〇私に、俺に足りないもの
チャイムが鳴り、体育祭後半戦が開始。
残された4つの競技はクラス内から選ばれた精鋭たちが出場することが予想される。
「そういえば
「出来れば参加したくなかったんだけどな……」
じゃんけんで勝ってしまったのだから仕方ない。借り物競争に出場するのは各クラス6人ずつ。クラス1人ずつが走ることになっており4人一組で1レースとなる少数競技だ。
その分得点は個人競技よりも高く設定されている。
「問題は不在の
推薦競技
「もし良ければ君の意見を聞かせてもらえないかな、綾小路くん。
そう。堀北も陣営には戻ってきていない。午後の部が始まるまでには最悪一人ででも戻ってくると思っていたのだが予想外だ。良い方向に進んでいる可能性が残った。
「オレに頼らなくても
「……どうかな。でも、僕個人の意見としては代役は必要だと思ってる。個人競技の部じゃクラスは多分最下位。総合点で勝ち上がるにはここで勝ちを拾わないといけないから」
「なら、誰を代役に立てるかだな」
「代役には10万ポイントが必要だからね。ポイントの方は僕で何とかする。立てる代役は
「もし1位を取った時、テストの点数を得られるから、だな?」
「うん。そのメリットを生かす方が得策だと思うんだ」
運が大きく左右する借り物競争ならそれが得策と言えそうだ。結果池と山内は一騎打ちでじゃんけんをし、勝った池が意気揚々と参加グループに合流してきた。
「っしゃ! 須藤の分も俺が頑張るぜ!」
気合いだけは須藤に負けず十分あるようだ。競技前審判たちから説明が入る。
「借り物競争では高い難易度のものも設定されている。その場合は引き直しを希望することも出来るが、次に引き直すまでに30秒の待機を要求する。希望するものは競技中クジを引く地点にいる審判に申し出ること。また3名がゴールした時点で競技は終了とする。以上だ」
そんな補足説明を受けた後、借り物競争2レース目に出場するオレは準備に入る。
「よう」
隣に立った男から声をかけられた。視線を合わせるまでもない、Cクラスの
「あの筋肉バカは借り物競争には出なかったのか? てっきり出ると思ってたぜ。それに
「さあ。オレには関係ないからな……。クラスの内情もよく分かってないんだ」
「
すぐオレに興味をなくしたのか、龍園は距離を取るように離れた。とはいっても同じ2レースを走るらしい。程なくして1レース目が始まる。他クラスは運動神経の良い生徒を順当に持って来ているようで
とはいえ肝心なのは借り物の中身だ。最下位で箱まで
「うおおおおおおおおおおお!」
高らかにガッツポーズした池が、突如スタート地点に逆走してきた。
「
「左足?」
「靴だよ靴! 俺の借り物!」
そう言って見せてきた紙には『クラスメイトの左足(シューズ)』と書かれていたのだ。
「いや、オレが貸したら走れなくなるだろ……」
「げっ!?」
近いから逆走してきたようだが、この後借り物競争で走る連中から靴は借りられない。
池は凡ミスに慌てて陣営へと駆けて行った。しかし他の生徒たちは借り物に苦戦しているのかまだゴールに向かうものは見えない。結果、借り物競走はクジ運で勝機を
「バカに出来ないもんだな……」
それから数十秒送れてAクラス、その後にBクラスが続きCクラスが最下位となる。
終わるなり2コースのオレたちのスタート合図が鳴る。
飛び出す足の速い連中のやや少し後ろについてオレもクジ引きの場へ。
「さて、何が書かれてあるんだか……」
置かれた箱に手をいれる。中にはそれなりの数の紙が入っているようだった。間違えて複数引かないように気をつけながら取り出す。四つ折にされた紙を開いた。
『友達10人を連れてくること』
「……
オレはその紙に目を通した瞬間、目の前が真っ暗になるのを感じた。
友達ってだけでもそれなりにハードルが高いのに、10人? ふざけてるのか?
頭の中で考えても10人なんて浮かばない。
「何ボケッとしてんだよ! 早くしろよ
1位を取って調子に乗った
クラス内で頼れる友人枠の内2人(
「チェンジでお願いします……」
ルールに従い借り物の変更を申し出る。
既に他の生徒たちは借り物目掛けて走り出していた。30秒待機し、2枚目へ。
『好きな人』
「いやいやいや……いやいやいやいや」
なんだこの借り物の内容は。ふざけているとしか思えない。
「チェ、チェンジで」
見ているDクラスの生徒たちから困惑している気配が漂ってきたが、どうにもならない問題はどうにもならない。他の連中はこんなのを引いたらマジでどうするのだろうか。
異性に紙を見せたらそれはもう告白と同義だ。仮に
『置き時計』
3つ目の紙でようやく実現可能なものを選択できた。
しかし置き時計となると校内にまで行かなければならないか……?
一応教師たちのテントに向かって時計を探してみるが、置き時計は見当たらない。
そうこうしている間に3名が借り物を
「……ダメだこりゃ」
運に見放された結果、オレは成果を得ることが出来ず最下位で終わってしまう。
手を抜くとか抜かないとか、こればかりはどうにもならない競技だな。
1
グラウンドでは午後の競技が始まろうとしている頃かしら。
私はついに、寮のロビーでソファーに座る赤い髪の生徒を発見していた。
「須藤くん」
驚かせないようにゆっくりと穏やかな口調で話しかける。
須藤くんは少し間を
「……堀北」
私の姿に驚いていたのは、単純にここに現れると思っていなかったからだろう。
「おまえ何しにきたんだよ。……まさか俺を説得にでも来たのか?」
「私が説得に来るようなタイプに見える?」
「それは……見えねえけど。じゃあなんだよ、俺を
「さあ、どうかしら。私自身明確な言葉を出せと言われたら少し言葉に詰まるわ」
「あ?」
よく分からないと
私は何故こうまでして彼を探し出そうとしたんだろうと、改めて振り返る。
「あなたが抜けてしまったら、Dクラスに勝ち目はなくなるわ」
「だろうな。現にヤバイんじゃねえの?」
「ええ。現時点で最下位であることは推測できるし、ここから逆転するとなると
私のクラスでは須藤くんのように突出した運動神経の持ち主はいるけれど、総合的に見た時に
「俺が引っ張ってやってたのによ、クソが。
「あなたの暴走を止めた彼は悪くないわ。むしろ感謝すべきことよ。万が一にでも
「やられっぱなしってのが我慢ならねーんだよ。あいつがやったことは反則なんだよ」
「あなたは言動こそ問題だけれど、体育祭に対しては真剣に取り組んでいたものね」
今回、彼は彼らしくない行動を見せていた。それはある種奇跡だ。クラスメイトのために不慣れなリーダーとして仲間を引っ張って体育祭に挑んだ。
「けれど反省すべき点も多いわ。今のあなたが一人でいることが何よりの証拠よ」
「んだよそれ」
「もしあなたが誰からも頼られ信頼される存在だったなら、きっとここには私じゃなくクラスメイトたちが大勢いたはず。説得して戻ってもらうためにね」
須藤くんはそれで再び
「そういう態度が問題なのよ。Dクラスはいつもあなたに振り回されている。中間試験、Cクラスとの
「マジ説教かよ。今は勘弁してくんねーかな
ここまでジャージが
「悪ぃとは思うけどよ、自分でも衝動を抑えらんねーんだから仕方ねーだろ」
「それでよく皆を引っ張ろうと思ったものね」
「元々は俺が言い出したんじゃねえ。他のヤツが頼んできたんだろ」
「だとしても引き受けた以上一定の責任が生じるものよ」
「っせぇ。知るかそんなもん」
「あなたはいつまでも子供のままね。それは社会では許されないことじゃないかしら」
「っせぇよ!」
叫ぶ。私に強烈な
「ち……何なんだよ」
他の人なら動じたでしょうけど。微動だにしない私に須藤くんは根負けし視線を
「あなたは欠点が露出していて分かりやすいわね。勉強しなければどうなるのか。暴力を振るえばどうなるのか。その先の想像力に欠けている」
「あーもうわーったっつーの! いい加減にしてくれよ!
須藤くんはこの学校に残りたい、
それでも暴力事件を起こしたりしてしまうのには何か背景があるのだろう。
ルーツ、ルーチンを知らなければ須藤くんはいつまでも何度でもそれを繰り返す。
私が──いつまでも一人でいることを望んでいたように。
だから私は彼に嫌われようとも言葉を止めない。今この場で彼の
「気に入らなければ私を
「はあ? んなこと……出来るわきゃねーだろ……」
「女だから? 言っておくけれど私は強いわよ。あなたの
「反撃する気満々かよ……。ったくすげー変わった女だなおまえは。言われたように他の連中なんざ俺を追ってこない。でもおまえだけは追って来た訳だしな」
それは
ただ、私自身が今は納得してここに立っているからそれを伝える必要はない。でも少しだけ気が抜けたのか須藤くんは怒りを収めるようにしてポツりと言葉を
「俺がリーダーを引き受けた理由はよ、運動が出来りゃそれで体育祭は楽勝だと思ったからだ。事実俺は他のクラスの連中にも負けてなかった。改めて個人戦なら誰にも負けねえ自信がついたぜ。でもな、足を引っ張るヤツがいるとどうにもなんねえのが団体戦だ。棒倒しも騎馬戦も、使えねー連中のせいで負けた。それが我慢なんねーのさ」
「あなたが得意分野で負けず嫌いなことは見ていれば分かるわ。でもそれだけ?」
運動で誰にも負けたくないだけなら、リーダーを引き受ける必要はなかった。団体戦で苦戦することも
少しだけ考えるように首を
「……注目を浴びて尊敬っつーの? そんなものを集めてみたかったって気持ちがあったかもな。今まで俺をバカにしてた連中を見返したかったし……ダセェな」
冷静になったことで自分の欲望と、そしてそれを遂行できず投げ出してしまった現実に気がつき
「これで俺も完全に孤立か。まぁいいさ、どうせ中学と同じとこに戻るだけだしな」
「…………」
そんな須藤くんの言葉を聞いて、私は一度黙り込んだ。
果たして私の説教じみた言葉など彼の心に届くのだろうかと。
そんな私に彼を
ずっと低レベルだと思っていた相手が、そうではなかったと感じ始めたからだ。
確かに須藤くんは稚拙で後先考えず行動するタイプ。手に負えない性格をしている。
だけど──見方を変えれば孤独と向き合い戦い続けてきた人でもあると分かってきた。
孤独に立ち向かう勇気を持った彼は、私よりもずっと偉かったのかも知れない。
私は言葉が届かない不安を抱えながらも、懸命に言葉を搾り出す。苦手な対話を続ける。
「……不思議なものね。私とあなたが抱く感情は基本的に同じなのだから」
「あ? なんだよそれ」
「誰かに尊敬されたいと思う気持ち。一人で戦い続けることを望む気持ち。私にもある」
ある種の矛盾を抱えながら、それでも孤独と戦い続けてきた彼と私は似ている。
「思い返せば兆候はあった。中間試験のとき私はあなたを含め勉強のできない人に対して
勉強と運動。対照となる関係であっても、基本的には同じことなのかも知れない。
私が当時須藤くんたちに感じたことを、須藤くんは今強く実感している。
「だったら気持ちがわかんだろ。今は一人になりてぇんだよ」
「そうしてあげたいのは山々よ。でも今あなたの存在を欠けばDクラスの敗北は決まる」
須藤くん個人の問題だけじゃない。クラスの勝敗に大きく
「おまえだって最初同じようにクラスを見捨てたんだろ。諭す資格なんかねえぜ」
そう短く突っぱね、須藤くんはゆっくりとソファーから立ち上がった。
「……そうね」
そう、だから私の言葉には重みがない。直前の直前まで
「がっかりしたろ。けど慣れっこさ。俺はクズの両親から生まれた、だからクズってことなんだよ。絶対に
部屋に戻るつもりなのか、須藤くんは
その様子を見て私はどんな言葉をかけるのだろうか。もう自分自身にも分からなかった。
「クズから生まれた人間がクズだとする考えは間違いよ。その人がどうなるかは人のせいにしていいことじゃない。自分自身が決めるもの。あなたのその考え方は認めないわ」
そう強く否定した。理解しながらも否定しなければいけないと感じた。
「天才の人の妹が天才であったなら、どれだけ苦労しないか……」
「どういう意味だよ」
「……あなたはまだ何者でもない。その何者になるかは自分次第よ。少なくともスポーツの分野であなたは
「だったら勝手にクズの烙印を押してくれ。俺はもうどうでもよくなったんだよ」
「思い通りにならなかったからと言って
どれだけ強い言葉を投げかけても、彼からは生きた言葉が返ってこない。
心を閉ざしてしまっているのか、その門を開くことが『私には』出来ない。
昼休み終了を告げるチャイムが鳴ってしまう。午後の競技の始まりの合図。
これで須藤くんが借り物競争には間に合わないことが確定する。
「戻れよ
「いいえ。あなたを連れて帰るまで私は戻れない」
「だったら好きにしろよ」
止めていた足を動かし、エレベーターに乗り込む須藤くん。
「あなたが戻ってきてくれるのをここで待つわ。いつまでも」
「……勝手にしろ」
閉まるエレベーターの扉。私は最後まで彼の姿から目を離さなかった。
2
「ふーっ……惜しかったね。もう少しでBクラスに勝てそうだったのに……」
「だな」
クラスとしても総合評価を決定付ける流れとなったが、何よりも手痛いダメージを受けているのは
「まだ須藤くんは戻ってこないみたいだね」
「平田、次の競技でもポイントを肩代わりするつもりか?」
「そうする必要があるからね。仕方のない支出だよ」
そうは言っても平田はこれまでに都合3回分支払いをしている。借り物競争と四方綱引きに参加予定だった須藤の2回。四方綱引きに参加予定だった
「まあ……須藤はともかく堀北は後で自分で払うだろうけどな」
不在とはいえ、平田に出させたままにするような人間でないことだけは言い切れる。幸いにもあいつは平田同様に前回の試験で高額ポイントを獲得しているしな。
「いい加減負担させるべきじゃないか。参加する人間に」
「そうかも知れないけど10万ポイントは大きな額だし
「勝手に棄権してる方が悪いって考えにはならないのか」
しかも平田は須藤に
「クラスの勝利もそうだけど、上位入賞で今後のテストが有利になる。参加しておくに越したことはないよね。自腹となれば見送る生徒も多いだろうから」
確かにテストの点数が必要な生徒は大体金欠でも悩んでいる。もちろん点数は欲しいだろうが、下位に沈めば逆にテストが不利になることもあり
残された競技は男女二人三脚とラストの1200メートルリレーだ。
平田は参加希望者が居ないか声をかけようとする。その前に
「あの平田くん。私にも協力させてもらえないかな? 二人三脚に参加したいんだ。もちろんポイントは私が出すから……ダメかな?」
「え?」
自ら名乗りを挙げてきたのは意外にも櫛田だった。
「平田くんだけに負担かけられないよ。それに堀北さんと須藤くんのためにも頑張って
「それはもちろん、櫛田さんなら運動神経もいいし歓迎だよ」
「ありがとうっ。
そう言って駆け出していく。
「じゃあ後は男子だね。声をかけてくるよ」
「なあ
「それは──うん。もちろん構わないけれど……だけどいいの?」
「おまえだけに負担させるのは気が引けるし。それに次のテストは少し不安なんだ。1点くらいは確保しておきたいってやましい気持ちもあるからな」
許可を取った上で、オレはすぐに
「須藤の代役はおまえか
「はい」
「
「須藤くんの代わりに参加するのって綾小路くんなんだ。よろしくねっ」
「よろしくな。あまり足は速くないがその辺は許してくれ」
「二人三脚は単純な足の速さよりも息のあったプレーだと思うよっ」
そんな話をしながら、オレたちはすぐ競技の準備に移る。
「やっほー綾小路くん。それに
そう言ってやって来たのは
「わー強敵だね。二人が一緒に組むなんて……」
「柴田くんはそうだけど、私は別に大したことないよ? まだ1位1つも取ってないし」
「そうなの? 意外だねっ」
「2位が1つと、あとは4位と5位ばっかりでさ。ほんとは別の子が出る予定だったんだけど、実はお昼前の200メートル走で足を
どうやらBクラスからも欠場者が出てしまったらしい。二人は即席のタッグか。
「柴田くん、もう結んじゃってもいい?」
「オッケー」
仲良く
「じゃあこっちも……。えーっと、紐を結ぶのは任せてもいいか? 男が勝手にやるのもちょっと抵抗あるしな」
「いいよっ。でも不思議だね、堀北さんと練習する時は綾小路くんから結んでたのに」
いつも思うがよくクラスのことを観察しているな。
「あいつは……まぁ例外だ。他の子とはそうはいかない」
「特別な存在ってことかな」
特別な存在というか特別な立ち位置であることは事実だが、何とも伝えづらい。
「それよりも
「オレも意外だった」
「それにしては驚いてなかったように見えたけどな」
「元々顔には出づらいからな」
「ポーカーフェイスってヤツだねー」
「櫛田」
「もうちょっと待ってね。もうすぐ結び終わるから」
そう言って
そんな櫛田に対してオレは不意に話を切り出すことにした。
「おまえだよな。Dクラスの参加表をCクラスにリークした裏切者は」
「……やだな
「見たんだよ。おまえが黒板に書いた参加表の一覧を携帯で撮影するところを」
「あれは忘れないために記録しただけだよ。自分の順番を忘れたら大変だから」
「手書きで自分の番をメモするだけ。そう取り決めてただろ」
「そうだったっけ、ごめん忘れちゃってたな」
「もしかしてそれで私を疑ってたり?」
「悪いが確信してる。そうでもなければここまで都合よくCクラスにやられたりしない」
こうやって二人きりになれる時は限られている。話すにはある種絶好の機会だ。
「うーん、でもさ、仮にDクラスの参加表を誰かが
「そうだな」
もちろんCクラスが
「ねえ
「それは無意味だろ。裏切者がDクラスの生徒ならどうにでもなる」
「というと?」
「例えば櫛田の言うように期間内に参加表を書き換える。そして黙って新しい参加表を提出したとしても、Dクラスの生徒ならそれをいつでも確認、閲覧することが出来るはずだ。
いつでもリストの確認くらいは認められているはずだ。
つまり裏で工作しても、結局繰り返し参加表を確認すればオーダーがわかる。
櫛田……いや、
「でも本当の参加表をギリギリまで隠してさ、それを提出していれば後からそれを見た人がいても
「それなら参加表からのリークはないかもな。そこまでは頭が回らなかった」
「あ、でもそんなこと勝手にしたら後で他の人たちが混乱しちゃうかー……ダメだね」
その考えは悪い線じゃない。この参加表を巡るスパイ活動を無効にするには、
「話の流れは分かったけど私は犯人じゃないよ? でもクラスメイトを疑いたくもないな」
「なら後で
特に携帯で撮影したと自白した
「…………」
口を閉じた櫛田から初めて
だがすぐに深い笑みが
「──ふふっ。やっぱり
櫛田が笑う。そこには以前見た、オレの知らない櫛田の顔があった。
「バレちゃったら仕方ないね。そうだよ、私が参加表の情報を
「認めたか」
「うん。茶柱先生に聞かれたら確かにバレちゃうし。時間の問題だからね。それに綾小路くんに真実を話したってバラされないって確信があるもん。忘れたわけじゃないよね? 綾小路くんが触れた私の制服のこと。もしあれが表に出れば大変なことになるよ?」
櫛田が裏切り者だと誰かに話せば、指紋つきの制服を学校に提出するという
「確かにオレにはおまえが犯人だと突き出すことは出来ない。だがついでに教えてくれ。船上での試験。あれもおまえが
「その見返りって? クラスを裏切ってまで私が何をしようとしたか分かるの?」
「今回の体育祭、ここまで
「あはは……うん、なるほどね。ほんとに綾小路くんは分かっちゃったんだね」
「ああ。おまえがどうしてクラスを裏切るのか。その明確な理由が知りたかった」
「私が『
「
体育祭の前に当人たち同士で解決してもらいたかったが、そう都合よくはいかなかった。
「悪いけど私は堀北さんを退学にさせる。これは何を言われても変わらない考えだから」
「つまりそのためなら、Dクラスを突き落としてもいいと?」
「そうだね。私はAクラスに上がれなくてもいい、堀北さんを退学させられればそれで満足なんだよ。だけど勘違いしないでね。
どうやら
「あ、でも一つだけ考えが変わったことがあるんだ。それもたった今。それは
いつもの飽くなき
「
「私もバカじゃないから簡単に証拠を残すような
それでも、
櫛田は本気で堀北を
この学校の仕組み上、味方に裏切者がいるだけで絶望的な戦いが繰り返されてしまう。
参加表の順番も、戦略も、
まあ……裏切者が居る前提で戦略を立てられないサイドにも問題はあるが。本当に優秀な人間なら裏切者を利用して勝つくらいの芸当をしてもらいたいものだ。
「体育祭で堀北さんボロボロだね。助けてあげられなくて残念じゃない?」
さあどうだろうな。そう短く答えオレたちは敵対しあいながらも二人三脚に挑んだ。
3
無力な私はただ、
ずっとエレベーターの前に立ち尽くしているしかなかった。
陣営に戻ってリタイアすることを告げたところで私に代役に必要なポイントを支払う能力もない。手持ちのポイントの全ては龍園くんに後で没収されてしまう。つまり代理で参加する生徒の肩代わりも出来ない。戻ったところで無力な存在だからだ。
けど、その場を離れない理由はそれだけじゃない。
少しでもここから離れたタイミングで須藤くんが戻ってくればきっとがっかりする。
それにDクラスの敗北がほぼ決まった中で、私に出来ることをしたいと思った。
須藤くんが戻ってきてくれることを信じる。
ただそれだけだ。
そしてその思いは実る。
「おまえ……マジでずっと残ってたのかよ」
「やっと戻ってきたのね
冷静な素振りを見せたが、内心は
エレベーターに乗り込む須藤くんの姿を見た時、思わず声が出たほど。エレベーター内を監視できるカメラがあって良かったと心底思う。落ち着く時間が得られたから。
「もう終わってんじゃねーの、体育祭」
「そうかも知れないわね。でも今から戻ればまだ何かの競技には間に合うかも知れない」
「そんなもんに出てどうすんだよ。もう負けは決まったも同然だろ」
「確かにこの体育祭、私たちDクラスは想像以上にボロボロの結果が待ってるでしょうね。私は
逆転の望みを持って挑みたかった
「あなたがここに戻ってきたのは、競技に戻るためと思っていいのかしら」
「違ぇよ。もしかしたらおまえが残ってるかもって、その確認だ……」
「そう。私はこの1時間、あなたを待っている間に色々と頭の中を整理していたの。自分はどんな人間で、あなたはどんな人間なのか。それを改めて考えてた。やっぱり私とあなたは似ていると」
一人になって落ち着いて、やっとその答えが明確になった気がする。
「何も共通点なんてねーよ。おまえと俺じゃ違いすぎる」
「いいえ。あなたと私は良く似てる。考えれば考えるほどそう思うようになった」
それは
「いつも一人。いつも孤独。でもやれると信じて行動してきた。私とあなたに違いがあるとすれば、認められたいと思う対象が一人か大勢かの違いだけ。生徒会長のことは前に伝えた通り知っているわね?」
「ああ。スカしたヤツだろ。すげえヤツみたいだな」
「あれは私の兄なの」
「……あ? ……そういや、ケンカしてるとか何とか……言ってたな」
私は思い返す
「私たち
「ちょ、ちょっと待てよ。おまえは頭も良いしスポーツだって出来んだろ」
「一般的に見ればね。でも兄さんにしてみれば大したことはない出来て当たり前の領域」
恐らく私のレベルに、兄さんは中学1、2年生で到達していただろう。あるいはもっと早く。
「兄さんに追いつくために私は周りに目も向けず走ってきた。その結果がいつも一人。振り向けば誰も私にはついて来てくれなかった。それで良いと思っていたのよ。自分さえ優秀ならいずれ兄さんに答えてもらえると信じていたから。この体育祭だって、私は打算的なことを考えていた。沢山の競技に出て活躍すれば、兄さんの目にも止まる。リレーでアンカーを走りたいって言ったのもそれだけの理由。そうすれば声をかけてくれたり応援してくれるんじゃないかと淡く期待した。クラスのためだとか、自分のためだとか、そんなことは本心では二の次だった」
須藤くんの弱さと向き合うことで、私は自身の弱さと向き合うことに成功した。
「認めてもらえねーのか。そんだけ頑張ってきても」
「ええ。全くね。だけどやっと気がついた。私は優秀なんかじゃない。この体育祭でも
「
「あなたと私に違う点があるとするならその部分ね。私は絶対に諦めない。兄さんに認めてもらうために、恥ずかしくない人間になるために努力する」
「苦しいぜ、その道ってヤツはよ……」
「そうね。世の中が自分ひとりだったら、きっと苦しむこともなく楽だったでしょうね。だけどそんなことを考えても仕方ない。この世は自分ひとりじゃない。世界には何十億って人が存在しているし、周囲にも無数の人が存在している。無視なんて出来ない」
人は一人では生きていけない。必ず誰かと共に歩んでいかなければならない。
この体育祭はDクラスにとっては試練であると同時にありがたいものになっている。
「私は言ったわ。あなたはまた暴力を繰り返すって。そして突き放した。でもそうじゃない。それは正解じゃなかった。もしもあなたがまた道を踏み外しそうになったなら、その時は私が連れ戻す。だから卒業するまでの間、あなたの力を私に貸して。私もあなたに全力で力を貸すことを約束するから」
目を見つめた。
「さっきまで、全然そうでもなかったはずなのによ……なんで今のお前の言葉はそんなに重いんだろうな」
「素直に認めたから、かもしれないわね。私は本当は……ダメな人間で、それから目を背けていただけだってことを」
大手を振ってそんなことを人には言えない。だけど同じ存在なら話は違う。
「もう一度言うわ、
「
須藤くんは両手で力強く握りこぶしを作ると、二つの
「あー……んだよこの感じ。よくわかんねぇけど、目が覚めた気がする……」
そう言って、私に一歩詰め寄る。
「協力するぜ堀北。俺は……俺はバスケ以外で初めて自分の存在意義を認められた気がする。おまえのその気持ちに答えたい」
その言葉に、私は自然と笑みが
この胸の高鳴りはなんだろう。友情とか恋とか、そういう
そんなものとは別の……そう、恥ずかしい言葉で言うなら、仲間という存在が出来た。
きっと、それはまだまだ不足している。
けど、小さい最初の一歩を踏み出せたんじゃないだろうか。