朝ご飯の話

山の上ホテルの和朝食は、よかったなあー、とおもう。

わしが深遠な表情でもの思いに耽っているときは、だいたい食べ物のことを考えているときなのは、モニさん初め、近しい人なら、誰でも知っている。

船の甲板で、水平線の彼方を見つめながら、ジッと、なんともいえない絶妙な固さとほのかな味付けの卵焼きを思い出している。

「あれから、なんど、あの味を再現しようと試みたことか」と憂愁に浸っている。

根がナマケモノなので「新しいことに挑戦」したりしないだんだけどね。

従って、朝食も、たいていは、百年一日、ポーチドエッグか目ん玉焼、ときどきはオムレツにしてもらう、卵2個とベーコン/ソーセージとハッシュブラウン、それに折々で茸をつけてもらったり、お腹が空いていれば小さなフィレステーキを付けてもらう、例の、UK標準朝食です。

しかし山の上ホテルだけは断然、敢然、和朝食だった。

ネットを通じて出来た年長の友人、巖谷國士先生などは、「山の上ホテル」と聞くと、「缶詰で締め切り間際の執筆仕事」を思い出して、白昼夢に魘(うな)されるらしいが、こっちは仕事など縁がなくて、万年プータローなので、山の上ホテルといえば、家具も部屋も、ちょっとサイズが小さくて窮屈だが、和朝食が食べたくなると泊まるホテルだった。

酔っ払って広尾の家に帰るのがめんどくさくなると泊まっていた帝国ホテルの「なだ万」謹製和朝食など、足下にも及ばないおいしさです。

もっとも、なだ万朝食、比較のために一回食べたことがあるだけだけどね。

だって、あのホテルは海外からの客のあいだには有名なシャンパンブレックファストがあって、

そりゃ、泊まれば、そっちへ注文は行ってしまいます。

勢いがついたので、普段、「広尾(麻布)と日比谷なんて、直ぐなのに、なんで泊まるの」という、半ば口がとんがった質問に答えると、あのですね、

広尾ではお手伝いさんは週二回の通いの人がひとりいるだけなので、なんでもかんでも、モニさんとふたりで手分けしてやらなければならなかった。

それが楽しかったんだけどね。

ふたりとも酔っ払ってしまって、シャンパングラスが転がってもキャハハな頃になると、

もう家事なんてめんどくさいので、ついでに付け加えると、銀座にいるということは、ふたりでショッピング中毒者と化す、ということでもあって、例えばわしならば、忘れもしない買い物パラダイス、ビックカメラ有楽町店で、山のように買い込んで、一応ホテルの人に断るという日本的配慮をしなくもなかったが、部屋の隅に空き箱や包装を山のように積み上げて、家で片付ける必要がない、あるいはヘロヘロのヘベレケの翌朝、新館のプールで泳いで正気に返る、とか、様々な利点があったのでございます。

ほんでまた朝ご飯にシャンパン飲んでんじゃん、という御意見もあるでしょうが、だって、おいしいんだから仕方がないだろう。

ついでのついでに述べると、帝国ホテルでお酒を飲むときに出てくるオリブは、カリフォルニアの缶詰だそうだったけど、意外とおいしいんですね、これが。

まさか缶詰のオリブが、あんなにおいしいとは思ったこともなかった。

どんな人も同じで旅先での朝食は、楽しい思い出に満ちているとおもうが、

なんだか、日本は特に印象が深い。

ペナンのロティチャナイやラチャマンカの世にも上品なコンジー(中華粥)もいいのだけど、築地の食堂の、朝6時から、どの常連客も盛大に酔っ払って賑やかな鮨屋さんや、場内食堂の「加藤」や「おかだ」、日本中どこにでもあるモーニングセット、どれも思い出すと、なつかしい。

日本のホテルや旅館の朝ご飯には「旅人のためにつくった朝食」という濃厚な色彩があって、日本には江戸時代を通じて、ほんの庶民でも、大金をはたいて遊興の長旅に出る「お伊勢参り」のゴージャスな伝統があるが、そのせいだろうか、と思ったりもする。

苦手意識のせいで旅館には、あまり泊まらなかったが、あんなくだらないダメ意識を克服して、もっと旅館に泊まればよかった、と、この頃になって、よく考えるが、もう過ぎてしまったことは思い返しても仕方がない。

かーちゃんは贅沢好みの人で、東海岸に行けば当時はトップホテルだということになっていたホテルのタワーツインがニューヨークでの定宿だったが、わしがアメリカの豊かさを実感したのは、

いま考えると、わが母上は、教育効果を狙ったのでしょう、ごくごく庶民的な Crown Suitesに連れて行ってくれて、妹とわしには好評で、結局、カリフォルニアといえば後では、そのCrown Suitesを買収したEmbassy Suitesに泊まることになっていた。

妹はオレンジカウンティのディズニーランドが好きで、ときどき出かけたが、というか、いまでも行ってるんじゃないの?とおもうが、アナハイムのEmbassy Suitesは、良い方のアメリカ的特徴に溢れていて、ガキわしとガキ未満妹にとっては、ホテル自体、楽しい遊園地のようなものだった。

そこの朝食がケチくさいUKからやってきた、妹とわしにとっては、ぶっくらこく光景で、なにが「ぶっくら」かというに、朝食はタダなのだけれど、オムレツを焼くのが特に名人芸のメキシコ人シェフの女の人の前に、長い列が出来ていて、しかし、よく観察すると、宿泊客でなさそうな「近所の人」な様子の人が複数含まれている。

もちろん、オカネを払う場所なんて、ないので、無料朝食を愉しんでいる。

生意気ガキだった、わしが、「こんなにオープンだと、近所の人やなんかが紛れ込んできて、ただで食べちゃいそうですね」と冗談を述べると、オムレツのおばちゃんが、あっさり、

「ええ、毎朝、食べに来るひとたちがいますよ」とニコニコしています。

ううむ、と、突然哲学に浸り出すわしガキ。

「ソレハタダシイコトデアルカ」

懸命に考えて、このアメリカ人たちのほうが正しいのだ、と結論したときの、感動が、おおげさでもなんでもない、いまのわっしのアメリカへの理解への根本になっている。

どこの国でも、三食のうち、朝食こそが、その国の社会について最もおおく教えてくれたが、もうこの辺でやめておいたほうが良さそうです。

朝食で大論文書いてても、しょうがないもんね

旅先の朝食で最もしょもないのは、宿泊代に「込み」で入っているホテルのバッフェ朝食だが、日本では、これにさえ良い思い出があって、わっしは成田ヒルトンで一泊して、のおんびり飛行機に搭乗するのを習慣にしていたが、ここはユナイテッドの乗員たちの指定ホテルになっていて、

確率にするとどのくらいなのか判らないが、なぜか顔見知りの乗員と会うことも多かった。

そのころはシカゴによく出かけたからかも知れません。

御存知のとおり航空会社としては、めっちゃ評判が悪いが、どういうことなのか、わしとは相性がよくて、「やあ、また会ったね」という乗務員の人が何人かいた。

そういう不思議な縁の友だちのひとりと、朝食のテーブルを共にして、ひとしきり笑い声の時間の方が長い話をして、ジュースのお代わりを採りにいって戻ってみると、姿が見えなくなっている、

「へんなやつ」とおもいながらトレイを片付けようとしたら、お盆のしたに手紙があります。

まさか、中身は、ここには書けないが、それが世にも美しい英語で書かれた手紙で、

後にも先にも、あんなに美しい、真情にあふれた手紙を読んだことがなかった。

へへへ。

日本語なのをいいことに、誰にも言ったことがない秘密をばらしてしまった。

ああいうことも、日本に対する、強い好印象の理由になっているんだね。

どおりゃ、朝ご飯食べるかな。

哀れや、ついに40歳で、チューネンなので、少しは量を減らさないと



Categories: 記事

Leave a Reply

Discover more from James F. の日本語ノート

Subscribe now to keep reading and get access to the full archive.

Continue reading