kae.1972のプロフィール写真
もっと見る
以下、🍄の考え。加害者に心からの謝罪や改心を期待するのは無理です。被害者が共感力の高い真面目な性格だと、加害者にも人間としての善意を期待しがちですが、加害者に善意なんぞ基本はないと思ったほうがいいです。謝罪文は、ケジメやオトシマエの意味が大きいという認識です。それでも名誉毀損裁判には、多少は意味があると考えています。というのは人間が悪いことをしなくなる分水嶺には個性があって、大雑把に、以下のグラデーションがあります。1 最初からやらない1-a 悪いことをする欲すらない 1-b 欲はあるが、倫理観や共感力、論理性が高 く、自発的に行動を自制できる2 ルールの存在で回避可能2-a 罰則がなくてもルールを知れば 2-b 罰則があれば3 経験してはじめて学ぶ3-a 他人が経験してるのを見てはじめて 3-b 自分が経験してはじめて4 罰を受けても学べないルールの存在や行使が効くのは、2と3の人達で す。
kae.1972のプロフィール写真
もっと見る
承前実際、誹謗中傷裁判が増え判例が増えたことで、誹謗中傷垢のメンツが固定されたのは、ぺけで観 察されています。これは、3-aが他人の経験に学んで 誹謗中傷から手を引いたのと、ぺけで語られない裁判や和解によって懲りた人もいるからです。(実は後者もかなりの数起こってるのを把握しています)もちろん、3-bと4がいるので、どんだけ名誉毀損 で判例が増えても学べない人も一定数います。それが目立つから、訴訟も効果なく見えます。でも、飲酒運転の厳罰化で飲酒運転で検挙される人が増えると飲酒運転が減ったように、名誉毀損裁判で負ける事例が増えれば、名誉毀損も減ると考えます。ゼロにできないから意味がないのだとしたら、飲酒運転厳罰化も飲酒運転の検挙も、意味がないことになりますし。
ログインして「いいね!」、返信、投稿しよう。