ようこそ実力至上主義の教室へ 6

〇活路の兆し



 6時間目のホームルーム開始後、ちやばしら先生は即座に教室を後にした。

 不思議がる生徒たちを横目に、ひらは立ち上がるときようだんに立つ。

 これからゲームに興じるわけではない。真剣な話し合いが幕を開ける。

「今日のホームルームは明日の小テストに向けての作戦会議を行いたいと思うんだ。茶柱先生には許可を得ている。ホームルームの時間は好きに使って構わないと言ってもらえた。まずはほりきたさん、いいかな?」

 平田の言葉を待っていたのか、堀北は静かに立ち上がると平田の隣へと踊り出た。

 一部の生徒は平田と肩を並べて立つ少女に小さくはない違和感を感じたことだろう。今まで実現しそうでしなかった『堀北』『平田』のDクラス最強のタッグ。常に平田からの門は開かれていたが、それを堀北が受け入れることはなかった。常に一人で戦い、勝てると信じて行動してきた堀北。

 だがそんな堀北も体育祭という舞台で大失態を犯し、一人で戦うことの限界を知った結果、生まれ変わった。

 もちろん、全てがかんぺきになったわけじゃない。

 スイスの生物学者、A・ポルトマンは言った。人間は生理的早産の生き物だと。彼は人間という生き物は動物学的観点から見た場合、それ以外のにゆうるいとの発育状態を比べた時、おおよそ1年早く産まれると唱えた。大型動物に分類される人間だが、生まれたての赤ちゃんの時、感覚器官は既に発達しているのに対して、運動能力は未熟で一人で歩くことも出来ない。一方で他の大型動物、例えば鹿しかなどは誕生時に成熟していて自力で動き回れるそうせいのものが多い。

 その例をなぞるように、今の堀北はまだ自由に動き回ることも出来ない生まれたてだ。

 だが、それは未熟であると同時に、無限の可能性を含んでいる。

 これからどのようにも成長していくことが出来る。

 恐らく堀北の中でも葛藤は続いているはずだ。けんめいこうとしているだろう。

 今は開かれている門に身をゆだねていくことが最善であり唯一の策。

「……まず始めに。過ぎたことではあるけれど一つだけ謝罪させて欲しいの」

 すぐに期末テストに向けた話が始まると思っていたが、そうではなかった。堀北の中では数週間心の中でくすぶり続けていたことがあったようだ。

「私は体育祭でない結果を出してしまった。強い態度で臨んでおきながら、Dクラスのために何もできなかったことを謝らせて」

 そう言い、堀北は深々と一度だけ頭を下げた。その姿に、当然多くの生徒は動揺する。

 Dクラスが敗北した原因の全てを、ほりきたが背負い込むような発言だった。

 二人三脚以降、堀北と少し疎遠になっていたでらが慌てたように声をかける。

「べ、別に負けたのは堀北さんだけの責任じゃないし。頭まで下げるなんてらしくないって」

「そうだぜすずはるや博士なんて何の役にも立ってねぇしな」

 可哀かわいそうだが事実でもある。やまうちたちはどうを悔しそうににらんでいたが反論は無かった。

「勝敗を決めるのはそうだとしても、けんきよな態度であれば許されることと、そうじゃないことがある。少なくとも体育祭での私に評価すべき点はほとんど無い」

 そう言った後、堀北は一瞬だが須藤の顔を見た。それには恐らく『須藤という仲間を得たこと』以外には何も無かったという補足でもあっただろう。その気持ちを須藤がめないはずがない。少しだけテレ臭そうにほおをかきながら、須藤は白い歯をむき出しにして静かに笑う。

「けれど謝罪はここで一度終わり。次の小、期末テストに向けて私は全力で挑みたい。クラス全員が一丸となって闘わなければ乗り越えられないと思っているの」

「それは理解できるんだけどさ、対策とかの打ちようってあるわけ? ペアの決め方とか、そういうのはわかんないんでしょ?」

「いいえ。ペアの法則は既に解明されたも同然。く運べばここにいる生徒全員に理想の相手をつけることも可能よ。ひらくんお願い」

 サポート役へと回った平田が合図を受け黒板にペアの法則を書き連ねていく。


 ペア決めの法則

 クラス全体で見たとき、最高得点と最低得点の所持者がペアを組む

 次は2番目に成績の良い生徒と悪い生徒、次が3番目の~という法則に沿っていく


 例・100点の生徒は0点の生徒と、99点の生徒は1点の生徒とペアになる


「これが小テストが行われる意味とペアの法則。シンプルでしょう?」

「お、おぉーっ。これがペアの法則っ、良く見つけたな堀北! すげえぜ!」

「これくらいは多くの生徒が気づいているはず。それに大切なのはここからよ。以上のことからもわかるように、成績下位の人はほぼ自動的に成績上位者と組むように出来ているの。だけど常に例外は起こりうる。そこで確実で的確なペア分けをするための戦略を今から説明するわ」

 多くの生徒は気づいていると言うがそんなことはない。確かに以前に比べれば分かりやすいヒントだったが、これまでの失敗経験が生きているからこそ気づけたことだろう。

 ひらの横に自ら歩んで行ったほりきたが、教室の方へと振り返る。

 人前で話すことを嫌だと思う気持ちや、恥ずかしいという気持ち。

 そんな抵抗ある感情は一切含んでいなかった。ただがむしゃらに前を向く姿だった。

「これまでのテストの結果を踏まえて、点数に不安のある生徒たちを重点的にカバーしつつ、成績上位者と計画を立てて組ませたいと思ってるの。個人的に不安を抱えている生徒もいるでしょうけど、全員をカバーできないのが実情よ」

 中間テストで満点を除いて平均80点以上だった生徒は11人。90点以上となれば6人と激減する。比較的簡単だったテスト内容を思えば喜ばしいことじゃない。好成績者はクラスの半数に届かない。

 その逆に60点以下の生徒が多いことを踏まえても、全員を理想的なペア……つまり高得点保持者と組ませられないのは現実として見えている。

 そこで堀北は上下の10人ずつを強制的に組ませることで安定を図る狙いらしい。

 黒板に成績下位の人間の名前を記載していく。

「えっと、よくわからないんだけどさ。俺たちはどうすればいいわけ?」

 名前を書かれることが分かっていたやまうちが質問する。

「ここに書かれた成績下位の10人は、小テストでは名前を書くだけでいいの。成績には反映されないから0点をとっても何のデメリットもないわ。逆に成績上位10人には必ず85点以上を取ってもらう。そして残った間の生徒20人も、同じように10人ずつに振りわける。成績上位の人には最大80点を目指してもらい、成績下位の生徒には1点取ってもらう。そうすることで、期末テストに向けたバランスの良い組み合わせが自動的に出来上がるはず。ただし後できちんと詳細確認をするわ。事故が起こる可能性もあるから」

 ここで大切なのは0点を取る生徒と1点を取る生徒がペアにならないようにすること。

 極力学力に差がある生徒同士を組ませなければならない。

「僕もその案がいいと思っているよ。何も対策せずテストに挑むべきじゃない」

 あらかじめ打ち合わせていた平田から否定する意見が出るはずも無く、同調の流れを作る。

 いつもなら従うことの無いこうえんだが、肯定も否定もしない。

 というよりも、一連の全てのやりとりに興味がなさそうだ。堀北以上にクラスにめていない。だが今回その態度を続けるのは最善策と言えるのだろうか。

 いつも試験に対して真剣に取り組もうとしない高円寺だが、常に退学となるような結果だけは避けている。

 しかし今回の『強制ペア』となれば、下手な点数は取れないだろう。確率はかなり低いが、パートナーの出来によっては満点をいくつか取っても失格となるかも知れないのだ。

 そういう状況であれば関心がないフリをしながらも、この試験には協力的であってくれるのか。

 いや───そういう意味じゃこうえんはどう出るか逆に読めない可能性がある。

「高円寺くん。あなたも異論ないかしら」

「異論などありはしないさ。ナンセンスな質問だよ。試験内容も当然あくした」

 机の上に長い足を放り出したまま、いつものように髪をげる。

「じゃあ、あなたは確実に80点以上を取ってくれると期待して良いのかしら」

「さぁどうだろうねえ。それはテストの内容次第だろう?」

「もしあなたが意図的に0点を取って、成績上位者と組むようなことがあればバランスが崩れてしまう恐れがある。その点だけは理解しておいてもらえるかしら」

 小テストに向けて恐れるべきは、イレギュラーな得点だけ。高円寺のように学力が優秀な生徒がわざと手を抜けば、それだけでバランスは崩壊する。ほりきたと高円寺のような高学力ペアが誕生してしまうことは避けなければならない。

「じっくりと検討しておくよ。ガール」

 なんとも怪しい高円寺の答え方だが、今はこれ以上詰めようも無い。

 本番の期末試験の点数は操作のしようがないのだから。


    1


 そして翌日。小テストの時間はあっという間にやって来た。

 すぐにテストを始めると思っていたが、担任であるちやばしら先生は先に1つ話を始めた。

「これから小テストを行うが、その前にひとつ報告しておく。今回おまえたちが希望してきた期末試験でのCクラスへの指名だが───他クラスと被ることはなかったため承認された」

「AクラスもBクラスも、私たちDクラスを指名したということかしら? なんにせよ学力の低いCクラスへの挑戦権をうんてんに頼らず得られたことは大きいわね」

 まずは第一関門を突破できたようで、堀北があんする。次はどのクラスがDクラスを指名したかだ。

「そしてDクラスに問題を出すことになったクラスだが───Cクラスで決定した。こちらも指名が被ることは無かった結果によるものだ」

 つまり今回の戦いはDクラス対Cクラス、Bクラス対Aクラスという形式か。

「理想的な組み合わせになったわね」

「そうみたいだな」

 指名が被らなかったということは、つまり上位クラスはそれぞれ直接対決で差を広げるため、詰めるために強敵を選んだ。そういうことなんだろう。

 そこから透けて見えてくるのは、Aクラスの相手の指定はさかやなぎがしたであろうということ。かつらならば勝つ可能性が高い下位クラス、Dクラスを指名したであろう。

 更に葛城の求心力が低下していることも予測できる。

 ほりきたの希望通りCクラスを指名していたことが生きた形になった。

「それにしても今からテストだというのに、いけやまうちも顔色が良いな。テスト前には目の下にクマを作ってくることも少なくないが秘策有りと言ったところか?」

「へへへ。まあ見ててくださいよ先生」

 自信満々な池たちだが、それもそのはずだ。誰も勉強などしていないのだから。

 このテストで恐れるべきポイントは中途半端に点数を取ってしまうこと。テスト内容は限りなくレベルが低いとのことだが、もし1問も分からなければ最悪名前だけ書いて白紙提出でも構わない。真剣に挑む方がリスクの高まる特異な小テストだ。

 ちやばしら先生もそれを見抜いていないわけが無い。

「後で後悔だけはしないようにな。真剣にテストに向き合った方がいいぞ」

「な、なんすか真剣って。成績とかには影響しないんですよね?」

「もちろんだ。成績への反映は全くない」

「だったら点数取らなきゃあんたいっすよ」

「おまえの思い通りであるなら、な」

 不安をあおるような言い方に、池たち勉強ほう組が一瞬静まり返る。

「点数とっておいた方がいいんじゃねえか……?」

 その言葉にどうも思わず落ち着きが無くなった。

「惑わされないようにしなさい。私たちの計画に間違いはないわ」

 慌てる生徒たちを黙らせる堀北からの冷えた一言。瞬時に須藤は冷静さを取り戻した。

「……だな。すずを信じてやるだけだぜ」

 それを見ていた茶柱先生も、クラスの空気が戻ったことを確認しプリントを手にした。

「さて、それでは小テストを行っていく。くれぐれもカンニング行為はやってくれるな? たとえ成績に関係なかろうとカンニングすればようしやないペナルティを科すぞ」

 列の先頭にプリントを渡し後ろに回させる。

 テスト開始までは伏せるよう言われているので、手元に回ってきたプリントをすぐ裏にする。

「心配にはならないか? ペア選定の方法が合ってるかどうか」

「ならないわ。今回に関しては確信を持っているもの」

 茶柱先生の言葉に堀北が動揺した形跡は全くない。だからこそ池たちをいつかつできた。

 導く者に不安や恐れがあればそれもでんする。

 きざし、変化。以前までのDクラスではない、変わり始めた生徒たち。

 それはまだほんの少しだけだが、日々顔を突き合わせている担任なら色濃く伝わったんじゃないだろうか。

「始め」

 合図と共に小テストが幕を開ける。

 オレはゆっくりとプリントをひっくり返した。

「っと───」

 思わず声が漏れてしまう。多分驚いたのはオレだけじゃないだろう。難易度が低めに設定されているのは想定されていたが、本当にレベルが低い。

 小学生の高学年が解いても大抵の問題を正解するレベルだ。もちろん、中には多少難易度が高めの問題もあるが、慌てなければいけたちでも60点近くは取れる。

 甘いわなだ。万が一不注意に飛び込んでいればさんも起こり得た。だがそれをほりきたが制したことで、Dクラスが理不尽な結果におちいることはないだろう。


    2


 小テストは問題なく終了し、翌日の4時間目に早くも返却日がやって来た。

 これまで、Dクラスはどんな試験に対してもまとまりを欠いたまま挑んできた。

 それに比べれば今回は上出来すぎるほどの一体感が生まれている。

 ペア制度や問題作成、それに伴う競争などはあるにせよ、今回の特別試験のルールがシンプルなことも大きな好材料かも知れない。ただテストをして良い点を取る。

 小学校に上がって高校にいたるまでの9年以上にも渡って繰り返されてきたこと。

「出番がなさそうで何よりだ」

 ありがたいことに、内から出た言葉は本音だ。

「それではこれより、期末テストに向けたペアの発表を行う」

 返ってきた小テストの結果が貼りだされて行く。

 堀北すずどうけんひらようすけやまうちはるくしきようと池かんゆきむらてるひこがしらこころ

 ほぼ予定通りのペアが発表されていた。ちなみにオレはというと───。


 あやの小路こうじきよたか……とう


「悪い意味で神ってるな……」

 なんてところを引き当てるんだ。そう思いたくなるようなパートナーだ。

 佐藤もオレがペアの相手だと気づいたようで、振り返り視線を向けてきた。笑顔で。

 一応ちょっとだけ手をあげて気づいていることを伝えておく。

こうえんくんも、流石さすがに今回は合わせてくれたみたいね」

 こうえんのペアはおきだった。その結果を見るにしっかりと高得点を取ったらしい。

 まああいつの場合は毎回テストで高得点を出しているから、いつも通りやっただけとも取れるが。結果には目もくれず腕を組んでニヤニヤと意味不明に笑っている。

「この結果を見るに、おまえたちの中には小テストの意図を理解していた者がいたようだな。そしてその理解をクラスで共有できていたことも確認できていた」

 張り出したペアの一覧を見てちやばしら先生が感心する。

「点数の最大点と最小点の差が広い生徒から順にペアを組む。点数が等しく同じ場合にはランダムで選ばれることになっている。もはや説明は不要だろうが伝えておく」

 この点は驚く必要はないが、読みが当たっていて一安心と言うところだろう。

「組み合わせ、露骨に厳しいところはなさそうだな」

「ええ。ここまでは怖いくらいに順調ね。だけど本番はこれからよ。どうやって問題を作っていくか、どうやって期末試験を乗り越えるか。あなたのペアはとうさん。無難ね」

 特に意図したわけじゃなかったが、元々上位と下位以外、つまり戦略外の点数を取る生徒は半数存在したため確率的には十分起こり得たことだ。好都合とも言えるか。

 佐藤は赤点候補者だ。こちらが高めの水準で点数を押さえておく必要はあるな。

「あとはクラスの平均点を高めるために期末テストまでの間勉強会を開くわ。今回はひらくんやくしさんたちとも協力できるから、1日2部制にしようと思っているの。学校終了後の午後4時から午後6時までの2時間勉強する1部と、部活動組に配慮した午後8時から午後10時の2部。それぞれ持ち回りを決めてやるわ。よろしくね平田くん」

「僕は部活組だから、当然2部を担当するよ。協力して頑張ろう」

 実に堅実だな。教えられる人間が増えたからこそ取れる戦略だ。

 それからほりきたと平田の話し合いで二度三度と勉強会の方式がまれ、細部が決まっていく。

 1部の監督役に堀北。2部の監督役に平田が就任。勉強会の全体を支えつつ、得点に強い不安を覚える下位メンバーへの指導を徹底していくことが決まる。櫛田は1部2部両方に出席しつつ、特殊な立ち回り役で、50点前後で不安を覚える生徒たちに指導し勉強を教える役を買って出てくれた。中間層はでらいちはしといった女子が多い。

 とは言え問題点が無いわけじゃない。

 教わる生徒数は一学期の時と違いはるかに多い。対して教える役は現在3人。

 当然人数に開きがあればあるほど、勉強の効率は落ちてしまう。

 昼休みになるなり、堀北の下に平田やどうたちが集まってくる。

「クソ、すずが2部じゃねえのかよ。やる気でねーな」

 部活のため1部に出席することの出来ない須藤は今回堀北に指導を仰げない。

 堀北が唯一のモチベーションでもあるだけに嫌そうだ。いつもならここで悪い癖が出る。

「誰が教師役でもやる気を出してもらわないと困るわ。大丈夫?」

「……やるさ。ペアだしな、俺が頑張らなきゃダメだろ」

 巨体で暴れ馬などうを見事にコントロールしてるな。あっぱれ。

「あなたの頑張りが私の評価にも反映される。そのことを理解しているなら良いわ。それに極力夜の部のほうにも顔を出すようにするから頑張って」

 最後の仕上げとばかりにほりきたが須藤を軽く持ち上げる。

「おっしゃ。ぜんやる気が出てきたぜ。よろしく頼むなひら

「こちらこそ。一緒に頑張ろう須藤くん」

 堀北とのペアが決まったことで、更に須藤の気合いは十分なようだ。

 しかしここに来て、思いがけない問題も発生してしまう。

「……少し相談したいんだがいいか」

 堀北たちの下にやって来たのは、オレとはほぼ会話したことのない生徒だった。

 困ったような、申し訳ないような表情で話しかけてきた。

三宅みやけくん? どうかしたの?」

 Dクラスに在籍する三宅あき。それから美人と男子でも話題になるの2人だ。

 この2人は日頃から物静かで誰かとからむ様子をほとんど見かけない。意外な来訪、意外な組み合わせだ。

「2人は確か───今回の期末試験じゃペアを組むことになってるよね?」

 共通点を見いだした平田が聞くと、三宅が事の次第を話し始めた。

「俺たち試験でペアになったんだけどな、どっちもテストの得意不得意が被ってるんだよ。それでちょっと困ったからアドバイスもらいたくてな」

 そう言い、小テストと中間テストの答案用紙を平田に差し出した。

 ペアを決める小テスト、その互いの平均点は対照的で三宅が79点、長谷部が1点と狙い通り離れている。堀北が目指していた成績上位と下位の生徒でくペアが組めているように見えた。だがここに誤算があった。2人の中間テストの平均点数は三宅が65点、長谷部が63点。学力に差は殆どない。クラスの丁度中央付近で上位と下位に振り分けられた生徒だ。一見どちらもそこそこのレベルで点数を取れそうだが、そこに落とし穴があった。

 二人の不正解のけいこうがあまりに類似していた。つまり苦手な部分がそっくり一緒だということだ。期末試験では1科目60点が必須になる。危ない橋になるだろう。

「なるほど、それはちょっと想定外だったわね。他のペアの確認も後でしましょう」

「悪いな平田、また頼って。クルーズ船の時といい体育祭の時といい、面倒ばかりかける」

「謝ることはないよ。困ったときはお互い様だからね」

 そう言えばそうだったか。三宅は体育祭の時、最後のリレー前に足を痛めてけんしたんだったな。既にの方は完治しているのか動きに問題はなさそうだ。

 ふとそんなことを思い出したが、詳細の程はオレには分からない。

 三宅みやけ、互いの答案用紙は正解と不正解が非常に似通っている。

 どちらも同じ人物が解いたと思うほどにけいこうが似ているのだ。

 点数である程度、学力調整は出来ても、全ての生徒をかんぺきにペア分け出来るわけじゃない。イレギュラーなペアが生まれてしまうのは仕方がないことだろう。

「でも参ったわね。あまり勉強の範囲ややり方を複雑にはしたくないのだけれど……」

 テストの内容を見るに、2人ともけして頭が悪いわけじゃない。得意不得意がハッキリしすぎているのが問題だった。全体的に勉学が苦手などうたちとは少し違う異色組。

 こうなると教える側の手がますます足りなくなる。

 本来ならマンツーマンで勉強を教えたいくらいなのだ。

くしさん。あなたに追加で頼めないかしら。かなりの大人数になってしまうし、ちょっと勉強の癖が強い2人だけれど。総合点では見劣りはしないはずだし」

「うん。私のほうはいいよ? 三宅くんと長谷部さんさえ良ければだけどっ」

 櫛田はそう2人に問い掛ける。三宅は肯定も否定もしなかったが、長谷部は違った。

「私はパスかな。いちはしさんたちとは相性良くないし」

 そう応えて拒否した。幸い市橋たちは教室には残っていなかったので会話は聞かれていない。

「それに大勢で勉強会って柄でもないしね」

 どうやらひらを頼ってきたのは三宅の意見らしい。

 最初から長谷部は一歩引いたスタンスだと思ったが、三宅の意見に賛成していなかったようだ。

「けれど2人の不得意な部分は相当似ている。このまま期末テストに突入すれば総合点はクリアできても、各科目必要な最低60点を下回る可能性も出てくるわ」

「そうだけどね」

 長谷部はやや不服そうに、ほりきたから視線を外した。そして背を向けて歩き出す。

「どこに行くんだよ」

「みやっちー。誘ってもらったとこ悪いんだけどさ、やっぱ私には向いてないやり方かな」

 そう断り長谷部は一人教室を出て行ってしまった。

「悪いな堀北」

「私は構わないわ。あなただけでも櫛田さんに混ぜてもらう?」

 最悪苦手な科目を三宅が補うことで、カバーは効くだろう。

「……パスだ。女だらけの中で勉強する気にもなれない。自分でやってみる」

 そう言い三宅も引き下がった。そうして自分の席にあるかばんつかんだ。堀北にも他人を強制することは出来ない。自分の意思で勉強会に参加しなければ成果はほとんど得られないし、真剣に取り組む生徒たちの士気も下げかねない。

「どうしようか。出来ればあの2人はフォローした方が良いと思うんだけど」

「そうね……他に教えられそうな人がいればいいのだけれど」

 チラリとほりきたがオレのほうを見てきたので、しっかりと目で断っておく。教える技量があるかないかは別として三宅みやけとコミュニケーションを取れると思えない。

 その時点でオレという存在は除外されるはずだ。

「私のほうで時間を作れないか調整してみるわ」

 考えた末、自分が動くしかないと判断した堀北が話を締めくくろうとする。

「それは反対かな。これからの長期戦を考えれば間違いなくオーバーワークだよ。結果的に学習効率が落ちてしまうんじゃないかな。堀北さんにはCクラスへの問題作成の仕事もあるしね」

「けれど他に手が無いのなら仕方のないことでしょう?」

 それ以外に手はないと判断したからこその、堀北の強行発言。

 ひらはやめるようアドバイスは出来るが、それを止める手立ては持ち合わせていない。

 堀北が三宅たちの面倒を見る。その流れで決まりそうな時だった。

「だったら俺が面倒を見る」

 話し合いの輪にいなかった一人の生徒が近づいてきた。

 そう話に入り込んできたのはゆきむらだった。

「幸村くん、あなたが協力してくれるなら歓迎するわ。勉強への取り組み方も、それに見合った学力も持っているし。でも構わないの? こういったいは好きじゃないと思っていたから」

「少なくとも、協力しなきゃ今回の試験はかんぺきには乗り越えられそうにないからな。堀北だってそうだろ。だから自分で全て引き受けようとした」

 体育祭までと違う、変化した堀北を見ているからこそ、幸村も行動しなければならないと思ったのかも知れない。

「ただ一つ別の問題がある。俺は勉強は教えられるが三宅や長谷部とのつながりはない。さっきの2人の様子を見るに一筋縄じゃいかない気もする。2人を説得して勉強会に連れ出す方法はそっちで考えてもらいたい」

 2人を連れて来ることが出来るなら引き受ける、という条件付きだった。

 もちろんその条件はあってないようなもの。ありがたいすけの登場に堀北は喜んだ。

 敵兵に追い込まれ、きゆうへとおちいった主人公に、上空からヘリで救援に駆けつける映画の仲間のようだ。

「わかった。2人を呼び出す方法はこちらで考えておくわ」

 幸村は最低限の約束事だけ取り付けると、何事もなかったかのように教室から去っていった。

「ひとまず良かった、ってことでいいのかな?」

「そうとも限らないだろ。考えておくって、おまえもないだろ2人とのつながりは」

 突っ込まずにはいられなかったのでほりきたに突っ込んでおく。

「……ひらくん、彼らはゆきむらくんに素直に従うかしら」

「どうだろう……知ってると思うけど3人はそれぞれ一人が好きなタイプだしね。ただ幸村くんの性格とか考え方と合うかどうか、そこには少し不安があるかも」

 それを聞いた堀北は少し考えた後、何を思ったかオレを見て来た。

「ねえあやの小路こうじくん。あなたに幸村くんたちの管理を任せても構わないかしら」

「管理?」

「あなたは船の上で幸村くんと同室だったこともあるし、多少は融通が利くんじゃないかと思ったの。三宅みやけくんやさんとのせつしようは難があるかも知れないけれど、あなたが間に立ってくれれば私たちとも連絡が取りやすいんじゃないかしら」

 そんなことを言い出した。そりゃ、消去法でいけばまだマシな方策だろう。その3人の中には堀北と都度連絡を取り合えそうな人間がいないからだ。

 だからってオレに白羽の矢を立てるのか。せつかく出番がなさそうで喜んでいたのに。

「嫌そうね。あなたは私に協力してくれるんじゃなかったのかしら。あくまでも管理をするだけで勉強を教えて欲しいとも言わない」

 管理するだけというが、その管理ってやつは一筋縄ではいかないだろう。

「頼めるわね?」

 もはやおどしに切り替わり始めた堀北のプレッシャーを受け、オレはうなずくことしか出来なかった。

 ここは考え方を一新しよう。

 この件を引き受けることで堀北の面目は立つし、角は立たない。

 要はこれ以上何かをさせられるようなことにはならないはず。一番面倒なのは勉強を教えたり問題文を考えたりすることだからな。

「やれるだけやってみるさ」

 そう答えて、堀北に見えないところでため息をついた。


    3


 放課後、早速行動を起こすべく準備を始めた。幸村に声をかけ、次に三宅に声をかけにいく。これから勉強会を開くためだ。あらかじめ平田に頼み2人には事前しようだくをもらっている。

「あれ、長谷部は?」

 授業が終わるやいなや、か教室から消えていた。

「逃げたのか?」

 ゆきむらがやや怒ったようにつぶやく。

「長谷部はそういうヤツじゃない。多分先に行ってるんじゃないか?」

「なんで先に行く必要がある」

「色々あるんだろ」

 三宅みやけは長谷部のことをよく理解しているようで、特別心配してはいなかった。

 ひとまず勉強会の予定地であるパレットへと向かう。

 するとカフェに通じる廊下の途中で、長谷部の姿を見つけた。

「なんで先に行ったんだ」

 長谷部の姿を見つけるなり幸村が詰め寄る。

「なんでって目立ちたくないから? クラスの中だとちょっとねー」

 長谷部はあいまいに答える。それを幸村はくつじよくと捉えたようだった。

「それは俺たちと話している姿を見られるのが嫌だってことか」

「そういうことじゃないって。私にも色々あるからさ」

「気にするなよ幸村。長谷部はいつもこんな感じのヤツだ」

「ここで立ち話してると席埋まりそうだし、とりあえず移動しないか?」

 怒りたくなるゆきむらの気持ちも分かるが、ひとまずうながす。

 事実放課後を迎えたパレットには続々と生徒が集まり始めている。

「そうだな……席が埋まると面倒だ。行こう」

 すぐに落ち着きを取り戻した幸村が先陣を切っていった。

「おまえももうちょっと発言に気をつけろよ」

「そんなに気にさわる言い方だったかな。ちょっと反省」

 どうやらも、悪気があったわけではないらしい。

 何とか4人座れる席を確保することに成功し、改めて場を仕切りなおす。

「えっと、まぁ。とりあえずよろしく」

 オレの隣に座る幸村、正面に座る長谷部。そして長谷部の隣に座る三宅みやけ

 どこをどう転べばこんな集まりが出来上がるのか分からないが、とにかく違和感だらけの4人組が出来上がっていた。

「一応何か質問があれば先に受け付けるけど」

 オレがそう聞くやいなや、紅一点の長谷部が軽く手を挙げてから言った。

あやの小路こうじくんってしやべるんだ」

「……いきなり出てきた質問がそれか」

 長谷部は少し興味深そうにオレを見上げる。立って話すオレが不思議らしい。

「なんていうか、全然印象なかったから。休んでても気づかない生徒みたいな?」

 日頃長谷部と会話することはないからな……そんな印象を抱かれても仕方がない。そんなコメントに対して、三宅は体育祭の話題に触れてくる。

「けどこの間のリレーすごかっただろ。アレで一躍綾小路は注目の的だ」

「みたいね。でも私お手洗い行ってて、綾小路くんの活躍する姿を見てなかったんだよね。だから不思議な感じ。前の生徒会長と競走したんでしょ? 体育祭終わった直後は話題で持ちきりだったっけ」

「中学の時陸上部だったのか綾小路? それに、あの姿を見たら陸上部とかのスカウトが来ただろ」

「あー、まぁ多少勧誘は受けたけど。でも断った」

 結局あんなものは一過性のもので、いつまでも続くような熱じゃない。陸上部の連中ももうオレのことは話題にもしていないだろう。足が速くても部活に興味がなければ意味が無いわけだ。

「部活も、正直したことがないから、勝手も分からないしな」

「そうなのか。もつたいいな」

 オレの話題が続く中、幸村は一言も発さずに会話を聞き続けていた。その様子を気にかけることもなく長谷部が話題を三宅へと移す。

「みやっちは弓道部だっけ。毎日弓飛ばして楽しいの?」

「楽しくなければやらない。ちなみに飛ばすのは弓じゃなくて矢な」

 そりゃそうだ。

「私は部活に興味ないからなぁ。毎日楽しく過ごせればそれでいいし」

 今まで感じていた印象とは2人ともずいぶん違うな。思ったよりも良くしやべる。

「ってみやっち、部活はいいわけ?」

「休んだ」

「あっさりしてんねー」

「優先するものがある時くらいはそうするさ。特にペナルティもないゆるい部なんだよ」

「ちょっといいか。勉強会を始める前にひとつ言っておきたいことがある」

 黙って話を聞いていたゆきむらが落ち着いた様子で口を開いた。その視線が捉えたのは三宅みやけでもでもなくオレだ。

「体育祭のように隠し事は無しだぞあやの小路こうじ

「え? なんのことだ?」

「勉強の方だ。ほりきたからは結構出来ると聞いている」

「……あいつ」

 オレの知らないところで、幸村に余計な吹き込みをしてくれたらしい。

「まあ暗記は比較的得意だ。集中的にやればある程度点数は取れると思う」

 これくらいは言っておかないと、幸村の信頼を得るのは難しいだろうからな。

「やれるけどやらないタイプか」

「幸村にはかなわない。あまり過度な期待はしないでくれ。教えるのも苦手だしな」

「分かった。おまえも1点でも多く取れるように真剣に取り組んでくれ。俺が教えるんだから中間テストより高い点を絶対取ってもらうからな」

 早速というように、幸村が口を開く。

「指示していた通り、1学期と前回の中間テストのテスト用紙は持ってきたか?」

「一応ね」

 長谷部が答え、三宅もうなずいた。そしてかばんからプリントを取り出し幸村に渡す。

 オレは横目でプリントを見ながらその中身を同時に確認していく。そこから出る結論。

「2人とも見事な理系だな。文系教科のほとんどが壊滅的だ」

 2人とも数学の点数は70点ほどと比較的高得点だが、国語や世界史に関しては40点ほど。これなら2人が心配になるのも頷ける。

「2人とも仲が良いとは思ってなかったが、得意不得意が被ってると良く知ってたな」

「前に図書室で勉強してる時長谷部に声をかけられた。その流れだ」

「私もみやっちも比較的、孤独組だしね。クラスにみきれないんだよねえ」

 クラスと距離感を保つ2人は特定のグループに所属していなかった。それもクラスにんでいなかった大きな原因か。

「そういう意味じゃ俺も同じだ。基本的に今存在するグループには違和感がある」

「じゃあなんで今回はグループ作ることに賛成したわけ?」

「別にグループってほどじゃない。ただの勉強会だ。それに少数なら静かだろ。自分自身が勉強するのに邪魔にもならない。そういうわけでこれから勉強方法を考えていく。悪いが少し時間をもらうぞ」

「了解。適当にお茶して待ってればいいんでしょ?」

 早速というように携帯を取り出しくつろ。今の時代携帯さえあれば簡単に時間つぶしができるからな。オレも適当に携帯をいじってるか、どうするか。

 オレはふと視線を感じ、何となくその方向へと視線を送った。

 すると数人の男子生徒がこちらの様子をうかがいながらどこかへと電話していた。

 見覚えのある生徒3人。全員がCクラスだ。中心にいるいしざきだけは名前が分かる。

 面倒なことに巻き込まれなきゃいいんだが───。

 しかし石崎たちはこちらにからむことなく、時折視線を送りながらもパレットのレジ横に置かれてあるショーケース前まで足を運んだ。そこはドリンクと一緒に食べたり、持ち帰ることが可能なケーキが陳列、販売されている。特にいちごのショートケーキとモンブランが人気なようだが、詳細のほどは分からない。購入希望者だと判断した店員は生徒に注文を聞くがどうにも難航しているようだ。一向にショーケース内に手を伸ばす気配はなく、段々と困ったような申し訳ないような表情に変わっていく。

「なんとかなんねーのかよ!」

 しびれを切らした石崎が叫ぶと、騒がしかったカフェ内が一瞬大きくボリュームを落とす。

「そうおつしやられましても───そういった特注のケーキであれば、あと1週間は早めに言って頂かないと対応が難しく……とても当日では対応できません」

 そんな対応の声が聞こえてくると共に、再びパレットは何事もなかったかのように騒がしくなる。

「なにあれ」

 長谷部がペンをクルクルさせながら、石崎たちを少し気持ち悪そうに見る。

「さぁな。俺たちには関係ないことだ」

 ゆきむらは関心を示すこともなく、2人の中間テストを見て何かを書き出していた。苦手としている部分がどのあたりで、どんな対策をするべきか練っているところか。

「ケーキか……」

 石崎たちの話に興味があるわけじゃないが、そう言えば明日はオレの誕生日だったな。

 正直普通の人が抱くような誕生日の過ごし方のイメージは全く持ち合わせていない。ただひとつ歳を重ねた、というだけのものだった。

 何も知らなかったわけじゃない。誕生日が家族や恋人、友達に祝ってもらう日だということは知っている。その時の感情が分からないだけだ。

「どったのあやの小路こうじくん」

「何でもない」

 明日は10月20日。

 この学校には数多くの生徒、従業員、教師等が在籍している。

 同じ誕生日の人間が一人二人いてもけして不思議なことじゃないな。

 オレとの違いは祝ってもらえる存在かそうじゃないかだけ。

 来年の誕生日は、誰か一人にでも認知されているんだろうか。


    4


「私コーヒーのお代わりもらって来る」

「俺も」

 パレットでゆきむらが2人のテスト結果を確認し始めて30分余りが経過した。まだ幸村が顔を上げる様子はなく、今しばらくチェックと方針を決めるのに時間を要しそうだ。

 三宅みやけが空になったカップを手に取り店のカウンターへと向かう。パレットは同日に限ってだがレシートを持参することで2杯目を半額で飲むことができる仕組みになっている。安くてしく、そして量まで申し分なしのコーヒーを飲めると日に日に1年生の間でも人気を広げているようだ。長谷部と三宅の2人は既に3杯目を飲もうとしていたが、教える側の幸村は1杯目のコーヒーがまだ半分残っている。真剣な目を教科書とノート、そしてテスト用紙に順序よく落としどうやって勉強させていくかを考えているようだった。

「大変そうだ」

「人に勉強を教えるなんてほとんどやったことがないからな。昔中学のバカな同級生に一夜漬けで勉強を教えたことがあったが、とても耐えられるものじゃなかった。そもそもそいつは勉強の基本が出来ていないから物事に集中することも出来なかった」

 その時のことを思い返すように、幸村は一度ペンを置いて天井を向いた。

「俺はその時の無駄な時間が今でも忘れられない。人に勉強を教えるなんて、それこそバカのすることだと思ってた。1学期にほりきたとおまえが赤点組を集めて勉強会を開いた時も、正直心の中では笑ってたんだ。ひらたちの勉強会もそうだ。無駄なことをしてなんになるって。勉強の出来ないヤツはそもそも勉強が嫌いなヤツが殆どだ。一日二日勉強して、テストで赤点をまぬがれて、それで勉強した気になる。そんな勉強、身に付くこともない無駄なものなのになって」

 毒を吐くというより、ゆきむらはただ純粋な本心をつぶやいているように見えた。

「じゃあ、何で今回教えることにしたんだ?」

 それも今回の試験は、幸村が以前教えたという一夜漬けの時とは比べ物にならないほど内容的には大変だ。徹底的に勉強しなければ乗り越えられない、高い難易度が予想されている。幸村の背負うものはけして軽くない。万が一三宅みやけペアが退学することになれば幸村自身にも責任が重くのしかかる。その時には、2人の自己責任という事実を通り越し、もっとく教えれば良かったと後悔する。幸村はそういう人間だ。

「体育祭で俺は何も役立てなかった。不要だと切り捨てて来たものに足元をすくわれた。捨てたものが運動か勉強か、その違いだけしかないだろ」

 勉強の出来ないいけやまうちどうたち。運動の出来ない幸村。それはジャンルこそ違えどこの学校ではイコールだと判断しての今なんだろう。

「この学校は勉強が出来るだけじゃダメだ。運動が出来るだけでもダメだ。そしてその2つを兼ね備えたとしてもまだ足りない。ほりきたひらのような文武両道な人間でも、きっとそれだけでは乗り越えられない。かんひらめき、センス。とにかく人間社会において必要不可欠なものを次々と要求してくる。こうなると、もう個人じゃお手上げだ。必要になってくるのはそれら全てを補えるチーム。団結。それしかないだろ」

 この学校に入学してからここまで幸村は様々なじゆうめたのだろう。

「だから協力することにした。俺は俺に出来ることでクラスにこうけんすると」

 それがもっとも、自らが得意とする勉学ということだ。

「勉強だけ出来れば良いと自分勝手な感情を抱いていたことに気づいたのも理由だ。俺は身勝手だった母親を思い出すことで、それに気づけたんだ。だから自分を見つめなおすことが出来た……いや、今の話は余計だったな。忘れてくれ」

 我に返った幸村はそう言って話を中断し、天井から視線を外した。

「多分、池たちを受け持っていたら俺はもっと苦労しただろうな。三宅にしても長谷部にしても、勉強に対して真面目に取り組む力は持ってるからやりやすい。それに理系を得意としてるだけに飲み込みだって悪くない。どこまで出来るようになるかは分からないけど、少なくともかなりの向上が見込めるはずだ」

 前向き……いや、2人と接した上での手ごたえと見るべきか。はたに観察していただけだが、確かに三宅にしろ長谷部にしろ勉強に取り組む姿勢は悪くない。着眼点や理解力も中々のものだ。だからこそ、幸村もそれに応えようと真剣になったんだろう。

「トイレに行ってくる」

 長谷部たちもまだ戻らない。

 勉強開始までしばらくありそうだったので、オレは一度席を立った。というのも、先ほど感じていた視線はいしざきたちだけのものではなく、他にも感じたものがあったからだ。

 はっきりとそちらを見ることが出来なかったが、ある人物からのひそかな視線があった。ゆきむらは席を立つオレに目をくれることもなかったので、そのまま隣の席へと移動する。そいつはオレに気づかれているとは思っていないのか、気配を殺すように背中を丸めた。

「ずっと一人で何をやってるんだ、くら

「ひゃうっ!?」

 びくっと背中が跳ね、恐る恐るオレを見上げる佐倉。

「ぐぐ、偶然だね、あやの小路こうじくんっ」

「そうか偶然か」

「偶然、だよ」

「時折こっちを振り返って直視してたように思ったんだけどな」

「それは───その……ごめんなさい……」

 佐倉にはうそつらぬき通す自信は最初からなかったのだろう、すぐに自白した。

「何かオレに話があった、ってわけでもないよな」

 それならここに来る必要はないし、緊急なら電話なりメールなりを入れてくるはずだ。

 他の連中に用事が、ってタイプでもないところを見ると───。

「おまえも勉強会に参加したいのか?」

「なな、なんで、なんでっ!?」

「まぁ言ったらシンプルな理由だが、かばんから勉強道具が見えている」

 いちいちノートを持ち帰る必要がないのに、それらがあるってことはそういうことだ。

 一人で勉強する生徒も大勢いるが、佐倉はこんな人ごみを絶対に選ばない。

「あうあう……」

 しまったと鞄を閉じるが、もう遅い。その態度自体がイエスと言っているようなものだ。

「ウチの勉強会でよければ参加するか? 声をかけてみるけど」

「で、でも私……他の人たちとほとんど話したことも無いから……」

 佐倉がオレたちのテーブルに近づけないでいるのは、人と接することを苦手としているためだ。聞かなくても分かる。

「自分なりに何か思うことがあってここまで足を運んだんだろ? 今までの佐倉だったら、このパレットに来て機会をうかがうことも出来なかったはずだ」

 大小さまざまなグループが混在するような場所で、一人顔を伏せ続けるのは簡単なことじゃない。何度も逃げ出そう、帰ろうとしたはずだ。

 それでも今、まだここに残っていることが、佐倉の心理状態そのものを表している。

「どうするかは佐倉が決めろ。オレがいるから大丈夫、大丈夫じゃないを物差しにして計らない方がいい。幸村、三宅みやけたちがどう感じるか、どう思うかを想像するんだ」

 その言葉にくららくたんしたかも知れない。

 どうして私を受け入れる態勢を作ってくれないのかと、うらんだかも知れない。

 しかし、その佐倉の待ちのスタンスには良い時と悪い時がある。

 佐倉のステップアップを思えばこそ、今回は距離を置いて見守るのが最善策だ。

 もちろん、それにはある程度の根拠もある。

 まだ接したばかりではあるものの、三宅みやけたちは他のクラスメイトに比べて接するハードルが低いように感じるからだ。オレ自身が実際そう感じている。佐倉も似た感覚を覚えてくれるに違いない。

「どうするかはおまえがゆっくり考えればいい。オレたちはあと1時間はここに残って勉強してるだろうし」

 少し冷たいようだがそれだけ言い残し、佐倉から離れた。あまり長い間佐倉の席のそばで話していると、人の行き来が多いカフェとはいえすぐにたちに気づかれる。

 自然な流れで席に戻る。ゆきむらはオレの方をいちべつしただけで特に何か言うことはなかった。

 それから2分ほど待ったところで声がかかる。

「おまたー。それでチェックは終わったんかな?」

「もう少しだ」

 幸村は作業ペースを上げる。

「あ、そいえばさあやの小路こうじくん。ちょっと聞きたいことがあったんだけど」

「やめとけ長谷部」

 何かを質問しようとする長谷部を止める三宅。

「いいじゃん。聞いたって減るもんじゃないんだしさ」

「そういう問題かよ。時と場所を考えろよ」

「今は放課後で、ここは学校併設のカフェ。話を振るには絶好のポイントだけど?」

 長谷部の引こうとしない態度を見て、三宅はどうなっても知らないと首を左右に振った。

 一体オレに何を聞こうというのか。

「綾小路くんってほりきたさんと付き合ったりしてんの?」

「してない」

「即答? なんかずいぶんれた模範解答って言うか、逆にちょっと怪しかったり?」

「色んなヤツに聞かれるからだ。堀北とは常に一緒に行動してるってワケじゃない」

「そうかもしれないけどね。恋愛のうわさは半分は真実で半分はうそだったりするからなぁ」

 長谷部のように一人を好むような女子も、こと恋愛話には強く興味があるらしい。

 ここで気の利いた男なら、そんな長谷部に彼氏がいるのかのチェックも忘れないだろう。

 もちろんそんなことをオレがするはずもなく(出来るはずもなく)話は流れた。

「よし───」

 突如、ゆきむらが勢いよく顔を上げる。どうやら全ての確認が終わったらしい。

「何となく2人の苦手な部分があくできた。でも、詳細はここから詰めていきたい」

 そう言って色々と書き連ねていたノートをひっくり返し三宅みやけに向ける。

「文系問題をいくつか作ってみた。後でにもやってもらうから俺のノートには直接答えを書かず、自分の方に書いてくれ。制限時間は10分。全10問だ」

 そつきようで出された問題に、三宅は文句を言わずにノートを取り出した。自分が教わる側だとしっかり認識しているからこそ、大人しく従うのだろう。三宅が10分奮闘した後は、バトンタッチする形で長谷部が挑む。苦手とするけいこうをより探るための問題だろうか。

 それから合計20分の試験が終了すると、幸村はすぐにノートを採点し始めた。

「全くお前らは……」

 全ての採点を終えた幸村は、どこかあきれるようにため息をついて二人の答えを返す。

 互いに正解していた問題数のマルは3つ。バツが6つ。そしてサンカクがひとつだった。

 テストなら同じ点数だが、驚くべきは正解も不正解も全て同じであるということ。

「得意な科目が似ていることだけじゃなくて、覚え方や傾向まで同じだ」

「すっご、なんか運命感じるくらいじゃない? みやっち」

「感じねえ」

「あ、っそ。なんかノリ悪ーい。でもこれってピンチってヤツ?」

 我に返ったように焦る長谷部だが、それは逆だ。

「この場合は好都合と取るべきだろうな。労力は半分で済む」

 ほぼかんぺきに同じ学力、傾向であるなら幸村の言うように負担はかなり楽になるだろう。

 教える人数を実質1人にすることが出来る。

 もちろん、限りなく似ているだけでさいな違いは必ずあるだろうが、そこは都度フォローしていく形を取れば思ったよりもスムーズに運べるか。

「楽勝な感じ?」

「それはこれからの努力次第だ。難易度の低い順に問題を作ったものの、やはり不安の残る正答率だ。定期的にこの場……つまり勉強をする機会を設ける必要があると俺は考える。期末テスト当日から逆算して、7、8回は集まりの場が欲しい。短期集中よりも、間を置いて勉強するのが理想的だ。その辺3人は大丈夫なのか? 三宅は部活の問題もあるだろ」

「期末が近づいたら部活も休みになるだろうけど、時間の相談はさせてくれ」

 当然の要請に幸村はうなずく。後は長谷部の方だが───。

「あー答えるまえに一つ聞かせて。普通どおりに勉強する感じなわけ? 私勉強は好きじゃないけど一人で予習復習くらいは出来るつもりだし。こうやってグループで勉強するメリットはあるの? もちろん頭が良い人に教えてもらうことが効率化につながることは承知してるんだけどさ。みやっちの進言でついてきたけど、ちょっと半信半疑なんだよね」

「俺の教え方に不安がある、ってだけじゃなさそうだな」

 含みのあったの言い方に気づいていたゆきむらが方針を説明する。

「普通の勉強会をするつもりはない。その理由としては、本来なら学校側が作る試験問題を、今回は他クラスが問題文を作ることになってる。普通学校が作る問題というのは先の大学進学を見据えての問題だったり、基本を抑えることに特化している分予習しやすいのが特徴だ。当たり前と言えば当たり前だけどな。だから正直、生徒が問題を作る部分に関しては未知数。けいこうと対策を立てにくい。だからこそそれを考慮した勉強が必須になる」

 幸村の説明に納得する三宅みやけ

「そうだよな。Cクラスなんて絶対ひねくれた問題出してくるだろ」

「ああ。だけど全く傾向と対策が立てられないわけでもない。Cクラスが問題文を作ると考えるとまず想像できないかも知れないが、個人にまで特定できたらどうだ? 俺の予想じゃ問題を作るのは『かね』だと思ってる」

 あまり聞きなれない名前だが、全く聞いたことが無いわけでもない名前だった。

「なんかあのメガネかけた気持ち悪いヤツだよね?」

「その言い方はどうかと思うが、多分それだ。Cクラスじゃあいつが一番勉強が出来る」

 幸村のもたらした情報が正しいとするなら、当然勉強のできる生徒が問題を作ると考えるのがとうだろう。

「けどよ、捻くれた問題を作るならりゆうえんとかいしざきが作ることもあるんじゃないか?」

「それはないな。どんな引っ掛け問題を作るとしても、地力がなければ問題は作れない。二人の苦手な文系で想像してみてくれ。簡単には解けない引っ掛け問題が浮かぶか?」

「……いやさっぱり。そもそも問題すら浮かばない」

「私も同意。社会とかどんな問題がテストで出るっけ?」

「そういうことだ。浮かんでも精々当たり前の問題文が頭をぎるくらいで、難しい問題や引っ掛け問題というのは作ろうと思って簡単に作れるものじゃない。仮に教科書を適当に見て難しい穴を狙ってもそれは問題として成立しないとして、学校側がはじくだろうしな」

 その推察は良いところを突いてる。ただ、確信を持つには少しだけ弱いか。

「問題が成立するか成立しないかは最終的に学校が決めることだよな?」

 オレは幸村の話に少しだけ割り込んでいく。

「なら、学校側が問題として成立すると判断している明確なラインを知る必要があるんじゃないか?」

「それはそうだが、それが分かれば苦労しないだろう」

「分かると思うぞ。要はDクラス側からいくつかの際どい問題を用意して、それを学校側に審査してもらえばいい。その問題がじゆだくされるかどうかで明確な答えが見えてくるんじゃないか?」

「なるほど、な。それは確かに良いアイデアだ」

「やるじゃんあやの小路こうじくん」

「とするなら、1日でも早く仮問題を出して学校の基準を見極める必要がありそうだな。俺からもいくつか問題を考えてみるけど、ほりきたひらは動いてくれるのか?」

「どうかな……今は完全に別行動をとっているからな。詳細は不明だ」

「それじゃ困る。向こうのグループと連絡を取り合えるのは綾小路だけだからな」

 三宅みやけもほぼ同時にうなずく。

「わかった、やれる限りの確認はしておくけど……期待しないでくれ」

 堀北もゆきむらも、オレを便利な橋渡し役にしたい思惑は一緒って事か。

「うん。なるほどね」

 長谷部の抱えていた疑問は解決したのか、表情は笑顔だ。

「私のほうは部活もしてないし、いつでもいいよ。みやっちを基準に決めて」

 そう言って決定権の全てをゆずった。

 それを見ていた三宅が驚いた様子で長谷部を見た。

「長谷部はてっきり断ると思ったぜ。珍しくないか。男子とは普段からもうとしないだろ」

「今回は結構勉強しないとやばそうだし。私が退学する分には仕方がないけど、みやっちまで巻き込むわけにはいかないじゃない?」

 自分のことよりも、友人である三宅のことを思ってしようだくしたようだった。

「それじゃあ今日のところは解散だ。1回目の勉強会は明後日からするつもりだ」

 そう締めくくる幸村。今日と明日で問題のけいこうを探り、対策を立ててくる予定か。

 そして、解散が宣言されパレットを後にしてもくらが声をかけてくることはなかった。


    5


「それは有益な情報ね。確かにどこまでのレベルの問題を学校側が認めるのかは試しておきたいところ」

 3人と別れ帰宅した後、オレはすぐに堀北へと連絡を取った。

 幸村からの情報を堀北に伝え、これからの指示を仰ぐためのものだ。

「既に私と平田くんとで対Cクラス向けの問題の作成は進めているけれど、どこまで引っ掛け問題が作れるかは知りたいと思っていたの。そちらにも情報はしっかり共有させてもらうわ。でも万事くいったみたいで良かった、だけどCクラスで問題作成をするのがかねくんというのは信頼してもいいのかしら」

「絶対の保証はないな。ただ勉強会で、金田を意識した問題の傾向と対策を練るのはひとつの手だ。やっておいて悪いことはないだろ?」

「そうね。そうさせてもらう。今回のテストが仮に全て難易度の高い問題で埋め尽くされた場合、私たちでも80点から90点を取るのが精一杯になってしまうかも知れないし」

 学校が出すテストより一癖二癖ある上に難しいとなれば、それが点数の限界値だろう。

「ところで今日の勉強会はどんな風に進んだのかしら。差し支えなければ聞かせてもらってもいいかしら」

 特に隠すことでもないため素直に今日の出来事を話した。ただし、ちょっとだけ誇張した。友達が出来たことをアピールして見せたのだ。ところが耳を傾けていたほりきたはその点には一切触れることなく聞き流してしまう。

 唯一気に留めたのは、三宅みやけの学力に類似点が多かった部分。

「意図したものでは全くなさそうだけれど、なかなかの偶然ね」

「だろ?」

 得意不得意が被ることは間々あっても、そのレベルまで似るのは珍しい。

「一応それなりにやってみる。コントロールしやすそうなメンバーだしな」

「よろしく。それからあなたにはもう一つ頼みたいことがあるの。ゆきむらくんの勉強会が休みの日、こっちにも顔を出してもらえるかしら」

「それは最初に言ってた約束と違うんじゃないか?」

「何も違わないわよ。勉強を教える必要は無い、みんなを管理してほしいだけだもの」

 その管理って言葉があいまいだ。曖昧すぎて何を指しているのかさっぱりだ。友達以上恋人未満くらいという言葉の定義くらい分からない。

「……なんだよ管理って」

 そう問い返すと、わざとらしい深いため息が聞こえた。

「教える人間に対して教わる人間が多すぎるのが問題よ。どうしても目が行き届かないの。きちんと勉強しているかどうかを見張ってもらいたいの」

「学校は教師一人で何十人って生徒に勉強を教えてるだろ、甘えるなよ」

ずいぶんと偉そうに言うけれど、教師も一人じゃ目が行き届いていないの。だからいけくんたちのような勉強が苦手な生徒を生み出しているのよ。この学校のように監視カメラを設置してもね。授業態度だけはしても、結局集中して勉強していないから今みたいなきゆうに追い込まれているわけだし」

 ゆうもうかんに反論したつもりだったが、一気に反撃にあって撃沈した。

「幸村くんも他人に教えるのは不慣れで苦戦しているでしょうけど、こっちはこっちで人数が多いから制御が難しい。特に池くんとやまうちくんが問題ね。彼らは幼稚園児より集中力が欠如しているから」

 池と山内は勉強会そのものには顔を出しているようだが、好き放題やっているようだ。

「反論があるかしら?」

「ありません」

「よろしい」

「夜は出なくてもいいんだよな?」

「大丈夫よ。昼より全然マシだから。だけど男子とは逆に女子の一部がうるさいわね」

 なるほど。あの場では参加予定のなかった女子たちがひら目当てで参加したか。かるざわって彼女がいてもイケメンと接するのは悪い気がしないだろうしな。そして、そのイケメンを御する軽井沢のDクラス内の株も必然あがるなら、悪い流れではない。

 その場に参加したわけじゃないが、何となく向こうのグループの情景が頭に浮かぶのが面白い。

 そういえば騒がしいという話の中にどうの名前がない。

「須藤は大人しくしてるのか?」

「ええ、真面目に取り組んでいるわ。レベルの方はまだ中学生に達してないけれど」

 勉強内容のほどはともかく、態度の方ではしっかり頑張っているようだな。

「明日からよろしく」

 少なくとも良い予感がしないことだけは確かだ。

「そうだ。勉強会のことも含めて確認しておきたいんだが、くしはどうだった」

「どうだった、とは?」

「特に変わりは無かったのか?」

「もちろんよ。出来る範囲で手伝ってもらえてたと思うわ。毎日勉強会に出てもらう約束も取り付けられたし」

 こちらが聞きたいのはそういう部分ではないが、ほりきたとしてもまだ特段話すような出来事は生じていないようだった。初日も初日、深いところまで切り込む機会がなかったのだろう。ただ、こちらとしてはその問題を悠長に静観していられないのも事実。

「対Cクラスに向けた問題作りは始まってるんだろ?」

「もちろん。基本方針としては私と平田くん、それからゆきむらくんの意見を交えて問題を作っていくつもり。本来ならもっと大勢の手を借りたいところだけれど、人が増えれば増えるほどCクラスに問題が漏れる危険性も増すから悩ましいところね」

 そう。問題文とそれに付属する解答はDクラスの守りのかなめ。攻めである勉強を頑張っても守りがやられたらひとたまりも無い。万が一にもテスト問題は漏れてはいけない部分だ。誰かに接触してきて情報を探ってくることも考えられる。

「それでもかんぺきにシャットアウトするのは難しいだろ。櫛田の性格と今までの行動を考えれば、夜の部の勉強会にも参加してるんじゃないのか? 平田との打ち合わせもしづらいだろ」

「そうね。確かにそれは否定できないわ。だけど彼女もかつには行動できない。私たちから問題作成の手伝いでもお願いしない限りは、下手なことを言ってこないと思う」

 こればかりは互いに推測の話でしかない。くしが次にどんな行動に出るかは、本来どちらにも読みきれない話だ。

「問題文とその解答はDクラスにとって生命線。もし情報が流出すればDクラスの敗北は確定的だってことは忘れないようにな」

 櫛田を仲間に引き入れたい気持ちとは別に、考えておかなければならないこと。

 目の上のタンコブを放置することは許されない。

「情報の開示は避ける。けれどそれだけで解決することではないんでしょうね」

「オレが恐れるとすれば、問題作成中じゃなくその後。学校側に提出した後だ。最終的にテスト前日、ちやばしら先生に問題文と解答を確認すればその内容を知られてしまう」

 体育祭の時に参加表を見る目的で櫛田にその手を使われている。

 りゆうえんが櫛田に依頼をかけて来ることは十二分に考えられるだろう。

「言葉で語りかける以外に打てる手立てはないということね」

「それでも、もし情報がCクラスに漏れたならどうする」

「その場合は───考えたくないわ」

「考えないわけにはいかないだろ。Dクラス全体にかかわることだ。どれだけ勉強して点数を高めたとしても、相手側が100点に近い答えを得られるなら勝ち目は無い」

 向こうに丸暗記されるだけで、敗北だ。

「そうね。あなたが不安視するのもよく分かる。だけど私なりに対策を考えているから。もう22時を回るわ、寝る前に問題文を1つでも作りたいから切ってもいい?」

 その断りをしようだくし、通話を終える。オレは携帯の残りのバッテリーが少ないことに気づきベッドに併設されたコンセントにつながれた充電器と繋ぐ。

 今回の課題は、体育祭の時と流れが似ている。体育祭で使った参加表が命綱だったように、期末テストでは問題文が命綱の役目をしているからだ。龍園や櫛田は、同じ手が通じると考える相手じゃない。必ず別の手を考えてくるはずだ。

 対策を考えているとは言ったが、それがどれほどのものかは分からない。

 ほりきたはあくまで正面から櫛田を説き伏せるつもりだろう。

 堀北の作戦をあざ笑うつもりは毛頭ない。というより、それより他に打つ手はほとんど無い。

 もし、という仮定だがオレが櫛田を仲間に引き入れるとすれば、そのときはかるざわにしたようなおどし行為、いやその先のやり方で櫛田を屈服させにいくだろう。だが、櫛田の過去の細部までオレが知らない今の状況では、その手も使えない。オマケにオレの覚悟の決め方が櫛田と違うことも考慮すれば、実際に脅しきれる保証もない。似ているようで違う。

「……どうしたもんか」

 残念ながら、他の手立ては今のオレには浮かぶことは無かった。

 通話を切り一息ついているとメールが届く。りゆうえんからのメールだった。

 体育祭の後、オレはCクラスの生徒であるなべたちから龍園のメールアドレスを聞き出し、メールを送っていた。龍園は今になってそれに返信してきた。


『おまえは誰だ?』


 内容は、そんな風に書かれたたった一文。

「また無意味なメールを……」

 龍園に返事を返すほどお人よしではない。そして、こちらはフリーアドレス、追跡のしようはない。そんなことは分かりきっているはずだが、龍園の遊びだろうか。

 オレはメールを無視して眠ることを決めた。


    6


 放課後の図書室は、まだ早い時間にもかかわらず多くの生徒でにぎわっていた。

 賑わっていたといっても、学生達がおしやべりに夢中でうるさいというわけでもない。

 普段は1割も埋まらない席の半数近くが生徒たちであふれていたからだ。もちろん、そのほとんどの生徒たちは読書や友人とのお喋りではなく、試験勉強に明け暮れている。

「へー。図書室ってこんな風になってんだー」

 そばで興味深げにつぶやく一人の生徒。

 そうなのだ。少しだけオレの傍で問題が起こっていた。

 とうが勉強会に参加することを決めたらしく、図書室までついてきてしまったのだ。

 先日連絡先を交換してから、佐藤には一度も連絡をしていなかった。とても気まずい。

「私図書室って入るの初めて。あやの小路こうじくんは?」

「……オレは何度か」

「そうなんだ。意外と勉強とかしてるんだ」

「勉強っていうか、暇つぶしみたいなもんだけどな」

「暇つぶしで図書室に? 変なの」

 一応の受け答えはするものの、どこか上の空みたいな態度になってしまう。

 今どんな気持ちで佐藤が接してきているのか、オレには全く分からなかったからだ。しかし、佐藤も女の子。こちらの細かな感情の機微を見逃さない。

「あのさ。綾小路くんは……迷惑だった?」

「なにがだ、佐藤」

「ほら、私、急に勉強会に参加するって言っちゃったし」

「オレは別に。教えるほりきたくしたちも迷惑っていうよりはうれしいんじゃないか?」

 同じクラスから退学者が出て、基本的に喜ばしいこと、メリットは何もない。なんとか論点のすり替えを狙う。

「そうじゃなくって……」

 もちろん、それはとうの望む解答じゃないだろう。少し落ち込んだ様子を見せる。

 しかし図書室というのは厄介だ。他の生徒の邪魔にならないよう小声で話す分、佐藤との距離が思いのほか近い。佐藤の細かな息づかいも感じられる。

 ひょっとしたらこれも貴重な青春の一コマというやつに分類されるのだろうか? だとしたら意外と青春とはこくなものなのかも知れない。この状況がオレにとっては全く楽しくないからだ。無意味に緊張してしまうし佐藤に気を使ってしまう。相手の感情を探り探りして、言葉を選んでいる。

 オレが今一番切に願っていることは『早く帰りたい』。その1点のみ。

 いや───そうじゃないのか?

 わずかに冷静になり、改めて今の状況を考えてみる。

 確かにオレは、かつて経験したことの無い事象に困惑している。『恋』にカテゴライズされるのはあまりに抽象的で、明確な答えが存在しない。0か1の世界で生きてきた自分からすれば、拒絶反応が出るのは自然の流れだろう。

 だがオレは、そういう0か1以外のモノを求めて、この学校にやって来たんじゃなかっただろうか。

「皆真面目だよね。図書室とか使うんだもん」

「毎度の恒例みたいなものよ。ここで勉強会を開くのは」

 そんな佐藤がオレへと向けた言葉を、偶然拾い上げた堀北が答える。

 そこでオレは落ち着きを取り戻す。一度頭の中を空っぽにした。今はまず、この勉強会を無難に乗り越えることだけに集中しよう。


 既に昨日図書室を訪れている堀北は、この光景に驚きはなかったようだった。

「あなたたち、昨日のように騒ぐのだけは勘弁してね。次は厳重注意だけでは済まないかもしれない。追い出される可能性もあるのだから」

「わ、わかってるってー」

 いけやまうち、2人の問題児に注意しつつ、いている席を確保する堀北たち。空いた席だけでいえば半分以上空いているが、だからといって空いていればどこでもいいというわけではない。

 どの学校にでもあるものらしいが、先輩後輩で使っていいスペースというものが別れている。カフェであれば景観のよい窓際の一部が、この図書室であればフリードリンクのそばが、学年が上の先輩の優先的に使うスペースであると、暗黙のルールになっている。

 そんなテリトリー分けの中、1年生が使用を許されている部分は入り口に近い騒がしい部分だったりする。だが、それ以外に気をつけなければならないことが今回はある。

 Cクラスの生徒がいる近くは出来れば避けたい。

ほりきたはどうするつもりだ?」

あやの小路こうじ君がしている点なら心配無用よ。手は打ってあるから」

 視線を向けた先、1年生が使用しているエリアで人が動いた。堀北を見つけた1人の生徒が立ち上がる。ゆっくりと手を振ってから手招きをした。

 1年Bクラスの生徒、いちなみだ。一之瀬の回りにはBクラスの生徒たちが合計8人。

 男女がそれぞれ4人ずつに、一之瀬を足した9人のようだった。

 隣の住人の横顔を見るに、偶然ではなさそうだ。引き合わされたように近づいていく。

「待たせたかしら」

「ううん全然。私たちも今来たところだから。ねっ皆」

「昨日図書室で一之瀬さんに会って、合同で勉強会をする提案をしたの。この試験ではBクラスと勝負することはないし、助け合える部分もあると思ったから」

 あの堀北が、自ら大勢の他人とかかわっていくような提案をしていくとは。昨日オレに見せたいと言っていたのはこのことだろう。

 こう多し。だがその結果、図書室に入るまで大人しかったいけたちのテンションがおかしな方向に高くなっていた。

「池くん。さっき注意したばかりでしょう……?」

 堀北がグッと池の腕をつかむと、ヘビににらまれたかえるのように池がおびえた。

 池たちが勉強会で騒いでいた理由はここにあったか。Bクラスの女の子と一緒にいれば、有頂天になるのも分からなくは無い。

「今日は綾小路くんも来たんだねー」

「元々赤点寄りの生徒だからな。しばらくの間、世話になるかもしれない」

「それはこちらこそだよ」

 静かな空間とは言っても、全く会話が出来ないほどじゃない。もちろん、ある程度小声で話すことは必須だが。一之瀬たちがしっかりと隅の席を確保してくれていたため、それほど会話も目立たない。また室内を流れる音楽も、その小声を見事にかき消してくれていた。ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』。

 誰の選曲か知らないが、リラックス出来る中々良いチョイスだ。

 しかし合同勉強会とは堀北も考えたもんだ。確実に協力し合える前提なら、この試験じゃ効率化を図れる可能性が高い。互いにクラスの持つ情報を交換し合えたり、人数が多い分、着眼点も増えて問題作成にも役立つ。

 ただしリスクも同時に抱えることになるだろう。BクラスにCクラスとつながりを持つ生徒がいる場合、それらの情報が筒抜けになってしまう恐れがある。当然ほりきたもそれを理解したうえで、メリットのほうを取ったからこその共闘なんだろうが。

 それぞれのクラスの生徒が好き勝手にいた席に座る。

「ここ座ろうよあやの小路こうじくん」

「あ、ああ」

 さいそくされるまま、オレはとうに手招きされ、佐藤の隣の席に腰を下ろした。

「んだよ佐藤。今日はずいぶん綾小路の近くにいんじゃん」

「当然でしょー。ペアになったんだし」

 いちから下手にマークされるわけにもいかず、オレは席につくと適当に教科書とノートを取り出した。形だけでも勉強しておく必要があるだろう。

「ねえ綾小路くん。私どうやって勉強すればいいかな?」

「……そういうのは堀北たちに聞いてくれ」

「いい機会じゃない。ペアを組むんだし、綾小路くんが佐藤さんの面倒見てあげたら?」

 人の気など知らず堀北はそんな無責任なことを言う。

「オレは佐藤とテストの点数が少ししか変わらないんだ、教えるも何もないだろ。こっちが教わりたいくらいだ」

 一之瀬の手前もあって急ぎフォローしたが、それは失敗だったかも知れない。

「そう。分かった、私があなたたちにしっかり勉強を教えてあげるわ」

 げんを引き出すためだったのか、そんなことを言って来た。

「一緒に頑張ろうね綾小路くん」

「あ、あぁ……」

 何とも気を使う勉強会が始まりそうだ。

 その予感はほぼ的中してしまう。

「綾小路くんっていつも落ち着いてるよね。ちょっと大人びてる感じする。中学生の時ってどんな子だったの?」

 グイッと近づいてきた佐藤が前かがみ、上目遣いでそう聞いてきた。やや胸元が開いた制服の着こなしをしているため、若干だが胸の谷間が視界に入ってしまう。それに気づいてか気づかずか少しだけ佐藤の吐息が激しい気がした。

「別に普通かな。特に目立つことも目立たないこともなく。今と変わらない。こういうのを根暗って言うんだよな?」

 自分を下げていくスタイルで佐藤に距離を取らせようとする。

 いや、別に佐藤に好かれるのがダメなわけじゃないが、オレたち2人を見ている痛い視線がいくつかあったのが我慢できないのだ。

 特にいけやまうちは露骨に怪しむ目を向けてきている。

あやの小路こうじくんは根暗じゃないよ。クールって言うか冷静な感じ?」

「クールとかとは無縁だと思うぞ」

「そうかなぁ? 他の人はわかんないけど、私はいいと思うな」

 どうやら何を言ってもとうには面白いようにプラスに受け取られてしまうらしい。

 ならここは正当な方法で切り抜けることにしよう。

「……じゃあ、苦手なところから聞こうか。中間テストのプリントは?」

「あるよ」

 くしゃくしゃになったテストの用紙をかばんから取り出して広げる。どのテストも点数は50点付近を推移している。数字上は赤点ゾーンをクリアしてはいるが、その内容はかなりお粗末なものだった。簡単な問題は正解しているものの、中難度以上が壊滅的だ。

 佐藤が今までそれほど勉強せずに、試験を乗り越えられてきたのが不思議なくらいだ。

「どう? ちょっと悪いかな」

「そう……だな。オレも似たようなもんだから、一緒に勉強するか……」

「うんっ!」

 高いテンションでうなずく佐藤だったが、その声が大きいのは勘弁して欲しい。

「なんかおまえら、ちょっと仲良さ気じゃねー?」

 遠目にやり取りを眺めていた池が突っ込んできた。怪しむような目を向けている。

「ペアなんだから協力し合うのは当然のことでしょ」

 悩んでいるうちに、佐藤が試験をたてにして堂々と答えた。

「訳のわからないことを言ってないで準備を始めて」

 誰が誰と仲良くしていようと気にしないほりきたが、池に注意を飛ばした。

「ちぇっ。わかってますよっと」

 不満そうにしながらも、池はいそいそと勉強の準備を始める。

 教育のたまものだな……。しっかりとしつけられていた。


    7


 勉強会が無事終わり、生徒達はそれぞれ帰り支度を進める。

「あー疲れたっ!」

 普段の授業でも集中力が続かない池たちにしてみれば、放課後の勉強会は地獄。

 教師の目こそないものの、自由のない時間は耐え難い時間だっただろう。

 池たちは晴れやかな表情を浮かべているが、それを見る堀北の目は冷たい。

「今日で終わりじゃないのよ。明日も勉強会があることを忘れないで」

「わ、わかってるって。でもいいだろ? 少しくらい喜んだって。お疲れっ!」

 だつごとく、いけたちは図書室を後にしていく。

にぎやかだねーDクラスは。ちょっと分けて欲しいくらいだよ」

「悪い方向にね。落ち着きのあるBクラスがうらやましいわ」

 いちほりきたは互いに、ないものねだりするが、羨ましいのはBクラスの環境だろう。

 勉強会に参加する生徒のレベルもDクラスより高い上に集中力もある。

 何より静かで落ち着きがあり、クラスで連携する意思が強い。

「それじゃさようなら。堀北さんも、さようなら」

 くしたちも女子数人を連れ図書室を出て行く。

「ええ、さようなら」

 そんな短いやり取りをして何事もなく去って行った。今のところ櫛田からの目立ったアプローチはない。どちらも探り探りけんせいしあっているようにも見えた。

「一之瀬さん。少し質問しても良いかしら」

「ん? 何かな何かな?」

「出来ればあなたの耳にだけ入れたいことなのだけれどダメかしら。数分で終わるわ」

 一之瀬と共に帰る予定であろうBクラスの生徒たちに目線を送る。

「数分だね? じゃあ皆、悪いけど廊下で待っててもらえるかな?」

「うん大丈夫、適当におしゃべりしてるね」

 Bクラスの生徒たちはこころよく引き受けたようで、一之瀬はその場に残ることをしようだくした。

 DクラスとBクラスの生徒全員が切り上げる。

「オレは残ってていいのか?」

「あなたはいてもいなくても同じ存在だから、どちらでも」

 一瞬いやかと思ったが、そう伝えることでオレを残りやすくしたのだろうと思った。

「それで話って何だろ?」

 こうして2人きり(オレもいるが)になると妙な感じだ。

 一之瀬と堀北、対照的な性格の2人が肩を並べている。

「当たり前のように受け取るかも知れないけれど、一之瀬さんは仲間が困っていたら助けるわよね?」

「んんっ? 困ってたら助けるのは当然じゃないかな?」

「そうね。Bクラスが今、勉強会を開いているのもその一環でしょうし。でも、助ける内容は一口に言っても様々あるわ。学力向上のため、いじめ問題だったりお金の問題、あるいは友人関係や先生との関係。人は様々なところに悩みの問題を抱えるものよ。その全ての事柄に対して、困っている仲間が助けを求めてきたら一之瀬さんは手を差し伸べるのかしら」

「それはもちろんだよ。私に出来ることは全てするつもり」

 難しい質問だがいちは即答した。その目は迷いを感じていないようだった。

「じゃあ、あなたに取って仲間かそうでないかの基準というのは明確にあるのかしら」

 今自分自身がくしとの対立で答えを見つけられていない。

 だからこそ救済を求めるように一之瀬へとそんな質問をぶつけたのかも知れない。

「んー……ちょっとよく分からないんだけど、どういうことなんだろうなぁ」

「例えばの話だけれど、Bクラスの生徒であれば誰でも無条件で助ける? それが普段深く話すことのない生徒であったとしても」

「向こうが私をどう捉えているかはさておき、Bクラスである以上仲間だもん。困ってたら絶対に助けるよ」

「愚問だったかも知れないわね」

 またも迷わず即答した一之瀬に、ほりきたは自分がした質問の愚かさにため息をついた。

「愚かついでにもう少し聞かせて。仮に、あなたを生理的に嫌う存在がBクラスにいて、日頃から仲が悪かったとしましょう。あなたはその人を好きになれる? それとも嫌いになる?」

「どうかなー。それはちょっと難しいかも。生理的に嫌いって、相手に思われてたら多分自分ではどうしようもないから、極力嫌われないように接触をひかえるしかないよね」

「じゃあ、そんな人が困っていたら……あなたはどうする?」

「助けるよ。絶対に」

 最後の質問にも、一之瀬は即答した。

「生理的に嫌われるにしても、それは私の問題だけ。Bクラスの人は全員仲間だもん」

「それほどにあなたにとってBクラスは大きな存在なのね」

「うん。皆良い子ばっかりだよ。一番初めはAクラスじゃなかったことにらくたんしたこともあったけど、今では最高のクラスに配属されたと思ってる。堀北さんは違うの?」

「そうね……住めば都。Dクラスも案外悪いものではないわ」

「……へぇ」

「何よあやの小路こうじくん。あなたのその目は気に入らないのだけれど?」

 Dクラスをめた堀北に感心しているとちょっとにらまれた。

「2人の話に割って入るのはなんだが、オレからも一之瀬に一つ聞いていいか」

「なんでも聞いてっ」

「Bクラスのクラスメイトは無条件で仲間ってのは理解できた。その考えはオレも堀北も何となく分かる。同じ釜の飯を食った人間と仲良くなるのは必然みたいなものだと思うし。けど、友達って呼べる存在はAクラスやCクラス、Dクラスにだっているだろ?」

「綾小路くんや堀北さんも、私にとっては大切な友達だよ」

「なら、そんなオレたちが困っていたら? おまえに、100万ポイント貸してくれって泣きついたら?」

「正当な理由があるなら私は助けるよ。金額に関係なく出来る限りのことはするかな」

「全く……どこまでおひとしなのあなたは。誰でも助けてしまうんじゃない?」

「うーん、理想を言えばそうなんだけど、現実はそんなに甘くないしね。私個人に出来ることなんて限られてるし、わきまえてるつもりだよ。りゆうえんくんが困ってても皆と同じようには助けられないかな。んーでもまぁ、大したことなければ助けるけど」

 付け足すように言う。普通はその『大したこと』も出来ないものだ。

「多分そうだなぁ。私が友達だと認めた人なら、大小は関係ないんじゃないかな」

「ありがたい話だけれど安易にそんなことを言っていいのかしら。私が困ったときに泣きついて助けてもらうかも知れないわよ?」

「歓迎だよ。私が友達だと認めた人は全員、同じ『仲間』のカテゴリにいるんだから」

 そこまでの善人ぶりを見せられ、ほりきたは少し意地悪なことを思いついたらしい。普段のクールさに似合わずこんなことを言った。

「なら───私とかんざきくんが同じように困っていたらどうするの?」

「両方助ける、って選択肢は当然禁止?」

「それを認めてしまったら、あなたは両方助けるもの」

「にゃはは、参ったなぁ」

 ある意味不条理な二択を突きつけられ、想像の話とは言え戸惑ういち

「ごめん。多分それは答えが無い選択肢だよ。与えられた情報から判断できるのは2人の友達が同じ問題で苦しんでいて、同じように助けを求めてきてることだけ。この場でどちらかを取っても、それは真実であってうそでもあるんじゃないかな」

 悩みぬいた末にたどり着いた答えは、実に一之瀬らしいものだった。

 それを聞いて、堀北は心底驚いたと同時に感心した。

「私は純粋な善人を信じない。人は少なからず見返りを求める生き物だと思っているわ」

 堀北の持論、抱いて信じてきたもの。それが音を立てて崩れていく。

「だけどあなたを見ていると───本当に善人がいるのかも知れないわね」

 素直な思いを口にするが、かその言葉を一之瀬は正面から受け止めなかった。

 いや、受け止められなかったと言うべきか。

「それは……それは、買いかぶりすぎだよ堀北さん」

 どこまでもぐ、どこまでも実直に答えてきた一之瀬の瞳が初めて泳いだのをオレは見た。席を立つと図書室の窓際へと足を運ぶ。

「そんなことは無いわ。少なくとも今まで見てきた誰よりも、そう思ったもの」

「私はそんな立派な人間じゃないよ」

 ほりきたの顔を直視できないほど、動揺しているように見えた。

「ほんと、大したことないって言うか……」

 ここで堀北も、変にいちを持ち上げすぎたことに気づき謝罪する。

「ごめんなさい。善人善人と言いすぎたわ。あなたを不快にさせる意図はなかったの」

「大丈夫。別に不快になんて感じてないよ」

 明らかな動揺。

 一之瀬の見ている先にはいつぺんくもりもないと思っていた。

 だが、もしかしたらその部分をオレは勘違いしていたのかもしれない。

「話ってそれだけかな? ひろちゃんたちを待たせてるから、もういいかな?」

 まるで逃げ出すように席を立つ一之瀬。

「ありがとう。こんなよく分からない話に答えてくれて」

「ううん。それじゃ、また明日ね」

 一之瀬が図書室を出たことで、いよいよ残った生徒はわずかになった。3年生数人と、図書委員と思われる生徒のみ。

「帰りましょう。今日まだやることがあるから」

「繰り返しの確認になるんだが、くしのことはどうするつもりなんだ。おまえに考えがあるような口ぶりだったよな」

 堀北も何度も聞かれるのは嫌だろうが、確認せずにはいられなかった。

「彼女は特別なの。どうしても説得に慎重になってしまう」

「特別?」

「色々考えたわ。もしも私がこの学校に進学しなかったら、櫛田きようという生徒はどんな学校生活を送っていたんだろうと。そしたらすぐに見えた。今のようにクラスの誰からも信頼され、頼りにされる、勉強も出来てスポーツも出来る何ひとつ欠点のない存在。そんな生徒のまま卒業したでしょうね。だけど、そんな彼女の未来を私はみ取ってしまった。彼女は今、敵であるりゆうえんくんと手を組んでまで、私を追い出そうとやつになっている。それが自らのクラスに敵対する行為でも躊躇ためらいがない。もちろん私のせいじゃないわ。不幸にも同じ学校になった運命が悪いだけ。だけど、それでも私にとっては無関係じゃない」

 だから櫛田を説得する、か。

 オレが感じている以上に堀北は今責任を感じている。

 いや、責務を果たそうとしているのか。

「少しだけ提案があるんだがいいか」

「どんな提案かしら」

「櫛田をおまえと和解させるためのピースを見つけた気がするんだ」

「どういうこと?」

いちは善人だ。純粋かどうかは別としても、並の善人じゃないことは認めるだろ?」

「ええ。少し悪く言うならおひとしであることは疑いようが無いわね」

「そのお人好しの力を借りて2人の間に立ってもらうのはどうだ。正直1対1で話そうと思っても成立しないだろ。だからといって、Dクラスの誰かじゃくしは絶対に本性を現さない」

「それは一之瀬さんでも同じじゃないかしら。この学校に在籍する以上誰でもね」

「なら、他に間に立てそうな生徒が1人でもいるか?」

「それは……」

「校内で1人だけ指名しろといわれたら、一之瀬を指名するんじゃないのか?」

「否定はしないわ。でも、だからってそれが正解とも思えない」

「解決するとまでは言えない。あくまでも解決へのピース、欠片かけらだ。今は2人で話すこともままならないんだ。一之瀬に間に入ってもらった方が会話も弾むだろ」

 事実、オレは一之瀬の存在が問題解決の糸口であると考えている。

 あとはその使い方の違いだけ。

「痛いところを突くわね。でもそのプランには乗れないわ。私には今から待ち合わせをしている人たちがいるの。それに櫛田さんの件は私が解決することだから」

 そこに一之瀬まで巻き込めないということか。


    8


 廊下に出ると予想外の人物が待っていた。こちらを見つけるなり小さく手を振り笑顔で近づいてきた。ほりきたに驚きは無い。それどころか姿を見つけるなり自ら積極的に声をかけていく。

「櫛田さん、お待たせしたわね」

「大丈夫。約束の時間までは少しあるし。さっきなみちゃんと何を話してたの?」

あいもない話よ」

「興味あるなぁ。それとも私には教えられない?」

 変わらない口調と笑顔だったが、堀北に向けた重い圧のようなものを感じた。

「そうね。あなたには無関係な話じゃないもの。話そうかしら」

 あえて会話を誘ったようで、堀北は一之瀬との会話を変化を加えて話し始めた。

「どうすれば誰とでもへだてなく接することが出来るのか質問していたの」

「へえ……?」

「誰かを遠まわしに言うつもりはないわ。あなたのことよ櫛田さん」

「あのね堀北さん。確かに私とは仲良くなってもらえてないかも知れない。だけど、そういう話はあやの小路こうじくんのいないところでして欲しいな」

 これ以上自分の秘密を知る人物を増やしたくないのが、くしの本音だろう。

「それとも───綾小路くんもいちさんも、何か別のことを知ったとか?」

 鋭い眼球がほりきたを射抜く。それを堀北はぐに受け止めた。

「それもそうね。悪いけれど綾小路くん、帰ってもらえるかしら」

「……オレは邪魔みたいだな。先に帰るわ」

 立ち止まる二人を置いて、オレは一足先に玄関へと向かった。靴をき替え一路、寮を目指す。その途中堀北から着信があったので電話に出る。

『私とあなたは同じ中学の生徒。そしてあなたの過去を知っているから退学させたい、という事実は正しいのよね?』

 すると、くぐもったような音でそんな声が聞こえてきた。

 どうやらポケットの中に携帯を入れたままオレに電話を掛けたらしい。話の内容を聞かせてくれるという堀北なりのサービスのようだ。

『急な話だね。どうしていきなり過去のことなんて? 私その話は好きじゃないな』

『私も過去を振り返りたくなんてないわ。けれど私たちにとって避けて通れないことよ』

『そうだね。私たちが2人きりになる機会もめつにないもんね。うん、確かに私は堀北さんがこの学校からいなくなって欲しいと思ってるよ。同じ中学で、同じ学年。あの事件のことを知っている人だから』

『何度も考えたわ。確かに私は事件を耳にしたことはあるけれど、元々友達のいなかった私には興味のあるものじゃなかった。聞こえてきたのはうわさ程度で真実のほどはハッキリしていないの』

『事実を知らないって保証は無いよね?』

『ええ。あなたとのみぞが埋まらないのはそのせい。どれだけ私が否定しても、あなたは私がうそをついている可能性を否定できない。それだけじゃない、事件の存在を知っていることが許せないから学校から出て行って欲しいと思ってる』

 否定しない櫛田。そこに堀北が続けていく。

『私とけをしない? 櫛田さん』

『賭け? どういうことかな』

 静まり返る電話の向こう側。

 2人は足を止めて話をし始めたようだ。堀北は櫛田に対して賭け事を提案する。この場で突然思いついたわけでなはく、前々から考えていたもののように思えた。

『あなたは私の存在が気に入らない。これはどうにもならない問題なのよね?』

『そうだね。堀北さんがこの学校にいる限り私の考えは変わらないよ』

『でも、私たちは共にDクラスの生徒。これから先、協力し合わなければAクラスには上がれないわ』

『それは考え方次第だよ。私かほりきたさんが退学すれば、解決する問題だと思うな』

『あなたに退学する意志があるのかしら』

『まさか。退学するとしたら堀北さんの方だよ』

 くもった声で、はっきりしない部分も多いが、どちらの声も落ち着いている。

『私も退学する気はないわ』

『じゃあ仕方ないよね。私たちはどうやっても仲良く出来ないんだと思う』

『そうね……そうかも知れないわね。あの日から今日までずっと考えていたの。どうすれば共存できるのかを』

 その解決策はオレにも浮かばない。今でもそうだ。

『そして結論にいたったわ。どういても無理だということにね』

『私もそう思うよ堀北さん。どちらかがいなくならないと終わらない話だもん』

『でも私たちも子供じゃない。そうやって反発しあうだけじゃ前に進めないわ。だけどあなたは私を信用しない』

 わずかな沈黙が訪れた後、くしは聞き返す。

『じゃあ、どうするの? けって何?』

『今度の期末テストで私があなたより高い点数を取ったら、今後敵対することなく私に協力をしてもらいたいの。いいえ、協力なんてぜいたくは望まないわ。ただ、今後私への妨害行為をやめて欲しい。それだけ』

『それってペアの総合点に関係なく、個人戦がしたいってこと?』

『ええ』

『それはちやな賭けだよ堀北さん。私テストじゃ堀北さんに勝ったことないし。それが総合点ならなおさら難しいよ。それに私が勝ったときのメリットがあるようには思えないからなぁ』

『そうね。だからその分オッズが違って当然だわ。だから───』

 ここで堀北は、自らの身を削る発言をする。

『総合点ではなく、期末テストで行われる8教科の内1つで勝負しましょう。自由に得意科目を選んでもらって構わないわ。そして、もしあなたの点数が私の点数を上回ったら、その時は私が自主退学を申し出る、という賭けなら成立しないかしら』

 まさか、という賭け内容を堀北は口にした。

 本来実力差がある2人なら、勝負は成立しにくい。

 しかし堀北の自らの退学を賭けた申し出とあれば話は変わってくる。

 それも櫛田の得意科目を選んで良いという好条件までセットだ。

 仮に櫛田が敗北したとしても退学の必要性はなく、あくまで堀北の邪魔をしないことが課されるだけ。一方でくしが勝てば邪魔なほりきたが退学する。

『ただの口約束だけになる可能性もあるんじゃないかな。堀北さんが負けた後で勝負をなかったことにしたりさ。もちろん私が約束を守らないことだってあるよね。そんな話を信用して勝負が成立するかな』

『そうしないよう、確実な証人を用意したつもりよ』

『確実な証人?』

『お願いできますか───兄さん』

『っ』

 その人物が現れた時、櫛田は本気で驚いたようだった。そしてオレも同じだ。

 電話越しに聞こえてきた意外な人物。

 自らの申し出のしんぴようせいを高めるためとはいえ、とんでもないヤツを証人にしたもんだ。

『申し訳ありません兄さん。どうしてもお力をお借りしたくてお呼びしました』

 そう、やって来た証人は堀北まなぶ。元生徒会長にして堀北すずの実兄。

『久しぶりだな櫛田』

『……私のことを覚えていたんですか?』

『一度見た人間のことは忘れない』

 恐らくは中学の時のことを言っているのだろう。堀北兄妹きようだいは同じ中学だった。だが、兄貴は卒業していたため、櫛田が起こした事件については全く知らないはずだ。

『この学校の中で、私がもっとも信頼できる人。そして櫛田さんにとってもある程度信用のおける人なんじゃないかしら。もちろん事の詳細は兄さんにも話していない』

『俺はただ証人として呼ばれたに過ぎない。その詳細にも興味はない』

『いいんですか、堀北先輩。もしテストで妹さんが負けたら───』

けを持ち出したのは妹なのだろう、なら俺が口をはさむことではない』

『私が負けたからといって不用意なことを一切他言しないことも誓うわ。約束を破るような人間が妹だと知れ渡れば兄さんの名にも傷がつく。そんな、私は絶対にしない』

 これ以上無い、絶対的な信用取引だ。

『本気なんだね、堀北さん』

『私はいつまでも立ち止まっていられないもの』

『いいよ。その勝負乗ってあげる。希望科目は数学。賭けの内容はさっき堀北さんが言った通りで大丈夫だよ。同点だった場合は無効ってことでいいのかな?』

 うなずく堀北。これで堀北兄の前で賭けが成立する。どちらも後には引けない。

『証人としての役割は果たそう。万一どちらかが約束をたがえた場合には覚悟してもらう』

 兄貴の権限は生徒会長を退いた今でも大きいはずだ。

 少なくとも兄貴が卒業するまでの間は、櫛田も約束を守らざるを得なくなる。

『ありがとうございました兄さん』

 そのお礼の後、しばらくその場が無言になった。その場からほりきた兄が立ち去るのを見送っていたと思われる。

『期末試験が楽しみだね、堀北さん』

『全力を尽くしましょう。お互いに』

『そうだね。それからあやの小路こうじくんにもよろしくね』

『……どうして彼の名前がここで出るのかしら』

『私だって間抜けじゃないからさ。話したんでしょ? 私の過去のこと』

『それは───』

『あ、別に答えなくてもいいよ。どっちにしたって私は堀北さんを信用してないし、影響はないから。けを無効にするようなはしないから安心して。綾小路くんには、前にちょっとまずいとこ見られちゃってるからさ。平気だよ』

 鋭い指摘を受け、通話越しに堀北の動揺と焦りが伝わってきた。

『それでもあえて答えさせて。確かに私は綾小路くんにあなたのことを相談したわ』

『だよね。何となく見てたら分かるし。今も携帯でつながってるよね? だって私のほうで堀北さんに何度電話をかけても、ずっと話中になってるみたいだから』

 ただのかんではなく、くしなりに根拠と確信を持って、矛を突いてきた。

『すぐに合流できるかな? 綾小路くん』

 そう遠くから響いてくる櫛田の声。

 どうやらお呼びらしい。ここは素直に応じた方がよさそうだ。


    9


 引き返し、堀北たちがいるところへとやって来たオレは合流を果たす。

「やっほー」

 いつもの櫛田のようにも見えるが、その表情の下に隠された本心をうかがることが出来ない。

「参ったわ櫛田さん。やっぱりあなたのどうさつりよくと行動力はすごいわ」

「ありがとう。これでも普段からたくさんの人を観察してるからね」

「綾小路くんをどうして呼び出したの? 話はもう終わったと思うけれど。勝手に話を聞かせていたことに対して不満があるなら私に言って」

「不満は別にないよ。一応面と向かって直接言っておこうと思っただけだから。この賭けにひとつだけ条件を加えてもらえないかなって」

「条件?」

「もし私が点数でほりきたさんに勝ったら、あやの小路こうじくんにも退学してもらいたいの」

 やはりくしは提案してきた。けの話が出たときから、その可能性もあると思っていた。

「それは乗れない相談ね」

「私としては、私のことを知る人にはまとめて消えてもらいたいんだよね。堀北さんがいなくなっても綾小路くんが学校に残ったら私の悩みの種は残ることになっちゃうし」

「そうなのかも知れない。でもこれは私個人の賭けだから綾小路くんは巻き込めないわ。もし彼を加えることが条件なら、残念だけどこの賭けは不成立ね」

 オレが答える前に、堀北は元々結論を用意していたのか、要求を突き返した。

 だからこそ、この賭け話を一度もオレに聞かせて来なかったのだろう。オレに片棒をかつがせるを避けていたのだ。

「そっか残念。それなら一石二鳥で手間が省けたんだけどなぁ」

「オレも退学させたい対象なんだな」

 気づいてはいたことだが、非常に残念ではある。

「あははは。残念がる必要はないよ。綾小路くんが悪いんじゃなくて、私の本性を知ってしまったことが悪いだけだからさ」

「他言しなければ問題ない、そう単純に片付くことではないの?」

「片付くことなら堀北さんだって賭けをしようなんて言わないよね」

「やっぱりあなたはDクラスに必要な人だわ」

 確かに櫛田は相手をよく観察している。堀北が認め、欲しくなる人材なのも当然か。

「変わったね堀北さん。前はそんなこという人じゃなかったのに」

「いつまでも仲間内でめていたら上のクラスに上がれないもの。永遠に悪循環ね」

 2人がこれほどじようぜつに話し合ったことが、今まであっただろうか。

 互いにガチンコで敵対しあって初めて通じるものがあるというのも、悲しい運命だな。

 同じ中学という共通点さえなければ、櫛田はきっと素直に堀北に協力しただろう。そうなればひらかるざわの影響が及ばないクラスメイトにも手が伸び、もっと早い段階でDクラスは一丸となることが出来ていたかもしれない。

「その賭け、オレも乗ろうか? もちろん堀北が勝つ方にだ」

「ちょっと。何を言ってるの綾小路くん、これは私と彼女の勝負、あなたは関係ないわ」

「確かに元々はそうだな。けど結果的にオレも関係者だ。話を盗み聞きしていた事実もあるんだ、無関係じゃないだろ」

 堀北は自らの責任が大きくなることは避けたいようだが、勝手に好都合だと解釈しておく。もし堀北がテストの点数で勝って櫛田の攻撃対象から一時的に外れたとしても、今度は櫛田がオレに対して攻撃を仕掛けてこないとは言い切れない。

 それなら、今ここで全てをハッキリさせて置いたほうが後々楽だ。

「そうしてくれるとうれしいな」

「けどけに加えられるのなら、ひとつだけオレにも条件がある」

「ん?」

「おまえがほりきたを、そしてオレを追い出したいと思うようになった『中学時代の事件』の詳細をおまえの口から教えてもらいたい」

 絶対に堀北が踏み込まない領域に、オレが足を踏み入れる。

「それは───」

 くしに遠慮はしない。動揺を見せても関係ない。

 こちらは賭けに巻き込まれる被害者だ。権利を主張して、立ち振る舞うことで優位性を確保できる。

「本来それくらいの権利はあるはずだ。こっちは詳細を知らないのに敵視されて退学させられそうになってるんだ。納得いかないのも理解できるよな? 櫛田は堀北が事件の詳細を知っている前提で動いてるんだろ? だったら、今ここで話したところで何も変わらない。テストで勝てば堀北もオレも退学していくし他言される心配もないんだ」

「私は彼女の過去に興味はないわ」

「おまえはなくてもオレはある。勝手に学校生活をおびやかされるのはごめんだ」

 せんさくさせまいとする堀北の言葉をさえぎる。

「確かにあやの小路こうじくんは、完全に巻き込まれた形、それは否定できないね。堀北さんが詳しく話してないんだとしたら、理不尽に感じるのもうなずけるかな。だけど知っちゃったら完全に後戻りできないよ?」

「もう戻れないところまで来てるだろ。それとも知らない聞いてないと言えば許してくれるのか? 絶対に敵として扱わないと言い切ってくれるのか?」

 もう櫛田の中ではオレは敵だとカテゴリ分けされてしまっている。処理する対象になっている。

 返事を待たずに返事の内容は分かりきっていた。

「無理、だね」

「だったら退学を賭けるに値する理由を聞かせてくれ」

 どうしてそこまでと堀北は思うだろう。わざわざ賭けに加わって退学になるリスクを背負わなくても良いと。櫛田の手前言葉にはしないが視線はそう訴えていた。悪いがその願いは聞けないんだよ。せつかくの機会をもらったんだ、櫛田きようの過去を丸裸にする。

「綾小路くんって、誰かに負けない得意なことってある?」

「人並みにしか出来ない器用貧乏だからな。いて言うなら足がちょっと速いくらいか」

「じゃあ分かるんじゃないかなぁ。他人にはない自分だけの価値を感じる瞬間って最高だと思わない? テストで1番を取ったり、駆けっこで1番を取った時、皆が注目してくれるよね。すごい、かついい、可愛かわいい、そんな視線を浴びる瞬間があるじゃない?」

 もちろん分かる。人はめられたい生き物だ。友人や親に褒められ、尊敬されることを嫌う者はそういない。褒めてもらうために頑張るのは立派な動機付けになる。俗に言う『承認欲求』と呼ばれるものだ。社会形成の基本、必要不可欠なもの。

「私は多分それが人よりもずっと強くて依存してるんだと思う。自己アピールをしたくて仕方がないの。目立ちたくて仕方がない、褒められたくて仕方がないの。それがかなった瞬間に自分の価値の高さを実感する。生きてるって最高だと感じる。けど私は私の限界を知ってる。どれだけ頑張っても勉強やスポーツでは1番にはなれない。2番や3番じゃ欲求を満たすことが出来ないの。だから考えたんだ、誰にもできないことをしようって。誰よりも優しく、誰よりも親身になれば、その分野では1番になれるって気づいたの」

 それがくしの優しさの根源か。だが、裏表が無いと自負する善人よりよっぽど好感が持てる。どこまで行っても善人ぶろうとするうそつきよりは、正直者だ。

 当然、口で言うほど櫛田の実行していることは簡単じゃない。優しくしようと思って誰にでも優しく出来るわけがないのだ。

「そのお陰で私は人気者になれた。男の子にも女の子にも好かれた。頼りにされる、信頼されることの快感を覚えたの。小学校や中学校は楽しかったなぁ……」

「やりたくもないことをやり続ける。それはあなたにとって苦痛じゃないの? 私ならとっくに心が持たない、壊れていると思うわ」

 そう聞きたくなるのも無理はない。普通では出来ないことを櫛田はやり続けている。

「苦痛だよ。苦痛に決まってるよ。毎日ハゲそうになるくらいストレスをんでる。いらちから自分の髪の毛をむしったり吐いたりしたこともある。だけど『優しい私』を維持し続けるためにはそんな姿を誰にも見せるわけにはいかない。だから耐えて耐えて耐え続けた。けど心は限界を迎えた。溜め込み続けることは不可能だった」

 毎日巨大なストレスを受ける櫛田の心労は察する。

 しかし、それをいまなおどうやって維持し続けてきたのか。

「そんな私の心を支えてくれたのはブログだった。誰にも言えない内に秘めたストレスを全部吐き出せるのは、そこしかなかった。もちろん全てとくめいでやったよ? だけどありのままの事実をつづった。日頃のストレスを全部そこに吐き出した。そしたらスッとりゆういんが下がって行ったんだ。ブログのお陰で私は私を維持することが出来た。私のことを知らない第三者からのはげましの言葉がうれしかった。だけどある日、私が書いていたブログをクラスメイトが偶然見つけてしまった。いくら登場人物の名前を伏せてても、書いてる内容が事実だから気づかれても無理なかった。クラスメイト全員の無数の悪口を見つけられちゃったんだから、嫌われちゃうのも仕方ないけどさ」

「それが事件の発端なのね」

「翌日にはクラスメイト全員にブログの内容が拡散しててさ、全員が私を責め立てた。今まで散々私に助けられてきたのに、全部手のひら返しして。身勝手だよね。私のことを好きだと言ってた男の子が肩を突き飛ばしてきた。ブログで告白されたことを気持ち悪い、死んで欲しいって書いてたから無理もないけど。彼氏に振られてなぐさめてあげた子が私の机を蹴り飛ばして来た。その子が振られた原因を事細かに書いて笑ってたからだけど。とにかく私は身の危険を感じた。30人以上いるクラスメイトが全部敵に回っちゃったから」

 本来なら絶対に勝てない戦い。くしがクラスからはじき出される姿しか見えない。

「あなたはどうやってその状況を乗り越えたの? 暴力? それともうそ?」

 以前ほりきたと話をして結論が出なかった謎だ。

「私は『嘘』も『暴力』も使ってないよ。ただ『真実』を振りかざしただけ。クラスメイト全員の秘密をぶちまけただけなんだよ。誰々は誰々が嫌いだよとか。ずっと気持ち悪いと思ってるみたいだよ、とか。ブログにも書いていなかった真実をね」

 分からないはずだ。信頼を積み重ねることでしか得られない『真実』という武器。それはオレや堀北の中には存在しないもの。さつしようりよくは低いように思えるが、信頼を失うと引き換えに得ることの出来る強力なもろの剣だ。

「そしたら私に向かってきていた刃のほとんどが、憎い相手に向けられるようになった。男子は殴り合いを始めたり、女子も髪を引っ張ったり張り倒したりで、教室の中はもう大騒ぎになっちゃって。あの時は本当にすごかったなぁ」

「それがあなたの起こした事件の真相……」

「クラスの人間関係の内情を全部ばくされたんだから、そのクラスはもう機能しなくなっちゃうよね。私も当然学校に責められたけど、やったのはとくめいでブログに悪口を書いただけ。それにクラスメイトに真実を話しただけだから学校も処分には困ったみたいだね」

 たんたんと語るが、言葉ひとつひとつには言い表せない重みがあった。

「中学の時とは違って、まだDクラスの仲間のことは詳しく知らない。だけど数人を破滅させるだけの『真実』は握ってるの。今の私の唯一の武器」

 これはおどしだ。他言すればどうなるか覚悟しろということ。

 必要に応じてその真実を利用すれば、結束し始めたDクラスにれつを入れることも出来る。そうなれば今の追い上げムードも消えてなくなってしまうだろう。

「自分のストレスの吐き出し口をインターネットにしてしまったのは失敗だね。不特定多数の人が見るし、情報は永遠にデータとして残ってしまうから。だからブログはやめた。今はストレスを言葉で吐き出すことで何とか我慢してる状態」

 オレが以前見た、くしのもう一つの顔。暴言を吐いていたあの時のことだろう。

「そうまでして、あなたは今のあなたでありたいの?」

「それが私の生きがいだもん。皆から尊敬され、注目されることが何より好き。私にだけ打ち明けてくれる秘密を知ったときに、想像を超えた何かが自分に押し寄せてくる」

 他人が自分の胸の内にだけ抱える不安や苦しみ、恥じらいや希望。それを知ること。

 櫛田にとっての禁断の果実。

「つまらない過去でしょ? だけど私にとってはそれが全て」

 櫛田から笑顔が消える。過去を話し終えたことで、目の前のオレたちは確実な敵になった。ここから先、わずかな同情すらなく、櫛田は勝ちに来ることだろう。

「忘れないでね。数学の点数で私が勝ったらほりきたさんとあやの小路こうじくんは自主退学するって」

「ええ。約束は守るわ」

 一通り話し終えた櫛田は、満足したのか帰って行った。

「本当に良いのか堀北。櫛田とあんなけをして。あいつはりゆうえんつながってる。つまり交渉次第じゃ問題文とその解答を引っ張り出すことも出来る」

「あなたこそ、それが分かっているならどうして賭けに参加したの? 私が負けないと信じてくれたからじゃないの?」

「まあな」

 信じてなどいない。オレはオレなりに考えがあって賭けに乗っただけだ。

「龍園くんから問題文を手に入れるかも知れないと言ったけれど、それはどうかしら。私はその心配はないと思ってるの」

「どういうことだ」

「確かに問題文を手に入れることが出来ればくしさんの勝ちは揺るがない。だけど、それは私の退学が確定することにもなる。りゆうえんくんは私を退学させたいと思っているかしら」

「……それは怪しいところだな」

 あいつはほりきたおとしいれようとはしているが、退学を狙っている風ではない。どちらかと言えば堀北に負けを認めさせたい気持ちが強いように見える。こんな形での決着は理想とするところではないだろう。それに裏にいるオレの正体がわからないうちに、鍵を握る人物でもある堀北を切るかどうか。

「だがうそをついて入手するとしたら? 個人の成績向上のために欲しいとでも言ってけの内容を伏せるかも知れないぞ」

「龍園くんが見抜けないはずないもの。櫛田さんが数学の問題文と解答を欲すればその理由を追及するはず。違う?」

「ま、確かにな」

 だがそれでも、絶対の保証はない。く言いくるめるかも知れない。

 そこまで考えてもらいたいが、そのレベルまで堀北に求めるのは酷というものだ。

「絶対の保証はない危険な賭けだぞ」

「それは常にそうよ。どんな試験でもね。だけど自分の身を切るだけなら楽なものだわ」

 そこにオレが加わったのは堀北にとっては想定外だっただろうな。

 しかし、どうやらこれが堀北のたどり着いた櫛田との戦い方らしい。

 元生徒会長の証人を立てることで、自らの退学の約束と、そして櫛田の過去は他言しないという約束を取り付けしんぴようせいを持たせた。

「後には引けないぞ。やる以上は絶対に勝てよ」

「当然の話ね」

 自らの退学を賭けた堀北の戦いが始まる。

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