ようこそ実力至上主義の教室へ 3

〇天国と地獄の境界線

 とこなつの海。広がる青空。澄み切った空気。そよぐ潮風は優しく体を包み込み、真夏の猛暑を感じさせない太平洋のど真ん中。そう、ここはまさにシーパラダイス。

「うおおお! 最高だあああああああああああああああ!!」

 豪華客船のデッキから高らかに両手を挙げ、クラスメイトいけかんの叫び声が響き渡る。

 いつもならどこからかうるさいと文句が飛んできそうなものだが、今日きように限ってはそんな意見が出ることもなく、おのおのが至福のひと時をたんのうしていた。特等席とも言えるデッキのベストポジションからの眺めは格別なものがあった。

すごい眺め! マジ超感動なんだけど!」

 船内から姿を見せたかるざわ率いる女子グループが、満面の笑みを浮かべ大海を指さす。

「ほんと、凄いしきだね……!」

 そのグループに居た女子の一人、くしきようこうこつとしたため息をついて海を見ていた。

 苦難多き中間、期末テストを乗り越え夏休みを迎えたオレたちを待っていたのは、高度育成高等学校が用意していた2週間の豪華旅行。豪華客船によるクルージングの旅だった。

「退学にならなくて良かったよな、けん。こんな旅行普通だったら絶対無理だしさ。期末テストでも最下位で退学寸前だった身としてはどんな気持ち? ねえねえどんな気持ち?」

 クラスメイトのやまうちはるあおられても、どう健は機嫌を悪くするどころか余裕そうに大笑いした。いつぴきおおかみを気取った姿はなく、その姿はすっかりクラスメイトに溶け込んでいる。

「俺様の実力にかかったら余裕だぜ。ギリでクリアするのも主役の見せどころっつの?」

 直前までの苦しみも、どうやらこの旅行がすべて吹き飛ばしてくれたらしい。

 確かに普段の面倒なことや大変なことも、全てこの青い海が洗い流してくれるようだ。

「高校生でこんな豪華旅行が出来るなんて夢にも思ってなかったぜ。それも2週間だぜ2週間。母ちゃんや父ちゃんが聞いたらびびってチビるだろうな」

 須藤の言うように、一般人からすれば規格外の旅行だろう。国が支援しているこの学校では、学費や雑費を払う必要性が全くない。当然この旅行さえも。破格の待遇だ。

 しかもオレたちが乗り込んだ客船は外観はいうに及ばず、施設も非常に充実。一流の有名レストランから演劇が楽しめるシアター、高級スパまで完備されている。

 もし個人で旅行しようと思ったなら、オフシーズンでもウン十万円は必要だろう。

 そんなぜいの限りを尽くした旅行がついに今日から始まった。予定では最初の1週間は無人島に建てられているペンションで夏を満喫し、その後の1週間は客船内での宿泊という流れのはず。午前5時に1年生が一斉にバスへ乗り込み東京湾へと向かうと、生徒を乗せて港からこの客船が出発。朝食をこの客船のラウンジで食べると、生徒たちは各々自由行動となった船舶内で思うがまま行動していたということだ。

 しかもありがたいことに、この船ではどの施設も無料で利用することができる。

 常日頃ポイント不足で悩んでいるオレたちにとっては、渡りに船だった。

 ふとくしがオレの方を向いて何か考え込む表情を見せた。大海と青空をバックにした櫛田はいつもより輝いて見えて、オレの胸が嫌でも高鳴る。まさか、オレのことを───。

「あれ? そう言えばほりきたさんは? 一緒じゃないの?」

 わずかな幻想を抱くことも許されなかった。単に堀北のことを考えていたようだ。

「さあ。オレはあいつのお守りじゃないからな……」

 船内での朝食以降、姿を見た覚えはない。

「旅行を満喫するような人間じゃなさそうだし、にいるんじゃないか?」

「そうかも」

「お昼は、島のプライベートビーチで自由に泳げるんだったよね。楽しみだなあ」

 この学校は、南に小さな島を一つ所有しているようで、今そこに向かっている。

『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まり下さい。間もなく島が見えて参ります。しばらくの間、非常に意義あるしきをご覧頂けるでしょう』

 突如そんな『奇妙』なアナウンスが船で流される。櫛田たちは気にした様子もなく楽しみにしているようだった。続々と生徒が集まりだすと、数分後その島は姿を現した。

 いけが歓喜の声をあげる。地平線の彼方かなた、視界に小さく島のようなものが視認できた。

 生徒たちがそれに気づき、一斉にデッキへと集まり始めた。群集が押し寄せると、それまでベストポジションを取っていたオレたちを押しのける横暴な男子生徒たちが現れた。

「おい邪魔だ、どけよ不良品ども」

 威圧しながら男子の一人が見せしめのごとくオレの肩を突き飛ばした。慌ててデッキの手すりを掴んで転倒を避ける。その様子を見て男子生徒たちがさげすむように笑った。

「テメェ何しやがる!」

 どうが即座に威圧し返し、櫛田は心配した様子でオレの傍に寄ってきた。女の子にフォローされる男子というのは実に情けない格好だろう。

「お前らもこの学校の仕組みは理解してるだろ。ここは実力主義の学校だ。Dクラスに人権なんてない。不良品は不良品らしく大人しくしてろ。こっちはAクラス様なんだよ」

 追い出されるように船首から離れるDクラス。須藤は不満そうだったが、それでもけんに発展せず堪えられたのは少し大人になった証拠か。あるいはDクラスという弱い立場を理解してしまったからなのか。

「やあみんな、ここにいたんだね。……あれ、どうかしたの?」

 集まって来た生徒の一人に、オレに声をかけてきた男子が居た。不穏なものを感じ取った様子だったが、余計な心配はかけまいと聞き流しておいた。その男子の名前はひらようすけ。Dクラスのリーダー。今はオレが所属するグループのリーダーでもある。1学期が終わる最後の日。旅行に向けた宿泊のグループ分けが決められた。オレは比較的仲の良いいけどうたちにお呼ばれされないかと期待していたところあっさりグループは定員オーバー。孤立しかかったところを、救世主ひらマンの登場によって救われることになった。

「なあ平田。おまえかるざわとはどこまで進んでるんだよ」

 軽井沢のそばに寄って行こうとしない平田に、池が話しかける。

せつかくの旅行なんだから、もっとベタベタしてもいいんだぜ?」

 他の女子の目が平田に向くのを嫌がったのか、そんな風にちやす。

「僕らには僕らのペースがあるから。ごめん、三宅みやけくんが困ってるみたいだから行くよ」

 携帯が鳴ったのか、平田は操作しながら船内に戻っていく。忙しいのが人気者の宿命だ。

「何だあいつ。旅行先でもクラスメイトの心配ばっかりかよ」

「でも軽井沢は軽井沢で、最近あんまりベタベタしないよな平田とさ。……もしかして二人が別れたとか? だとしたら最悪だぞ……くしちゃんを巡るライバルが増える!」

 確かに、付き合ってると知った当初のようなベタつきが全くない。でも、けんしたとか険悪になったという感じもしないんだよな。仲よさそうに話す姿は見るから。

「決めたぜはる。俺……この旅行で櫛田ちゃんに告白する!」

「ま、まじかよ。フラれたらすげぇ気まずいじゃん。いいのかよ」

「これは俺の勝手な推理なんだけどさ。櫛田ちゃんはとにかく可愛かわいいだろ? だから男の大半は付き合いたいって思う。でも、レベルが高すぎて逆に告白まで辿たどかないはずだ。だから逆に告白慣れしてないんじゃないかってさ。俺の愛の告白に櫛田ちゃんの心が揺さぶられる可能性はあるはずだ。つか、そこしか希望は無いっ」

「そうか……おまえ、覚悟決めたんだな」

「おうよ!」

 それに対し、いつもならやまうちも燃え上がり対抗するのだが、そんな様子が全くない。

 デッキをキョロキョロと見渡して何かを探している様子だった。

「どうしたんだよ」

「あ、いや。別に……」

 そう言い上の空のように聞き流し、結局山内が櫛田のことに触れることはなかった。

「ねえねえ櫛田ちゃん。ちょっといいかな……」

「んっ? なにかな?」

 近くで海を眺めている櫛田に、早速接近する池。明らかに不審な動きだ。

「そのさ、なんつーか、俺たち出会って4ヶ月くらいつじゃん? だからそろそろ、下の名前で呼んでもいいんじゃないかなって。ほら、みようだと他人行儀だしさ」

「そう言えば、山内くんたちとはいつの間にか名前で呼び合ってるね」

「だ……ダメかな? き、きようちゃんって呼んだら」

 そんな伺いを立てるいけに対し、くしくつたくのない笑みを浮かべた。

「もちろんオッケーだよ。私はかんくんって呼べばいいかな?」

「うおおおおおお!! 桔梗ちゃあああああん!」

 池は映画プラトーンのパッケージをほう彿ふつとさせるポーズで天に向かって叫んだ。

 その姿がおかしかったのか、くすくすと櫛田が笑う。

「下の名前か……そういやほりきたの下の名前って、なんだっけか。なあ?」

 どうはオレが知っていることが当たり前かのように聞いてくる。

とみだ。堀北富子」

「富子か……かわいい名前だな。俺の予想通りだぜ。フィーリングばっちりだな」

「あーいや、間違えた。すずだった」

「てめ、間違うんじゃねえよ。……鈴音か。富子の100倍フィーリング感じるぜ」

 結局堀北の名前が貞子だろうとサムだろうと、勝手にフィーリングを感じることだろう。

「っし、この夏休みの間に俺も下の名前で呼ぶぞ。鈴音、鈴音っ」

 どうやら、男子たちはこのバカンスで女子たちとの距離を詰めていく腹づもりらしい。

 その一方で、オレは男子の誰からも下の名前で呼ばれないし、呼べていない。

「そうだ、なあ試しに練習させてくれよあやの小路こうじ。鈴音って呼ぶ練習をよ」

「練習って何だ、練習って……。普通ないぞそんなもの」

 名前を呼ぶ練習なんて本人を前にしてする以外無理だと思うんだが。単細胞の須藤はオレを仮想堀北に仕立て上げるつもりなのか、真剣なまなしを向けてくる。

 異性と思い込んでいるせいか、その視線がやけに気持ち悪い。心なしか吐息も熱い。

「なあ堀北、ちょっといいか? 少し話があるんだけどよ……」

「オレは堀北じゃない」

 すぐに気持ち悪くなったので否定して顔をらす。

「バカ野郎! 練習だっつの。俺だってやりたかねーよ、けど練習は必要だろ? バスケだって練習しなきゃくなんねーんだから。どっちもシュートが肝心だしな」

 そんな誰ウマ話聞きたくもないんだが……。仕方ないので我慢して付き合う。

「堀北。いつまでも他人行儀って変じゃねえか? 俺らも知り合ってだいぶつしよ。他の連中は結構下の名前で呼び合ってるみたいだし。俺たちもそろそろどうだ?」

「…………」

 思わず須藤の頭をたたきたくなったが、そこは精神的に大人のオレが我慢して耐えた。

「なんか言えよ。練習になんねーだろうが」

「いやいや……何かってなんだよ。オレに何を言えと?」

「堀北が答えそうなことをだよ。付き合いの長いおまえならわかるだろ?」

 4カ月程度の付き合いで、そんなことがわかるはずもない。それでもどうは仮想ほりきたを演じるように言ってきかなかった。半ば脅すようにこぶしを握り込む。

「一歩大人になった俺が堀北の代わりやってやろうか? 遠慮せず練習しろよ」

 代わりにいけが代役を務めるらしい。須藤は若干胡散臭そうにしながらも言う。

「堀北……そろそろ下の名前で呼びたいんだがいいか?」

「えー、須藤くんってあんまりイケメンじゃないしぃ? お金もなさそうっていうかぁ、私のタイプじゃない、みたいな? ってことでゴメンネゴメンネー。ハブバッ!?」

 全く似ていないどころか別人女子高生ギャルを演じた池は、須藤にチョークスリーパーを決められてデッキでもだえ苦しみだした。

 いつも元気だなこいつら。見ているだけで疲れが溜まりそうだ。楽しそうではあるけど。

 しばらくして、周囲がワッと騒がしくなった。

 島がはっきりと肉眼で確認できると、またたく間に距離が詰まって来て、生徒たちの熱気と興奮も高まっていく。そのまま船は島につけられるのかと思ったが、か桟橋をスルーし、ぐるっと島の周りを回り始めた。国から借り受けて管理する島の面積は約0・5㎢、最高標高230m。日本全体から見ればちっぽけな大きさだが、客船に乗り合わせたオレたち百数十名からしてみれば、十分すぎるほど大きな島だった。

 どうやら客船は一周回って島の全体を見せてくれるらしい。

 島を周回する船は速度を変えず、高々と水しぶきを上げながら不自然な高速航行をする。

すごく神秘的な光景だね……! 感動するなぁ。ねえ、あやの小路こうじくんもそう思わない?」

「お、おう。そうだな」

 オレは、そんな無人島に目を輝かせるくしを見て、ちょっと胸を高鳴らせる。

 やっぱり櫛田は可愛かわいいな。子供のような仕草もがおも守ってしまいたくなる存在だ。

『これより、当学校が所有する孤島に上陸いたします。生徒たちは30分後、全員ジャージに着替え、所定のかばんと荷物をしっかりと確認した後、携帯を忘れず持ちデッキに集合してください。それ以外の私物はすべに置いてくるようお願いします。またしばらくお手洗いに行けない可能性がありますので、きちんと済ませておいてください』

 そんなアナウンスが流れた。どうやらプライベートビーチへの上陸が近いらしい。

 池たちは揚々と着替えに戻るようで、オレもグループ部屋に戻るべく足を向けた。

 それから体育の授業なんかでも使うジャージに身を包み、デッキへ戻り船が島につくのを待った。島が眼前に迫るに連れ、1年生のテンションは最高潮だ。

「ではこれより、Aクラスの生徒から順番に降りてもらう。それから島への携帯の持ち込みは禁止だ。担任の先生に各自提出し、下船するように」

 拡声器を持った教師の声で、生徒たちが順番に客船の階段を降りていく。

「あちー。早くしてくれよー。薄着でも汗かいてしょうがないっつーの」

 停泊した船のかんぱんは太陽から隠れるすべがない。不満が出るのも無理はなかった。

 Dクラスが暑さに耐えながら下船待機しているとようやくほりきたも合流してきた。一見いつもと変わらない様子だったが、かすかに変化、違和感のようなものがあった。普段からちようめんな堀北は外見にも気を遣っている。なのに、今は乱れた黒髪がそのままにされていて、まるでそこまで意識が回っていないような様子だった。

 少し寒そうに腕を無意識にさすって島に上陸するのを待っている。

「今まで何してたんだ?」

で本を読んでいただけよ。誰がために鐘は鳴る。知らないでしょうけど」

 おいおい、アーネスト・ヘミングウェーの代表作かよ。文句のない名作なんだよな。

 前々から思っていたが、堀北のヤツ本の趣味は最高だな……。ただ、こんな豪華な旅行にもかかわらず、読書の方が優先なのはちょっとどうかと思うが。

 まあ、今回の場合本当に読書するために部屋に籠っていたのかは怪しいところだ。

 本人が何も言わない以上こちらからせんさくするのはというもの、忘れよう。

「続きが気になっているけれど、私物の持ち込みが禁止されているなら仕方ないわね」

 残念そうにそうつぶやく。これからビーチに降り立つ人間が言うことじゃないぞ。

 下船は思ったよりも時間がかかっていた。それは降りる際生徒の両脇を先生たちが固め、荷物の検査を行っていたことが原因のようだった。

「ねえ。妙に慎重というか警戒してない? 携帯を没収するなんてテストの時にだってやってないことだわ。余計な私物の持ち込みを禁止することだってそうだし」

「確かにな。ただ海で遊ぶだけなら、ここまでする必要はなさそうな気もする」

 そう言えば船尾の方にはヘリが一機置かれてたな。あれも不自然といえば不自然だ。

 まぁ、多少引っかかることは事実だが、考え過ぎかも知れない。

 海に携帯を持っていけば、誰か一人はらして壊したりする生徒が現れてもおかしくない。余計な私物を持ち込んで、そのゴミがビーチを汚してしまうことだってある。

 急病になればヘリの出動もあり得ない話じゃない、か。

 やがてオレたちの番がやって来て、厳重な検査を受けた後タラップを降りる。

 ここが天国と地獄の境目であったことに、この時はまだ気が付いていなかった。


    1


 ダラダラと談笑しながら降りてきたオレたちに、ウチの担任から厳しい言葉が飛ぶ。

「今からDクラスの点呼を行う。名前を呼ばれた者はしっかりと返事をするように」

 同時に整列するよう指示され、ボード片手に全クラス一斉に出席の確認を始めた。

 ちやばしら先生は生徒と同じジャージに身を包んでいて、夏休みというよりは合宿に近い雰囲気があった。それでも多くの生徒に緊張の色は無い。

「あーもう、早く自由時間にしてほしいぜ。目の前に海が広がってるんだからさっ」

 真後ろのいけが面倒臭そうにつぶやく。大半の生徒は砂浜を駆け出したくて仕方がないだろう。程なくして、高身長の教師が前へと出てくると、準備されていた白い壇上に上がる。普段英語を担当しているAクラスの担任、かたぶつで有名なしま先生だった。プロレスラーのような体格で一見体力系だが、かなり頭が良く以前は別教科を教えていたこともあったらしい。

今日きよう、この場所に無事につけたことを、まずはうれしく思う。しかしその一方で1名ではあるが、病欠で参加できなかった者がいることは残念でならない」

「いるんだよなあ、病気で旅行に参加できないやつ。かわいそ」

 先生たちには聞こえない程度に池が小声で言った。でも確かにその通りだ。

 中途半端な旅行ならまだしも、これだけ豪勢なものなら話は別だ。あとで友達に聞いて悔しがるだろう。多少の体調不良であったなら無理してでも参加すればよかったと。

 それにしても、旅行という割に先生たちの表情はとにかく険しい。生徒たちにとっては休みと言えど、監督責任者は仕事としかとらえていないということか?

 いや───どうやらそういうことだけでもないらしい。

 真嶋先生が無言で生徒たちを見つめる中、作業着に身を包んだ大人たちが、少し遠くで特設テントの設置を始めているのが見えた。長机にパソコンなども見える。

 海のさざ波とは合わない都会的な音に、生徒たちも困惑の色を浮かべはじめる。空気が変わることを待っていたかのように、しま先生から冷酷な一言が発せられた。

「ではこれより───本年度最初の特別試験を行いたいと思う」

「え? 特別試験って? どういうこと?」

 その当たり前の疑問は後ろのいけだけでなく、ほぼすべてのクラスで等しく巻き起こった。

 今の今まで、いや、今現在もただの旅行だと思っている生徒たちに襲い掛かる不意打ち。

 学校側の善意による夏休みのバカンス。そんなものはやはり幻想だったってことだ。

 緊張と緩和の差が激しすぎる。

「期間は今から1週間。8月7日の正午に終了となる。君たちはこれからの1週間、この無人島で集団生活を行い過ごすことが試験となる。なお、この特別試験は実在する企業研修を参考にして作られた実践的、かつ現実的なものであることを最初に言っておく」

「無人島で生活って……船じゃなくて、この島で寝泊まりするってことですか?」

 BかCクラス辺りから、当たり前の疑問が真嶋先生にぶつけられる。

「そうだ。試験中の乗船は正当な理由無く認められていない。この島での生活は眠る場所から食事の用意まで、その全てを君たち自身で考える必要がある。スタート時点で、クラスごとにテントを2つ。懐中電灯を2つ。マッチを1箱支給する。それから日焼け止めは制限なく、歯ブラシに関しては各自1つずつ配布することとする。特例として女子の場合に限り生理用品は無制限で許可している。各自担任の先生に願い出るように。以上だ」

 以上ということは、それ以外のものは一切配布されないということか。

「はああ!? もしかしてガチの無人島サバイバルとか、そんな感じ!? そんなちやちやな話聞いたことないっすよ! アニメや漫画じゃないんすから! テント2つじゃ全員寝れないし! そもそも飯とかどうするんですか! あり得ないっす!」

 全員に聞こえるほど大きな声で池が騒ぎ立てた。無人島で自給自足の生活を行う展開。野生の動物を狩り川で体を洗い、木々で寝床を作る。確かに映画や小説ではよく聞く話だ。まさかそれが学校の試験になる日が来ると誰が予想できただろう。

 でも真嶋先生から冗談だと訂正されることはなかった。

 いや、それどころか池の言葉に対して心底あきれているようにも見えた。

「君はあり得ないと言ったが、それは短く浅い人生を送ってきたからに過ぎない。事実、無人島での研修を行っている企業は存在する。それも誰もが知っている大手企業が試みとして行っているものだ」

「う───そ、それは、その、特別なんじゃないですかね。……無人島は飛躍しすぎっていうか。絶対ないっしょ! 非現実っすよ!」

「これ以上はみっともないからやめろ。今真嶋先生が言ったものはほんの一部だ。世の中には様々な企業が存在する。変わった研修だけでなく、オフィスにがない職場であったり、サイコロの出た目で給料を決める会社など。世の中はおまえが知るより広く深い」

 いけの暴走を見かねたのか、ちやばしら先生はたしなめるようにそう言ってこう続けた。

「つまり現実と非現実の区別をつけられていないのは、おまえの方だということだ」

 それでも、多くの生徒たちは納得がいかないのか不満げな様子だった。

「今君たちはこう思っているんだろう。こんな試験にどんな意味があるのか、と。あるいはまだ実在する研修なのかを疑っている者もいるかも知れない。だが、その程度の考えでとどまっている生徒は将来的にも見込みのない人間だ。この話のどこに君たちが『あり得ない』『馬鹿げている』と批判するだけの根拠があるというのだ? 君らはただの学生であり、まだ何者でもない。言ってしまえば無価値に等しい。そんな人間が一流企業のやり方を批判する? おかしな話だ。君たちが一例として挙げた企業よりも格上の会社を経営する社長だったなら、それを否定する権利はあるのかも知れない。だが、そうでない人間に否定できるだけの根拠など存在しないはずだ」

 オレたちは確かに、話の断片だけを聞いてちやだとか非現実だとか勝手に判断している。

 だけどしま先生の言うように、否定できるような根拠は何もない。

 自分の理解出来るはんちゆうを越えたものを『おかしい』『あり得ない』と手前勝手に決めつけているだけなのだ。理解している側の人間からすれば、それをこつけいと呼ぶことだろう。

「しかし先生。今は夏休みのはずです。そして我々は旅行という名目で連れて来られました。企業研修ではこのような騙し討ちのようなはしないと思いますが」

 不服を覚えたらしいどこかのクラスの生徒が、そんな風にたてついた。

「なるほど。その点に関しては間違った認識ではない。不平不満が出るのも納得だ」

 池とは違い、正論で反論した生徒に対して真嶋先生は一部認めるような発言をした。現状に不満を漏らす生徒と、ここに至るまでの過程に不服を覚えた生徒では着眼点が違う。

「だが安心していい。これが過酷な生活を強いるものであったなら批判が出るのも無理のない話だが、特別試験と言ってもそれほど深く考える必要はない。今からの1週間、君たちは海で泳ぐのもバーベキューをするのもいいだろう。時にはキャンプファイヤーでもして友人同士語り合うのも悪くない。この特別試験のテーマは『自由』だ」

「え? え? 自由がテーマってことは……? バーベキューも出来るって……んんんっ? それって試験って言えんの? 頭混乱してきた……」

 試験なのに遊ぶのは自由。相反するモノが混在し生徒は疑問点ばかりが増えていく。

「この無人島における特別試験では大前提として、まず各クラスに試験専用のポイントを300支給することが決まっている。このポイントをく使うことで1週間の特別試験を旅行のように楽しむことが可能だ。そのためのマニュアルも用意している」

 真嶋先生は別の教師から数十ページほどの厚みを持った冊子を受け取った。

「このマニュアルには、ポイントで入手できるモノのリストがすべて載っている。生活で必需品と言える飲料水や食料は言うに及ばず、バーベキューがしたければ、その機材や食材も用意しよう。海を満喫するための遊び道具も無数に取りそろえている」

 段々と生徒たちの険しかった表情が穏やかなものに変わっていく。

「つまり───その300ポイントで欲しいものが何でももらえるってことですか?」

「そうだ。あらゆるものをポイントで揃えることが可能になっている。無論計画的に使う必要はあるが、堅実なプランを立てれば無理なく1週間を過ごせるよう設定されている」

 もし本当にポイントだけで1週間を生活できるなら、それは試験というよりもバカンス、純粋な夏休みに近い形になるのかも知れない。

「で、でも先生。やっぱり試験って言うんだから難しい何かがあるんでしょ?」

「いいや、難しいものは何も。2学期以降への悪影響もない。保証しよう」

「じゃあ本当に、1週間遊ぶだけでもいいってことですか」

「そうだ。すべておまえたちの自由だ。もちろん集団生活を送る上で必要最低限のルールは試験に存在するが、守ることが難しいものは一つとしてない」

 とすれば、本当にノンリスクということなのか? もしそうであるなら、これを試験とうたう意味を問うことになるが……。

 単純に夏休みを利用した、旅行を通じての学年交流のための一環、ということか?

 あれこれと考えてみたところで学校の真意などわかるはずもなかったが、次のしま先生の一言でこの試験のぜんぼうが明らかにされる。

「この特別試験終了時には、各クラスに残っているポイント、その全てをクラスポイントに加算した上で、夏休み明けに反映する」

 言葉と共に一陣の風が真夏のビーチを吹き抜け、すなぼこりが舞い上がる。

 真嶋先生の発した一言は、間違いなく今日きよう一番の衝撃をオレたちに与えたことだろう。

 筆記試験のような学力だけを基に算出される今までの試験では、基礎学力の高い生徒が集まる上位クラスが必然有利だった。その度にDクラスはクラスポイントを離され苦しい立場に追い込まれた。だが今回のルールは丸っきり毛色が違う。A~Dクラスの間にあるハンディキャップをあまり感じさせない仕組みだった。

「1週間我慢したら……来月から俺たちの小遣いも大幅に増えるってことだよな!?」

 そう、これは学力ではなく『我慢』を競う戦い。身近にある欲求を拒絶しながら耐え忍べば、上位クラスに近づけるかも知れないということだ。いけの発言も夢ではない。

「マニュアルは1冊ずつクラスに配布する。紛失などの際には再発行も可能だが、ポイントを消費するので大切に保管するように。また、今回の旅行を欠席した者はAクラスの生徒だ。特別試験のルールでは、体調不良などでリタイアした者がいるクラスにはマイナス30ポイントのペナルティを与える決まりになっている。そのためAクラスは270ポイントからのスタートとする」

 Aクラスであろうとも、容赦のないペナルティをらった。Aの生徒たちは動揺した様子を見せなかったが、他クラスの生徒は30ポイント縮まったことに驚きの反応を示す。

 しま先生の話が終わりを告げると同時に解散宣言がなされた。拡声器を持った別の教師が、各クラス担任の先生から補足説明を受けるよう通達すると、オレたちは担任であるちやばしら先生の元へと集まった。4つのクラスが距離を取るようにして集まりだす。

「来月から3万、来月から3万、来月から3万……やるぞお!」

 いけたち男子がガッツポーズを作る。女子もうれしそうに何を買おうかと相談し始めた。

 クラスポイントを大量に増やすことはDクラスにとっての悲願だ。

 ぜいたくに目をつぶり1週間過ごすだけ。実にシンプルな話だ。

「今からお前たち全員に腕時計を配布する。これは1週間後の試験終了まで外すことなく身につけておくように。許可なく腕時計を外した場合にはペナルティが課せられる。この腕時計は時刻の確認だけでなく、体温や脈拍、人の動きを探知するセンサー、GPSも備えている。また万が一に備え学校側に非常事態を伝えるための手段も搭載してある。緊急時には迷わずそのボタンを押せ」

 業者の人間が茶柱先生のそばに支給品を積み上げていく。Dクラスに支給されるテントや腕時計などだろう。箱を取り出し、腕時計をつけるよう指示される。

「非常時って、クマとか出たりしませんよね?」

「仮にもこれは試験だ。結果を左右する可能性のある質問には答えられない」

「う……そんな風に言われると怖いじゃないっすか」

「危険な動物は流石さすがにいないと思うよ。もし襲われて生徒がでもしたら大問題だ。単純に僕たち生徒の健康管理だけを目的としてるんじゃないかな? 無人島にほうりだす以上、学校も安全性を確保しないといけないだろうし」

 ひらの言うように、腕時計は学校側の徹底した安全管理の一つだろう。島の中を自由に往来すれば、教師の目だけでは生徒の状態を追いきれない。かといって校内のようにカメラを完備することも困難だ。これで体調を監視し、不測の事態にも対応するつもりだろう。

 客船で見たヘリは、そう言った非常時に飛ばすものなのかも知れない。

 腕時計が各自に行き渡り、それぞれ右手か左手好きな方にはめていく。

「でも、身に着けたまま海とか入って大丈夫なんスか?」

「問題ない。完全防水だ。それに万が一故障した場合には、ただちに試験管理者がやって来て代替品と交換するようになっている」

 この特別試験は何も学校がや酔狂で始めたものではないだろう。様々なシチュエーションを想定した上での実施のはず。抜かりなどあるはずもないか。

「茶柱先生。僕たちは今からこの島で1週間生活するとのことですが、ポイントを使わない限りすべて僕たちで何とかしなければならないということでしょうか」

「そうだ。学校は一切関与しない。食料も水も、お前たちで用意してもらう。足りないテントにしてもそうだ、解決方法を考えるのも試験。私の知ったことじゃない」

 男子よりも女子の方が戸惑いの色を見せる。寝床が確約されていないのは不安だろう。

「大丈夫だって。魚でも適当に捕まえてさ、森で果物くだものでも探せばいいじゃん。テントは葉っぱとか木とか使ってさ。最悪体調崩しても頑張るぜ」

 300ポイントを温存する気満々のいけは、不安などないのかあっけらかんとそう言った。

 一人だけの生活ならまだしも、クラスは30人以上で構成されている。

 必要なものを全員分、手に入れると言ってもそうそうくはいかないはずだ。

「残念だが池、おまえのもくみ通りにいくとは限らんぞ。配布されたマニュアルを開け」

 ひらちやばしら先生の指示に従い、受け取ったマニュアルを開く。

「最後のページにマイナス査定の項目が載っている、まずそこを読んでみろ。それはこの特別試験を象徴する非常に重要な情報になる。生かすも殺すもお前たち次第だ」

 最終ページには『以下に該当するものは、定められたペナルティを科す』とあった。

『著しく体調を崩したり、おおをし続行が難しいと判断された者はマイナス30ポイント。及びその者はリタイアとなる』『環境を汚染する行為を発見した場合。マイナス20ポイント』『毎日午前8時、午後8時に行う点呼に不在の場合。一人につきマイナス5ポイント』。そして一番重い罰に『他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、生徒の所属するクラスは即失格とし、対象者のプライベートポイントの全没収』と合計4つの事項が記載されていた。Aクラスもこのルールのペナルティを受けたようだ。4つめの妨害行動は至極当然のこととして、残り3つは明らかに生徒個人にちやさせないためのルールだった。朝と夜に点呼があることで夜通し野宿する無理も出来ないし、手当たり次第ふん尿にようき散らす野蛮な行動も抑制できる。すなわち安直な我慢大会の抑止。大切な子供を預かる学校として、どれも避けては通れないひつルールと言えそうだった。

「お前が無茶をするのは勝手だが、もし10人の生徒が体調不良に陥ったなら、それで我慢と努力はすべて泡と消える。一度リタイアと判断されれば試験中に復帰することも出来ない。強行するときはそれを覚悟しておくんだな池」

 我慢で乗り切る手を早くも封じられ、それを想定していた一部の生徒が困惑する。

 1ポイントも使わないという戦略はこれで半ば無理になってしまったが、他クラスが全力でサバイバルに挑む可能性もほぼ消せたといえるだろう。それと同時に、この試験は遊びでも運任せでも、我慢だけでもないことが浮き彫りになって来たんじゃないだろうか。

 に効率よくポイントを使い、節約し、1週間を乗り越えるのか。

 あるいは───。とにかく、文字通り『特別試験』の形が少しずつ見えてくる。

「つまりさ、ある程度のポイント使用は仕方が無いってことなんじゃない?」

 話の流れを聞いていたしのはらという女子がそんなことを口にした。

「最初から妥協する戦い方は反対だぜ。やれるとこまで我慢してやるべきだ」

「気持ちはわかるけど、体調を崩したら大変だよ」

ひらぁ、えること言うなよ。まずは我慢あっての試験じゃねえの?」

 ルールを知れば知るほど、それぞれ思うところは違うだろう。意見が分かれていく。

 それにしても、マニュアルに載っている購入できるアイテムの幅がとにかく広い。

 テントや調理器具などのサバイバルに必要不可欠な道具、デジタルカメラや無線機などの機器、パラソル、浮輪、バーベキューセット、花火などの娯楽品。生きていく上で欠かせない食料から水。ありとあらゆるものをポイントで用意できるように設定してあった。ポイントを使用したい場合は都度担任に申し出ることで、誰でも申請可能らしい。

ちやばしら先生、答えられることであれば教えて下さい。仮に300ポイントすべてを使用してしまった後にリタイアする者が現れた場合にはどうなるんでしょうか」

 一通り説明を受けていたほりきたが挙手し、茶柱先生に質問をする。

「その場合、リタイアする人間が増えるだけだ。ポイントは0から変動しない」

「つまりこの試験でマイナスに陥ることはない、ということですね?」

 茶柱先生が肯定する。しま先生も試験による悪影響は無いと言っていた。その点は事実のようだ。腕時計で小刻みに時間を確認しながら、茶柱先生は話を続けた。

「支給テントは1つが8人用の大きなものになる。重量は15キロ近いから運ぶ際は気を付けるように。また、支給品の破損や紛失に関して学校側は一切手助けをしない。新しいテントが必要な場合にはポイントを消費することを覚えておけ」

「僕からもよろしいですか先生。この点呼というのはどこで行うのですか?」

「担任は各クラスと共に試験終了まで行動を共にする決まりになっている。お前たちでベースキャンプを決めたら報告しろ。私はそこに拠点を構え、点呼はそこで行う決まりだ。それから一度ベースキャンプを決めた後、正当な理由無くベースキャンプの変更はできないからよく考えるように。これらは他クラスも同様の条件となる。例外はない」

 監督責任も含めて、茶柱先生がDクラスと一緒に1週間過ごすということか。もちろん、手助けは一切してくれないだろう。

「なあ先生。話の途中悪いんだけどよ、さっきジュース飲んだせいかトイレに行きたいんだよ。トイレはどこなんだ?」

 どうが落ち着かない様子で辺りを見渡している。アナウンスは聞いていなかったらしい。

「トイレか。今からその説明をしようと思っていたところだ。トイレの際はこれを使え」

 積み上げられたものの中から、1つの段ボール箱をたたく。そしてガムテープをがし折りたたまれた段ボールを取り出した。

「あ? なんだよそれ」

「簡易トイレだ。クラスに1つずつ支給されるものだ。大切に扱うように」

 その説明に一番戸惑ったのは、どうではなくクラスの女子たちだった。

「もしかして、私たちもそれを使うんですか!?」

 特に声を大にして驚いたのは、かるざわではなくしのはらだった。

 軽井沢のグループというより、彼女は彼女で一定の支持を集める存在感のある女の子だ。

「男女共有だ。だが安心しろ。着替えにも使えるワンタッチテントがついている。誰かに見られるようなこともないだろう」

「そう言う問題じゃなくて! だ、段ボールになんて! 絶対無理です!」

「段ボールと言うが、これは良くできた優れもので、災害時にも用いられるものだ。今から使い方を見せるからちゃんと覚えておくように」

 女子からのブーイングを聞き流し、ちやばしら先生は慣れた手つきでトイレを組み立てる。

 そして青いビニール袋をセットし白いシートのようなものをその中に入れる。

「このシートは給水ポリマーシートと言って、汚物をカバーし固めるものだ。これで汚物を見えなくすると同時ににおいを抑制する。使い終わった後、またシートを重ねる。これを繰り返すことで1枚のビニールで5回前後使用可能だ。このビニールとシートだけは原則無制限に支給する。どうしてもと言うなら、1度の使用ごとに換えても構わない」

 その説明に、女子たちは言葉を失い聞き入っていた。これが災害時であったなら文句も言えない。男がどうの、女がどうの、段ボールがどうのなんて言っていられないからだ。

 でも今、ここを被災地だと思い込んで行動しろと言うのはかなり難しいだろう。

「無理に決まってます! 絶対無理!」

 篠原を始め、ほぼすべての女子が一斉に拒否する。

 その様子を黙って見守っていたいけが不機嫌そうに言う。

「トイレくらいそれで我慢しようぜ。めるようなことじゃないだろ篠原」

「ふざけないで。男子には関係ないでしょ。段ボールのトイレなんて絶対無理」

「決めるのはお前たちだ。私が話すことはなにもない。だが、海や川はもちろん、森の中で適当に用を足すことは認められていない。それは忘れないようにな」

 それだけ忠告すると、先生は淡々と次に話を進めようとする。

「だ、段ボールとか絶対無理だし! それに男子も近くにいるんでしょ? きもいし!」

 納得がいかない篠原は男子、特に池に向かって怒りをぶちまけ始めた。

「んだよそれ。俺たちが変態みたいな扱いされるの納得いかねーんだけど」

「事実でしょ。あんたなんてめっちゃ変態そうだし」

「はあ? うわ、それ傷つくわー。俺超紳士だし」

「笑わせないでよね。紳士って、どんだけ。ぶっちぎりの変態候補よ」

 バチバチと池と篠原が火花を散らし合う。

「とにかく私、無理ですから」

 理屈じゃないと、徹底してしのはらと大半の女子たちは受け入れられない様子だった。

「だったらどうすんだよ。1週間トイレ我慢するのかよ、絶対無理だろ」

「それは……」

 そんないけと篠原の言い分、争い事をごとのように見ていた先生は、突如不機嫌そうな顔をしてオレたちの後方を見た。

「やっほ~」

 そんな気の抜けた声がオレたちの背後から聞こえて来た。

 その声の主は目的の人物をそくすると駆け寄り、背中に回り込んで抱き付く。

「……何してる」

「何って、スキンシップ? どうしてるかなーって思ったから」

 Bクラスの担任、ほしみや先生が、そう言ってすりすりとちやばしら先生の二の腕をでた。

「サエちゃんの髪っていつ触ってもサラサラよねー」

「お前は学校のルールをちゃんと理解しているのか? 他クラスの情報を盗み聞きするのは言語道断だ」

「私だって教師の端くれよ。仮に何か情報を耳にしたって絶対に教えたりしないわよ。だけど、運命みたいなものを感じちゃったって言うか。私たち二人そろってこの島に来るなんて信じられなくって。そうは思わない?」

 運命? ほしみや先生の意味ありげな言葉を、ちやばしら先生はスルーした。

「うるさい。お前はさっさとBクラスに戻れ」

「あっ。あやの小路こうじくんじゃない。久しぶり~」

 星之宮先生は普段、保健医をしているため授業で顔を合わせる他の先生と違い、あまり出会う機会が無い。オレは軽く会釈して答えた。

「夏は恋の季節。好きな子に告白するなら、こういうれいな海の前が効果的かもよ~?」

「海は綺麗でも、クラスにそんな余裕はないんで」

 軽く答え流しておく。つか、皆がじろじろ見てるからからむのはやめて欲しい。

「もっと気楽にやらなきゃ」

「おい。これ以上は問題行動として上に報告するぞ? それに、もう時間が無い」

「う、そんなににらまなくても……。わかった、わかったわよぉ。じゃあね~」

 悲しげな顔をして茶柱先生から離れる。ちょうど星之宮先生がBクラスの陣に戻った頃、茶柱先生は頃合いとばかりに話を切り出した。

「ではこれより追加ルールを説明する」

「つ、追加ルール? まだ何かあるのかよぉ……」

「まもなくお前たちにはこの島を自由に移動する許可が与えられるが、島の各所にはスポットとされる箇所が幾つか設けられている。それらには占有権と呼ばれるものが存在し、占有したクラスのみ使用できる権利が与えられる。どう活用するかは権利を得たクラスの自由だ。ただし占有権は効力上8時間しか意味を持たず、自動的に権利が取り消されることになる。その都度別のクラスに取得する権利が発生するということだ。そして、スポットを1度占有するごとに1ポイントのボーナスを得ることが出来る。ただしこの1ポイントは暫定的なものであり、試験中に使用することは出来ない。なので、試験終了時にのみ精算され、加算される仕組みになっている。学校側は常に監視をしているため、このルールにおける不正の余地はない。その点には注意するように」

「え、え、じゃあ、それすっげえ大事じゃないすか! ポイントまで付いてくるなんてしすぎる! 俺たちで全部取ってやろうぜ!」

 すぐにでも探しに行こうぜと、いけは目を輝かせてやまうちたちを誘い始める。

 マニュアルにもそのことが事細かに書かれており、スポットの近くには必ず占有権を示す装置が用意されているようだ。島に幾つのスポットがあるのかは不明だが、大きなようと言えるだろう。だが───。

「焦る気持ちは分かるが、このルールには大きなリスクがある。そのリスクを考慮した上で利用するかを検討することだな。そのリスクも含め、すべてマニュアルに書かれてある」

 茶柱先生の言うように、マニュアルには特殊ルールを明白にするためか、箇条書きで追加ルールのことが書き記されてあった。


一 スポットを占有するには専用のキーカードが必要である

一 1度の占有につき1ポイントを得る。占有したスポットは自由に使用できる

一 他が占有しているスポットを許可無く使用した場合50ポイントのペナルティを受ける

一 キーカードを使用することが出来るのはリーダーとなった人物に限定される

一 正当な理由無くリーダーを変更することは出来ない


 大まかなルールは以上と言ったところだ。あとはちやばしら先生から直接説明もあったが、8時間に一度占有権がリセットされることや、占有されていなければ何箇所でも同時に押さえられること、繰り返し同じクラスが押さえても大丈夫なことなどが書かれてある。

 仮にスポットを3箇所、8時間ごとに繰り返し占有することに成功した場合、試験終了時には50ポイント以上得ることもできる。だが、そこには大きなリスクが付きまとう。

 ここまでのルールであれば、ただの早い者勝ち。強引に繰り返しスポットを占拠してしまえばいい仕組みに見える。でもそれは不可能だ。その理由は最後に書かれたルールにある。

 7日目の最終日、点呼のタイミングで他クラスのリーダーを言い当てる権利が与えられる。その際、見事他クラスのリーダーを的中させることが出来たなら、的中させたクラス1つに付き50ポイントを得る。そして逆に言い当てられたクラスは代償として50ポイントを支払わなければならない。安易にスポット獲得に動けばリーダーを見やぶられ、大量にポイントを失う可能性もあるということだ。非常にハイリスクハイリターンだ。

 だが、この権利も気軽に行使できるものではないようで、もしも見当違いの人間をリーダーとして学校側に報告した場合、判断を誤ったとしてマイナス50ポイントされてしまう。これに付け加えてリーダーを見破られたクラスは、それまでにめたボーナスポイントも全て失うことになる。よっぽどの確信がなければ占有合戦に参加することを躊躇ためらってしまうようなルールになっていた。

「例外なくリーダーは必ず一人決めてもらう。だが参加するしないは自由だ。欲を出さなければリーダーだと知られることもなく済むだろう。リーダーが決まったら私に報告しろ。その際にリーダーの名前を刻印したキーカードを支給する。制限時間は今日きようの点呼まで。それまでに決まらない場合はこちらで勝手に決めることになる。以上だ」

 つまりカードを盗み見られただけでも、リーダーの正体が白日のもと浮き彫りにされてしまうということか。これで茶柱先生からの説明は以上なのか、さいは投げられ生徒たちに託された。ひらがすぐに行動を開始する。

「リーダーを誰にするかは時間もあるし後で考えよう。まずはベースキャンプをどこにするかだね。このまま浜辺に陣取るのか、森の中に入って行くのか……スポットのことはその後で考えるべきじゃないかな」

 マニュアルには、シンプルな島の地図が付属されていた。島のサイズや形だけが書かれたもので、森の面積や傾斜など一切不明。というよりも白紙だ。

「自分たちで必要な部分を埋めろ、という風にも見えるね」

 おあつらえ向きにボールペンが用意されていることも、それを裏付けている。

「先生たちもいっぱいいる船のそばがいいんじゃないの?」

「いや、そうとも限らないよ。スポットの存在もそうだけど、ここには何もないからね」

 水もなければ食料もない。ここに拠点を築くとそういった資源を得る場所から最も遠い位置になってしまいかねない。おまけに日中は日差しが強く厳しい環境だ。かといって、森の中に入り込みすぎるのにもリスクはあるだろうな。

「つかよ、それよりまずはトイレだ。俺もう我慢できねえ」

 どうちやばしら先生が組み立てた簡易トイレをつかむ。

 ワンタッチテントを組み立て、少し離れたところに設置して中に入って行った。

 しのはらたちはその様子を見ていて、無理無理と体を寄せ合う。

 茶柱先生は一歩後退する。もう関与しないから好きにしろということだろう。

「ねえひらくん。トイレのことも早めに決めた方がいいんじゃない?」

 近いうち他の生徒も含めトイレは必ず必要になってくる。女子の意見ももっともだ。

「決めるっつーけどさ、あれで我慢するしかないんじゃねーの?」

「いや、方法が無いわけじゃないよ」

 マニュアルに視線を落としていた平田が、そう言って顔を上げる。

「マニュアルの中に、仮設トイレもポイントで購入し設置可能だと書かれてるからね」

 その言葉に篠原たちが一斉に集まり、マニュアルをのぞんだ。

 仮設トイレの機能は申し分なさそうで、参考写真を見るに家庭にあるトイレとほぼそん色なく水も流せる。これなら女子も十分納得するだろう。だが問題は、仮設トイレ1基につき20ポイント必要というところか。高いか安いかは判断の難しいところだな。

「それ絶対いる! っていうか、ほんとはそれも嫌だけど……それじゃないと無理!」

 篠原の発言を引き金に、多くの女子がそれに賛同する。女子にとってはトイレの存在は食料や水にも勝るのかも知れない。そこだけは引かないという意思が伝わってくる。

「ちょ、ちょっと待てよお前ら! 20ポイントだぜ!? たかがトイレに!」

 敏感に反応し、反対したのはポイントを節約したくてたまらないいけ。そして段ボールのトイレで我慢できる一部の男子たちだ。無駄な出費は極力控えたいということだろう。

「トイレくらいいいじゃん。一個はもらってんだからさ! なあ! ポイントを使うのはよっぽどの時だって。今は節約しないとまずいっしょ!」

「あんたが決めないでよね。意見をまとめてるのは平田くんなんだから。ね、平田くん」

 いけの話を無視して、しのはらひらに仮設トイレを買うよう頼み込む。

「そうだね……少なくとも女子にはちゃんとしたトイレがあったほうが……」

「意見をお前が取りまとめるのは自由だけどよ、何でも勝手に決めていいわけじゃない」

 トイレ購入に賛同しようとした平田を見て慌てて止める。

「あーもううっさい。かるざわさんも何とか言ってよ。仮設トイレはいるって」

 同意を求めるように、女子の代表格である軽井沢に声をかける篠原。

「そう? や、そりゃきついけどさ。クラスポイントは欲しいし。我慢しようかな」

 思いがけないことに、真っ先に文句を言いそうな軽井沢が簡易トイレの使用に賛同した。

「最低限の必要なものは学校が用意してくれるんだしさ。あたし我慢する。お風呂だって川があるんだから、ここを利用したら何とかなるんじゃない?」

「そんな……軽井沢さんっ!」

 軽井沢がそう言ってしまったら、我の強い篠原でも正面から逆らうすべはない。

 多数の女子が軽井沢についている以上、発言力はどうしても限られるからだ。

 そんな池と篠原の戦いに、突如としてゆきむらが参戦してきた。

「女子が仮設トイレを欲しがる気持ちは分からないでもない。しかし、だからって僕ら男子のポイントでもあるものを勝手に使おうとするのは納得がいかないな。もし仮設トイレが欲しいなら最低でも過半数の票を集めてから言ってもらいたい」

 メガネをくいっと上にあげ、篠原に対し厳しい口調をぶつける。

「私は……女の子の当然の要求をしてるだけよ。男子には関係ないでしょ」

「当然の要求? 男子には関係ない? 理解不能だ。それはただの差別じゃないか」

「差別って……あー頭痛くなってきた。平田くん、こんなのほっといて、ね?」

 どうしてもトイレに関しては譲ることが出来ないのか、篠原は一人必死にい下がる。

「この試験は他クラスとのポイント差を埋める千載一遇のチャンスなんだぞ。仮設トイレなんかに貴重なポイントは使えない。僕はいつまでもDクラスに居るつもりはないからな。篠原さんのような個人の好き勝手を聞き入れていたら話にならないだろ。だから今ここでしっかりと方針を決めてもらいたいね」

「は? それって私が何も考えてないって言いたいわけ?」

「本能のまま動くだけなら猿にでもできる。女は感情論で動くから嫌いだ」

「……はあ? 別に全部ポイントを使いたいって言ってるわけじゃないでしょ。最低限必要なものはあるって言ってんのよ。理論的に話してるつもりだけど?」

「二人とも落ち着いて。幸村くんの言いたいことも分かるけど、そんなけんごしで話をしたところで解決しないことじゃないかな? もっと冷静に───」

「冷静? だったら、間違っても勝手にポイントは使わないってことだよな?」

「それは……」

 ボルテージの上がった2人に板ばさみにされたひらはどうしていいか分からず、それでも困った顔を極力見せないようにしながら取りまとめようと必死だった。

「統率力のないDクラスじゃ、先が思いやられるわね。それに平和主義の彼、平田くんには何一つまともに決められないんじゃない?」

 少し距離を置いたところで状況を見守るオレの横で、一向に進展しそうにない状況を悟ったほりきたが、ちょっと重ためのため息をついた。

「今回の試験。思ったよりもずっと複雑で難解な課題と言えそうね……」

 珍しく、堀北は戸惑っているというか、困惑するような様子を見せた。

「大きくポイントを得られるチャンスだし、堀北は我慢するのも平気じゃないのか?」

 横顔から見せる堀北の表情は、複雑というか少しだけ悔しそうだった。

「どうかしら。この段階で簡単だと言えるほど楽観的じゃないわ。私だって他の人たちと同じ。こんな場所で生活なんてしたことがないから何も計算しきれない。一見単純そうに見えた試験も、立ち位置一つで大きく変わるのを実感してるところよ。全員が共通してポイントを節約したい気持ちはあるのにくまとまらない。いやらしい試験だわ」

 ポイントを使う派、ポイントを使わない派。そして要所要所で使う派。

 シンプルに分けるだけでも3つに分類される。そしてさらに、そこからも細々とした違いが現れる。つまり実質、生徒の数だけ思い描く戦略パターンがあるということだ。

 30人以上からなるクラスで、その事実と向き合っていくのは容易じゃないだろう。

 厚手のマニュアルは、そのページの分だけ自由が効くと同時に、クラスが一丸となる難しさを表しているように見えた。少し遠くから男女の対立をちやばしら先生はどこまでも冷めた目で見ている。生徒を値踏みするまでもなく、しよせんDクラスは不良品の集まり、落ちていくだけの存在だ。心中、そんなところだろうか。

「堀北はどうしたいと思ってるんだ?」

「私としても、ゆきむらくんの言うように1ポイントでも多く残したいわ。でも、満足な設備のない状態で1週間生活を送れる自信はない。それが正直な意見よ。チャレンジしてみようとは思うけれど、どこまで耐えられるか……。あなたは?」

「概ね同意見だ。全てが未知数すぎる」

「ねえ見て。AクラスとBクラス、ひょっとして話がまとまったんじゃない?」

 焦る女子の声に、オレたちはいっせいに振り返った。

 ものの数分しか経過していないにもかかわらず、それぞれのクラスから数人の生徒たちが固まって森の中へと入って行くのが見えた。

 恐らくはスポットや、最適なベースキャンプ地を探すためだろう。

 優劣を象徴するかのように、オレたちDとCクラスはまだまとまりを欠いている様子。

 満足にスタートを切ることすらできないでいた。

「……あー、くそ、悠長にトイレの話し合いなんてやってる場合じゃないって! 俺はポイントを守るために何でもやるつもりだぜ。キャンプ地とスポットを探しに行く。それからゆきむらしのはらたちに勝手にポイント使わせんなよ」

「わかってる。そのつもりだ」

 いけと幸村、普段仲が良いと言える二人じゃないが、同じ目的意識で協力し合うようだ。

「ちょっと待って池くん。計画もなく森に入るのは危ないよ」

「ここで悩んでて全部解決すんのかよ。しないだろ」

 行きたい気持ちと止めたい気持ちがぶつかり合う。

 しかし、ひらは池たちの行動を止めるまでの説得材料は持ち合わせていない。

「利用できそうなスポットとか拠点を見つけたらすぐに戻ってくるからさ。その後全員でそこに移動してから話し合いをすればいいじゃん。簡単な話だろ?」

 どうやまうちもスポットを探しに行くつもりなのだろうか。いらつ池の周りに集まる。

あやの小路こうじも行くか?」

 須藤と目が合い声をかけてくる。オレは軽く首を左右に振って断った。

「……3人とも、絶対に一人で行動しないようにして欲しい。迷うと大変だよ」

 あふれだした勢いを平田は止めることが出来ず、これ以上は無駄だと悟ったようだった。

「わかってるって。んじゃ、色々見つけてくんぜ!」

 それにしても、さすがに日光をさえぎるものがないと暑い。

 長い間こんなところで話し合いをしていたら干上がってしまいそうだ。

「少なくとも、ここに拠点を築くのは厳しそうだね……」

 クラスメイトが暑さに悲鳴を上げ始めたこともあり、平田も浜辺を拠点にする難しさを感じ取ったようだった。もし、これが純粋なキャンプなんかだったなら、パラソルなりターフテントなりを設営して、海で泳いで遊んだりと太陽から身を守る手段は幾らでもあるが、今の状況ではそれも難しい。

「ひとまず日陰に入れる場所まで移動しようか。移動しながらでも話は出来るしね」

 率先して平田はテントを運ぶために準備を始めた。男子もそれに続く。

「ところで……あのトイレ、須藤くんちゃんと片づけたのかな……?」

 女子の一人が少し不安げな様子でトイレを指す。

 確か須藤が用を足して出てきた時は手ぶらだった。少なくともあの中は───。

 照りつける太陽、そのままにされたトイレ。テントの中はさぞ蒸し風呂であろう。


    2


 浜辺から歩き巨大な森が目の前に迫った時、男子の一人がビビったように森林を見上げる。

「こんな森、入って大丈夫かよ……めっちゃ迷いそう……全然奥見えないし」

 だからこそルールに点呼が組み込まれていて、腕時計に非常用ボタンが備わっている。

 しっかりと連携を取り協力し合わなければ湯水のごとくポイントを吐き出す恐れがあるな。

かるざわさん、やっぱりひらくんってすごいね。嫌なことも全部引き受けちゃうし」

「ふふん、当然よ。他の男子も情けないっていうか、全部平田くん任せよね」

 前を歩く軽井沢グループは、懸命にテントを運ぶ平田を尊敬のまなざしで見つめる。

 ちなみにオレも荷物持ちをつだっている。今運んでいるのは簡易トイレを折りたたんだダンボールだ。こういう時何の手伝いもしないと、後で余計な仕事が降ってくることがありそうだと判断し、とりあえず手伝っているぞという雰囲気を出しておく。

 一方女子の中でも好んで孤立するほりきたは、黙って静かにグループの背中を追う。

 規則正しく歩く一方で、時折立ち止まるような仕草を見せ、そしてまたすぐ元に戻る。

 オレは少しだけ歩くペースを落とし、堀北の隣に並んで歩き出した。

「気が乗らないか?」

「正直に言えばゆううつね。こういうことは私向きじゃないもの。島での原始的な生活もそうだし、何より一人じゃないってところがね」

 まぁ協調性なんかが問われる団体行動と堀北は、縁遠い存在だからな。改善するためにクラスメイトに溶け込む努力をすればいいのにと思ったが、言っても無駄なので止める。

「あなたが私に言っていたことが、少しだけ現実になったかも知れないわね」

 そう言って、堀北はちょっと面白くなさそうな顔をした。

「学力以外で能力を問われるかも知れない、そんな話よ。私が足手まといだと決めつけていたいけくんやどうくんは、率先して探しに出てくれた。行動そのものが正しいかどうかは別としても私には出来ないことだったから。早く動き出した彼らなら、何か好材料になるものを見つけてくれるかも知れない」

「かもな。それよりおまえ、大丈夫か?」

「なにが?」

 少しにらむような目で見てきたので、何でもないと答え視線から逃げた。

 そんな堀北と話をしていると、背中に少し視線を感じた。

 振り返ると、一番後方を歩いていたくらが、ちらちらとこちらを見ている。

 オレが振り返っていることに気づくと、慌てて目をらされた。

「どうしたの?」

「いや、何でもない」

 気にし過ぎだろうと思い、オレは前を向き直す。

「他のクラスはどうするかしら。ちょっと動向が気になるわね。AクラスやBクラスが徹底してポイントを抑えるつもりなら、こちらも覚悟しなければいけないし。こんな試験で差を広げられるわけにはいかないわ」

 その点には並々ならぬ決意があるのか、前を見るほりきたの表情は真剣だった。

 生活態度で大差をつけられ、学力テストでも離されていく一方の現状、唯一対抗できそうなこの試験は、Aクラスを目指す上で絶対に落とせない戦いなんだろう。

「上のクラスを目指すって大変だな……」

ちやばしら先生が言っていたことをあの時は冗談だと思ったけれど、あなたは本当に上のクラスに上がることに興味が無いの?」

 茶柱先生が、指導室でオレと堀北を鉢合わせさせた時のことを言っているんだろうか。

「別に不思議がることじゃないだろう。いけたちだって特にAを目指してるわけじゃない。毎月お小遣いが多ければうれしいし、運よくAクラスに行けたらってくらいだろ」

 ひらかるざわたちだって、本心でどの程度まで考えているかは分からないのだ。

「この学校に入る人たちは、その特権を活かすために入学したと思ってたのに」

 不満そうというよりは、不思議そうにそうつぶやく。本来なら入学した時点で進学先や就職先が保障されるはずだったからな。多くの生徒が期待していたことは事実だろう。

「あなたは何のためにこの学校を選んだの?」

「それ、自分にも同じことが言えるのか? 堂々と特権を活かすためだって」

「……なるほどね」

 今度は露骨に不満そうに呟き、鋭い横目でオレを見上げて来た。

 オレは堀北が兄と同じ学校に行くために入学したと思っているし、そう理解している。

 Aクラスに上がるのは自分のためじゃなく、兄に認めてもらうためであることも。それはつまり、本来の学校の目的とは異なるのだ。

「人の過去を勝手にせんさくされるのは気持ちの良いものじゃない、という良い見本ね」

 少し遠めにくぎを刺したつもりだったが、すぐに真意に気づいたようだ。

 こいつはオレの過去、というか人間を徹底的に分析、分解して知ろうとしている。

 それはオレにとって喜ばしいことじゃない。早いうちに何とかしたいところだ。

「1つだけあなたに言っておくと、勝手に情報をリークしたのは茶柱先生よ。その点だけは勘違いしないでもらえる? それにまだあなたを認めたわけじゃない。忘れないで」

「大丈夫だ。認めてもらおうとは思ってないから」

 程なくして平田たち一行は立ち止まる。

「ここなら日差しもさえぎれるし、周囲に誰かいて話を聞かれる心配もなさそうだね」

 平田たちは森から少し入ったところで足を止め、話の続きを再開した。

 男子の一部は団結したように集まり、移動中に考えていたであろう意見をぶつけ始めた。

「池たちだけじゃなくて、俺たちも動くべきじゃないか。主要なスポットを別のクラスに押さえられたら、その分必然的にポイント差が広がってしまうだろ」

「うん、そうだね。すぐに動かなきゃいけない。だけど問題を放置して散り散りになってしまうのは良くないよ。まずはトイレ問題の解決からじゃないかな」

「だからそれは支給されたトイレで対応すればいいだけの話だろう」

 言うと、ゆきむらはクラスメイト、特に女子グループをにらけた。

「移動してる間に考えていたんだけど、まずは1つトイレを設置するべきだと思う」

 少しだけ強い口調でひらは幸村たちに言う。その言葉じりの強さから、先ほどまでと異なり引かない様子がうかがえた。

「勝手に決めないでくれ。いけからも反対の意見は受けてるんだ」

「トイレの設置は最低限の必要経費じゃないかな。そもそも、30人以上いるクラスで不慣れな簡易トイレ1つ。本当にトラブルなく回しきれるだろうか」

「それは───うまく使って……」

「一口に言うけど現実的じゃないよ。最悪のケースを考えないと。一人3分でも全員が終わる頃には90分以上かかる。それで本当に成立するのかな?」

「意味の無い想定だ。全員が一度にトイレを使うことはそうそうないだろ。学校側も現実的だと判断したから一つしか支給しなかったんだ。く回せってことなんじゃないのか」

「僕にはそうは思えない。簡易トイレ一つは最初から無理があるよ。そこから推理すると、ポイントは無意味に我慢するものじゃなく、逆にある程度使う方が効率が良いってことを教えるためのヒントなんじゃないかな? 幸村くんならわかるはずだ。恐らく他のクラスだって同じ考えに至り、仮設トイレを設置するんじゃないかってことが」

 確かにこの試験、どの部分にポイントを使うかが勝負の分かれ目だと感じた。そもそも支給品がすべて中途半端すぎる。クラスの半数にしか使えないテントや少量の懐中電灯などは使うべきところでは使えと、ポイント利用すべきと暗示しているように思えたからだ。

「全部おまえの憶測だ……。それに他クラスがトイレを設置するって言うなら、我慢すればその20ポイント分差が詰まるんだ。それこそ使うべきじゃない」

「そうだね。でも、トイレを我慢することがプラスにつながる可能性は極めて低いと僕は感じた。余計なストレスをめたり不安をあおることにもなるし、衛生面も心配だ。だから僕は客観的に判断して、最低でもトイレを1つ以上用意するべきだと考えたんだ」

 時間が空いて冷静になったことで、平田はしっかりとした結論に至ったようだ。

 それが男子の反論を買う行為ではなく、最終的には同意を得られると確信して。

「女の子たちだって安心してこの試験に挑むことが出来るだろうしね」

 特に破たんすることもなく突き付けた話を、幸村も即座に否定できなかった。

 ポイントを節約したい気持ちは分かるが、簡易トイレ1つでしのぐことは極めて難しい。言われてみれば当たり前のこともあの状況ではすぐに出てこない程、クラスメイトは一気に様々な情報を詰め込まれていた。やがて周囲の視線と沈黙に耐え切れないゆきむらが折れる。

「……わかった。だったらトイレ、設置すればいいだろ」

 いけと同じ反対派だった幸村が折れたことで、ついにトイレ設置の許諾が下りる。

 しのはらたちはもちろん、かるざわたちやほりきたも少しあんした様子だった。

「先生。仮設トイレを希望した場合、設置場所は事細かに決められるんですか?」

「地形上無理がなければどこでも可能だ。設置してから再移動も可能だが、その場合ある程度時間がかかると思ってくれ。重量は100キロ以上ある。ちょっとした手間だ」

 1つ問題が解決したことにひらはホッとし、ふーっと息を吐いた。

「次は……さっきも意見が出ていたけど、ベースキャンプを決めるために僕らも探索するべきだと思う。どこに腰を据えるかでポイントの消耗にも大きくかかわってくるからね」

 焦りというよりは、クラスメイトの反発を防ぐためにも平田はそう答えた。

 それからすぐに志願者を募るが、男子2人だけで思ったように人数は集まらない。

 こんな自然の森に足を踏み入れた人間はそう多くないだろう。無理も無いな。

「この中にサバイバルに精通した人とか……いないかな?」

 いちの望みをかけて平田が聞く。

 ベタな漫画なんかじゃ、こういう時一人くらい頼れる人間が居そうだけど。

 振り返りクラスメイトに確認するが、誰も名乗り出る素振りを見せない。

 すると、今まで沈黙を守っていた博士はかせがスッと手を挙げた。

「拙者、幼い頃より父親にサバイバル技術をたたまれ、ジャングルでも一人で生き抜けるよう鍛えられたでござる。……という設定の主人公にあこがれているのである」

 瞬時にバッシングを受けた博士は慌てて謝ったが、総スカンを食らった。

「あの、私でよかったら行くよっ」

 誰も参加したがらない状況を打開するべく、自ら志願したのはくしだった。その姿を見て拒否していた男子たちの目の色が変わる。

 俺も俺もと志願し、渋っていた男子が参加を表明。櫛田への好意が動機の生徒もいれば、女の子に率先させてしまったことを恥ずかしいと感じた生徒もいただろう。

 遅れてオレが手を挙げると、それとほぼ同じくして平田が人数を数え始めた。

「11人かな。あと一人参加してくれれば、4チーム作れそうなんだけど」

「おまえも行くか?」

「私は遠慮しておく。でもあなたが積極的に志願するなんて珍しいこともあるものね」

「何かしら役割は持ってないと、クラスで浮くからな」

 と……そばで控えめな手が挙がった。平田がその手を見て安堵したように指名する。

「ありがとうくらさん。これで12人。3人ずつの4チームで行こう。今1時30分前だから、成果の有無にかかわらず3時までには一度ここに戻ってきて欲しい」

 そして各自が好きにチームを組んでいく。ここでもまたたく間にオレは余りものになる。

「よ、よろしくねあやの小路こうじくん」

 同様に余ったのは、誰にも呼ばれなかったくらと、そして───。

「実にすがすがしい太陽だ。私の体がエネルギーを必要としているねぇ」

 こうえんろくすけ。この男がまさか探索組に名乗りをあげるなんてな。

 幸いにも自由人と大人しい女の子。この2人なら支障なく行動が取れそうだ。


    3


 青々と生い茂った緑は、森の中へ足を踏み入れるたび色濃くなっていく。

 直射日光を避けられる分浜辺よりはマシだが、ジメジメした暑さは苦痛で、クールネックの首周りをつかみパタパタとあおぐ。……焼け石に水だな。

 暑い暑いと考えていると余計に暑い。ここは誰かと話でもして気を紛らわせるか。

「高円寺───」

「ああ、美しい。大自然の中に悠然とたたずむ私は、美しすぎる……! 究極の美!」

 ダメだ……。あいつは満足に会話が成立しない。話しかけられるのは実質一人だった。

「偉いんだな」

「……えっ!?」

 声をかけられると思っていなかったのか、少し後ろを歩く佐倉の体がびくっと跳ねた。

「あと一人欲しいって言われて挙手しただろ。中々出来ることじゃない」

「そんな、私は別に偉くなんてないよ。ほんと全然……。今もまだ、どうしてこんなことになっちゃったんだろうって、少し混乱してるの」

 佐倉は大人しい性格というか人と話すのが苦手な引っ込み思案な生徒だ。

 集団で行動する旅行には、消極的だったのかも知れない。

 離れて話すのを失礼だと思ったのか、佐倉は遠慮がちに隣に並んで歩き出す。

 浜辺から森の方、つまり島の奥へと進むに連れて急激に体力を奪われる。

 それは単純に足場が悪く不安定なだけじゃなく、少し坂になっているようだった。

「なら、どうして面倒な森の探索に手を挙げたりしたんだ?」

「それは……大勢の中にいると心地ごこちが悪いから……」

「その気持ちはわからなくもないが、少数だから楽ってこともないだろ」

 今みたいに誰かと話さなきゃいけなくなったり、気まずい思いをすることにもなる。

「だって……綾小路くんが、その、手を挙げたから……」

 佐倉はハッとしたように顔を上げると、慌てて身振り手振りを交えて声を張り上げた。

「ちが、違うんだよ!? 話せる人がいないから、だからその、ってことで!?」

 そんなに否定したかったのか、小走りに前に飛び出し否定するくら

「あ、おいっ危な───」

「わきゃ!?」

 後ろを向きながら歩いていたため、大木の根っこに気が付かず足を引っかけて後ろに倒れ込む。慌てて手を伸ばしたが間に合わずこけてしまう。

「大丈夫か?」

「うう、痛ぃ……」

 幸い手とおしりから着地したので大事には至らなかったようだ。

「森の中で適当に歩いてるとするぞ。ほらつかまれ」

「……あ、ありがとう」

 佐倉はオレに申し訳なさそうに手を伸ばしてきたが、自分の手が汚れていることに気が付いて少しひっこめた。その手を気にせず掴み、優しく引き起こす。

「ご……ごめんね」

「謝るようなことじゃないぞ」

 ついでと思い佐倉の手についた土を払う。

 それにしても、こんな森らしい森には人生で初めて足を踏み入れるな。

 最初はある程度方角を頭にたたんでおけば大丈夫かと思っていたが、それは見当違いだった。まず、そもそもぐ歩くことが出来ない。自然の障害物は乗り越えることを許さず、どうしても右へ左へと進路を強制的に変えられてしまうからだ。

 こんな状態が数分も続けば、もう今自分がどちらの方角を向いているのかさえ忘れそうになる。先頭をどんどん突き進むこうえんを見失わないようにしないとな。

 しかし佐倉は歩き出さず、ボーっと自分の右の手のひらを見つめていた。

「佐倉、ちょっと急ぐぞ」

「え!? あ、う、うんっ」

 声に呼ばれ慌てて駆け出す佐倉。またこけたりしそうだな……。

「あ、歩くの速いね、高円寺くん」

 女の子の歩幅のことを何一つ考えていない高円寺は、どんどんと森の奥へ進んでいく。

 不慣れな道をモノともしないきようじんな足腰とスタミナには素直に感心するが。

「それにしても、あいつまさか……」

「どうしたの?」

「いや───」

 一体どういうことだ。これは偶然か? いや、高円寺の足取りには迷いが一切ない。

 仮にもベースキャンプの場所を見つくろうためのチームなのだから、通常脇目も振らずに歩くことはしない。高円寺にはまるで別の目的があるかのように直線的だ。

 何よりも驚いたのはその進行ルートだ。

 もしかしたらこうえんは、ただやみくもに突き進んでいるだけではないのかも知れない。

『オレの理想とする道筋』を迷うことなく進んでいく。

 ただ問題は、くらが高円寺のペースについていくのに必死で息が上がり始めていること。

「高円寺。あまり速いペースで進むのはまずいんじゃないか? 迷うぞ」

 高円寺、佐倉両方を気遣って声をかけるが、高円寺は後姿を向けたまま髪をかき上げた。

「私はかんぺきな人間だ。この程度の森で道に迷うほど愚かではないさ。もし困ることがあるとすればそれは君たちが私を見失ったときだろう。その時はあきらめたまえ」

 流石さすがは自分以外に興味が無いと断言する男。こちらの状況などおかまいなしか。

「ところで凡人の君たちに聞きたいのだが、実に美しいとは思わないかね?」

 白い歯をこぼしたかと思うと、不敵な笑みを浮かべ高円寺はそうオレたちに問うてきた。

「まあ……自然の森は神秘的というか、れいだとは思うぞ」

 一応思ったことをそのまま伝えてみる。だが高円寺はそんな答えを期待していたわけではなかったのか、がっかりしたようにため息をついた。

「何を言っているんだい君は。私が聞いたのはそんなことじゃない。完璧な肉体美を持つこの私そのものが、この場で美しく輝いているということだよ。わからないかな?」

 自称完璧な肉体美を持つ自分自身を褒めてくれということか。なるほど、わからん。

「暑さのせいで頭がおかしくなってるんだろうな……気にしないほうがいいぞ佐倉」

「う、うん。高円寺くんがおかしいのは最初から知ってるから平気だよ」

 お、おう。それは事実ではあるが、意外とキツイこと言うなこの子。

 高円寺は自分の美しさを改めて実感して満足したのか、止めていた足を踏み出した。こちらからの忠告や希望などおかまいなしなのだろう。

「心配はいらないさ。この森ならば多少のことが起こってもノープロブレムだ」

「高円寺、それはどういう意味だ?」

「ここは自然の森とは呼べない。少なくとも日中、彷徨さまよって迷う確率は極めて低い。だからこそ、多少興味もあるがね」

 意味深な言葉を残した高円寺は、オレたちから興味を失ったのか先ほどよりも足取り速く歩き出す。佐倉がついていけるようなペースじゃない。

「おい───」

「あ、あの。私は大丈夫だから。頑張ってついていくよっ」

 汗をかきながら、グッと小さくガッツポーズを作って見せる佐倉。

 気持ちはむがそれはかえって危ないだけだ。

 最悪高円寺とはぐれる覚悟を持った方がいいかも知れない。

 しかし佐倉は、それから思いのほか頑張り高円寺のペースについてきた。

 時折こけそうになる姿は危なっかしいが、自分なりに頑張る決意を固めたんだろう。

 そんな涙ぐましい努力など気にも留めず、こうえんはどこまでも先へ先へ進む。

 森を抜けるまで止まることはないと思っていたが、突如目の前で立ち止まる。

 そしてこちらを振り返ると、またも髪をかきあげながら不敵に笑った。

「凡人たちに質問があるんだがいいかな?」

 こちらが返事をする前に、高円寺は続ける。

「君たちにはこの場所がどんなふうに見えているのかを聞かせてもらえないだろうか」

「え……? ど、どういう意味かな? あやの小路こうじくん」

 高円寺の鋭い瞳に、さっと背中に隠れたくらが聞いてくる。

 この場所がどんなふうに見えているか? 周囲を見渡してみる。それを見て佐倉も同じようにキョロキョロと辺りを見る。しかしどこにも変わったところはない。ただの森だ。

 わざわざオレたちに確認を取ることとは一体なんなのか。

「グゥッド。わかったよ、気にしないでくれたまえ。やはり凡人は凡人ということだね」

 望む回答が戻ってこなかったことを悟ると、高円寺は再び足早に森を歩み始めた。

「何か……変わったこと、あったかな?」

「いや……」

 高円寺の発言を真に受けていたらキリがない。いくらでも狂言を言う男だ。

 しかし、この場所にはオレたちに見えていない何かがある可能性も否定できない。どちらにせよゆっくりと探索している時間はない。高円寺が再び歩き出してしまったからだ。

「佐倉、ハンカチ持ってないか?」

「あ、うん。あるよ?」

 さすが女の子、この手の準備はしっかりとしていたようだ。

「もしよかったら貸してもらえないか? ちょっと汚れるかも知れないが」

「それは全然大丈夫だけど……」

 そう言って、佐倉は嫌がることもなくハンカチを貸してくれた。

 オレはそれをありがたく借りると、そばの木、簡単には折れそうにない枝に結び付けた。

 こうしておけば、後でこの場所に戻ってきた時に目印にすることも出来る。

「あ、高円寺くん見失っちゃう……。いそご、綾小路くん」

 慌てる佐倉だが、疲労がまっていたのか、足がもつれてまた転びそうになる。

 やはり佐倉の体力はもう限界に近いな。無理してもついていけないだろう。

「悪い、ちょっと体力的にきつい。少しゆっくり歩きたいんだけど構わないか?」

 そう言って、オレは自分から歩くペースを遅くした。これなら、佐倉が悪いわけじゃないという名目が立つ。見透かされたかも知れないが別に構わない。真実を確かめる方法などありはしないのだから。オレの声が聞こえたのか聞こえなかったのか、程なくして高円寺の姿は見えなくなってしまう。前方からは時々草をかき分けるような、大地を踏みしめるような音が聞こえてくるだけになった。

「多彩な才能の持ち主だな。アレは」

 のうめいせき、運動神経は抜群で、森のような自然相手にも臆さずかんぺきに適応している。

 もしもひらのような性格だったら、ウルトラ完璧超人だっただろう。

「…………」

 さっきから無言でこちらの様子をうかがっているくらの視線が気になる。

 結局佐倉は何もオレに言ってはこず、二人で森の中を探索して歩く。

「飲み水が確保できたら大きいんだけどな。あるいは雨風をしのげる場所か」

 間が持たないので軽く話しかけてみる。分かりやすくポイントを節約できる可能性があるスポットを確保できたなら、非常に楽な展開になるだろう。

「そう、だね。テント2つじゃ足りないだろうし……。だけど、何も見つからないね」

 どれだけ歩いても見渡しても、人工物らしきものはひとつも見当たらない。

 ま、歩き回っていると言っても島の1%にもはるかに満たない範囲しか確認できていない。

 小規模の探索であっさりと見つけられるような甘い学校じゃないだろう。

 それから数分道なき道を進んでいると、途中開けた場所に出た。

「ここって……道、なのかな?」

「そうみたいだな」

 無人島にある森の中から、人が切り開いたと思われる道が出て来た。もちろん舗装されているわけじゃないが、大木を切り倒し整備し踏みならした跡がある。これが学校側の作った道なんだとしたら、この先にスポットがあるのかも知れない。

 佐倉と歩みを進めて切り開かれた道を歩く。

「うわ……すごい……!」

 程なくして辿たどいたその場所は、山の一部にぽっかりと大穴が空いたどうくつの入り口だった。そこは一見天然の洞窟のようだが、よく見ると洞窟内はしっかりと補強が施されている様子。もしかすると、穴そのものも人の手で作りだしたのかも知れない。

「もしかしてアレ……スポット、なのかな?」

「さて、どうだろうな」

 洞窟は古来より人の住居として立派な機能を果たしている。ここがスポットに指定された場所ならば、どこかにそれを記す証拠があるはずだ。

 確かめるべく洞窟に近づこうとしたところで、穴の奥から一人の男子が出てくるのが見えた。オレは即座に佐倉の腕を引き、物陰へと引き込み隠れる。佐倉には悪いが、状況が分からない今は姿を見られるのは勘弁願いたい。その男は入り口で立ち止まると、ジッと動かず南西の方角を向いて静かにたたずんだ。1、2分はそのままだっただろうか。

 無駄が無く素早いスポットの確保だ。迷わず一直線にどうくつに向かってきたと思われる。

 しかしそんなことより問題なのは、男の手にカードのようなものが握られていたことだ。

 やがて内部から男に向けられた声が聞こえてきた。オレは慌てて顔を引っ込める。

「この大きさの洞窟があればテントは2つで十分ですねかつらさん。それにしても運が良かったです。こんなに早くスポットを押さえられるなんて」

 耳を澄まし、聞こえてくるかすかな声で状況を把握しようと試みる。

「運? お前は今まで何を見ていた。ここに洞窟があることは上陸前から目星が付いていたぞ。見つかるのは必然だったということだ。それと言動には気をつけろ。どこで誰が聞き耳を立てているか分からないんだ。俺にはリーダーとしての監督責任がある。さいなミスもしないように心がけろ」

「……す、すみません。でも上陸前から、ってどういう意味ですか……?」

「船は桟橋につける前、か遠回りするように島の外周を一周した。アレは生徒たちにヒントを与えるための学校側の行動だったんだろう。船のデッキから森を切り開いた道が見えていたからな。後は上陸した桟橋から道への最短ルートを進むだけでいい」

「で、でもただの観光というか、しきを楽しむ配慮だった可能性はないんですか?」

「観光で回るにしては旋回が速すぎた。それにアナウンスの内容も妙だったからな」

「俺にはその、ぜんぜん感じられなかったですけど……葛城さんは学校の意図を見抜いてた。それでここに洞窟があることが分かったんですね……流石さすがです!」

「次に行くぞ、ひこ。スポットを押さえられた以上長居は無用だ。あと2か所ほど船から見えた道があった。その先にも施設等、何かがあるはずだ」

「は、はいっ! でもこれで結果を残せば『さかやなぎ』も黙るしかありませんね!」

「内側ばかりに目を向けていると足元をすくわれるぞ」

「そうは言いますけど、警戒するとしたらBクラスくらいですよ? 特にDクラスなんて不良品の集まりじゃないですか。ポイント差を考えても無視でいいかと」

 船の上でも似たような話だったが、Aクラスから見ればDクラスはアウトオブ眼中。道端の片隅に落ちている石ころのように扱われていた。

「おしやべりはここまでだ。いくぞ弥彦」

 そんな二人の声と足音が聞こえなくなるのを待ち、念のため更に2分ほど待った。

「行ったか……」

 顔をのぞかせ確認するが、さっきの二人は見えない。

 一息ついたところで手にかかるぬくもりの比重が重くなったことに気づく。

 慌てて抱き寄せてからそのまま押さえつけてしまっていた。

「悪いくら……佐倉?」

「きゅうっ……!?」

 そこには、か半分意識を失って弱り切ったくらが居た。

「だ、大丈夫か?」

「だだだ、だい、だいじょうぶ、ぶぶ……」

 体から湯気が立ち上りそうなほど顔をにし、へなへなとその場に座り込む。

 思ったよりもずっと強い力で押さえつけていたのかも知れない。

「はふ、はう、はふっ……し、死ぬかと思った……。心臓が止まるかとっ」

 それは流石さすがに大げさだろう。佐倉はズレたメガネを直しながら呼吸を整える。

「さっきの二人組。話の内容からしてAクラスみたいだったな」

 だが気にかかるのはこの場所を放棄して離れていったことだ。誰かに見張らせておかなければスポットを横取りされる可能性もある。佐倉の体力が戻るのを待った後、改めてどうくつの入り口に向かった。つまり、あいつらが迷いなくこの場所を離れたということは……。

 洞窟の内部には、壁に埋め込むようにしてモニター付きの端末装置が設置されていた。画面にはAクラスの文字があり、7時間55分を切ったカウントダウンが表示されていた。

 つまりこれが、スポットを所有していることを証明するものか。

 このカウントが0になるまで、オレたちは一切の手出しが出来ない。強引にこの場所を使うことも不可能。だから安心してAクラスの二人はこの場を離れられたのだ。いや、問題はそれだけじゃない。他のクラスに占有権を奪われず更新し続ける限り、Aクラスは8時間ごとに1ポイントを獲得し続けるということでもある。

 病欠で30ポイント失ったものの、半分以上の帳消しが確定だ。

 それにかつらと呼ばれた男は、まだいくつか施設の目星が付いているようでもあった。

 もしも食料や水なんかのスポットであれば、他クラスは更に差をつけられるわけか。

「島に上陸する前から、頭の片隅に入れておいたって言ってたな……」

 記憶していた島の地形を利用してスポットを探し出すためのヒントに用いた。その考え方はお見事。Aクラスにいるだけあって最低限見えている世界が違うということだ。

 だが、そうであるならに落ちない点も出てくる。

「ね、ねえあやの小路こうじくん。もしかしてさっきの人が……リーダーってこと……?」

 そう───この出来事は致命的なミスを犯した証明。洞窟を確実に押さえるためとはいえ、Aクラスは占有権を得るためキーカードを通してしまった。自分がリーダーであることをオレたちに明確に知られてしまったことになる。もちろん、他クラスの誰かに見られているとは思わなかったんだろうが……。明らかに不用意だ。

 念のため洞窟を奥まで調べてみるが、やはり人が隠れている様子はない。

「どど、どうしよう。すごい秘密、知っちゃったね……!」

 Aクラスに大打撃を与える情報を耳にしてしまい興奮気味、焦るように佐倉が言う。

「後でオレの方からひらに報告しておくよ」

 くちくらが自分から報告することはない、そう言って安心させておいた。


    4


 状況が動きだしたのは、成果なくひらたちの元に戻った時のことだった。

 随分と高揚した様子のいけたちが、何やら熱心に平田たちに話をしている様子だ。

「川だよ川! 物すごれいな感じの! そこに装置みたいなんがあったんだよ! あれが占有とか何とかの機械だ! ここから10分もかからないから早速全員で行こうぜ!」

 先行して探索に出かけた結果、池たちはスポットを見つけることが出来たらしい。

 そして他のクラスに奪われないよう見張っているようだ。

「それは大手柄だね。水源が確保できたら僕たちの状況は大きく好転するかも知れない」

 どうやら見つけて来たスポットをもとに、ベースキャンプ地が決まりそうだった。

 もちろん地形や環境によってだとは思うが、初めて前進の一歩になりそうだ。

「だけどまだ2チームが戻ってないから、誰かがここに残ってないと困るだろうね」

 時計は3時を少し回っている。予定の時刻に戻れていないということは、この森のどこかで迷っている可能性は十分にあるな。

「悪い平田、こうえんもだ。途中ではぐれた」

「ああ、高円寺くんならさっき一人で戻ってきて海に泳ぎに行ったよ」

 どうやら迷うことなく森を抜け出したらしい。さすが自由人。

「はぐれるなんて、ちゃんと統率とって行かなかったわけ?」

 全員で川を目指して移動していると、そうほりきたにため息をつかれて指摘された。

「アレはオレが制御できるような人間じゃないぞ……分かってるだろ」

 こいつ絶対わざとあおってるな? オレは高円寺の速いペースに振り切られてしまったこと、森を熟知していそうだったことを伝えておく。

「なるほど。性格以外文句の付けようがない能力の持ち主ね、彼は」

「お前と一緒だな」

「何か言った?」

「い、言ってません」

 このクラスにはオレを含め性格に問題のある生徒が多すぎる。平田も大変だ。

「なに?」

 ふと堀北は後ろを振り返り、鋭い瞳で佐倉を見据えた。

「えっ!?」

「今私を見ていたでしょう?」

「みみみ、見てないよ!?」

 くらは慌てて否定し、ぴゅーっと走り去って距離を取ってしまった。

「怖がらせるなよ。って、元々ほりきたは鬼のように怖いんだったな」

「勝手に突っ込んで勝手に納得しないでもらえる?」

「ここだ! 俺たちが見つけたスポット! すごいだろ!」

 いけたちが見つけたスポットに辿たどいたオレたち。どうくつの内部で見た機械は壁に埋め込まれていたが、この川辺には不自然な大岩がひとつあり、そこに装置が埋め込まれてあった。ひらたちはテントなどの必要荷物を川のそばに置く。

「うん。きれいな水に、日光をさえぎる日陰。地ならしした地面。ここならベースキャンプにするのに理想的かも知れないね。すごいよ池くん」

「へへへ、だろ!」

 静かに流れる川は幅10メートルほどの立派なものだった。川の周囲は深い森と砂利道に囲まれているが、この場所は整備されたように開けていた。

 これが偶然出来た立地とは思えない。意図して学校がこの空間を作ったんだろう。

「この川がオレたちのモノだって証明をどうやってするんだろうな」

 川は幅広く、下流は随分先まで続いているように見える。一見する限りではオレたちが立っている平らな場所以外は高低差が激しそうだ。この場所くらいの好立地はないかも知れないが、当然中には入り込む余地もありそうだ。知らず知らず川を利用することも可能だろう。あるいは、単純にこのスペースだけが特権として与えられたということなのか。

 オレは少し様子が気になり、川辺を歩きながら森の方へ。か堀北もついてきた。

「学校側もその辺りは把握してそうね。川を利用できるのは私たちだけみたい」

 道中、川へ降りて利用できそうな場所には木の立て看板が刺さっていた。

 川がスポットに指定されたものであり、許可のない利用を禁ずる、と書かれてある。

 軽く見て回ったオレたちは、平田たちのもとへと戻った。

「ここをベースキャンプにするのは確定として、問題は占有するかどうかだね」

「そんなのするに決まってんだろ! しないなんて選択肢があるのかよ」

「あるよ。ここを占有するメリットは当然、川を独占できることにある。それと占有権で入ってくるポイントの収入だね。でも、それには8時間に一度更新する必要がある。操作を許されているのはリーダーと定められた人だけだから、その姿を見られたら大変なことになる。どこで誰が目を光らせているかは把握しきれないよ」

 川を挟んでいても360度森だ。茂みから目を光らせていたら存在にも気づけない。

「んなの、こう、隠して守ればいいじゃん。囲むようにしてさ」

 リスクが付きまとうのは事実だが、ここは池の意見が正しいだろう。この地をベースキャンプにするのなら押さえない手はない。万が一他クラスの生徒に占有されれば川を使用することが出来なくなる。男女問わず池に賛同する様子を見せた。元々平田もそのつもりだったとは思うが、中立的立場を貫いて多数の意見を拾い集めた。

 確かに占有権を得ることは損得表裏一体。だが、Aクラスがどうくつを占有したようにベースキャンプの場所と重ねることでクラス一丸となって装置を守ることが出来る。考えるまでもなくBクラス、Cクラスも同じようにするだろう。つまり最低限負わなければならないリスクでもあるわけだ。

「うん。じゃあ後は、誰がリーダーをするかだ。肝心なのはそこだからね」

 占有するかどうかより、リーダーを誰に据えるかが大きな鍵となる。ここでのミスは命取りになりかねない。誰もがその重役を避けたいと思う中、くしは皆に集まるように言い、円を作らせると小声で話し出した。

「私も色々考えてみたんだけど、ひらくんやかるざわさんは嫌でも目立っちゃう。でも、リーダーを任せるなら責任感のある人じゃなきゃダメでしょ? その両方を満たしているのはほりきたさんだと思ったんだけど、どうかな……?」

 櫛田からの推挙があるとは思っていなかった様子の堀北だが、表情を変えた様子はない。常にAクラスを目指して行動している彼女は誰がリーダーを務めることがもっともリスクが少ないか。肝心なのはそこだと考えているだろう。冷静に周りの反応をうかがっていた。

「櫛田さんの意見に賛成だよ。というより、僕もリーダーは堀北さんが良いと思っていたから。後は堀北さんさえ良ければ引き受けてもらいたい。どうだろうか」

 視線が集まるも、本人は特に拒否する様子は無かった。

「嫌がってるんじゃねえか? 無理強いさせるなよ。代わりに俺がやってもいいぜ」

 堀北が引き受けたくないと判断したのか、どうが名乗りを上げる。しかし皮肉にもそれが引き金となったのか、堀北は冷静な決断を下した。

「わかったわ。私が引き受ける」

 多少面倒でも、須藤やいけがリーダーをするより安心できるってことだろう。その言葉を聞いた平田はすぐにちやばしら先生のもとに行き堀北の名前を伝える。程なくしてカードを受け取って戻ってくると堀北にそれを託す。もちろん誰かに見られている可能性を考慮し、全員がそれとない動作で装置に触れて誰がリーダーかを分からないようカモフラージュした。

「よーしこれで風呂と飲み水の問題は解決したよな! な!」

 らんらんと目を輝かせ、池はポイントの節約を訴える。

「はあ? 川の水飲むとか、あんた正気?」

 どうやら、池はこの川を飲み水と風呂の両方で活用するつもりらしい。一方しのはらたち女子にはそんな考えはなかったらしく、あきれたように川をいちべつした。

「そりゃさ、泳いだりする分には良さそうだけど……飲むのは、ねえ?」

「なんだよ、全然いいじゃんか。れいな水だろ」

「そう、だね……。確かに飲めそうだけど……」

 節約を訴えてまないいけを見てしのはらひらそでを引っ張る。

「ねえ平田くん……。本当に大丈夫? 川の水飲むなんて普通じゃないよ」

 更に数人の女子が集まり、不安そうに平田に相談を持ち掛けて来た。

 穏やかに流れる川の水を見て、女子たちは首を左右に振って無理だと抗議する。

「飲めるとはとても思えなくて……」

 こそこそと相談しあう様子を見て池はいらちながら口を開く。

「そうかあ? 水はすごく透き通ってるし、天然水のようなもんだろー」

 濁っていたりすることはなかったが、女子だけじゃなく男子の一部もどこか一歩引いた位置で川を眺めている。

「何だよ皆。何が不満なんだよ。せつかく見つけた川を有効活用しない手はないだろ!」

「じゃああんたが試しに飲んでみてよ」

「は? ……別にいいけどさ……」

 半ば強制的に女子に催促され、池は手ですくって川の水を飲んだ。

「かー! キンキンに冷えてて気持ちいいぜ! うめぇ!」

「うわマジドン引き。無理無理、そんなの飲むなんて。気持ち悪い」

「はあ!? お前が飲めって言ったんだろ篠原!」

「やだやだ。私が一番嫌いなタイプね、あんたみたいな野蛮人」

「なんだと!」

 二人はまたも互いににらいバチバチと火花をぶつけ合う。

けんするほど仲が良いと聞くけれど、あの二人には当てはまるのかしら?」

「それは……当てはまらなそうだな」

 トイレ問題の次は飲料水の問題か。川が見つかれば万事解決ともならなかったようだ。

「とりあえず水の問題は後で考えることにしようか。喧嘩してても辛いだけだからね」

 今の状況を打破したい平田はそうみんなに伝える。

 事態の先延ばしは問題も多そうだが、それが平田の意向なら特に反論もでないだろう。そんな風に思っていたが、意外なところから話の流れに待ったをかける男がいた。

「篠原。おまえ文句言ってんなよ。全員で協力しなきゃならない試験だろ、これって」

 クラス一の問題児、どうだ。いつになく冷静な口調で篠原をたしなめる。

「ちょ、やだ笑わせないで。全員で協力って、それ須藤くんが言う?」

 おなか痛いと笑う篠原だが、そんなバカにする態度を取られるのも無理はない。須藤は入学してから度々問題を起こしてはクラスをかき回してきたからだ。ほりきたとは違った意味で協力とは程遠い位置関係にいる。

 それは須藤自身が一番分かっているようで、それでも態度を変えることなく続けた。

「俺がクラスに迷惑をかけたことはわかってんだよ。だからこそ言ってんだ。つまんねーことで反感買ってたら、いずれそれが自分に跳ね返ってくるってよ」

「……なにそれ。どうせどうくんだってポイントを使いたくないだけでしょ」

「誰もそんなこと言ってないだろ。かん、おまえも少し冷静になれよ。いきなり川の水飲めって言われたら普通抵抗感じるだろ。俺だってそうだしな。なあ、確か水って沸騰させたら殺菌できるんだよな? とりあえずそれで試してみるってのはどうだ?」

「沸騰って……化学の実験じゃないんだから。思いつきで適当発言やめてよね」

 しのはらは気にわない相手なら誰とでも戦う覚悟なのか、須藤に対しても強気だった。

 またしても火種が増えたけんに、ひらは再び落ち着くよう声をかけた。

「一度解散にしよう。まだ時間はあるし、慌てて決める必要はないよ」

 その言葉で少しだけ冷静になれたのか、篠原は押し黙って引き下がった。それから程なくして、平田はちやばしら先生に仮設トイレをレンタルする申請を行っていた。いけは篠原の行動や言動への怒りが収まりきらず、その場に残りずっと悔しそうに唇をかみ締めている。

「くっそ、なんなんだよ篠原のやつ。結局頑張る気ないだけじゃんか」

 池は不満げに小石を拾いあげると、それを川に向かって水切りのように投げた。

 5回6回と石は水面みなもって、向こう岸を悠々と飛び越えていった。偶然にしてはれいなフォームだ。見よう見まねでやってもああはくいかないだろう。

「もしかして、意外とアウトドア的なこと得意なのか?」

「ん? あーいや、別にそう言うわけじゃないんだけどさ。小さい頃よく家族と一緒にキャンプしてたからさ。川の水飲んだりするのに抵抗ないんだよな。水源が綺麗で衛生的なことくらい見ればわかるし」

 誇らしげというよりは、本当に当然のことのように話す。

「だったら最初に、キャンプ経験あるって名乗り出た方が良かったんじゃないか? それで信頼を得てたらもう少し上手く運べたと思うぞ」

 説明もなしに自分勝手に行動するだけじゃ、能力があっても認めてはもらえない。

 ましてテストの点数なんかと違い、目に見えてわかりやすいものでもないからな。

「ボーイスカウトやってたとかなら自慢出来るかもしんないけどさ。ただキャンプ経験があるってだけじゃ自慢にもなんないし。つか、俺が言ってもどうせ無駄だし」

 どうやら、散々女子たちから非難されたことで気落ちしてしまっているようだ。

 普段女の子にモテることだけを考えてる池からすれば、それに不満を抱くのは当然か。

 ただ、少しやり方を変えていれば、本当に状況は違った気がする。池と平田が協力してクラスを引っ張って行く形がうっすらと見えるだけに惜しいと思った。

 でも……と池は少し言葉を濁してこう付け足した。

「全員、初めてみたいなもんなんだな、こういうキャンプ生活。誰だって少しくらい経験あると思ってたぜ。そう考えたら、ちょっと無理言ったかもしんないな」

 それはいけが初めて見せた後悔、あやまちに気づいた瞬間のような気がした。

「悪い。なんかく考えがまとまらないや。ちょっと川で泳いでくるわ」

 そう言い、池は立ち上がるとオレに背中を向けた。ひとまずそれがいいだろう。

 暑さで頭もなまってるだろうし、この場所を探し回るのに体力も相当使ったはずだ。

あやの小路こうじくん。彼の後を追ってもらえる?」

「は? どうして」

 そばに居たほりきたが、池の姿が見えなくなった後そう言ってきた。

「彼の知識が役に立つ可能性がある。つまりこのDクラスに必要な存在かも知れない。アウトドアの知識に加えてある程度森の歩き方も知ってる。こうえんくんが利用できない以上、彼に何とかしてクラスを引っ張ってもらう必要があるわ」

「自分で説得しようって思わないのか?」

 そんなことを言われると思っていなかったのか、心外そうに言う。

「私が? 彼を? 説得? 出来ると思う?」

 ドヤ顔で出来ないことをアピールされても困る……それがたとえ事実でもだ。

 こいつはほんと、人間関係を構築する点では凡人以下の能力しか持ち合わせてない。

「無理だと分かりきっているから頼んでいるのよ。あなたが頼りなの」

「そりゃそうだろうな。オレしか頼む相手がいないんだから」

 たとえ期待値が最低の1だとしても、他がすべて0ならば必然トップになるのはオレだ。

「普段頼られることの少ない綾小路くんからしてみれば、内心うれしいでしょう?」

 偉そうに腕を組んで堂々と頼みごとが出来るのはこいつのすごいところだけど。

「わかった。それとなく声をかけておく。でもタイミングはオレに一任してくれ」

「……いいわ。確かに今声をかけることがベストかどうかはわからないから」

 オレが承諾したことで納得が行ったのか、特にそれ以上話すことなく身を引いた。

 この一週間、堀北は一人でいることの難しさを嫌ってほど痛感していくことだろう。

 あいつ自身は優秀な人間だと思うが、それはあくまで個人に限っての話だ。

 自分の成績だけを追い求めるような状況なら、誰に頼ることもなく黙々と上位を走り続けるだろうけど、今回の試験が良い例であるように個人ではどうにもならないこともある。

 恐らく堀北は今初めて、自分が無力であることを痛感しているんじゃないだろうか。

 そうでなければ、こんなにも早い段階でオレに頼ってくるはずがない。

 友達がいなければ誰も寄ってこないし、話しかけることも出来ない。コミュニケーションが取れなければ協力し合うことも信頼してもらうことも出来ない。

 学内ではかんぺきに見える才女も、この状況では普通の生徒以下になってしまうってことだ。

「……学校側もその辺りを計算しつくしてのことだろうな」

 もっとも、そこが堀北すずという少女の限界であり、底が見えてしまう点でもある。この学校の作り上げたルールを抜け出すことが出来ないのだから。


    5


 少し遠くに、2つの出来上がったテントが並んでいる。

 話し合いはしのはらたち女子にぐんばいが上がり、2つとも女子に占有されてしまった。

 つまり男子は今、完全に野宿を強いられる状態になっているということだ。

 クラスメイトの大半が、今まで生きてきて野宿なんてしたことがないだろう。

 幸いにも夏だからをひいたりすることは無いと思うけど、間違いなく苦労する。

 時々手足をねらってくる蚊はうつとうしいし、夜になれば視界も悪くなる。

 足元の草むらには、得体の知れない昆虫たちが飛んだり跳ねたりしていて不気味だ。

 都会っ子のオレにはかなり抵抗があって、土のベッドで1週間過ごすなんて無理だ。

 だがいけを含めポイント消費に極力反対の人間は行動力が違った。数人の男子は草をむしってきてそれをシーツ代わりにしようとしていたり、木を切り倒せないかなどの話し合いを行っている。工夫しようとするのはいいが、ちやはしないよう祈りたいところだ。

 女子テントの設営を終えたひらが、額に汗をかきながらやって来た。

「あの、あやの小路こうじくん。良かったら少し頼まれごとを聞いてもらえないかな?」

 そんな風に低姿勢、申し訳なさそうな様子で声をかけてきた。

「懐中電灯だけで夜を迎えるのは怖いし、ポイントを使う使わないは別として明かりの確保は必要だと思うんだ。ただ、綾小路くんに無理強いは出来ないけど」

 確かに、夜何も明かりがないのは避けたい。トイレに行くのも一苦労しそうだし。何をすればいいのか聞くと、平田は少し考えた後こう答えた。

「この辺りでたきをするのに使えそうな枝を拾って来てもらいたいんだ」

 数多くいる男子の中、せつかく頼られたんだし引き受けることにしよう。

「じゃあ、適当に拾ってくる」

「ありがとう。あ、でも一人は危ないから、誰か誘ってもらった方がいいな」

 その通りだと判断しパートナーを探そうとすると、その場にたたずみジッと空を見上げていたほりきたを見つける。見られていたことに気づいたのかこちらを向いてきた。

「普段、非協力的なあなたが、彼のお願いには随分と甘いみたいね」

「おまえの頼みだって聞いたばっかりだろ。それに平田には何かと助けられてるからな。内容も大した仕事じゃないし。ただの枝拾いだ」

 一部の生徒は自発的に行動しクラスのためにと働いている。

 こういう時に動けるかどうかで、クラスにおけるカースト制度の位置が変わるのだ。

「彼もクラスの中心の割に、あなたに頼るしかないなんて情けないわね」

「良くも悪くもDクラスは、ひらかるざわで成り立ってるからな。それ以外のメンツにまとめるだけの力を持った人間は───居なくはないんだが適任じゃないからな」

 隣のほりきたが本気を出せばクラスをまとめるだけの力量と技量はありそうだが、度量と器量が致命的なまでに不足している。本人にその2つの項目が存在しないと思うほどに。

 一石を投じられそうなのはくしだが、矢面に立つ余裕はなくごとのフォローに回るので精いっぱいと言ったところか。今もどこかで奮闘していることだろう。

「平田の補佐くらいしてやったらどうだ? クラスのためってより、自分のために」

「私が彼の補佐? 冗談じゃないわね。それならマングースと芸をやる方がマシよ」

「マングースと芸て……」

 それは幾ら何でも平田に失礼じゃないだろうか。いや、失礼すぎる。

「冗談よ。彼とマングースがどれだけ違うかはまた別問題として、今回私が力になれることは何もない。明確な敵やゴールがあるのなら考えようもあるけれどね。何より私自身、ポイントを使わないべきなのか、ある程度利用するべきなのかまだ答えが出ないから」

 それだけ話すと静かに離れていく。そして設営されたばかりのテントに入っていった。

 っと、とりあえずオレと一緒に出かけてくれる優しいパートナーを探さないとな。

 残っている男子を探していると、川辺で横になって空を見上げるどうがいた。さっきは格好よくいけをフォローしてたし、ちょっとは頼れる男になったのかも知れない。

 きっと困ってる友達を助けるべく重たそうな腰を上げてくれるだろう。

「なあ須藤、これからたき用の木を拾いに行くんだけど、一緒にどうだ?」

「あ? なんだそれ、面倒な仕事ならパス」

 腰を上げる素振りすら見せず断られた。他に誘う相手も見当たらないので粘ってみる。

「面倒というかその辺をぐるっと回って拾い集めるだけなんだが」

「それを面倒な仕事っつーんだよ。悪いな。ちょっと海で泳いでくるわ」

 体を起こすと、そばに置いていたかばんを手に須藤は海へと向かっていった。

「まあ……そうなるよな」

 オレはダメ元で、テント近くで女子と話し込んでいたやまうちを誘うことにした。

「これから焚火用の枝を拾いに行くんだけど、付き合ってくれないか」

「ええ、面倒臭そうだな……。ほら、俺はかんらと一緒にスポット見つけただろ? いろいろと気を遣って疲れたんだよ。悪いけどパス。休ませてくれ」

「そうか……そうだな」

 そう言われてしまってはオレも強くは言えない。さて困ったぞ。

 こうなるとオレが話せる相手はもう限りなく0に近い。堀北には今こちらから頼みごとを持っていける『状態』じゃないし、櫛田は女子チームでどこかに出払っている。

「……結局一人か」

 女子と楽しそうに談笑するやまうちが、こっちを向くこともなく適当に応援をしてくれた。

 一人で森に向かう決意を固めた時、様子をうかがうようにくらがやって来た。

「あの……私……一緒についていって、いい、かな?」

 近くで話を聞いていたのか事情はわかっているようだった。

「え? オレはありがたいけど。いいのか? 疲れてるだろ、休んでていいんだぞ」

 佐倉はさっき一緒に森の探索をしてくれた。相当疲れているはずで無理強いは出来ない。

「私なら大丈夫。ここに残っても、その、ちょっと……心地ごこちが悪くって」

 そう言って、クラスメイトの女子たちに背を向けた。

 オレと似たような状況の佐倉からすれば集団生活は苦痛でしかないらしい。

「じゃあ行こうか」

 こうえんもいないから、足並みは佐倉に合わせればいいしな。

「なあ!」

 二人で森へ向かおうと思った時、後ろから山内の呼び止める声が聞こえた。

 そしてすぐオレたちのところへと駆け寄ってくる。

「やっぱり俺もつだってやるよ!」

 寸前に断りを入れてきた山内だが、か考えを変えたようだ。

「え……いいのか?」

「まあほら、困ってるときは友達を助けるもんだし。な、佐倉」

「ぁ……は、はい……」

 しゆくした様子で、佐倉は少しオレの背中に隠れてうなずいた。

 山内とはほとんど会話したことないだろう。これを機に佐倉に友達が増えるといいな。


    6


 ベースキャンプから遠く離れないよう、あくまでも周辺で枝を集めることにした。

 キャンプ地からそれほど遠くない場所で3人広がるようにして枝を拾っていく。

「な、なああやの小路こうじ。ここだけの秘密にしてほしいんだけどさ」

 と、枝を少し手にした山内が近づいてくると、首に手を回して耳打ちしてきた。

「俺……佐倉ねらおうと思うんだ」

「え?」

「いや、くしちゃんってレベル高すぎるじゃん? コミュ力も高いし。だからこの際その高い目標は捨てようと思う。それに比べて佐倉って人を苦手にしてるってか、その、男慣れ全くしてないしさ。ぶっちゃけ、この旅行で行けるとこまで行こうと思ってんだよ。多分あの手の女の子は、優しく気配りできる男を演出できれば落ちると思うんだよな。何ならキスくらいまでするぜ。いやマジで。この際くらでオッケー。いや、佐倉がいい!」

「この際って、今まで何一つ佐倉にからんでなかっただろ。随分急だな」

「いやさ、見る目がなかったって反省してんだよ、それはさ。地味だから目に留まってなかったけど、すげぇ可愛かわいいし。アイドルだし? 胸はもう、最高だし。ジャージ着こんでても丸分かり、目立って仕方ないよな」

 ぐへへ、と手でむ動作をする。急につだう気になった理由はそこらしい。

 本命だったくしあきらめた末の滑り止め扱いに見えた。それを佐倉が喜ぶとは思えない。

 願わくばやまうちが本気で佐倉を好きになるイベントに恵まれることに期待しよう。

「だから応援してくれよ。例えば今から俺と佐倉を二人きりにするとかさ」

「それは応援とは言わないだろ……」

「何だよ。おまえ、もしかして佐倉ねらってんのか? あのおっぱいか!」

 どうしてこう短絡的に物事を見るやつが多いんだろうか。

 オレは別に山内のおもいを否定するつもりはない。胸の大きさだって女性の魅力だし、そこにかれるのも生物学上説明だってつく。必要なら応援、手助けをしてやるのも構わない。けど佐倉は櫛田とは違って、男とのやり取りにとにかく不慣れだ。これが純粋に友達になりたいだけだったなら話は違ったが、異性として狙っている男と突然二人きりにさせるわけにはいかない。山内が暴走すれば佐倉にあらがすべはないからな。

「今は諦めてくれ。もう少し佐倉と仲良くなったら協力するから。それに、早いうちに戻ってちゃんとたきができるか試しておきたいし。だろ?」

 がっくりと山内は肩を落としたが、すぐに気を持ち直した。

「ったく固いよな。まあいいか。あやの小路こうじにはほりきたが居るから心配ないだろうし」

 いつからオレのもとに堀北がいることになっているのか。

「ほら枝しっかり集めろよ。俺も向こうでちゃんと拾うからさ」

 そう言って自分が集めていた枝をオレに押し付けてきた。手からこぼれて地面にボトボトと何本か落ちる。しかし佐倉には悪いことをしたかも知れない、と少し反省だ。こうえんが単独先行したことが原因とは言え、オレと二人で長い間一緒にいたことを苦痛に感じていた可能性はある。言い出せるような性格じゃないし。

 結局佐倉はオレや山内を警戒してか、ほとんど無言で枝を集めていた。

「もうこれくらいでいいんじゃね? 今日きようの分は十分っしょ」

 確かに、今日一日で言えば十分すぎる量が集まった。山内の一言で枝集めの作業を終えて3人でキャンプ地へ戻りはじめる。

「なあなあ佐倉。持つの手伝ってやろうか? 女の子だと大変だろ。するかもだし」

 最初からそう切り出すつもりだったのか、手にはオレの半分ほどしか枝がなかった。優しく気配りの出来る男を演出するつもりらしい。対照的にオレが手伝わないことで、山内の優しさが際立つねらいもあるんだろうか。

「だ、大丈夫です……あやの小路こうじくん、いっぱい持ってるし。つだってあげてください」

「くぅ~~~! くらは優しいなあ! ったく、一人でいっぱい持つなんて欲張りすぎだぜ綾小路。ほら、半分持ってやるから貸せよ」

 そう言って最初に押し付けた量の半分くらいをつかんで回収する。佐倉に断られた場合でも優しさをアピールできる二段構えの作戦だったようだ。満足そうなやまうちは、意気揚々と歩き出す。そんな帰り道の出来事だった。

 大木に背中を預けるようにして座り込んだ一人の少女が居た。Dクラスの生徒じゃない。

 こちらの存在に気がつくと、一度目を向けた後興味なさそうに視線を外した。

 他クラスなのだからほうっておけばいいのだが、少女の様子がただごとじゃないことはすぐにわかった。その子のほおには赤くれたあと。一目で誰かにたたかれたのだと分かった。それもかなり強い力で。山内が少女に駆け寄ろうとした時、オレは思わず肩を掴んでしまった。

「なんだよ」

「あ、いや……悪い。何でもない」

 今オレが言おうとしたことは余計なことだと、ギリギリのところで自制する。

「なあ。どうしたんだよ、大丈夫か?」

 山内は傷ついた女の子を放っておくことが出来ず、率先して声をかける。

「……ほっといてよ。何でもないから」

「何でもないって……全然そうは見えないし。誰にやられたんだ? 先生呼ぼうか?」

 れの状態から察するに、相当な痛みを伴っていることが容易に見て取れる。

「クラスの中でめただけ。気にしないで」

 ちよう気味に笑い、少女はそう言ってやまうちの言葉を拒絶した。口調こそ男勝りな感じだったが、元気が無いのは明らかだ。揉めたという話も少々気にかかる。

「……どうする? ほうっておく、なんて出来ないよなぁ」

 ここは学校の敷地内とはわけが違う。360度森に囲まれたジャングルだ。

 あと1、2時間すればも沈み始める。そうなれば遭難にもつながりかねない。

「俺たちDクラスの生徒なんだけどさ。良かったらベースキャンプに来なよ」

 山内に軽く同意を求められたので、オレとくらは少しだけうなずいて話を合わせた。

「は? 何言ってんの。そんなことできるわけないでしょ」

「困ったときは助け合いって言うか、当然っていうか。な?」

 そんな言葉にも耳を貸すつもりはないのか、そっぽを向いて黙り込んだ。放っておけば楽なのは間違いないが、よっぽどの事情がなければ女子一人でこんな場所にはいない。

「私はCクラスだ。つまりおまえらの敵ってこと、それくらいわかるでしょ?」

 助けてもらう筋合いは無いということだろう。

「けどさ……こんなところに一人で置いとけないって。だよな?」

 オレも佐倉も頷き同意する。それでも少女は重い腰を上げようとはしなかった。

 同じ学校の生徒なんだから、普通なら助け合って当然だ。でも特別試験においてそれが正しいかどうかは別問題でもある。打算的に判断するなら、だが。

「女の子を残して戻れないって。君が動くまで俺らもここに居るから」

 山内はこの場に居座り続ける覚悟を決める。ならオレたちは合わせて待機するだけだ。

 もっとも、少女はそんなオレたちを一時的な気の迷いと判断したのか、すぐに立ち去ると踏んだようで相手にしなかった。こちらに見向きもしない。

「それにしてもさ、森の中はジメジメして嫌な蒸し暑さだよな。佐倉暑くない?」

「私は、その、別に……大丈夫です」

 待つだけなんて退屈なものだが、山内にしてみれば願ったりかなったりだったのかも。少女が折れるまで佐倉と過ごせる時間が続くという意味でもあったから。

 それからも山内は都度佐倉と少女に質問をぶつけたりして有意義な時間を過ごしていた。10分ほどして、少女は粘り負けしたのか、仕方ないといった様子で立ち上がった。

「……バカだなおまえら。相当なお人よし。うちのクラスじゃ考えられない」

「困ってる女の子を放っておけないだけさ」

 山内が格好つけて親指を立てる。佐倉の山内に対する好感度は上がっている……のか?

 肝心のくらはそんなやまうちの涙ぐましい努力を大して気にしている様子は無かった。森の奥や空を意味も無く見つめている。元々人とかかわることが苦手な佐倉からしてみれば、この不測の事態も望んだものじゃない。極力関心を寄せないようにして時間が過ぎ去るのを待っているんだろう。

「でもいいわけ? おまえらのキャンプ場所教えても。しかも案内までするとか」

「え? なんか不都合あんの?」

 山内は少女の言葉の意味が分からなかったのか、こちらを向いて確認してきた。

「信じられないようなバカって実際にいるんだな。マジで信じらんない」

 思っても口にしないようなことを、少女は迷い無く言葉にした。山内もあつに取られている。キャンプ場所が分かれば他クラスがどんな風に試験を乗り切るつもりなのか、傾向と対策が見えてくる可能性があるし、Dクラスで言えばスポットの存在が知られてしまう。

 ねん材料があるとすればその部分だが、居住まいを正してオレはとうとうと答えた。

「大丈夫だ。別に何も問題ないと思うぞ」

「だよな? 問題なしってことで。俺は山内はる。よろしくな!」

「まぁ良いやつらってことなんだろうけど……やっぱりバカだ」

 あきれつつも自己紹介を受けた少女は、こちらに見向きもせず短くこう答えた。

「私は……ぶき

 聞き取りやすい声で伊吹と名乗った少女は、痛むのか赤くれたほおを少しでた。自己紹介するときでも目を合わせようとはしなかった。人の目を見るのが苦手なんだろうか。

 それよりも気になるのは、少量だが伊吹の手の爪の間に土が挟まっていたことだ。直前まで伊吹が腰を下ろしていた場所には、一度土を掘り起こしたような跡も見られる。

「うへ、最近の女の子同士って、ビンタし合うようなけんとかするわけ……?」

「ほっとけよ。のクラスには関係ないことだろ」

 そう言われても、相当痛そうな様子を見ているとほうっておけるものでもない。

 我慢はしているようだったが、時折表情を苦痛に染めて頬を撫でる。

 伊吹が邪魔臭そうにかばんを肩にかけ直すのを見た山内は、何かひらめいたのか目を輝かせた。

「なあ、せめて鞄くらい持ってやるよ。な? な?」

 佐倉の前で男らしいところをどうしても見せたい山内が、オレに枝を押し付けてから手を差し出した。実に紳士的だ。

「……いい。ちょ、いいって。やめろよ」

 鞄くらい預けてもよさそうなものだが、伊吹はオレたちを信用していないのか、あるいは頼りたくないのか強く拒否した。鞄を逃がした弾みで、鞄が木にぶつかってしまう。ゴン、という鈍い音と共に。気まずい雰囲気が流れ慌てて山内が謝罪する。

「わ、悪い。別に悪気は無いんだよ。ごめんな」

「わかってる。ただ、私はまだおまえらを信用してない。わかるだろ?」

 それ以上は何も話したくないようで、ぶきは黙り込んでしまった。やまうちあきらめ歩き出す。

 かばん持たなかったんなら枝を持ってくれよ……チクチク刺さる枝を大量に抱えそう思った。


    7


 枝をかき集めてキャンプ地に戻って来たオレたち。伊吹は他クラスに迷惑はかけたくないといい、離れたところに腰を下ろしていた。すぐに溶け込めというのは無理な話だし、決定権の無いオレたちとしてもありがたい。目の届く範囲にいてくれれば、不測の事態に巻き込まれることもないだろうしな。ひらは残念なことに出かけている様子だった。

 ひとまずオレと山内、くらたきの下準備にかかる。

 いざ夜を迎えて満足に焚火もできませんでした、だとみっともないからだ。

「俺に任せてくれよ。良いとこ見せるからさ」

 先生からマッチを受け取って来た山内は、軽く積み上げた枝の前でしゃがみこむ。

 そしてマッチぼうを取り出し、素早く先端を側薬に擦りつけた。

 チッという擦れる音は度々聞こえてきたが、マッチ棒には中々火がつかない。

「くそ、結構難しいな……」

 そばで佐倉が見ていることもあって、山内は格好よく決めたかったみたいだが、普段使うことのない人間からしてみると、中々くは行かないものだ。それでも繰り返すこと数十回目のチャレンジ、突如としてマッチ棒の先端に火がつく。

「っとと! っしゃ!」

 やっと火がつき、慌てて積み上げた枝に落とし込む。

 が……わずかに煙を上げた後は待てど暮らせど燃え広がっていく気配はない。

「あれ……?」

「もっとじっくり枝に火をつけるんじゃないか? 今のだとさすがに無理そうだったし」

「おし、次はじっくりやってみるな。……あーもう、また失敗だ。不良品じゃねえの?」

 一本のマッチに火をつけるのにも一苦労では、焚火ができるのは当分先の話だな。

 段々といらってきた山内は自然と手に力がこもるのか、マッチの先端を側薬に強く擦りつけていたため、細い木があつなく折れてしまう。

 そのたびに、1本2本と未使用で終わってしまったマッチ棒がまっていく。

「あまり失敗してるとまずいぞ」

 山内の足元に3本目のざんがいが落とされたので、冷静になるよう声をかける。

「大丈夫大丈夫。へーきだって。まだこんなにあるし」

 じゃらっと箱から取り出して見せる。軽く見ただけでも20本以上はありそうだが……。

 このペースで使い続けたら1週間持たない可能性もある。

「おっしゃついた! 今度こそ!」

 やっとの思いで火をつけたマッチを、今度はじっくりと枝に押し当てる。

 火は確かに枝に密着し燃え焦がそうと頑張っている様子だったが、望む展開にはならない。木が焼ける煙をわずかに出すだけで燃え広がってくれないのだ。

「なんでだよ! 俺どこも間違ってないよな? ちょっと先生に聞いてくる!」

 くらに格好良いところを見せたくて仕方ないやまうちが、慌ててちやばしら先生を探し始めた。

 もっと当たり前のことを当たり前に考えなきゃいけないってことだろうな。

 オレはしゃがみ込み、火をつけようとしている枝を手にした。

「どうして火がつかないんだろうね?」

 すると隣に、同じようにしゃがみ込んで来た佐倉が不思議そうに焦げ跡を残す枝を見た。

「木ならすぐに燃えると思ってたけど、火は想像よりずっと弱いものなのかもな」

 言葉の意味が理解できなかったのか、ちょっと首をかしげて目で問いかけてくる。

「ドラマとか映画に出てくるたきって、太い枝のイメージがあるだろ? だから事実、オレたちはイメージに近い枝をかき集めた。でも、最初からこんな太い枝に火なんてつけられないんじゃないか?」

 枝分かれしていた、細い枝を1本折って見せる。

「これくらいの細い枝から順番につける感じにな。それに湿ってる枝も多い」

 素人しろうとが湿った枝に火をつけるなんてちやな行為なんじゃないだろうか。これじゃあ山内が何十本マッチを使っても、火は燃え広がらないように思えた。

「ちょっと手間だけど、もう一度森に行って乾いた細い枝や、燃えやすそうな葉───」

「あれ、おまえらそんなところで何やってんの?」

 色々と試行錯誤していると、ひと泳ぎしてきたと思われるいけが戻って来た。

「今ちょっと焚火の予行演習中だ。く行かなくて苦戦してる」

「焚火の? ……って、こんな太い枝に火なんかつくわけないだろ~。最初はもっと細い枝が必要だぜ? 持ってきてる枝、どれも太いじゃん。それに湿ってるのもあるし。全然ダメダメだぞ。だっせー」

「あ、でも今あやの小路こうじくんが───」

 フォローしようとしてくれた佐倉の言葉をオレはさえぎることにした。

「そうなのか。もし良かったら教えてくれないか、どうしたらいいのか」

「ったく仕方ねーなー。俺が軽くレクチャーしてやる。ちょっと待ってろよ、手ごろなのその辺で拾ってくるから」

 そう言って池は水着の入ったカバンを置くとそばの森に入って行き、すぐ戻ってきた。

 細い枝から中くらいの太さの枝まで、数段階に分けて拾ってきたようだ。

 それに、枯れ葉の束を持って帰って来ていた。

「手ごろな枝持ってきた。これで何とかなると思うぜ」

 そう言って、やまうちが置いていったマッチ箱を拾い上げると、さっと枯れ葉に火をつけた、するとその葉っぱが次第に燃え広がり、小枝へと移っていく。そして火の加減を見つつ徐々に枝を太くしていった。またたく間によく知ったたきへと姿を変えていく。

「とまぁこんなもんだ」

すごいな。素直に感心する。やっぱりキャンプ経験者は違うな」

「基礎中の基礎だからな。焚火のやり方は。一回覚えたら誰だって出来るさ」

 でもこのDクラスには、その経験のある生徒がほとんどいないのだから存在は大きい。

「あーくそ、先生何にも教えてくれな───うわ! なんで焚火できてんだよ!」

 戻って来た山内が、立派に完成した焚火を見てきようがくする。かついいところを見せられなかったのが悔しかったのか、しばらくぶつぶつ文句を言っていた。

 オレは焚火の件をいけと山内に任せることにして、その場を離れる。

「ね、ねえあやの小路こうじくん。その……自分で気づいてたのに、よかったの? 言わなくて」

「正解だって確証はなかったし、それを言ったって意味ないからな。それよりもいけに自分の経験が役に立ってると自分自身で確認してもらった方が後々クラスのためになる」

 ちょっと臭いセリフだったが、思ったことをそのまま口にした。

 くらは少し感動したような目でオレを見ていた。何だか無駄に恥ずかしくなったぞ。

「悪い。ちょっと疲れたから休むよ。佐倉もありがとう」

 逃げるように、オレはキャンプ場から少し距離を取った。

 付近で個人用のテントを用意していたちやばしら先生が、そんなオレの方をジッと見ていたけど、それに気づかないフリをして無視することにした。


    8


 腕時計の時刻が5時を回った頃、くしたちのグループが戻って来た。ひらも櫛田たちと行動していたようで、中心人物たちの帰還に生徒の半数近くが集まり始めた。どうやら食料を探す役目をしていたらしく、手には食べ物のようなものが見て取れる。遠目に確認してみると、イチゴのように赤く小さな実がたくさんくっついたものやトマトを小さくしたようなもの、ぶどうやキウイのような形状のものまであった。

「これ……食べられるかな? ちょっと果物くだものぽいなって思って持ってきたんだけど」

 自信が無い様子で他の生徒に意見を仰いでいるようだった。

 どれも見たことがない形状のものばかりで、食べるには勇気がいりそうだ。

「それにしてものど渇いたね……おなかも空いてきたし」

「私ものど渇いたかも……」

 夕方になり、生徒たちからそんな声が出始めるが無理もない。オレだってその一人だ。

 夕食の時間が近づくに連れ食べ物と水の問題が浮き彫りになっていく。

「お、これクロマメノキじゃん。きようちゃんが見つけたの? すげーじゃん」

 騒ぎを聞きつけ、たき付近にいたいけがやってきて、果実を一つつかみ言った。

かんくん、これが何か分かるの?」

「ああ。クロマメノキって木の実だよ。昔山でキャンプしたとき食べたことあるよ。見た目通りブルーベリーっぽい味がするんだ。こっちはアケビだな。これも甘くてしいよ。いやー、懐かしいなー」

 別に格好つけようとしたわけじゃないだろう。懐かしい果実を見つけ子供のような笑みをこぼす池の姿を見て誰もが感心した様子だった。そんな池に対ししのはらも別の果実のことで質問をぶつけ、それに素直に答えていた。

「あれ……なんか、思ったよりいい感じだな」

 火種は無数にくすぶっているものの、ちょっとしたことでクラスが今日きよう一番まとまっている。少量とは言え食べ物を得られたことも1つの要因だろう。

「無事に焚火はできたみたいだね。ありがとうあやの小路こうじくん」

「オレじゃなくて池に言ってくれ」

 煙は絶えず狼煙のろし代わりとして役目を務めている。名前を呼ばれた池がやってきた。

「煙を見れば、森で迷ってもキャンプ地に戻ってこれるだろ?」

「あ、それで私たちもすぐ戻れたんだよね。寛治くんのお陰だったんだ!」

 その分、別のクラスに見つかるリスクも抱えることになるが仕方ない部分だろう。

 くしだけじゃなく、他にも思い当たる生徒が居たのか感心したようにうなずいた。思わぬ注目と尊敬のまなしにてんになるかと思ったが、池は櫛田ではなく篠原と向き合った。

「……なあ篠原。今日一日考えてみたんだけどさ。こんな何もない島で、トイレのない生活なんてキツイよな。ポイントを守るためだからって言い過ぎた。悪かったよ」

「な、なんで急にそんな謝んのよ」

「思い出したんだよ。俺が初めてキャンプした時のこと。その時は酷いトイレでさ、虫が這ってるのは当たり前、汚れ放題だった。だから用を足すのが嫌で嫌で、親に帰ろうって文句言ってた自分を思い出した。まして女子なんだから尚更だよな……」

 池は自分で状況を把握して冷静になることが出来る、優れた人間だった。特別目立ったことをしないオレなんかよりよっぽど出来た存在。もちろん、今の一言を振り絞るには勇気が必要だっただろう。だけど、その勇気と謝罪はゆっくりとだが感染していく。やがて篠原もバツが悪そうにこう続いた。

「私も……さっきはごめん。川の水は飲めないとか言って……感情的になり過ぎてたと思う。少しは自分たちで何かやらないとポイントは残せないよね」

 どちらも相手の目をぐ見ることは出来なかったようだけど、仲直りは出来たようだった。ひょっとするとひょっとして、Dクラスは思わぬクラスポイントを残すことになるかも知れない。そんな予感、予兆を他の生徒も感じたんじゃないだろうか。

 だからこそひらは、この機を逃すまいと決意し、手を挙げると全員の注目を集めた。

「皆にどうしても話しておきたいことがあるんだ。この特別試験は僕たちにとって初めてのことばかり。だから戸惑う気持ちも分かる。人それぞれ価値観が違うんだからめるのだって当然だ。だけど慌てず騒がず、最後まで信頼しあって進めて行きたい」

 そうはっきりとした口調で言い、落ち着いた聞き取りやすい声で話し始めた。

「誰だって1ポイントでも多く残したいよね? だから僕なりに現実味があって、目安になる数字を導き出してみた。それは試験終了時、120ポイント以上残せているかどうか。それがDクラスにとっての戦いだと感じてるんだ」

「つまり180ポイントも使うつもりか? 簡単には納得しないぞ平田」

 半分以上使ってしまう計算をした発言が許せないゆきむらにらける。

 平田は周囲に見えるよう、地面にマニュアルを置いて結論に至った理由を説明し始めた。

「まずは最後まで聞いて欲しい。仮にすべての食事をポイントでカバーするとして、一番支出が少ない形にしようと思ったら、栄養食とミネラルウォーターのセットになる」

 食料や飲料水はクラス単位で1食6ポイントするが、セットにすると1食10ポイントで済む。日に2食を食べるとして20ポイント。今日きようの夜と試験終了日が1食で済むなら合計12食。合わせて120ポイント。最終日を抜いて我慢するなら110ポイントで済む計算になる。ここに仮設トイレの20ポイントと男子用テント2つの20ポイントを加えて150ポイント。残りの30ポイントは、1週間生活する上で必要なものをそろえ、トータル180ポイントは使用すると考えての計算だった。

 ひとつの根拠を持った説明をする平田の話を全員が黙って聞く。

「残りが120ポイントって聞くと、途端に少なく感じてしまうと思う。でも、それは一過性というか、300というポイントを意識しすぎているだけだと考えて欲しい。その理由は中間テストと期末テストの結果から見れば分かりやすいかな」

 オレたちは夏休みを迎える前の筆記試験で、クラスポイントの変動を受けた。その際、もっとも優秀だったAクラスですら、ポイントの変動は100に届かなかったのだ。この状況から見るに、120ポイントと言う数字はけして小さいものじゃないことが分かる。付け加えて試験終了時には、占有した回数に応じたボーナスポイントも入るから、実際は更に多く残せるはずだ。

「それに、これは僕の考える下限ポイントの話だ。もし、一日分の食料と水を見つけて乗り切ることが出来れば、それだけで20ポイントも温存できる計算になるからね。1週間飲み水に困らないってことにでもなれば、50ポイント近く変わってくる」

 近くに流れる川を見てひらは語る。それで川の重要性が一発で伝わっただろう。

「そっか……私たちが我慢すれば、それだけでそんなに変わるんだ……」

 同じような内容を話すとしても、その論調や手順で受ける印象は大きく違う。平田の言葉運びはほぼかんぺきだった。最初に下限を聞かせた上で、最終的に200ポイント近い数値を残せる可能性も教える。そうすることでクラスメイトに高い目標意識を無理なく植え付けることに成功した。頑張ればたくさんのポイントを残せる、ではなく、ちょっとした努力を繰り返すことでポイントはどんどん加算されていくと考えれば気も楽だろう。

「それでいいんじゃないか平田。最低120ポイントはもらえる。そんでやったらやっただけ追加でポイントが貰えるってことだろ? やってみようぜ」

 一番の対立候補と思われたいけが、吹っ切れたように賛同して声をあげた。どうやまうちも仕方ないといった様子でそれにあわせる。ゆきむらはまだ少し不本意そうだったが、仲間である池が平田寄りになったことであきらめたようだった。

「あぁそうだ平田、ちょっと確認したいことが───」

 山内がぶきのことを報告するのを忘れていたので仕方なくオレが声をかける。だが、クラスは勢いに乗るかのように話し合いを継続していくようで割り込むすきが無い。

「人気者の宿命だな……もう少し時間を置いてからにするか」

 遠くから様子を眺める伊吹に近づき、軽く声をかけておくことにした。

「悪いな。もう少し待ってくれ、おまえのことを相談してみるから」

「別に無理しなくていいって。邪魔することになって悪いと思ってるし」

 自分自身へのけん感があるのか、伊吹は草を強く握り締めるとそれを引き抜いた。

「どうせ私はすぐにここを追い出される。違う?」

「わからないぞ。平田ってヤツは人一倍お人よしだからな」

 伊吹の事情を知れば、追い出す真似をするとは思えなかった。

「さっきは自己紹介してなかったからな。オレはあやの小路こうじだ」

「私ももう一度した方がいいの?」

「いや、それは大丈夫だ。Cクラスの伊吹。ちゃんと覚えた」

 改めて自己紹介を終えて顔を突き合わせるが、やはり伊吹は目を合わせなかった。

「参考までに、この中で川の水飲んでも良いってやつ居るなら挙手してくれないか?」

 伊吹とDクラスをかんで見ていると、議題は次へと移ろうとしていた。

 今度の池は強制するわけではなく意見をうかがうために聞いていた。もちろん自分が率先して手を挙げる。男子の半分近くは同意するように手を挙げた。しのはらは少し戸惑っている様子だったが、池が無理すんなよと優しく声をかける。

「わ、私だって頑張りたいけど……ちょっと怖い、かな」

「さっきけんが言った沸騰させるって話、悪くないと思う。直接飲むのが怖いなら、まずはそれで試してみるのも悪くないんじゃないか?」

 それなら、と少数だが賛同する生徒が追加される。タイミングが違うだけで、一度は拒否された案件がすんなり通ってしまった。しのはらも恐る恐るといった様子でだが手を挙げた。

「ちゃんと飲めるか分からないけど……チャレンジしてみる」

「私も賛成かな。最初の一口が飲めたら、きっと大丈夫だと思うんだ」

 く次の生徒が賛同に続きやすいよう、くしも篠原に続いて手を挙げた。集団的心理が働いた影響だろうか。オレとほりきたを除き全員が挙手をするという予想外の展開を見せた。

 視線が集まりだしたので、面倒で手を挙げなかったオレたちも軽く手を挙げて答えた。

 ただし、全員がいきなり川の水を飲むことは難しい。そこで安全な水を用意するためだけではなく、ペットボトルを有効活用しようという提案で、水の購入を決定する。

「僕からのお願いだよいけくん。どうかこれから力を貸して欲しい。クラスでちゃんとしたキャンプ経験があるのは君だけみたいだし……助けてもらえないかな?」

「ま、まぁどうしてもって言うなら協力くらいするけどさ」

「ありがとう!」

 ぶっきらぼうに答えた池の返答がうれしかったのか、ひらは飛び跳ねる勢いで喜んだ。一番文句を言いそうな篠原も突っ込むことはなかった。早速、食料に関して意見を求める。

「とりあえず今日きようはもうすぐ日も暮れるし頼むしかないよな。でも明日以降は少し考えさせてくれよ。身近に食べ物は色々ありそうだったし、明日調べてみるからさ」

「身近なところって何よ。櫛田さんたちが見つけた果物くだものとは別にってこと?」

「ああ。この川だよ。魚を捕まえて食べたらいいんだって。パッと見ただけでもかなり川魚はいそうだったし。ある程度はポイントの支出を抑えられると思う。魚捕ってさ、焚火で焼き魚にして食べたら絶対いぜ」

しいかは置いとくとしても、その魚どうやって捕まえるつもりなのよ?」

「そりゃ、こう潜って? やったことないけどさ」

 池が泳ぐジェスチャーをするが、素潜りで魚を捕まえるのは簡単じゃないだろう。

「素手で捕まえるというのは無理にしても、魚を捕るのは十分現実的だね」

 平田はそう言ってマニュアルに記載されたある項目を指さす。そこには竿ざおの文字があり、それも幾つかの種類別で貸し出しているようだった。

「エサ釣り用の釣り竿なら1ポイント、ルアーのもので2ポイントだね」

 ということは、案外元を取るのは難しくなさそうだ。場合によっては1ポイントだけで1日~2日ほどの食事量を得られる大金星になるかも。逆に全く釣れなかった場合でも最低限の支出のため大きな痛手にはなりにくい。反対意見は出ず、池はうれしそうに言う。

「じゃあ決まりだな。釣り竿ゲットして釣りまくろうぜ。もちろん安い方な」

 これで、明日から森での食料調達と釣りによる魚の確保が目標として定まった。魚を釣り上げることに成功するか野菜などを手に入れることが出来た場合には、追加で5ポイントで調理器具セット購入をすることが話し合いで決まる。

 そして20ポイントを支払いシャワー室を1つ設置することも話し合いで決まる。強い反対意見が出ることも予想されたが、冷たい水だけでは体調を崩す可能性が高いこと、夜中に限定して男子にも使う権利が与えられたこと、そして女子全員が川の水を飲む努力をしたいと前向きな表明をしたことで、反対派を納得させ可決されることになった。

「ところでさ……あの子、Cクラスのぶきさんだよね? 前に見たことあるんだけど」

 佐藤という女子生徒が遠くで静かに座り込んでいる伊吹を怪しむような目で見る。こちらから切り出す前に気づいてくれたようでオレが切り出す必要が無くなった。

「えっと、なんかクラスでトラブルがあったみたいでさ……」

 クラスメイトから孤立しているらしいことを、少し慌てながらやまうちが説明する。

「なるほど、それは正しい判断だね。ほうってはおけないよ」

「でもひらくん……スパイかも知れないよ? リーダーを当てるってルールあるし……」

「あ、そうか……そういう可能性もあるのか……!」

 山内は今気づいた、と頭を抱えた。出来ればそれは最初の段階で気づいて欲しかった。

「今からそれを確かめてくるよ。山内くんとあやの小路こうじくん、いいかな?」

 伊吹と面識のある二人を呼び平田は伊吹の元へ向かう。くらを除外したのは、平田のイケメン的配慮だろう。佐倉も目立たないで済むことにあんしている様子だった。

「少し時間いいかな、伊吹さん? 詳しく話を聞きたいんだけど」

「邪魔だろ私は。世話になったな」

 本人は勝手に結論を下したようで、足早に立ち去ろうと立ち上がった。

「ちょっと待って。何があったのか聞かせてもらいたい。……力になりたいんだ」

 語尾を強めて呼び止める。れた顔を見て平田もただ事じゃないことを察知したか。

「待ったって変わらないこともあるだろ。そっちの時間をこれ以上無駄にさせたくない」

「これは試験だから、君を疑う生徒がいるのは仕方がない。だけどをして、それもクラスに戻れない君を追い出すようなはしたくない。そう思ったから、山内くんもここに連れて来たんだと思う。だからちゃんと事情を聞かせて欲しい」

「話してどうにかなる問題じゃないつーか。それに、今さっきお前らの話し合いも聞こえてた。これ以上作戦が筒抜けになるのは嫌だろ?」

 そっぽを向き伊吹は歩き出してしまう。それを平田は少し強引に回り込み制止する。

「本当に君がスパイだったら、自分から追い出されるようなことは言わない。違う?」

「もういいって。私はどこか眠れそうな場所探すだけだから」

 やはりCクラスには戻らないということだ。もうすぐ太陽が沈み、夜がやってくる。

「この森の中で女の子一人が野宿するなんてちやだ」

「無茶でもそうするしかないんだよ。私を助けても、おまえらに得なんかないだろ」

「損とか得とかは関係ない。困ってる人をほうり出せないだけさ。皆もそう思ってる」

 女子がコロッと落ちる爽やかフェイス。それを惜しげなくオレたちにも振りまいた。そんな風に言われてしまえばとりこにされている人間にあらがすべはない。

 ぶきひらの覚悟を受け、自身も悟ったかのように重い口を開いた。

「クラスのある男とめた。それでそいつにたたかれて追い出された、それだけだ」

「ひどいな……女の子に手をあげるなんて」

 オレも想定外だった。てっきり女子同士のけんで手が出たものだと思っていたんだが。

「これ以上詳しく話すつもりはない。かくまってもらおうとも思わないし。じゃあな」

「待って。君が本当に困ってることは分かったし、事情も理解した。少し時間をもらえないかな。そしたら他の生徒にも事情を話して君を置いてもらえるように頼んでみるよ。あやの小路こうじくん、伊吹さんを見ててもらえる? 僕らは今から皆に事情を話してくるから」

 そう言ってオレを残し二人は輪の中に戻っていく。オレを信用して残したのか、やまうちの方が頼りになるから連れて行ったのか。ちょっと気になる。

「マジでお人よしだな、アイツ」

「多かれ少なかれ人なんてそんなものだろ。そっちも似たようなもんじゃないのか?」

「全然……。Cクラスにはそんなお人よしなんてほとんどいない」

 そう言って伊吹は再び地面に腰を下ろすと、三角座りして顔を伏せた。

 そして話し合いの結果、平田の説得もあり伊吹をDクラスで面倒を見ることが決定した。中には反対を強く表明した生徒もいたが、Cクラスは点呼のたびにポイントを吐き出す。それをチャンスと考え最終的に納得したようだった。平田にはそんな意思は全くないようだったが、他の生徒たちはそうじゃない。実利があるからこそ受け入れることを認めたのだろう。だがこの場所の占有権問題は非常にデリケートだ。伊吹にはきちんと説明をし、不用意に装置へ近づかないことを約束させた。ほりきたがリーダーだと悟られれば大きな損害を被るのだから当然の行動だ。

 それからちやばしら先生に今晩必要な食べ物と水のセットと男子用テント2つとシャワー室を注文し、購入することを決める。平田といけの協力もあり、テントはすんなり組み上がった。が沈む直前にはすべての準備が終わり、生徒たちはおのおの好きに食事を始めた。

「はい伊吹さん。これ食べて」

 一人距離を置いたところで静かにしていた伊吹のもとに、くしが歩み寄った。

 そして栄養食とペットボトルの水を1本差し出した。

「なにこれ……なんで私に?」

「おなか、空いてるでしょ?」

「確か食料ってクラス単位の支給だろ。予備なんてないはず」

「うん。でも大丈夫。私たちはグループで分け合うことにしたから」

 少し遠くからくし班の4人ががおぶきのほうに向かって手を振る。つまり3人分の食料と水を4人で分け合い、余った1人分を伊吹にということだ。

「バカじゃないの。どいつもこいつも、お人よしすぎ」

「遠慮せずに食べてね。それと、後でお話ししようね。テントで待ってるから」

 櫛田はそう告げて班のところへ戻っていく。

 自分たちの食べる分を減らしてまで他のクラスの子を助けるのは、簡単なようで難しい。

 全員の幸せを願っている櫛田だからこそ出来る慈善行為だろう。

「なあ、こうしてみると顕著だよな。女子連中もさ」

 食事していたやまうちが、それぞれのグループを指差す。

かるざわ率いる女帝チーム。櫛田ちゃんの仲良しチームに、しのはらごうまんチーム。そんでもって、ほりきたくらが一人ずつだ」

 男子は比較的全員固まって食べているが、女子はそれぞれチームが距離を取っている。

 明らかにそこには壁というか隔たりがあるようで、まるで他クラスのグループのようだ。

 例外があるとすれば櫛田チームは中立というかすべてに顔がくところか。

「佐倉可哀かわいそうだよな一人なんて。俺一緒に食べようかな」

「それはやめたほうがいいんじゃないか? たぶん怖がられるぞ」

「くそー。仲良くなりたいけど、引っ込み思案過ぎるのも問題だな……」

 佐倉の性格上、山内のような強引なタイプでは接しにくいと感じることもあるだろう。

 忠告したものの山内は悩んでいるようで、行きたくてウズウズしている様子。

「何だよはる、一人で美女ウォッチングなんてズルいぜ。俺も仲間に入れてくれよ」

 奇妙な動きを繰り返す山内の視線を見たいけが、勘違いして近づいてきた。

「やっぱいつ見ても佐倉の胸はヤバいよな。高校1年生の大きさじゃないってアレ。服がパンパンじゃん。エロすぎ。それだけはきようちゃん以上に魅力なんだよな」

 池はい入るように佐倉の胸を見た。山内がそんな池の視界をふさぐ。

「おい、何すんだよ!」

「勝手にエロい目で佐倉を見んなよな。おまえは櫛田ちゃんねらいなんだろっ」

「そりゃそうだけどさ。別にいいじゃん、アイドルはみんなのもんだろ? ……春樹、おまえもしかして佐倉のこと───」

「べ、別にそんなんじゃねえって。ほら早く食おうぜ」

 どうやら山内としては、佐倉狙いに切り替えたことは秘密にしておきたいらしい。

 このキャンプ中の夜は時間がとにかく余って仕方が無い。こういった恋愛話で盛り上がったりするのは自然の流れか。食料を手分けして配っていたひらがあることに気が付く。

「あれ? そう言えばこうえんくんは?」

 全員集まっていると思ったが、唯一高円寺の姿だけが見当たらなかった。

「高円寺ならば、体調不良を訴え船に戻ったぞ。もちろん体調を崩したということで、既にお前たちは30ポイント差し引かれたことになる。これはルール上どうしようもない。高円寺はリタイアとなり1週間船内での治療と待機が義務付けられた」

「えええええええ!?!?!?」

 一斉に衝撃の悲鳴が上がる。

「ふざけるなよ高円寺のヤツ! 何考えてるんだ!」

 普段は冷静なゆきむらが叫び、地面をり上げる。

 どこまでも自由な男だとは思ってたけど、まさか勝手にリタイアするとは。あいつは自分がAクラスに上がる必要性を感じていない。楽をするためにクラスが30ポイントを失ったところで痛くもかゆくも無いということだろうが。

「畜生! 30ポイントも失った! 最悪だ!」

 男子も女子も高円寺の行動には怒り心頭のようだったが、本人がいないんじゃそれをぶつけることも出来ない。高円寺の高らかな笑い声がみんなの頭の中に響き渡った。

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