他者に承認されるしか自分の価値がないのではない
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うえしん
他者に承認されるしか自分の価値はないと思う人が多いようである。他者から必要とされないと、愛されないと、評価されないと、自分の生きている価値なんてまるでないと思いこむ。
自分の価値の決定をぜんぶ他人に丸投げしているのだから、他者の評価に一喜一憂し、たえず他人の顔をうかがっていなければならなくなる。社会は自集団に貢献してくれる人を評価するのだから、社会はその価値優劣をたえず植えつけようとするだろう。
でもこの承認による自己価値は自分の価値の破壊に向かうほうが多いようである。なぜなら自分の価値を自分で認める、愛するという出発点をないがしろにするからである。自分の価値を肯定できない者に、他者の評価を得るような貢献をはたすことはできないだろう。
なぜ人は他者の承認を過剰に評価して、自分の価値をないがしろにするのか。
その答えにはジェリー・ミンチントンの自尊心の名著『人生がうまくいく、とっておきの考え方』にあらかたは書かれている。惜しむらくはこの名著が絶版になっていることだ。
この本のなかで自尊心の欠如、劣等感はどう植えつけられるのか詳細にしるされている。内容のおおくをたどってみたいと思う。
幼少期の親から愛は条件つきのものと学び、ビジネスのとりひきのようなものだと思いこむ。特定の条件を満たしたときだけ、親は愛を与えてくれた。
人生は思い通りにいかないのだから期待や希望をもってはならないと親からおしえられ、悩みの種がつきない人生を歩む。
子どものときにたえず他人と比較され、他人より劣っているとおしえられた。親は長所より短所ばかり強調し、どんなに努力しても他人にはかなわないと思わされた。
また学校のクラスメートも自分の自尊心のために私たちの自尊心を敗者のものにしようとしてきた。
専門家の世の中なので、わたしたちは「無能」と思い込むようになり、人生に対処できなくなった。
ミンチントンは自尊心は肯定的な見方で頭を満たせばいいのではなく、このような自分を劣ったと見なす有害な考えをとりのぞけばいいと考えている。高い自尊心は自然な状態だという。
基本的に劣等感、自尊心を破壊する心のパターンは凡庸なほどだれでも共通のようである。劣等感には自己の欠点だけは特別だという思い込みがあるのだが、おどろくほど共通のパターンに満たされているようだ。
わたしたちは自分が他人の目にどう映っているかばかり気にし、自分の問題を大げさに考える。でもそれによってほしい物が手に入るわけでもないし、他人の評価が自分のものより正確だともかぎらない。非生産的で、なんの見返りもなく、悩みが増えるだけだ。
自分の欠点を特殊な自分だけのものだと思っている。だれにも明かされない自分だけの秘密として心のうちに閉ざさそうとするのだが、このような悩みは風邪のようにごくありふれたものだ。自分のことばかり考えて、他人のことに関心をしめさないからだ。
自分を責めすぎて、内なる批判者をみずから生み出してしまう。それは子ども時代の「権威者」の寄せ集めであって、たえず自分を叱りつけ、ののりし、自分はできない、劣っていると侮蔑するもうひとりの自分を生み出すことになる。
自尊心の破壊に向かう言葉はどのような心のつぶやきがあるかというと、まずは「わたしは他人より劣っている」という思い込みがある。人と比べるたびに自分は劣っている、下だと決めつけ、自分の価値は低いと思い込むようになる。
「わたしを嫌っている人がいる。わたしにはなにか悪い部分があるにちがいない」。他人がわたしを嫌うと原因はすべて自分自身にあると思い、かれら自身にはその責任も原因もちっとも帰せられずに自分ばかり責める。
わたしたちは定期的に自分の愚かさや屈辱を感じるシーンを思い出すのがクセのようで、そのことによっていかに自分が価値のない人間か確信しようとしている。自分の秘密だけが特殊で卑劣だと思い込み、おおげさに考える。
「わたしの容姿には欠点がある」と思い込み、大げさに特殊であるとずっと捉えつづけられる。
「わたしは世間の人と違っている」、だから価値が劣っているという奇妙な結論にとり憑かれている。
ミンチントンはいっている。「私の人間としての価値は、地位や肩書、職業、外見、人種、宗教、出身などの要因とはいっさい関係ない」
わたしたちは自分の価値を認められようと他人の評価をもとめる。尊敬され、評価されれば幸せや喜びを感じる。けなされたり、拒絶されたりするとたいそう気が滅入り、毛嫌いする。
だけど人に好かれようとすることは大きな代償をともなうのではないか。自分の思い通りに生きる自由をうしなうのである。
たとえば他人の規則、基準、善悪についての考え方にしたがって生きることを求められる。
好印象をあたえるためにいい人、いい生活、いい仕事、いい役柄ばかり求めるようになる。
自分の都合より他人の都合ばかり重視するようになり、自分の価値をないがしろにするようになる。
他人の評価ばかりに右往左往するようになり、気分の上昇下降をあじわう。他人の叱責に敏感になり恐れるようになる。
ミンチントンは他人の承認は一時的なもので、いくら他人に認められても満足できないし、自分の価値を他人に求めてしまうことは根本的なあやまちで、自分の価値の決定や基準を他人にゆだねることの愚を説いている。
他人に認められようとなんでもしてきて失った代償は、人間の尊厳である。自分の価値である。
人間としての自分の価値は、他人からどう思われようと関係がなく、必要なのは、他人に好かれることではなくて、自分について気分よく生きるためには他人に好かれる必要などまったくないことを理解することだとミンチントンはいっている。
ミンチントンは他人の承認をもとめないことの利点をつぎのようにのべる。自分のことは自分で評価するようになれば、他人の気まぐれな態度に影響をうけることはない。他人に認められて有頂天になることはないし、批判されても落胆することもない。他人に好かれようが嫌われようが、精神的安定を継続的にえられる。
ミンチントンは自己価値、自己承認をえるためにはつぎのように考えればいいといっている。
「他人の意見を受け入れるのも拒絶するのも私の自由だ」
「私は、自分の人間としての価値を否定するような意見を拒絶する」
「大切なのは自分の意見なのだから、他人が私のことをどう思おうと関係ない」
「私に対する他人の意見は、その人の世界観を反映したものにすぎない」
「他人の批判は、私がそれを真理として受け入れる場合のみ、私を傷つける」
「たとえ他人から評価されなくても、私は自分を人間として高く評価する」
「他人が私のことをどう思おうと、私は価値のある存在だ」
「私は生まれつき価値のある存在だから、自分の価値を他人に証明する必要はない」
ながながとミンチントンの本から引用してしまったが、あまりにも的確に詳細に自尊心の欠如と他者の承認について書かれており、自分の言葉で書くよりよほど身にしみると思うからだ。絶版になっていることもあって、この場を借りて紹介ということで。
基本的にこの社会は他者の承認ありきの社会である。他者の承認なくして、自分の価値はないと教えさとされる社会である。テレビでもマスコミでも有名人や功績者しかほめたたえられず、なんの貢献も有名でもないあなたは価値のない存在だと教えつづけられる。社会という集合体も自分の利益を喧伝するもので、それに貢献しないものの無価値さを洗脳しようとするものだろう。
だけどそればかり真にうけて自分の価値を破壊するのはまちがっている。わたしたちは自分の価値と人生を楽しむ権利があるのはとうぜんである。それには他者の承認より、自前で自分の承認と価値のほうを優先する考えをつちかわなければならないのだろう。マスコミは他人から見た目を押しつけるわけだが、なにもわたしは他者の目に同一化するのではなく、自分から見た目のほうを上位におかなければならない。
社会は自分の価値を低いものにすれば発奮して社会に貢献や名をのこすと思っているのだろうか。たいがいの人は欠点の陵辱や自己内攻にむかって、人生の破壊にむけられるだけではないのか。
欠点をたたいてもせいぜいふつうレベルにつりあげられるだけであって、人をのばすのは長所をのばすことしか社会への貢献はありえないだろう。
わたしたちはまず他者の評価による自己価値を捨て去って、先に自己承認、自己肯定をつちかう必要があるのだろう。他者の評価より、自分の価値のほうを優先する。上におく。社会の貢献とか、他者の評価なんてどうでもいい。まずは自分の人生をたのしむこと、自分の価値のほうを生きるほうが最重要である。
他者の承認ばかり求めて涙目になっている悲しい時代と社会からはオサラバするほうが、人のためにも、社会のためにもなるだろう。社会貢献や他者の評価なんてその先にあるか、あったとしても関係ない境地がいちばんいい。
▼他者の承認欲求を引き下げる方法が書かれた本
自分の価値の決定をぜんぶ他人に丸投げしているのだから、他者の評価に一喜一憂し、たえず他人の顔をうかがっていなければならなくなる。社会は自集団に貢献してくれる人を評価するのだから、社会はその価値優劣をたえず植えつけようとするだろう。
でもこの承認による自己価値は自分の価値の破壊に向かうほうが多いようである。なぜなら自分の価値を自分で認める、愛するという出発点をないがしろにするからである。自分の価値を肯定できない者に、他者の評価を得るような貢献をはたすことはできないだろう。
ミンチントンの自尊心の名著から
なぜ人は他者の承認を過剰に評価して、自分の価値をないがしろにするのか。
その答えにはジェリー・ミンチントンの自尊心の名著『人生がうまくいく、とっておきの考え方』にあらかたは書かれている。惜しむらくはこの名著が絶版になっていることだ。
| 人生がうまくいく、とっておきの考え方―自分を信じるだけで、いいことがどんどん起こる! (PHP文庫) ジェリー ミンチントン Jerry Minchinton PHP研究所 2006-03 by G-Tools |
この本のなかで自尊心の欠如、劣等感はどう植えつけられるのか詳細にしるされている。内容のおおくをたどってみたいと思う。
幼少期の親から愛は条件つきのものと学び、ビジネスのとりひきのようなものだと思いこむ。特定の条件を満たしたときだけ、親は愛を与えてくれた。
人生は思い通りにいかないのだから期待や希望をもってはならないと親からおしえられ、悩みの種がつきない人生を歩む。
子どものときにたえず他人と比較され、他人より劣っているとおしえられた。親は長所より短所ばかり強調し、どんなに努力しても他人にはかなわないと思わされた。
また学校のクラスメートも自分の自尊心のために私たちの自尊心を敗者のものにしようとしてきた。
専門家の世の中なので、わたしたちは「無能」と思い込むようになり、人生に対処できなくなった。
ミンチントンは自尊心は肯定的な見方で頭を満たせばいいのではなく、このような自分を劣ったと見なす有害な考えをとりのぞけばいいと考えている。高い自尊心は自然な状態だという。
自己批判の凡庸な、あまりにも凡庸なパターン
基本的に劣等感、自尊心を破壊する心のパターンは凡庸なほどだれでも共通のようである。劣等感には自己の欠点だけは特別だという思い込みがあるのだが、おどろくほど共通のパターンに満たされているようだ。
わたしたちは自分が他人の目にどう映っているかばかり気にし、自分の問題を大げさに考える。でもそれによってほしい物が手に入るわけでもないし、他人の評価が自分のものより正確だともかぎらない。非生産的で、なんの見返りもなく、悩みが増えるだけだ。
自分の欠点を特殊な自分だけのものだと思っている。だれにも明かされない自分だけの秘密として心のうちに閉ざさそうとするのだが、このような悩みは風邪のようにごくありふれたものだ。自分のことばかり考えて、他人のことに関心をしめさないからだ。
自分を責めすぎて、内なる批判者をみずから生み出してしまう。それは子ども時代の「権威者」の寄せ集めであって、たえず自分を叱りつけ、ののりし、自分はできない、劣っていると侮蔑するもうひとりの自分を生み出すことになる。
自尊心の破壊に向かう言葉はどのような心のつぶやきがあるかというと、まずは「わたしは他人より劣っている」という思い込みがある。人と比べるたびに自分は劣っている、下だと決めつけ、自分の価値は低いと思い込むようになる。
「わたしを嫌っている人がいる。わたしにはなにか悪い部分があるにちがいない」。他人がわたしを嫌うと原因はすべて自分自身にあると思い、かれら自身にはその責任も原因もちっとも帰せられずに自分ばかり責める。
わたしたちは定期的に自分の愚かさや屈辱を感じるシーンを思い出すのがクセのようで、そのことによっていかに自分が価値のない人間か確信しようとしている。自分の秘密だけが特殊で卑劣だと思い込み、おおげさに考える。
「わたしの容姿には欠点がある」と思い込み、大げさに特殊であるとずっと捉えつづけられる。
「わたしは世間の人と違っている」、だから価値が劣っているという奇妙な結論にとり憑かれている。
ミンチントンはいっている。「私の人間としての価値は、地位や肩書、職業、外見、人種、宗教、出身などの要因とはいっさい関係ない」
他人に認められようとすることの弊害
わたしたちは自分の価値を認められようと他人の評価をもとめる。尊敬され、評価されれば幸せや喜びを感じる。けなされたり、拒絶されたりするとたいそう気が滅入り、毛嫌いする。
だけど人に好かれようとすることは大きな代償をともなうのではないか。自分の思い通りに生きる自由をうしなうのである。
たとえば他人の規則、基準、善悪についての考え方にしたがって生きることを求められる。
好印象をあたえるためにいい人、いい生活、いい仕事、いい役柄ばかり求めるようになる。
自分の都合より他人の都合ばかり重視するようになり、自分の価値をないがしろにするようになる。
他人の評価ばかりに右往左往するようになり、気分の上昇下降をあじわう。他人の叱責に敏感になり恐れるようになる。
ミンチントンは他人の承認は一時的なもので、いくら他人に認められても満足できないし、自分の価値を他人に求めてしまうことは根本的なあやまちで、自分の価値の決定や基準を他人にゆだねることの愚を説いている。
他人に認められようとなんでもしてきて失った代償は、人間の尊厳である。自分の価値である。
人間としての自分の価値は、他人からどう思われようと関係がなく、必要なのは、他人に好かれることではなくて、自分について気分よく生きるためには他人に好かれる必要などまったくないことを理解することだとミンチントンはいっている。
ミンチントンの自己価値についての宣言
ミンチントンは他人の承認をもとめないことの利点をつぎのようにのべる。自分のことは自分で評価するようになれば、他人の気まぐれな態度に影響をうけることはない。他人に認められて有頂天になることはないし、批判されても落胆することもない。他人に好かれようが嫌われようが、精神的安定を継続的にえられる。
ミンチントンは自己価値、自己承認をえるためにはつぎのように考えればいいといっている。
「他人の意見を受け入れるのも拒絶するのも私の自由だ」
「私は、自分の人間としての価値を否定するような意見を拒絶する」
「大切なのは自分の意見なのだから、他人が私のことをどう思おうと関係ない」
「私に対する他人の意見は、その人の世界観を反映したものにすぎない」
「他人の批判は、私がそれを真理として受け入れる場合のみ、私を傷つける」
「たとえ他人から評価されなくても、私は自分を人間として高く評価する」
「他人が私のことをどう思おうと、私は価値のある存在だ」
「私は生まれつき価値のある存在だから、自分の価値を他人に証明する必要はない」
承認乞食にオサラバ
ながながとミンチントンの本から引用してしまったが、あまりにも的確に詳細に自尊心の欠如と他者の承認について書かれており、自分の言葉で書くよりよほど身にしみると思うからだ。絶版になっていることもあって、この場を借りて紹介ということで。
基本的にこの社会は他者の承認ありきの社会である。他者の承認なくして、自分の価値はないと教えさとされる社会である。テレビでもマスコミでも有名人や功績者しかほめたたえられず、なんの貢献も有名でもないあなたは価値のない存在だと教えつづけられる。社会という集合体も自分の利益を喧伝するもので、それに貢献しないものの無価値さを洗脳しようとするものだろう。
だけどそればかり真にうけて自分の価値を破壊するのはまちがっている。わたしたちは自分の価値と人生を楽しむ権利があるのはとうぜんである。それには他者の承認より、自前で自分の承認と価値のほうを優先する考えをつちかわなければならないのだろう。マスコミは他人から見た目を押しつけるわけだが、なにもわたしは他者の目に同一化するのではなく、自分から見た目のほうを上位におかなければならない。
社会は自分の価値を低いものにすれば発奮して社会に貢献や名をのこすと思っているのだろうか。たいがいの人は欠点の陵辱や自己内攻にむかって、人生の破壊にむけられるだけではないのか。
欠点をたたいてもせいぜいふつうレベルにつりあげられるだけであって、人をのばすのは長所をのばすことしか社会への貢献はありえないだろう。
わたしたちはまず他者の評価による自己価値を捨て去って、先に自己承認、自己肯定をつちかう必要があるのだろう。他者の評価より、自分の価値のほうを優先する。上におく。社会の貢献とか、他者の評価なんてどうでもいい。まずは自分の人生をたのしむこと、自分の価値のほうを生きるほうが最重要である。
他者の承認ばかり求めて涙目になっている悲しい時代と社会からはオサラバするほうが、人のためにも、社会のためにもなるだろう。社会貢献や他者の評価なんてその先にあるか、あったとしても関係ない境地がいちばんいい。
▼他者の承認欲求を引き下げる方法が書かれた本
| 幸福について―人生論 (新潮文庫) ショーペンハウアー 橋本 文夫 新潮社 1958-03-12 by G-Tools |
| キリストにならいて (岩波文庫) トマス・ア・ケンピス 大沢 章 岩波書店 1960-05-25 by G-Tools |