[音楽評論] 藤井風 – 満ちてゆく (Michi Teyu Ku/Overflowing)

SNSその他YouTube等で「感動した」とか「泣いた」‥等のレビューが複数上がっているので、何度か藤井風の新作満ちてゆくの動画を視てみた。
 
私は藤井風の推しでもファンでもなく、自身が音楽や音楽表現の専門家であり尚且つ音楽評論家と言う立場で各自の作品を分析することが仕事ゆえ、ここでは客観的な視点で楽曲『満ちてゆく (by 藤井風) 』を分析して行く。
 
 

 
先ず一つ目の疑問はこのMVで、何故藤井風が老け役に扮したのかと言う点。
他の人のレビューは一切読んでいないのでその上で言えば、老け役 藤井風の大方の (私目線の) 想定はこうである。
 

彼は画家の父とそのモデルとなった女性の間に生まれたご子息であり、そこそこ裕福な生活をしていた。
だが運命の悪戯で両親が離婚し、母親の手一つで育てられた。だがその母親を水難事故で亡くし (あくまで私の憶測に過ぎないが) 、彼は孤独を強いられた。唯一母の墓を訪れることだけが彼の救いであり、そこへ行く時だけは人間も大人も忘れて自分に還ることが出来た。
 
誰かを愛することもなく、誰かに愛されることもなかった。なぜならば『母』と言う理想の女性以上のその人に巡り合えなかったからだろう。
老け役 藤井風の中で次第に母は理想を超えた理想の人となり、亡くなった筈の『母』が時折彼の目に映り込むが、それは実体のない亡霊としての『理想の人』だった。
 

たった一枚、美術館に飾られた『母』の写真は、画家だった父が遺した絵。
老け役 藤井風は遂に絵筆を取ることはないまま時が過ぎ、失った時間が彼を押し潰して行く。
彼 (老け役 藤井風) に残された時間はあと僅か。思い出も色褪せ始め、老け役 藤井風は時折現れる『母』の為にそれまでの人生のありったけを手帖に書き記す‥。
 
 

 
このMVには明かされた筋書きが既に存在しているような、そんな記述を走らせている人たちの文献も見かけたが、それは公式に開示されているものではないようだ。
なのでMVを視る人によって捉え方や解釈が違っても、それはそれで良いと私は思う。
 
それにしても『不在の愛』や藤井風の死生観をこれでもかとこの動画に詰め込み過ぎて、ややストーリーに無理のあるMVではないだろうか‥。
特に老け役 藤井風のそもそもの年齢が現在26歳だと考えると、彼の老け役がかなり薄っぺらく視えたとしても致し方ないようにも感じる‥。
 
藤井風が盛んにMVに持ち込む彼の死生観は、前作のMVの中にも随所に見られた。
 
 

 
全体的に共通しているのは、彼/ 藤井風がその時思ったことが彼自身の人生そのものであり、それが妙に血生臭さを帯びていることに藤井風自身が無頓着だと言うこと。
このご時世、特に2020年以降の私たちは生と死の境界線上に否応なく立たされている。そして身近に、多くの死者が実際に急増している、そんな状況に見舞われながらその現実をなるべく見ないようにして生きていると言っても過言ではない。
 
おそらく生身の藤井風は、どこか自身を宗教者、求道者に置き換えながら生きているように見えるが、それを音楽表現に挟み込んで行くには彼の霊体はまだまだ未熟だ。人生経験も浅い。
一説には彼がサイババの信者だと言う噂もあるが、描いているものを見る限りどこかあっちの宗教こっちの神様‥ と言う雑居概念が彼を取り巻いているように見えるが、実際はどうなのだろう。
 
 

 
これは余談だが、毎回藤井風の映像を観ていると、彼の視界がどこか四隅が歪んでいるか切れているか或いはぼやけて視えているのではないか‥ と私は思えてならない。
特にその印象が強かったのが、藤井風の旧作graceだった。
 
 

 
どこか視点が合わない印象が強く、段々とMVを視ている私の視界が狭くなって行く。それが何故かは未だに分からないが、藤井風の新作『満ちてゆく』の中で老人たちが集まって歓談するシーンを視た時も似た印象を持ち、正直心臓が縮み上がりそうになった。
これは私が持つ独特の映像記憶ともリンクしている何かの要因が悪さをしている可能性も大だが、何だか彼の映像を視る度に同じ感覚に落とし込まれるので最近藤井風の映像をなるべく私は視ないよう努めている‥。
 

話が大きく脱線したが、若干26歳にして世の求道者を切望しているようにしか見えない藤井風の『満ちてゆく』を聴いても視ても、涙ひとつ出て来ない私は人間としてどうかしているのだろうか‥?
それとも「涙した」‥ と言うメディアの印象操作が私には全く通用しないだけなのか。
 
何れにしても、藤井風のやったりげな小芝居が不自然にしか見えない『満ちてゆく』の唯一の取り得は、理想の女性『母』を演じたモデルの高橋マリ子さんが清楚で美しかったことだ。
 
 

 
メディアの印象操作は恐ろしいもので、結果的にこれだけ多くの人々に治験すら行われていない新型コロナワクチンを接種して行った。多くの薬害事例も出ており、ワクチン接種が原因と思われる死者も右肩上がりに増えている。
 
音楽や漫才等のTV番組も雑誌も政治も、その他多くのことがメディアの印象操作の末に暴走し、それらにともなう事件も後を絶たない。
何を信じて何を疑うべきか‥、そこに一個の正解がない以上全てを疑ってかかると同時に、自身の感性や直感、判断力を日々磨き込んで行くことで自分を危険から守ることが出来ると私は思っている。
 
有名だから、有名人が作り出したものだからその作品が素晴らしいとは限らない。ありとあらゆるものが印象操作の末にこの世に放たれているとしたら、その奥には必ず「大衆を洗脳している特定の人物」が存在する筈。
 
藤井風ブームもそんな「民衆を洗脳に落とし込む現象」の一つと、私はみている。