着の人が多いよね」

「昼ははんそででも通用したしな。無理もない」

 今日は暖かいこともあって全員軽装だったからな。

 あと1時間もすれば完全に冷え込んでいくことだろう。

「寒いの苦手なんだよねー」

 空を見上げてゆううつそうに言う。

 出来れば今日のような気温が続いて欲しいと願っているんだろうか。

「私も苦手だな……」

「俺は少しくらい寒い方が、部活でも汗かかなくて楽だけどな」

 この中で冬派と呼べそうなのはあきくらいなものらしい。

「また明日からは寒くなるらしいぞ」

「そうなんだ。色々用意しとかないとなあ。出費がかさみそう」

 年末に近づくに連れ本格的に雪も降り出すかも知れない。

 雑談しながらのためグループの歩みが遅くなっていると背後から声が聞こえてきた。

「今日は付き合ってくれてありがとう、さかやなぎさん」

「いえいえ。私も楽しかったです」

 そんなやり取り。振り返るといちと坂柳という、珍しい組み合わせの二人を見かけた。

 こちらのグループに気がついた一之瀬が、手を挙げて声をかけてくる。

 坂柳はオレに対して視線を向けることもなく、あくまでもこちらのグループ全体を見てやり過ごしていた。宣戦布告のようなをしておきながら、体育祭以来動きを見せている気配はない。だが、なんにせよこれから先坂柳の希望がかなうことはないだろう。

ずいぶんと珍しい組み合わせだねあやの小路こうじくん」

「……そうか?」

 どう考えてもそのセリフはこちら側のものなんだが。

 AクラスとBクラス。敵対する関係のリーダー同士が仲良く休日に一緒とは。

「私が見る限り大体ほりきたさんと一緒にいることが多かったから。少し新鮮に見えてさ」

 ぐるっとメンバーを見渡して一之瀬が言う。

「そう言えばこの間の試験、Cクラスに勝ったみたいだね、おめでとう」

 ペーパーシャッフルの結果は全クラスに発表されている。

 もちろん、AクラスとBクラスの対決の結果も同様だ。

「私たちは負けちゃったけどねー」

「点差はわずか2点でした。ほぼ変わらない実力だと思いますよ」

 結果に対して、補足するように坂柳が言った。

 好勝負を繰り広げた上位2クラスだったが、Bクラスは僅かにAクラスに及ばなかったようで、Aクラスは単独トップを維持。差を確実に広げた。

「Dクラスが勝ったということは、3学期からはCクラスに上がるかも知れませんね」

「私たちBクラスも気を引き締めないと、すぐ追い抜かれちゃうかも」

「もちろん、追いつき追い抜くつもりだ」

 冗談交じりに笑って話すいちけいせい真面目まじめに突っ込む。

「そしていずれはAクラスになる」

 啓誠の言葉に、さかやなぎは目を閉じ薄く笑うだけだった。

 その態度をこころよく思わなかった啓誠だが、今はまだDクラス。

 ここで強く出たところで無意味なことは分かっているはずだ。

 しかしメンツがあまりよくないというか、こちら側のグループは全員一之瀬と仲が良いわけじゃない。オマケに愛想笑いや世間話を無駄にするタイプでもないため自然と会話が止まる。一之瀬はそれで十分、この場に自分たちが不要だということを悟る。

「あはは、私たちはお邪魔かな。またね皆」

「失礼します」

 坂柳はオレに声をかけることも目を合わせることもなく一之瀬に続き去っていく。

 この場で下手に何かをにおわせるような不用意なはしないらしい。

「ライバル同士、よね? あの二人って」

「表現が正しいかはさておき、敵同士なのは間違いないな」

 怪しむように啓誠はメガネをクイッとさせながら二人の背中を見送る。

流石さすがは一之瀬ってところなんじゃないか?」

 どんな生徒とも仲良くする一之瀬の存在は既に周知の事実だ。

「なんていうか、一之瀬さんは私たちとは住んでる世界が違うよね……」

 ポツリとあいが漏らす。

「同じ女としてはちょっと気に入らないかな」

「なんだ、一之瀬が嫌いなのか

「別に嫌いじゃないって。好きでもないけど。ただ何ていうかすべてにおいてかんぺきすぎるっていうか理想的過ぎるっていうか。少しくらい欠点が無いと可愛かわいげないじゃない? 内面は腐ってて欲しいっていうか……」

「確かに弱点らしい弱点を持たないってのは、逆に不気味かもな。ただ腐ってて欲しいってのは言いすぎだろ流石に」

 あきもその点には同意なのか、一部波瑠加に合わせるようにうなずいた。

「そうだけどさ。完璧完全な善人なんて、漫画の世界でもお寒いって」

 ポケットに手を突っ込み、波瑠加は一之瀬の背中を見つめる。

「私は……そういう人がいて欲しいと思っちゃうな。一之瀬さんが、今波瑠加ちゃんが言ったように嫌な人だったら誰も信じられなくなりそうだから」

 そんなのは嫌だというように、愛里は不安げなひとみを見せる。

「そうね。世の中には信じられないくらいかんぺきで優しい人も、きっとどこかにはいるんだろうけどね。それが身近にいるのが実感無いだけかも」

 フォローするように、はそう付け加えた。

「俺たちはもうすぐCクラスに上がる。そしたら次はいちが敵になるんだ。そういう意味じゃ何としてでも倒さなきゃいけない相手になるんだ。変に肩入れしない方がいいぞ」

 そのけいせいの言葉は正しい。一之瀬が善人であればあるほど、戦いづらい相手になる。

 りゆうえんのような分かりやすい悪であれば、誰もそこに不要な感情を抱かない。

 しかし一之瀬の場合、オレたちのクラスは遠慮なく向かっていけるだろうか。

「……前途多難、か」

 上のクラスに上がれば、そういう戦いを必然的にいられることになる。

 背後からは逆襲に燃える龍園たちが襲ってくることだってあるだろう。

 ほりきたが一之瀬と結んでいる協力関係も、今後はどうなるか不透明だ。

 理想論だけを言うなら一之瀬たちとは手を取り合い続け、Aクラスを攻略する。

 そしてオレたちと一之瀬がAクラスとBクラスに上がったところで協定をする。

 もちろん、そう単純にことが運ぶとも思えないが。

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