ようこそ実力至上主義の教室へ 4.5

〇他クラスとの交流会



「今日も今日とて暑い……」

 オレ自身この夏で何度口にしたか分からない。

 しかし暑いものは暑いから仕方ない。言葉にすると余計に暑いが、どうしても言わざるを得ない。心の中でつぶやくだけではまるストレスを発散しきれないからだ。

 この猛暑を好き好むのはセミくらいなものだろう。

 それはさておき、今回俺は非常にまれな事件に巻き込まれている。ただ事件とは言っても、恐らく事情を知れば多数の男子生徒から強い反感を買うような、そんな事件だろう。

 だがその事件には厄介な問題があるのだが……。

 ま、それは追々ゆっくりと語っていくこととしよう。

 寮から少し離れた学校へ続く並木道を抜けた先の休憩所。今現在オレはそこにいる。ここにはいくつかのベンチと自販機が設置されていて景観も良く春先などには生徒がえない。休憩や雑談には最適な人気のあるスポットだ。だが今はもぬけのからで人っ子一人いない。この暑さゆえに訪れる生徒の方が珍しいオフシーズンと言えるだろう。だからこそ内密な待ち合わせ場所としては最適なのだ。

「お待たせ」

 ベンチに座っていると、待ち合わせしていた相手が寮の方角から歩いてやって来た。

 日差しがきついのか手で直射日光をさえぎりながら、天を仰いでいる。

「暑い……」

 オレと全く同じ感想を漏らしたDクラスの生徒、かるざわけいが隣に腰を下ろす。長いポニーテールの髪が揺れる。服装は非常にカジュアルでジーンズにシャツとシンプルだが、それでいて休日だからと手を抜いている感じは全くしない。見た目に関する全てが本人の中でコーディネートされ尽したものなのだろう。とても良く似合っている。

 どれだけ暑くても女の子はお洒落しやれ優先だから大変だな。

「忙しい中悪いな。急に呼び出したりして」

「それっていや? 夏休みの始めに遊び過ぎたせいでポイントに余裕ないから最近はにいるけど?」

「明日の予定もか?」

「お金がないと何もできないからね。多分寝てるんじゃない?」

 実に自堕落的な夏休みを送っていたようだ。

「来月になれば沢山ポイントも振り込まれるさ。例の試験結果もあるしな」

 船上で行われた試験で優待者に選ばれた軽井沢はオレとの協力関係もあり最後までそれを隠し通した。9月になればその成功ほうしゆうとしてかるざわには50万ポイントが振り込まれる予定になっている。

「まぁね。だから欲しい服とかアクセの目星だけは付けといた。けどさ、振り込まれるポイントは全部使っちゃっていいわけ? 残しておいた方がいいよね?」

「我慢できるのか?」

 ちょっと意地悪に聞いてみると、ほおを膨らませて軽井沢がにらみつけてきた。

「そりゃ……簡単じゃないけど。使おうと思えば1週間かかんないと思うし」

 軽井沢は両手を広げ、指を折り欲しいものをぶつぶつ口にする。あっという間に両手の指は全部折れてしまう。一体どれだけ欲しいものがあるんだ。

「でもあたしだって何も考えてないわけじゃない。プライベートポイントが大きな存在だってことは分かってきてるし。学校の仕組みとしておかしいじゃん。特別試験でもらったポイントってけた違いに多い数値でしょ。周りも結構戸惑ってるっていうか」

 なるほどな。どうやら、ついに普通の生徒たちにまでその疑念が広まりだしたらしい。突然大金を持たされれば当然しんあんになる。学校はそんなことをするんだと。そして悟る。このポイントはおそらく私利私欲のためだけに使っていいものじゃないと。

「そうだな。生徒によっちゃ100万200万って金を所持することになっていくしな」

「それよ。高校生にそんなお金持たせていいわけ? 絶対普通じゃないって」

 ポイントの多くはこれからの学校生活で『生き残るため』に必要になる。軽井沢もそれに気づいたからこそ使い切っていいのかわからなくなっているのだ。例えばの話だが、自分が退学になる失態を犯したとしても、プライベートポイントさえあれば無効にできる可能性すら秘めている。

 そう考えれば保険として何百万ポイント所有していても多すぎることはないだろう。

「今はまだ深く考えないでいい。先のことを見すぎて欲求を抑えるのも毒だしな。毎月入って来るポイントの1割か2割残せればそれで十分だ」

 欲と節度はきんこうを保っていないと心のバランスを崩してしまいがちだ。特に今まで自由にお金を使ってきた軽井沢にいきなり欲を封じ込めさせるのは良くない。そう判断した。

 それに軽井沢の私生活がいきなり激変するのも周囲にどんな影響を与えるか分からない。

 今まで散財してきた少女がけんやく家になればクラス内からも怪しむ声が出そうだ。オレとのつながりが出来たとしても今の段階で周囲には極力それを知られたくない。

「さて、と。ひとつおまえに頼みがあるんだが」

「……こんな暑い日に呼び出したことに対するびみたいなものはないわけ?」

「これでいいか?」

 買ったもののまだ飲んでいなかったお茶のペットボトルを差し出す。

 不本意そうではあったが渋々受け取った。

「ちょっとぬるくなってるじゃない……」

「この気温じゃ無理もないからな」

 地方のひどいところじゃ今日も40度以上を記録したらしいし。数字を聞くだけで暑い。

 不服そうにしながらもかるざわのどかわいていたのかキャップを回す。

「む……これハズレのヤツじゃない」

「ハズレ? お茶に当たりくじなんかついてなかったと思うけどな」

「その冗談面白くないけど? ふたが固いってこと」

 なるほど……確かにそれは面白くない勘違いだな。

 手を伸ばして一度回収すると、キャップを少し回してから軽井沢に差し返した。

「ありがと」

 船での一件をて軽井沢とオレは距離が縮まり、以前では考えられなかったが会話が生まれるようになっていた。経緯が経緯なだけにオレに対して不満や不信感も強く持っているだろうが、それを色濃く出す様子はない。

 こいつは自分をコントロールすることを熟知している。自分の立場を、存在を守るためであればどんな環境にも適応できるということだ。

「明日で夏休みも最終日だ。友人の一人から夏の思い出を作りたいと提案された」

「夏休みの思い出って。この学校には花火もお祭りもないけど?」

「この学校には大きなプールがあるだろ。普段は水泳部専用として使われてる施設だが、それが今だけ開放されてるのは知ってるか?」

 授業で使うプールよりも更に広く充実した設備が整えられている。それが夏休み最終日までの3日間だけ誰でも使える市民プールのような形で開放されている。初日に大勢の生徒が群となって押し寄せたことで規制が入り、きゆうきよ3日間のうち1回だけの入場にするよう制限がかかったほどだ。先ほど2日目のイベントは終了したが、今日も大にぎわいだったらしい。

「あぁ……そう言えばそんなのもあったっけ。あたし泳ぐことに興味ないから」

 軽井沢は学校で、水泳の授業に関してはかたくなに体調不良を理由に休み続けている。ポイント制度を取り入れているため授業をサボりにくい学校だが、生徒個人の体調不良、特に女性特有の問題である不確定要素を追及することは出来ない。そのため軽井沢だけにとどまらず女子は一定層が授業参加を拒否し続けている。泳ぎたくない理由は当然様々だろう。体調不良、カナヅチなのを知られないため、そもそも泳ぐのが嫌い、同性異性に素肌を見られるのが嫌。スタイルが悪いから。大半はそういった理由だ。しかし隣にいる軽井沢に限っては少しだけ事情が異なる。

 プールの話題に対し思うところがあったのだろう、軽井沢は明後日の方角を向いてお茶を飲んだ。

 かるざわは以前同級生からひどいじめを受け、わきばら付近に深い傷を負っている。そのあとは今でも痛々しく残っていて、誰かに見られれば注目を浴びることは避けられない。

「泳ぐこと自体は好きなのか?」

「んー……嫌いじゃないけど。もう何年も泳いでないから泳ぎ方とか忘れたかもね」

 あいまいにそう答えた。けどそれが軽井沢の本心ではないことは透けて見えてくる。

「で、そのプールで男子が思い出作りしようってこと? それってただのエロ目的でしょ」

 それは否定できない。というか動機は純度100%その理由だろう。

「それとあたしになんの関係があるわけ?」

「その前に──ひとつ質問だ。お前が虐められていたって事実を本当に学校側は知らないのか?」

「は?」

 今までらしからぬ姿でおしとやかにしていた軽井沢がこつげんな顔を見せた。こちらを向いた軽井沢が強くオレをにらみつけてくる。オレはその顔を真っすぐに見つめ返す。

「あたしがその話題を好まないこと分かってるでしょ?」

「無意味に古傷をえぐってるわけじゃない。これから話す事に関係するから聞いている」

「でも……」

 軽井沢にとってもこの問題はとても大きなものなのだろう。簡単には理解を示してはくれない。だがこちらが説得を試みる前に自分自身を納得させることができたようだった。

「……わかった。あんたの言うことを信じる。きっと意味があることなんだってね」

 自分の中のわだかまりを懸命に消化して飲み込んだようだ。

「あたしが虐めを受けてた事実。それを知ってるかどうかって話なら間違いなく知らないんじゃない? あたしの不登校の時期とか中学時代の休みの多さは把握しているだろうけど、全部病欠とかサボりとか、そんな理由として認識してるんじゃない? あぁ後は、虐めで授業どころじゃなくて頭が悪いところとかね。それでDクラスになったんだろうし」

 やや自虐を混ぜて答えた。軽井沢がDクラスに配属された理由はおおよそ推察通りだろう。出席率の悪さと学力の低さという分かりやすい印象の悪さが響いたとみるべきだろう。こいつがごうまんな態度を取り出したのは虐めから脱却した高校生活からだ。虐められていたという理由でDクラスに配属されるとは思えない。

「学校が調査してもおまえの虐めは判明しなかったってことだろうな」

「世の中が盛大に腐ってることくらいわかるでしょ?」

「そうだな……」

「あたしは確かに長年虐めに苦しんできた。先生や同級生に助けを求めたこともある。でも、それは自分を苦しめる結果にしかならなかった……。傷つけられる現実から助かることはなかった。それどころか虐めはどんどん悪化したし」

 いじめ問題の根深いところだな。次から次へと悪循環におちいってしまう傾向が強い。

 多くの人がニュースを見ていれば嫌でも痛感しているはずだ。虐めは単純な解決を図れないと。一度波が引いても、次はもっと大きな波が被害者に襲い掛かって来る。

「どれだけボロボロになっても、学校は簡単に虐めだとは認めないし助けようとはしない。精々いじめっ子に軽く注意をするくらい。そしてまた虐めはひどくなる。でしょ?」

 残念な話ではあるが確かにその通りだ。学校にチクったのか、どういうつもりなんだと余計に責め立てられる。もし学校が虐めを認識していたとしても世の中の大半の虐めは学校内で内密に処理され表に出ない。自らの学校に虐めがありましたなんて、そんな悪評をわざわざ広めたりはしない。虐められた子が遺書を残して自殺したとしても、かたくなに事実を認めようとしない学校すらある。

 だが何よりつらいのは自殺しても救いがないことだ。虐めっ子は死んだ人間を侮辱し、笑い者にし、SNSにゆうでんごとく公表するケースもある。死後も虐められ続けるという恐ろしい時代だ。

「学校も虐めてきた連中も、そして虐められたあたしでさえも、誰一人虐めの事実を認めない。仲の良いクラスメイトって答える。答えるしかない。どれだけ非道な現実があったとしてもね」

 そんなもんよ、とごとのように言った。それはかるざわにとっては変えようの無かった過去でもあり、変わらなかった過去でもあるということだ。事実、この学校は徹底して軽井沢の内情を調べただろう。しかし出て来るのは不真面目まじめに休みをとる頭の悪い学生という評価だった。

 学校全体だけじゃなく、その周囲全てが口裏を合わせたらどうにもならない。

 そう考えるとうそに勝る真実は無いのかも知れない。

「けどあたしは感謝してる。虐めてきたヤツらにもそれをいんぺいした学校にもね」

 しんらつな過去を思い出し涙してもおかしくないものだが、軽井沢はそう言って前を向いた。

「ここの皆は誰もあたしの過去を知らない。だからこそあたしは新しい自分を手に入れることが出来た。もし虐められたままのあたしを周囲が知っていたら、きっとこうはならなかったから」

 最悪の状況を自分の機転で変えた。ひらという人望者に取り入るという方法で。

「軽井沢、素直に賞賛したい気持ちもあるが言っておく。これからは虐めに加担する行為は禁止だ」

「は? あたしが誰か虐めてるっていうわけ?」

「普段から強気なのはいいが最近はくらへの当たりが強い。あいつはお前を虐めたりするような子じゃないことは明白だ。被害者にならないためとはいえ加害者になるな」

 そう言ってくぎを刺した。

 どれだけの過去をかるざわが持とうと、容認出来ることと出来ないことがある。

くらさん、ね。あんたをしたってるから助けてあげようってわけ?」

「理由が必要なのか? いじめられる側の気持ちはおまえならよくわかるはずだけどな」

「あたしにとっても今の地位は生命線。不用意なことで失いたくない。佐倉さんには悪いけど弱者がいることで成り立つ強者もいるってこと。特にあたしのような偽りの強者にはね」

 虐められるくらいなら虐めてやる、そういう覚悟がわずかにだが見て取れた。

「佐倉のためだ。あいつには何度か世話になっているからな」

「……ふぅん。素直に認めるんだ」

 不服、不満、そんなたぐいの目じゃなかった。軽井沢はただ疑問をていするような目をしていた。

「言葉に重みを感じられないけど……わかった。今度から気をつける。それでいい?」

「聞き分けが良くて助かる。おまえはもうひらを使って十分に今の強者の地位を確立できた。立場が危うくなることはないはずだ」

「確かにあたし自身ちょっとやり過ぎて加害者になっちゃってたかもね」

 そこまで自分のことを客観的に見れるのなら何の心配もいらないな。

「でも、もしあたしの立場が危うくなったら……」

「その時はオレが全面的にバックアップする。必要なら平田でもちやばしら先生でも味方につけてお前の敵を排除する。それは約束しよう」

「ん……なら、約束する」

 元々本質的に軽井沢は暴力的、あつ的な手段をとる子ではない。本人も言ったが、自らを守るためにそういう自分を演じていただけにすぎない。普通、長年虐めを受けていた人間は簡単に社交的になれないがこいつはそれを苦にしない強心臓の持ち主だ。それはオレのおどしに屈しなかった時に確信した。

「なーんでだろ……」

「なにがだ?」

「いや、さ。あたし過去の話なんて思い出したくもないし、誰かに聞かせるなんて絶対にないと思ってた。なのにあんたに話しちゃってる。しかも意外と平気なのが不思議でさ」

 それがどうしてなのか自分でもわからないらしい。もちろんオレにも理由は分からない。

「あたしからも少し聞いていい? あんたって今が素なのよね?」

 クラスで唯一オレの二面性を見ている軽井沢は、少し警戒しながらそう聞いてきた。しかし質問内容は意外と考えさせられるもので、つい腕を組んで答え方を悩んでしまう。

「いつも素ではいるんだけどな」

「全然違うじゃん」

 そうなのだ。つまり厳密には素ではない。性格を偽ってるとか、そんなのとは少し違う。

「参考までに聞きたいんだが、いつものオレと今のオレは何が具体的に違うんだ?」

「いつものあんたは根暗っていうか暗いしやべらないヤツ。でも今は積極的っていうかハキハキしてる。真逆だから余計に際立って見えるっていうか。口調も違うし。一体どういうつもりなわけ?」

「どういうもなにも……単純に周りに人がいるかどうか、の違いじゃないか?」

 一番近い答えを模索するとそうなる。だがしっくりは来ない。

 オレという個体、人間は正直言って『生まれたばかり』だ。この学校に入学した瞬間に形成されたものであって、まだ液状。固形化するには時間がかかる。

 特に人との接し方、口調なんかは何が正しいのかまだ分かっていないのだ。

「とにかくオレはいつもオレでいるつもりだ」

「全然そう見えないから聞いたんだけど」

 かるざわはジーッと目を細め不満そうにくちびるとがらせて言った。

「今は先に話を進めよう。オレという人間はおまえがこれから見て判断していけばいい」

「なんかはぐらかされた気がするけど……プールの話、続き聞かせて」

「明日オレを始め、いけやまうちどうの4人と、ほりきたくらくしが出かける約束がある」

「またいびつな組み合わせ。特に堀北さんと佐倉さんが浮いてる。あんたがいるからなんだろうけどよくしようだくしたっていうか。かんされまくるでしょ。ご愁傷さま」

 女性陣は普通に誘えば絶対に来ないことは目に見えているからな。そのあたりは非常に面倒な要素だったが。軽井沢が違和感を感じるのもよくわかる。

「ともかく、プールに行ってそのグループに合流してほしい」

「は!? それ、マジで言ってるわけ!?」

 普段このグループとは接点がない……いや、どちらかと言えば関係の悪い状態にある軽井沢が参加するのは不自然だ。

「水着は寮から服の下に着て行けばいい。多少嫌だろうが、帰りも同じようにしていけば問題ない」

「いやいや、そういう問題じゃなくって。ものすごく嫌なんだけど?」

「気持ちはんでもいいが、結局拒否権はないんだけどな」

「うわ……さいてー」

「どう言われても確定の話だ。おまえには指示通り動いてもらうからな」

 そう言ってオレは手書きしたメモを強引に手渡す。

「せめてものはいりよはしてある」

「何よ、せめてもの配慮って。バリバリ一日こうそくなんだけど? 夏休み最終日にっ」

「どうせで寝て終わる予定だったんだろ? 特に問題ないな」

 本人の口からそう言っていたのだから否定のしようがない。

「グループに合流はしてほしいが、参加しろと言うわけじゃない」

 意味が分からないと言った様子でメモを詳しく読む。

「合流と参加の何が違うって……?」

「それは───」

 オレはかるざわに、軽井沢をしようしゆうするのかの理由を事細かに説明していくことにした。

 話を聞き終えた軽井沢は軽く頭痛を覚えたのか、頭を抱える。

「どうした。頭が痛くなったか?」

「そりゃ頭も痛くなるし。だってあいつら……いい、なんでもない。聞いたって意味ないし」

 それを耳にすることすら記憶の無駄遣いだと言いたげだ。

ほりきたさんにお願いすればいいじゃん。仲いいんでしょ?」

「あいつには頼めない。オレが裏でこうやって動いてることをあいつは知らないからな」

「え? なんでよ」

 当然の疑問だが、その疑問を解消するのは少し難しい。適当にはぐらかしてすのが正解なのは分かりきっているが、オレは軽井沢に対してはもう少し踏み込むことを決める。

「船でオレがおまえに接触したことも、今回のことも全部独断だ。それを話さない理由は、オレにはまだあいつが信用できないところがあるからだ」

 偽りなく全てを正直に話した。

「あれだけ一緒にいるのに信用してないとか変な話」

「あいつはオレのかくみのとして優秀だからな。勝手に目立ってくれる」

「じゃあ利用してるだけってこと?」

「適切な表現ではないが、この場では適切な表現かもな」

「ん? よくわかんないんだけど……。たまに微妙なニュアンス挟むのやめてよ」

 イーっと白い歯を見せて抗議してきた。

「……けどたくらみはくいってるってことよね。あたしも今まで堀北さんが全部考えて行動してると思ってたし。ってかマジでアンタ何者?」

 軽井沢の中でオレの存在は不可思議に見えていることだろう。

「ま、いっか。あたしが堀北さんより信用されてるってことは悪い話じゃないし」

 そう。そういう意味では間違ってはいない。軽井沢が堀北に勝っている部分を持っているからこそ、堀北に話していないことを軽井沢には伝えている。

「大人しく従って実行すればいいんでしょ」

「よし。そうと決まれば今からこの件で少し付き合ってもらいたいんだがいいか? あらかじめ下準備をしておかないと対応できないだろうしな」

「どうせ拒否権はないし、了解」

 早く済ませてよ、とかるざわが立ち上がりパンパンとおしりの汚れを払った。

 こっちとしても貴重な時間を無駄にはしたくない、軽井沢と一緒にプール施設へと向かった。


    1


 そんな軽井沢とのやり取りからさかのぼること1日前の夜のこと。

 残りわずかな夏休みを寮の自室でまんきつしていると、いつものように3バカ代表?であるいけからグループチャットが入った。

『夏休みが青春の一つもなしに、このまま終わってもいいのだろうか?』

 ちょっと深そうで、それでいて何にも考えてなさそうな突然の一言。

 まだ誰もその一言に返事をする前に更に池は続けた。

『一年の貴重な夏休みが、青春もなしにこんな形で終わってもいいのだろうか?』

 もう一度。少しだけ文章が変わって届いた。

『いいや、よくない』

 やがてその文章に呼応し、賛同するようにやまうちが続く。

 失恋を経験したばかりの男にとっては、新しい青春は必要不可欠なのだろう。

『俺もだ。俺も青春が欲しい』

 そして更に呼応するようにどう。部活は充実していても恋愛はしたいのだ。

『なら立ち上がるべきだ。待ってたって青春は来ない。今こそ肉食系男子になるべき時が来た!』

 青春を追い求めるのは結構だが、どうやって青春を得ようと言うのか。

『何か良い手でもあるのかよ』

 誰かがそんな風に聞いてくるのを待っていたのだろう。直後に長文が送られてくる。

『もちろん俺に考えがあるぜ! 今期間限定でプールが開放されてるだろ? あれに夏休み最終日の明後日とびきりの女子連中を誘って泳ぎに行くんだよ! 俺のきようちゃんだろ? はるくらだろ? けんほりきたも!』

 山内が蒸し返されたくない傷を掘り返されつつ、そうそうたるクラスの女子たちの名前が上がる。

『そりゃお前、すずが行くなら行きたいけどよ。あいつが来ると思うか?』

『それはあやの小路こうじ大先生がなんとかしてくれる! だよな?』

 できらぁ! とは簡単には言えない。

『なんとかしてくれるよな? おまえは俺の友達だよな?』

 どうのスタンプ無しのきようはくじみた一文。こんな時にだけ友達を都合よく使い分けてくれる。

『やるだけはやってみる。過度な期待はなしだ』

 それだけ答えチャットを一時中断し、ほりきたの方に軽く電話してみる。素直に須藤の頼みに応じたのは オレとしても堀北を誘ってやりたいと思った部分があったからだ。

 今は特にクラス内で堀北の評価が上がり始めているだけに効果も期待できるだろうしな。

「何か用かしら」

「用がなきゃ電話しちゃダメだったか?」

「切るわよ?」

「待て待て用件はある。実は仲間内から明後日プールに行こうって話が出てるんだ。それで毎日の中で読書漬けの堀北にも声をかけてやろうと思ってな」

「仲間内ってあのずっこけ3人組でしょう? 彼らと行動を共にする気にはなれないわね」

 また懐かしい名前を……。

「お断りするわ」

「もしオレと二人きりだったら来てくれたのか?」

「同じようにお断りするわね」

 ですよねー。

 だが、今回に限ってはオレにも少しだけ秘策がある。

「水筒」

 その単語に、電話の向こうにいる堀北の態度、空気が変わるのを感じた。

「なんか、水筒って単語が頭に引っかかるんだよな」

「……なんのこと?」

 大人しく従えばいいのに、堀北は抵抗しようと知らぬ存ぜぬで通そうとする。

「腕が水筒に、とか何かそういう。な?」

「あなたの性格がにじて来るような嫌な話し方ね」

 オレが言うことを理解させられた堀北は、非常に不満そうだった。

「なら素直になってくれるとうれしいんだけどな」

「明後日は何時にどうすればいいの?」

 堀北にも守らなければならないものはある。あの水筒事件のことを絶対に知られたくないはずだ。そのためなら行きたくもないプールにも参加するだろうと踏んでいた。

「朝8時半にロビー集合だ。夕方には解散予定になってる」

「わかったわ。ただし次回以降同じネタでって来た場合には許さないから」

「お、おう」

 二度三度とこのネタでほりきたを揺さぶる気はオレにもない。今回はきようはくというより水筒事件で助けたお礼をしてくれって感じの意味合いが大きい。それは堀北も分かっているだろう。

『堀北を誘ったぞ』

『よくやったあやの小路こうじ。コンクリでのジャーマンスープレックスは回避だ』

 ……どうやらオレは命を失う危機にあったらしい。

『俺のためにくらは誘ったのかよー! 頼むぞ綾小路!』

 先日フラれたばかりのはずが、やまうちからそんなグループチャットが飛んできた。

 直後、1対1のチャットの方にも山内からメッセージが届く。

『俺がフラれたことは伏せておきたい! 助けてくれ!』

 という裏の声が書かれた悲しいメッセージが。表向きはまだ佐倉ラブでいたいらしい。

 もちろん佐倉が参加すれば男子連中が盛り上がることこの上ないだろう。しかし簡単に参加してくれるような子ではないはずだ。佐倉は真面目まじめな子だが、かるざわたち一部の連中と同じくプールの授業には常に参加していない。人一倍発育した胸は異性のみならず強く同性の目を引きつける。

 更に告白され断ったばかりの相手が一緒にいるのもつらいはず。

 だが彼女が参加を望むかどうかは別として、声くらいはかけてやりたいところだ。


    2


 そしてあっという間に約束の日がやって来る。夏休み最後のイベントの始まりだ。

 約束の時間である8時30分。ロビーに降りてくると既にメンバーのほとんどがそろっていた。

「ギリギリね」

「まだ約束の時間まで……10秒くらいあっただろ」

「エレベーターの混雑具合じゃ遅刻していたってことね」

 遅刻したわけじゃないのにチクチクと堀北にいじられる。強引に誘った反動みたいなものだろうし、それに加えて、多分こいつは場の空気を面倒に感じているはずだ。八つ当たりしたくなる気持ちも分かる。くしに佐倉、いけと山内ではろくに話す相手がいないから無理もない。

「お、おはよう綾小路くん」

「おはよう佐倉」

 ややおびえながら顔をのぞかせた佐倉があいさつをかけてくれる。山内はそんな佐倉を意識しないようにしているが、それでも無意識に気にしている様子。佐倉もどこか落ち着かないようだった。

 参考までに覚えておこう、告白したりされるとうれしいことだけじゃなく、後で付きまとう面倒なものもあると。

どうは?」

「彼のことだから寝坊じゃないかしら」

 集合時刻が過ぎるが須藤がやって来る気配はない。昨日まで部活に一生懸命だったらしいから疲れもまっていたのだろう。誰も須藤に連絡しようとしないのでオレが動く。

「ダメだ電話はつながらない」

 電話してみるが、呼び出しのコールが鳴り続ける一方で留守電にも繋がらない。通話を切り周囲に伝える。

「何やってんだよ須藤のヤツ。もう8時30分だぞっ! 早くしないと一番乗りできないぜ!」

 いらいけが、貧乏ゆすりをしながらエレベーターを見た。だがまだ動き出す気配はない。

「よ、よし俺が起こしてくるよ」

 くらとの間に妙な沈黙が流れていて心地ごこちの悪かったやまうちが、そう言ってエレベーターに乗り込んで行った。その途端目に見えない重い空気が薄れていくのを感じた。

「彼何かあったの?」

 山内の変化はほりきたも感じていたようで小声で聞いて来た。オレはどう答えたものかと後頭部をく。

「色々とな」

 結局話すのはやめた。山内も佐倉も話が広がるのは嬉しくないだろう。

「あれれー? 堀北さんたちじゃない、おっはよー」

 ロビーで須藤の到着を待っていると、いちとその友達の女の子2人が降りてきた。手には見慣れないカラフルなビニールかばんにバスタオルが顔をのぞかせていた。

「もしかして君たちもプールに?」

「そういうことだな」

 プール遊びは夏休み最後の目玉だ、目的がかぶってもおかしくはない。

「せっかくだから一緒に遊ぼうよ。どうかな?」

「もちろん歓迎だぜ!!」

 池が飛び上がるようにソファーから立ち上がり歓迎する。堀北も今回は特に口を挟むつもりはないのか何も言うことはなかった。

「ただ悪いな、一人寝坊で降りてくるの待ちだ。今友達が迎えに行ってる」

「りょーかいっ」


    3


 くわっ、とワニのように大きな口を開けながら、寝癖のついた髪をかきむしどう

わりぃな寝坊して。部活の疲れがまってたみたいでよ」

「私に言わないで」

 須藤は寝坊の謝罪をほりきたの隣でするがうつとうしそうにあつかわれている。まだまだ二人の距離が詰まる気配はない。一方で飛び入り参加となったいちのグループはくしが中心となって相手をしていた。

「ねえあやの小路こうじくん」

 堀北は須藤を一枚挟んだ横にいるオレに声をかけてきた。須藤はつまらなそうにひとにらみしてくる。

「少し様子がおかしいと思わない?」

「なにが」

「私の知るいけくんややまうちくんは、こんな時誰よりも調子に乗る人じゃない?」

 その鋭い切り口に須藤も一瞬硬直する。間にいるためその姿を堀北は見逃さなかった。

「何か思い当たることがあるのかしら須藤くん?」

「別にねえよ……」

 そう須藤はしたが、堀北は不信感を無くすどころか警戒心を強めたようだ。池と山内は二人肩を寄せ合いこわった表情で歩いている。

「私には何か怪しいねらいがあるようにしか思えないけれど……」

 それに……と堀北は池の持つかばんにも着目した。

「タオルと水着くらいしか持って行くものはなさそうなのに、ずいぶんと重たそうね」

 池が持つ鞄はオレを含め他の男子よりも重量があるように見えたようだ。

「そうか? 俺にはそうは見えねーけどな……」

「見えない? あの状態を見て?」

 荷物が揺れる幅やひじの伸び具合に疑問を感じる堀北には根拠がある。

「プールに行ってからはしゃぐつもりなんじゃないか? そのための道具が入ってるとか」

 須藤をフォローするようにオレが言う。その助け船に須藤はすぐに乗っかって来た。

「お、おう。そうだと思うぜ」

「そう……。確かにそうかも知れないわね」

 日々の観測で3バカが女好きという部分はていしきってしまっている。

 やけに大人しい3人に違和感を覚えるのも無理はない。

 だがこれには深いワケがあった。今この3人は極度の緊張感に襲われている。

 それは美少女たちに囲まれているからでも、これから水着姿を見られるからでもない。

 ここは話題を変えることですことにしよう。

どう

「な、なんだ」

「部活の成果というか、ポイントの実入りはあったのか?」

「あ? あぁ、大会でのこうけん度っつーことで少しだけな。つっても3000ポイントくらいだ」

 ほこることでもねえよ、とけんそんしていたがその話を聞いていたほりきたは素直に感心する。

「個人的な活躍でプライベートポイントを得たのね」

「……おう。ただ2年や3年の先輩には数万ポイントもらってる連中もチラホラいたからまだ調子に乗れねーよ。活躍が大きければクラスポイントにも影響するしな。2学期以降もっと活躍するつもりだぜ」

 ガッと腕を片手で掴みガッツポーズを作る須藤。

 堀北は自分にできないことを成し遂げている須藤に対して素直に敬意を払った。

「あなたがクラスに大きく貢献する日も近いかも知れないわね」

 事実オレもそんな予感がしている。何事もなければ須藤はクラスにとってプラスになる存在だと。

 とは言えその反面する要素もないわけじゃない。それは須藤が敵を作りやすいことだ。その点は同じ傾向を持つ堀北と一緒に見守って行く必要があるだろう。

 学校のそばに併設された水泳部専用である『特別水泳施設』へと足を運ぶ。

 このエリアに関しては特別に制服を着用しなくても入れるようにはいりよされていた。最終日ともあって大盛況のようだ。プールへの入場開始前にもかかわらず既に大勢の生徒でにぎわっていた。だがさすがは未来型の新設校、更衣室も各学年別に用意されている。普段足を踏み入れないエリアだが、親切な案内板に従って迷わず中へ入ることができた。

「それじゃみんな20分後にこの場所で集合ってことで」

 プールへと続く廊下を指差しいちが言った。まとめ役がいると非常に助かる。

「はあ、はぁっ」

 女子たちがいなくなると同時にいけは興奮した様子で息を荒らげ、早歩きでけ出した。

 高ぶる気持ちは分かるが今ここでその状態になるのはよろしくない。

 一番に更衣室に辿たどく。オレはポンと池の背中をたたいて更衣室に入るよう催促した。

 更衣室に入るなり池とやまうちは一目散に一番奥のロッカー前を陣取る。

「な、なぁみんな。俺たちにとって今日という日は特別な日になる。そんな予感がしないかっ!?」

「ああ。俺たちはクラスの、そしてこの学校の誰よりも先に進むんだっ!」

 池と山内は耳打ちレベルを通り越して人の目を集めそうな大声で話し合う。

 その様子を見かねたどうが二人の首に左右の手でロックをかける。

「ぐぇ! なにすんだよけん!」

「おまえら騒ぎすぎだ。はやる気持ちはわかっけど目立つと危ないだろ」

「……そ、そうだよな。悪い悪い。あでっ!」

 教訓とばかりに須藤は二人の額と額をぶつけ合わせた。多少強引だが悪くない方法だ。

「意外に落ち着いてるんだな須藤は」

「元々そこまで期待してねーしな。それにうれしさとそうじゃない気持ちも半々だ。冷静に考えてみりゃすずが悲しむことになるわけだろ。無防備な鈴音をあいつらに見られるのも嫌だしよ。男なら自力で女を落としてこそだ」

 その心意気は正しい。出来れば二人にも見習ってもらいたいトコロだが、いけやまうちにとっては今は目先の性欲なんだろう。

 オレは携帯をチェックする。するとかるざわから今更衣室に入ったとの連絡が来た。

「誰からだよー」

 額を赤くした池が怪しむような目で携帯をのぞんで来たのでさっと伏せる。

「さては女だな?」

「オレがモテるように見えるか?」

「……それもそうだな。よっしゃ着替えようぜ! タオル広げて広げて!!」

 ちょっとくらいはこうていして欲しいものだと思ったが、心の中にっておこう。

 結局幸運が訪れるかいなかは池たちにとってもけでしかないのだ。


    4


「もう完全に娯楽施設だな……」

 普段は部活動、それも本格的な練習で使用される大型のプール施設が、今日ばかりはまるでようそうたがえていた。大勢の生徒でにぎわっているのも当然ながら売店までもが手広く展開されている。出店の定番と思われる軽食、つまりジャンクなものが多い。ホットドッグ、焼きそば、お好み焼きなど。

 それ自体も驚きなのだが、不思議なことに運営しているのが上級生らしき生徒たちなのだ。がおなく懸命に働く生徒から楽しそうに働く生徒までせんばんべつ。まるで特別試験を見ているようだ。

「どういう仕組みなんだろうな」

 それは分からないが、とにかく総じてお祭りムードであることだけは確かなようだ。ぼーっと女子たちの来訪を待っていると周囲の空気が一変するのが分かった。

 人が肯定的な注目を浴びるためには基本的には努力が必要である。

 分かりやすく言えば勉強。主席を取ったり模試で1位を取れば周囲の人間は注目する。スポーツで目覚ましい活躍を見せてもまた注目を浴びることだろう。

 だが例外もある。その一つが飛び抜けた容姿だ。イケメンでも美女でも構わないが、そのたぐいの人間は前に挙げたものよりも注目を浴びやすい。もちろん外見に気を遣う努力をしていないとは言わないが、やはり特別な要素であることは否定できないだろう。

 オレは他校のことを知っているわけじゃないが、少なくともこの学校の容姿レベルは高いと断言できる。自分達と共に行動しているグループのメンバーもさることながら、周囲の見知らぬ生徒まで明らかにビジュアル的にハイレベルな生徒が多いのだ。

 もちろんピンキリであることも否定できないが普通ここまで粒はそろわない。いけたちが日々興奮して熱を上げるのも当然といえば当然か。

 そしてその優れた容姿に付け加え内面までかんぺきだったらどうだろうか。可愛かわいく人当たり抜群でスタイルも勉学も申し分ない。そんな女子には誰もが視線を奪われてしまうだろう。

 騒がしさに包まれる施設の廊下にいた男子たちが、ほぼ一斉に一か所へと視線を向けた。

「やー、これはこれはすごい人だかりだねー」

 その視線に気づくこともなく、注目を浴びながら待ち合わせ場所へといちが姿を現した。

「よう……」

 どこに視線を向けていいかわからず、オレは壁の方を向きながら軽く手を挙げて答えた。

「他の子たちは? 男子ってもっと早いと思ってたよ」

「まだ着替えてる」

 あいつらはちょっと諸事情があって遅れているとも言うが。

「にしても着替えるの早いんだな」

 オレとそれほど変わらなかったことを考えると中々のものだ。

「にゃはは、着替える速度には自信があるんだよね」

 自慢するようなことじゃないことをちょっとほこらしげに答える。こんな無邪気なところもいちの人気のけつだったりするのかも知れないな。

「おぉ? あやの小路こうじくんラッシュガード買ったんだ」

「男のくせにって思うかも知れないが、人前で肌をさらすのは好きじゃない。授業じゃない時は使っても構わないって聞いたから思い切って買ってみた」

「そっかそっか。それもいいと思うよ。違反ってわけじゃないしさ」

 多い方ではないが、施設内ではオレのように男子でも上着を着ている生徒は存在する。

 ふとこちらに注目した一之瀬は、人差し指をピンと立ててオレの上着越しに腹をつついて来た。

「結構固いし。それにこう無駄に筋肉を付けてない細身の理想的肉質っていうか」

 ツンツンツンツンと遠慮なく触り、二の腕やら肩やらにまでそのアクションが繰り返される。上着を買うだけの臨時収入があったのが幸いした。かつらに感謝しておく。

「運動はしてたの?」

「してない。上着の素材か単純にオレの肉が固いんだろうな。日ごろの運動不足のせいで」

「ふーん……」

 一之瀬は視線をオレの足元に落としていたが、すぐに質問はんだ。

 それにしても間近で一之瀬に接せられると、その凶悪───いや、大きな胸に意識が行く。こんな状態で水泳やら徒競走をやったら、一体どうなってしまうのか。

 そもそもまともに動けるのかも怪しい。

「……にしてもあいつら遅いな。ちょっと様子を見てくる」

 何をしているかもどうして遅れているのかもわかっているが、水着の一之瀬と二人でいる状態に耐えられなくなったオレはきびすを返すように男子更衣室へと戻った。

 それからしばらいけたちと一緒にいた後、準備が整ったところで全員一緒に廊下へ再び向かう。流石さすがに時間がっていたためか、ほりきたを始め女子全員がそろっていた。

「うひょう……!」

 必死に声を殺した池は目の前にした女子たちの絶景を前に声を漏らす。くらに関しては奥の方で小さく縮こまり、当然のごとくラッシュガードを着て胸を隠していた。

 それでも普段は見せない水着姿に全員興奮を隠し切れない様子だ。

「ふふふ。俺には見えるぜ。あの薄い水着の下のおっぱいが、あそこが!」

 まるで透視でもしているようないやらしい目で女子を見るいけやまうち。ほんと人生楽しそうだな。

「それじゃ行こっか。とりあえず奥の方がいてそうだし」

 まずは休憩できる拠点の確保に動く。ここでも先導するようにいちが歩き出した。そして一之瀬に合わせてくしも。すると真後ろを男子たちが陣取る。どうやら目当てはプリプリと揺れる一之瀬と櫛田のおしりのようだ。その中でもどうほりきたの隣からは動こうとしない。この辺りはいちでしっかりとしている。意外とお似合いなカップルになりそうなものだ。

 片やオレは定番になりつつあるくらの隣で進んだ。

「あの……ありがとう……」

 二人きりになるなり佐倉は小さくだがお礼を言った。

 その姿にオレは疑問を抱かずにはいられなかった。

「なんでお礼?」

「なんで、って?」

 佐倉はそれに対して不思議そうに聞き返してきた。

 そしてオレが思い当たる理由がないと感じていることに気付く。

「えとその、今日誘ってくれたから……」

「なんだそんなことか。別に普通のことだろ友達なんだから」

 佐倉相手にはすんなりと出て来る『友達』という言葉。

 それを聞いて子犬のように目を輝かせ佐倉はうれしそうにオレを見上げた。

「だからお礼を言うようなことじゃない」

 そう改めて言い直したが、佐倉はそうは感じなかったようだ。

「やっぱりありがとうだよ」

「いや……まあいいか」

 オレの頭の上にはてなマークが浮かんでいるが自己完結させてもらおう。多分こいつはこういうやつだ。だからオレも一緒にいて落ち着くし嫌な気がしないのだろう。

 にしても本当に佐倉は前向きになったものだ。初めて出会った頃とは見違えるほど成長している。同級生に告白を受けながらも、逃げ出すことなくきちんと受け止めていた。日々成長していく彼女を見ていると、自分もまた変われるんじゃないかと思えてくる。

「私最近気づいたんだけどね、前に体育の時間に先生が水泳は必ず後で役に立つって話してたのは無人島の試験に関係していたんだね」

 目をらんらんとさせて教えてくれた佐倉に対して、に気落ちさせる必要はないだろう。

「なるほど、な。言われてみれば確かに」

「やっぱりそうだよね!」

 自分の気付きがうれしかったのかくらは無邪気に小さくねた。ラッシュガード越しにもその大きな胸が揺れたのが分かる。これは上着脱げないよな、と大きければ良いものではない女子事情に少しだけ同情した。ともかく話をする度に佐倉の新しい一面を発見できるのは嬉しい。

 けど、佐倉はすぐに申し訳ないような表情を作った。

「もし私が恥ずかしがらずに授業にちゃんと出てたら、もっと役に立てたのかな……。体調不良を言い訳にして逃げてただけだから……」

「その気づきまで出来てるなら、十分なんじゃないか」

 今までは自分都合だけで生きてきた生徒たちが、少しずつだがそれではいけないことに気が付き始めている。人は一人では生きていけない。山にこもって仙人のようなごとでもしない限り、生きていくには集団生活をしなければならないのだ。大半の中高生はそのことに気付いてもいない。いつも一人でインターネットやソーシャルゲームに熱中する孤独な者。あるいは大勢に迷惑をかけ軽犯罪から重犯罪まで犯す不良たち。自分がに周囲の人間に助けられ協力してもらっているかに気付いていない。場合によっては一生気が付かないまま過ごす者もいるだろう。

 だがこの学校は違う。やり方は特異だが生徒に個とは何かを教えようとしている気がする。事実、今隣にいる佐倉は気が付き始めている。自分にもクラスのために何かが出来たのではないかと。それはやがて大きな財産になるだろう。

「あれいちたちじゃん。そっちも今日来たんだ」

 スペースを探して歩いていると、一之瀬が3人の男子生徒に声をかけられた。そのうちの一人にはオレも見覚えがありこちらの存在に気付くと軽くうなずいた。Bクラスのかんざきだ。

「やっほー。しばくんたちじゃない」

 柴田と呼ばれた男子が手を挙げる。Dクラスであるオレたちにもがおで答えた。

「なんか楽しそうな集まりだな、俺たちも混ぜてくれよ」

「私は全然オッケーなんだけど……いいのかな?」

 くしはもちろん問題ないと頷く。そうするといけたちの拒否権も自動的に消滅してしまう。結局Bクラスの生徒を3人加えて合計13人の大所帯となった。

「邪魔して悪いな」

 オレがあまり大勢と騒ぐタイプじゃないことを理解している神崎が近づいて来てそう言った。それを見てスッと佐倉が一歩下がる。神崎も気づかないような見事な気配消し。

「まぁいいんじゃないか。夏休みも最後だし」

「この学校は他クラスの生徒と仲良くなる機会が少ないからな。柴田たちも嬉しそうだ」

「おまえはそうでもないんだな」

 かんざきはいつもと変わらず落ち着いているというか、距離を置いて接している気がした。

「似たようなものだあやの小路こうじと。騒がしいのは得意じゃない」

 神崎とさいな話をしながら歩いていると前方の方で歓声が上がった。

「何か向こうで騒いでるな」

 どうがそう言う。顔をあげてみると、その騒ぎの中心からパシャン!と水しぶきが上がった。それと同時に人間と一個のボールが空中で舞う。強烈にたたきつけるスパイクが相手コートの水中に叩きつけられた。どうやらプールでバレーをしているようだ。

「うおお! すげえ! なんかレベル高くね!?」

 やまうちがその光景を目の当たりにして叫ぶ。大きな施設内には3つのプールが用意されており様々な遊びに向けて用途別に使われていた。

 1つは好きに入り泳げるスタンダードなもの、1つは流れるプールのようなもの、そして最後は娯楽をメインとしたスポーツ用。そのスポーツ用のプールでは今、大勢の女性ギャラリーに囲まれ激しいバレーが行われていた。

 見たことない生徒たちだ。若干大人びて見えることからも恐らく2年か3年が大半なのだろう。男女入り混じってレベルの高いプレーを繰り広げている。

 その中でも特に、一人異彩を放っている男子生徒がいた。

「あいつすげぇな……」

 須藤が関心を示したのは、まさにその異彩を放つ生徒だ。スラリとした体系は一見きやしやだがボディには薄くシックスパックが浮かんでいる。だが何より目立つのは激しく動くたびに流れる金髪と整いすぎた顔立ち。まるで映画のスクリーンを観ている錯覚を覚えるほどの美少年だ。

 どうやら大半の女子生徒はあの美少年に目を奪われているらしい。

「ケッ、俺はああいうやつが一番嫌いなんだよな。大した才能も努力もしてないくせに、ただ顔がいいだけで勝ち組なんてよ」

 毒づくいけたちの気持ちも分からなくはないが、その予想はあっさりと裏切られる。

 注目を浴びる美少年。その横顔から見える鋭い眼光が真上へと鮮やかに流れる。

 その美少年の自陣内で打ち上げられた丁寧なトスに合わせ高く舞い上がったからだ。ギャラリーのほとんどがその瞬間に声をあげることも忘れ息をんで見守った。

 鋭角に高速で弾丸、いやボールが敵陣を襲う。それを拾いにかかった生徒もまた優れた身体能力をしているのだろう、機敏な反応を見せボールをはじくべく飛び込む。

 ワッ!と一斉に上がる悲鳴と共にまたも美少年サイドの得点が増えた。誰の目にも明らかに、その美少年の優れた運動神経が見て取れた。下半身が発達しているところを見ると足を使うスポーツでもしているのだろうか、陸上部? 野球やサッカーなども考えられる。

「い、イケメンでスポーツも出来るとか……誰得!?」

「相当盛り上がってるようね。彼一人であの場を支配してる」

「そうみたいだな。どこの誰かは知らないが」

 オレもほりきたのクラス、学年事情にはとことん弱いからな。こういう時は誰よりも広いネットワークを持っているくしに意見を伺うのがベストだ。すぐに答えが返ってきた。

「あの人は2年A組のぐも先輩。女の子にすごい人気があるんだよ」

「南雲……」

 つい最近その名前には聞き覚えがあった。いちが南雲について補足する。

「現副会長。そして来年生徒会長になるって言われてる人だよ。頭も凄くいいみたい」

 そばで話が聞こえていた一之瀬が南雲の名前に反応してそう答えた。更にその一之瀬が発した『生徒会』というキーワードに隣に居た堀北の肩がわずかにだが反応する。

 南雲と呼ばれた生徒が動き、活躍を見せるたびに黄色い歓声が上がる。プール内では同時に他の試合も行われていたが、ほとんどのギャラリーは南雲以外に見向きもしていない。

「女子に人気のわりに私は今まで知らなかったわ。それにあやの小路こうじくんもね。確かに運動神経は非凡なるものを感じるけれど、知名度からして凄いとは思えない。それこそ生徒会長の方が圧倒的に抜けているんじゃないかしら」

 よくもまぁ堂々と言ったもんだ。実の兄であることを伏せさりげなく持ち上げる。その部分に関しては一之瀬も異論が無いのか素直に認めた。

「まー生徒会長が凄すぎるってのはあるしねー。この学校の歴史でも今の生徒会長が一番優秀だなんて話も聞くくらいだし。そいえば堀北さんと同じみようだっけ」

「そうみたいね」

 この場では特に答えるつもりはないのか、それとなく聞き流す堀北。

「けど、その生徒会長にも実力では負けてないってうわさだよ。実際去年の生徒会戦じゃ堀北会長と南雲副会長とで、生徒会長の座を競い合ったって話。南雲副会長は当時1年生だったのにね」

「やけに生徒会事情に詳しいのね」

「私生徒会に入ったから。その辺りは必然的に覚えたんだよね」

「……あなたが?」

 そう聞かされ堀北は驚きを隠せなかったようだ。

 しかし一之瀬が生徒会に入っていたとは。思い返せばこいつに出会った日、Bクラスの担任であるほしみや先生に対して『生徒会について』話を聞いていたな。

 あいにくとオレには『あの』生徒会長のそばで働く気になんてなれないが、この学校の仕組みを考えれば生徒会に入る意義はとても大きいだろう。

「ところで生徒会に入る条件ってなんだ? 誰も彼も入れてもらえるわけじゃないだろ?」

「んと、この学校はちょっと特殊みたいだね。未所属の場合は4月~6月末までの間か10月の生徒会の面接をパスすれば入れてもらえる感じかな。実を言うと一回目は落とされたんだけど、何回受けてもいいってことだったから粘ったの。生徒会長は首を中々縦に振ってくれなかったんだけど、ぐも副会長から鶴の一声をもらったわけ。後で南雲副会長に聞いた話じゃほりきた会長はとしの一年にがっかりしてるみたいでさ。例年だと毎年1年生を2~3人取るみたいなんだけど、今年受かったのは今のところ私だけ。だから早く見返したいと思ってるんだよね。もしかしたら10月で堀北会長が退しりぞいちゃうかもしれないし」

 堀北が兄に近づくよう努力しているように、いちもまた懸命にいているのだろう。

「でも私目標はきっと南雲先輩になると思う。先輩は私とスタートが似てるし話も合うんだよね。この学校って歴代の生徒会長は全部最初からAクラスだった人たちばっかりなんだけど、南雲先輩は私と同じBクラススタートだったから。それが気がつけば次期生徒会長に当確間違いなしにまでなってる。だから南雲先輩の後は私が生徒会長に───なんてね」

 どうやら一之瀬の中では堀北兄よりも南雲に対する評価が高いようだ。自分自身もいつか生徒会長になりたいとの思いを口にし決意を表明した。

 そのことが若干、いや多分内心かなり気に食わなかったのだろう、堀北が食いついた。

「スタートが出遅れている時点で彼のポテンシャルを察するべきね」

「おいおい……」

 どう思うのも自由だが、それはもはや自分への自虐でもあるんじゃないのか? Dクラススタートの時点でお察しになってしまうんだが……。それともこいつまさか──。

「おまえもしかして、今でも自分がミスでDクラスに配属されたと思ってるんじゃ……」

「当たり前でしょう」

 そう言ってのけた。迷わず、堂々と。さも当然のように。

「まぁ堀北さんが不思議に思う気持ちは分かるかな。単純な能力でのクラス決めじゃないっぽいしね。頭の良さはもちろん人間としての成熟さや協調性。そういった全ての能力を見た上で評価されてるんじゃないかなぁ」

「それはつまり───私の総合力に問題があると?」

「あーいや、ごめんそう取れちゃったなら謝るね。でもさ、ちょっと考えてみて。堀北さんは基本的に自分を信じるタイプ。それは裏を返せば自分本位とも取れるわけだよね。社会に出たとき自分本位な人間と指示に的確に従う人間がいた場合、どっちが優秀なのかはケースバイケースだと思わない?」

 自分本位でも優秀な人間は世の中に必要だがそれは絶対じゃない。だが指示に的確に従う人間はどこでも需要があり、また求められている人材でもあるだろう。

「納得はいかないわね……」

 態度こそ変わらないが、それでもほりきたの心境は少しずつ変わり始めているはずだ。

 いちが友達に話しかけられたところで、オレは少し堀北との距離を詰めた。

「そういえば、おまえは生徒会に立候補しなかったんだな。兄貴のそばに居たいからこの学校を選んだんじゃないのか」

「……それとこれとは別よ。あなたにだって想像くらいできるんじゃない? 私が生徒会に入りたくて面接を受けたとしても、絶対に認めてもらえないことくらい」

 まぁ、確かに想像するのは難しくない。Bクラスの一之瀬ですら最初は許可されなかったのに、Dクラスである堀北……学校から追い出したいとさえ思っている妹を入れたりはしないだろう。そんなことはコイツが一番分かってるってことか。

 そのまましばらく試合を観戦していたが、結局ぐものチームが圧倒して終了した。プールサイドにあがる南雲の周りにはどんどん応援していた女子が集まり始めていた。

「つかあいつ耳にピアスとかつけてんじゃん! いいのかよ!」

 もはやそんな部分にしかっ込みどころを見つけることが出来なかったいけが叫ぶ。

「今は夏休み中だからいいんじゃない?」

 けれどそれもむなしく一之瀬に返されてしまった。

「い、いやでもさ。耳に穴あけてんだぜ!? 大問題っしょ!」

「多分あれはノンホールピアスなんじゃないかなー。穴を開けないで耳に挟むヤツ。普段学校じゃきちんとしたかつこうしてるし」

「うぐぐ!」

 どこまで突っ込みを入れても完全無欠のような生徒らしい。

「ねえ。私たちもプールでバレーやってみない? こっちはしばくんたちを入れて丁度6人、そっちは7人だから交代しながらでもいいしさ」

 せつかくプールに来たんだからと一之瀬が提案した。真っ先に賛同したのは池だ。

「やるやる! 俺も南雲先輩みたいに女の子の熱視線を集める!」

 それは多分無理だと思うがほとんどの生徒は賛成のようだった。折角プールに来たのだから派手に遊びたいんだろう。

「あ、あの。私は運動苦手なので……見てます」

 遠慮がちに引いた、というよりは本当にやりたくない様子でくらが言った。バレーをしたくない態度は一目瞭然だったので、特に反対意見はでない。人数としてはこれで互いに6対6なのだが、一人堀北がバレーの試合そのものに不満を漏らす。

「私も乗り気じゃないわね」

 オレへの借りがあるとはいえ、遊びに付き合う気にはなれないらしい。

「堀北さん逃げちゃうのかな?」

 笑いながら一之瀬が、ちょっとだけ挑発するようにいった。

「たかが遊びに逃げるもなにもないわ」

「確かに遊びだよ。でもクラスの縮図ではあるよね。どっちが意欲的でどっちがチームワークに優れているか。ある意味クラス対抗の模擬戦って感じ? それとも私たちとは戦いたくない?」

 戦力の分析を兼ねた試験的提案。そう考えれば断る理由は無いのかも知れなかった。

「……いいわ。やりましょう」

 近い将来敵になるであろうBクラス。今は遊びだが相手の能力を確かめておきたいのだろう。いちからの挑戦を受けるほりきた

「それから試合を盛り上げるためにさ、勝った方が相手のランチを全額負担する。こんなオマケくらいあってもいいんじゃないかな」

「その条件も受けるわ」

 こうしてコートの申請をしたオレたちは、きが出来るまでの間各自作戦を練ることに。

 試合のルールは1セット15点の3セットマッチ。先に2セット取った方の勝ちで決まる。サーブ権はローテーションで得点を取った方が再びサーブ権を得る。

「これは遊び。けれど試合は試合よ。やる以上勝ちに行くわ」

「堀北さんやけに気合入ってるね」

「ランチが無料と聞けばたかが、と思うかも知れない。けれどそうじゃないわ。人数分おごることになれば1万ポイントほど使う可能性がある。つまりプライベートポイントではあるけれどBクラスとの差がそれだけ詰まるということ。逆に負ければそれだけ広がる。特別試験みたいなものよ」

 各自負け額を分担したとしても2000ポイントほどの出費がある。安くはない。

「おっしゃ。絶対勝ってやろうぜけんはる!」

 モチベーションは人それぞれ。堀北はい具合に考え方をシフトしたようだ。

「任せとけってすず。俺がいれば百人力だからよ。あんなノウキンども散らしてやるぜ」

「いや……脳筋はどうみたいな人間を表すときに使う言葉だからな?」

 盛大に勘違いをっ走る須藤に突っ込んでしまうオレ。

「んでだよ。ノウキンってのは脳の金メダル、つまりガリ勉のことだろ?」

 どうやら須藤は見事に脳筋らしい勘違いをしていた。

「そうだったかもな……今の話は忘れてくれ」

 突っ込むだけ野暮な問題だったな。何にせよ須藤はBクラスのメンバーを見やり余裕の様子で笑った。負けるはずがないと自信をのぞかせている。

「あなたが使えるかどうか試させてもらうわ須藤くん」

 勉強関連では足を引っ張ってばかりの須藤だが、こういう場では心強い味方になりそうだ。堀北が期待をかける気持ちはわかる。Dクラスの中で運動神経が一番いいのは須藤だ。例外的にこうえんがいるが良くも悪くも数には数えないようにした方がいい。

どう、おまえプールでバレーの経験あんのかよ」

「ねえよ。バレーは授業で少しやったくらいだ」

「それでよく自信満々に言えたな……」

「バスケは全てのスポーツに通ずる───俺の尊敬する先輩が言ってた言葉だ」

 自分の力を信じて疑わない。

 ほりきたとしても、須藤が口だけの男かどうか判断する良いチャンスだろう。


    5


「おっしゃ任せろ!!」

 ゆるやかに舞い降りるボールを見上げ、須藤が高々と飛び上がった。そして驚異的なジャンプ力と体のバネを使いボールをたたくと、弾丸のように鋭い球が相手陣地を襲う。

 懸命に食らいつくいちだが、陸地と違い水中では動きが鈍く間に合わない。歓声こそき上がらないが、その威力は先ほど見ていたぐもと同等かそれ以上に見えた。

「っしゃ!」

 やすやすと得点が決まり須藤がガッツポーズを作る。水を得た魚とはこのことか。味方である堀北も感心したように須藤の動きを見つめていた。

「今のすごい球だったね、くっそーやられたぁ」

 水面みなもにプカプカと浮いた球を拾い上げ、それを須藤へと返す一之瀬がかんたんを述べる。

「へっ。まぁ女に俺のアタックは返せないわな、落ち込む必要はねーぜ」

「むむっ。女性べつだね? 女の子だって男の子に負けないんだから」

 ちょっとした暴言に対しても、一之瀬は怒ることなく笑って返し元の位置に戻る。Bクラスのサーブから始まった試合だったが既に須藤がとうの活躍を見せ始めていて、7対3とリードしていた。

「守備範囲も広いし攻撃力も高い須藤くんのエリアは極力避けないとね……」

 チームをけんいんする須藤に警戒心を強めながら、やまうちが放ったサーブをかんざきが打ち上げる。

「オッケー、一之瀬。だったら俺にボールをくれ、ねらい目を見つけた!」

「了解!」

 自陣内に落下するボールを一之瀬が丁寧に、理想的な位置へと上げ直す。

 ゆっくりと落下してくるボールに向かい飛び上がったのはしばだ。その柴田のアタック。

 目標投下地点は───悲しいかなオレの目の前。

 これが偶然でないとしたら一番の穴はオレだと認識されている、ということだろう。

「取れよあやの小路こうじ!」

 厳しいどうからの言葉にオレは水中で一歩を踏み出した。ボールの速度そのものはけして早いわけじゃない。触れることそのものは難しくないはずだ。手を伸ばす。

 ベシッ。とちょっと鈍い音。

「げ……」

 ボールをはじき返したが、見事に明後日の方向へ飛んでいった。

「いえーい!」

 向こうの陣地内では、その様子を見ていたいちしばがハイタッチを交わす。

 当然須藤は強烈ににらみをかせ詰め寄ってきそうな勢いだ。

「んだよ今のへなチョコっぷりは!」

「悪い……。つまりこれは盛大に取った1点も簡単に取られた1点も価値は同じって良い例だな」

「ふざけんなよコラ。アレくらい角度悪くてもいいから上にくらいあげろよ」

 そんなことを言われても困る。人生で初めてのバレーだ、勝手がきかない。

「まぁまぁ落ち着けよ須藤。俺が華麗なるサーブで取り返してやっからさ」

 近くに浮いたボールを拾い上げたいけが、勝手にサーブを始めた。

「しゃー!」

 ボヨンと音がしそうなヘナチョコボールが向こう陣地へと飛んでいく。それは女の子の辺りに届き、当たり前ながら上にトスされ、そしてアタッカー一之瀬が飛ぶ。

「役に立たねー連中だな!」

 一之瀬から返って来るボールを、須藤が腕でブロックし再度Bクラスの方へ返す。

 今度はそのボールをかんざきが拾い上げ女子の一人がこっちへと打ち返した。オレの方に急襲するボールを、須藤が高い身長を利用して防ぐ。見事に須藤がカバーして、失点を防ぎブロックした。

「食らえー!」

 身動きの取れなくなった須藤を見て一之瀬が高らかに叫びジャンプした。その瞬間ぶるんと胸が揺れる。視線を奪われるオレと池とやまうち

「バック!」

 須藤が着地しながらそう叫ぶと、その付近にいたほりきたが一之瀬のボールを拾い上げ理想的なトスをあげる。ゲームは始まったばかりだが既にこちらは須藤の独断場だった。

 威力が高い須藤のアタックを、まず受け止められる女子がほぼいない。男子の神崎と柴田が食い下がっているが、須藤の方が一枚も二枚も技術もパワーも上のため防戦一方だ。

 Bクラスに取れる戦術はに須藤を自由にさせないか。須藤にボールを回さないかだ。

 対するDクラスは堀北・くし共に運動神経良く平均からやや上の攻防力を見せる。安定した布陣。

 反面、オレを含めいけやまうちは穴となってしまっていた。

「ぎゃー! すまん!」

 山内が近くに打ち込まれたサーブを拾いきれず、Bクラスに点を取られてしまう。失点をする度にどうがフラストレーションをめ舌打ちする。失点のほとんどがオレたち3人だから無理もないが。

「落ち着いて須藤くん。あなたは十分頑張っているわ、あまりに動き回らない方がいい」

「けどよ……使えない連中のせいで負けたら元も子もないぜ」

 不服を漏らしながらも須藤は立ち位置に戻る。その態度に池がイラッとしたのか、須藤が見てないところで中指を立てた。それを見ていた山内も続くように中指を立てる。

「オイはる、テメあとで死刑だからな」

「ぎゃー!」

 だが間の悪いことに山内の方を振り返ってしまった。

 更に追い討ちをかけるように、プレイが再開してから相手に送ったボールが戻ってくると山内の方へと再びボールが飛んでくる。

「うそ、うそだろ!?」

 慣れない水中と須藤からのプレッシャーにもたついた山内が懸命に追いすがるが取れず。

「がぼがぼ!」

「ったく、女の方が役に立つって情けねーと思わないのかよ」

 運動の場では強い存在感を放つ須藤がオレたちの心をえぐるような一撃を放つ。誰だって女子の前でかつ悪いところは見せたくないだろう。だがどうにもならない。一夜で頭が良くならないようにこの場で運動神経を改善することは出来ないのだ。

 またオレのところにボールが落下してくる。最初に失敗した感覚と、周囲を見ていた受け止めるポイントから察するに、腕の位置とボールの回転さえ見ておけば打ち上げるだけなら理論的には難しくない。ゆるやかに下降するボールをスポットでとらえる。それでくレシーブできる──。

 だがオレは敵陣からのぞかせるいちの視線を見逃さなかった。

 それに気づいた瞬間、オレはわざとスポットで捉えず不格好な形でレシーブした。足を滑らせプールの中に転んでしまう。

「へったくそだなーあやの小路こうじ

 水中から顔を出すと後ろを守る池が笑った。

「下手でもなんでも、上がればオッケーだ。よくやったぜ!」

 オレが拾った場合に供え近づいていた須藤が、いく度目か分からないジャンプを見せた。強烈アタック。

 試合中ほぼ一人で水中コートの半分を動き回っている。体力は相当使っているはずなのに、繰り出す必殺のアタックの威力にかげりは見えない。総合力では勝るBクラス側と互角かそれ以上に渡り合っている。そんなどうを見守りながらオレはしばしバレーに興じることにした。


    6


「にゃぶー。負けたよ。完敗」

 プールから上がると、いちはちょっと悔しそうにしながら近づいてきて言った。遊びではあったが互いに負けたくない思いが出ていたことは間違いない。2セット連取したDクラスの勝利だった。

「ほぼ須藤くん一人に頼った形だったけれどね」

 素直に褒めるほりきたの近くで須藤がドヤ顔をする。好きな子に褒められるとうれしいだろう。ましてそれが普段人を褒めない堀北であれば特に一入ひとしお

「バスケ部なんだよね。ウチのクラスの男の子にもやってる子がいるけど、須藤くんのことは聞いてるよ。1年生で一番いって」

「当然だな」

 他クラスにもしんとうしているようで何より。今回のバレー勝負は何気に大きな一つの目安になったんじゃないだろうか。元々高いと思っていた須藤の身体能力は上のクラスに負けていない。大きな収穫だ。運動神経がモノを言う試験が出れば須藤は大きな武器になる。逆に一之瀬たちにしてみればマークしなければならない怖い存在となっただろう。

「おまえらが足引っ張らなきゃ、もっと圧勝できたのによ」

「くっそー須藤のヤツ運動できるからって調子に乗りやがって」

 プールサイドに倒れ込んだやまうちが悔しそうに須藤を見上げる。試合後須藤の攻撃を食らってノックアウトされたためだ。結局オレたち足を引っ張った男3人の失点が大半だったからなぁ。

「まぁ勝ったからいいだろ。昼飯は好きなものが食べられるぞ」

 須藤の怒りを食にぶつけさせるように誘導した。人一倍食べてもらおう。一之瀬たちのおごりだし。

「そりゃまぁ金欠の俺たちにとっては嬉しいことだけどな」

 態度こそ生意気な須藤だが、この試合に大きくこうけんしたことは疑いようがない。

「さてそれじゃ約束は果たさないとね。お昼にしよっか」

 ちょうど時間的にも小腹がすいて来たタイミングだ。一之瀬たちと須藤たちが売店へ。

 オレと堀北は少し遅れて後を追った。

「ねえあやの小路こうじくん。あなたって運動神経悪くないでしょ? バレー初心者だとしても不自然な動きだった」

 ほりきたは以前オレが兄貴と一戦(ってほどでもないが)交えた姿を目の辺りにしてるからな。

いちからの変なマークが強かったからな。一応だ一応」

「手の内は明かさないってことね。今は各クラスがDクラスの戦力分析に勤しんでるでしょうしね」

 納得いった様子でうなずく。程なくして売店前までたどり着くと一之瀬が振り返った。

「約束通り好きなもの、好きなだけ食べていいからね」

「よっしゃ! じゃあ遠慮なく!」

 3バカは食欲も人一倍のため一目散にけ出していく。その姿を一之瀬は微笑ほほえましく見ていた。

「もしかしておまえが全部負担するのか?」

「うん。私が言い出しっぺだしね」

 そうかも知れないが、バカには出来ない負担額だ。

「私普段はけんやくを心掛けてるから、その辺平気平気」

 平然と答える一之瀬の発言にくしが不思議そうに聞く。

「でも一之瀬さん、お洋服とかでポイント結構使っちゃわない? Bクラスと比べちゃいけないとは思うけど、結構カツカツだから」

「んー。私そんなにこだわらないっていうか、着回しちゃうから。ローテ─ションさえ組めれば問題ないっていうか。あはは、女の子としてちょっと問題発言かな」

「そんなことはないよ。余計なもの買わないのはすごく素敵なことだと思う」

 勝手な偏見だが、女の子はとにかくオシャレに気を遣う。櫛田だってそうだろう。堀北はまだ無頓着な方だとは思うが、それでも髪や服装には一定の注意を払っているように見える。

「ポイントはもっと重要なところで必要になって来るかも知れないからね」

 そう一之瀬は言い切った。それこそ、洋服一枚買うよりも今この場での出費の方が意義があると言いたげだ。

「それじゃ私も遠慮なく選ばせてもらうわ」

 いつも小食の堀北だが、Bクラスのおごりが確定しているため強気だ。

「あはは。うん大丈夫だよ。でも残すのはもつたいないからやめてね」

 オレも堀北と同じじゃないが、ジャンクフードには強い興味がある。好きに選ばせてもらおう。


    7


 閉館時間が近づくといちは混み出す前に帰ろうと提案し全員が賛同する。オレは帰る流れからこっそりと抜け出しプールサイドに立ち来訪者を待っていた。

「あー、しんど……」

 程なくしてペシッとオレの背中をたたかるざわが現れた。

「ご苦労さん。どうだった」

「あんたの言った通りだった。ほんとむなくそ悪くなる話よね」

「そう言わないでくれ。若き青春の暴走みたいなもんだろうから」

 軽井沢は隣に立つとオエーっと吐く仕草を見せてからぐるりと周囲を見渡した。

「どうだ? 久々に来るプールは」

「別に、特に感想なんてないけど……」

 軽井沢はもう一度周りの視線を気にするように辺りを見渡した。

「あたしうそとは言えひらくんと付き合ってるんだから。あんたと2人でいたら変なうわさされるでしょ」

「そうか? オレが平田くらいイケてるやつならそんな噂も立つかも知れないが、悲しいことに影が薄いからな。せいぜい遊びに来たグループの一つにしか思わないはずだ」

 必ずしも男女が一緒に居る場面が怪しい関係につながるわけじゃない。これが夜、人気のないベンチなら話は別だが、特に大勢がいるところでは溶け込むものだ。

 ちなみに彼氏役の平田はプール上に姿を見せていない。恐らく部活だろう。サッカー部がどのように練習を行っているかは知らないが、あいつも活動していると聞く。

「今日はラッシュガード付けて泳ぐ許可も出てる。チラホラ見えるだろ?」

「まぁ、ね。けどこれのお金ホントに良かったわけ? 結構高かったけど」

「必要経費って奴だな」

 軽井沢が手を差し伸べてきたので、オレはそれを何気ない仕草で握る。掌には固い感触。

 触れていた時間は一秒にも満たない。

「どういう、つもり?」

「なにが」

「あんたはどうして他のヤツと違うの。放っておけばその青春ってヤツをおうできたんじゃない?」

 なるほど。今手を握ったことに関する話をしているわけか。

「クラスの不利益にならないようにするのが、今は先決だからな。もし大事にならなかったとしても、間違いなく不信感が生まれてれつが出来る。それは避けたいだろ?」

 そのために軽井沢をしようしゆうした。もちろんプールを楽しませる目的もあわせてだが。

「今日は他の子は誘ったのか?」

「今はあたし一人。あと二人いるけど解散して遊んでもらってる」

「正しい判断だ」

 オレはプールサイドをゆっくりと歩き出す。かるざわも少し遅れてついてきた。

「Aクラス、目指すつもりなわけね」

「おまえは興味ないか?」

「んー、どうかな。ポイントは欲しいしどこにでも就職できるのはうれしいけど……」

 ポケットに手を入れたまま、軽井沢は空をった。

「あのCクラスの連中と一戦交えるのは気乗りしないかな」

 連中とは、Cクラスに在籍する女子生徒たちだ。オレがある程度封じ込めたとはいえ、直接たいすることになればまた軽井沢はいじめられた過去を思い出すだろう。そのじゆばくから解き放たない限り本当の意味で軽井沢は本領を発揮できないかもな。

「おまえにだけ、少し話しておきたいことがある」

「何よ」

「次にどんな試験があるか分からないが、オレはある仕掛けを打とうと思ってる」

「仕掛け?」

 歩きながら、けんそうに溶け込みながら非常に重要なことを言葉にする。ほりきたにも話していないこと。


「退学者を出させる」


「───は?」

 意味が理解できなかったのか軽井沢は一瞬言葉に詰まり足を止めた。だがオレが立ち止まらないことを知り慌てて追いかけてきた。

「ちょ、ちょっと、今のどういう意味!?」

「そのままの意味だ。一年のどこかから退学者を出す。理想はおまえの過去を見抜いた女子3人。それが無理なら他クラスの誰か。そしてそれも無理なら───」

「む、無理なら?」

「Dクラスの中で不要な人間だろうな」

「あんた自分で何言ってるか分かってるわけ? そもそも誰かを退学にするなんて簡単じゃないでしょ」

「そうか? そうでもないだろ。今だってその方法を手に入れたはずだ」

 オレはこぶしを握りしめたまま、一度それを軽井沢に注目させてみせた。

「もしかして、そのために……?」

「場合によっちゃ一発で退学だ。そうだろ?」

「で、でも待ってよ。なんでそんな話になるわけ。あんた前にどうくん助けるためにほんそうしてたじゃない」

 確かにオレは須藤の退学の危機を救った。

 だが、それは以前までの話。Aクラスに上がることを目的としていなかった時の話だ。

 今は仮とは言えAクラスに上がるための準備をしている。となれば不要な存在を切り捨てるのは必要事項だ。かつてほりきたがそうオレに言ったように。

「須藤くんを救ったのに、須藤くんをとすってこと?」

「いや。須藤を切り捨てるつもりはない。Dクラスで体力的に動ける人間は貴重だ」

 戦力バランスで言えば、他クラスに比べ体力寄りの生徒が少ない。こうえんを数として数えられない以上ポテンシャルの高い須藤は大切な存在だ。

「退学なんてしちゃったら、クラスポイントがどうなるか……」

「もちろん他クラスから退学者を出させるのが理想だけどな」

 ただ自分たちのクラスから退学者が出れば、他の生徒は嫌でも生き残りのために全力を尽くす。そう言った効果も見込めるならけして悪い話じゃない。

「悪いやつね、あんたって」

「それはもうわかってるんじゃないのか?」

「……まぁ」

 かるざわおどし半ばレイプ行為に近いまでしている。良い奴だと認識されているとは思えない。

ひらくんにも相談したら?」

「それはどうかな。少なくとも今の平田はまだ完全に信用できない」

「え?」

「アイツの過去のことは?」

「あ、うん。あたしの過去の話を伝えた時に教えてもらった。友達が飛び降り自殺はかったんでしょ」

 そう。平田は後悔するように、ざんするようにその話を聞かせてきた。それは本当の話だろう。

「ならあいつは、友達が自殺しようとしたから学校に落第生あつかいされてDクラスになったのか?」

「え───?」

「成績優秀で生徒の人望も厚い平田が同じクラスに配属されている理由にはならないだろ」

 軽井沢のように不登校だったり低成績だったりしたのなら納得も行くが、平田からはそれを聞かされていない。その気配もない。それが分からない段階では信用しきれない。

「もしかして昨日あたしに過去のことを聞いたのって……」

「今のひらのような状態だった。過去のトラウマ、イコールDクラスじゃないからな」

 だが確認することでかるざわを信用するに足る人物だと確信することが出来た。しかし問題は平田だ。あいつは一筋縄ではいかない。話すことが本当かうそかを見極めるには慎重にいかなければ。

「人の事根掘り葉掘り聞いといて、あんたは何も教えてくれないわけ」

「ん?」

「あんただって普通じゃない。絶対なんかあったとしか思えないし」

「別にオレは何もない」

「嘘」

 何もない。オレは軽井沢のようにいじめられた過去も、平田のように大切な友人を自殺未遂させてしまったこともない。

「あんたの目を見れば分かる。躊躇ためらいなく人間だって殺しそうな、そんな感じがする」

「物騒な。そんなドラマチックな展開も過去もないぞ」

 本当に何もないのだ。何もなさ過ぎて話すこともない。ただ『真っ白』な存在だ。

 軽井沢の目はオレが握りしめたものへと向けられていた。

 よっぽどこれの行き先が気になって仕方ないらしい。

 もちろん、これを保持しておくことが今後のためになることは間違いないだろう。

 だが───。

 これをどうするつもりなのか、そう訴えかけてきていた気持ちに答える。

 オレはグッとこぶしを強く握りしめる。すると手の中でパキッとプラスチックが折れ曲がる音がした。

「ちょ、ちょっと?」

 手の中でバラバラになったそれを近くにあったゴミ箱の中へと放り込む。

「Dクラスから退学者は出さないさ。そろそろオレはグループに戻る。今日は助かった」

「いいけど、さ……」

「そろそろ戻るか」

 閉館の時刻が近づき生徒たちは続々と更衣室へとけ込んでいく。こんな時どの帰宅組に入るかで明暗は大きく変わる。いちたちのように閉館少し前に帰る組、閉館の合図と同時に帰る組、ギリギリまで粘って帰る組。どの選択が一番早く帰れるのだろうな。

 一方でオレたちはまだその場に残り、はけていく生徒たちの背中を静かに見送っていた。

 やがて一部の監視員を除き生徒は全員いなくなる。

「まだ帰らないのか?」

「あんた分かって言ってるでしょ? こっちは簡単に着替えられない事情があるっての」

 そう言って、半ばな感じできずあとがある部分を上着の上からパンとたたいて抑えた。

 かるざわとしては、この怪我を誰にも見せることは出来ない。だからこそ混雑した更衣室には行けないのだ。かといって帰る時に着替えないわけにはいかない。

 つまり、必然最後の一人として帰る以外にすべはなかったということだ。

「競泳水着なら問題なく泳げるんじゃないのか?」

 腹部を見られて傷口に対する指摘を受ける心配はない。

「競泳水着で泳ぐとかダサすぎて無理無理。授業中に着るのだって嫌なのに、遊ぶ時にまで着てるとかダサすぎでしょ」

 どうやらこっちが思う以上に女の子の世界ってやつこくで厳しいものらしい。クラスのカースト制度で下に落ちることを誰よりも恐れている軽井沢にしてみれば、ほぼ見せることのない水着だとしても大事な要素のようだ。

「泳ぐのは好きか?」

「は? ま、嫌いじゃないけど」

 なら、最低限泳ぐことは出来るってことだ。

「ちょっと泳ぐか。今なら生徒は誰もいないし、残ってるのは監視員くらいだ。そいつらも片づけに忙しいようだしな」

 それに混雑具合は把握しているだろうから早急にとがめてくるのも考えにくい。

「別にいいし……」

「いいから」

「いいからって……だからやだってば」

「競泳水着なら見られても平気だろ」

「そういう問題じゃないし。なんであんたに水着見せなきゃいけないわけ……」

 どうやらその部分の方が引っかかっているらしい。

 だったら多少強引にでも泳がせてみるか。

「命令だ」

 そう口にした瞬間、ものすごぎようそうにらまれた。

「あんたマジ最低。ほんっと嫌い」

「命令を聞くのか聞かないのか、どっちなんだ?」

「……わかったわよ」

 こちらの強制的な命令にかるざわは渋々従う。不服そうにくちびるとがらせながら。

 ラッシュガードを脱ぎチェアーの上に置いた。競泳水着が姿をのぞかせる。

 軽井沢はこちらに背中を向けたまま振り向こうとしない。

「あたしは一生こんな水着でしか遊べないのかもね……」

 割り切れば良くてもそれが出来ない。傷口に注目され理由を聞かれることを恐れている。

 オレは軽井沢に一歩詰め寄ると強引に腕をつかんだ。

「ちょ、ちょっと!?」

 そして引っ張りプールへと体を押すようにして落とした。ばしゃん! と水しぶきがあがる。それを耳にした監視員の一人が、こちらに向かってメガホンを使い叫ぶ。

「もう閉館です! ただちに出て下さい!」

「ぷはっ! 何すんのよ!」

 怒れる少女がプールから顔を出したところで、オレは手を差し伸べた。

「楽しかったか?」

「いきなりき落とされて楽しいわけないでしょ」

 差し出した手を、ちゆうちよなく軽井沢は掴んだ。そして自分の方、つまり水中へと引っ張り込んだ。オレは踏みとどまることもせず、その力に身を任せるように、されど軽井沢にぶつからないよう意識してプールの中へ落ちる。先ほどよりも大きな水しぶきは監視員の怒りを買うには十分だった。け寄って来る監視員を見て軽井沢が笑う。そして水中から顔を出したオレの頭を押さえ、沈める。我ながら子供っぽいことをしたもんだと思ったが、一瞬でも軽井沢の楽しそうながおを見られただけ、その価値はあったのかも知れない。


    8


 プールでひとしきり泳ぎ終えると、体力を使い果たしたせいかやけにのどかわく。

 それは他のメンバーも同じなのか、薄暮が迫るプールからの帰り道でいちの友達が遠慮がちに言った。

「ねえなみちゃん、アイス食べたいなって思うんだけど。どうかな」

「そうだねー。確かに食べたいかも」

 さっぱりしたと言っても、まだうだるような暑さが残っている。

「良かったら少し寄り道して帰らない?」

 近くのコンビニを見てそういった。全員似たような気持ちだったのか反対意見はでなかった。一緒に店内に入るとアイスコーナーにけ寄るメンバーたち。ほりきたは飲み物にするか悩んではいたようだが、今は周囲と同じでアイスが食べたいようだった。

「俺はこれ! ウルトラチョコモナカ!」

 いけが手をっ込み引っ張り出したのは通常規格の3倍あるアイス。そのお値段なんと通常価格の4倍近い。なんだか損しているような気もするが本人が満足しているなら良いだろう。どうやまうちはカキ氷を、一之瀬はアイスキャンデーを選ぶ。

 こんなところにもそれぞれの個性みたいなのが見え隠れしているから面白い。くらはどこか遠慮がちにオレの後ろで様子をうかがっている。

「おまえは何にするんだ?」

「えっと、ど、どうしようかな」

 わたわたと慌てるが、答えが出ないのも当然だ。佐倉は離れたところから懸命に背伸びしてアイスクーラーの中を確認しようとしていたからだ。オレの目線からでギリギリ一部が見えるかどうかだ。池たちが離れたところで軽く背中を押す。

「行こうか」

「う、うん」

 アイス一個買うのに苦労するのは大変だ。フォローしつつ一緒にアイスを選ぶ。

 佐倉は迷っているようで手がおろおろとしていた。

「どうしようかな……」

「嫌いか? アイス」

「ううん、どれも好きだよ。この辺りにあるやつは全部食べたことあるかも」

 ケースの右半分辺りを指差して言う。そうこうしている間にも、残っていた堀北もアイスを決めレジへ。

「早くしろよー。置いてっちゃうぜー」

 会計を終えた池が冗談めかして言う。それを佐倉は過敏なまでに受け取ってしまったのか焦りがどんどん色濃くなっていく。

「えと、えーと……ごめんね……私こんなとき、決めるのに時間がかかっちゃうタイプで……」

「慌てる必要は無いぞ。あいつも冗談で言ってるだけだし。オレだって決めてないしな」

あやの小路こうじくんは、どれにするの……?」

「オレか?」

 いったんくらから注意を外し、ケースの中にあるアイスに目を向けた。正直どれも似たようなものが多いように見える。

「オレはこれかな」

 答えて手に取ったのはよくあるスタンダードなソフトクリームだ。ミルクをぐるぐると巻いたヤツ。チョコレートがミックスされたやつもあったがまた今度にしよう。

「じゃ、じゃあ私もそれにする。これしいからっ」

 なんだか強引に決めさせてしまった気もするが、佐倉が納得しているならいいか。

 購入を終えて外に出ると、全員で集まってコンビニの開いたスペースで食べ始めた。カップを取り外し、ソフトクリームを口の中に運ぶととろりと柔らかいミルクが口どけして広がる。

「これは……美味しいな……」

 癖になりそうな甘さと冷たさが、体内に染み渡る。正直革命だ。アイスクリームがこんなに美味しいものだったなんて。ただ沢山食べると身体からだには悪そうだが……。

「おいしそうに食べるねー。まるで初めて食べたみたい」

「そりゃ誰だって美味しいと思うさ。このうだるような暑さだしな」

 事実あいあいと食べている姿を見渡せば一目瞭然だ。

「まぁねー。いやぁあまりに美味しそうに食べてるからさ。そんな顔初めてみたよ」

「彼人形のように表情を変えないから」

 そんなツッコミを同じ人形タイプから受ける。実に納得が行かない。そのくせ、ほりきたいちは意見が一致したのかうれしそうに話をする。オレの話題から2学期の話題へと変わっていく。

「おい一之瀬、しやべるのはいいけどアイスが大変なことになってるぞ」

「わわ、ほんとだっ!」

 この暑さだとむき出しのキャンディーが溶けるのは時間の問題だった。したたり落ちる液を一之瀬は慌てて舌でめとり棒を口の中へと運んだ。

「はひはろっおしへれくれへっ」

 もごもごと喋りながらお礼? らしいことを言う。ポタポタとアスファルトの上に薄いアイスの染みを作りながらも美味しそうだった。


    9


「お疲れ様、今日は楽しかったよ。ね、みんな?」

「うん。ほりきたさんやくらさんとお話しできて楽しかった。また一緒に遊ぼうね」

 Bクラスの女子たちは満足する最後の休みを送れたようで、お礼を言った。佐倉も少し打ち解けることが出来たようで、小さくだが微笑ほほえんでいた。一方いけやまうち、それからどうは落ち着かない様子で、あいさつもそこそこにエレベーターに乗り込んで行く。

「あとでに遊びに行くぜあやの小路こうじ

 そんな余計な一言を残して去っていく。

「どうしたんだろうね。もう少し明るい印象があったんだけどな」

「今日は特別様子が変だったわね。誰かさんは心当たりがあるようだったけれど」

 チラッとこちらを見てきたが、そのことにはノーコメントを貫き通した。色々と理由がある。

「それじゃ、また学校でね、綾小路くんっ」

「また、明日……」

 くし、佐倉とも別れ、ロビーにはオレと堀北だけが残される。てっきり櫛田を避けるために残っただけかと思ったが、もう一基のエレベーターが来ても乗り込もうとはしなかった。

「帰らないのか?」

「あなたは? もしよかったら少しだけ歩かない?」

「そうだな」

 オレは堀北と再びロビーを出ると、夕焼けに染まる空を見上げながら並木道を歩く。

「今日は意外と楽しかったわ。たまにはこんな休みがあるのも悪くないわね」

 それは本人も認める通り、意外過ぎる発言だ。堀北はまだ少し乾ききっていない髪をなびかせながらゆっくりと語る。

「明日から2学期が始まる。きっと1学期以上に厳しい戦いが待ってる」

「そうだろうな」

 学校も入学したての生徒たちに分かりやすい簡単な試験を続けていたはずだ。それでも無人島でのサバイバル、船上でのダマしあいなど、通常の高校生からはおおむねかけ離れた試験を繰り出してきた。この後どれほどの苦難が待ち受けているかは未知数だ。

「この夏休みの間色々と考えてみたの。私のしてきたこと、出来た事を」

「それで見えたものは?」

「それは秘密……あなたに言うと笑われるわ」

 どこか情けないと感じるものがあったのか、そう言ってはぐらかした。

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