ようこそ実力至上主義の教室へ 4

〇ダブルクエスチョン

「……冗談でしょう?」

 開口一番、ほりきたは責めるような口調でオレを迎え入れた。

「残念ながら事実だ。こうえんがサラッと試験を終わらせてしまったんだよ」

「バカなの? どうして暴走を止めなかったの。それが同室者の責任でしょう?」

ちやを言うな無茶を。過ぎたことはどうしようもない、犬にまれたと思って諦めろ」

 高円寺が取った試験終了の強引な手法は船内を駆け巡り、クラスはそうぜん昨日きのうの段階でチャットで受け答えしていたものの、堀北は直接会っての説明を強く求めてきたのだ。

 それでも堀北は納得がいかないのか、何度も首を左右に振る。

「今度彼に会ったら直接しつせきしておくわ。また転落するのは勘弁願いたいもの」

「それが無意味なことくらい分かってるだろ。あいつには届かないぞ。今外野に惑わされているとつらいだけだ。とりあえず、自分のグループに集中した方がいい」

 高円寺の話題だと、同室である以上責められ続ける。ここは話題を変えていくべきだな。

「確かに厄介な相手ばかりだけど、遅れを取るつもりはないから」

 実に強気なことで。ま、この点に関しては任せるしかないだろうな。

 オレも、裏で探りを入れるほしみや先生が送り込んできたいちたちを相手にするのは少し厄介だ。に印象付けることも出来ない。

「そうだ。おまえも一応女子だし少し聞きたいことがあるんだが」

「その嫌な前置きは何かしら。一応もなにも私は女だけど」

 いやを言っていると勘違いされたようで、堀北は不服そうにキツめの視線を向けてきた。

「あぁいや、そうじゃないそうじゃない。オレが言いたいのは女子って部分だ」

 変に言い訳していると一層怒られそうなので、すぐに本題に入る。

かるざわに関する情報が欲しい」

 こちらから接触をしていこうにも軽井沢には相手にもされていない。

 もしクラス内の男子ランキングを作らせたら、オレは間違いなく下位に沈むだろう。

「つまり私に軽井沢さんに関することで話を聞きたいと?」

 その通りだとうなずく。

「グループ内の実情だけでも把握しておきたいんだが、それも簡単じゃないからな。博士はかせゆきむらは手探りでもなんとかなりそうだが、軽井沢に関しては一切のとっかかりがない。無人島試験が終わった後一度軽井沢から食事に誘われてただろ」

「そんなもの断ったに決まってるじゃない。軽井沢さんに興味なんてないもの。そんなに情報が欲しいならひらくんでも利用すれば? 彼なら簡単に接点を作ってくれるわ」

 それはその通りなんだが。不幸なことに試験前、かるざわとの食事の機会を逃している。そのことはひらも覚えているだろうし、このタイミングで話を切り出すのは極力避けたい。

「あなたが心配しているのは、彼女が優待者だったらという仮定かしら?」

「それもある。ただ、どうにも軽井沢の行動が理解不能でな。それが気になってる」

「余計なお世話でしょうけど彼女の行動に理由なんてない。気にするだけ時間の無駄よ」

ほりきた、一方的に他人の見方を決め付けるのは良くないぞ」

「決め付ける? どういうこと?」

「おまえは軽井沢をわがままで協調性のない、迷惑な存在だとしか認識してないだろ? あいつにもちゃんと長所があるってことを理解してるか?」

「彼女に長所なんてあるの? 私には思いつかないわね。欠点だらけじゃない?」

 ま、協調性のなさなんかでいえば堀北は同等かそれ以上なわけだが。

「人間を見る時、人はまず外見から情報を得る。それはかついいとか可愛かわいいとか、その逆でもいいがそういったことを読み取るわけだ。第一印象と言えば分かりやすいか。そして次に、会話や行動でその人間の内面を量ろうとする。社交的だ、好戦的だ、消極的だ、と」

 当たり前のことを言われ、堀北は腕を組んでオレの次の言葉を待つ。

「だがそれもまた外見と同じ表面的なものでしかない。本当の考え方なんてものはすぐに見えてこない。例えばくしぶき、もっといえばオレもそうだ。表と裏を使い分けている」

「軽井沢さんにもそういう面があると?」

「ほとんどの人間が持ってるものだ。自覚してないかも知れないが、堀北にだってある」

 こいつは兄と対面したときに、そのもろさ、本来の自分をさらけ出してしまう傾向がある。

「納得いかない部分もあるけれどいいわ。接したことで見えてくることは理解できる」

 そう思ったうえで話を聞いてくれればやりやすい。オレだってかかわろうと思っていなければ軽井沢の本質を知ろう、疑おうなんてことも思わないわけだからな。

「それで軽井沢さんの長所って?」

「今はまだ確実な表現を思いつけないが『場を支配する力』と言っておこうか。主導権を握るすべを持っているだろ。事実Dクラスの中では不動の地位を獲得している」

 ただ、今回作られたうさぎグループではまだそのへんりんが見えない。だからこそ、早急に軽井沢の人間性を見抜かなければならないと判断している。

「百歩譲って彼女にそんな能力があるとしましょう。あなたはどうするつもりなの? もしかして軽井沢さんを仲間に引き入れるつもり?」

「さて、どうしたもんかな」

 思案のしどころだ。答え方を考えていると昨日きのうと同じように男が近づいてきた。

「ようお二人さん。今日も日陰でデートか? 俺も混ぜてくれよ」

 りゆうえんだ。今日は伊吹と一緒ではないのか、1人不気味な笑みを浮かべ近づいてくる。

「あなたもずいぶんと暇なようね。私に構っても得るものは何も無いわよ」

「それを決めるのは俺だ。それで、優待者を見つけ出す算段はついたか?」

 またも許可なくそばつかみ座り込んだ。

「どんな考えを私がしているにせよ、あなたに聞かせるつもりはないわ」

「それは残念だな。ご高説願いたかったもんだ。しかしその様子じゃ優待者の絞り込みは進んでいないように見えるけどな」

「随分面白い言い方ね。なら、あなたには優待者が誰か分かっていると言うの?」

 分かっているはずがない、と言いたげなほりきたを見て、りゆうえんはその言葉を待っていたように余裕の笑みを見せた。

「優待者の正体が既に分かり始めている。そういえば信じるか?」

「信じないわ。あなたはいちさんやかつらくんのように支持を受ける人間じゃない。内外に敵だらけの人よ。満足な情報が集まるとも思えないもの」

「それは違うな。確かにオレは、やつらのような仲良しクラブは作ってないが、それと情報が集められるかどうかは全くの別問題だ」

 それは反抗する生徒へ、教師がめた態度で諭すような状況だった。

あいにくとオレは、この試験の根幹に手をっ込んでるんだよ。場合によっちゃ、圧勝でCクラスが勝ちあがることもありうる」

「まさか───」

 いや、こいつの言っていることは事実なのかもしれない。

 学校は基本的に何らかの法則性、ルールをもとに試験を作っている。それは中間、期末テスト、そして無人島での試験も同じだった。ルールの裏にある法則のようなものを理解できれば高得点、好成績をおさめられる作りになっている。だとすれば、この試験だって同じで、こいつならそのことにも気が付いているだろう。

「至極単純な話だ。クラスの誰が優待者なのかを調べればいい。それで仕組みの解析には片足を突っ込んだようなものだ」

「そうね。誰でも考えつくことだわ。だとしても、素直に答えるかしら? とくめい性を約束されたルールなら、あなたのような独裁者には黙って50万ポイントを得ようとするんじゃない?」

 そんな堀北の疑問に、龍園は平然と答える。

「答えるもなにも、うそをつけない状況にしてやればいいのさ」

「嘘をつけないように……?」

「全ての携帯を俺に提出させたからな。この俺に嘘をつけば学校にいられなくしてやる。そう言えば早い話だ。あとは1台1台、携帯のメールを直接確認するだけなんだよ」

「あなた正気? 禁止事項に抵触しているわ、訴えれば退学になるかも知れないのよ」

「おいおい。別に問題になんてなっちゃいない。問題になってないから俺がここにいるんだ。この意味が分かるか?」

 絶対的な支配者だから実行できる、強引な手法だ。

 もし他クラスの生徒の携帯を強引に見たならばりゆうえんは間違いなく処分を受ける。

 しかしCクラス内で龍園が好き勝手暴れても、誰も訴えそのものを起こさないと確信している。学校にきようはくだと訴える人間がいなければ、それは同意であることと同義。

 龍園が平然とここにいることこそが、ルール内で行われているという事実を示していた。

 それが龍園のさくりやく。強引にCクラス全部を丸裸にする強制的作戦。

 ともかく、この話が本当なら龍園は3人の優待者をき止めたことになる。

 それはこの試験全体の大きなヒントになっただろう。

 パネルをめくって、裏のイラストが何かを当てるクイズに例えると分かりやすい。1枚もめくられていなければ誰にも答えは分からないが、4分の1めくれていれば、答えが分かることもある。

 つまり龍園は、全てのクラスの優待者が誰か分かるかも知れないのだ。

「やっと状況がわかったようだな」

「……ええ。あなたがその答えには辿たどいていないことがね。もし解き明かしていたとしたら、迷わず答えを学校側にメールしているはず。試験は終わっていてもおかしくない」

「ただ俺が遊んでいるだけってこともあるぜ?」

「いつ誰が答えに辿り着くか分からないもの。悠長には構えないはず」

 確信はないだろうが、ほりきたの読みは恐らく当たっている。この試験で答えがわかった後、無意味に結果を遅らせるメリットはない。決められるのなら決めてしまうべきだからな。

「さて、と。俺は詰めの段階に入らせてもらうか」

「龍園くん。ついでだからひとつあなたに聞いてもいいかしら。猿グループが昨日きのう終了したようだけれど、そのことについて思うことはない?」

「特にないな。どもが何をしていようと知ったことじゃない。またなすず

 定期的に報告にでも来るつもりか、龍園はそんな言葉を残して去って行った。

「どこまで本当かわかったものじゃないわね」

 オレはシッと指を立てる。堀北はまた? という顔をしたが、振り返った先には誰もいない。黙ったまま、龍園が残していったの裏をのぞき込んだ。

 そして確信を持つと、静かに堀北を誘導し、椅子の下を覗き込ませる。

 そこには一台の携帯電話が録音状態にされ放置されていた。その携帯に丁度一通のチャットが送られてきた。流石さすがに完全マナーにされているため音も振動もなかった。角度的に全部の内容が見えたわけじゃなかったが『昨日はごめん───』の文字が一瞬見えた。

 クラス内で何かごとでもあったのだろうか。

 のぞき込み続けて墓穴を掘りたくないので姿勢を戻す。

 ほりきたもすぐに状況を察すると自分の携帯を取り出し、堀北は短くこう打っていた。

『その携帯が彼のなら、余計な話はしない方がいいわね』

 その解答は間違いじゃないが、正解とも言いがたい。

 ここは対応が難しいところだが突然無言になるのもおかしな話だ。

りゆうえんの言った事、本当だと思うか? 全クラスの優待者をき止めようとしている話」

 言葉を発したオレに一瞬堀北は困惑した。しかしすぐに意図をってくれたようだ。

「どうかしら。100%とは言えないわね。でも……可能性はあると思う。今回の試験、あまり時間のゆうがあるとは言えないかも知れないわね」

「おまえも大変だな」

「あなたにも雑用として手足のように働いてもらうわよ。一刻も早くグループの優待者を見つけ出す必要があるから」

「言うは易し、だな。オレに見つけられるわけないだろ」

「あなたに過度な期待はしていないわ。ただ、うさぎグループの情報が欲しいだけ」

 ある程度核心に踏み込みつつ、堀北の有能性とオレの無能さをアピールしておく。

 そうすることで疑惑の目をある程度らせることもできるだろう。何にせよ、龍園は自分の携帯を使ってまで様子を探ろうとしてきた。打てる手は何でも打つってことだろう。

「過度な期待がないなら、それなりにやっとくさ」

 堀北はそれから特に言葉を残すこともなく、エレベーター前で立ち止まりスイッチを押した。に戻ってひと休みするのか、試験勝ち抜きのためのさくりやくを練るのか。

 龍園が仕掛けたと思われる携帯もそのままに去って行く。

 別れたあと、オレも自室へと戻った。

 一応ひらからも、堀北のグループについて詳しく聞いておくことにしよう。

 幸いにも、堀北とパートナーを組むことになった平田が同室。

 堀北とは違った観点から試験へのアプローチを行っているはずだ。

 ところが部屋に戻るも平田の姿はなく、同室メンバーのゆきむらだけが険しい顔をしてベッドの縁に腰掛けていた。

「どうかしたのか?」

 同室である以上無視するわけにもいかず声をかける。幸村はこちらに気がついてはいたが、関心を向けることもなく、静かにため息をつき、独り言のようにつぶやいた。

「どうしたもこうしたも、例のグループ分けさ。どうしてかるざわそとむらと一緒なんだ。くいくものもいかないじゃないかっ」

「急にどうしたんだ」

「聞いていないのか? うわさじゃ作られたグループにはある程度法則性があるって話だ。竜グループに優秀な人間が集まってる話を聞いた以上俺としては黙ってられない」

 なるほど。それで悩んでいるのか。確かにほりきたが所属する竜は少なくともそれに準ずる。

 それは先日の教師連中やりゆうえんの話からも間違いないだろう。

 学力だけで比べるなら、ゆきむらは堀北やひらにも遜色ないレベルだ。

 それだけに中の中から中の下に位置するうさぎに入れられたことは不服だろう。

 幸村は本人を前に気を使って名前は出さなかったが、オレのことも二人と同じように見ているはずだ。残念だが協力できそうなことはなにもない。

 あいづちを打ちつつ聞き流し、自分のベッドに戻り横になった。

 平田が戻るまで一眠りすることにしよう。そう思ったのだが、嫌に視線を感じる。

 それもそのはずで、幸村が疑いを持った目でオレを見ていた。

あやの小路こうじ。念のため確認しておくが、最後の一人の優待者はおまえじゃないだろうな」

「違うと否定したいところだけど、それを確認することに意味はあるのか?」

「もちろんだ。当然守り通す必要がある。この試験では協力が必要不可欠だからな。逆に言えば協力さえしていれば負けはない」

「そうだな。でも残念ながらオレは優待者じゃない」

「本当だろうな? 私利私欲のためにポイントを手に入れようとしていないだろうな」

 他者を疑いたくなるようなルールである以上幸村の反応は驚くべきことじゃない。

「オレは優待者じゃない。幸村もそうじゃないって信じていいんだな?」

「ああもちろんだ。俺だって優待者じゃない。ちなみにそとむらもだ」

 それは仲間としての再確認。裏切るなよ、とも言える拘束の魔法。

かるざわにも確認はした。本人は優待者じゃないと言ってるが、信じていいかは別だ」

 普段から軽井沢を軽視、嫌っている幸村は言葉だけでは信じきっていないらしい。携帯で確認すれば確実だが、薄っぺらい関係においてそれは意外と難しい。いや、親しき仲にも礼儀ありが近いだろうか。貯金額は聞けても通帳を見せてもらうのは難しいようなもの。

 幸村はひとまず満足したのか、それ以上深く追及してくることはなかった。

 枕を頭の下に敷き、目を閉じる。に誰かがいるのは落ち着かないが、それは不快なものではなく、どこか心地よい。交友関係に絞ったなら、オレはカメレオンのように柔軟な適応力を見せられるほうじゃない。接点の少ない幸村相手にも、友達としての認識を始めたってことか。

 時々聞こえる幸村のため息をバックに、軽い眠りにつくことにした。


    1


 午後になり、兎グループのオレは再び同じ部屋にやってきた。

 同じ場所、同じ空間でも、どんな相手と一緒にいるかで雰囲気は全く違う。

 開始10分前に来て一番乗りだったオレの次にやって来たのは、かるざわだった。

 オレを見つけた直後、一瞬嫌そうな顔をしたがすぐに視線をらすと、の隅っこ(正確にはオレから一番遠い位置)に腰を下ろした。そして携帯を取り出していじり始める。

 仲が良いわけじゃない。けんしたわけでもない。ただ嫌われているだけ。

 けど、それって実は意外と一番面倒な関係だったりするんじゃないかと思ったり。

 何か原因があって嫌われているのなら、改善の余地もある。だが、ただ漠然と嫌われている場合には打開策らしい打開策が存在しない。タチが悪い。

 いちたちがやってくるまでの間、廊下で時間をつぶすことも出来るが、先に来ていたオレの方が気まずいからって退室するのは敗走以外の何でもないだろう。

 ここは男らしく堂々としていようと、気持ちを作り直すためまいを正した。

 それにしても、この試験はオレからすると非常に面倒なことこの上ない。会話を中心とした内容になっている分、どうしても積極的に参加するのは難しい。自分の得意不得意は別として、1学期が終了する段階になった今、急におしゃべりになるわけにもいかない。

 軽井沢は静かな部屋で大人しく過ごすつもりはないのか、携帯を耳に当てた。

「あ、もしもしリノっち? 今そっちの様子はどうなわけ? こっち? あー、こっちは最悪っていうか、なんかもうゲンナリって感じ」

 二人きりのでは、当然会話も筒抜けでありかるざわの陽気と陰気を織り交ぜた巧みな会話が聞こえてくる。最悪の状況とは、二人きりのこの気まずい状況を言うのだろう。それからすぐに通話が終了すると、途端にせいじやくの時間が訪れる。

「あーそうだ。あんたって優待者? ゆきむらくんと外……くんは違うみたいなんだけど」

 そんな声が届く。そとむらの名前くらいは覚えてやってくれ……。

 部屋には二人しかいないので、どうやら話しかけられたのはオレのようだ。

 さっき幸村にも聞かれたことだ。皆確認したくて仕方がないのだろう。

「違う」

「あっそ。ならいいけど」

 ところが、こっちは幸村と違い積極的に真意を確認してこない。

「信じてくれるのか?」

「は? 違うんでしょ?」

 お世辞にも仲が良いわけじゃないオレの言葉をずいぶんとあっさり信じるものだな。

 ……まぁ、別にわざわざ追求する必要はないか。オレがこの試験で求めているものはポイントがねらいではない。この軽井沢けいという人物が『使い物』になるかどうか、その見極めこそが大切なところだ。

「二人とも早いねー」

 Bクラスのメンバー3人が、同時にやってきたのだ。

「今日もよろしくね」

 小さく手を挙げてその言葉に応える。いちは軽井沢にも声をかけるが、軽井沢は携帯に集中していて反応らしい反応を見せなかった。

 ディスカッション前には当然全員がそろう。しかしその様子は昨日きのうと全く変わらない。

 Aクラスは距離を置き、除いた3つのクラスだけで輪を作る。それを見た軽井沢は腰を上げるとAクラスのまちの隣に座りなおした。それはなべへの防御策とも取れた。ほぼ話し合いに参加していない町田だが、存在感は非常に強く発言力も強い。男女の差もあり真鍋たち女子で構成されたCクラスからしてみれば、手も足も出ない状態と言える。

 軽井沢がもし、頼りがいのないオレや博士はかせを味方につけていたのであれば、真鍋達は強くつめ寄ってきた可能性がある。そう考えると軽井沢の判断は正しかったと言えるだろう。

「大丈夫だ。もし何かあったらすぐに助けてやる」

「ありがとう、町田くん」

 繰り返し自分を頼ってきたことで、町田は軽井沢を意識しつつある。外見が可愛かわいい女の子相手。守ってあげたくなるのは仕方ないだろう。それはクラスが違ってもだ。

 さて、新たな恋(危険な)の始まりは置いておくとして、問題は試験の方だ。

 オレたち同様に他クラスも理解しているだろう。

 自分たちのクラスに優待者がいるのかいないのかが勝敗を分けることを。

「さてとー。昨日きのうの夜から話し合いは平行線なんだけど、やっぱり私は全員で優待者を探し出すための話し合いを持つべきだと思うの」

「またそれか。いい加減成立しないと悟ったらどうだ。俺たちが不参加の状況で優待者を見つけ出すことなんてできるわけがない」

 Aクラスからバカにしたようなヤジのような言葉が飛んでくる。

「そうでもないと思うけどね。要は信頼関係の問題だよ。そこで今日は、皆でトランプでもして遊ぼうと思うの。もちろん強制参加じゃないからやりたい人だけでいいよ」

 持ち込んだと思われるトランプを取り出しがおを見せるいち

「はははは。トランプで信頼関係? くだらない」

「くだらないっていうけど、やってみると意外と楽しいもんだよ。それに今からの1時間黙って過ごすのは長くてつらいと思うんだよね。退屈しのぎって思ってもらえたらいいよ」

 Bクラスからは当たり前のように全員が参加を表明する。

「拙者もやるでござる。今は暇ですし」

 博士はかせの言う通り、まあ、確かにやることもないし。

 他に参加者はいないようなのでオレも軽く手をあげて参加を伝えた。

「5人だね。とりあえず大富豪をしようと思うんだけどルールわからない人はいるかな?」

 トランプのルールはオレもある程度把握している。大富豪のことも知っていた。他の面々も問題ないようですんなりとゲームをするための小さな輪ができた。

 それ以外の人間は興味を向けることもなく雑談していたり、こちらに冷ややかな視線を送っていたりと勝手に過ごしている。

 一之瀬がしっかりとシャッフルしたトランプを、均等に5人に分けていく。オレの手元にはジョーカーが1枚とその次に強い数字の2が3枚。それからAが2枚と強烈凶悪なカードがそろった。手札の時点では他者を圧倒しているが、大富豪は必ずしも強い手札で勝ちが決まるわけじゃない。革命が起きれば一気に手札の弱体化が起きて敗北のピンチだ。

 とはいえ、優位にあることは間違いない。手堅い戦略で手札を使用していくべきだろう。

 それにしてもトランプって遊びは思ったよりも奥が深い。

 それはプレイヤーの人格がはっきり浮き彫りになるからだ。一之瀬は自分の手札だけじゃなく相手の状況に合わせて戦っているし、はまぐちは終盤に仕掛けてくる。個性ある戦略面が見えてくるだけじゃなく、博士のようにムキになる性格なども見えてきた。

「もう一回!」

 オタク関連の情報に詳しい博士は、比較的穏やかな性格だと思っていたが、勝負事となると熱が入りやすく怒りやすいタイプだと分かってきた。

 それに、熱しやすくも冷めやすいタイプで、ひとつのゲームが終わるといったん収まる。

 もしかするといちはこれをねらっていたのかも知れない。

 それぞれ生徒の特徴をつかむことで対話へのヒントにつながる。

 もちろんほんのちょっとした要素でしかないが、対話もままならない現状では有効的な手段だ。となれば、博士はかせ同様オレの行動も逐一観察していると見るべきだろう。

 一之瀬からしてみれば、どんなふうに映っているだろうか。客観的に見てみる。

 ……実につまらない男だった。

 手が良ければイケイケ、状況が悪くなったら消極的。よくいる凡百のタイプ。

 ここで無理に勝負のやり方を変えて一之瀬を混乱させるより、貫いた方がいいだろう。そのままゲームを続行する。大富豪に始まり、最終的にはババ抜きまでと5つほどのゲームを堪能し1時間が経過した。結局AクラスもCクラスも参加を表明することはなく、ゲームに参加したのは最初から最後まで5人のままだった。

「ふー楽しかったでござるねえ。たまには昔ながらの遊びも悪くないでする」

 博士にしてみれば、対話に1時間を費やすよりもよっぽど良かったのか満足気だ。

 しかし、こんな心理戦のような遊びを繰り返したところでBクラスに真なる活路が見えるわけでもない。それは一之瀬だって分かっていることだ。

「さてとー。ちょっと行ってくるね」

「どこへ、ですか?」

「このままAクラスに逃げ切りを許すわけにもいかないしね」

かつらくんに会いに行くんですね」

 どうやら、一之瀬は籠城作戦を指示した男への接触を図るつもりのようだ。基本的に人との繋がりを持たないオレとしても、この流れをうまく利用するべきだろう。

「もしよかったらオレもついていっていいか?」

「ん? それは全然いいけど? もしかしてあやの小路こうじくんも葛城くんに?」

 警戒するわけではなく、単純に疑問を感じたのだろう。一之瀬が首をかしげる。

「そうじゃないけどな。ほりきたがその葛城と同じグループらしいからな」

「そっかそっか。じゃあ一緒に行こうか。また後でねはまぐちくん」

 しっくり納得がいったのか納得した様子でうなずいた。浜口はそのまま見送るらしい。

 一之瀬をリーダーに据えながらも、個人の活動を尊重するようだ。

 葛城やりゆうえんのように子分を従えるようなスタンスとはまた異なっている。

 同時に話し合いが行われている以上、解散時間も同じくらいのはずだ。一之瀬は竜グループの解散前に目的地に着くべく足早に廊下に出た。

「ちょっと急ぐね」

 軽く断りを入れて一之瀬はやや早歩きで目的地を目指す。

 各グループのは全て同じフロアにあるため、比較的時間を要せず辿たどける。

 まだ試験終了から1、2分ほどとあって、廊下にいる生徒の数はまばらだった。

 程なくして竜グループのプレートが飾られた一室前に辿たどく。

 中の声は聞こえないが、まだ室内に人の気配を感じオレたちは立ち止まった。

 まだ誰も出てきていないってことは、長い話し合いが行われているってことだろうか。

 チャットを送ってみるがほりきたに既読が付く気配はない。

「結構時間かかってるみたいだね」

りゆうえんかつらが話し合いの場を持つとは考えにくいけどな。それともBクラスの力が作用してるか」

「どうかなあ。かんざきくんは場を取りまとめるタイプじゃないし……話をまとめるなら、堀北さんたちDクラスなんじゃない? Dクラスのラインナップは相当なメンバーだしさ」

 堀北はともかく、ひらくしならあるいは、と思ってしまうところもある。

 規定の時刻を10分ほど過ぎた頃。竜グループの扉が開いた。

 先陣を切って出てきたのは、いちが話すべくやってきた人物、葛城だった。後ろには同じAクラスと思われる生徒たちの姿。葛城はすぐ一之瀬の姿に気が付き顔を向ける。

「一之瀬か。こんなところで何をしている。偶然、というわけではなさそうだが」

「少しだけ葛城くんに話があってね。時間いい?」

「この試験はインターバルが長い。十分に時間を持て余しているから問題ない」

 さすがにBクラスのリーダーである一之瀬を無視するようなことはなく、対話に応じるようだ。葛城はしようだくすると後ろの生徒たちに先に行くように指示した。

「俺だけ残っていれば問題ないだろう?」

 異論のない一之瀬は小さくうなずき、通行者の邪魔にならないようやや壁寄りに集まった。

 何となく話の輪に加わりつつオレは一之瀬のそばに立つ。葛城からしてみれば見物人の一人程度にしか見られていないようで特に何かをっ込まれることはなかった。

「話の内容は、葛城くんなら見当がついてると思うけど。君が全てのグループに話し合いの拒絶をお願いしたのは本当のこと? もしそうなら、一度考え直してもらえないかな? 今回の試験は対話をもとに答えを見つけるもの。試験そのものが成立しないよね?」

 都合3度のディスカッションでAクラスは沈黙を貫き通した。その鉄壁の戦略は一之瀬の一騎駆けでつぶせるようなものではないはずだ。一之瀬としてはAクラスのじようを崩すきっかけを求めての行動とも言えるだろう。さて、葛城の反応は……。

「至極当然の疑問ではある。その話し合いは既に昨日きのうの段階で耳にタコが出来るほど追及された。一之瀬にしてはずいぶんと遅い接触だったと言えるほどだ」

 葛城の作戦だということは想像以上に認知されている様だ。

「こっちにはこっちの事情があるからね。それで、葛城くん。さっきの質問だけど対話をつ考え方には賛同できない。考え直してもらえないかな?」

 かつらは3クラスから訴えられ続けてきた議題に対して自分の考えを真っすぐにぶつけた。

「これは誰が聞いて来ようと同じことを答えるが、俺は勝つために戦略を立てている。そしてそこにはきちんとした理由があるつもりだ。おまえは今回の試験を対話ありきと考えている。だから否定的、賛成できないと言っているがそれは違うな。今回の試験はシンキング、考える試験だ。その点を拡大解釈し勘違いしてもらっては困る。俺はしっかりと試験に沿って考え、話し合いの拒絶を考えだした。何も問題はない」

「でも葛城くんの考えだと、試験を拒否しているように見えるよ」

「言葉は悪いが間違ってはいない。この試験だけでなく、今後も試験では、結果の差異がつかない仕組みを探していくつもりだ。我々Aクラスが今の位置をキープしようとするための手法としては、なにも間違っていないと思うが?」

「これがクラス対抗の試験ならね。葛城くんの考えは間違ってないと思うよ。でも今は全クラス入り混じっての試験、それが本当に正しい意見かな?」

 話し合いに応じないAクラスを変えるため葛城に接触したいちだが、今回は葛城の意見が正しい。試験の結果は4通り。そのどれかに沿ってさえいれば正当性は成立する。葛城はグループ内の小競り合いなどに興味はなく、あくまでAクラスのリードを維持するための手を打っただけに過ぎない。

「これ以上の話し合いが無意味なことは分かっただろう一之瀬。俺は考えを変えない」

「動かざること山のごとし、ってやつかな?」

 参ったな、と苦笑いしながら一之瀬は後頭部をかいた。らくたんしている様子がないところを見ると、葛城が話に乗らないことは分かっていたんだろう。あわよくば、程度の期待だったというところか。

くつもりか?」

「もちろん、それが試験だしね」

 一之瀬と葛城。二人の実力者の思惑がぶつかり合う。

「残念だがこの試験の結果は見えている。Aクラスが不参加を表明している以上、おまえたちに出来ることは限られている。勝ち目などありはしないだろう」

 たとえ3クラスが結束しようとしても、この試験は簡単に勝てるものではない。優待者の正体を明かせば誰かが裏切る。裏切者が得をすることになっている以上最後まで協力関係を維持することは難しいのだ。均等にほうしゆうを得られなければ協力する理由も生まれない。

「一つ聞かせてもらいたい。もしも君がAクラスのリーダーだったならどうした? もしかすると同じような作戦を展開したのではないか?」

「さ、どうかな? まだAクラスの立場では考えられないからなあ。追われる立場になるのは、追う経験を積んでからでいいと思ってるし。最初から逃げ続けるのは大変じゃない?」

 愚問という様子で、かつらは目を閉じて腕を組んだ。そして改めていちと目を合わせる。

「これは個人的なイメージだが、同じ立場に立てば対話こそすれ、君は俺と同じ戦略に至ったと思っている。自らのクラスを守るためならば、他の批判など気にも留めないだろう」

 一之瀬が自らと同じ信念を持つと感じた葛城はそう告げる。

 その読みを一之瀬は柔らかな笑みを浮かべ流した。

「時間取らせてごめんね。何となく理解できたよ。葛城くんのおもいや考え方がね」

「それはよかった。では失礼する」

 一之瀬はその場から動かず葛城を見送る。

「この試験は、ほんと守る側からすると楽だよねー。余計なことはしなきゃいいんだもん」

 その点、ポイントが欲しいクラスは手探りで必死にヒントをかき集めなければならない。そこには大きなリスクも付きまとっている。優待者を外せばクラスに多大な迷惑もかける。

「それにしても、かんざきくんたち出てこないね」

 葛城たちAクラスは早かったものの、それ以外の人間が誰も姿を見せない。

 1時間とさだめられているのは最低限の決まり事であり、それ以上話しても問題はない。

「神崎を待つつもりなのか?」

あやの小路こうじくんはほりきたさんを待つんでしょ? 話も聞いておきたいし、一緒に待とうかな」

 神崎とはいつでも話せるだろうが、堀北と話し合いを持つのは限られた機会だからな。

 残念ながら葛城に軽くあしらわれた以上、他クラスの意見を求めておきたいのかもな。もっとも、葛城の作戦をやぶる手立てなどそうそうあるとは思えないが。

 それから更に待つこと30分ほど。竜グループの扉がようやく開いた。出てきたのはりゆうえんを除くCクラスの生徒。そしてくしひらだった。

「あれ? 綾小路くん、こんなところでどうしたのかな? もしかして堀北さん待ち?」

 オレを見つけた櫛田が不思議そうに近づいてきた。昨日きのうの光景が一瞬頭を過り身が硬直する。しかし櫛田はいつも通りに戻っているのか特に変わった様子は無い。少し残念だ。

「こんにちは櫛田さん」

「わ、一之瀬さんだ。こんにちは。なんだか珍しい、っていうか意外な組み合わせだね」

 櫛田はオレたちが顔見知りだとは認識していなかったようで驚きを隠せない。

「堀北さんと神崎くんを待ってるんだけど、まだ話し合い中?」

「その二人なら、今も龍園くんと話してるみたいだよ。中に入ったら?」

 櫛田はどうぞ、といった様子で扉に手をかける。

「いいよいいよ。話し合い中なら待つし」

「大丈夫じゃないかな。ほら、試験の決まりは1時間だけだし。それ以外の時間なら出るのも入るのも自由だよ。それに試験内容について話してるって状況かもわかんないし」

 やや強引ともとれる態度で櫛田は扉を開けて中へといざなった。

 招かれては断りきることもできずいちと共についていく。

 ひらとは軽く目であいさつを交わすだけにとどめた。

 室内では三者が、やや距離を置きつつ座っていた。まるで三すくみの状態だ。

 緊迫してはないもののかんした空気でもない。その異質な空間に部外者が立ち入ったことで、それぞれの視線がこちらに向けられる。ほりきたかんざきは特に表情を変えることはなかったが、りゆうえんは何が面白かったのか小さく笑い声をあげた。そして手をあげ一之瀬を呼ぶ。

「よう。わざわざていさつに来たのか? 遠慮せず座れよ」

ずいぶんと面白い組み合わせだね。時間外で何を話し合ってたのか興味あるな」

「クク。そりゃそうだろうさ。本来ならおまえが神崎とこの場所にいると思っていたからな。ところがふたを開けてみればおまえは別のグループ。それも、箸にも棒にも掛からないチンケなチームに振り分けられるなんてな。それとも、おまえはそこまでの人間だったか?」

「やだな龍園くん。戦略もなにも、学校側が決めたことだし詳細は分からないよ。ただ、私たちは与えられた状況、情報をもとに戦うんだよ。その言い方だと順序が逆になっちゃうじゃない。学校は意図してグループ分けしたってこと?」

 何も気がついていないように振る舞う一之瀬だが、龍園はそれを安直に信じるような男じゃない。小さく笑いながら一之瀬へと距離を詰める。視界にはオレなど映っていないようだ。まあ、個人的にはその方がありがたい。

「気づいてないなら教えてやるよ。今回の全てのグループ分けが、意図を持って教師連中によって決められたのは明らかだろ? となれば、Bの筆頭であるおまえが外れた理由はなんだろうな」

「へえ。ランダムでなく、決めたグループだったんだね。龍園くんのグループが優秀な人たちで構成されているのは気が付いていたけど、他のグループもそうだったんだね。ありがとう、助言感謝するよ。だけど、そんな情報を私に明かして大丈夫なの?」

 あくまで想定通りとばかりに素早く返す一之瀬だが、龍園の表情が変わるのをオレは見逃さなかった。通常、自分には想像も及ばない事実があった場合、人は驚きや戸惑い、あるいは疑いの目を向けるものだ。だが一之瀬はそれらを見せず助言に感謝を述べた。それは普通の反応ではない。もちろんあえてよそおうことは考えうるが、一之瀬のめいろうかいかつな性格を加味して考えれば、真実を知っていながら隠そうとしたと読み取られかねない。龍園が人の本能を利己的に理解しているかは分からないが、相手の反応から直感で気がついた可能性は高い。わずか一言の会話だが、相手に与える情報は思いの他大きい。

 この場合とは、一之瀬が学校サイドによって意図的に生徒の割り振りを決めたことに気づいているかいなかはほど重要ではなく、隠し、どういう心理で黙っているのかが重要になってくる。互いを読み競い合うとはそういうことだ。

「それにしても……」

 ややあきれた様子で、りゆうえんはオレに向けて軽くいちべつを向けた。

「俺も女のケツを追いかけるのは好きだが、おまえはそれ以上だな。すずといいいちといい、いつもケツに張り付きやがって」

 別にそんなつもりはなかったが、言われてみれば否定もできない。龍園としてもオレに興味があるわけじゃないのだろう、それ以上何かを言ってくることはなかった。

「良いところに来たな一之瀬。俺はおまえに面白い提案があるぜ」

「提案? 一応話だけは聞かせてもらうけど何かな」

「くだらない話よ。耳を貸すだけ時間の無駄ね」

 ほりきたは既にその提案に覚えがあるのか、切り捨てるように否定した。

「Aクラスをつぶすための提案だ。悪い話とは思わないんだがな。鈴音とかんざきは反対らしい」

「どういう話?」

「鈴音には少し前に話したが、俺は既にCクラスの優待者を全て把握している」

 そう切り出す。かつらには葛城の考えがあるように龍園は龍園の策を口にする。

 そしてそれは朝の段階からも更に進化を遂げようとしていた。

「3クラスで情報を共有する、全優待者の情報をな。そして学校側のルールを看破する」

 ならばこその三者の集まり、と言うことだろうか。

「なかなか大胆なアイデアのようだけど、それって現実的な話とは思えないな。そもそも、龍園くんがCクラスの優待者すべてを把握したって話は本当なの?」

「信用できないのは当然だ。だったら今回に限り誓約書でも作ればいい。Aクラスに3人いる優待者を分け合うって話でな。これでAを除く3つのクラスが上に迫れる」

 Aクラスが徹底して対話を否定するのなら、結束してしまえというらしからぬ策の提案。

「誓約書を書いたとしても、誰がどう裏切ったか分からない以上無意味よ。Cクラスが裏切って終わりね」

 堀北がそういつしゆうするのは自然の流れだった。オレが持つ情報を踏まえても、龍園は以前からAクラスと手を組んでいたと思われる。そして龍園は無人島での試験で早くも裏切り行為を見せた。それでも葛城が不平不満を漏らさないのは、それだけこの男がく立ち回った証拠でもあるだろう。

 作戦そのものは悪い提案ではないが、提案者が龍園では上手くいくはずもない。

「堀北さんの言うことも正論だけど、龍園くんのように優待者の把握が出来てないと無理な提案だよ」

「白を切ったって意味がないだろ。おまえがクラスの実態を把握してないわけがない」

 二人の表情こそがおだったが、空気がピリッと変わる。肌を小さく刺す気配。

「買いかぶり過ぎだよ。思いつきもしないことだったし、私にはそんな信頼もないよ。それに、ハイリスクローリターンだよ。とてもしようだくできないかな」

「秘密主義もいいが、手を打てる時に打っておくべきだぜ」

「あなたにしてみればそうでしょうね。強引に情報を収集している今、あみでかっさらえばBクラスに上がることも夢じゃないもの」

「Dクラスのほりきたさんも反対なんじゃ、そもそもこの作戦は成立しないね」

「無理もねえさ。すずには賛成したくても出来ない理由があるんだからな」

「……どういう意味かしら」

「おまえも分かってるだろ? この作戦は自分のクラスの詳細をかんぺきに把握していなきゃならないんだ。チームワークの欠片かけらもないDクラスには実行不可能なもの。だろ? クラスが二分されているAクラスにも出来ないだろう」

 またも空気の流れが変わる。今度は濁ったような重い空間だ。

「だがクラスを支配する俺と絶大なる人気を持ったいちになら出来る案だ。今俺は3クラスでの共闘案を出したが、これは2クラスでも実現可能なことだ。ルールを見抜く確率は下がるかも知れないが、俺ならどうにかできる。そうすればAもDも丸裸同然だ」

 DクラスとAクラスの優待者を仲良く2つのクラスで分け合う。そんな提案。

「買いかぶりなんだけどなあ」

 またしても流れに変化が現れる。流れを変えているのはりゆうえんだ。

 堀北、オレ、そしてくしとDクラスの面々がいる状況で自らのアイデアを披露し、Bクラスに寝返り協力しろと求める龍園の姿勢は、理解不能で不気味だ。

 これがハッタリでないのなら、龍園はクラスの優待者を知ることで何かをつかみかけているのかも知れない。そしてあと一歩で、そこに辿たどける。

 そうであるなら、これはDクラスにとっては非常に重要なポイントになるだろう。

「余計なことだが、やっぱりそれって成立しないんじゃないか?」

 静観を決め込もうと思っていたオレだが、堀北の姿勢がここではあだとなると判断した。

 一之瀬がDクラスと組むといっても、それをどこまで信用できるかはわからない。であるなら、ここで一之瀬が龍園とつながる可能性を残してしまうのは非常に危険だ。

「金魚のふんに今の話がわかったってのか?」

 からかうように笑う龍園だが、オレは小細工ではなく素直な意見をぶつけることにした。

「もしBクラスとCクラスが手を組むなんてことになったら、今度はAクラスとDクラスが手を組むんじゃないか? 今はDクラスもまとまりを欠いてるが、負けることが確定したら流石さすがに結束すると思う。それはAクラスも同じだと思うんだが」

「俺と一之瀬が繋がる事実は、何もこの瞬間に決まるわけじゃない。繋がったかどうかを確かめるすべもない。そんな不確定な要素でかつらが協力するとでも?」

 確かに葛城は慎重な男だ。証拠もなしに簡単には動かないだろう。だが、龍園に痛手を負わされたからこそ交渉の余地はあるはずだ。

 オレが発した一言で、ほりきたもこの関係を成立させるわけにはいかないと気が付く。

「この話し合いには未来がないわね。最終的に相手をつぶしあうしかなくなるわ」

「どういう意味だすず

「彼にしては的をていたってことよ。もしこれ以上、ここでだんごうのような話し合いをするつもりならこちらも『そうである』ことを前提に動くしかなくなる。それだけのことよ」

「望むところだ。おまえらが協力関係になれるのかどうか、楽しみだぜ。なあ?」

 手当たり次第に敵意をまき散らし、同時にこうがんにも敵に手を差し出すりゆうえん。それに対して堀北は徹底的に戦う姿勢を見せる。それこそがいち抑止の効果へとつながる。

 今ここでDクラスを裏切れば、全てのクラスから裏切り者として認知されるだろう。

 ポイントを得る為ならどんなタイミングでも相手を裏切る。そんな肩書がついてしまうと、まだまだ長い学校生活で足を引っ張られることになる。

「ごめんね龍園くん。Bクラスの中には君の行動で傷つけられた人がいる。ポイントをもらえるかもって理由だけでは簡単には手を組めないよ」

「そうか。そりゃ残念だな」

 少しも残念そうではない。最初から成立などしない前提で動いているからだ。

 龍園は立ち上がるとを出ようとオレたちとすれ違う。

 去りぎわ、龍園がもう一度だけオレを見た。

 無意識だったのかも知れないが、偶然オレと視線がこうさくする。

「……まさかな」

 ギリギリ、耳を澄ませていて聞き取れた言葉に当然オレは反応を示さない。

 龍園は軽く首を左右に振り立ち去っていった。

「あ、私もそろそろ行くね。友達に呼び出されちゃったから」

 くしは少し謝りながら部屋を退室していき、結局いつものメンバーが残る。

「ふー。色々見抜かれちゃってたかな、あれは」

 特に焦ることもなく、一之瀬は浅いため息をついた。

「大変そうだな。ああいうのに付けねらわれると」

「名前に龍なんて入ってるけど、蛇だね蛇。獲物を見つけたらどこまでも食らいつくしゆうねんを感じるよ。でも今は私よりも堀北さんの方が大変なんじゃない? 龍園くんは当然のこと、Aクラスだって警戒してるだろうから。Bクラスとしても、いずれ敵になると思うと気にしちゃうし」

 まあ、そうだな。今まで沈みきっていたDクラスが、無人島試験で一気に浮上した。その事実は他クラスにとってDクラスが警戒すべき存在に早変わりしたことを示す。

「大丈夫だろ。堀北は注目やプレッシャーで潰れる玉じゃない。そうだろ?」

「当然よ」

 ってな具合でな。きよせいだったとしても、むしろそうすることで真価を発揮していく可能性もある。こればかりはいつ、なんてのはわからない。今日なのか10年後なのか。大抵は真価を発揮する前に人として完成し、打ち止めになってしまうんだが。

ほりきたさんにあやの小路こうじくん。私たちの協力関係を知る人がそろってるから聞くけど……今回の試験で、クラスを越えた協力関係は成立すると思う?」

「わざわざ敵対する必要はないけれど、協力しようと持ちかけるのは難しいでしょうね。試験の仕組み上2つのクラスが協力してやるにしても不完全だもの。それに、DクラスとBクラス全員の揺るぎない協力が必須条件。成立するとは思えない」

「うん。さすが堀北さん。よく試験を理解してるね。りゆうえんくんのアイデアはじようの空論だよ。やっぱり手を組んだのは正解だったね」

 自分と価値観が合う堀北に、どこかうれしそうないち

「うん。龍園くんの作戦は不発に終わる。多分心配しなくていいね。問題はかつらくんの籠城作戦の方だね。本人と話してみて手ごたえはどんな感じ?」

 堀北とかんざきに、葛城の様子を聞く一之瀬。

昨日きのうも報告したが、残りのグループ同様取り付く島もない。声をかければ返事はあるが、対話に参加しようとする意欲は全く感じられない。試験終了までスタンスは崩さないだろう。葛城不在でも態度は同じか?」

「うん。こっちもダメ。やっぱり別の方法でアプローチするしかないね」

 残された接触の回数は3回。それだけで各グループは答えを出さなければならない。

 クラス全体のためかグループのためか。あるいは個人のために動くのか。

「それじゃあ、私はに戻るから」

 全員で竜部屋を出た後、すぐに解散となり堀北は自室に戻って行く。

 その途中、待っていたと思われるはまぐちが合流してきた。

 一之瀬は堀北の後ろ姿を見送った後、こちらを向いてこう切り出した。

「もしよかったら、少しだけ付き合ってくれないかな」

「ああ、それは構わないが」

 オレの周りには一之瀬たちBクラスの生徒が3人。少し肩身が狭い。

 それから神崎と別れ、残りとデッキに出ると、既に遊びムードに切り替わりつつあった生徒たちの間を縫い適当な位置で立ち止まった。

「堀北さんはああ言ってたけど、私は協力できる余地はあると思っているの」

「協力できる余地?」

「うん。Aクラスが私たちから距離を取ったことには驚いたけど、チャンスはあると思う。そのためにはすべてをさらけ出すことが必要なんじゃないかなって」

「全てを……?」

「この試験はつまるところ、優待者を見つけ出すって課題でしょ。だったら、そうじゃない人物を一人でも多く作って確率を高めていくのがじようせきだと思う。だから言うけど……私は優待者じゃない。そして、優待者を見つけだしてグループの勝ちに持ち込むつもり」

 ハッキリと、目を見ていちは言った。更にこう付け加える。

「もし私が優待者だったなら、存在を隠し通していたと思う。あやの小路こうじくんに聞かれていたとしても……。理由は単純、私はBクラスのために全力を尽くしているから」

 その言葉は、オレを言い表せないなぞめいた空気に包んだ。

 ここまで一之瀬の行動を見てきた身からすれば、今のこの一手には疑問を覚える。

 今この瞬間に全てを話して協力を求めるのならもっと踏み込んで要請するべきだ。それこそ自主的に携帯を見せ100%の信頼を勝ち得ておきたいのが筋。

 しかし一之瀬にはその気配がない。携帯を取り出す素振りすら見えなかった。

 この発言を単純バカな頭の悪い女として受け止めるべきか、それとも何か裏で思い描くストーリーがあると見るべきか非常に難しい。だからこその謎めいた空気なのだ。ここは素直に受け入れる姿勢を見せておくのが無難かも知れない。

「……おかしい、かな」

 こちらの沈黙を見て一之瀬が不安そうに言う。

「や、わるい。別におかしくはない。ただあまりに素直に話すから驚いただけだ。普通、そこはうそでも取りつくろうところじゃないか? 自分が優待者なら、グループで勝ち残る選択を選ぶって」

「こんなとこで嘘はつかないよ。試験で競ってるときには必要な嘘だってつくけど、普段はできる限り正直にいたいしね」

「全部話したのは、正々堂々とクラスが勝ちあがるため。優待者かそうじゃないかを絞っていくことで勝ちへの道筋が見えてくると思ってる。あ、綾小路くんは無理に答えなくていいからね。私は私の気持ちを話しただけ。それが伝わっていればやりやすいだろうと思ったから」

「協力関係を最大限発揮するのは無理でも、けんなものにしておくのは悪いことじゃない。ここでオレだけが答えなきゃ後々その関係に傷を付けかねないな」

「やや、そんなことはないよっ?」

 慌ててオレが答えそうになったのを止めようとしたが、ここは隠し通すべきじゃない。

 今一之瀬が話していることはまぎれも無く本当のことだろう。ここでオレをだまおとしいれることに成功したところで、得られる裏切りの代償は小さい。ほりきたとの協定を破棄してまで、最下位に沈んでいるDクラスから搾り取るのはナンセンスだ。可能性を考えれば100%の否定は出来ないが、いんせきに当たることを心配して生活する人間はいない。Dクラスで判明している事実は正直かつ正確に伝えることにしよう。

「オレも優待者じゃない。それとゆきむらもな。幸村に関しては絶対に優待者じゃないと言い切れる。ただ残念だがかるざわ博士はかせ……じゃなくてそとむらに関しては不明だ。それと方針はいちに賛成だ、全く反対はない」

 幸村から人聞きとして軽井沢と博士は優待者じゃないと教えられたが、それをみにはしない方がいいだろう。かつに違うと言い切って優待者だと信頼を失いかねない。

 そして幸村が優待者じゃないと言い切ったのは、あいつの言動や態度から判断している。まず間違いなく幸村は優待者じゃない。

「ご、ごめんね。何か無理やり言わせちゃったみたいで」

 罪悪感に襲われたように、一之瀬はペコッと頭を下げて謝った。謝られる必要はない。『いずれ謝らなければならないのはオレ』なのだから。

「ねえはまぐちくん。少しいいかな?」

「なんですか? 一之瀬さん」

 どこか緊張感のない浜口が近づいてくると一之瀬は今の状況を浜口に話し始めた。それを聞いていると、意外なことに一之瀬はDクラスと協力関係にあることは伏せているようだった。一之瀬の性格ならクラスの賛同を得ていると思っていたが。

「彼からも確認させてもらったのなら、僕が断るわけにもいきませんね。僕も優待者じゃありません。信じて下さって大丈夫です」

 一之瀬との関係も考えれば、自己申告でも信ぴょう性は高いと見るべきだろう。ここでうそをつくメリットは低い。ていしたときにほりきたとの協力関係にヒビを入れかねないからだ。

 もっとも、じんもバレないと踏んで思いきった作戦を取っているのなら話は別だが。

「おまえは自分のクラスの確認はしてないんだな」

 人望に厚い一之瀬であれば、りゆうえんのようにきようこう政治をせずとも全員の状況を把握できそうなものだ。

「個人の自主性に任せてる感じかな。ポイントを欲しいと思ってる子もいるだろうし。優待者に選ばれた権利を私が勝手に調整する訳にもいかないしね」

「差し出がましいことだとは思いますが、残りの1人にも確認を取っておきます。素直に答えてくれるようであれば後であやの小路こうじくんにお伝えしますよ」

「それはありがたい話だが、オレがDクラスのことで教えられることはないぞ。正直良い関係が築けているとは言えないし、聞いたことが事実である保証はどこにもないからな」

「うん、大丈夫。綾小路くんだけでも協力してくれたなら私は満足だよ」

 これで3人は公平な立場から相談しあい、うさぎグループでの協力が可能になった。オレ、一之瀬、浜口、そして言動や態度を見て優待者じゃないと確信できるのは幸村、この4人を除くと現時点での優待者の候補は10人。まぎれもなくその中に優待者がひそんでいる。

 どちらにせよ、無人島でリーダーを見つけだした作業と同じか、あるいはそれ以上に難解な作業になるだろう。だからこそ試験として成り立つ。優待者役もプレッシャーは感じるだろうが、こつな行動を慎めば隠し通せる。理不尽に見えながらも学校はうまくバランスをとった試験を行っている。

「それで、ここからどうやって優待者を見つけるつもりですか? 直接聞いても素直に名乗り出るとは思えませんし、僕たちのように言葉だけで信頼しあうのは難しいでしょう」

「それを何とかするのが今回の試験、なんじゃないかな?」

 その通りだ。非常に高い難易度の試験。

 事実を隠蔽したい相手から正しい情報を引き出す必要がある。

 いちが新しく動いたことで、硬直していた状況に変化をもたらし始めた。


    2


 人のうそを全て見抜けるようなエスパーでもない限り、優待者を見抜くのは容易たやすくない。

 人は生まれながらの嘘つきだ。嘘を付くことに慣れてしまっている。

 もし嘘をついたことがない人がいるとしたら、その存在そのものが嘘だろう。人にとって嘘は切っても切れない関係にある。優しい嘘も、嘘であることに変わりはない。

 少なくとも、このに集まる生徒の中に1人の優待者が存在する。

 まだ試験開始までは時間があるが、前回と同様一番最初にやってきたのは全員の挙動が見たかったからだ。夜の試験で最初にやってきたのはCクラスの女子グループだった。

 ガヤガヤと楽しそうに談笑しながら入ってきたが、オレが座っているのを見つけると少しだけばつが悪そうに声のトーンを落とし距離を置いて座り込んだ。

 それから次に、ゆきむらが険しい顔つきをしてやってきた。軽くオレと目を合わせた後近くに座るも、特別普段と変わった様子はない。

 そして次に、Aクラスの一陣がやってきた。まちたけもと。そしてもう一人のもりしげ

 いつものように話し合う必要がないと判断しているため、一番奥の席へと座り込む。Cクラスの女子たちが座っているそばだ。

「ねえ町田くん。今日これが終わったら私たちと遊びに行かない? 女子3人で遊ぼうってなったんだけど、遊び相手が見つかってなくって」

「……そうだな……」

 対話に参加しない町田だが、その存在感は女子の中では強い。一之瀬やぶきを除く女子は全員町田に興味があるようだった。別にうらやましくはない。……ちょっとだけ羨ましいかも知れない。Cクラスは既に半分優待者を見つけることを諦めているのか、あるいは作戦かわからないが町田を遊びに誘う。こうして男女の関係は深まっていくんだろうか。

 まちもまんざらではないようで、考えた素振りを見せつつも少しうれしそうだった。

 それから次はDクラス、博士はかせかるざわだ。一緒にやってきたというよりは、偶然同じタイミングになったようでこつに軽井沢は嫌そうにしていた。そしてに入るなり博士から距離を取るようにして奥を陣取ろうとする。

「ちょっと、そこあたしの場所なんだけど?」

 遅れてやって来た軽井沢が、先に来ていたCクラスの生徒をうつとうしそうににらみつけた。

 他の女子が町田と親しそうに話していた場面を見つけて、よりいらちをあらわにする。

「意味わからないんですけど。あなたの場所ってなに。どこか適当に座ればいいじゃない」

「あたしそこがいいの。どいて」

「はあ? 今町田くんと話してるんだけど。夜遊ぶ約束してるところなんだから」

「ねえ町田くんからも言ってくれない? あたしが隣だって」

 少し困った様子で、町田はどちらの味方をするべきかしゆんじゆんしているように見えた。しかし、その様子をすぐに理解した軽井沢は、なべと町田の間に割り込んで手を握り込む。

「今度二人きりで遊ぼうよ。それとも、こっちの子と約束しちゃった? あたし二股かける人とか嫌いだから、この子たちと遊ぶって言うならこの話は無しにするけど……」

 うん、それはツッコミ待ちか? ひらと付き合っている身で堂々と言えるのはすごいな。

『二人きりで』という部分に強く引かれた町田は、どちらを取るか決めたようだった。

「どいてやってくれないか? 昼もここは軽井沢が座っていた場所だからな」

「は……? なにそれ、ムカつく……」

 こっちだってあんたの隣はごめんとばかりに、女子はその場から離れた。

 そしていたスペースに軽井沢が滑り込むように座り込んだ。

 ほぼ町田に密着するような……いやもはや身体からだが触れ合っている。

 その行為を軽薄だと感じないのは、既に軽井沢の人となりが分かっているからだろうか。

 軽井沢が平田と付き合っている。その事実を知ってか知らずか、町田は軽井沢に対し心を開くというか、好意を持ち始めているようだった。外見だけで言えば間違いなく可愛かわいいし、好かれている側からすれば、守ってやりたくなるのかも知れない。

 面白いもので、昨日きのう今日出来たばかりの即席グループにもかかわらず、力関係を含めた独自の生態系が生まれ始めている。

 ボッチの人間はボッチ、びる人間は媚びる。仕切る人間は仕切る。だが、まるっきり普段と同じわけでもない。例えば仕切る人間が同じ場に2人いれば、どちらかがふるいにかけられ落とされる。弱肉強食の縮図でもあるな。そして、その争いに負けた人物は、一つ以上下の階級へと降格をなくされる。場合によっては、一気に最下層である。いてもいなくても変わらない空気のような存在になる。ここで言えばオレだな。

 この試験の面白いところは、普段敵として警戒している連中と組まされることにある。

 仲間内では絶大な人気を誇るいちだが、明らかな敵に関しては影響力が薄い。これがひらであれば、もう少しまとまりのあるグループに仕上げるんじゃないだろうか。

「みんなよろしくねっ」

 当人がやって来て、辛気臭いに活気をもたらす。場の空気が重たいことにはすぐ気がついたと思うが、不用意に話しかけたりはしない。

 それにしても、かるざわの行動は強引すぎるし少し不可解だ。本当にまちと親しくなりたいのだとしても、あそこまでこつにCクラスの女子とめる必要はない。

 ただ───このことと試験は直接関係がないような気がした。

 1学期から軽井沢を知る身としては、彼女の性格ゆえの行動に見えてきたからだ。

 今回のグループのように小規模であれクラス単位であれ、軽井沢は自らが一番でありたいと思っているんじゃないだろうか。もちろん、女子でトップに立つのは容易なことじゃない。一之瀬のように求心力のある才女であれば別だがひいでた能力がなければ無理な話。

 しかし、学校生活においては『人間関係』こそがカースト制度の上下関係を決める。事実軽井沢は強気な物言いと態度でDクラスにおける女子のリーダーになった。更に平田というクラスの導き手の彼女になることで男子に対しても強い発言権を得た。

 その一学期の軽井沢の行動を、今回の軽井沢の行動に当てはめるとしっくりくるのだ。頼りなさそうな男子メンバーの中で一番強気かつ利己的な回答をする町田を手中に収めればこの部屋でも主導権を握れる。

 事実Cクラスの生徒たちは町田に逆らえない状況に渋々引き下がっているのだから。

 なら、嫌われることを覚悟で場を支配して得られるものはなんだ。

 優越感?

 自己満足?

 自己顕示欲?

 根底は見えてこないが、そういったたぐいの何かであることがうっすらと見えてきた。

「よくないな……」

「そうだな。このままいったら優待者の勝ち逃げを許すぞ……」

 オレの言葉を試験の心配ととらえたのか、隣に座っていたゆきむらが答えてきた。違うと否定するのも手間だったので、そのまま聞き流しておく。

「さてさて。今回もAクラスは対話に不参加な感じ?」

「もちろんだ。勝手に話し合いをしてくれ。こちらの方針に変わりはない」

 堂々と言い切る町田の横で、喜怒哀楽の感情を消し去っている生徒がいた。Aクラスの生徒、もりしげだ。この生徒には試験前から見覚えがあった。聞き及んだところによると、Aクラスは今、かつら派とさかやなぎ派の二つに分かれているらしい。森重は無人島試験で葛城に反旗をひるがえしていた男の一人だ。

 通常であればかつらの意見を素直に聞き入れたりはしないのだろうが、さかやなぎは病欠で不在らしく今回の旅行には参加していない。

 指示を仰ぐ人物が存在しない以上、大人しく従うしかない、そんなところか。

 無人島試験で隙をいてダメージを与えたことで、葛城はリーダーとしての求心力を失うかとも考えたが、それくらいで崩れたりはしないらしい。もりしげがこの2日間沈黙を貫き通しているところからしても、今回の試験は耐えるしかないと思っているのだろう。

「じゃあ、無言で1時間を過ごすのももったいないし今回もトランプで遊ぼうか」

 いちも慣れたもので、最初の確認が終わるとすぐにトランプを取り出した。

 この試験、アプローチの仕方は様々だ。一之瀬は真っ向からの対話で優待者を絞り込もうとし、一方の葛城は対話をつことで安定をねらう。りゆうえんはすべてを敵に回しながらも、クラスをしようあくすることで試験の仕組み、その根底のルールを見つけようとしている。

 だが───それがどこまで当たっているかはふたを開けてみるまでは分からない。

 結局今回も1時間をトランプ三昧で過ごすと、あえなく解散となった。

 ゆきむらは必死に周囲を観察していたものの優待者らしき気配はつかめなかったようだな。

 それは他の生徒も全員同じだろう。そしてそろそろ結論づけているはずだ。仮に対話を繰り返したとしても優待者は名乗りをあげることはないと。オレは全員が退室していく順番を観察する。

 いつも出て行くのが早いCクラスの生徒はまだ動かない。それに対し更に早いAクラスはいつものように一番手に出て行く。まちかるざわと連絡先を交換していたようで、今度連絡すると残し去って行った。それから幸村と博士はかせも腰を上げる。

「戻ろう。あやの小路こうじも行くだろ?」

「ああ」

 それとほぼ同時に軽井沢は電話をしながら立ち上がり、面白おかしく談笑しながらを出て行く。そしてオレたちのわきをCクラスの3人が通り抜けていく。

「今の3人、どうも様子がおかしくなかったか?」

 幸村も異変に気が付いたようで、少しげんそうな顔を見せる。

「そうでござるか? 拙者は気が付かなかったであります」

 めちゃくちゃな口調で話す博士は置いておくとして幸村の違和感は正しい。どうやらCクラス側もうつぷんが相当まっているらしい。

 オレと幸村はそっと部屋の扉から廊下の様子をうかがう。

 すると軽井沢のピッタリ後ろを3人が追いかけていくのが見えた。一人欠けているのが何より気がかりだ。唯一軽井沢に対して興味を見せなかったぶきがいない。

「ひともんちやくあるんじゃないか?」

 幸村はどうする、とオレに視線を向けてきた。

「一応追いかけるか。暴力事件にはならないと思うが、騒ぎになるかも知れない」

「全くかるざわのやつ。他人にうらまれるようなことを勝手にして……こっちは優待者を探すのに精いっぱいだというのに」

 博士はかせにはに戻ってもらうことにし、オレとゆきむらは4人の後を静かに追った。

 角を曲がるとバタンと非常口の扉が閉まる音が聞こえた。エレベーターが混雑しているわけでもないのに非常階段を使う理由は無い。つまりそれ以外の目的があるということだ。

「ちょっと、こんなところに連れ込んでどういうつもり!?」

 こっそりと非常口の扉を開けると、近くからそんな声が聞こえて来た。

「とぼけんなよ。あんたがリカをき飛ばしたんでしょ? それに関する話よ」

「……は、はあ? なんであたしなわけ? 別人だって言ったでしょ」

 3人は囲い込むようにして軽井沢を壁に追いやり、逃げられないようにしていたが、そんな状況でも軽井沢は謝罪することもなく事実関係を否認する。本当に別人なんだろうか。

「あたしこれから用事あんだけど。どいてくんない?」

「だったら確認させてよ。今からここにリカ呼ぶから。それであんたじゃなかったら許してあげる」

「意味わかんないし。先生に言い付けるから」

「先生になにを? 私たち別に暴力振るってるわけじゃないし。なんならリカを突き飛ばしたことを問題にしたっていいんだからね」

 向こうも勝負を仕掛けると決めた以上引き下がるつもりはないようだった。逃げようとした軽井沢の腕をつかんで再び壁に押し付けるようにして囲い直す。

 女子の一人が、リカという子に連絡をとろうと携帯電話の操作を始めた。

「ま、待ちなさいよ」

 その様子を見て本気だと悟った軽井沢が操作をやめるよう要求する。

「なに。なんで待たなきゃいけないの」

「……今思い出したのよ。前にあたしとぶつかった子がいたこと」

「しらじらしい。最初から覚えてたくせに。まぁいいや、ちゃんとリカに謝るわけ?」

「そうじゃない。あれはあの女が悪かったのよ。どん臭い子だったから」

 責任を認めるのかと思いきや軽井沢は強気にそう言い放った。それが彼女らの神経を逆なですることは分かりきっていたにもかかわらずだ。

「こいつマジムカつく。リカに謝るならさっき私たちにしたことは許してやろうと思ってたのに。もう許さないから」

 軽井沢の肩を手のひらでガッと突く。

「どうせ、最初から許すつもりなんてないでしょ……」

 今までなべの後ろにいたやましたという少女が、小さく吐き捨てた軽井沢の言葉にキレた。

ちゃん。私も我慢の限界。マジでかるざわ許せないかも」

「でしょ? 絶対リカにも同じ態度だったと思うんだよね。本気でいじめちゃう?」

 今度はさっきよりも強く、手のひらで軽井沢の肩をいた。

 ゆきむらとつに扉を開けようとしたが、オレはその腕をつかんで制止する。

 この段階で止めても、近いうち再び軽井沢が襲われるだけだ。それならオレたちが監視している今の段階で多少暴力でも振るわれた方が、後々の抑止力につながる。

 程度によっては学校側に訴えるとおどして有効に利用できる可能性もあるからな。

 何より軽井沢けいの存在そのものの見かたが、今変わろうとしていた。

「はあ、はあっ……」

 荒おくなっていく軽井沢の呼吸。痛みを感じ出したのか、両手で頭を押さえる。

 その苦しんでいる姿はなべたちの同情を買うどころか余計に神経をさかでした。

「今更女の子ぶったって許してやらないから」

 髪の毛を掴み、うな垂れる顔を強引に上げさせる。

「私軽井沢の顔嫌い。ぶっ細工じゃない?」

「言えてる。いっそズタズタに切り刻んじゃう?」

「や、やめ……やめて……」

「や、やめて、だって。さっきまでの勢いはどうしたのよ」

 相手を憎めば憎むほど、嫌いになるほどに相手の長所も否定的になっていく。

 容姿だけで言えば満場一致でかるざわの勝ちなのだが、なべやましたやぶにとって軽井沢の整った顔までも否定しなければ納得いかなくなっているようだった。

 ガタガタ震えだし、ついには軽井沢は半泣きになりながら頭を抱えて動かなくなる。

 その姿にはいつもの面影は1ミリも残っていなかった。

 窮地にこそ人の本性が出る。

 もう少しで、オレは軽井沢けいのことをもっと詳しく知ることが出来る気がした。

 しかし、我慢できないのかゆきむらが余計な正義感を見せた。制止を聞かず扉を開いてしまう。来訪者の登場に当然3人は大きく驚く。一方軽井沢は助かったように一瞬あんの表情を浮かべた。

「おまえたち何をしているんだ」

「何って……。別に? ねえ。軽井沢さんと話してただけよ。そうでしょ?」

 余計なことを言うなと真鍋は軽井沢をにらみつけるが、そんなことでひるむ人間じゃない。

「ちょっと幸村くん、何か一言ってやって? こいつらあたしを強引にして暴力を振るってきたし。マジ最低じゃない? ウザいから消えろとか言われたんだから」

 普段幸村のことを全く相手にしていない軽井沢だが、この場に現れてくれたことをありがたいと思っていることだろう。少し安堵した様子が窺えた。

 Cクラス側から強烈なにらみをもらう。お前らには関係ないだろ、と。

「軽井沢さんとリカの問題で手を貸してるだけ。ぶつかった話は聞いてるでしょ?」

「……穏便にしたほうがいいんじゃないか? ぶつかったのだって別に軽井沢に悪気があったわけじゃないようだし」

 幸村としてもこう答えるしかない。

「あんたは黙ってて。関係ないでしょ」

「…………」

 そう言われて睨まれたら、今度は黙るしかない。

 軽井沢は情けない男を見る目で幸村を見つつオレは静かに携帯を手にした。

「さっさと立ち去りなさいよ。じゃなきゃ人呼ぶから」

「なに、呼ぶって誰を? ひらくん? まちくん? それともヤリマンのあんたには他にも男がたくさんいるわけ?」

 女同士のけんいん湿しつだと言うが、それは男と違い暴力による解決がしづらいからなんだろう。巻き込まれたこちらとしては、目と耳のやり場にすら困る状態だ。

「さっき先生がいたぞ、早く行った方がいいと思う」

 仕方なく非常口に足を踏み入れたオレが、そういって解散をうながす。

 Cクラスとしても今騒ぎにはしたくないだろう。

「絶対リカに頭下げさせるから」

 それは、どんな手でもする、という相手側からのきようはくだった。かるざわは必死に強気な表情を作っていたが、そこに余裕がないのは見れば明らかだった。向こうはそんな軽井沢の様子に、感じるものがあったのだろう。終始上からの態度を示し続けた。

「大丈夫か?」

 過呼吸気味の軽井沢を放置するわけにもいかず、ゆきむらが声をかける。

「放っておいて……っ!」

 近づいてきた幸村を、軽井沢はパンと手を払って遠ざけた。

「なっ、心配で様子を見に来てやったんだぞこっちは!」

「うるさいっ。そんなこと、誰も頼んでないっ」

 軽井沢はそう言い放ち、息も荒く一歩を踏み出した。

 あつされるように幸村が一歩下がる。

 触らぬ神にたたりなしとオレも後ろに下がった。軽井沢はオレに対しても強烈ににらみつけてから非常口のドアを強く開け放った。そして思い切りドアを閉める。

「なんなんだあいつはっ! いつもいつも迷惑ばかりかけて……!」

 ふんがいする幸村の気持ちもわからないではない。トラブルメーカーもいいところだ。

 どっと疲れただろう幸村はそれ以上言葉を発さずに非常ドアから戻って行った。

 誰もいなくなった非常階段の前でオレは軽井沢について考える。

 Dクラスの女子をまとめるリーダーが見せた危うい一面。

 さっきのおびえたような様子は、ただおどされたからだけには見えなかった。


    3


 二日目が終わる真夜中。昼間はけんそうに包まれるプールは静まり返り、人気は無い。

 オレはあることを確認するため携帯を手に待っていた。

 支給された携帯には、最初から学校の先生のアドレスが入っているため、ちやばしら先生とのコンタクトを取るのは比較的簡単だ。ここは、先生と落ち合う場所。

 真夏とはいえここは大海の真上。高速で進む船上の夜風は肌寒いほどだ。

「……待たせたなあやの小路こうじ

「別に構いませんよ。それより遅くに呼び出してすみません」

「生徒からの相談なら、担任の教師にはそれに応じる義務がある。別におかしなことじゃない。幸か不幸か、個別に私を呼び出したのはおまえが初めてだがな」

 Dクラスに愛情をもって接しない茶柱先生は、お世辞にもクラスメイトからは好かれていない。悩み事があったとしても相談を持ち掛けることはなかなかないのだろう。

「先生にお聞きしておきたいことがあったんですけど……ずいぶん顔色が悪いですね」

 暗がりで最初は気が付かなかったが、ちやばしら先生は死にそうなほど暗い表情だ。

「……気にするな、大人の事情だ。それでなんだ?」

 吐く息からお酒の匂いがしたことから事情を察する。

「この学校にはポイントで買えないものはないって言いましたけど、それでも例外はありますよね」

「まあそうだな。例外は当然存在する。ポイントで教師や生徒の命を要求されても応えようがないようにな」

「では過去にポイントによって買われた一番高いもの───」

 質問をぶつけている最中、人の気配を感じ口を閉じる。

「やっはーサエちゃん。元気?」

 現れたのはほしみや先生だった。偶然この場所に現れた? その可能性は限りなく低い。

 茶柱先生の後をつけていなければ無理なことだ。

「……酔いつぶれていたんじゃないのか」

「え? やだな、私が酔いつぶれるわけないじゃない。あれは寝たフリってやつ?」

「全く……相変わらず酒に強いようだな。昨日きのうといい今日といい」

 どうやら、星之宮先生はひたすらペースを維持して飲み続けていたらしい。

「こんばんはーあやの小路こうじくん。元気?」

 れしく近づいてくると、馴れ馴れしく肩に手を回し馴れ馴れしく酒臭い体臭と息でからんできた。未成年のオレには皆目見当も付かないが、アルコールはそんなに美味なのだろうか。香りを嗅ぐ限りでは飲みたくもならない。

「普通です。可もなく不可もなくですね」

「見事なまでに可愛かわいくない回答ねー。綾小路くんはサエちゃん見たいなツンツンお姉さんが大好きなのかな?」

「学生に絡むな。実務に支障を来たすぞ」

 ありがたいことに、茶柱先生が星之宮先生のえりくびつかみ引きがしてくれた。

 偶然耳にした昨日の会話が脳裏を過る。

 教師は教師で、互いに警戒し、競い、だましあいながら上のクラスを目指している。

 それは単純に自らの給料の向上だけを見据えたものなのか、あるいは茶柱先生と星之宮先生のように、学生時代の友達として一言では言い表せない何かがあるのか。

 学校側、教師側がフェアにてつしていることは間違いないだろう。もし余計な情報を流して問題になれば、それだけで大事だ。その責任は計り知れない。その前提で考えるなら、いちは何も知らずにうさぎグループに配属されていることになる。あいつは鋭い洞察力と観察力を持っている。遅かれ早かれ不思議に思うだろう。なぜ自分が兎グループに配属されたのか、と。単なる偶然ととらえてくれればいいが、ほしみや先生は感情の出し入れがだ。いちあやの小路こうじきよたかを探らせるためだったと気づかせてしまうことは起こりうるだろう。ならばどう対処することが最善の策か。考えながら、既にオレは行動の結論を固め始める。

「それで二人は何の話をしてたの? こんな真夜中に。これはこれで大問題じゃない?」

「大問題? 生徒からの悩み事に対して相談に乗るのは当然のことだと思うがな」

「だったら、もっと人気のあるところで落ち合えばいいじゃない。こそこそ隠れるみたいにしてたら怪しいし」

 探ってくる星之宮先生に、ちやばしら先生はどこまでも冷静な対応を続ける。

「綾小路が望んだことだ。誰にも見つからずに相談したいとな」

「ふーん。まあ違反をしてるわけじゃないけどさ……」

「わかったらバーに戻ってろ。私もすぐに戻る」

「はいはーい。ごゆっくりー。でもエッチなことはしちゃだめだからねー」

 そんな余計な一言を残し、星之宮先生は船内に戻って行く。気配を殺してひそむようなこともなさそうだった。

「すまないな。色々と面倒な教師で」

「いえ」

 探りを入れられていることを茶柱先生は口にしなかった。まあ、個人的な問題でもあるだろうしな。二人の間に何があるのかはわからないがオレには関係のないことだ。

「それでさっきの続きだが、過去に買われた最大のポイント、だったな」

 小さくうなずくと、茶柱先生は少しだけ考え込むような姿勢を見せた。

「私が就任してからに限定するならば『学校の校則を変える』だな。もちろん現実的な範囲のものだ。例えるなら、遅刻と認めるまでの時間を1分長くする、といった具合のな」

 あくまでも事実ではなく例として答える茶柱先生。

「あくまでも参考例、ですか」

「不満か?」

「まあ構いませんよ。学校の仕組みとポイントの有用性は理解できますから」

 さいなものであれポイント次第では学校の仕組みにも手を加えることが出来る。すなわち無限大の可能性を秘めているともいえる。プライベートポイントは極めて重要な要素だ。

「そんなことメールでも聞けることだろう。私を呼び出して聞くこととは思えないが」

「メールだと記録が残りますからね。それを避けたかっただけです」

 オレはそれだけ言い残し、星之宮先生が戻った入口とは違う扉へ向かう。

 確認したいことはいくつもあるが、今はとりあえずこれだけでいい。

「近いうち頼みごとをしに行きますよ」

 振り返ると茶柱先生はややいぶかしみながらもオレを見ていた。


    4


 真夜中。深夜の2時を回った頃、隣の住人が静かに目を覚ましたようだった。

 室内で眠る他の3人を起こさないよう極力はいりよし、ゆっくりとベッドを抜け出す。生徒は規則上ジャージで眠るようになっているため、そのまま室内を抜け出すことが出来る。

 オレはその男がトイレに起きたわけじゃないことを確認し、自分の分のカードキーを握りしめ布団から抜け出た。今日動く保証はなかったがようやく行動の成果が出たらしい。

 その男はオレが起きたことに気が付くと無言で目を合わせた。

 そしてこちらが視線をらさず用件があることを訴えると、廊下で待っているよと指を差した。それから廊下に出ると、その男……ひらはちょっと困った様子で待っていた。

「起こしちゃったのか起きてたのか、どっちなのかな」

「後者だ。もしかしたら今日、おまえがを出るんじゃないかと思ってた」

「どうしてそんな風に? 真夜中に外出したのは今日が初めてなんだけどね」

 すのは逆効果だと判断し、素直に答えることにする。

かるざわから連絡があったんじゃないか?」

 その一言で大体察したらしい。さすがは優秀な平田、文句のつけようがない理解力だ。

「もしかして何か知っているのかな」

「軽井沢と同じグループだしな。どこまで聞いてるか分からないがある程度把握してる」

 それで、と平田はオレからその続きの言葉を待っている様子だった。

 確かに今の説明じゃ、真夜中に抜け出したこいつを追う理由にはならない。

ほりきたとの橋渡し役の話があっただろ? その希望に沿えるかも知れないぞ」

「なるほど。つまりあやの小路こうじくんが今ここにいるのは堀北さんの指示、なんだね」

 みが早くて本当に助かる。余計な回りくどい説明をしなくて済んだ。

「軽井沢の話も含めうさぎグループの詳細は事細かに報告してるからな。そしたら軽井沢のある一件を聞いて平田を見張っておくように言われたってわけだ。後をつけてこっそり話を聞いて来いともな。でも、オレは平田から橋渡し役になって欲しいって話を受けている。だからこれがそのチャンスになると考えたからコソコソするのはやめたんだ」

「彼女が望んでいる情報って何かな」

「軽井沢について平田が知っていることの全てだろうな。それとこれからの話の内容だ」

 どうして軽井沢に関する情報が必要かまでは、兎グループの実情を把握していない平田には分からないことだろう。だが、それが今後に影響していることだけは分かるはずだ。

「どこまで答えられるかはわからないよ。軽井沢さんの気持ちもあることだから」

 それだけ言い、平田は廊下を歩きだした。落ち着いた様子で、突然の提案と要望にも動じた感じは全くしない。足取りも静かで時間帯を気にしてか歩き方にも気を遣っていた。

 2時間ほどはベッドにいたはずなのに、髪型にも乱れたところがない。自分のためではなく、それは人に見られたときに不快にさせないためのはいりよなのだと付き合いの中で直感できる。

あやの小路こうじくんなら余計なことを言わないと思うけど、これからする話はすごくデリケートになると思う。それに、かるざわさんが話すことを拒絶して帰ってしまう可能性だってある。それは最初に理解しておいてほしい」

 オレが隠れて聞くという手もあるが、ひらはそれを良しとしないだろう。軽井沢が誰にも聞かせたくないから夜中に呼び出しているのに、裏でオレが聞く構図を容認するはずがない。ならば今の確認に対しては素直に答えておく方が無難だ。反論せずうなずいて答える。

 待ち合わせ場所は地下2階の休憩コーナーの自販機前だった。長い船内の廊下、その中央に位置している。場所こそ人目につきやすいが、誰かが近づいて来れば必ず見える位置。ここだと隠れて盗み聞きすることも難しいだろう。

 軽井沢は既に平田を待っていたようで、ジャージ姿でソファーに腰かけていた。

 足音に振り返った軽井沢は平田を見つけ一瞬がおを見せるが、その少し後ろにオレがいることに気が付きすぐに不機嫌な顔になった。立ち上がるとオレへ言葉を投げつける。

「なんで綾小路くんが平田くんと一緒なわけ」

「僕が呼んで一緒に来てもらったんだ」

「平田くんが……? どうして? 二人きりで話がしたいって言ったのに……」

「うん。でも軽井沢さんが電話口で言ってたことが少し気にかかってね。状況を知ってるらしい綾小路くんに来てもらった方がいいと思ったんだ。勝手なことをしてごめん」

 不満全開の軽井沢ではあるが、平田の手前強く言い切ることもできないようだった。

「でも……二人きりで話したいんだけど……」

「必要ならね。だけど電話で言ってた話は、二人で話して決められることじゃないよ」

 なべひきいるCクラスとのトラブルに関してだと推察されるが、軽井沢はどんなふうに話をしたんだろう。ただうつぷんを晴らすために話したのであれば、こうして二人で会いたいとまでは言わなかったはずだ。

 部外者がいることで話す気になれないのか軽井沢から話が切り出されることはなかった。

 しびれを切らしたわけじゃないだろうが、このまま沈黙を続けても意味がないと思ったのか平田は、電話で受けたと思われる話の内容について話し始めた。

「今Cクラスの真鍋さんたちとめてるって話を聞かされたけど、それは本当のこと?」

 その質問に軽井沢は小さく何度か口を開きかけたが、オレの存在が気にかかってか何も言えなかった。沈黙をやぶったのは再び平田だ。

「綾小路くんは軽井沢さんが真鍋さんたちと揉めた話については把握してる?」

「それなりには」

 どうやら会話が成立しないと踏んだようで、オレと整合性を取っていくつもりらしい。

 かるざわは不満そうだったが、それでもまだ大人しく話を聞いていた。

 それは恐らく、軽井沢がなべに詰め寄られているところをオレが見ているからだろう。

「軽井沢さんが言うには、彼女たちに言いがかりをつけられたらしいんだ。それで人気のないところに連れて行かれて、暴力を振るわれる寸前だったって聞かされたんだけど」

「ああ。それは本当だ。実を言うとその場面を目撃したんだ。あとゆきむらも見てる」

「そっか……」

 少し考え込むような仕草を見せ、ひらは目を閉じた。こんな時、平田はどうジャッジするのだろう。真鍋たちをしつせきするために個別に呼び出す? それとも学校に報告する?

「もし真鍋さんたちが一方的に暴力を振るったのなら、きちんと対応しなきゃいけない。友達同士で暴力なんて絶対に許せないからね」

 その正義感あふれる言葉を聞き、一瞬だが軽井沢にがおが見えた。しかしオレが見ていると気がつくとすぐに不機嫌な顔に戻る。

「軽井沢さんが一方的にひどい目に合わされた、それであってるかな?」

「いや……」

 経緯を答えようとして、軽井沢が無言でにらみつけているのに気づいた。

 それでもきよを述べることも出来ないので、見たまま感じたままを伝える。

 軽井沢が過去にリカという少女とトラブルがあったこと。それを真鍋たちが謝罪させようとしていること。そして事実、軽井沢が暴力を振るわれそうになっていたこと。

 全てを聞き終えた平田は、聞かされた話との差異を埋めるように何度かうなずいていた。

「なるほど。それで僕にあんなことを言ったんだね」

「あんなこと?」

「軽井沢さんは、僕に真鍋さんたちへの仕返しをお願いしたいって言ってきたんだ」

 それはまた思っていた以上に物騒な話だな。一度襲われた側として、本格的にやられる前にやってしまえという考え方なんだろうか。その事実を平田から漏らされた軽井沢が短い沈黙をやぶる。

「なんで話しちゃうわけ……」

「軽井沢さんらしくないからだよ。暴力で解決したいなんて君らしくない」

「彼女が困ってるんだよ? 彼氏なら助けてくれるのが普通じゃない」

「もちろんそうだよ。だけど、目には目をの精神は僕にはない。知ってるよね?」

 オレが知らない二人の内面、信念のようなものがこうさくし合っている気がした。

「これから一緒に考えよう。どうすれば真鍋さんたちと仲良くなれるのか」

「無理に決まってるでしょ、あたしは一方的にうらまれてるんだから。わかってよ……!」

「一方的? それは最初にかるざわさんがもろふじさんとめたからだよね?」

 諸藤とは、リカって子のことだろう。ちゃんと相手を把握しているのは本当にすごいな。

「だってそれは……仕方なかったんだって……しのはらさんたちがいたし……」

「篠原がいたから仕方ない? どういうことだ」

「あんたは口出ししないで!」

 疑問を口にしたら軽井沢に即大声で怒鳴られた。キーンと廊下の奥にまで響く。

「お願いだから助けてよ……。ひらくんは私を守ってくれるんでしょ?」

「もちろん守るよ。だけど理不尽な理由でなべさんたちを傷つけることは出来ない。話し合うことでお互いが納得のいく結論を出すように誘導してみる」

「だから無理なんだってば! そんなことが出来るなら助けてなんて言わない!」

 ちやちやではあるが軽井沢の言い分も理解できる。今軽井沢の置かれている立場は想像以上に危ない。本格的な暴力事件に発展してもおかしくないだろう。

 学校のルールが、なんてことは安易に通用しない。未成年が禁じられている喫煙は、当然全国どの高校でも校則違反だ。でも、世の中には隠れて喫煙をする生徒が多数いる。法やルールでは縛れないものが世の中には沢山あるのだ。いじめもそのうちのひとつだろう。

 平田は軽井沢を心配してはいるようだったが、同時に真鍋たちのことも心配している。円満に解決することを第一に考えたい姿勢を崩す様子は無かった。それは大切な恋人と接するものではなく、他の友達と接しているときと変わらない。

「理由がなんであれその期待には答えられないよ。僕にとって、軽井沢さんは大切なクラスメイトの1人だ。困っていれば助けるし、守るよ。だけどそのために他の誰かを傷つけることは出来ない。それがCクラスの生徒だったとしてもね」

うそつき! 守ってくれるって言ったのに!」

「嘘? 僕は最初から一貫して同じ態度でいるつもりだよ」

 平田は立て続けに、Dクラスの生徒にはにわかには信じられないことを口にした。

「最初に言ったよね? 僕らは本当の彼氏彼女じゃない。付き合うフリをするのは構わないけれど、君一人に肩入れすることは絶対にしないって」

 誰も疑っていなかった二人の関係が偽りのものであると、そう言ったようだった。

「っ!? な、なんで今それを言うの!」

 それは、もちろんオレが聞いていることへの不満だろう。

 そしてオレはそれが平田のねらいだったとも理解する。こいつは今軽井沢を使って情報を引き出しほりきたへの貢ぎ物としている。そんな風に見えた。

「そろそろ、新しい選択肢が必要だと思ったからだよ。僕は君を助けたいんだ」

 でも軽井沢を見捨てるわけではない。軽井沢のことは本気で救おうとしている。

 取り乱す軽井沢に近づき声をかける。

 しかし、その細くきやしやな肩に触れようとはしない。

「あたしが……暴力を振るわれてもいいってこと?」

「だからそうは言っていないよ。僕は全力で君を助ける。朝になったらなべさんたちに話をするつもりだ。これ以上かるざわさんを困らせないで欲しいって。不本意かも知れないけれど、軽井沢さんは謝ろうとしていたって伝えても構わないよ」

「それは嫌!」

 真鍋たちに詰め寄られていた時とひらに仕返しを頼んできたこと。

 それらを考慮して浮かび上がっていくもの、それは軽井沢の本質。本当の性格。

 軽井沢には何よりも恐れているものがある。

「だとしたら僕に出来る手助けはないよ。残念だけどね」

 平田は冷静だ。こんなときでも冷静だ。それは頼もしいと同時に、平田に頼ることでしか生きていけない軽井沢への死刑宣告でもあった。

あやの小路こうじくん、君になら何か解決策は浮かぶ?」

 あくまで中継役でしかないオレに大役を担わせようとしていた。

「もういい! あたしの願いを聞いてくれないんなら、あんたなんか必要ない!」

 そう叫ぶと軽井沢は持っていた缶ジュースを廊下にたたとした。

 中身がらされ、甲高い音だけがむなしく響いた。

「今日で関係は終わり。終わりよ!」

 そう言って軽井沢は話が始まる間もなく状況をほうした。隠していた事実をバラされたことよりも、平田が自らを助けてくれないことへのいらちなように見えた。

 走り去っていく軽井沢の背中を、平田は追う姿勢を見せなかった。

 それは今優先すべき事項が彼女じゃないことを表している。

「綾小路くん。僕には出来ることと出来ないことがある。だから、今君がここにいる、それを分かって欲しい」

 オレは平田を利用して軽井沢の情報を引き出そうとした。だが、平田はそれを逆手に取って軽井沢の抱えるトラブル解決役にオレを利用しようとしている。

「橋渡し以上のものを望んでるみたいだけどずいぶん勝手だな。全員の味方だろ?」

「そうだよ。僕は軽井沢さんの味方だし、綾小路くんの味方だ。でも、当たり前のことだけど相手によって対応は変えるよ。君はみんなが思うよりもずっとしっかりしてる」

「完全に買いかぶりだな」

「本当にそうかな? これでも僕は相手の気持ちを読む自信がある。だから分かるんだ」

 その自信について詳しく聞きたいところだが、ひとまずは解決のための話を進めよう。

「まずはおまえと軽井沢の関係について改めて聞きたい。やっぱり付き合っていると言うのは建前だけで、本当じゃなかったんだな」

「その言い方だと、あやの小路こうじくんには見当がついていたってこと?」

「おまえとかるざわが付き合ってもう4ヶ月近くつ。なのに二人の仲は一向に進展する気配がない。もちろん互いにピュアでプラトニックな関係を築いているって線も考えられるが、それにしても常に一定の距離を保ち続けている。互いをみようで呼び合う点とかな」

 肉体的に距離が詰まらなくても、心が近づいているのであれば呼び方の一つも変わってくるはずだ。けど、ひらと軽井沢の関係は良くも悪くも当初から全く変わっていない。

 男女の恋愛関係にあれば、全く変わらないというのは異常なことだ。

「その通りだよ。僕らは付き合っていなかった。でも、互いに付き合うことが必要だと感じたから付き合っていた。この矛盾が理解できるかな」

 付き合ってはいなかったが、付き合うことが必要だった。つまり互いに利益関係があったってことだ。なら付き合うことで得られるメリットは? どちらが頼みどちらがしようだくした? 決まっている、軽井沢が平田に付き合うフリをしたいと持ち掛け、平田がそれに答えたのだろう。それは今までの彼女の行動で説明できることが増えてくる。

「入学から3週間くらいでうわさになって、そこから軽井沢の知名度が急上昇した」

 それはグループ内でも似た現象を確認できる。まちからむことで軽井沢は普段よりも強気な発言を行いその存在感は時間と共に増している。

 つまり軽井沢から見た平田とは、その地位を確立するための宿木。

「おまえは軽井沢の地位を手助けするために偽りの彼氏を演じたんだな」

 真相に辿たどりつくオレに対し、薄く平田が微笑ほほえんだ。

 これで真実に───一瞬そう思ったがどうにもしっくり来ない。

 それに平田もその通りだと認める様子は無かった。

 カースト制度の上位に立つために平田や町田を利用した?

 いや、それだけじゃ説明がつかないことが出てくる。

 クラスを支配するだけの立場が欲しいから付き合ってくれと頼まれ、おいそれと平田が受けるだろうか。頼まれごととはいえ、そのまま飲み込むには少々大きすぎる願いだ。軽井沢は日増しに態度を大きくし、時にいじめの加害者のように振舞うこともある。

 しかしそれをとがめることもなく容認しているのはだ?

 それに……軽井沢は本当に場を支配するために平田たちを利用していたのか? それも疑問だ。今回、町田を使ってグループ内で発言力を得たかと言われればそうじゃない。どちらかと言えばグループには興味などなく無言の割合の方が多かったくらいだ。町田を利用しようって考えは当初なかったんじゃないだろうか。


 なら───町田に接触したキッカケはなんだった?


 そこでついに、オレは『かるざわけい』という少女、その全体像を見た気がした。

「自分の身を守るため、か」

 消去法で消していった結果残ったのは、たったひとつの答え。だが間違いない。

「よくわかったね……。今君からその言葉を聞いた時、正直鳥肌が立ったよ」

ほりきたから聞かされてただけだ。軽井沢がひらたちに接触していた理由を複数な」

 そうしたが、素直に聞き入れるほど平田は単純な男じゃない。

あやの小路こうじくん。正直に言うけど、僕には君が……言葉は悪いけれど少し気味が悪いというか、不気味な存在に見えるんだ。気を悪くしたらごめんね」

「不気味? どうしてそう思ったんだ?」

「入学してから君を見ていたけど、その時の綾小路くんと今の綾小路くんは別人だよ。出ている気配も、しやべる言葉も、全てが同一人物とは思えない」

 平田は、目に見える範囲の人間の一挙手一投足を見逃さない能力を持っている。

 以前と違う考え方を持っているオレを不思議がるのも無理はない。

「言っただろ。堀北の助言があればこそだ。オレのグループの情報は逐一堀北に伝えてる。あいつからの指示で動いているだけだ。無人島での一件もそうだが、堀北は的確な判断をしてDクラスを勝利に導いた。結果クラスポイントを大量に獲得できたわけだ。つまりオレにとっても大きなメリットがある。あいつは人とコミュニケーションをとるのが恐ろしいほど得意じゃないだろ? だからオレが代わりにおまえから話を聞いてくるように命令されたって話だ」

 多くの時間を堀北と過ごし、会話しているオレを知る平田ならそれを疑うこともない。

「堀北さんなら軽井沢さんを救うことがクラスの向上につながると判断したんだろうね」

「ああ」

「でも、僕は綾小路くんもすごいと思っているよ。いけくんややまうちくんたちとは少し違う」

「オレはあの二人以下だぞ」

「堀北さんの命令で動いているんだとしても、今ここで僕と会話をしているのは綾小路くんだよね。あらかじめ指示された内容だけで成り立つような話じゃない。それに、君の話し方には明確なロジックが組み込まれているように思う。一朝一夕で出来ることじゃないよ」

「…………」

 平田は想像以上に優秀だ。

 救いたい衝動の暴走がねんされるものの、高い水準で能力を保持している。

「君が言ったことだけど、僕が軽井沢さんの彼氏役を引き受けたのは、彼女の身を守るためだよ。彼女に頼まれたんだ。助けて欲しいって。ちょっと想像できないかも知れないけれど、軽井沢さんは小学校中学校と、9年間に渡ってずっとひどいじめにあっていたんだ」

「疑うわけじゃないが、本当の話なのか?」

 かるざわが過呼吸になってしまったのは、やはり過去が引き金になっていたようだ。

 強いトラウマがあるとは踏んでいたがいざ言葉にして聞かされると信じがたい。

「もちろん僕が軽井沢さんと出会ったのはこの学校に入ってからだよ。でも、僕にはわかる。いじめられている人には特有の匂いとか気配があるんだ。だから付き合うことをしようだくした。軽井沢さんは僕の彼女という立場を使うことで虐められていた過去から脱却したんだ。多分、今の性格は本当の軽井沢さんじゃないと思う。無理して強気に振舞っているだけなんじゃないかな」

 だから、普段感情のコントロールがく出来ていないのかも知れない。

 虐められる人間の大半は、くらのように地味で大人しく弱気な性格であることが多い。一方、軽井沢のように好き勝手言い放ち強気に出る人間は虐められる側ではなく反対側に位置することが多い。

 しかし、所詮軽井沢の性格はハリボテ。偽物。だからバックにひらまちのような場を支配できる人間を立てる。そうすることで強引な性格を成り立たせていた。

「だが待ってくれ。何となく見えてきたが、おまえにとってのメリットは何だ」

 下世話な話ではあるが、学生にとって恋愛は青春の一部だ。平田は大勢の女子にモテる。それを軽井沢のためとはいえ付き合っているフリをすれば、本当の恋愛も出来ない。

「メリット? それは軽井沢さんが虐められずに学校に来られること。それだけだよ」

 そう言い切った。偽善や愛ではなく、それが自分のためだと迷わずに。

「納得いかないかい? それだけが理由じゃ」

「納得がいかないわけじゃない。ただ、そこには深い意味があるんだろ?」

 平田は仲間を救うためになら協力を惜しまない。そしてそれはなべたちも仲間の一人として認識している。病的とも言えるほど他者に気遣いが過ぎる。

 ここまで話したのなら、それも話さなければならないと平田も感じているんだろう。自販機で缶の飲み物を買い、一本差し出してきたので有りがたく受け取った。

「僕は中学二年生になるまで、どちらかと言えばクラスで目立たない生徒だったんだ」

「平田が? ……ちょっと想像できないな」

 いつもリーダーシップを発揮している男からはイメージが難しい。

「目立ちもせず、かと言って影も薄すぎず。友達もそこそこ。本当に普通だった。そんな僕には小さい頃から仲良しだったおさなじみすぎむらくんって男の子が居たんだ。小学校は6年間同じクラスで家も近所だから毎日一緒に登下校してたっけ」

 懐かしそうに、そしてどこか儚げに平田は過去を思い返す。

「中学一年生になって初めて別のクラスになった。それでも最初は一緒に登下校していたんだけど、ある日を境に数が減っていき、僕は新しいクラスの子たちとばかり遊ぶようになった。それ自体は、まぁ多分どこにでもあるような話じゃないかな」

 新しい環境になることで、新しい友達が出来るのは自然なことだ。何もおかしくない。

「でもね……僕が新しい友達と遊んでいる裏で、すぎむらくんはいじめにあってたんだ」

 缶を強く握り締めてるのが、はたにも見て分かった。

「何度か杉村くんは、僕に対してSOSを発信していた。顔をしていたり痣が出来ていたり。だけど僕は友達と遊ぶことを優先して本気で取り合わなかった。元々気が強かった杉村くんはけんっ早いところもあったから、あまり深く考えずにね……。だけど二年生にあがって再び再会したとき、杉村くんの心は壊れてしまっていた。明るく活発だったイメージは全くなくなっていて、なぐるの暴行は当たり前。トイレにも行かせてもらえず、授業中に漏らしてまた虐められる。そんな光景が広がっていた……」

「おまえはそれを見て……」

「うん。何となく分かるよね。僕は何もしなかった、出来なかったんだ。自分がターゲットにされることを恐れて、今の楽しい環境を壊されることが怖くて……ずっと仲良しだった杉村くんに対して見て見ぬフリをし続けた。いつかは虐めに飽きてやめる。いつかは杉村くんが不登校になって虐めはなくなる。あるいは他の誰かが助けるんじゃないか、なんて都合の良いことばかりを考えてね」

「それでその杉村ってヤツは……? 最後はどうなったんだ」

「あの日のことは今でも頭に焼き付いているよ。サッカーの朝練で登校していた僕が教室に戻ったとき、杉村くんは顔を腫らして僕がやって来るのを待っていたんだ。正直言って、その時は心地ごこちが悪かった。小さい頃から一緒に遊んできた友達なのに、まるで他人のように感じられてしまっていた。彼にかかわると僕が虐められてしまう、そんなざんこくなことすら考えてしまっていた。杉村くんにはそんな僕の醜い心が見えていたんだろうね。何も言わず、だけど訴えかけるように……その日の授業中窓から飛び降りてしまったんだ」

「飛び降りた……死んだってことか?」

「脳死って判断されたみたいだよ。今もご両親は杉村くんの快復を信じて待っている。だけど生きてるって言うのか死んでるって言うのか、今の僕には分からない。その時の出来事はどこか非日常的で、今でも夢か幻だったんじゃないかって思うことがある。それほどリアルじゃなかったんだ。だって杉村くんが飛び降りてしまったとき、僕は初めて気がついたんだ。我が身可愛かわいさのために、大切な友人を死に追いやってしまったんだって」

 それがひらようすけという男が誕生することになった出来事ってことか。

「これが杉村くんの救いになるとは思っていない。だけど、せめてもの償いをしたい。そしてそれは他の誰かを救うことでしかなし得ないと考えたんだ」

「おまえの気持ちも分からなくはないが、世の中そんなに単純じゃないだろ。今日もどこかで誰かが虐められていて、その杉村ってヤツのように命をとうとしている。それを止めることは出来やしない」

「もちろん分かってるよ。僕は正義のヒーローなんかじゃない。だけど、せめてそばに居る人たちは助けたい。助けなきゃならない。それが罪を背負った僕の責任なんだ」

「なら今回のケースではどう判断すればいい? おまえはかるざわなべ、相反する二つを救おうとしてるよな。けど、それは成り立たないものなんじゃないのか?」

「……矛盾しているのは分かってるよ。だから君が今ここにいるのかも知れないね」

 なるほど。自分自身がおかしいことには気がついていると。

 とにかく傍に居る見知った誰かを救わずにはいられないってことか。

「まさか、僕がこの話を誰かにする日がくるなんて思わなかったよ。この事実を知る人がいないことも、この学校を選んだ理由だったりしたんだけどね」

 ジュースを飲み終え、それを大きく口の開いたゴミ箱に放り投げた。

「この一件、君とほりきたさんに預けてもいいのかな」

「途中で口出ししないことを約束するなら、堀北がなんとかしてくれるはずだ」

「僕は君たちを信じることにするよ。それが僕の理念にもつながるはずだからね」

 ひらから軽井沢の件に関与しないとのげんを取ることが出来たのは大きい。そして恐らくこれから、平田が困った際には頼られることになってしまうだろう。しかし同時に平田の協力を得ることの成功も意味する。それはオレが欲している大きな力のひとつ。十分な見返りを手に入れたも同然だ。

「平田。交友関係の広いおまえに、ひとつ頼みたいことがあるんだが聞いてもらえるか」

 そう言って、オレはあることをメモした紙を平田に差し出した。

 そのメモを見た平田は、特に嫌な顔をすることもなく望みを聞き入れてくれる。

「それからあやの小路こうじくん。僕は試験が始まってから君に一つ黙っていたことがあるんだ。僕はDクラスの残りの優待者が誰か知っているんだよ───」


    5


 試験のインターバルとなる日、オレはある目的のために行動すると決めていたのだが、予期せぬ出来事からくらを呼び出して話を聞くことになっていた。

「牛グループの試験が終了したそうだな」

「うん……」

 合流した牛グループ所属の佐倉と一緒に学校から届いたと思われるメールを確認する。

『牛グループの試験が終了いたしました。牛グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気をつけて行動して下さい』

 猿グループの試験終了時と全く同じ、脈絡もない短めの文章が記載されていた。

 不安そうな瞳でオレを見上げる佐倉。

「もしかして私、余計なことしちゃったかな……?」

「そうじゃない。これは牛グループの誰かが学校に優待者を告発したってことだ」

 こうえんの暴走による終了は別として、現時点での裏切りは二極化しているんじゃないだろうか。『確信を持って裏切った』か『逸る気持ちからの裏切り』か。

「ちなみにくら、おまえが優待者だったってことは? もしくはクラス内にいたか?」

 そう問うと、佐倉はふるふると首を左右に振って否定した。

「私は優待者じゃなかったよ。ただ、どうくんたちは、その、分からないけど……」

 2日間牛グループとして活動した佐倉にも、皆目見当もつかないようだ。

「考え過ぎはよくないぞ。オレにだってグループの優待者が誰かわからないんだからな」

「うん……ありがとうあやの小路こうじくん。そう言ってくれるだけでもうれしいな……」

「Aクラスの様子はどうだった? うわさで聞いてると思うが……話し合いには不参加か?」

「それは、うん。他の人たちが言ってるのと同じだったよ。全然しやべってなかったかな」

 かつらの方針はどのグループでも徹底されているようだ。となれば行動を起こした大本命はCクラスか。ただ、その場合でも疑問は残る。りゆうえんは学校の作り出した法則をつかもうとしている。しかし試験の構造上途中経過の発表がないため、当たっているか外れているかを判別するのは不可能だ。だからこそ法則性を見つけるのは難しい。もしその法則性を読み間違えていれば、自爆して大ダメージを受けかねない。牛グループ以外に試験の終了報告が来ていないということは、龍園がまだ答えに辿たどりついていない証拠でもある。

 不可思議な試験終了に、恐らく多くの生徒が戸惑いを感じていることだろう。

「もしまた何かあったら教えてくれ。いつでも相談に乗るから」

「ありがとう綾小路くんっ。またねっ」

 パタパタと小さめに可愛かわいく手を振ってくれた佐倉に断りを入れ、オレは地下を目指す。

 一般人が立ち入らない最下層のフロアへと足を進めた。禁止されているとは言っても、乗組員が利用するためかじようはされていなかった。配電盤室などがあるエリアは、基本的に必要に応じて足を踏み入れるだけで、普段全く人気は無い。

 声を出して叫んでみると反響はするものの、無人のため誰かがやってくることもない。

 出入り口は通常の入り口を含め2か所。1つは非常階段へとつながっている扉で普段は作業員も使わないと思われる。ドア付近のほこりを見れば長期間使用されていないことが分かった。つまりただ1つの出入り口を見ていれば全ての状況は把握できるということだ。

 しかも好都合なことに携帯の電波もほとんど入らない。時折わずかな電波が入るもののメールやチャットを送るのも一苦労で、通話はとてもじゃないが出来ない場所だった。

「全ての条件が整ってるな」

 あとは手順を間違わないように詰めていくだけだ。

 まず最初にひらに連絡をし、更に平田からかるざわをこの場所に呼び出してもらう。

 時間に多少のゆうは欲しいので、実際にかるざわを呼び出すのは、1時間以上あけてもらう必要があるだろう。そのために一度上のフロアに戻ってから電話をして連絡をとった。

 深夜の出来事から強く警戒していると思うが、ひらから改めて二人で話がしたいと言われれば軽井沢は応じるはずだ。勢いで別れると口にしていたが、平田との関係性を失えば困るのは彼女だ。なべ達に目をつけられている現状、軽井沢にとって今後も平田の存在は長い学校生活になくてはならないだろう。

『軽井沢さんと午後4時に約束を取り付けたよ。それと真鍋さんのIDを送るね』

 そんなメールが平田から返ってきた。

 流石さすがだ。く話をまとめて呼び出しに成功したようだ。

 オマケに平田は他クラスである真鍋の連絡先も知っていた。場合によってはくしに聞く手間とリスクを掛けなければならなかったから非常に助かった。

『でも、僕はこれ以上うそで手を貸せない。軽井沢さんを悲しませないでほしい』

 追記でそんなメールを受け取る。

「悲しませないで欲しい、か」

 オレがやろうとしていることを知れば、平田は激怒するかも知れないな。

 でも、最終的に問題にならなければいい。

 そのために一度壊してしまっても、ぎに気付かれなければいいのだ。

 極論だが、殺人を犯しても、証拠がなければ殺人として裁かれることはない。

 の段階であらかじめ考えていた文章を素早く打ち、チャットを飛ばす。

『あの、ちょっといいかな』

 そんな当たりさわりのない一言。

 原則としてチャットアプリは各携帯につき1アカウントのみで複数のアカウントを作ることはできない。しかしちょっとした抜け道も用意されており、某大手SNSのアカウントを新規に作ることでもう一つだけアカウントを持つことが出来る。もちろん普段メインとサブを使い分ける生徒はいない。切り替えの手間もありメリットが薄いからだ。だが新規に作ることで自分の正体を悟られずに第三者と連絡を取り合うことが可能になる。

 ここからはデリケートに進める必要があるが、手順を間違えなければいけるはずだ。

 見慣れぬ差出人からの連絡にもかかわらず、真鍋に送ったチャットはすぐ既読がついた。

『誰?』

 差出人に心当たりのない真鍋は、当たり前の疑問を返してくる。

『今周りに誰かいるかな?』

『一人だけど……誰?』

『このチャットは誰にも見せないようにして。あなたのためにもね』

『だからさ、誰なわけ?』

『同じ相手を憎む仲間、とでも名乗っておこうかな』

 すぐに既読がついたが、なべは文章の意味が理解できないのかしばらく返信がなかった。

『誰かと間違えてるんじゃ?』

『間違えてないよ真鍋さん。あなたが憎くて仕方ないかるざわさんのことで連絡したんだ。もしかしたら真鍋さんの相談に乗れるんじゃないかと思ってるんだよね』

『意味わからないんだけど。もうチャット送るのやめてもらえない?』

 警戒心が強いのか敵として認識されている。当然の反応だ。

 まずはその誤解を解く必要がある。

『実は、同じクラスメイトとして、日ごろから軽井沢さんには手を焼いてるんだ。だから一緒に協力して彼女にふくしゆうしたいなと思って君を誘ったんだよ。私は彼女と同じDクラスの人間だから直接軽井沢さんに復讐するのは難しい。だから協力して欲しいの』

『意味わかんない。無視するよ?』

 こちらを警戒しながらもすぐに話を打ち切らないのは、軽井沢に煮え湯を飲まされているからだ。友達のリカへの手助けと自身をないがしろにされた復讐をしたいに決まっている。

 それは真鍋が強硬手段を取って非常階段に連れ込んだことからもうかがえることだ。

『リカちゃんは今でも軽井沢さんにおびえてる。友達として助けてあげたくないの? あなたの顔には復讐したいって書いてあるよ。だけど実行したくても出来ないんだよね? 昨日きのうのことで軽井沢さんは強く警戒してる。しばらくひらくんやまちくんのそばから離れようとしないだろうし、女子とも常に一緒に行動しているから一人にならないよね』

『余計なお世話。軽井沢さんとリカと強引に引き合わせる。そしたら真実が分かるし』

『そんな簡単にいくかな? 平気でうそをつく彼女が認めるとは思えないよ。むしろリカちゃんが困るだけじゃないかな。軽井沢さんから心ない言葉を投げられて傷つくだけかも。ううん、それだけじゃない。うらみを買ったら彼女がいじめられるかもね』

『……だったらどうすればいいのよ。方法があるっていうの?』

 次の接触でケリを付けたいという意思が色濃く真鍋の文章に現れていた。

『あるよ。あなたと私が協力すれば確実に安全に復讐できる』

『その保障は? 私をわなにハメて学校にチクる気でしょ。サブアカっぽいし』

『もし私が真鍋さんを売ったなら、このチャットを先生に見せればいい。このアカウントは学校の携帯でしか登録できない。つまり軽井沢さんに復讐したいと言い出した私の正体は特定できてしまう。そうなれば一番の責任を負うのは私。違う?』

 真鍋にもよく分かるだろう。いくらサブアカウントだとしても、解析すればすぐに持ち主に辿たどりつく。何らかの責任問題が発生した場合、復讐計画を立案した首謀者のオレが厳しいしよばつを科せられるのは火を見るよりも明らかだ。

『今私が学校にこのチャットを見せたらどうする? あなた終わりだよ』

なべさんはそんなことしない人だと思ってる。信用されるには信用しないとね』

『何となく言いたいことは分かった。話を聞くだけ聞いてあげる』

 それからも、似たような話を数分間繰り返す。かるざわを憎んでいるか。仕返ししたくても出来ない弱い立場にあること。真鍋たちが軽井沢とめていることを偶然耳にして接触しようとしたことなど。徹底して偽りの犠牲者を演じた。

 おかに戻ったら軽井沢との接触は難しいこと。学校や寮には監視カメラが設置されているし、プライベートな空間に連れ込もうにも人目が気になってくいかない可能性が高いこと。逃げ場のない船上こそがチャンスだということ。

 真鍋たちにふくしゆうができるのは、この船にいる間だけだということを悟らせていく。

 ふつふつとき上がる怒りをゆっくりと確実に呼び覚ます。

『それで───あんたに何ができるの』

 こちらの話を理解した真鍋は、ついにプランに乗っかり始める。

『軽井沢さんを呼び出せる。後はそっちが勝手に話し合いでケリをつければいい』

 そうチャットを送り、オレは船内の最下層のマップを送った。

『ここは電波が入らないから助けも呼べない。普段は誰も来ない場所』

『なるほどね……クラスメイトのあなたなら軽井沢さんを呼び出せるってこと?』

『私のプランに乗るのか乗らないのか今決めてもらいたいの。それに呼び出した後復讐するかどうかは会ってから決めればいい。それなら問題も起きないはず、違う?』

 そう打つと、既読がついてから今までで一番長い間返事が返ってこなかった。

 しかしやがて戻ってきた文章を見て、オレは成功を確信するのだった。

 もしもチャットでの誘い出しに失敗した場合、もう一つ別のプランを実行する予定はあった。危険ではあるが真鍋本人に接触する手だ。非常階段で軽井沢をおどしていた時の写真を撮影しておいたため、直接脅しをかけることも出来たからだ。ただ、リスクも大きい。オレの存在を強く印象付けることは極力避けたいとは思っていたからな。

「あとは真鍋たちの手腕を拝見させてもらうだけ、だな」


    6


 時々、深く重い音が暗いフロアに響き渡る。船が航路を変えた時に鳴っているのか、それとも船に何かがぶつかっているのか、詳しくは分からない。

 ただ機械音だけが聞こえてくるこの場所に、その少女は1人でやってきた。

「なによ、携帯通じないじゃない……」

 まだ約束まで10分以上もある。ひらに会う前に気持ちを少し落ち着けたかったのだろうか。携帯が使えないと分かると、軽井沢はつまらなそうにポケットにしまい壁にもたれかかった。そして目を閉じてかすかに口を動かし何かをつぶやいていた。

 こちらには全く聞き取れない大きさ。時間を置いて彼女はどんな結論を出したのか。

 残念ながらその言葉をひらが聞くことはない。

 時刻が午後4時に迫ろうかというころ、フロア唯一の扉が重い音を立てて開いた。

 姿を見せたのは、Cクラスの3人組。なべひきいる女子たちだ、そしてもう一人。

 雰囲気がくらに似た大人しめの女の子。恐らくはリカと呼ばれていた人物。

 大丈夫だから、と真鍋は声をかけフロアに足を踏み入れる。

 そしてすぐかるざわの姿を見つけることになった。当然軽井沢も気づく。

「な、なんであんたらがここにいんのよ!?」

 予期せぬ連中が現れたことに軽井沢が動揺する。

 しかも逃げ場のない一本道で狭い船内では、逃げることも難しい。

「あんたがここに入ってくのが見えただけ。あ、ちょうどいい機会だから紹介するね、この子がリカ。軽井沢さんは覚えてる?」

 背中に隠れるリカを前に引っ張り出し、二人を対面させる。

 軽井沢は視線をらして知らないフリをしたが、態度から覚えがあるのは明らかだった。

「ねえリカ、前にあなたをき飛ばしたのって軽井沢さんで合ってるよね?」

「うん、この人……」

 分かりきっていた答えを聞いて、真鍋は心底うれしそうながおを見せた。

 一方の軽井沢は、明らかに危険な状況に焦りと混乱を来たし始めていた。

 あとはこれから起こる悲惨な出来事を、ただ黙視していればいい。もし軽井沢が想定以上に悲惨な目に合ったとしても、途中で助けるつもりは全くなかった。

「リカに謝りなさいよ」

「は、誰が謝るのよ。あたしは何も悪くないのに」

「この状況でも強がる結構やるじゃない。でも私には何となくわかるのよね」

「……わかるって何が?」

「その異様におびえた態度。軽井沢さんっていじめられっ子だったんじゃない?」

「っ!?」

 自らが隠そうとしていた事実をよく知りもしない相手に突き付けられる。

「ほら図星じゃない。やっぱりね。なんかそんな感じしてたもん、最初っからさ」

「ち、違うし!」

 な否定だった。が、もし役者並に演技がかったとしても通用しない。真鍋が観察力にすぐれた人間というわけではない。既にオレから漏れているのだ。

 軽井沢は小さい頃からひどい虐めを受けていた。そのトラウマを強く持っている、と。

 答えを知っている人間に何を言ったところで無駄なのだ。

「今なら土下座したら許してあげてもいいけど? 得意でしょ、土下座」

「し、しないわよ! っていうか、したこともないし!」

 逃げるようにわきを通り過ぎようとするが、長い髪をなべつかまれ壁に押し付けられる。

 ふくしゆうの舞台を整えたことで安心と気の高ぶりで真鍋の制御がかなくなっている。オレとのチャットで決めていたのはかるざわと『会うまで』だっただろう。暴力的に復讐するかは悩んでいたはずだ。だが一度会ってしまったが最後、まったストレスの解消と、周囲から軽井沢への仕返しを期待されている状況とが重なり、それ相応の苦痛を相手に与えなければいけないと無意識に思い始めてしまう。それこそがオレのねらいでもある。

 これはミルグラム実験と呼ばれる1960年代に行われた心理学実験を応用したものだ。アイヒマン実験とも呼ばれるこの実験は、隔離された施設に用意された教師役と生徒役によって行われる。まず教師役、つまり被験者に低度の電気ショックを与え、電気ショックの痛みと恐怖を覚えさせる。その後、生徒役とされる人物を教師役と隔てたガラスの向こう側に置く。そして生徒役には電気ショックが流れる装置を取り付けた上で、教師役に電気ショックのスイッチを託す。これで実験の準備が整うことになる。

 それから実験者は被験者である教師役に対し、生徒役に問題を出し、問題を間違えた場合電流を流すよう指示を出す。さらに一つ間違うたびに電圧を上げていくように指示される。電流を流すスイッチは最終的に450ボルト以上のものまで用意されており、人間が死に至るほど強力なものだった。逆に1問目は45ボルトでありムズムズしてかゆい程度だ。

 そして生徒役と音声はつながっており、電流が流れるたびに生徒役の悲鳴が聞こえてくる仕組みになっている。ただし、被験者には知らされていないが、電気ショック装置はニセモノであり、生徒役は電流を流される演技をするだけだ。

 最初は相手に電流が流れても大した反応はないが、段々と電圧が上がるたびに悲鳴からうめき声、最終的には無言になるまで相手の苦しみが聞こえてくる。

 この教師役である被験者は、おどされているわけではない。ほうしゆうを得て好きにしていいと言われているだけなのだ。つまり、相手が苦しんでいると分かった時点で辞めると申し出ても構わない立場にあった。にもかかわらず、被験者の66%近くが、人間が死に至る電圧まで上げて電流を流してしまった。

 この実験は『状況次第で人は誰でもざんこくざんぎやく性を見せてしまう』ことを示している。

「痛っ、痛い! 痛い! 離しなさいよ!」

 軽井沢が髪を引っ張られる痛みを訴えるが、真鍋は気持ちよさそうに笑うだけ。

 閉鎖された環境とは、今、この地下フロアのこと。被験者は真鍋、生徒役は軽井沢。

 ミルグラム実験に近い舞台を用意することに成功した。とはいえ普通、この条件下だけでは不十分といえるだろうが、両者の関係に積もり積もったものがあれば実験と同じ状況が成り立つ。気丈に振舞っていた軽井沢の苦しむ姿はさぞ心地よいことだろう。

「あうっ!?」

「うわ、、ちょっと今のひざりやりすぎじゃない? エグぅい」

 なべかるざわのおなか辺りに膝蹴りをたたむ。ただ普段蹴り慣れているわけでもない真鍋の動きは鈍く、痛みそのものは大したことがないはずだ。

 しかし真鍋にとっては軽井沢の苦痛の声こそが最大のほうしゆう。たまらなく最高の気分だったようで、距離をとって不安そうに見つめるリカに対してこうささやく。

「ほらリカ、あんたもやってみなさいよ」

「わ、私はいいよ……」

「私たちはあんたのためにやってるのよ? ほら、別に誰も見てないんだから」

 直接のふくしゆうを拒絶していたリカだが、それをこの閉鎖的環境が許さない。あんただって私の仲間でしょと訴えかけられれば断り続けることは難しい。もし怒りの矛先が自分に向けば、明日は我が身。軽井沢と同じような目にあうことだって否定しきれない。

「……う、うん。やってみる……」

 ぺチ、と乾いた軽い音。全く痛くないビンタをするリカ。

「こ、こう?」

「そんなんじゃ全然ダメ。もっと強くやらないと、こうやって」

 パンッと高い音を立てて真鍋が軽井沢のほおを叩く。それに反応し軽井沢が苦しむ。指導されるようにリカはゆっくりとビンタを繰り返す。段々とビンタの強さが上がっていく。

「や、やめ、やめて……!」

「はは……楽しい……はは……」

 真鍋よりも、こっちの被験者の方がミルグラム実験と呼ぶにふさわしかったかも知れない。自らに強気な態度を取り続けていた軽井沢が苦痛をあげている。

「もう、許して……」

 そして許しをう。その姿がたまらなく心地よく気持ちよかったのだろう。

 リカは最初におびえていたとは思えないほど、強くなぐり、蹴るようになっていった。更に面白いのは、最初は頬などの目に見えて傷がつく場所だったものが、段々と制服の下や髪の下など、暴行あとが見えない位置を重点的にねらいだしたことだ。

 恐怖で腰を抜かしてしまっている軽井沢は、顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。

 その光景を気づかれないように観察していたオレは音も立てず移動する。

 そして真鍋たちに気づかないよう非常階段へ続く扉を静かに開けた。

 これからしばらくの間、真鍋たちの憂さ晴らしが続く。何が行われても構わない。

 一度徹底的に壊してもらったほうが、再構築するための手間が省けるだろう。

 ゆっくりと静かに扉を閉める。軽井沢の悲鳴はすぐに扉にさえぎられ聞こえなくなった。


    7


 なべたちが立ち去ったのを遠くで確認した後、へと足を踏み入れる。扉の開け閉めの音は聞こえたはずだが、かるざわうずくまるようにして泣きじゃくっていた。恐怖が先行しすぎて気づいていないのだろう。

 これが日々クラスでごうまんに、強気に、女子のリーダーを務めてきた少女の姿か。

 真鍋たちにアドバイスをしていたお陰か、制服や体の見える部分にこつな傷はなかった。もし制服がやぶられていたり髪が切られていたりしたら、すのは相当大変だっただろう。世の中どこにでもいじめはあるものだが、この学校の場合は特にそのあつかいが難しい。

 いてねんするとすれば繰り返されたビンタのせいでほおが少し赤いことか。だが、明日になれば引いている程度で済んでいてよかった。

「軽井沢」

 声をかけると、そこで初めてオレがそばにいることに気がついて軽井沢が一度顔を上げた。

「な、んで……!?」

 いるはずのない男が、絶対に見せたくない自分の姿を見ていると知り慌てる。

 だが、即座に泣きむことや何事もなかったように振舞うことも出来ない。

 いつかは泣き止む。いつかは冷静さを取り戻す。その時にオレが立ち去っていれば、なんて淡い期待は通用しない。ただひたすら、声をかけず待ち続けた。

 それからしばらくの間、泣きわめいた軽井沢は、時間と共に落ち着きを取り戻し始める。

 暗く閉鎖的な場所に二人きりの状況が続くと自然と距離は縮まっていく。普段嫌い合っている者同士でも、心理的に一時的に縮まってしまうもの。人はそう出来ている。

「少しは落ち着いたか?」

「……まあ……」

 腰が抜けきって立てない軽井沢は、くしゃくしゃに泣きはらした顔を制服のそででぬぐった。手を差し出してみるが、握り返してくる様子はなかった。

ひらくんは……?」

「おまえと待ち合わせがあったみたいなんだが、先生に呼ばれて行けなくなったんだ。ちょうど一緒にいたオレが、平田の代わりに声をかけにきたってわけだ」

 そう説明しておけば、ひとまず一連の流れも納得せざるを得ないだろう。

 今すぐに本当のことを言う必要はない。まずは安心させ、心の隙間を埋める。

「ちなみにどうして泣いてたんだ?」

「真鍋たちよ……あいつら絶対許さないっ」

 さきほど自分の身に起きたことを思い返したのか、軽井沢の体が震えだす。そんな情けない姿を見せたくはないんだろうが、体に染み付いたトラウマは簡単には消せない。

「あたしが泣いたことは絶対に秘密よ。バラしたらあんたのこと絶対に許さないから」

 かるざわの弱みは学校に被害報告を出せないこと。もしなべに暴力を振るわれたことが分かれば、必然その理由や経緯もていする。自分の立場を守るため、今の地位を失うわけにはいかない。だからこそひらを使って真鍋たちの行動を止めようとしたんだろうしな。

「あんたさ、真鍋たちに仕返ししてよ。あんたみたいなのでも女になら勝てるでしょ」

「それは無理難題な相談だな」

「真鍋たちの仕返しが怖いの? 男のくせに……」

「仕返せば終わり。そんな単純な話で終わる問題じゃないのはどうの件で分かってるだろ。ふくしゆうに対して復讐を重ねればいずれ問題は大きくなる。クラス内で聞き取り調査だって行われる。それは軽井沢の望む展開じゃないだろ」

「なら、あたしに泣き寝入りしろって言うの?」

 返す言葉は決まっているのだが、オレはあえてわずかな沈黙を作った。

「っつか、またあいつら……あたしに色々やってくるに決まってる……」

 また小さく震えだす軽井沢。確かに真鍋たちが以後手を出さない保証はない。学校では逃げ場所も増えるだろうが、コソコソと逃走者のようなを続けなければならない。それをいつまでも続けることは現実的ではないし、軽井沢の行動の変化にクラスメイトたちも気づくだろう。この試験のせいで軽井沢は窮地に追い込まれてしまっている。

 どうにかして解決したい焦りが軽井沢から見て取れた。その焦りに踏み込んでいく。

「また昔みたいになったら大変だからな。どうにかしたい気持ちは分かる」

「は……? なによ、それ。どういう意味?」

 この場に現れたオレに対して、軽井沢は今2つの感情を持っているはずだ。真鍋たちにいじめられたことを悟られつつも自分の過去を知られているのかどうか。知られていないのであれば隠し通したいと思っている。

「どうもこうも、そのままの意味だ。せつかく閉鎖的な学校に逃げ込んで、Dクラスで覇権を握る地位まで手に入れたのにな。結局虐められっ子の本質は変わらなかったってことだ」

「だ、誰が虐められっ子だっていうのよ!」

「おまえだよ軽井沢」

 軽井沢の腕をつかんで無理やり立たせる。

「ちょ、何すんの!」

 その壁に軽井沢を押し付け、無理やり目と目を合わせる。

「お前は今、真鍋に徹底的に虐められた。髪を引っ張られ、ほおたたかれた。胸や腹、腰だってられたんだろ? だからみじめに、情けなく、哀れなくらい泣いていた」

「っ!?」

 合わせるつもりなんて毛頭なかったであろう視線が重なる。

 吸い込まれるように互いの瞳が見つめ合う。それはもちろん恋なんかじゃない。やみだ。

「おまえは昔からいじめられっ子だった。小学校も中学校も虐めに虐められ続けてきた。だから今度こそは、虐められないようにしようと強い決意をした。そうだろ?」

「ひ、ひらくんに……聞いたの……?」

「平田は良くも悪くも全員の味方だ。おまえを助けもするが他の人間も助ける。平田の彼女の座に座ることでお前のDクラスでの立場は約束されたが、結局今回のようなことになればあいつは役に立たなかった。寄生するには不十分な相手だったってことだ」

 ただかるざわは他人が思うよりもずっと頭が良い。平田が中立的立場の人間であることを理解しているからこそ、最初はうさぎグループで無理をしなかった。だから最初は大人しかったんだろう。しかしツキがなかった。自らの立場を誇示するために起こした、リカという少女とのトラブルが今回の騒動へとつながってしまった。

 恐らくはしのはらたちの手前、弱気なところを見せるわけには行かなかったんだろう。

「何よあんた……なんでそんな偉そうに言ってんのよ!」

「偉そう? 当たり前だろ、おまえは自分の置かれている状況を把握したほうがいい。今目の前にいるのは誰だ? 平田じゃない、オレだ。おまえが虐められていた過去も、平田との偽りの関係も、今もなべたちに虐められ泣きわめいていたことも全部知ってしまった」

 知られたくない軽井沢けいの全てを、他人に知られてしまった。

 それはつまり、心臓をわしづかみにされ生殺与奪の権利を渡してしまった状態にある。

「生意気な態度を取れば、いつでも暴露することができるってことだ」

 それがどれだけ恐ろしいことかは、かるざわが一番理解しているはずだ。

「ふ、ふざけないでよ! あんた何様よ!」

「事実を知る者。それ以上でもそれ以下でもない。大切なのはそれだけだろ?」

 顔が触れてしまいそうなほどの距離にまで顔を詰める。軽井沢が目をらして顔を背けた瞬間、オレはあごを掴んで強引に目と目を合わさせる。耐えきれず逸らそうとするが、男の力で押さえ付けられては動くこともできない。目を閉じて視線から逃れようとする。

「なによ、あたしに何をしたいのよ! 体でも要求したいわけ!」

「体か。それも悪くないかもな」

 指先を走らせ、オレは軽井沢の太ももに触れる。同じ人間とは思えない柔らかな感触。すべすべした肌。自分が知るもの、持っているものとは明らかに違う質感だ。

「いやっ!!」

 足が手から逃げる。それを確認した後、顎を更に強い力で拘束して顔を直視させる。

「逃げるな。次に逃げたら今すぐおまえの全てを学校中に言いふらして回る」

 その魔法のような一言で、まるで金縛りにあったかのように体が硬直した。

「う、ぐ……ぅっ……」

 怒り、おびえ、恐怖、絶望。ああ、今軽井沢にはどれほどの負が重なっているのだろう。

 今まで学校生活で大人しくしていたオレと言う存在のひようへんも、不気味に感じるはずだ。

「股を開け」

 そう命令すると、軽井沢は大粒の涙を流しながらもゆっくりと足を開いた。

 この場で犯されることも覚悟して、なおもその立場を守りたい。

 いじめられることのつらさの方が勝っている。その証拠だ。

 わざとベルトに手をかけ、カチャカチャと音を立てる。それでも軽井沢は逃げない。

 そして必死に現実を受け入れようと、色のない瞳を向けつぶやいた。

 間違いない。軽井沢けいは十分に使い物になるいつざいだな。

 オレは身体からだを目的としているわけじゃない。あくまでもおどし、必要に迫られればどんなことでもする、そう悟らせる必要があっただけ。軽井沢には十分に理解できただろう。

 今オレが素の本性をさらけ出すことはリスクだった。軽井沢がオレを訴えることで立場が一変してしまうことは十分に起こりうる。だが、この少女はそれが出来ない。

 自らの過去を、地位を失うことを何よりも恐れている。その秘密を守るためなら身体を捧げる要求にすら答えるほどなのだ。それだけのウェイトを占めている。

「あたしは認めない……。あんたなんかに、虐められてるわけじゃない……。ただ弱みを握られてちやちやされてるだけ。好き勝手やりたいだけの変態にね!」

 かるざわはそう叫んだ。心の底からの、ほうこうのようだった。

「別にいい。そうやって力でせられるのは初めてじゃないから……」

 自嘲気味に笑い、軽井沢は自らオレの目を見てきた。

「ふふ……ねえあんた、知ってる? 自分の力ではどうしようもない現実をきつけられたとき、人がどんな反応をするか……」

 震える体を自ら抱き寄せながら、軽井沢は薄暗く笑いながらやみの深い目を向けてきた。

「抵抗することを諦めんのよ。ああ、私は捕食される。ただ、そう無機質に考える。泣き叫ぶことも、暴れることも、何もかも出来なくなって。ただただ受け入れる」

 この現実を受け入れるべく、軽井沢は自らスカートをたくし上げ下着に手をかけた。

 そのきやしやで非力な腕をオレはつかみ、軽井沢を船内の壁に強く押し付けた。

「何をされたんだ。おまえの受けた過去の痛みはなんだ?」

「何って……ありとあらゆることよ。上履きにびよう、机の引き出しに動物の死骸。トイレに入れば汚水をぶっかけられて、制服には淫乱だの売女ばいただの書かれる。髪を引っ張られる、なぐるは当たり前、考えられるいじめは全部受けてきた。数え切れない。今言ったことだって、ほんの一握り。笑ってしまうくらい優しいもの。笑えば? いじめられっぱなしでかつ悪いヤツだって笑ってみてよ」

 それだけの仕打ちを受けながらよく立ち直った。もう一度戦おうとしたものだ。

 芯の部分が強いからこそ、こいつは立ち直ろうと決めて高校に入学してきた。

 そんなところだろう。

 だが……それだけでは証明しきれない何かがある。

「受けた苦しみは本当にそれだけか?」

「ぇ……?」

「今口にしたことだけなのか?」

 本当に心を打ち砕かれた何かが、あった気がしてならなかった。

 あの異常なおびえ方には、証明しきれない他の理由があるように思えたのだ。

 己の体を差し出すに匹敵するほどの何かを軽井沢は隠している。

「何を隠してるんだ」

「な、なにも……」

 一瞬、軽井沢が首と視線を自分の左わきばらにおとした。

 それを見逃さなかったオレは、彼女の制服の上からその部分に触れる。

「や、やめて!」

 叫ぶ声は無骨な鉄に囲まれた廊下に響き渡る。

 だが、その反応で確信を持ったオレは、制服を掴み上へと引きずりあげる。れいな肌には似つかわしくない生々しい傷あと。鋭利な刃物でかれたような痕が深く残っていた。

「これか。おまえのやみは」

「う、く、ぅう……!」

 その傷は子供のいじめで済まされるようなものじゃない。

 深い傷あとは、命の危険すらあったことを匂わせるほどのものだった。

 これだけの過去を抱えながらこいつは、気丈に振舞い立ち直ってきたのか。

 この数日間、オレは近くでかるざわけいという女を観察してきた。こいつは自ら生きるために周囲を強引に味方につけ、嫌われながらもその座を守り続けてようとしている。

「絶望にはいろんな種類がある。おまえが体験したそれも、間違いなく絶望なんだろう」

 軽井沢の闇が、瞳がオレの瞳と重なる。

 闇を持つ者はかれあう。そして、互いが互いを侵食しあう。

 やがて深い闇を持つ者が、相手の闇を包み込んでいく。

「なん、なんなのよ……あんた……!」

 こいつが過去に縛られているのなら、それから強引に解き放ってやればいい。

 深くはつながらずとも、オレが受けてきた闇を肌で感じることが出来るだろう。

 そう……。この世界にはまだ、軽井沢が知るよりももっと深く根深い闇がある。

「おまえに約束してやれることが1つある。それは、おまえをこれから先虐めから守ってやることだ。ひらまちよりもずっと確実にな」

「あんたになべたちが止められるっていうの……?」

「今のお前になら、オレの言葉にどれだけのしんじつがあるか分かるはずだ。小さな火は風が吹けば消える。だが大きな火と交われば大火になる。風が吹こうと雨が降ろうと消えない火になる。おまえはオレのために動く。オレはおまえのために動く。好意だとかけんとかそんなことはどうでもいい。その関係さえ成り立っていれば問題ないはずだろ?」

「手始めに、おまえの不安要素を取り除いてやる」

 そう答え携帯を取り出す。

「真鍋たちを封じる方法がある」

 そう言って、オレは自らの携帯電話を取り出した。

 そこには軽井沢を虐めようとしていた非常階段での様子をとらえた画像がある。

「これ……」

「向こうにこの画像を送っておけばちやなことも出来ないだろう。今後軽井沢に対し虐めてこようとしたり、悪いうわさを流さないよう抑止することが出来る」

 真鍋たちとしても今回のことで相当すっきりしたはずだ。無意味に傷口を広げてりゆうえんに迷惑をかけることになれば自分たちの首を絞めることになる。

 拘束していたあごから手を離し、そして無感情だった口調に柔軟性を含ませる。

「オレはただ協力者が欲しいだけだ。今後、オレに必要な手助けをしてほしい」

「なによ、その協力者って。あたしに何をさせたいのよ……」

「今のままじゃ、Dクラスは逆立ちしてもAクラスには上がれない。個々の能力は悪くない連中が多いが圧倒的に団結力に欠ける、バラバラのクラスだ。だが、女子をコントロールできるおまえが協力してくれれば、今後それも少しずつ変わってくるだろう」

 ほりきたのような一騎で戦う存在よりも重宝する。

「あんた、何なのよ……」

 今までオレを日陰の存在としか見ていなかったからこそ、さぞ不気味に見えていることだろう。しかし多くは語らない。語らないからこそ恐ろしく逆らいようがない。

「協力の手始めに、まずグループの仲間として試験を勝ちに行く」

「勝ちに行くってどうやって───」

「だっておまえは───だろ」

 この場で出るはずのないキーワードを耳にし、かるざわが思わずオレの目を見た。

 目の奥、脳、心の奥にまで響くようにその事実をきつける。

 軽井沢は迷った仕草を見せた。だが、それは仕草だけだ。

 寄生虫は誰かを利用しなければ生きていくことは出来ないのだから。

 新たなオレという寄生先を見つけた今、軽井沢けいの生きていく道はひとつに絞られた。

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