Plastic ANEKAです。



前回の記事では1D-LSDをメインに、幻覚剤について色々と書きましたが、今回は1D-LSDによるトリップ内容についてお話します。



THCO等のカンナビノイドにハマってから1D-LSDを知り、半年程、ほぼ毎週末やっていました。

トリップを重ねる毎に考え方や感じ方はどんどん変化していきました。そして止めるまでに至りました。



最初は1/5位で試しました。

私は馬鹿なのか、THCHを吸いながら1D-LSDも摂取したので、効果は殆ど分かりませんでした。

しかし、視界が平面になる作用だけはあったので、「あれは一体何だろう」という感覚を初めて覚えました。

これはその時に描いたスケッチです。
部屋の扉と天井と壁を眺めながら、それが何なのかが分からなくなってしまい、その感覚を表現しました。
これだけだと何なのか分からないですよね?
本当にこう見えるんですよ。

ちなみに解説として…
その場所をザーッと描くとこんな感じです。
これならまだ何を描いているか分かると思います。


ただ、THCHと混ざり合って、実際は全体的に虹色が強かったです。
色彩はTHCH譲り、割れた画面の様なヒビは1D-LSD譲りです。こちらもその時描いた絵です。

その日はどうなったか覚えていませんが、これを皮切りに徐々に自我の崩壊が始まっていきます。



次はしっかりと単体で摂取しました。その時のメモがあるので、それを参考に書き連ねます。

身体の感覚は弱くなり、とても軽く飛んでいる気分。時間も分からなくなり、自分が誰だか分からなくなります。
奥歯に力が入り、常に漏れそうな感じ。
息のしかたも分からなくなり、呼吸が非常に遅くなります。
意識が点であると認識しました。それはつまり、一次元の自分を認識したという事です。
概念は認識できません。土曜日の意味も分からなくなります。自分が在ると思えないのと同時に、他人も在りません。マインドフルネスですね。
自分が動いている事も意味不明。

いよいよヤバくなってきました。私は焦って、いつも長電話をしている友人に電話を掛けます。
友人が出ると私は本気で「え、何ですか?誰ですか?」と聞きました。
当然「そっちが掛けてきたんじゃん。」と。
「あ、そうそう、いつも電話してくる人が居たから、その人なら掛けて良いかなと思って…。」と言いました。
あの時は申し訳無い事をしてしまいましたが、理解がある友人なので、後日「あれはまさにドラッグ中毒者だったよ」と言われました。
その調子で母親を探しにコンビニに行かなくて良かったです。

でも、それだけ焦るんですよ。同時に「LSD」という単語から、潜在意識に刷り込まれた「違法薬物」という、ただただコワイという感覚がふつふつと湧き出てくるんですよね。

その後は徐々に受信タイムが始まりました。要するに薬効が切れてきたのです。

正直この時の感覚は殆ど覚えていません。ビートルズを流したり、ヒカシューを流したり、変な曲を聴きながら飛んでいました。でも確実にバッドトリップたったと思います。

それでも毎週続けました。クリスタルボウルのヒーリングミュージックを流しながら瞑想に更けていました。少しこう、自分がグレードアップした感覚がありました。生きている事が楽しいという感覚です。


個人的に、LSDはやる度にドラマの様に展開が進む傾向があると思っています。ストーリー性を感じるLSDのトリップですが、、鍵はチャクラにあるのかなと。
第一チャクラから第七チャクラまで。

まずバッドトリップを経験し、強引にチャクラの調和をします。手術の様に強引な訳です。調和が済むとグッドトリップを楽しめます。そして次のチャクラに到達すると、バッドトリップによって次のチャクラの調和を開始します。


第1段階
バッド=根拠無き恐怖
グッド=生きている事への安心感


そして数週間した頃、バッドトリップはやってきます。

全てに境界線が無くなりました。自我の消失というか、宇宙=自分みたいな感じです。普通なら貴方は貴方、そして私は私、な訳ですよ。それが無くなるんだからこれまた焦りました。

手=自分、足=自分、でも手=足ではないじゃないですか。そういう役割分担がなされている。要するに全てに意味があると、そう理解したのです。

「幸せ〜!」「幸せすぎる…。」「何が幸せか分からないけれど幸せすぎる。」そう唱えまくりました。
すると、何も分からない中でひたすら「幸せ」が舞い降りてきました。セロトニンの大放出です。バッドからグッドへ。すると、今まで出会った人や国、先祖にまで感謝で溢れてきました。青井硝子さんはこの境地を「ありがとうの国」と呼ぶそうです。
風にそよぐ枯れ葉を眺めて、時間はそういう事か、と理解できました。

第2段階
バッド=自我崩壊の恐怖
グッド=全てに感謝

ちなみにこんなビジョンが見えました。
何なのかは分かりません。


そして次のバッドトリップは、自我の消失の延長線上でした。
もしかすると第三チャクラ辺りは既に、意外と調和されていたのかもしれません。

それまでのグッドトリップも最初は何が何だか分からなくなります。バッドの分岐路は、そこから感謝や感動、楽しさが無くなり不安が募る事で起こります。

音楽が風呂みたいだと。眼球の中にいる感覚。
私が聞いても意味不明です。
感覚が子供の頃に戻る事も多々ありました。
子供は幻覚を感じているのではないかと取り違える程、1D-LSDの感覚は子供時代を思い出させてくれます。というか、子供は右脳優位ですし何か視える時もありますし、個人的には強ち間違いではないのかなと思っています。例えばDMTが多いとか。

この辺りから考え方が変わってきます。

トリップ後にとてつもない自信が湧いてきて、こういったサイケデリックに関する活動等を本格的に考える様になりました。次元等も分かってきて思考は絡まっていました。統合失調症、というか野狐禅が生じた魔境に迷い込みます。


【魔境】
マジで危ないのがコレです。

万物は愛によって存在すると思いました。
エネルギーも愛です。
クォークレベルの話になると分かりませんが、粒子さえもくっつきたがります。それらが集結して出来ているなら、全ては愛です。

と。。


そんな考えの後、トリップで訪れた場所は天界(?)でした。宇宙の外です。そこに神らしき者がいました。
私はよく豊川稲荷にお参りに行くので「豊川稲荷の神様ですか?」と聞くと、それはそれは正直に「神じゃないんだけど、ざっくり言うと神みたいな者。」と答えました。

神「豊川稲荷っつったって、アンタが捉えなきゃアンタにとって神じゃないだろう?アンタ次第だからね。」
私「確かにそうですね。何か少しでも幸せになる方法はありますか?」
神「幸せなんてそういう事じゃないんだよ。でも、正しい道を歩んでいたらアンタにメッセージを送るよ。」
私「はい。」
神「赤い物を見たら、温かい人間であれ、そう思いなさい。そして正しい道を進んでいたら、頭にlet it beを流す。あと、ガジュマル(観葉植物)を大切にしなさい。」

…本当の話ですよ。私は変な取引を交わしてしまったと後悔しました。

仏に会っては仏を切れ。

よく言いますよね。禅の修行中に仏はよく現れるそうですが、大体が魑魅魍魎だったりするそうです。そしてこれらと会話すると魔境入りするのです。

ちなみに赤い物、let it be、ガジュマル、これらはシャーマンリヨさんの動画に影響されている可能性が大いにあります。


それ以降、、
「私あってのあなた。私無しではあなたは無い。」こんな感じの神目線でした。。
本来は違いますよね。要するにワンネス、「あなたは私が創り出したあなた。」な訳で、この世に居る以上「あなたも私も、私の一部」なのです。

一番厄介だったのが、同時期に瞑想だけで魔境に入り込んだ友人です。
お互い神だったので、この考えに科学を取り入れると破綻します。

私の神的要素は、例えば嫌な事があっても「仕方無いね、あいつも神に少しでも覚えてもらいたいんだよね。」と受け流せる物でした。
しかし友人は、まるでシャブ中の様に自己中心的且つ非論理的。お互いに「自分では」全知全能な訳ですから、関係は少し悪くなってしまいました。。

私はギリギリ自分が神だという事に疑問があったので、どうにか抜け出せました。友人は未だに全知全能振っています。
それに、あの神は自分で、自分は神ではないと言っていました。しかも意外と良い事言っているし…。


抜け出し方というのはよく分かりません。
この間も毎週末摂取し、その度に考察を重ねていました。シラフの時も量子力学やコーチング理論、リアルな都市伝説やポジティブ思考の動画を観たりして、世界の本当の在り方を捉えた感覚です。


友人は全知全能から抜け出せないのと、ましてや瞑想だけでシラフでそうなっている訳ですから、異常さに気付けないのです。
当然私からも魔境の抜け方をアドバイスしました。しかし、友人からしたら「ジャンキーが全知全能の神に指図して何になる」となる訳で、一切聞き入れてくれないのです。友人はどんどん中学生の様な鋭さを取り戻し、話す度にチクチクします。。


【概念の消失】
最初はバッドに感じます。乗り越えるとスッキリします。上記の内容は、ほんの序章です。これから始まる本番に備えた、バッド慣れの演出です。
こちらも、一回のトリップでバッドを経験して、次のトリップでグッドトリップ。そしてまたバッドで、次にグッド。その様な流れです。


人間は、自分の捉え方次第で物事を判断しています。自分だけでなく、他人の捉え方を真似て判断する場合も多いですね。
「あの人が良いって言うんだから良いんだろう」とか。
当然の事ながらそんなのは無くなります。例えば差別とか、競争心とか、偉いとかそんなのどうでも良くなります。


そして趣味も一度消えます。また好きになるんです。その時、辿ってきた道を再確認出来る訳ですよ。私はコレクションが沢山ありまして…。買ってみたは良いものの、処理に困っている様な物が沢山ありました。
「断捨離」ができます。部屋が綺麗になります。
趣味の多さから部屋は物で溢れていましたが、かなり減りました。LSDによって気兼ねなく且つ的確に部屋の掃除を行えたのです。


時間、これも概念です。これが無くなるのは社会的に困りましたが、例えば最初に到着時間だけを設定します。それから時間を意識せずに動くと無意識にその時間に辿り着けるんですよ。無意識がクリエイティブに動いてくれます。「俺は55分に着く男だ!」と心得ていれば、本当にそうなります。逆に54分に着いたら、翌日は56分に着きます。宇宙は調和をしたがります。嘘のように聞こえますが、本当なのです。
まぁ、慣れていないと多分遅刻します。


感情も変わります。心が広くなる感覚ですね。
元来私は、怒っている姿がみっともないと思っていました。殆ど怒る事はありません。でもイライラはします。イライラもみっともないです。というか無駄です。前の車が遅いのは、私を事故から守る為かもしれません。そうやってポジティブに考えまくる様になります。
泣く事はありますが、嬉しさや感動による涙で、悲しみの涙はあまりありません。それもポジティブに捉えられるのです。とは言え、身近な不幸話とかはキツイですけどね…。

逆に言うと、喜びも減ります。宇宙は調和をしたがるので、相応の苦が待ち受けている様な気さえするのです。でも、その苦をポジティブに乗り越える事で、高みを目指せる訳です。

なかなか良い方向に向かえますよね。
人格まで変わります。そんな自分が大好きになります。8 1/2というバンドの「ナルシスティック」という曲は、まさにこれを表したような曲です。



しかし…。
バッドによる強制的な概念の消失は、友人や家族の死まで受け入れろと言い始めます。

私は趣味の面もあるので、趣味の友人との概念上のお別れも経験しました。ただの妄想に思えるかもしれませんが、これってけっこうキツイですよ。普通に生きている友人の死を本気で受け入れなければならないのですから。
そしてそれが完了すると、次に趣味の面の自分を殺します。
自分の空き容量はかなり増えます。ポカーンと。

そして、趣味とか関係無しに身近な人の死まで受け入れろと、そう来ます。最悪なバッドですよ。
美しい花畑に炭の様に真っ黒の木でできた本があり、それが燃えていくのです。身近な人の死。優しさに満ち溢れた感情のまま、メラメラと焼けていきます。
どうですか?考えるだけでもなかなかキツくないですか?曲がっている時にこうなるんですから、もうグチャグチャになりますよ。
1D-LSDで曲がりながら、ヨコハマメリーという映画を観たらこんなビジョンが…。


それが済むと、
己の人体を捨てる覚悟を迫られます。
要するに死ねと。
でも、これはなんか意外とすんなりと行くわけですよ…。なんかやりきった感があるというか…。
だって概念は観測出来る森羅万象にある訳ですから、それが無いなら自分の身体も無いも同然です。

受け入れたら、それまで流していたクリスタルボウルのヒーリングミュージックさえ耳に入らなくなりました。二次元を切ったのです。




























ひたすら続く「今」。今この瞬間、それしか無いのです。
全て無くなりました。無くなるって言っても、興味が無くなる感覚です。たまに人間に戻ると、身体在ったんだ…と、そしてすぐ飛んで行く…。その意味不明な繰り返しは非常に恐怖を覚えました。



それからも毎週末摂取していましたが、すぐに「無」へ辿り着けるんですよ。恐怖です。
そんなこんなで気を付けながら少量ずつ摂取していたんですよ。マイクロドーズではなく、慎重にという意味で。

依存していますね。



という感じで、次回は恐怖のフラッシュバックトリップについて書きます。