ようこそ実力至上主義の教室へ 4.5

〇女難、災難の1日。天使のような悪魔の笑顔



「今日はおまえに協力してもらうぞあやの小路こうじ!!」

「……朝っぱらからなんだ……ずいぶんと元気だなやまうち……」

 連打されたのチャイムで目を覚ましたオレは、訪問者の山内を見てためいきをついた。

「邪魔するぜ!」

 随分と元気だ。いけどうが一緒じゃなかったのは救いだが、一体何の用だろうか。

「なんだ寝てたのかよ。もう夏休みも数日で終わりだってのにのんびりしてんなあ」

 残り少ない休みだからこそのんびりしているんだけどな。

「俺にとって今日は特別な日にするって決めたんだよ。ってことで中に入れてくれ」

 話についていけないオレは寝癖に触れながら玄関から山内を招き入れた。それから麦茶を一杯用意して置いてやる。

「で……その特別な一日にすることにオレが関係してるのか?」

「忘れたとは言わせないぜ綾小路。俺にはくらの連絡先を聞く権利があった事を!」

 力強く叫び詰め寄られる。その眼は少しだが血走っていて本気さがうかがえた。

「なるほど……」

 その件に関しては全面的にこちらが悪いため、都合が悪いからと聞き流すわけにもいかない。

 以前、オレはやまうちくらの連絡先を教える条件の代わりにピエロのようなをさせた。その影響もあって山内は特にほりきたからの評価を下げている。佐倉の連絡先を教えるのが道義ではあるのだが、本人に許可を取らずやったことなので彼女を守ることを優先して、いまだに山内に佐倉の連絡先は伝えていない。

 その借りは確かに返さなければならないだろう。

「連絡先を聞いて来いって話なら結構難しいと思うぞ……?」

「そうじゃない、それは諦めた」

 そう言い、山内は手にしていたと思われる一通の白い手紙を取り出した。

「俺は佐倉へのおもいをこの一枚にしたためてきた!」

「したためてきたって……これはラブレターってことか?」

「そうだ! ここにはどれだけ佐倉が好きかってことが書かれている! 読んでみ!」

 そう言い、まだシールで止める前の手紙を取り出しこちらに見せてきた。

『拝啓、佐倉あい様。僕は以前よりあなたのことが気になっていました。付き合ってください』

「出だしのかしこまりからのいさぎよ過ぎる簡略化されたラブレターだな……」

 そんな指摘に対して、自慢げな顔をしている山内。

「長い文章書けばいいってもんじゃないんだって」

 それはそうかも知れないが、さすがにこれでは話の脈絡が無さすぎるのではないだろうか。受け取った方も困るのが目に見えている。しかも相手が佐倉なら余計にだ。

「なんで手書きじゃなくて印刷なんだ」

「いやぁ自慢じゃないけど字がだからさ。印刷で見やすくしたんだよ。文章を読み間違えられちゃう心配をはいりよした感じ?」

 ちょっとほこらしげに人差し指で鼻の下を擦るが、そこはそれほど重要じゃないと思うぞ。

「それにほら、最近は履歴書も印刷するっていうじゃん」

「相手に気持ちを伝えるなら手書きの方がいいとも言うぞ。しかもホラー的なテキストのフォントなんだよ」

 かい・悪霊は存在した! とかいう見出しになってそうなフォントで、相手を呪いそうだ。

「なんていうかインパクトがあるじゃん? ずっとあなたを想っています的な」

「まぁそれらは百歩譲っていいとしよう……問題は最後のこれだ」

 自分をアピールするために書かれた部分。

『僕と付き合ってくれたら毎月ポイントを全部差し出す覚悟です。貢ぎます!』

「これはダメだろいくらなんでも……」

「なんでだよ。可愛かわいい子は貢がれるのが好きって言うぜ? それに俺はポイント全てを差し出してでもくらと付き合いたい、好きだってことが、熱意が伝わると思うんだよ」

 そりゃ愛の形として無しとは言わないが、これじゃ金のために付き合ってくれとも取れる文章だ。

「いいんだよこれで。金目当てでもいいから付き合ってほしいんだよ。……そんなにヤバイ?」

 うなずくとやまうちは理解できないような顔をしながらも一定の理解を示したようだった。

「……ひとつ確認するが、本気で告白するつもりなんだな?」

「ああ。俺は二学期から夢のような学校生活を送るんだ、これにける! もうきようちゃんに頼んで佐倉を呼び出してもらうように交渉済みなんだ」

 その目にはちやすようなことは何もなく、ひとつの決意を固めた山内の姿があった。

 それを見てしまってはないがしろにすることもできない。佐倉に対して敬う気持ちがなければ止める必要もあるだろうが、やり方は至極真っ当だ。素直に手を貸してやるべきだろう。

「で……オレはどうすればいい? 手紙の内容をチェックするってことでいいのか?」

「それもだけどもう一個大事な役目があるぜ。それはズバリ、したためた手紙を佐倉の元に届けてもらいたいんだ」

「なに? 今なんて?」

 一瞬聞き間違いかと思い聞き返してしまう。

「だから俺の代わりに手紙を届けてもらいたいんだよ。俺、もう朝から緊張しっぱなしでさ、こんなに緊張したのは国技館で決勝戦を戦って優勝した時以来っつーか。だからく話して渡せる自信がないんだよな」

 国技館で何の決勝戦を戦ったのか、いつものうその詳細も聞いてみたいが、ハイテンションで恋愛にも真っすぐな山内らしからぬ弱気な発言だった。

「手紙の中身が問題だって言うなら、しっかりと書き直す。だから──頼む!」

 パンと両手を合わせ、山内は頭を下げて頼み込んで来た。

「それに前のことも水に流す! いや、何かあやの小路こうじが困ったことがあれば協力もする!」

「……どうしてもってことならしようだくしてもいい」

「ほんとか!?」

「でも成功するか失敗するかは誰にもわからない。佐倉の気持ち次第だ。それは理解してるのか?」

「あぁ、俺だってバカじゃない。その確率が高くないことはわかってる」

 自分の中にも大きな不安があるのか勝率が半分もないと理解している様だった。

 実際佐倉は男性に対して一歩引いている節がある。そう考えれば絶望的とも言える確率だ。それでもこいつは、今この瞬間戦う決意をしてこの場に来ている。

「……わかった。おまえのおもいを手渡す。それでいいか?」

 それならフェアもアンフェアもない。

あやの小路こうじ……! 助かるぜ!」

 差し出された手を握りしめると神でもあがめるようにやまうちは頭を下げた。

 そうと決まれば、まずはこの手紙の内容を少し精査しないとな。受け取る相手がくらであることを考えればもっと柔らかく、そして感情が伝わるように書かなければ効果は得られない。

 山内は覚悟を決める。とはいえ本当ならまだ時期尚早だろう。お互いに連絡交換すら成立していない中での告白はただただリスキーだ。

 成功率を求めるならもっと手堅く攻めていく必要がある。でも、山内の行動も間違いじゃないはず。

 恋愛は突如始まるものだし、0から始まる形だって沢山世の中にはあふれている。

「まず出だしだが───」

 恋愛経験は山内と同じ0だが、せめてそれらしい文章を考えてみよう。

「あ、そうだ。ひとつだけ注文つけさせてくれよ。告白の返事は校舎裏で聞きたいって」

「校舎裏? 第二体育館に続く?」

「そうそう。なんかうわさになってるんだよ。そこで告白するとくいくって」

 伝説の木の下みたいなものだろうか。噂ってのはどこからともなくいてくるものなんだな。

「なるほど演出の一環か」

「もちろん噂だけじゃないぜ。学生の告白と言えば校舎裏、これを王道と呼ばずしてなんと呼ぶっ」

 告白と校舎裏を結びつけることは出来なかったが、どのようなシチュエーションを思い浮かべているかだけはよくわかった。


    1


 目標である佐倉との接触まで30分を切った。彼女はくしの誘いにどんな気持ちで応じるだろう。それは本人にしかわからないことだが、心中穏やかではないだろう。

 一方のオレは、あらかじめ約束の場所でスタンバイして佐倉の登場を待っている。山内いわく、彼女を待たせるわけにはいかないらしいが、30分前はちょっと早すぎるんじゃないだろうか。ポケットでマナーモードにしていた携帯が鳴る。

「もしもし」

「ど、どうだ。もう佐倉は見えるか?」

「いや全然。さすがに10分前くらいにならないと現れないんじゃないか?」

「そ、そうか。くー、緊張する!」

 やまうちは少し離れたところから、こちらに向かって手を振っている。

 存在がバレたくはないようだが様子は気になるので見ていたいってところだろう。

「なぁ山内、本当に渡す役はオレでいいのか? やっぱり自分で直接渡した方がいいと思うぞ」

「む、無理だって。俺は小さいときのトラウマで極度の緊張になると手が震えるんだから」

 多分大抵の人間が極度の緊張下に置かれると身震いすると思うが……。

「失敗したくない気持ちは分かるけどもう少し考えたらどうだ? 間接的に渡すラブレターに本当の価値があると?」

「いやでもよくあるだろ? 可愛かわいい女子が放課後に呼び出して来てさ、期待して行ったら全然違うさいな子に告白されるパターン。ああいう感じの逆パターンだよ。くしには俺が呼び出したことは伏せてもらってる。つまりあやの小路こうじが待ってることに気付いたらガッカリするはずだ。だけど実は告白する人間が俺だって分かれば比較することで必然効果が上がるってことさ。だから綾小路、手紙を渡すときに俺の存在は伝えないでくれよな。おまえみたいなヤツが告白すると勘違いさせた方がいいし」

 じようぜつに作戦プランを話すがオレに対する悪口など全く気にしていないな。そのねらいを非難するつもりはないが、くらの気持ちも考えてやった方がいいのは間違いない。

「いくら手紙で分かるとは言っても、見えない相手から告白されるのは恐いと思うぞ」

「それは……」

 まだ時間はある。もしかしたら考え直させることが出来るかもしれない。告白は基本一度きり。それを後悔の残る形には山内だってしたくないはずだ。

「まだ時間はある。考え直すべきだと思う。そのために手紙も直筆したんだろ?」

「そうだけど……うー、自分で告白するべきなんかな……」

 ついに山内の中でも、ひとつの結論が導き出されようとしていた。

「……綾小路くん?」

 背後から控えめな足音が聞こえたかと思った時、そう声をかけられた。

「佐倉だ! あとは任せた!」

 勇気を振り絞りかけていた山内だったが、想定より早い佐倉の登場に慌てて通話を切る。

 こっちとしても佐倉と遭遇してしまった以上、もはやどうすることもできないか。あとは山内に託された手紙を渡すだけだ。

「偶然、だよね?」

「あーいや、櫛田に呼び出されたんだよな?」

「う、うん。ちょっと話したいことがあるからって……大事なことだって言われたから」

 辺りを見渡すが、当然オレ以外の姿はない。

「実はくしに頼み込んでオレが呼び出してもらったんだ」

 厳密にはオレではないがここで混乱させても仕方がない。

あやの小路こうじくん、が? そ、そうなんだ。よかったぁ。普段櫛田さんとは接点もないし、私なにか怒らせるようなことしちゃったんじゃなかったかって不安だったの」

 ホッと胸をでおろす。櫛田に呼び出されたくらは気が気ではなかったようだ。

 そんな佐倉に素朴な疑問をぶつけてみることにした。

「それにしてもずいぶんと早いな。まだ約束までは30分近くあっただろうに」

「その……先についてないと、不安で」

 おろおろとしながら、そう説明する。

「けどそっか、綾小路くんだったんだね。私を呼んだの。ほんとにホッとしたぁ」

 心底安心したのか胸を撫で下ろすと、先ほどまでの緊張はほどけたのか穏やかな顔つきに戻った。

「でもどうして? 私に用事があるなら直接呼んでくれたらよかったのに」

「あーいや、ちょっとな。複雑な事情があるんだ」

「複雑な事情って?」

 何と説明したものか。これにはオレも少し頭を悩ませた。生物学的男女の違いは十分に学習しているが、こうして現実に当てはめた場合の対処法は全く学んでいない。

 そこには性差の問題だけじゃなく佐倉個人の性格や感情も加味しなければならないのだ。知性を持った人間同士が形作る社会の複雑かいな一面でもある。そうこう考えているうちにも時間は過ぎていく。沈黙が長引くほど警戒心を高めてしまうだろう。

「実はな……おまえにこれを渡したくて櫛田に呼び出してもらったんだ」

 やまうちに託された手紙、それを佐倉へと手渡すため差し出した。

「これは……?」

「深くは聞かずに受け取って欲しい。中身を読んでもらえれば分かると思う」

 差出人が誰かを伝えればある意味手紙であることの意味が薄れてしまうからな。それを伏せて渡す。

「う、うん」

 オレはどこか罪悪感のようなものを感じ視線をらした。

 対する佐倉は、手紙とオレを交互に見て何事か事態の把握を図ろうとしている様だった。

「て、がみ……渡され……男の子……」

 手紙を受け取った佐倉は、どこか遠くを見つめながら小さく何かをつぶやいていた。

 おっと、しかしこの言い方じゃオレが書いた手紙だとも取られかねないな。それはまずい。

「誰かは伏せておくがあるヤツから託されたんだ。差出人は読めば分かるようになってる。字がなんだが、一生懸命書いてたみたいだぞ」

 事故が無いようしっかりと補足しておく。

「あ、あわわ……こ、こんなことって……あわわわ!?」

 男子からの告白の手紙ではないか、そんな予測はくらの中にも芽生えたのだろう。またも落ち着きはなくなり、視線は明後日の方向を向いていた。

 ここで開封されて読まれても反応に困るので、ともかくこの場は早めに立ち去らせてもらおう。

「そういうわけで渡したから。あとはおまえがしっかりと決めて判断すればいい。それから直接伝えにくいと思ったらオレにチャットなり電話なりで教えてくれてもいいから」

 佐倉の場合面と向かってイエスもノーもしきれない可能性があるからな。それくらいはつだおう。

「こ、こここ、こここ!」

にわとり?」

「ち、ちが、違うくて! これ、これって、ら、らぶ……」

「ああ、ラブレターだ」

「きゅう!?」

「おっと」

 真後ろに倒れそうになったあぶない少女を慌てて支える。

「大丈夫か?」

 手で背中に触れた限りでは相当体が火照っている様子だ。想定外だったんだろう。

 それに誰から手紙をもらったのかに頭を巡らせているのかも知れない。

「あ、あのあの!」

 パチッと目を開けるとすごい勢いで体を起こした。

 自分の足で立っていることを確認してから手を背中から離した。

ほりきた……さんとか! 怒ったりしないのかな!?」

「え? 堀北が?」

 あいつが怒るような理由は何もないはずだ。オレがやまうちの代わりに手紙を届けている姿を見れば『また下らないことに巻き込まれて大変ね。はあ』とあきれたためいきをつきながら言うだろう。

 少なくとも怒ったりするような話ではない。

 一瞬オレが告白したと勘違いしたのかと思ったが、手紙を渡すときにはちゃんと『誰かは伏せておくが別のやつに託された』というむねは伝えた。間違いはないはずだ。

「う、うわあ……あわあ……」

 でもくらの顔はどんどんとになって行き、緊張のあまり気を失いそうにも見えた。

 ただ手紙を受け取っただけで見せる反応には思えないのだ。

 目の前にいる男が告白の手紙を渡してきた、そんなシチュエーションの最中にいるような……。そうであるなら、告白の可否にかかわらず佐倉が慌てるのも無理はない。オレだってそんな状況になったらパニックを起こしかねないしな。堀北の名前が出てきた理由もそれならつながる。

「佐倉。念のためもう一度言うが……その手紙は別のやつに託された、それは大丈夫だな?」

 そうもう一度伝えると、佐倉がびくっと肩を震わせた。

「え───あ、あやの小路こうじくん、じゃない……?」

「さっきも言っただろ。オレは渡すように頼まれただけだって」

「……そ、そうだよね。そんなわけない、よね……で、でで、でも、これどうしよう!?」

「どうしようもなにも読んで答えを聞かせてやればいい」

 オレは邪魔だろうから立ち去ろうとするが、そでぐちつかまれた。

「えぇー! 無理無理! 私そんなの……」

「今まで告白されたことはないのか?」

「ないよ!」

 即答するくら。これだけ可愛かわいければいくらでも告白されてそうだけどな。

 ただそれは今の佐倉を見ているからであって、以前の佐倉なら話は別かも知れない。

「この手紙……一緒に見て、くれないかな……」

 一緒にって……そもそも中身はオレの指示した文章が書かれてあるからなぁ。

 佐倉が一人で見るのに勇気が必要だと言うなら協力しなくもないが……。

 そんな光景、シーンをやまうちは望まないだろう。

「ひとまず手紙だけは一人で読んでもらえないか。それが手紙を託されたオレの責任でもある。おまえには負担をかけることになるが理解してほしい」

「うん……」

 佐倉が少しもうれしそうではなかったので、ちょっとだけフォローして置く。

「好きな人からって可能性もあるぞ」

「その可能性はもうないもん……」

「え?」

「あ、や! その、私好きな人とかいないから! よ、読んでみるね!」

 うなずいた佐倉は少しうつむき加減に頭を下げ、寮の正面へと戻って行った。

 これからに戻って山内がしたためた手紙を読むことだろう。

「ど、どうだった!? 感触は!? 嬉しそうな顔してた!?」

 佐倉が手紙を持って寮の中に帰って行ったのを遠目に確認し終えた山内が、け寄ってくると緊張した面持ちで聞いて来た。色々と聞きたい気持ちは分かるが、それなら最初から自分で渡してほしいものだ。

「まだ手紙は読んでない。これからその審判が下されると思う」

「し、審判って怖い言い方すんなよ。俺は絶対大丈夫だと信じてんだから!」

「一応聞くけどその根拠は?」

「そりゃ俺と話すときの仕草を見て、かな」

「仕草?」

「こうなんつーか、恥ずかしそうに視線をらすんだよ。多分俺のことを意識しちゃってて目が見れないんじゃないかなー」

 いや……それは単純に佐倉が人と対面するのを苦手としているからだと思うが。

「それだけじゃないんだぜ。俺と話してるときとか、その後でちょっと重そうなためいきをつくんだ。これはもう恋の溜息ってヤツ? あるじゃん、好きな人のことを思い浮かべて『はぁ~』って溜息つくことがさ。そういうちようこうみたいなのを感じるんだよ」

 それは多分、テンション高く話しかけてくる山内の相手に疲れてのことだと思うが……。そんな当たり前のことさえ好きな子のことになると盲目になるのかも知れない。


    2


 明日のくらの返事を少し気にしながらも、寝る準備を進めていた夜中。携帯が一度震えた。

『起きてる?』

 控えめな短めの文章。佐倉からだった。

 しばらく携帯には触れず画面を見つめていたが、続きの文章が送られて来る気配はない。恐らくオレが寝ていることを想定しはいりよしてくれているのだろう。チャット画面を開き既読をつける。

 するとしばらくしてまた控えめなチャットが送られてきた。

『起こしちゃったかな……?』

『悪い、ちょっと洗いものしてた。大丈夫だ』

 そう小さなうそをついて答えてやる。

 すると安心したのか次はちょっと長文が返ってきた。

『明日5時にやまうちくんと会わなきゃいけないんだけど……その前に会えないかな……?』

 そんなメッセージだった。断ることもできたが、佐倉には他に頼る相手もいない。

『どこで会う予定なんだ?』

『学校の校舎裏』

 知ってはいたが、その事実を確認したうえで佐倉と会う約束をした。

 佐倉に手間をかけたくはないので、同じ校舎裏で待ち合わせることを取り付けた。

 さて寝るか。テキパキとやることを済ませ電気を消して横になる。

 と、また携帯が震えた。

『あの……ごめんね何度も。少し電話してもいいかな?』

 メール文からも伝わって来る不安気な様子。このまま佐倉をおいて寝ない方がよさそうだな。こちらから電話をかけると佐倉から控えめな声がかかってきた。

「眠れないのか?」

「うん……明日のことを考えると緊張しちゃって……はぁっ」

 ゆううつそうなためいきだ。電話越しにも不安が伝わって来る。告白に対する返事を考えているんだろう。

「私───山内くんのこと何も知らないんだなって……それがなんだか怖くって……」

「そうか……」

「誰かを好きになったり、嫌いになったり。それってすごく責任が伴うことなんだって気づいたの」

 今まで周囲と距離を置いて気にしないようにしてきた佐倉には刺激が強すぎるイベントだろう。

 でも他人が踏み込んで助けてやれる範囲は限られている。

 全てを決めるのはくらであり、受け取るのはやまうち。この図式だけは崩してはいけないもの。それは恋愛初心者のオレにも分かることだ。佐倉に対して断ればいいとも、受けてやればいいともアドバイスしてやる権利はない。静かに話を聞いてやることしかできない。

「山内くんは何も悪くないのに、勝手にその……嫌だなって思っちゃって。でも私なんかのことを気にしてくれてることに申し訳なさとかも感じたりして……」

 恋愛ってのはきっと難しいものなんだろうな、そう痛感させられる。

「……ずっと考えてると、どうしたらいいかわからなくなるんだよね……」

 そうだろうな。電話越しでもずっと混乱していることは分かる。

「なんで私なの……って。どうしてこんな風に悩まなきゃいけないの、って考えちゃうから」

 うれしそうではなくむしろ嫌と言うか困った様子だ。

あやの小路こうじくんは、その……あ、余計なこと聞いちゃうかもなんだけど……」

「何でも聞いてくれ。答えらえれることなら答えるぞ」

「えっと……今、誰かとお付き合いとか……されてるんですかっ?」

 か改まって敬語で聞かれた。

「いや全く。今現在はもちろんこれまでも出来たことはないぞ」

「ほ、ほんとに!?」

「嬉しそうにされるとちょっといやに聞こえるぞ」

 彼女も出来た事がない男のことで喜ばれると非常に傷つく。

「わ、ちが、別に悪口のつもりはないよ! 私と同じだから、嬉しかっただけでっ」

「からかっただけだ」

「もう……!」

 ちょっとした軽いノリだったが、固かった佐倉の心がほぐれたようだ。

「じゃあその、誰かに告白されたこととか、したこととか、そういうのは?」

 ずいぶん踏み込まれたな。隠すことでもないからいいけど。

「おまえと一緒だ。告白経験0」

 佐倉の場合は今回のことで記念すべき1回目になってしまったが。

「そうなんだっ!」

 またも嬉しそうだった。そんな感じでオレと佐倉はしばらくの間くだらない話で盛り上がった。

 やがて訪れた佐倉の眠気を感じ電話を切る。ゆっくり眠れるといいな。

 そんな風に思いながらオレも眠りにつくことにした。


    3


 約束の時間は午後4時だったが、その10分前につくと既にくらは複雑な面持ちで待っていた。

 頭の中で色々考えているんだろう、秒単位で様子が変わる。

 沈んだ顔、緊張した顔、心配そうな顔。心の中は何を考えているのだろうか。

「待たせたか?」

「あっ」

 声をかけると、佐倉はゆっくりと顔をあげ遠慮がちに近づいて来た。

 声をかけることでちょっとでも佐倉の負担が楽になるのなら良いんだが。

あやの小路こうじくんありがとう……来てくれて」

「お礼を言われることでもないさ。それでどうした?」

「うん……その、昨日私にくれた手紙のことなんだけどね……」

「何かあったのか?」

 やまうちに会う前にオレに声をかけるってことは、思うことがあってのことだろう。

 少し話すことに抵抗があるのかスムーズに言葉が出てきていない様子。

「遠慮せずに───」

 そう言ってこちらから切り出させてやろうと思った時、渡り廊下に向かってくる複数の生徒の姿が見えた。ジャージ姿であることを見ると部活動関連だろうか。

「悪いけど少し歩こうか」

「え? あ、うんっ」

 今誰かに見られるのはあまり得策じゃない。人目を避けるように校舎裏の木々が生い茂る方へと歩いていく。普段立ち入ることのないその場所は人の目に触れる機会は少なそうだが、手入れは行き届いているようだった。

 間違って早く待ち合わせ場所に来た山内に出くわしても面倒だ、早めに終わらせよう。そう思っていると、佐倉は不思議そうに首をかしげた後、右手を広げると空を見上げた。

「どうした───」

 そう聞き返した直後に佐倉の不可解な行動の理由を知る。ほおに一滴の水滴が付着したのだ。これが人工的なものでないとしたら───。

「雨、降って来たね」

 空は晴れ晴れとしていたと思ったが、突如として雨が強く降り始めた。一時的なものではあるだろうが、その勢いは想像よりもはるかに強くまたたく間に制服を水びたしにしていく。

「くそ、いったん渡り廊下まで戻るぞ!」

 うなずくらを連れ、元来た道を引き返した。雨にさらされていた時間は1分もなかったが、大雨が降ってしまったために佐倉の制服をダメにしてしまった。髪までびっしょりとれているのが分かる。

「ついてないな……大丈夫か、佐倉」

「わ、私は平気。あやの小路こうじくんは?」

「こっちも大丈夫だ」

 どんどんと強まる雨を見ながらオレは少しためいきをついた。何とも悪いタイミングで雨が降り出したもんだ。

「これ、よかったら使って」

 少し遠慮がちにハンカチを差し出してくる佐倉。そのハンカチには見覚えがあった。無人島の時に貸してもらったものと同じだ。

「オレはいいから自分で使ってくれ、ひくぞ」

 女の子が濡れているのに、先にくわけにはいかない。なのに佐倉は背伸びし、そのハンカチで塗れたオレの髪から水滴を払った。雨の匂いに乗って佐倉の香りがこうをくすぐる。

「私意外と丈夫だから」

 そんなことを言って髪からほお、そして首筋の雨水を拭き取ってくれた。

「…………」

 オレは思わず無言で隣に立つ佐倉を盗み見た。何となくだがやまうちねらいが分かった気がする。女の子と二人きりの校舎裏は、ワケも分からず妙な緊張感に襲われる。意図せず心拍数が上がっていく。

 雨が降るアクシデントがあったが、それもひとつのイベントのように思えるからだ。

 突然振り出した雨。2人で慌てて屋根の下に逃げ込む。

 互いにまないね……なんて話ながら段々と口数が少なくなっていくんだ。

 そして視線がからみ合ったり、吐く吐息が耳に届いてきたりする。男子が妄想しがちなシーン。だけどか、今それが一瞬だが頭の中で見えた。

 山内が求めていたもの。それと類似したような感覚だったかも知れない。

「すぐむかな……?」

「今携帯で調べてみたが、通り雨で間違いなさそうだな。少ししてれば止むはずだ」

「そっか……」

「って、悪いな。これから大事な用事があるのにずぶ濡れにさせてしまった」

「ううん平気。全然大事なんかじゃないから」

 佐倉は大事じゃない、そんな風に言い切ってしまった。それはつまり───。

「私……どうしたらいいかな……」

「どうするもなにも、感じたままに返すだけだぞ。受け入れる、断る。あるいは友達からとかな」

 歩き出し方は人それぞれだ。オレが余計なことを言うものじゃない。

「もちろん返事を保留にすることもできるし、恥ずかしいならオレが答えをやまうちに言う」

 それを山内は望まないだろうが、くらがそう希望するならかなえてやらなければならないだろう。

「……ううん、私の口から伝える……多分伝えなきゃいけないよね」

「そうだな。それが山内のためでもあるはずだ」

「うん。わかった……私、断る」

 山内に聞かせる前に、オレにその答えを聞かせてきた。

「そうか」

 今までの流れからそうなることはほぼ100%分かっていたことだったが。

 佐倉が自分でそのことを口にしたことが大切だ。

「あー、うー、その。私に誰かのその、おもいとか気持ちとかを拒絶する資格なんてないと思う。偉そうにするな、って思うかも知れないけど……でも……」

 か佐倉は断る返事をすることに対して、強い罪悪感に襲われているようだった。

「おまえが謝ることは何もない。基本的に告白する側の一方的な想いなんだ。それに答えられるのはその相手を好きだった場合だけのはずで、そうでないなら断るのは変なことじゃない。資格がないなんてことは絶対にないぞ」

 そこだけは履き違えてほしくないと思い強く伝える。

 雨はもうすぐむと思うが、山内がいつ現れるとも限らない。

「オレは帰った方がいいよな? とりあえず帰るわ」

 まだ少々雨は強いが、帰ろうと一歩を踏みだした。

「だ、ダメっ! あやの小路こうじくんがいなくなっちゃったら、私何も話せなく、なるから……お願い……」

 またそでつかまれる。そして力強く握られた。

「お願い……1人にしないで」

「おまえがそれを望むなら」

 そう短く答え、オレは再び屋根の下にとどまることを決める。佐倉には色々と助けられているしな。

 やがて15分ほどして山内がやって来る。それでも十分に早かった。

 その表情は今まで見た事がないほど固い。

「な……なんでおまえがここにいるんだよ綾小路」

「悪いな。佐倉が二人きりで会う勇気がないってことで立ち合いを頼まれた。オレのことは気にしないでくれ」

 そう言われても心地ごこちは悪いだろうがやまうちも切り替えて行くしかない。

 一瞬げんそうにしたが、山内は目の前のくらに必死に集中しようとしていた。

「お、お待たせ。手紙、読んでくれたんだ」

「うん……あの……ひとつだけ聞かせて下さい……」

「何でも聞いてくれよっ……」

 スカートをぎゅっとつかみ、のどから声を絞り出すように話す佐倉。

「ど、どうして、私……なの? もっと可愛かわいい人とか、いっぱいいるのに……」

「俺は佐倉がいいんだ!」

 そう、声を上ずらせながら叫んだ。びくっと佐倉の両肩がねる。

「わ、悪い。大声出すつもりはなかったんだけど……そ、それで返事は?」

 不器用な告白に、不器用な回答。

 ごとのように聞いているからこそ、ああ言えばいいのにこう言えばいいのにと思ってしまう。

 でも当人にとっては心臓が口から飛び出るほど緊張する出来事で、思考はく回らない。

 最善の選択を選ぶことがどうしてもできないのだ。

「ご……ごめんなさい!」

 山内を前にした佐倉は、わずかに目を赤くしながらもそう言って深々と頭を下げた。

 その瞬間山内の中でくすぶっていた最後の希望の光が砕けて散る。

「わ、わたし、あなたの気持ちに、その、答えて、あげられないです……」

 その言葉をひねりだすのに、佐倉はどれだけの勇気を振り絞っただろうか。オレは初めて目にする『恋愛』のひとつの形を、しくも間近で目撃することになってしまった。きっと山内だって第三者のいるところでフラれたくなんてなかっただろう。

 仕方がなかったとはいえ、複雑なおもいをさせてしまったに違いない。

「そっか……」

 山内は理解し、必死に事態をもうとしているようだった。

 佐倉と同じようにかすかに声は震えていたが、その姿をオレには笑うことは出来なかった。

「ありがとな、佐倉。わざわざ、その、直接言ってくれて」

「さ、さようなら……!」

 この場の重い空気に耐えられなくなった佐倉は山内に深く頭を下げ、小走りに去ってしまった。

「あぁ……」

 力なく伸ばした山内の腕は佐倉には届かなかった。

 初めてみる恋愛の終局にオレはどうすることも出来ず無言で立ち尽くしていた。

 やまうちしばらく悔しさをこらえるようにしていたが、やがて顔を上げてこちらを見てきた。

 お邪魔虫のように告白の場に居座っていたオレに罵声でも浴びせてくるだろうか。

 それとも八つ当たりでもするだろうか。

 とにかく不平不満をぶつけてくると読んでいた。

 ところが───。

「は、恥ずいな。友達の前で女の子にフラれるってさ。なんか顔から火が出そうだ」

 オレを責めることなく、そんな風に言った。

 その顔にはフラれたショックもにじていたが、それだけではなかったのだ。

「いやー、なんつーか、うん……すっきりした、かな」

 どこか晴れ晴れとした様子の山内は、そう言って隣に立つオレを真っすぐ見つめた。

「なんていうか俺はバカだった。ただただくらに迷惑かけたって、やっと自覚できたんだよ。好きでもない俺を傷つけないために言葉を選ぼうとしてさ。罪悪感いっぱいだった。好きになることは自由だけど、おもいを伝えるには責任が生じるってことも知ったよ」

 ふと山内の肩を見ると、服がれていることが分かった。

 つまり約束の時間のずっと前から外にいたことになる。

 もしかしたらこの近くでずっと告白のことを考え緊張していたのかも知れない。

「思ったより落ち込んでないんだな」

「俺、ショックはショックなんだけど、そこまでじゃないっていうか。佐倉は可愛かわいいし彼女にしたい。そう思ってきたけどなんか違うって思った。ただ彼女の顔を見て体を見て、安直な行動に出たって言うか。本当に心の底から好きにはなれてなかったんだなって。多分本当に好きな子だったら、フラれた時ってもっとショックで、苦しくて悲しくて、悔しいんだと思う」

 あえてオレは何も言わなかった。吐き出したい山内の言葉を全部静かに聞き届けた。

「だから───今日で適当な恋は卒業だ。本当に好きになれる女の子を探す、まずはそれからだな」

 どうやら山内は、今回フラれて一回り大きくなったようだった。

「おまえには感謝してるよあやの小路こうじ。変なことに巻き込んで悪かったな」

「いいさ。友達……だからな」

「昨日貸した携帯電話だけどさ、お礼のポイントはいらないわ」

「いいのか? ポイントを払う条件で貸してくれたんだろ?」

「特別だぜ。でもすぐに返してくれよな」

 山内はそう言って、佐倉が去って行った方向に同じようにけ出して行った。

 気が付くと雨雲の隙間から太陽の日差しが差し込み始めていた。

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