〇波乱の幕開けは突然に
最悪のタイミングだ。
自撮りポイントを探していた私が見つけたのは、まさに事件現場。小さな名探偵も
殴った右手の
私は恐怖を感じながらも、ほぼ無意識のうちにその情景をデジカメのレンズで
私は一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。でも、脳がまともに機能していないせいで足は言うことをきかず、金縛りにあったように動かなかった。
「へへ、こんなことして……タダで済むと思ってんのかよ、
「笑ってる場合かよ。3人がかりでそのザマなんてダセエなおまえら。いいか? 二度と俺に
半ば戦意喪失した生徒の胸倉を
「ビビりやがって。人数がいれば勝てるとでも思ったかよ」
鼻で笑った須藤くんが、床に落としたボストンバッグを拾い上げる。
戦意を無くした3人にはもう興味がないのか、須藤くんは背中を向けて歩き出す。
その瞬間、私の心拍数は急激に上昇した。当然だ。私が隠れている方向へ須藤くんが歩き出したからだ。この特別棟から出るルートは限られている。私が上ってきた階段から降りるのがセオリーだ。逃げるタイミングを逸し、私の体は思うように動かない。事故に遭う瞬間体が硬直するって聞くけど、まさにその状態だ。
「時間を無駄にしたぜ。練習後で疲れてんだから勘弁してくれよ」
距離が詰まってくる。僅か数メートル先。
「……後で後悔すんのはおまえだぜ、須藤」
男子生徒の一人が、声を絞り出すように
その瞬間、私の
「負け犬の
その言葉は虚勢ではなく、明らかに自信に裏付けされてのものだった。事実、須藤くんは3対1の圧倒的に不利な戦局を、無傷で制圧した。
もうすぐ7月を迎える今は、もう夏が顔を
その場でジッと動けなかった私の首筋に、
私は慌てず、冷静に、そして静かにその場を立ち去ることを決める。
今ここで誰かに見つかって巻き込まれるのだけは嫌だった。
そうなれば、私の平穏な学校生活に暗雲が立ち込めてしまうから。
ゆっくりと、けれど迅速に動き出しその場を後にする。
「誰かいるのか……?」
無意識に逃げたい気持ちがはやったのか、
あと1秒か2秒遅ければ後ろ姿を見られていたかも知れない。
1
Dクラスの朝はいつも
だが今日はいつにも増して浮き足立っていて騒がしい。その理由は言わずもがな。今日は入学以来、久しぶりにポイントの支給があるかも知れないのだ。
オレが通う学校『高度育成高等学校』は他に例を見ないSポイントと呼ばれるシステムを採用しているのだが、そのことについて少し説明しよう。
オレは学校から支給されている携帯電話を取り出すと、プリインストールされている学校のアプリを起動し、そこで学籍番号とパスワードを入力しログインを行う。そしてメニューの一つである『残高照会』を行った。
残高照会からは様々なことが出来る。現在所持している自分のポイントを確認したり、クラスが保有するポイントの確認。更には自分のポイント残高から別の生徒にポイントを付与する機能も備わっている。
ポイントは2種類に分類されており、そのうちの一つは末尾に『cl』と明記されている。これはclassの略称として広まっていて『クラスポイント』と呼ばれている。生徒個人に割り当てられたものではなく、クラス単位で所持しているポイントのことだ。6月時点で残高に表示されたオレたちDクラスのポイントは0cl。ポイントは無しだ。そしてもう一つには『pr』と明記されている。それはprivateの略称で、個人個人が所有するポイント……プライベートポイントだ。
毎月1日にcl、つまりクラスポイントの数字×100倍のプライベートポイントが生徒たちに振り込まれる、という仕組みになっている。
このプライベートポイントは、日用品を買ったり食事をしたり、あるいは電化製品を買ったりと、学校においてお金の役割を果たしており、非常に重要なものだ。
敷地内では現金が使えないため、このプライベートポイントを所持していなければ、強制的にお小遣いなしで日々の生活を送らなければならない。
Dクラスはクラスポイントが0のため、毎月振り込まれるはずのプライベートポイントも必然的に0となり、お小遣い無しでのやり繰りを強制されている。
もっとも、入学したときにはクラスポイントは1000支給されていた。
それが維持できていれば毎月10万円
そしてクラスポイントは毎月の支給額の他に、クラスの優劣を決める役割も担っている。クラスポイントの数値が高い順に、A~Dクラスへと割り振られているのだ。
もし、オレたちDクラスがCクラスを
当初この制度を聞いた時、大切なのはクラスポイントを
だけどその考え方は、中間テストの点数を買えたことから一変した。
少し前のテストで、オレは惜しくも赤点を取ってしまった
『この学校では、学校と生徒の契約において、原則ポイントで買えないものはない』
すなわち、学校においてプライベートポイントを持つということは、必要に応じて状況を有利に運ぶことが可能になることを意味している。
その気になればテストの点数以上のものを入手することも出来るかも知れない。
「おはよう諸君。今日はいつにも増して落ち着かない様子だな」
ホームルームの開始を告げる鐘の音と共に、茶柱先生が入室してきた。
「
「それで落ち着かなかったわけか」
「俺たちこの1か月、死ぬほど頑張りましたよ。中間テストだって乗り切ったし……なのに0のままなんてあんまりじゃないですかね! 遅刻や欠席、私語だって全然だし!」
「勝手に結論を出すな。まずは話を聞け。
諭すように言われ、池は口を
「ではさっそく今月のポイントを発表する」
手にした紙を黒板に広げてポイント結果がAクラスから順に公開されていく。
Dを除く
Aクラスに至っては、1004という入学時を
「……あまり
隣の席の住人、
Dクラスの表記には───87ポイント。そう記されていた。
「え? なに、87って……俺たちプラスになったってこと!? やったぜ!」
ポイントを見つけた瞬間、
「喜ぶのは早いぞ。他クラスの連中はお前たちと同等かそれ以上にポイントを増やしているだろ。差は縮まっていない。これは中間テストを乗り切った1年へのご
「そういうことね。急にポイントが支給されるなんておかしいと思ったわ」
Aクラスを目指す
「がっかりしたか堀北。まあ、クラスの差が余計に開いてしまったからな」
「そんなことはありません。今回の発表で得たこともありますから」
「なんだよ得たことってさ」
池が立ったまま堀北に聞く。周囲の視線を集めた堀北は、答える気になれなかったのか黙り込んでしまった。それを見ていたクラスの中心人物、
「僕たちが4月、5月で積み重ねてきた負債……つまり私語や遅刻は見えないマイナスポイントにはなっていなかった、ということを堀北さんは言いたかったんじゃないかな」
頭の回転が速い平田は迷わずそう答えた。お見事。的中だ。
「あ、そっか。100ポイント
分かりやすい説明に納得した池が、やったぜ、と大げさに両手を上げる。
「あれ? でもじゃあ、どうしてポイントが振り込まれてないんだ?」
至極当然の疑問に原点回帰した池が、
8700のプライベートポイントが振り込まれていなければおかしいことになる。
「今回、少しトラブルがあってな。1年生のポイント支給が遅れている。おまえたちには悪いがもう少し待ってくれ」
「えーマジすかあ。学校側の不備なんだから、なんかオマケとかないんですかあ?」
生徒たちからも同様に不平不満の声が上がる。無いと思っていたポイントがあると分かった途端、態度が
「そう責めるな。学校側の判断だ、私にはどうすることもできん。トラブルが解消次第ポイントは支給されるはずだ。ポイントが残っていれば、だがな」
茶柱先生の何やら意味深な言葉が耳に残った。
2
昼休みに突入すると、生徒たちは
だが最近、実は中途半端に
片や女子には不人気なものの、
何が言いたいかというと、オレはどこにも属しきれていないということ。
これが、入学したての頃は気にならなかった。友達が出来る前、つまり声をかける相手もかけてくれる相手もいないから必然一人であることが普通だった。
ところがこうした時期になると、友達はいるのに一人という不可思議な現象が起こる。
この現象……体験してみると実に
そわそわと落ち着かず、思わず池たちの方を見てしまう。オレはここにいるぞ、誘ってくれてもいいんだぞ。そんな自分勝手な淡い期待を込めての
そしてそんな自分に自己
情けない話そんなことを連日繰り返しているのだ。
「まだ
隣人は冷ややかな目で
「……お前はすっかり
「お陰さまで」
クラスメイトの大半はグループを作っているが、こいつのように一人でいる生徒も少なからず存在するのが、オレの唯一の心の
堀北だけでなく、
高円寺コンツェルンという日本有数の企業、その社長の一人
自分が一人でいるという状況を全く苦にしていない姿勢はちょっとだけ尊敬する。
今日も今日とて、手鏡で自分の容姿チェックに余念がないようだった。
他にも、メガネをかけた大人しい女子が居る。一時期胸が大きいとかで池たちが騒いだ時期があったが、地味故に話題はすぐに去ってしまい今は誰も関心を持っていない。そんな彼女はいつも一人で過ごしていて、誰かと話しているところは一度も見たことがない。
案の定今日も背中を丸めお弁当を食べているようだった。数少ない手作り派だ。
そして隣の住人も、
「弁当作る手間と材料費、バカにならないんじゃないか?」
「知らないのね。スーパーにも無料で提供されてる食材があるのよ」
「もしかして、それで作ってるのか?」
堀北は否定せず弁当箱を開ける。肉類や油ものはあまりなかったが十分おいしそうだ。
「文武両道に合わせて料理まで得意なのか。性格に似合わず器用だよな」
「料理くらい本やネットを見れば誰でも作れるわ。必要な器具も寮に
堀北は余計なひと言に触れることも自分の才能に
「でも、何でわざわざ手作りなんだよ」
「学食は騒々しいもの。ここなら落ち着いて食べられるでしょう?」
入学当初は売店で購入してきたパンなどで昼食にする生徒たちも多かったが、今はポイントの兼ね合いもあって無料の定食を食べに食堂へ向かう生徒たちが圧倒的に多い。気が付けば教室は数名の生徒を残すのみだ。
堀北には願ったり
「またビッグウェーブに乗り損ねたか……」
「いつも海を眺めてるだけで、
その見事な返し、反論できないから勘弁してほしい。
3
放課後は、昼と違って対人関係で悩むことがないから意外と楽だ。
さっさと寮に帰ってしまえば目立つこともないし、帰宅組も少なくない。
忍者の
「……
「
さっさと教室を出ようとする須藤を、
「は? 何で俺が。これからバスケの練習なんすけど」
「顧問には話をつけた。来るも来ないもお前の自由だが、後で責任は取らんぞ」
脅迫とも取れる茶柱先生の警告に強気な須藤も少し身構えた。
「なんなんだよ……すぐ
「それはお前の心がけ次第だ。こうしてる間にも時間は過ぎていくぞ」
そう言われてしまっては、ついて行かざるを得ないようだった。
露骨な舌打ちをした後、茶柱先生の後ろについて教室を出ていく。
「変わったようで変わってないよな、須藤の
誰かは分からないが、クラスの中からそんな
中間テストの時はグループこそ幾つかに分かれていたが、クラス一丸となった気もしたんだけどな。どうやらそれは気のせい、まやかしの
「あなたもそう思う? 須藤くんが退学しておけばよかったと」
言いながら、帰るために教科書を
「オレは別に。おまえこそどうなんだよ堀北。須藤に手を貸した一人として」
「そうね……。クラスにとってプラスとなるかどうか、それがまだ未知数なのは確かね」
隣の席の住人、堀北は、淡々とした感情で答える。
期末テストで須藤が退学の危機にあった際、あいつを助けるために自らの点数を下げたり、ポイントを消費してテストの点数を購入したとは思えない態度だ。
オレが席を立つと同時に、堀北も立ち上がり二人で教室を後にする。いつからか寮まで時々一緒に帰るようになった。昼食もバラバラだし遊んだりもしないのに不思議だ。共通する点は、どちらも基本的に寄り道などせず帰ること。きっとそんな理由なんだろう。
「少し気になるわね。
「ポイントの振り込みが保留になったことか?」
「ええ。トラブルがあったらしいけれど、それが学校側の問題なのかそれとも私たち生徒側の問題なのか。もし後者なら……」
「考え過ぎだ。最近は特に問題なんかもなかった。それに担任が言ってただろ。Dクラスだけがポイントの支給を止められてるわけじゃないと。単純に学校側の問題だって」
強いて懸念材料があるとしたら、1年生だけが支給を見送られているという部分だが、それにDクラスが
「そうあってほしいものね。トラブルは必ずポイントにも直結するから」
けど、ちょっと期待している面もある。もしも堀北がポイントを上昇させる攻略法を発見出来れば、それはDクラスにとって大きなプラス要因になるからだ。更に、クラスメイトからの信頼も上がり堀北に
「そう言えば、たまにはチャットに参加したらどうだ? 堀北だけずっと未読だぞ」
携帯を取り出し、グループチャットのアプリを起動して見せる。
期末テストを乗り切ったオレたちはグループチャットに堀北を招待した。人との対話が嫌いな堀北もチャットならば参加してくれるんじゃないかという
「全く興味ないもの。通知もオフにしてあるから」
「左様か」
どうやら最初から参加するつもりはないらしい。アプリを削除せず残しているのは、消すと櫛田たちに通知が行き、あれこれ聞かれるからだろう。
参加するかしないかは堀北の自由だからこれ以上余計なことは言えない。資格もない。
「
「そうか? 最初からこんなもんだったと思うが」
「
入学当初から変わってないつもりだったが、自分でも気が付かないうちに微弱ながら変化していってるのかも知れない。やっぱり慣れなんだろうな。
特に堀北とは妙にウマが合う、いや、ウマは全然合ってないんだが、妙なフィーリングがあるというか
だからつい、
何より多少の沈黙が訪れても、悪い空気にならないというのは関係上一番ありがたい。
「何か変わるキッカケでもあった?」
「どうだろうな……。理由を考えるとしたら、単純に学校での生活も慣れて来たし友達も増えたからだろ。あと櫛田の存在も大きかったんだろうな」
男同士だけだと、ちょっとまだ口数が少なくなったり場が持たないと感じることがある。
でも櫛田がいれば常に誰かが
「あなたは櫛田さんとも仲良くしていたわね。彼女の裏の顔を知ってて気にならない?」
「
「なるほど、そうかも知れないわね。私も
「おい……」
何だろう、面と向かって言われると
「そう言うことよ。他人が他人を嫌っても平然としていられるけれど、いざ自分が嫌いだって言われたら少しは思うことがあるでしょう?」
「……試したのか」
どうかしらねとわざとらしく髪をかき上げる。絶対にわざとだ。
「邪魔をするつもりは無いけれど櫛田さんと私は水と油。交わることは無いと思う」
つまり櫛田がいるグループチャットにも必然不参加って意味だろう。
「そもそも何で櫛田は堀北が嫌いなんだろうな?」
この学校に入学してから接点らしい接点はなかった。いつ堀北を嫌い始めたのか。
櫛田はクラス全員と仲良くなることが目標だと言っていたのに。
「さあ。そんなの私に分かるわけもないでしょう?」
それはそうなんだが。どうにも堀北と櫛田の間には触れちゃいけないものがあるような気がしてならない。
「そんなに気になるなら自分で聞いてみたら? 彼女に直接」
また
櫛田
いつもの優しい
「
「その言い方、物凄く気持ち悪いわよ?」
「……だな」
自分で言っておいてなんだが、気持ち悪いと思った。
4
寮の食堂でせせこましい夕食を
入学初日に10万ポイントあったことを考えると非常に少ない額だ。
過去問入手と
「87ポイントでも支給されれば、かなり大きいんだけどな」
円に換算すれば、8700円。十分とはいえないまでも大きなお金になる。
「助けてくれ
ベッドの上で携帯を
「……いきなり何だよ。というか、どうやって入ってきたんだよ」
オレは部屋に戻った時しっかりと
念のため扉を確認するが、目立った外傷もなく
「ここは俺たちのグループが集まる部屋だろ? だから
手にした部屋のカードキーを手の平で、くるくると回す。
「
どうやらオレの部屋は、既に何人も無断で侵入できる状態になっているらしい。
「つかそんなことはどうでもいい。マジやべえんだって! 助けてくれよ」
「全然どうでもよくない。鍵返してくれ」
「は? なんでだよ。俺がポイント払って買ったんだ。俺のだろ」
その理屈が通ってるようで通ってない反論はなんだ。一歩間違えば犯罪、既に犯罪か。
「相談や悩みごとなら池や
「あいつらはダメだ。バカだからな」
言いながら須藤はドカッとフローリングに腰を下ろした。
「カーペット買おうぜ。ケツが痛くて仕方ねえ」
インテリアに金を回せるほどのポイントは余っていない。
そもそも、グループが集まる場所という割には、打ち上げ以来一度も集まっていないし。無理にカーペットを購入しても、それを踏むのはオレの
一応お茶くらい出してやるかと立ち上がると、来訪者を告げるチャイムが鳴る。
入り口からひょっこりと顔を
「あれ、もう須藤くん来てるんだ」
「念のため聞くけど、ひょっとして櫛田も合鍵所持者か?」
「そうだよ? だって集まるって目的で……もしかして綾小路くん知らなかったとか?」
「あの、これ……返しておくね?」
申し訳なさそうにオレの
「いいよ。櫛田からだけ回収しても意味ないしな。
櫛田が持ってる分には別にいいか。いや、どちらかと言えば、脳内妄想的には彼女を持った気分とも言えなくもないし。男は現金な生き物である。
「櫛田も来たことだし、本題に移ってもいいか?」
「こうなったら仕方ないよな……。それで相談ってのは?」
二人押しかけてきてしまっては、もう無下に追い返すことも出来ない。
須藤は神妙な面持ちになると、ゆっくりと話し始めた。
「俺が今日担任に呼び出されたのは知ってるよな? それで、その……実はよ……俺、もしかしたら停学になるかも知れない。それも長い間」
「え……停学?」
思いがけない話だ。最近の須藤は入学当初と比べれば相当生活態度は改善されていた。授業中の居眠りや私語もほとんどなく、部活も順調だったはず。
「もしかして、先生に悪口言っちゃったとか?」
今日も須藤は
そのあたりでつい、カッとなって暴言を吐いてしまったのかも知れない。
「言ってねえよ」
「ということはアレか? 胸倉を
「んなことも言ってねえよ」
すかさず否定した須藤。
「考え方によっちゃ、もっと上回るかも知れねえ……」
今言った二つも結構深刻な問題だと思うんだが、それを上回るって……。
「あれだよ
「それは
「あはは、冗談だよ。さすがにそこまではしないよね。須藤くんも」
すぐ否定するはずの須藤が、櫛田のジョークにびっくりして
それだけ心に余裕がない証拠でもある。
「何があったの?」
「実は俺、先週Cクラスの連中を殴っちまってよ。それでさっき停学にするかもって言われてよ……。今、その処分待ちだ」
櫛田も須藤の報告に驚き思わずこっちを見てきた。オレも一瞬では事態が
「
「言っとくけど俺が悪いわけじゃないんだぜ? 悪いのは
どうやら
「ちょっと待って須藤くん。もう少しゆっくり話してくれないかな?」
「悪い、ちょっと
呼吸を落ち着け、改めてそこに至るまでの経緯を話し始める須藤。
「顧問の先生から、夏の大会でレギュラーとして迎え入れるっつー話をされたんだよ」
バスケが
「レギュラーって
「まだ決まったわけじゃないんだけどな。その可能性があるっつーだけで」
「それでも凄いよ。だってまだ入学したばっかりなのに」
「まあ、な。実際1年でレギュラー候補に選ばれたのは俺だけでよ。そんで絶対レギュラー取ってやるってな。その帰りだ。あいつら……同じバスケ部の
駆け足な説明ではあったが一連の流れは伝わってきた。話した本人にも手ごたえがあったのかちょっと満足したような様子だ。
「それで須藤くんが悪者にされちゃった、と」
「Cクラスから起こした問題なら須藤くんは悪くないよね」
「だろ? マジでわけわかんねーよ。教師の野郎信じもしねーし」
「私たちで明日
事はそう単純じゃないはずだ。
「学校側は今の須藤の話を聞いてなんて言ったんだ?」
「来週の火曜まで時間をやるから、向こうが仕掛けてきたことを証明しろとさ。無理なら俺が悪いってことで夏休みまで停学。その上クラス全体のポイントもマイナスだってよ」
学校側からの至れり尽くせりな対応が待ち構えているようだ。でも須藤が焦っているのは停学になることやポイントがマイナスになることよりも、バスケのレギュラーが白紙になることだろう。青春そのものを奪われるのは我慢ならないといった様子だ。
「どうしたらいいんだよ俺は」
「須藤くんが
同意を求めて来た
「どうかな……そう話は単純じゃないと思うぞ」
「どうかなって何だよ。まさかおまえ俺を疑ってんのか?」
「少なくとも学校側は信用してないわけだろ? たとえ櫛田だろうと、同じクラスの人間が須藤の無実をどれだけ訴えたって、ポイントを減らされたくないだけの嘘と思われたって不思議じゃない」
「それは……そうかもしんねえけどよ」
それに今回のトラブルは、どちらが仕掛け側かを探せば
恐らく3人組の方にも何らかの、例えば1週間くらいの停学処分は科せられるはずだ。
幾ら
「向こうが悪いとしても、須藤が一定の責任を問われる可能性は十分あるってことだ」
「は? 何でだよ。正当防衛だろ? なあ!?」
須藤は納得がいかないとテーブルを強く
「
櫛田の若干
「ねえ……どうして須藤くんが責任を問われちゃうの?」
「須藤が相手を殴り相手は須藤を殴れなかった。その部分は大きいと思う。正当防衛って考えてるよりもずっと難しいものだと思うぞ。相手がナイフや鉄バットで武装して襲ってきたならともかくそんなわけでもないんだろ? 日頃から確執があったなら危険な目に遭うことは予知、予測できてたってことだ。正当防衛というのは、急迫不正の侵害に対して権利を防衛するための
状況から察して、幾ばくかの配慮を受けるのが精いっぱいか。
「よ、よくわかんねーけど。向こうは3人だぞ3人。十分危ねーっての」
人数も考慮には値すると思うが、それでも今回のケースでは微妙なところだ。オレの想像なんかよりも学校側が人数に重きを置いて無罪としてくれるかも知れないけど。
それを期待して
「学校側も判断が難しいと思ってるからこそ1週間の猶予を
今ある証拠……
「それで……殴っちゃった須藤くんを重く罰する、って方針なんだね」
「先に訴えた方の強みだな。被害者の証言には証拠能力がある」
「納得いかねえっつの。俺は被害者だ、停学なんて冗談じゃねえぞ。もしそんなことになったらバスケのレギュラーどころか今度の大会も出られねえ!」
Cクラスの連中は須藤を
「Cクラスの3人に正直に話してくれるよう頼んでみようよ。悪いと思ってるならきっと罪悪感でいっぱいなんじゃないかな?」
「あいつらはそんなタマじゃねえよ。正直に話すわけがねえ。クソが……絶対許さねえ、
テーブルに置いてあったボールペンを拾い上げると、ベキッと真っ二つに折った。
「言葉で説明してもダメなら確実な証拠が必要だな」
「そうだね……。須藤くんが悪くないって証拠に出来るものがあればいいんだけど……」
そんな都合のいいものがあれば苦労しないんだろうけどな。ところが、須藤は否定せず考え込むような仕草を見せた。
「あるかも知れないぜ。もしかしたら俺の勘違いかも知れないんだけどよ……。あいつらと
あまり自信はないようだったが須藤はそんなことを口にした。
「目撃者がいたかもってこと?」
「ほんと、何となくなんだけどな。確証はねえ」
目撃者か。もし一部始終を見ていたのならそれは好材料だ。けど場合によっちゃ須藤を更に追い込む結果にもなり兼ねない。例えば殴り倒した直後から目撃していた場合、須藤が先に仕掛けたと決定付ける一打にもなってしまう。
「……俺はどうすりゃいいんだよ」
頭を抱え込んでうな垂れる須藤。重い沈黙を嫌った
「須藤くんの無実を証明するためには、方法は大きくわけて二つ。一つは単純明快でCクラスの男の子たちが自分の
それが理想なのは間違いない。
「さっきも言ったがそれは無理だぜ。あいつらが嘘を認めることはねえ」
というより認められないだろう。学校側に嘘をついて他人を
「そしてもう一つが、今須藤くんが言った目撃者を捜すこと。もし須藤くんたちとの
今のところ現実的な案はそれくらいしかないよな。
「目撃者を捜すつってもよう、具体的にどうやって捜すつもりだよ」
「一人一人地道に? もしくはクラス単位で聞いて回るとか」
「それで名乗り出てくれればいいけどな」
長くなりそうだと思ったオレは戸棚を物色する。入学して間もなくコンビニで買っておいたインスタントコーヒーとお茶のパックを取り出す。確か須藤はコーヒーが苦手だったな。
「
コップをテーブルに置いたまま、息を吹きかけ冷ます須藤が申し訳なさそうに言った。
「え……誰にもって……?」
「
「須藤、それは幾らなんでも───」
「分かってくれよ
両肩を
「Cクラスの生徒たちは須藤くんが暴力を振るったって勝手に言いふらしちゃうんじゃないかな? 自分たちに都合の良いようにさ」
それは考えられる話だ。こっちに都合の悪いことである以上、向こうは遠慮なく口外して回ってもおかしくない。マジかよと言った様子で須藤が再び頭を抱え込む。
「もしかしたらもうバレてんのか……?」
「いや、まだ今日の段階ではその話は学校側と当事者たちしか知らないんじゃないか?」
「どうしてそう思うの?」
「もしCクラスの連中が言いふらすつもりなら、とっくにオレたちの耳に入っててもおかしくないってことだ」
学校側に報告が行って、放課後須藤に真相を確かめていた。
ということは、昼間の間に噂が駆け巡っていてもおかしくはなかったってことだ。
少なくとも今はまだ大きくは広がっていない。
「ひとまずは安心ってこと、かな?」
けどそれもいつまで続くか。
「
「そうだな。当事者が動くと良くないだろうな」
オレもそれに合わせるようにして答えた。
「けどよ、おまえらに全部押し付けるなんて───」
「押し付けなんて思ってないよ。私たちは須藤くんの力になりたいだけなんだから。どこまで出来るかはわからないけど精一杯やってみるから。ね?」
「……わかった。お前らには迷惑かけるけど任せることにする」
自分が関わることで厄介なことになると理解できたようだった。
「んじゃ俺は
「
返さねーけど、と須藤はポケットに鍵を
「櫛田もまた明日な」
「うん、ばいばい須藤くん」
どこか寂しそうな須藤を見送る。とはいっても数部屋隣なんだが。
「ってあれ。櫛田は帰らないのか?」
「
どこか不安げな
「そんなことはないけどオレに出来ることなんて何もないぞ。強いて言うなら須藤の話を聞いて
「そうかもだけど、須藤くんは綾小路くんを頼ってきたんだよ。堀北さんよりも平田くんよりも、
「
「ふぅーん」
一瞬だけ冷めたような目を向ける櫛田にオレはちょっと困惑した。
そういえばオレは一度、櫛田に面と向かって嫌いだって言われてるんだよな。いつも優しく
「
「一応努力はしてる。それが実ってないだけだ。今回の件も安請け合いで助けるなんて口にする度胸が無いだけだしな」
オレが日々昼飯を誰かと食いたくて悩んでるとは思ってもいないだろうな。
そう思ったが
「櫛田は協力するんだよな」
「もちろん。
「さっきも言ったけど
たとえ堀北でも、ズバッと解決できるような良案が浮かぶとは思えないけど。
「堀北さん協力してくれるかな」
「さあ。そればっかりは話してみないと。でもあいつだってDクラスが没落するところを黙って見ている
ちょっと自信はなかった。なんせ堀北だからな。
「はぐらかされてるけど綾小路くんも協力してくれるんだよね?」
「……役に立たなくてもいいのか? ってか役に立たないぞ?」
「そんなことないよ。きっと何かの役に立つはずっ、何かのっ」
明確に役立つ要素は口にしてもらえなかった。
「明日からどうしよっか。須藤くんは無駄だって言ってたけど、私は
櫛田の中ではCクラスの3人との話し合いの線が捨てきれないでいるようだった。
「リスクは高いな。喧嘩の発端は別として、学校側に訴えたのは向こうだ。簡単に振り上げた
「じゃあ、やっぱり目撃者を捜すのが手堅いんだね」
それも説得と同じくらい難易度が高い。事件の詳細を表に出さず目撃者を捜すのは至難だろう。何か見なかったか? なんて聞いていくのは途方もない時間と労力を要する。
今あれこれ考えていても結論は出ない気がする。
何か状況に変化でも出てくれば、話の流れも少しは変わってくるかもしれない。