今は民営化されてしまった大阪市の地下鉄ですが、自分が最初に地下を
通る地下鉄を意識したのは、幼稚園か小学校低学年の頃だと思います。
画像は、ポケットティッシュに入っている地下鉄路線図ですが、昭和50
年代のものだとか。しかし、自分の中で最初に見た路線図は、この画像
のものよりもう少し短かった頃でした(昭和45とか46年辺り)。
御堂筋線(赤色)は、大阪万博(昭和45年/1970年)に開催され千里
中央方面(万博期間中のみ、現在の中国道・近畿道の道路の上を走って
万博中央口という駅名だったか?)まで続いていたのですが、他路線は
この画像の路線図よりも短かったですね。
四つ橋線(青色)は住之江公園までは開通しておらず玉出まで、谷町線
(紫色)は東梅田まで、そして、守口方面への延長工事中に起きたのが、
いわゆる『天六ガス爆発事故』と呼ばれる事故でした。逆の南方向も、
天王寺が終点だったように記憶しています。
中央線(緑色)も営業区間は深江橋までで、東方向への延伸と大阪港で
ニュートラルへの接続も未だ形になっておらず、千日前線(ピンク色)
にしても新深江までしか開通していない状態でした。
また、阪急京都線・千里線へ相互乗り入れをしていた堺筋線(茶色)は、
動物園前から南への延伸とか影も形も無かったと記憶しています。
そして、昭和50年代の地下鉄といえば、国鉄と並んで「トイレが汚い」
かつ「トイレットペーパーが常備されていない」ことでも悪評だったと
思います。それを思うと、この10年ほどの間に地下鉄のトイレも綺麗に
なり、混雑する梅田駅のホームも拡張されたりして、昭和の頃が遠くに
逝ってしまったなぁと、そんな風にも感じたりしたのでした。