ようこそ実力至上主義の教室へ 4

〇穏やかな日常は突然に……

 無人島での特別試験が終わってから3日。オレたち高度育成高等学校の生徒を乗せた豪華客船では、何事も起きることなく、へいおんな時間が保たれていた。

 無人島でのサバイバルなど、青春をおうする学生にとっては、冷静な判断を失いがちな場であったことは今更言うまでもないことだろう。

 オレたち男子は基本的に野獣であり性に飢えた肉食動物だ。きゃっきゃうふふと群れる草食動物ならぬ女子たちを見ながら、男子一同はこの先運命的な何か進展があるのではないかと期待してしまっている一面がある。ここは全てがそろった豪華客船、嫌なことも忘れられる夢のような旅行の最中。誰かと誰かが恋に落ちても不思議ではない。

 それとなく聞こえてくるうわさでしかないが、いくつかカップルが誕生したとの話も耳にしている。残念なことだがそんな浮ついた話がオレにあるはずもなく、孤独な時間が大半だ。

 試験前と何も状況は変わらない。

 いや……オレを取り巻く環境は確実に変化し始めているか。

 不本意ながら、入学時からの目論見は大きく軌道修正をいられることになっている。元々、オレはある理由からこの学校を選んで入学した。

『卒業までの間、世間との接触を強制的にち外に出ることを禁じる』

 その校則が目当てだった。

 ところが今『ある男』が無理やり外の世界から接触を計ろうとしている。そのちようこうがあると担任であるちやばしら先生から告げられたのだ。そして、あろうことか茶柱先生はAクラスを目指すための協力をしなければ強制的にオレを退学に追い込み、この楽園から追放するとおどしてきた。聖職者にあるまじき非道な話だが、力なきオレには受け入れる以外の選択肢がない。なら、その話がうそか真かを確かめるだけの方法がないからだ。となれば、嫌でも真実だと想定して行動しなければならなくなる。

 だが、いつまでも担任の思惑通りに動くつもりはない。必要な情報を揃えつつ、場合によってはこちらから仕掛ることも検討していく必要があるだろう。

 チリッと頭の奥で悪魔がささやく。やられる前にやればいいだけのこと。

 辞職に追い込む手立ては幾らでも思いつくだろう?と。

 そんな物騒な考えは本当に一瞬。すぐに平和主義者のオレらしく平常心を取り戻す。

「はあ……オレに地軸を動かすだけのパンチ力でもあればな……」

 そうすればこんな小さなことで悩むこともなく堂々と生きていけるのに。

 ありもしないドラゴンなボールの世界を妄想しながら、窓の外を見る。

 無人島での試験終了後から早くも3日ったが、状況は何ひとつ変化していない。

 サバイバル終了直後は、大半の生徒がこれで試験終了だとは思っておらず、学校側が何か仕掛けてくると踏んでいた。ところがまるでその気配が無い。本当に夏休みを迎えたかのように穏やかでへいおん、そして楽しい旅行をまんきつすることになっている。

 当然生徒たちの気もゆるみ始め、試験はこれで終わったのだと楽観ムードに切り替わりつつあった。2週間の旅行のうち、後半の1週間は生徒のためを考えた純粋なバカンスだったと。旅行初日から無人島生活をいられたからこその緩みだ。その考えは悪いとも言えない。そういう時こそもっとも油断、危ないのが世の常だと気構えを持っていたからって、くやり過ごせるわけでもない。リラックスしていた方が好成績を残せることもある。

「あれ? もしかしてずっとにいるの?」

 客室の窓から見える海のしきを独り眺めていたオレに、同じ船室でのルームメイトの1人であるひらようすけという男子生徒が話しかけてきた。

「特に出歩く理由もない。特別遊ぶ相手もいないしな」

「そんなことはないんじゃない? どうくんたち、ほりきたさんたちがいるよね」

 確かに、一応『友達』のカテゴリには入れてもらってるしこちらも入れているつもりだ。

 ただ友達カテゴリの中でも最下層の方に位置していれば、他の友達とあつかいは違ってくる。

 遊びのたびに誘う相手がいれば、10回に1回誘う相手もいるだろう。

 オレは当然、その10回に1回しか呼ばれない存在。

「もう少しあやの小路こうじくんに積極性があれば友達が出来ると思うよ。余計なお世話だけどね」

 この平田という男は多くの生徒の絶大な支持を受けている人気者だ。

 特に女子から全幅の信頼を寄せられており、かるざわという彼女もいる。そんな幸せいっぱいの男には、積極性を出せない男の苦しみなど分からないだろう。

「綾小路くんは考え方もしっかりしてるし、後はちょっとしたキッカケじゃないかな」

 そんな優しさのようなざんこくな言葉はいらない。

 女の子が言う『えー、◯◯君ってモテそうなのにー』って言葉くらいいらない。『じゃあ付き合ってよ』と言ったら『それはちょっと……』みたいな流れくらいいらない。

 友達も彼女も出来ないから、こうして1人で過ごしているんだ。バカヤロウ。

「12時半から軽井沢さんたちと合流してお昼ごはんを食べる予定なんだけど、一緒にどうかな? 綾小路くんが来れば盛り上がるよ」

「軽井沢、たち?」

「うん、他に女子が3人くらい。嫌かな?」

 少しだけ考える。正直に言えば軽井沢とは少し接点を持ちたいと思い始めていたからだ。

 だが今このタイミングで急ぐ必要はない、か。それに他の女子も同伴では会話を弾ませるどころか、盛り上がることは絶対なく冷え切った場になるとしか思えない。

「遠慮しとく。オレは別に軽井沢たちのグループと仲がいいわけじゃないし」

 1学期が終了した時点で、もはやクラスメイトたちの関係性は確立済み。今更どの面下げて新しい交友関係を築いていけというのか。かるざわたちの嫌がる姿が目に浮かぶ。

 人との触れ合いにおびえるオレの感情を知ってか知らずか、ひらそばに腰を下ろした。

「何となくちゆうちよする気持ちは分かるよ。だからこそ僕を頼ってほしいな」

 いつでもどこでも爽やかフェイスなことで。ありがたい申し出だが首を左右に振る。

「待ち合わせまであと10分くらいしかないぞ。オレなんか放っておいたほうがいい」

「そんなに急がなくていいよ。それに、今こうしてるのも楽しいと思ってるし」

 はた目にはオレの言葉は強がりや言い訳に聞こえるだろうが、オレは本当に現状にある程度満足している。そりゃ、入学当初は友達100人出来るかなの勢いで友達が欲しいと切実に感じていた面はあったが、おのずと個々人が落ち着く位置なんてのは最初から決まっているものだ。3バカ、ほりきたくしくら辺りと話せるようになっただけでもオレの学校生活は悪いものじゃないと、今では素直に納得できている。けれども平田って男は、一人で過ごしているやつを見ると放っておけないらしい。

「じゃあお昼だけど、僕と二人だったらどうかな? それでも嫌?」

 二人きりの室内。ベッドで隣り合わせに座り、オレに真剣なまなしを向ける平田。

 トンと軽く体を押されて倒されたら後はもうどこまでもっ走ってしまうかもしれない。

「えーと、別に嫌じゃないが……軽井沢との約束があるだろ」

「軽井沢さんたちとはいつでも食べられるよ。でも、あやの小路こうじくんとはこうして同じにもなったわけだし、一緒に食べられる機会は今までほとんどなかったから」

 普通、横車を押してでも女子とご飯を食べたいと思うのが健全な男子の思考だ。

 だが平田は男と二人で食べることを迷わず優先できてしまう。

 もしかして『そっち』の気があるんじゃないかって疑ってしまいそうになるくらいだ。

 毎度毎度平田にはクラっとさせられることが多いが、男として理性を保つ。

「あとで軽井沢にうらまれるのは勘弁なんだが」

 何とか断ろうとやんわりとした否定を繰り返すが、それが平田の良心を刺激したらしい。平田にはオレのことが生まれたばかりで一歩を踏み出せない震える鹿じかに見えたんだろう。

「大丈夫だよ。軽井沢さんはそんなことで恨むような子じゃないから」

 いやいや、笑って言ってるがそういう子だろう軽井沢は。いくら平田の前では猫をかぶってると言っても、他の子と接する時にドギツイ性格のは分かってるはずだが。

 それも平田からすれば、そんな子じゃないのカテゴリに分類されてしまうんだろうか。

 不良生徒を深く包み込む、夜回り先生をほう彿ふつとさせる。

「うん、やっぱり軽井沢さんに断りを入れるね」

 やや強引に平田はそう言って軽井沢に断りの電話を入れる。

 止めようとしたが平田に目と手で制されてしまう。

「何か食べたいものの希望とかある?」

 通話がつながるまでの間、ひらにそんな風に振られた。

「……何でも食べられる。ただ重いものは避けたいかな」

 客船には、数多くのレストランが軒を連ねている。もちろん内容もラーメンやハンバーガーといったジャンクなものから、フランス料理まで幅広い。

 まだ昼ということを考えれば極力軽めの食べ物で抑えたいところだ。

 平田は本当に電話であっさりと予定が入ったからとかるざわに断りを告げる。軽井沢の声ははっきりと聞き取れなかったが、平田は強引に話を終わらせて切ってしまった。

「……本当に良かったのか?」

「もちろん。それじゃあデッキに行こうか。軽食中心だから食べやすいしね」

 ベッドでくつろいでいたオレを導くように平田はドアを開いた。

 声をかけて心配したり、親身になるのはいつも通りだが、乗り気じゃないオレを連れ出すなんて、空気が読める平田にしてはちょっと強引だな。何か裏があるのかも知れない。

「無人島の時は協力してくれてありがとう。あやの小路こうじくんには犯人を捜すつだいをしてもらったりしたのに、満足にお礼も言えてなくてごめんね」

「謝ることじゃない。役には立ててないしな。下着を盗んだ犯人を見つけたのはほりきただ」

「結果的にはそうだけど、嫌がらず協力してくれた綾小路くんには感謝してるよ」

 下着の件といえば、と思い出したことがあるので聞いてみることにした。周りに人がいないことをしっかりと確認してから切り出す。

「軽井沢の下着は本人に返せたのか?」

「うん。ぶきさんが犯人だったってこともあって、意外とすんなりね」

 先日の無人島試験で起きたせつとう事件。女子である軽井沢の下着が盗まれ一時そうぜんとなった。そしてその下着が男子のかばんから見つかったことでDクラスの男女の関係性が危ぶまれたが、平田がその下着を保管するなどの機転もあって事なきを得た。なんにせよ良かった。非常にデリケートな部分だからどうなったのか気にはなっていたし。

 さすがの平田でも返すタイミングを逸しているのかもと思っていた。

 平然と下着を返すような仲になっているとしたら、それはそれで大人の階段をのぼっている証拠かもしれないが。船内のエレベーターから最上階のデッキへ。

 数多くの同級生が各々好きな格好で、夏休みをまんきつしている様子だった。

 近くには備え付けのプールもあるため、大胆にも水着で往来している男女の姿もある。すっかり試験ムードは抜けてしまっているがそれも無理はない。無人島で欲求を封じられ抑えつけられた反動がこの現状を生んでいると言えるだろう。

 しかも、船内の施設の利用、飲食には手持ちのポイントを払う必要は無い。つまりお金の有無にかかわらず全て無料。遊ぶのも食べるのも全てタダとなればハメを外すなというほうが無理がある。水着や遊泳道具は貸し出しのようだがそれくらい。不満はないだろう。

 目的のお店に辿たどくと半数以上の席が埋まっていた。

 人ごみにまぎれ込むように、まだきが残っている席を二人で確保する。

「実は……少し相談があるんだ」

 席につきメニュー表に視線を落とすなり、ひらは少し申し訳なさそうに話を切り出した。

「相談?」

 やっぱり裏があった。それでオレと差し向かいで食事するような時間が欲しかったわけか。それは逆にありがたいというか、誘われる上で納得いく理由だったので文句はない。

「相談者として適さないオレに声をかけるってことは……ピンポイントな内容か?」

 話し上手聞き上手に該当しないオレに白羽の矢を立てたのには、理由があるはずだ。

「僕とほりきたさんの橋渡し役になってもらえないかな。やっぱりこの先、Dクラスが一致団結して頑張っていくのに堀北さんは必要不可欠な人だと思うんだ」

 そっち方向の相談、ね。オレがうなずくと平田は謝りながらも話を続けた。

「先日、堀北さんの活躍で僕たちDクラスは思わぬ成果を得た。一気にクラスの士気は高まったと思うし、何より堀北さんをしたう人たちが増えたと思う。これは大きな変化だよ」

「ま、そうだな」

 堀北すずという少女は、Dクラスの生徒で入学後オレの最初の友人でもある。向こうもオレが最初の友人だろうし、今現在も他に友人らしい友人がいないこうな人物だ。持っている能力は総じて高く文武両道の優等生。欠点は、孤高さがわざわいして誰ともからまない性格と、人付き合いが苦手なため高圧的態度をとることが多いことか。

「そんな今だからこそ、僕を含めもっと彼女は皆と仲良くなるべきだと感じている。協力し合えばCクラスやBクラス、ううん、Aクラスにだって上がれるような気がするんだ」

 この言葉をもし見知らぬ誰かから聞かされていたなら、都合が良い話だと思ったかも知れない。でも平田は入学から間もない段階で堀北を買っている節があった。最初からポテンシャルの高さに気が付いていたんだろう。いやには感じない。

 この申し出に対して、つだっても構わないとは思っている。それ自体は簡単だ。平田と堀北を引き合わせるくらいならオレにでも可能だからだ。でもそれは解決につながらない。

「でも、橋渡ししてくいくなら苦労しないだろ。堀北はそういうやつだ」

 こちらがいくら周囲との関係を軟化させてやりたいと思っても、余計なお世話だとっぱねて終わりだ。むしろ裏で手を回そうとしていたことに気付けば、堀北のことだ。余計に距離を取りかねない。1学期のくしのカフェでの行動の対応がそれを実証している。

「うん。もちろん僕も理解はしているつもりだよ。堀北さんはあやの小路こうじくん以外には心を開いていない。それを無理に開かせるつもりもないしね。だから僕の意思を綾小路くんなりに変換して伝えてほしいんだ。僕の存在を伏せたうえでね」

 そして、それをオレがほりきたに伝えるということか。

 逆もまたしかりなんだろう。堀北の意見を聞いたオレがひらに詳細を伝える。

 そうすれば堀北に知られることなく、見えない協力関係を築けるってことだ。

「聞くだけなら簡単だが、そう単純でもないだろ。普段オレは堀北の言いなり……っていうと誤解があるが、特別意見をぶつけたりしてるわけじゃない。それがいきなりズバズバ物を言い出せば怪しいと感じるだろ。的外れな意見ならともかく、おまえの意見なら正当性や理屈もちゃんとしているだろうし」

「けど今はそれ以外に浮かばないんだ。僕と堀北さんが話し合いを持ったところで、すんなりと彼女を説得できる自信は正直に言って僕にはない。苦肉の策だよ」

「この段階でそんな策を打つのは早計じゃないか?」

 堀北と組みたい気持ちは十分伝わったが、そうであるなら堀北と正面から向き合うしかない。それが困難なことであることはわかるが、他人と協力し合うとはそういうことだ。

 そんな当然なこと平田は分かっていそうなものだ。こいつほどクラスのことを考え、友情を大切にしているやつはいないんだから。そう考えれば今回の提案には疑問点が残る。

 何かを焦っていて本来の自分を見失っているような。自然と無人島での平田の異様な様子を思い出す。Dクラスにたびたび訪れるトラブルに巻き込まれ結束が危ぶまれた時、平田は半ば放心状態になっていた。あれはただごとじゃなかったからな。

 オレは食べやすいサンドイッチとドリンクを注文する。デッキそばのプールで泳ぐ生徒たちや、水着姿のまま食事している者もいる。生徒たちは非常に楽しそうだ。

 いけやまうちがいれば食事よりも水着女子に視線を奪われていたことだろう。目の前の平田は飯にも女子にも目もくれず、こちらに視線を向け考え込んでいた。

「そう、だね。あやの小路こうじくんの言う通りだ。僕の考えは浅はかだったかもしれない」

 自分の判断ミスをすぐに認める素直で柔軟な対応。これもまた平田の魅力だろう。

 それでも堀北と協力を築きたい思いは強いのか、諦めるような様子は一切見せなかった。

「アプローチ方法をしっかりと考えるべきかも知れないね。堀北さんはちょっと気難しいタイプだけど、綾小路くんはどうやって仲良くなったの?」

 平田は堀北と関係を深めるために、まずは友達として触れ合っていきたいようだ。

 その前向きさは正しいし、オレに出来ることがあれば手を貸してやりたいが……。

「この点については定期的に否定させてもらってるが、別にオレは堀北と仲が良いわけじゃないぞ。最近やっとこさ友達として認めてもらえたかどうかってくらいだ」

「堀北さんが仲良くしているのは綾小路くんだけなんだから。君は特別な存在なんだよ」

 特別な存在ねえ。こっちがようやく1人と仲良くなってる間に、40人と仲良くなる男が言うセリフじゃない。それとも40人と仲良くなれるからこそ、特定の生徒と仲良くなれず、もどかしさを感じているのかもしれないが。

「そんなに焦る必要はないんじゃないか? まだ1学期が終わったばっかりだしな」

 結束力は基本的に同じ時間を共にしなければ強くなっていかないものだ。あるいは無人島試験のように突発的かつ過酷な状況下に置かれて初めて生じるもの。もちろん行動することで高まる場合もあるだろうが、大抵そんなものはもろく崩れ去ってしまう。

ほりきたが急いで友達を作ろうとするタイプじゃないってことも加味した方がいい」

 そう言ってやることが一番ひらの理解を得られると思い伝える。

「……そうかも知れないね」

 やはり焦っていたのかもしれないと、平田は再び反省の色を見せた。

「彼女の気持ちも考えず、僕は一方的な思いをぶつけようとしていたかな……」

 自分に言い聞かせた平田は今度こそ納得がいったのか、大きくうなずいて笑みを見せた。

「ごめんね。ご飯に誘っておいて勝手に相談して。さ、食べようか」

 気持ちを切り替えたのか、少しして到着した食事を二人で食べ始めた。だがすぐ、平田は誰かが近づいてくるのに気づいたようで、戸惑ったような様子でオレにくばせしてきた。

「あー、やっぱりここにいたんだ、平田くんっ。一緒にご飯食べよっ」

 うれしそうな声をデッキに響かせながら、かるざわひきいる女子たちがやって来たのだ。

「えーっと……軽井沢さん、さっき電話で断りを入れたと思うんだけど……?」

 困った様子の平田を余所に、軽井沢たちは別のテーブルのを引っ張り出してオレを押しのけ平田を囲い込んだ。落ち着きのあった食事場が途端に騒がしくなる。コミュニケーション能力に難のあるオレだが、案ずることなかれ。こういう時の対応には既に慣れている。1学期で身に着けた特技『速やかな退散』をするべきだろう。

 自分の食べ物を手に取ると、音を立てず静かに立ち上がった。平田とは一瞬目が合った気がしたが、すぐ女子たちに囲まれその姿は見えなくなる。

 仲良くなることに重点を置いたことで生じる数少ない欠点だな。自分の時間が他人のために割かれて一人で過ごす時間を満足に取れない。個人的な悩みを持ったとしても、軽井沢たちに相談できないから胸の内で抱えることになる。


    1


 軽井沢に確保された平田を見捨て、特に遊ぶ相手も話す相手もいないのでに戻ることにした。エレベーターを使わず階段から船内に戻り自分の部屋がある3階に戻ってくると、廊下に点々と染みが出来ているのを見つけた。

 その染みはずっと先、オレの部屋がある先に伸びているようだった。あとを追うように歩いていくと、そこには上半身裸で海水パンツを穿いた男がゆうに歩いていた。

「お、お客様! 困りますれたまま廊下を歩かれては!」

 非常事態に気がついたボーイが、慌てて男の下に駆け寄る。か手にはタオルが。準備が良すぎるというかなんというか。常に持ち歩いているかのような周到ぶりだ。

「はっはっは。見つかってしまったようだねぇ」

「見つかったも何も、これで4回目ですよ。何度もお伝えしておりますが、プールから上がられた後は体をいてから船内にお戻り下さいっ。他のお客様のご迷惑となりますっ」

 どうやらすでに常習犯のようだ。そりゃボーイもタオルを事前に用意するわけだ。

「迷惑? しかし私は一度も迷惑だと声をかけられた記憶はないけどねえ。あいにくと私は物心つく頃から体は拭かない主義なのだよ。昔から言うだろう? 水もしたたるいい男、とねえ」

 バッとれた髪をかきあげ、水滴を辺りに飛び散らせたこうえん。それを見たボーイは慌ててタオルで廊下や壁を拭き取った。

 その慌てぶりが面白かったのか、高円寺は足を止めた。

「ペンや紙は持っているかな?」

「え? あ、は、はぁ……一応職業柄メモ帳とペンは持ち歩いてますが……」

 話の流れが理解できないまま、ボーイはおそるおそるボールペンを取り出した。

「君は著名人のサインが、時に思わぬプレミア価格を付けることを知っているかな? 海外では数百万から数千万の値が付いたこともあるそうだよ」

「それが……なにか?」

 サラサラとメモ帳に何かを書き終えると、ボーイにき返した。遠目にだが紙には読みづらい字で『高円寺ろくすけ』と書かれてあるのが見えた。

「な、何ですかこれ……」

「一目瞭然だろう? サインだよサイン。たとえ安物のメモ帳であっても、将来きっと値が付くことになる。君にプレゼントするよ、ありがたく保管したまえ」

 どうやら、高円寺はけんしんてき?に仕事をしていたボーイにお礼のつもりでサインを書いたらしい。しかしありがた迷惑とはこのことか、ってくらい全く欲しくない。

 むしろボールペンとメモ帳のしようもう分、損したくらいだ。

「そうげんそうな顔をしないでくれたまえ。私は将来日本を背負って立つ男になる。その時を大船に乗ったつもりで待っているんだね。もちろん、今乗っているこんな民間船よりもはるかにハイグレードな豪華客船さ」

 豪華客船は豪華客船でも、沈み行く運命にあるタイタニック号じゃなきゃいいが。

 高円寺は満足げに笑う。ぜんとしたボーイはもはや自由気ままな男の暴走を止める自信をそうしつしたのか、点々と濡れる床を見つめる。もうかかわるのが嫌で仕方ない様子だ。

 うわさとは一人歩きするもので、この身勝手な性格に振り回されるのはごめんだと、同級生の誰も高円寺を注意しない。要はボーイと同じ現象を、既にクラスメイトは体験したのだ。

 ひらは高円寺を見かければ多少声をかけるだろうが、叱ることはないだろうし、もし叱ってもスルーされるかボーイのように適当にあしらわれるのが関の山だ。

 こうえんという男は毒みたいな存在で、敵味方問わず触れた者は苦しむことになる。

 面倒ごとに巻き込まれるのを避けようと、二人のわきを静かに通り過ぎる。

 君子危うきに近寄らず。

「おや? あやの小路こうじボーイじゃないか。偶然だねえ」

 げ……。思わずそんな言葉がのどから出そうになった。まさか声をかけられるとは。ターゲットが自分からオレへと移ったことに気付いた瞬間ボーイは満面の笑みを浮かべる。

 あ、解放される! と。

 いやいや、それはクルーの一員としてどうなんだ……。どんな客であっても最後までてつとうてつ奉仕するべきだろう。育てるだけ育てておいて、飼いきれなくなったペットの魚を無断で川に放流するようなもの。まして外来種の凶暴な高円寺は川の在来種を一匹残らずちく、食い荒らしてしまうだろう。

「何か用か?」

「いやいや、特に用はないさ。あくまでもスクールメイツとして話しかけたに過ぎないよ。ぶんそうおうとはいえ君は私のルームメイツでもあるんだからねえ」

 ブワッと再び髪をかきあげると、散弾銃のように水滴がオレの顔や制服に飛び散ってきた。もちろん本人は自分の髪のかきあげかただけを気にしており、その被害者のことなどじんも気づいていない。

 自分も被害にあったにもかかわらずボーイはニコニコとオレのさんを見守っている。

 うんうん、君の気持ちは痛いほどわかるよー……ではない。

「では私はこれで失礼します。今後は気を付けてくださいね」

 ボーイは逃げの一手を打つと同時に注意の一言を残して、最低限の役目を終えたつもりのようだ。もちろんこの場で高円寺と二人きりにされるのはごめんだ。

「高円寺と何を話してたんですか?」

 一瞬、ボーイの顔ががおから怒りの顔に変わったが、高円寺がボーイに目を向ける瞬間には再び笑顔に戻った。まるでアシュラマンのようだ。

「いえ、えーっと、ご覧のようにれておられるようでしたので、タオルをと───」

「つまり注意しに来たってことですね。それはお邪魔しました、じゃあ自分はこれで」

 ボーイに渡されたボールを強引に剛速球でたたきつけ返し、逃げる。

「ボーイは私に注意をしに来たのかな?」

「あぁいえ、そのぉ、ですから……」

 何とか高円寺から逃げ切ったオレは自室へと戻ろうとする。

「しかし……このままに戻ると高円寺とはちわせか」

 そうなると、ちょっと面倒な空間になりそうだ。この旅行で何度か二人きりになる時間があったが、信じられないくらい心地ごこちが悪かったな。

 気まずい雰囲気を避けたかったオレは、回れ右。に戻る時間をずらすことにした。

 同室のひらゆきむらが戻りそうな時間をねらって戻りたい。近くの案内板には、船内の地図が分かりやすく壁に張り出されている。たかだか地図にもかかわらず金縁の額に入れられており、豪華客船らしいあしらいだ。ぐるっと暇つぶしできるルートを頭で描き、すぐにエレベーターを使って階層を変え2階へ降りる。

 船は全9階層と屋上に分けられている。地上5階地下4階から作られていて、1階はラウンジや宴会用のフロア、屋上にはプール、カフェなどが設置されている。3階から5階に当たる部分は客室があるフロアとなっている。3階が男子で4階が女子だ。男女は教師も含め明確に分けられている。ただ男女間で特に移動の制限は設けられていないため、男子が女子のエリアを通っても問題はない。いて言うなら、0時以降の滞在と立ち入りが禁止されていることくらいか。ちなみに他のエリアだが、地下1階から地下3階には映画や舞台などの様々な娯楽施設が、船の最下層に位置する地下4階には配電盤室などがあるようだ。地下4階に関しては生徒には全く関係のない場所と言えるだろう。

 24時間利用可能なラウンジなどは、深夜だろうと出入りは自由になっているが、学校側からの通達で、近づくことを極力控えるようにとの連絡は受けている。

 今歩いている2階エリアは他の客室とは違った雰囲気の部屋がいくつかあるが、どういった時に利用するのかは不明だ。通路も閑散としていて生徒の姿はほとんどない。

 と、ポケットの携帯が震えた。

 取り出すとメールが届いていた。ある少女からの呼び出しだった。好都合と言うべきか、時間つぶしの予定が入ったってことだ。拒否する事情はひとつもないので快くしようだくした。


    2


「はあっ……はぁ───っ……はあああ───っ……」

 メール差出人であるくらの下に近づいていくと悩み深そうなため息が繰り返されていた。

「どうしたんだ?」

「わあ! あ、あやの小路こうじくんっ!」

 そんなに驚かれるような声のかけかたをした覚えはなかったが、佐倉には不意打ちだったようでいつも丸めている背筋をピンと張って慌てふためいた。

「驚かせて悪いな」

「う、ううんっ。私がちょっと、変に緊張してただけだからっ」

 友達との待ち合わせくらいで緊張しているようだと、まだまだ私生活は大変そうだな。

「綾小路くんって、同室の人は平田くんとこうえんくん、幸村くん……なんだよね?」

「オレか? ああそうだけど、それがどうかしたのか?」

 そんなことを聞いてくるとは意外だった。

「うん……実は、その……私、同じの人とのことで、ちょっと悩んでて……」

 ルームメイトとの関係が良好ではないってことだろう。人付き合いの苦手なくららしい。それが深刻な悩みなのは表情を見ていればよくわかる。

「悩んでるってのは、仲良くなりたいのになれないってことか?」

「どうなんだろう……。仲良くなりたい気持ちと一人きりでいたい気持ち、両方ある。だから……ダメなんだろうね、私って」

 弱気になっている。声のトーンもそうだが、不安げな瞳を見るだけですぐにわかった。佐倉の部屋のメンバーを知らないオレからすれば、現段階ではアドバイスのしようもない。

「ちなみに同室の人間は誰なんだ?」

「うう……聞いてもらえる? しのはらさん、いちはしさん、まえぞのさん……だよ」

 ものすごく落ち込んだ様子で、同室になった人の名前を口にする。

 何とも個性強いメンバーだった。篠原といえば、Dクラスのかるざわと近い関係にある女子の顔役だ。我が強く男子とのくちげんにも真っ向から挑む頼りがいのある子だが、合わない相手にはようしやないところがあるからな……。佐倉のことは何とも思っていないと思うが、仲良くしていきたいと思う相手同士ではないだろう。市橋も普段は大人しいが、篠原に似て強気なタイプだ。前園のことはあまり知らないが、喧嘩っぱやく口と態度が悪い印象だ。佐倉にとっては最も苦手とするタイプの一人だろう。このメンバー相手に佐倉が頑張って距離を詰めようとしても、その佐倉の姿勢を気に入らなければ嫌われてしまうことだって十分に考えられる。今まで泣きつかなかっただけ偉い偉いと頭をでたいくらいだ。

「でも、どうしてオレに?」

「……あやの小路こうじくんなら、何かアドバイス、くれるんじゃないかな、って……」

 ぼそぼそと小さくうなずく佐倉。

 どうやら思わぬ頼られ具合のようだ。そしてすぐに謝罪の言葉を付け足した。

「か、勝手に頼ろうとしてごめんね。綾小路くんも忙しいのにね」

「別にいいさ。相談されたからって困ることはないし。ただ、助けになってやれるかって話はまた別だけどな」

 悲しいかな、オレ自身佐倉の同室の誰とも仲良くないため、佐倉をく助けてやってくれとも言えない。何か方法がないかと考え込んでいると、客室の扉が開いた。

「あれ? 綾小路くんと佐倉さん。こんなところで何してるの?」

 客室からひょっこりと姿を現したのは、Dクラスのくしきようだった。

 佐倉の明るかった表情は途端に雲間に消え、心地ごこち悪そうな雰囲気に変わる。自分の感情をコントロールするのが苦手なのだろうが……。明らかに櫛田が現れたことに対する拒否反応を見せたが、くしは全く気にした様子もなく話を続けた。

「あ、邪魔するつもりはないよ? 友達と合流することになってるだけだから」

「……私、に戻るね」

 櫛田が慌てて引きとめようとするも、くらは船内へと駆け足で戻っていった。

「うー……ごめんね。バッドタイミングだったね。声かけないほうがよかったかな」

 手を合わせて謝る櫛田。別に謝るような理由はなにもない。ただ佐倉が人付き合いを苦手としているだけのことだ。

「そういえば、船に戻ってから初めて櫛田と話した気がするな。色んな子と遊んでるのだけは遠目に確認してたんだが」

 櫛田はDクラスの中でも一番の人気者だ。いや、学年一と言うべきか。

 入学式の日に全員と友達になると公言したことを、現時点でかんすいしようとしている。佐倉なんかのごく一部の子を除いて、だが。

「今日はCクラスの子たちと遊ぶ約束してるの。あやの小路こうじくんも来る?」

「えっ……参加していいのか?」

「えっ? 来るの?」

 …………。嫌な間が出来た。

 行ってみたい本音が少し出てしまったが、櫛田もまたその本音に一瞬戸惑ったようだ。

 これは社交辞令。つまり社交辞令できちんと断るのが礼儀だ。

「冗談だ。オレが参加するタイプじゃないのは分かってるだろ?」

「もー、だよね。ちょっとびっくりしちゃった。綾小路くんって面白いね」

「そ、そうか?」

 本気で面白いと思ってくれたとは思わないが、櫛田が言うと本気に聞こえるから怖い。

「それじゃあ私いくね」

 軽く別れの言葉を交わす。と、突如オレと櫛田の携帯が同時に鳴った。

 キーンと言う高い音。それは学校からの指示であったり、行事の変更などがあった際に送られてくるメールの受信音だった。マナーモード中であっても音が強制的に出ることから、重要性の高さがうかがえる。

「なんだろうね?」

 櫛田が足を止めて不思議がるのも無理はない。入学後に説明は受けていたものではあるが、今日まで重要メールが届いたことは一度もなかったからだ。その一回目が夏休みとは。

 ほぼ同時に、船内アナウンスも入る。

『生徒の皆さんにご連絡いたします。先ほど全ての生徒宛に学校から連絡事項を記載したメールを送信いたしました。各自携帯を確認し、その指示に従ってください。また、メールが届いていない場合には、お手数ですがお近くの教員まで申し出てください。非常に重要な内容となっておりますので、確認漏れのないようお願いいたします。繰り返します───』

「……今届いたメールのこと、だよね?」

「多分な」

 それぞれに同時に届いた学校からの通知。

 アナウンスに従う形で携帯を操作して開くと、そこには次のことが書かれてあった。

『間もなく特別試験を開始いたします。各自指定されたに、指定された時間に集合して下さい。10分以上の遅刻をした者にはペナルティを科す場合があります。本日18時までに2階204号室に集合して下さい。所要時間は20分ほどですので、お手洗いなど済ませた上、携帯をマナーモードか電源をオフにしてお越し下さい』

「特別試験、か」

 ペーパーテストや体力測定のようなものじゃないよな、さすがに。

 無人島サバイバルのような、通常の学校では行わないであろうものと予想される。

 それ以外試験内容を示すものは何も書かれていない。このメールから何かを読み取れってことなのか、単純に気構えをしておけってことなのか。今はまだ不明だ。

 それよりもメールを見て気になった点があった。集合時刻は18時になっていたが、他に所要時間が20分ほどと非常に短く中途半端に決められていたこと。そして場所の指定が船内の客室と思われる場所なのはどうしてなんだろうか。お世辞にも試験を行うに適している環境とは思えない。

「ちょっと見てもいいか?」

 断りをいれ、くしの方にも届いたと思われるメールを見せてもらう。基本となる文章は全く同じだったが、指定された場所と時間だけがオレとは全く異なっていた。集合が20時40分で所要時間は同じく20分ほど。そして場所も2部屋ほど離れていた。

「なんでこんな変な呼び出し方するんだろうね?」

「……見当もつかないな」

 良い予感がしないことだけは確かだ。

 このままクルージング旅行が終わるとは思っていなかったが、その通りらしい。

 船内で一学年の生徒全員が集まれそうな場所……映画館やパーティ会場、ビュッフェレストランなどの場所には事前に足を運んでみていた。怪しい動きや、試験内容の推測が出来ればと思っていたが、残念なことにその際は、何のちようこうも読み取れなかった。

 それが、まさか生徒を隔離、限定して、試験の開始を告げる、とはな。

 携帯を通じほりきたにチャットを送ると珍しいことにすぐ既読がついた。大体送ってから半日、ひどい時は数日放置されることも多い。同じタイミングで学校からメールを受信していたからだろうか。それも踏まえて聞いてみる。

『今学校からメール届いたか?』

『届いたわ』

『オレは18時からに指定されていたんだが、そっちは?』

『こっちは20時40分からよ。ずいぶん時間が違うみたいね』

「20時40分か……」

 くしとは同じ時間のようだ。と言うことは、男子と女子で2つに分けられているのか?

 現在考えられるのはそれくらいだ。こちらの試験開始時間が18時であることを告げる。

『時間帯が異なるのは気になるわね。試験開始時刻が異なるのであれば、先に問題を知る者とそうでない者とで不公平が生まれそうだけれど』

『今はまだなんとも言えないな』

 そんな内容のチャットを交互にしていたが、またすぐにほりきたからチャットが届く。

『色々気になることはあるけれど、ひとまず時間になったら足を運ぶしかないわね。あなたの方が早いみたいだから、報告よろしく』

『わかった』

 短く返事をしたが、すぐに既読がつく気配はなかった。どうやら携帯を閉じたらしい。

あやの小路こうじくん?」

 チャットに集中していたオレの様子が気になったのか、櫛田が様子をうかがうように近くで顔を向けていた。櫛田からも、呼び出しが終わったあと話を聞きたいと思ったが、迷惑になるだろうと思いとどまった。しばらく様子を見ることにしよう。

 それからでも遅くないはずだ。


    3


 学校からのメールで呼び出しを受けたオレは、2階フロアに足を踏み入れる。指定の時刻まであと5分ほどのところで、オレは目的地にたどり着いた。

 普段生徒がいないはずのこのフロアに、数人の生徒がウロウロしていた。誰かを確認することは出来なかったが、近くのに入っていくのが見えた。その数は1人2人ではなく、時折フロアにやってきては通り過ぎまた別の部屋に消えていく。

「他クラスの生徒か……」

 最初は入口の前で待っていようかとも考えたが、既に中では何かしら始まっている可能性もある。何より別の生徒に姿を見られるのも嫌だと思い、行動を開始することにした。ノックするとすぐに返事があった。

「入りなさい」

 許可を受け一室に足を踏み入れる。するとそこには、ガッチリした体格のスーツ姿に身を包んだAクラスの担任しま先生がに腰掛けていた。小さなテーブルの資料に目を落としている。

 そして真嶋先生の前には、二人の男子生徒が椅子に腰かけ座っていた。

 そのどちらも、オレが知るDクラスのクラスメイトだった。

「残りの2つの椅子の1つはあやの小路こうじ殿でござったか。コポォ!」

 奇妙な擬音を発したのは、そとむらという生徒で、男子からは博士はかせと呼ばれしたわれている。高校一年生としてはやや太りすぎでメガネをかけている、イメージ的にはオタク系男子だが、外見どおりオタクを地で行く。歴史や機械に詳しく、言動や語尾は理解不能な部分も多いが意外とコミュニケーションの取れる人物だ。

「妙なことになっているな。綾小路」

 そして博士の隣に座っていたのは、船でのルームメイトでもあるゆきむらだった。

 博士と幸村。二人の関係性は普段強くない。なのに、どういうめぐり合わせなんだろうな。このメンバーで、いったい何が始まるというのか。

「何をしている。早く座りなさい」

 顔を上げることもなく真嶋先生に座るよう指示される。無言で幸村の隣へ座った。

 気になるのは、オレの隣にもう1つのき椅子が用意されていることだ。

 状況から察するに、先生1人と生徒4人で行われるようだが……。少数なのか。

 もう一人が来れば見えない4人の共通点やその理由が分かるのだろうか。

「あと一人、到着を待つ。大人しく待っていなさい」

 この空気感からして、間違いなくただごとじゃない。新たな嵐、試験の幕開け。その予兆。

 これが仮に試験の説明であるのなら、既に異質な内容であることは明白だ。通常試験は公平性を期すために全員同時に説明を受けるのが普通だ。それは机の上の筆記試験だろうと、無人島でのサバイバルであろうと同じ。にもかかわらずこの空間は閉鎖環境。少数の意味とは一体なんなのか。それともこちらの心配のしすぎで、その前段階なだけなのか。

 ともかく今頭の中であれこれ考えても答えなど出るはずもない。

 椅子に腰を下ろすも、3人と先生の間に余計な会話などあるはずもなく重たい沈黙が続く。予定時刻まで多少あるとはいえもう一人にも早く来てもらいたいものだ。どのにも備え付けられているオルゴールの形をした置時計がこの部屋にもあり、無音に等しい室内にカチコチと秒針が動く音が広がっている。やがて約束の18時を回る。微動だにしなかった真嶋先生が、一度だけ時計を見やった。と、ほぼ同時に部屋がノックされる。オレの時と同じように先生が入りなさいと言葉をかけると、ゆっくりと扉が開かれた。

「失礼しまーす」

 程なくして間延びした声を発し、かるざわが室内に入ってくる。Dクラスの誰かなのは予想していたが、まさか軽井沢だとは。男子の誰かだと思っていただけに完全に想定外だ。

「え。なにこれ、なんでゆきむらくんたちがいるわけ?」

 それはこっちが聞きたい。この奇妙な組み合わせにオレも戸惑いを隠せない。博士はかせはあまり深く考えてはいない様子だが、幸村もげんそうだ。

「時間厳守だと伝えておいたはずだ、遅刻だぞ。早く席につきなさい」

「はーい」

 オレたちの存在、そしてしま先生の言葉にやや不服そうに返事をしてかるざわの前に。そしてこちらをチラリと見ると、少しだけ椅子を持ち上げオレから距離を離して腰を下ろした。数センチの開きだが、1ミリでも距離を広げられると若干落ち込むな……。

「Dクラスのそとむら、幸村、あやの小路こうじ、軽井沢だな。ではこれより特別試験の説明を行う」

 メールが来た時点で推測できていたことだが……やはり試験の説明だったか。

 しかしこの4対1というなぞのメンバー。個室の状況。面倒な予感しかしない。

「ちょ、ちょっと待ってよ。意味わかんないんですけど、試験の説明ってなに? だってもう試験は終わったじゃん。それに他の人たちは? おかしいんですけど」

 黙って人の話を聞けないのか、即疑問を口にする軽井沢。

 こいつはちゃんとメール文を読んだのだろうか。

「今の段階では質問は一切受け付けない。黙って聞くように」

 案の定真嶋先生はあきれたような冷ややかな視線を軽井沢に送った。

 学校側がそんな疑問にやすやすと答えてくれるわけがないな。

「うわ出た。すぐそれなんだから」

 普段から真嶋先生は生徒たちから冷たいと言われることが多い。それはこの説明の場においても同じだった。ちやばしら先生もれいたん、冷静で肩入れをしない先生だが、この真嶋先生もまた特別Aクラスに肩入れを見せるような先生じゃない。ただ決定的に茶柱先生と違うのは、やる気を見せず非協力的な茶柱先生に対し、真嶋先生は常にフラット。誰に対しても同じような一定距離を取っているところだろうか。

「今回の特別試験では、1年全員をになぞらえた12のグループに分け、そのグループ内での試験を行う。試験の目的はシンキング能力を問うものとなっている」

 干支になぞらえた12のグループ? 要はDクラスを3つのグループに分け、12ある干支の適当な3つに当てはめるってことだろうか。

 そして問われるのは『シンキング』。

 つまり考える力、考え抜く力といった意味合い。それが関係している試験か。

「シンキング、って何?」

 黙っているように言われたばかりの軽井沢が、再び質問する。

 もはや反射的に聞いてしまうんだろうな。

「言っただろう、質問は受け付けないと」

 再びしま先生に注意され、かるざわもさすがに状況の重さを感じたようだ。不満な様子がこつに表情に出ていたが、口を閉ざして聞く姿勢を見せた。

 ゆきむら博士はかせも、どこまで真剣に考えているかは分からないが静かに聞き入っている。

「社会人に求められる基礎力には大きく分けて3つの種類がある。アクション、シンキング、チームワーク。それらが備わった者が初めて優秀な大人になる資格を得るのだ。先の無人島の試験は、チームワークに比重が置かれた試験内容だった。しかし、今回はシンキング。考え抜く力が必須な試験になる。考え抜く力とはすなわち、現状を分析し、課題を明らかにする力。問題の解決に向けたプロセスを明らかにし、準備する力。創像力を働かせ、新しい価値を生み出す力。そういったものが必要になってくる」

 丁寧な説明だったが、一口に説明されたことで3人の頭の上にはクエスチョンマークが複数浮かんでいる様だった。それはオレも同じだ。まだ理解できない面が多い。

「そこで今回の試験では12のグループに分け、試験を行うとなったわけだ」

 そして一呼吸置き、軽井沢の待ち望んだ言葉がやってくる。

「ここまでで何か質問は?」

「全然意味わかんないんですけど。もっと分かりやすく説明してよ。12個にグループを分けるってのは分かったけど、じゃあなんであたしがこの連中と一緒にいるわけ? ひらくんは? 他の女子は? それに試験の中身もわかんないし。教えてよ。じゃなくて、くださいってば」

 強引に最後だけ丁寧に言い直したが、何ひとつ敬語として成立していない気がする。

 だが軽井沢の疑問ももっともだ。質問を受け付けると言ったものの、ここまでのあいまいな説明で聞きたい内容などごく限られている。集まったメンバーの共通点や他の人間がどうしているのか、そして明らかに少ない人数などくらいしか聞けることがない。

 もしクラスを3グループに分けるのなら、12~15人くらいをひとまとめにして説明をするべきなのに、それを行っていない。単なるの大きさの都合か?

 いや、この客船には中規模の人数を集められる部屋は複数あるはずだ。

 つまりは───わざわざ小分けして呼び出す理由があるということだろうか。

「まず当然のことだが、ここにいる4人は同じグループとなる。そして今この時間、別の部屋でも同じように『君たちと同じグループとなる』メンバーに対して同時に説明が行われている」

 オレたちと同じグループになるメンバーだって? その言葉を聞き一つの合点がいく。

 この場に4人しかいないこと。残りのメンバーはいくつかの部屋に分けられて説明を受けていること……つまりこの試験、仲間になる残りの生徒たちは……。

「それならメンバー全部集めて一気に説明した方が早くて楽じゃん。それと、この3人と同じ理由は? なんであたしが、この気持ち悪……男子たちと一緒のチームなわけ? 正直嫌って言うか、ひらくんがいいな」

 自分勝手にペラペラと話すかるざわに、ついに我慢していたゆきむらがキレた。

「少しは黙って話を聞いたらどうだ。もう試験は始まってるかも知れないんだ。余計なことを言って減点されたら責任は取れるのか? 無人島の時だって、おまえは人一倍足を引っ張ってたんだ。これ以上クラスに迷惑をかけないでくれ」

「はあ? いつどこであたしが迷惑かけたっていうわけ? マジムカつくんですけど」

 男女のいがみ合う光景は先の試験でもよく見た光景だ。オレも博士はかせも無言でやり過ごす。

「二人とも落ち着け。まず幸村の心配はゆうだ。今はまだ試験は開始されていないため影響はない。それに今回の試験は、そういった態度での採点はそもそも行う予定はない」

「ほーら。これでわかったでしょ」

 どうだと言わんばかりに軽井沢は得意げに幸村を見下ろした。悔しそうににらみ付ける幸村。声を荒らげるわけにもいかないと堪えているのか。

「ただし軽井沢。いつまでも教師への態度を改めない場合には調ちようしよとして記録を残すことになるかも知れない。そうなればよろしくないことくらいはわかるだろう?」

「う───」

 今度は幸村が声を出さずに鼻を鳴らし、軽井沢を小ばかにする。小学生同士の取っ組み合いに似た争いにしま先生は頭痛がしたのか軽く額に指をやった。

「いいか、君たちがグループを組むことは確定事項だ。好き勝手に変えられるものではない。こんなところで仲たがいしているようでは試験で結果を残すのは難しいだろう」

「もー! 最悪じゃん! 3人とも苦手だし! 平田くんがよかったのに!」

「ふふっ。3人寄ればもんじゆの知恵ともいいますし、3人集まれば平田殿にもなれるかもしれませんですしおすし」

「はあ? きも。あんたらが100人200人集まったって、平田くんの髪の毛一本分にもならないんですけど」

 バカにするのは別に構わないが、本人を目の前にしてはっきりと言われると悲しいものがある。軽井沢は女子同士で集まるとき以外は、四六時中平田にべったりくっついているからな。確かに代役は務まらないだろうけど……。

「はあ……とりあえず後で平田くんに報告しとこ……」

 嫌そうにため息をついて、軽井沢はオレたちをいちべつして目をらした。

 相手にするだけ面倒だと思ったんだろうが、それは幸村にしても同じだろう。

「そろそろ満足したか? 説明を続けさせてもらうぞ」

「はいはい。グループを分けるのはわかりましたけど、なんでその説明を受けるのがあたしたち4人なんですか。そのグループが集まった時にすればいいだけだと思うんですけど。いんぼうとか嫌がらせとかそんなんならマジやめてほしいんですけどー」

 早口かつ無感情に、せめてものいやのつもりかかるざわがまくし立てる。

「どうやら少数で集められたことが気になって仕方ないようだな。ならばその疑問に答えてやろう。いんぼう論も嫌がらせもない単純な話だ。グループは1つのクラスで構成されることはなく、各クラスから3人から5人ほどを集めて作られるものになるためだ。事前に説明していなければ混乱を来たす恐れがあるからな」

 やはりそれが、少数でに集められた理由だったか。

 まだ3人とも話の意味が理解できず少しの間しま先生の話を思い返すように沈黙した。

 もちろんオレにとってもすぐに消化できるような話じゃない。

 部屋に備え付けられた時計の秒針の動く音がまた大きく聞こえだす。

「ちょ、ちょっと待ってよ。なにそれ、ますます意味わかんないんですけど。他のクラスとグループ組むって、めちゃくちゃじゃない。敵同士じゃないわけ?」

「そうです先生。俺たちは今までそうやって他クラスと競ってきたんです。ここに来ていきなり他クラスとグループを組むというのは理解に苦しみます」

 軽井沢たちの言いたい事もわからなくはないが、ルールは学校側が決めるもの。

「今まで競ってきた? おまえたちの学校生活は始まったばかりだ。この段階で右往左往しているようでは先が思いやられるぞゆきむら

「う……し、失礼しました」

「今考えるべきは理解することではなく考えることだ。君たちの配属されるグループは『』。ここにそのメンバーのリストがある。これは退室時に返却させるので必要性を感じるのであればこの場で覚えておくように」

 渡されたハガキサイズの紙。そこにはグループ名と合計14名の名前が記載されていて、真嶋先生の言葉通りオレたち4人を除いた生徒はすべてA~Cクラスで構成されていた。

 卯とは聞かされたものの、グループ名には括弧で同じ意味合いを持つ『うさぎ』とも書かれてある。ここは読みやすい方で使い分けた方が良いだろう。


 Aクラス・たけもとしげる まちこう もりしげたくろう

 Bクラス・いちなみ はまぐちてつ べつりよう

 Cクラス・ぶきみお なべ やぶ やました

 Dクラス・あやの小路こうじきよたか 軽井沢けい そとむらひで 幸村てるひこ


 中にはオレが知っている生徒の名前もある。Bクラスの一之瀬。Cクラスの伊吹だ。

 どうやらこの二人はオレと同じグループらしい。

 今の段階ではどんな試験になるのかの想像はつかない。軽井沢や幸村がねんするように、他クラスと組まされる状況で競い合うことなど出来るのだろうか。

 隣に座るかるざわの様子を横目にうかがうと、少し戸惑ったような雰囲気を見せていた。

 ぶきと同じグループになってしまったのは、数奇な運命としか言いようがない。

「安心しろ。疑問に思っていることは今から説明する。恐らくそれで理解できるだろう」

 恐らく、と付け加えたのは、これまでの軽井沢の発言を聞いていれば仕方のないことだ。しま先生はこの不可解な組み合わせグループの理由を話し出す。

「今回の試験では、大前提としてAクラスからDクラスまでの関係性を一度無視しろ。そうすることが試験をクリアするための近道であると言っておく」

「関係性を無視する……ってなに?」

「頼むから黙って聞いてくれ軽井沢。集中して試験の内容が聞けないじゃないか」

 都度都度口を挟む軽井沢に、ゆきむらが勘弁してくれといきく。

「今から君たちはDクラスとしてではなく、うさぎグループとして行動をすることになる。そして試験の合否の結果はグループ毎に設定されている」

 ……少しずつ理解できるようになってくるが、まだぜんぼうは見えてこない。

「特別試験の各グループにおける結果は4通りしか存在しない。例外は存在せず必ず4つのどれかの結果になるよう作られている。分かりやすく理解してもらうために結果を記したプリントも用意してある。ただし、このプリントに関しても、持ち出しや撮影などは禁止されている。この場でしっかりと確認しておくように」

 4人分用意されていた紙の端はヨレて少しくしゃくしゃになっている。

 恐らくオレたちの前に呼ばれた生徒たちが目を通したんだろう。

 書かれてある基本ルールは以下の通りだった。


『夏季グループ別特別試験説明』

 本試験では各グループに割り当てられた『優待者』を基点とした課題となる。さだめられた方法で学校に解答することで、4つの結果のうち1つを必ず得ることになる。


 ○試験開始当日午前8時に一斉メールを送る。『優待者』に選ばれた者には同時にその事実を伝える。

 ○試験の日程は明日から4日後の午後9時まで(1日の完全自由日を挟む)。

 ○1日に2度、グループだけで所定の時間とに集まり1時間の話し合いを行うこと。

 ○話し合いの内容はグループの自主性に全てを委ねるものとする。

 ○試験の解答は試験終了後、午後9時30分~午後10時までの間のみ優待者が誰であったかの答えを受け付ける。なお、解答は1人1回までとする。

 ○解答は自分の携帯電話を使って所定のアドレスに送信することでのみ受け付ける。

 ◯『優待者』にはメールにて答えを送る権利が無い。

 ○自身が配属されたグループ以外への解答は全て無効とする。

 ○試験結果の詳細は最終日の午後11時に全生徒にメールにて伝える。


 これが基本的なルールとして目立つように書かれてあった。更に細かく、ルールの説明や禁止事項などについても記載されている。無人島の試験よりもさだめられている項目や細かな注意書きが多い。

 そして、ここからがその4つの定められた『結果』というやつだ。


 ◯結果1・グループ内で優待者及び優待者の所属するクラスメイトを除く全員の解答が正解していた場合、グループ全員にプライベートポイントを支給する。(優待者の所属するクラスメイトもそれぞれ同様のポイントを得る)

 ◯結果2・優待者及び所属するクラスメイトを除く全員の答えで、一人でも未解答や不正解があった場合、優待者には50万プライベートポイントを支給する。


 実に一癖も二癖もありそうなルールだな……。何より内容説明を受けていないため、試験の仕組みがまだはっきりしない。博士はかせかるざわは分かりやすく何度も首をひねっている。

 それを見ていたしま先生は変わらぬ口調で補足説明を始めた。

「この試験でのきもは1つだ。それを理解すれば何のことはない。その肝とは『優待者』の存在だ。グループには必ず優待者が1人だけ存在する。そしてその優待者の名前が試験の答えでもある。簡単な話だ。例えばゆきむら、君が優待者として選ばれたとしよう。うさぎグループの答えは『幸村』となる。後はその答えをグループ全員で共有するだけ。そして試験3日目の最終日午後9時に試験が終わった後、午後9時30分から午後10時の間にだけ解答を受け付けるため、グループ全員が『幸村』と記載して学校にメールを送ればいい。それでグループの合格、結果1が確定し全員がほうしゆう50万ポイントを受け取るという仕組みだ。更に優待者には結果1に導いた褒賞として倍の100万ポイントを支給する」

「ひゃ、ひゃくまん!? すごっ……」

「全員が50万ポイントももらえるのか……。しかも優待者なら倍……」

 これはどのクラスの誰であっても欲しいと思える凶悪な額の報酬だ。優待者はその倍の報酬を受け取るため、学年でも資産家として、一気にトップに躍り出るだろう。

「そして結果2だが……これは優待者だと学校から知らされた者が、そのことを誰にも教えない、あるいは嘘の優待者へと誘導するなどして、試験終了時まで正体を悟られなかった場合だ。文面に書かれてある通り優待者にのみポイントが与えられる。その額は50万ポイントだ」

 これは試験として成立しているのか? 結果1でも結果2でも、大げさに言えばそれほど違いはない。何故ならどちらにせよ優待者のクラスは大金を手に入れる。他クラスにポイントを与えたくない理由以外では結果2を選ぶメリットがないのだ。

「この優待者の役目ってうらやましいっていうかずるいんだけど! こんなの選ばれなかったら損じゃん! どっちにしたってポイントがもらえるし! しかも一つは100万も!」

 かるざわは自分が優待者に選ばれたくてたまらないようだ。

 それは当然の反応だな。優待者というだけあって最初の時点であつかいが特別だ。

 いや、あまりに優待者が得すぎる。有利だからこその『優待者』か?

 しかし結果は2ではなく4つ。明かされていない残り2つにこそカラクリがあるはずだ。

「先生3つめと4つめの結果とは? その条件がわからないんですが」

「説明した2つの結果は理解したか? これが分かっていなければ次に進めないのでな」

「ええ、大丈夫です……教えてください」

 一呼吸置いたしま先生はこう口を開いた。

「残りの結果に関してはプリントの裏に書かれてある。が、まだめくるのは待つように」

 思わずプリントをひっくり返そうとしたオレたちの手が止まる。

 少しずつルールを把握していくオレたちを、真嶋先生が鋭い目で見つめる。既にこの段階から試験は始まっていると言わんばかりの様子だった。

「あーちょっと待って。あたしついていけてない」

 シンプルな説明だったが、話半分にしか聞いていない軽井沢には理解が及んでいない。

 テストでの成績そのものはどういけたち並に悪いってことはないんだけどな。

 真剣に取り組むつもりがないからか、理解が異常に悪いのだ。

「もう少しくだいて説明してやろう。君はじんろうゲームをやったことはあるか?」

「じんろうげーむ? 一時期ったよね、あるある、やったことある。面白いのよね」

 オレは初めて耳にする名称に、わずかながら困惑を隠しきれなかった。

「ちょっとあやの小路こうじくん、もしかして人狼ゲーム知らないわけ? 信じらんない」

 そういわれても、聞いたことがないのだから仕方がない。そもそも『ゲーム』と名がつく以上独りで遊ぶものと言うより複数で楽しむものだろう。縁遠いな……。

 軽井沢もそれを察したのか、哀れむような目を向けてきた。

「なんていうか、友達がいないって悲しいよね」

 得意げに腕を組んだ軽井沢が、ここぞとばかりに人狼ゲームの説明を始めた。

「友達同士で集まって、村人と狼に分かれるわけ。それで生き残った方が勝ちってゲームなわけ。わかった?」


 いや、さっぱりわからない!


 それで理解出来たらオレは神か仏かも知れない。あるいはそれ以上の存在だ。

 見かねたしま先生が、少し気が重そうに詳細を説明し始めた。まとめるとこうだ。

 元々じんろうゲームと呼ばれるものは、アメリカのゲームメーカーが作ったパーティーゲームらしい。プレイヤーの人数には原則制限がなく、最低人数いれば成立する。人数に応じた『村人』『狼』などの役割があり、プレイヤーはそのいずれかの役を演じる。その他にも様々な役職が存在するようだが、大切なのは『村人』が生き残るか『狼』が生き残るかだ。狼は基本的に人にふんして、村人をよそおっている。ゲームには2つの時間が存在し、昼には狼の扮した村人を含む全員で話し合いを行い、狼と思われる容疑者を処刑する。夜になると、今度は狼が村人を一人捕食できる。それを繰り返し人数を減らしていく。そして最終的に決着がつく人数にまでなった時、勝敗が決することになる。かみ砕くとそういうゲームだ。

 しかし何故人狼ゲームに例える必要があったのか。今与えられているルールで考えるなら狼も人も協力し合って結果1を目指せばいい。つまりこの試験の内容は人対狼とも取れる何かが隠されているということじゃないだろうか。

「グループの中には1人だけ優待者が存在すると説明したが、いち早く優待者を暴き出すことで第3、第4の結果が新たに現れる」

「それが……プリントの裏に書いてあるわけ? めくってもいいの?」

 かるざわの問いかけに真嶋先生はうなずく。オレたちは一斉にプリントをひっくり返した。

 そこに書かれていた残りの2つはこうだ。


 以下の2つの結果に関してのみ、試験中24時間いつでも解答を受け付けるものとする。また試験終了後30分間も同じく解答を受け付けるが、どちらの時間帯でも間違えばペナルティが発生する。


 ◯結果3・優待者以外の者が、試験終了を待たず答えを学校に告げ正解していた場合。答えた生徒の所属クラスはクラスポイントを50ポイント得ると同時に、正解者にプライベートポイントを50万ポイント支給する。また優待者を見抜かれたクラスは逆にマイナス50クラスポイントのペナルティを受ける。及びこの時点でグループの試験は終了となる。なお優待者と同じクラスメイトが正解した場合、答えを無効とし試験は続行となる。

 ◯結果4・優待者以外の者が、試験終了を待たず答えを学校に告げ不正解だった場合。答えを間違えた生徒が所属するクラスはクラスポイントを50ポイント失うペナルティを受け、優待者はプライベートポイントを50万ポイント得ると同時に優待者の所属クラスはクラスポイントを50ポイント得る。答えを間違えた時点でグループの試験は終了となる。なお優待者と同じクラスメイトが不正解した場合、答えを無効とし受け付けない。


 残った2つの結果で、試験のぜんぼうが明らかになった。

 結果1と2だけならば、優待者は全員と答えを共有しようが個人で黙っていようが自由だった。解答を間違えたとしてもペナルティは存在しない。

 しかしここに『裏切り者』がルールで追加されることで試験の内容は一気にひようへんした。

 かつに自分が優待者だとバレれば、たちまち裏切り者に捕食されてしまう。試験中は24時間答えを受け付ける以上、誰もバカ正直に結果1をねらったり待ったりはしない。我先にと、ポイントのために行動するだろう。

 そして優待者は、自らの勝ちと他クラスをおとしいれるため、別の人間を優待者に見せかけるかくさくをすることも考えられる。報酬額は減るが、他クラスにペナルティを与えることが出来るからだ。

「今回学校側はとくめい性についても考慮している。試験終了時には各グループの結果とクラス単位でのポイント増減のみ発表する。つまり優待者や解答者の名前は公表しない。また、望めばポイントを振り込んだ仮IDを一時的に発行することや分割して受け取ることも可能だ。本人さえ黙っていれば試験後に発覚する恐れはない。もちろん隠す必要がなければ堂々とポイントを受け取っても構わん」

 至れり尽くせりのはいりよだが、この試験、とにかく優待者を見つけるのは非常に至難だといえる。自分だけが大金を得るためにクラスメイトにも『優待者』である事実を話さない可能性もあれば、答えを共有してうその話を並べ立てることもできてしまう。本当はゆきむらが優待者なのに、博士はかせかるざわが優待者だと誘導したり、オレが別クラスの生徒が優待者だと誤解させることも可能だ。そして、クラス内に優待者がいるかどうかで、試験の難易度が劇的に変わってしまう。過酷な探り合い、ダマしあいが求められるってことだ。

「3つ目、4つ目の結果は他の2つとは異なるものだ。よって裏面に記載した。以上を踏まえた上で今回の試験の説明は完了する」

「えーっと、えーっと……分かるような、分からないような」

「フフ、小生も少し混乱しているでござる」

「理解力のないやつらだ。後で俺が説明するからこれ以上しま先生をわずらわせるな」

 幸村は内申点をかせぎたいのか、そう言って軽井沢たちにくぎを刺した。

 確かにじんろうゲームの説明に近いのかも知れないが、一概にそうとも言い切れない。狼が有利なのは事実だが村人にも対象を射殺する生殺与奪の権利が与えられている。しかも扱いを誤れば村人同士での殺し合いにも発展しかねない。

 改めてルールを頭の中でくだいてみる。

 まず、試験の期間は休みの一日を除く3日間と、無人島の試験に比べれば短期間。

 学校側は一年生全てを一定人数に割り振りながらの数、12のグループを作り上げた。そして、その1つ1つのグループは全クラスが入り混じった混合ではあるが、仲間として機能する。グループによって人数は多少違うが、おおむね14人前後で編成されている。そして各グループの中には一人だけ『優待者』と呼ばれる役割を持った生徒が存在する。その優待者は最初から『自分が優待者であること、そして自身が答え』であることを聞かされている。すなわち、試験に不参加であっても勝ちが約束されている。

 そのため残りの生徒は優待者を見つけ出さなければ正解できない仕組みになっている。

 もちろん的を絞った上で当てずっぽうに行くことも可能だが、外した際のデメリットは中々に大きい。この点は前回の無人島と同じ重さのペナルティだ。

 具体的な試験のクリア方法を簡潔にまとめると


 ・グループ全体で優待者を共有してクリアする

 ・最後の解答を誰かが間違え優待者が勝利する

 ・裏切り者が優待者を見つけだす

 ・裏切り者が優待者の判断を誤る


 の4つ。問題なのはここからで、4つの結果全てにほうしゆうの違いがある。

『グループ全体で優待者を共有してクリアする』には、大前提として試験終了時刻と裏切り者だけに許された時間が過ぎるのを待った上、対象者全員が正解を答えなければならない。優待者が100万、その他全員が50万ポイントを得る破格の報酬だが、難易度は極めて高い。グループ内で各クラスの人数が多少違うことからも優位性を見いだせる場合はあるが、確実な答えを知れば誰だって裏切る可能性が高い。裏切られる前に裏切り、報酬を得たいと考えるだろう。それ故に成立が難しいと考えられる。

 次に『最後の解答を誰かが間違え優待者が勝利する』とは、グループ内で優待者を探りあったものの、その正体をつかみ損ねた場合。これは十分に結果として起こりうるものになるだろう。多くの生徒はリスクを負うことを嫌うため、確信がなければ裏切り者にはなれない。それに全員で答えを合わせることも困難だし、優待者はその身を隠すのが簡単だからだ。黙ってさえいれば正体が知られることはないだろう。その上、報酬としては50万ものプライベートポイントが支給される。優待者になることが幸せへの切符なのは間違いない。ただ、目には見えないデメリットも存在する。試験の形式上、グループ内では多くの話し合いや探り合いが持たれるだろう。その場で自分が優待者ではないとうそをつかなければならないことは、とくめい性がかんぺきでもそれは心がけ次第。場合によっては自分のクラスや他クラスからうらまれる可能性もある。

 3つ目が『裏切り者が優待者を見つけだす』こと。何らかの方法で『優待者』の正体を知った生徒が試験終了時刻を待たず、もしくは試験終了から午後9時30分までの間に学校側へとメールを送り正解する方法だ。この結果のすごいところは、試験開始直後にも試験を終わらせることが出来る上、裏切り者はクラスのゆうれつを決めるクラスポイントを50もらうことが出来る。付け加えて個人ほうしゆうとして50万ものプライベートポイントを得る。つまり他クラスをあざむき自分たちの仲間にこうけんすることが出来るということだ。誰もが理想とする結果の1つだろう。

 それが『裏切り者が優待者の判断を誤る』という、一番デメリットの高いもの。

 もしも優待者の判断を誤ってしまえば最後、解答者のクラスがマイナス50ポイントの罰則を受けた上で、優待者のクラスにクラスポイントとプライベートポイントを与えてしまう。一番避けたい結果でもある。

 この試験、シンキング……考える力が求められるというが、実際その通りだ。それも、無人島の時とは比べ物にならない危険さをはらんでいる。12のグループがあるということは、12回分の結果がある。最悪今回の試験の結果次第では、ばんかい不可能な巨大なポイント差が生じる可能性がある。その逆に一発でAクラスとDクラスがひっくり返ることも……。もちろん早々そんなことにはならないだろうが、可能性があるだけでも凄いことだ。

 だからこそ、学校がさだめるルールも無人島試験よりも厳しい。

「禁止事項などは細かに書かれてあるだろう。しっかり目を通しておくように」

 禁止事項には、例えば他人の携帯を盗んだり、おどすなどのきようはく行為で優待者に関する情報を確認することや、勝手に他人の携帯を使って答えをメールするなどの行為は『退学』という最大のしよばつが待っている。これは前回の無人島試験でもなかったものだ。

 しかも怪しい行為が発覚した場合、徹底した調査が行われると明言されているため、流石さすがに誰もルール違反はしないだろう。もちろん脅されたとウソをついたケースも同様に退学の可能性が明示されている。裏で全データを監視されていると見た方がいいだろう。

 他にも最終試験終了後は直ちに解散し、一定時間他クラスの生徒同士での話し合いを禁じていることも書かれてあった。これもやぶれば退学の重罪だ。

 無人島試験と似通った禁止事項の為かすんなりと内容が頭に入ってくる。

「君たちは明日から、午後1時、午後8時に指示されたに向かえ。当日は部屋の前にそれぞれグループ名の書かれたプレートがかけられている。初顔合わせの際には室内で必ず自己紹介を行うように。室内に入ってから試験時間内の退室は基本的に認められていない。トイレ等は済ませていくように。万が一我慢できなかったり体調不良の場合にはすぐに担任に連絡し申し出るようにしろ」

「部屋を出ちゃいけないって、いつまでそこにいればいいのよ?」

「説明に書いてあっただろう。毎回1時間。初回の自己紹介以外にあまった時間は好きに使えばいい。1時間が経過したら、部屋に残って話を続けるのも退室するのも自由だ」

 行動や話の内容は全て生徒に一任するということか。

「面倒臭いけど何となく理解できた。はー、もっと楽しい試験が良かったな」

「それからグループ内の優待者は学校側が公平性を期し、厳正に調整している。優待者に選ばれた、もしくは選ばれなかったに拘らず変更の要望などは一切受け付けない。また、学校から送られてくるメールのコピー、削除、転送、改変などの行為は一切禁止とする。この点をしっかりと認識しておくように」

 それは禁止事項の中にも事細かに書かれてあった。要は学校から送られてきたメールをいじってきよに悪用するのは認められていないってことだ。裏を返せばこのメールは100%の真実証明。情報を共有する場合などに見せれば確実な信頼を得ることが出来る。

「…………」

「おいあやの小路こうじ。終始無言だけどちゃんと理解できたのか?」

 左側のゆきむらから心配するような怒るような、あいまいな声をかけられる。

「何となくは……。分からないところは後で教えてくれ」

「全く、どうして俺のグループはこんなにポンコツだらけなんだ……」

 解散が命じられ、オレたちは同時に退室を命じられる。隣からのけん感を含んだ気配が心をチクチク刺したが気づかないフリをした。

「不本意だが、同じグループになった以上まずは結束を深めることが必要不可欠だ。明日の優待者発表次第だがこれからもう少し4人で話し合いをした───」

 廊下に出ると先生を抜きにした話し合いを提案する幸村。そんな未来を見据えた言葉などどこ吹く風のかるざわは、携帯を手に取り背を向けて歩き出す。

「おっ、おい軽井沢。俺の話を聞いていたのか!?」

 全く気にもとめず通話を始める。鋼の精神というか、意に介さないというか。

「あ、もしもしひらくん? ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけどー」

 平田に不平不満を話すつもりだろう。スイスイ歩いていき姿を消してしまう。

「全く、どうして俺のグループはこんなにポンコツだらけなんだ……」

「そのセリフ、さっきも一語一句たがわず言ったでござるよ? デュフッ」

 楽しかったクルージングの旅は終わりを向かえ、第二ラウンドが始まることになったか。

 予想できていたこととはいえ、急な事態にため息を隠せないまま、オレは自分のへと戻ることにした。

「面倒なことになったでござるねえ。あのようなビッチと組まされることになるとは」

 軽井沢の姿が見えなくなった途端、博士はかせが毒を吐いた。普段から2次元の世界に行きたいとか、嫁は2次元こそかんぺきとか言ってるからな。リアル女子高生の軽井沢に拒絶反応が出るのはわからなくもない。

「俺としても、正直嫌だな。どう考えても足を引っ張る」

「ござるよねえ。許しがたしビッチ。ビッチオブビッチでござろうよ」

 ゆきむらの言葉に同意なのか、ふんふんと鼻を鳴らし、ぽっこりとでた腹をでながら言う。

「もしかしたら朝、俺たちの中の誰かが優待者に選ばれた通知も来るかも知れない。俺たちの誰かに来たとしても不用意に教え合うのはよそう。どこで誰に聞かれているかわかったものじゃない。しっかりと安全な場所で報告しあおう」

 その案には賛成だ。広い船内とはいえ思わぬところに耳があることだって考えられる。

かるざわはいなくなったが明日の試験に向けて話し合いもしたい。俺たち3人で話し合うだけでも意味があると思う。もう少し付き合ってくれ」

「申し訳ないでござるが、その期待には添えないでござるよ。拙者はこれからラブラブアライブのアニメを見なければならないので失礼するでござる。ではこれにて。ドロンッ」

 忍者のように消え……るわけでもなくのそのそと歩いて博士はかせも去っていった。残ったオレを見た幸村は、諦めたようにため息をついて首を左右に振った。お呼びじゃないらしい。

 さて、話し合いはなくなったようだしオレもほりきたに報告しておくか。うさぎグループと同じ内容が告げられるのかどうかは知っておきたい。詳細をチャットで送っておく。

 あとは堀北からの報告を待って作戦を立てることにしよう。


    4


 に戻ったオレはひと時のみんむさぼっていた。まどろみの中、物音に気づいたオレは横になっていたベッドから体を起こした。同室である幸村とこうえんの姿はなかった。

「ごめん、起こしちゃった?」

 そばで荷物を整理していたひらが、少し申し訳なさそうに顔を上げた。

 部屋を出る準備をしていたのか、制服に身を包んでいる。

「別に深く寝てたわけじゃないから気にしないでくれ。のどかわいたし丁度いい」

 口にはしなかったが、間もなく鳴りそうになっていたアラームを先に解除する。どちらにせよ堀北の様子を見に行こうと思ったので問題はない。

「一緒に出ようか? 今日学校からメールが届いたと思うけど、もうすぐ時間なんだ」

 時刻は20時30分前。偶然か必然か、堀北が呼び出されたのと同じ時刻だった。

 特に断る理由もないので、オレはジャージ姿のまましようだくし二人で廊下へ出た。

「変わった試験が始まるみたいだね。やっぱり、って感じだけど」

 先に説明を受けた生徒から話を聞かされたのか、既に内容を理解しているようだ。

「幸村くんだよ。さっき食事中に話してくれたんだ。兎グループのこともね。それにみんな続々と試験の説明を受けているみたいで、何人かに相談されていたんだ」

 幸村も平田をあまり好きじゃないはずだが、勝つための確率を少しでも上げるためだろうか。あらかじめ試験の内容まで理解していれば説明を受けた時にヒントも得やすい。平田の話を聞くことでゆきむらも気づくことがあるかも知れないしな。

 当たり前のことだが、意外となかなか難しい行動だ。

 自分より優秀で人望がある相手に対して素直に協力を求める姿勢は見習いたいところだ。

あやの小路こうじくんなりに気づいたことはなかったかな。良かったら教えて欲しい」

「どうだろうな。オレはほりきたひら、幸村みたいにアレコレ考えながら試験を受けてるわけじゃないし頭がいいわけでもないからな……特にないぞ」

 浮かぶものはなかったと首をかしげて答えた。平田もそれ以上聞いてくることはない。

「僕が気になるのはどうして説明がバラバラなんだろう……ってことかな。混合グループでの混乱やトラブルを避けるためなのは一つの理由だと思うけど、効率を考えるなら一通りの説明を行った後、個別にグループを発表した方が手間もないと思うんだ」

「平田に言われて確かにそう思った。全員同時に概要の説明だけして、グループ分けだけ後で通知するなりしたほうが効率がよさそうだもんな」

 平田の疑問は正しい。明らかに効率の悪い方法を学校側はとっている。気まぐれや思いつきでないのなら、個別に分けて招集する理由を考えてみたほうがいいのかも知れない。

 説明の段階から『シンキング』が問われていることだって十分にあり得るのだ。

「それも踏まえてこの後先生に聞いてみるつもりだよ」

 果たしてく歯車はかみ合うだろうか。普段Dクラスのためにほんそうする平田が、別のクラスと組まされるルールをどう考えどう行動するのかは想像がつかない。


    5


 説明会の設けられている場所は自室の1つ下の2階のため、エレベーターを使わず階段で降りてきた。先ほど自分が下りてきた時に比べるとずいぶんと多くの生徒が見受けられた。中には壁にもたれている生徒。携帯を触りながら座り込む生徒など、今から説明を受けるとは思えない者の姿もあった。

「全員僕と同じグループ……ではなさそうだよね」

 ざっと見えるだけでも10人近くいる。時間的に考えれば20時40分組の何割かはの中に入っていてもおかしくなさそうだ。ということは何か別の目的があるのか。誰がどのグループに属するかをチェックするとか? しかし、そんな手間暇をかける必要性はない。あとでクラスメイトと意見交換をすればすぐに全グループの詳細な情報は手に入る。

 すれ違うオレたちに視線を向け、彼らはすぐに携帯を操作し何か打ち込んでいるようだった。悲しいことに、オレには他クラスの生徒に関する情報がほとんどない。出会う人間のほとんどに面識がなく、覚えようともしていなかったため何クラスかもわからない。

「今すれ違ったのは?」

「Aクラスのもりみやくん。それにエレベーター近くにいるのはCクラスのときとうくんだね」

 顔が広い男はさすがの一言だ。別のクラスの生徒の顔と名前をしっかり覚えている。

 夕方オレが降りてきた時には人の数はまばらだったんだがな。

 それとも、人気店の予約待ちのように早くから待っていないと気がすまない連中か。

 そうであってくれれば楽なのにと思いつつ足を進める。

 ひらと目的の場所まで一緒に来ると、数人の男女が扉近くに集まっていた。平田と同じ時刻に集合連絡を受けている見覚えのあるクラスメイトの姿もあった。集合時間まで少し余裕があったこともあり、オレたちは騒ぎ立てることなくその一行に近づいていった。

「もし俺の勘違いでなければ、20時40分組なんじゃないか?」

 最初に聞こえてきたのは、やや低い重めの声。Aクラスの生徒であるかつらの声だった。高校一年生とは思えないほど落ち着いた性格、かつ冷静な人物で体格も良い。初めて出会う人間は大学生と見間違えるかも知れない。能力も高く、最も優秀なAクラスの中でも、彼をリーダーとしてしたう者も多い。

「そうだとしたら……あなたに何か関係があるのかしら?」

 そんな人物と向き合い、一歩もひるむことなく答えた長い黒髪の少女。

「やはりな。君とは一度改めて話したいと思っていたところで朗報だな。俺も20時40分組だ。明日からは同じグループとして協力し合うことになる」

 葛城が目を向けていた少女の正体はほりきたすずだった。

 平田は堀北だけじゃなく、どうやら葛城とも同じグループで確定のようだ。

「話をしたかった? おかしな話ね。先日会った時は眼中になかったみたいだけれど?」

 堀北と葛城は無人島の試験中一度だけたいした。だがその時、葛城は堀北に興味を示すことなく、満足に話そうともしなかった。それが一転、今は葛城から声をかけるようになったってことか。

 集まっているメンバーは、葛城と同じAクラスと思われる男女3人と、やや距離を取りつつも話に耳を傾けるBかCのどちらかのクラスに属する女子2人だ。

「確かに、正直俺は今までDクラスの存在は眼中に入れていなかった。しかし前の試験の驚異的な結果を見れば、注目しないわけにはいかないだろう。何より勝つためのせきを打っていたのが君だと分かればなおさらだ」

 1学期が終わるまでは本人も想像していなかったであろう注目度。葛城にしてみれば、どうくつ前での接触もまた、堀北の戦略の一環であったと感じていることだろう。

 Dクラスでは大きく株を上げ、ここ数日で堀北を慕う女子の姿も増えてきた。残念なことに堀北の方は友情フラグをことごとくへし折っているようだが、今までのように相手側が傷ついたり怒ったりすることも減っている。

 その理由は、堀北は自分勝手なようでクラスのことを考えてくれている、とクラスメイトが誤解するようになったからだ。こうなるとほりきたの拒否も全く違うニュアンスへと変わる。断わられても腹が立ちにくく、むしろちょっと可愛かわいいと思える展開にだってなる。

 逆に他クラスにしてみれば、ただ成績が良いだけの優等生ではなく、相手の裏をかき、結果を残す生徒として危険視、警戒すべき存在へとなっていく。

「もしこれから先いつかは分からないが……DクラスからCクラスに上がってくるようであれば、Aクラスはようしやなく君をたたくだろう」

ずいぶん勝手な物言いね。Aにしてみれば大したことでもないでしょう? A以下のクラスは大きくポイントで差を開けられてしまっているもの」

「確かにな。だが警戒する対象になることは間違いない。ゆうれつが一度ついてしまった位置関係からの逆転は容易ではない。クラスが入れ替わるほどの事態になれば、警戒せざるを得ない。それはBクラスやCクラスも同じだろう」

 まるでDクラスをねらい撃ちすると言わんばかりだ。おどしと認識されても仕方がない。同調するように、かつらの取り巻きがあつ的に堀北をにらみつける。普通の女の子であれば泣き出してしまっても仕方がない状況だが、堀北はわずかたりともされる様子はなかった。

 更に、りつえんと思われた状況を一人の存在が変える。

 ぼうかんしていた女子の顔がパッと華やいだ。オレたちの横を音も立てずに通り過ぎる男。

「他クラスの意向まで、勝手に決めつけるのは感心しないな」

 それはBクラスのかんざきという生徒。男子生徒にしてはやや長髪ながら、軽薄なイメージは全くなく、実直な顔立ちと性格をしている。オレ自身神崎のことを詳しく理解しているわけじゃないが、Bクラスのリーダーであるいちも、神崎には信頼を置いていると思われる。夏休み前に堀北と一度からんだことで、神崎は堀北の頭の回転が速いことには気づいている。堀北をかばうように葛城に注意したのだ。

「無理して葛城に話を合わせる必要はないぞ。状況が状況だ」

 出来る男は、特段仲が良いわけではない堀北に対して紳士的に救済の言葉を述べる。

「心配無用よ。Dクラスが下に見られていた、その話をふつしよくできるなら歓迎するわ」

「なるほど。Dクラスに所属する君からしてみれば、ぞんざいなあつかいをされていたことに納得がいっていなかったようだな。確かに俺のクラスではDクラスをないがしろに扱う者は少なくない。だが、間違いなく無人島の一件ではその見方を少しだけ変えさせた」

 Dクラスを、堀北を認める発言をする葛城だったが、服についたほこりをサッと払う仕草を見せた。

「しかし一度偶然に成功したくらいで、立場が並ぶとは思って欲しくないな」

「……どういう意味かしら」

「誰にでも一度は会心の出来というものはあるものだ。たまたま自らの戦略が一度成功したくらいで調子には乗らないほうが良い。クラスポイントの差が今もれきぜんであることは忘れないでもらいたい」

 試験で結果を残したからといって、それで差を詰めていけるわけではない。

 至極当然のことを改めて口にされる。当然ほりきたもそれは分かっているだろう。

 何より自分の手柄じゃなかった以上、今の段階で堀北に喜びや浮かれといったものは一切ないはずだ。オレの存在を悟らせないため、あえて大きな態度を示してくれている。

 もちろんそれが、自分の利になると感じているからこそだろう。

「私たちはまだ入学して間もない。あなたと私にそれほどの差があるとは思えないわ。学校側が勝手にジャッジしてクラスを振り分けただけ。それを忘れないで」

 堂々とした立ち振る舞いを見ていたかんざきは、余計な口出しだったと思ったことだろう。

ひら、もしかしたら大変なグループに巻き込まれたのかも知れないな」

「そうだね。かつらくんや神崎くんと同じなら苦戦はひつだと思う」

「いやそれだけじゃない」

「え?」

 オレは背後から感じる気配に向け、そう小さくつぶやいた。そいつは自らの気配を強く主張するように床を強く踏みつけながら、神崎が通った場所を過ぎ去る。そして堀北たちのもとへ進んでいく。

「クク。ずいぶんが群れてるじゃねえか。俺も見学させてくれよ」

「……りゆうえんか」

 冷静だった葛城の声色が、少しだけ険しくなった。神崎も表情を引き締める。

「おまえもこの時間に招集されたのか? それとも、偶然ここを歩いているだけか?」

「残念なことに、おまえらと同じ時間のようだな」

 龍園は後ろに3人生徒を従え歩いてきた。

 その様子は葛城と酷似していたが、様子がまるで違う。

 小規模ながらも王様と家来。家来の顔はおびえきっていて静かで従順な動きを見せていた。

「これから見世物でもしてくれんのか? 美女と野獣ってタイトルでどうだよ」

 堀北と葛城を交互に見てケラケラと小さく笑う。挑発に、葛城もまた冷静に切り返す。

「ひとつだけ分かったことがある。この組は学力の高い生徒が集められていると思っていたが、おまえとそのクラスメイトを見る限りそうではないかも知れないな」

「学力だ? くだらねーな。そんなものには何の価値もない」

「それこそ残念な発言だ。学業の出来不出来は将来を左右する最も大切な要素だ。日本が学歴社会と言われていることは知っているはずだが?」

 ふざけた態度に対し、葛城は正論をぶつける。だが龍園が安易に納得するわけもない。

 このバカはこんなこと言ってるがどう思うよ? と仕草で取り巻きに伝え、あきれる龍園。そして機械的に賛同の意を示す手下たち。

「俺はおまえのさを許すつもりはない」

「あ? 非道さ? 一体何のことだよ。身に覚えがねーなあ。具体的に教えてくれよ」

「……まあいい。今回同じグループになったとしたら、ゆっくり話す時間もあるだろう」

 竜虎の対決が、試験の開始を待たずして始まろうとしていた。

「あれひらくん? それにあやの小路こうじくんまで。大勢で集まってどうしたの?」

 距離を置いて大物たちの会話に耳を傾けていると、くしが不思議そうな顔をしてやって来た。まだDクラスでは今回の試験の内容は広まっていないのだろう。この辺りの伝達速度も他のクラスからは一歩も二歩もおとっているようだ。

「もしかして櫛田さんも、20時40分組?」

「うん? 組? よくわからないけど、その時間に来るようにってメールが……って、なんかすごい人たちが集まってるね」

 櫛田はあつに取られながら、集う連中に対して敬意を表した。

「大丈夫か平田。相当厳しい戦いになると思うぞ」

「気にしないことだよ。どんな人たちであれ、僕に出来ることをするだけだし」

 平田はあくまでもポジティブにそう答えた。事情を知らない櫛田だが、こいつは頭がいい。オレたちの断片的な会話と集まったメンバーを見て何となく事態を察する。オレが早い時間に集合を受けていたことからも、既に状況を理解しているんだと感じ取ったようだ。

「えーとつまり、これから色々大変なことが始まっちゃう感じ?」

「ざっくりと言えばそうだな。心の準備はしておいた方がいいぞ」

「あはは。大丈夫だよ。ひらくんが言ったことだけど、私も私で自分に出来ることをするだけだから。うん、かつらくんやりゆうえんくんとはあまりお話したこともなかったし、いつも通りやって仲良くなりたいな」

 くしは訪れる試験に緊張や嫌気、喜びや苦しみを訴えることもなく答えた。

「くだらない話が続くようなら、私は先に失礼させてもらうわ。そろそろ時間だから」

 龍園たちに向かって、冷たい一言を放つとほりきたは髪をなびかせ背を向けた。

 堀北を褒めたい最大の部分は、己を安売りしなかったことだ。精神面で弱い人間は邪魔者あつかいというか、孤立すると、どうしても相手に許しをうたり、頭を下げたりして仲間に入れてもらおうとする傾向が強い。それが即席のグループならなお更。

 しかし、全く焦ることも動じることもなく、いつもの堀北がそこにはいる。

「どうやらオレが気にかけるまでもなさそうだな」

 もちろんあのメンバー相手にどこまでやれるかは不明だが、それでも出鼻をくじかれるようなことにはならないだろう。そう直感した。

「じゃあ頑張ってくれ」

 これからあの連中とやりあう平田に同情の言葉を残し、退散することにした。

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