Plastic ANEKAです。



以前1D-LSDでハッピーになりすぎた反動か、最近はイカれた悩みを抱えています。


なんやかんやあってシラフでトリップするトンデモ体質になった頃、自分が人間である事を思い出す様になりました。


人間である側面を思い出す。が正しいです。


要するに、本来であれば人間に意識が向けられて正常に暮らせるのですが、人間でない側面に意識が向いているという訳です。

シラフで、ですからね。


サイケデリックドラッグでトリップした時、どうにかして戻ろうとしますよね。

「やべぇ死んだらどうしよう」とか「戻れるかな?」とか、そういう感覚になりますよね。


それがシラフで、度々発生するのです。

それはそれはもう不快でしたよ。最悪です。とうとう脳が壊れたと思いました。でもそれは、右脳優位になって自我が消失したのだと、確信しました。


私は元々、時系列を並べたり文を構成する事が得意、とまでは言いませんがある程度は出来ていました。

ずばり左脳優位だったのです。

サイケデリックドラッグは左脳の機能を停止させ、右脳優位にするので、人間でない側面に意識が向いて、人間である側面しか知らない人にとっては「コイツぶっ壊れたな」と思う様な発言をしてしまいます。


左脳優位だと概念付けをしたがるので、優劣を気にしたり、肩書を追い求めたり、ルールに縛られたり、とにかくパンク野郎に馬鹿にされる人間になります。あれもこれも考えまくり、脳は休む事を拒みます。考えない様にすると頭で会話が始まったりします。瞑想とか苦手な人は確実に左脳優位です。


しかし、右脳優位だと自他の境界線や概念は無くなり、それはそれで個性を活かせるのか活かせないのか分からなくなります。ヒッピーなんて完全にこれです。どちらかだけが動きすぎると、結局お互いの考えのすれ違いが起こり、争いが生まれます。


量子力学系の科学者になる為には、右脳も左脳も同時に上手く発達させないといけないそうです。



スピリチュアル的に言うと、右脳は自分の潜在意識と結び付きが強い為、インスピレーション等を受け取りやすいとの事。しかし左脳優位だと、インスピレーションを受け取っても「でもなぁ…」と考え始めてしまうそうです。

不満ばかり言うクセに、何かと理由を付けてやらない奴って居ますよね。往々にして「いや、」「でも、」否定から入るパターンの奴です。しかもそういう奴の方が多いですよね。


そういう人に私がこう言います。

「この世界はやはり幻想なんだろうな…。」

すると「いや現実だろ。」と。

私からすれば、そんな浅い意味の「幻想」ではないし、その人の言う「現実」はどれだけ狭い世界の現実なんだよ、となります。井の中の蛙だなと思います。

例え話として、魚の先輩と後輩が居て、先輩が「よう、今日の水の感じは良いかい?」と後輩に聞くと「水…?何スカそれ…。」と返す。水の中に居ると水が分からない、そんな感じです。

そのクセ自分が正しい、アイツはジャンキー、そんな扱いなので、当然理解なんてしてくれません。


「人間は世界の5%程度しか解明出来ていない。」


私はこの95%に、人間のままアクセスしてしまったのです。焦って当然です。これを言った所でまた知ったか振って「そりゃあな、解明出来ていない事も多々あるだろうよ。」なんて抜かしますから、話になりません。凄く左脳的でしょう?



その人はどうでも良いのですが、どちらにしてもおかしな感覚になっている事は間違い無いので、ネットで調べてみると「離人症、現実感消失症」という精神病のある症状がヒットしました。

「幻想だ!」とそこかしこで言うのもヤバいので、その苦悩から逃れる為に色々としました。一ヶ月位悩んでいましたので…。


サイケデリック好きな人のある程度はこの手の悩みに直面するそうです。そういうコミュニティで聞いてみると、グラウンディング瞑想が良いと勧められました。

やってみたらあら不思議。。

人間でしかない時の感覚が戻りました。離れていたからこそ分かる感覚ですが、それはプライドや時間に縛られ、頭の中では無意味な妄想が続き、視野が狭くなる、非常にストレスが溜まり疲れるものだったのです。


左脳優位ってこれだったのか…。と、生まれて数十年もそんなだった、、か覚えてはいませんが、ずっとその感覚だったのに、いざ戻ってみたらとっくにコンフォートゾーンから外れていました。


右脳優位って、無意識の内に色々とこなしてしまうので気付いたら「あれ、もう一週間経ってたの?」となります。大袈裟ではなく。


当然、左脳優位で固定観念バリア最強みたいな人とは距離を置くようになりました。そして右脳と左脳を使い分けられる様になりました。まぁ、どちらかと言うと未だに右脳優位ですが…。



すると、サイケデリックのコミュニティでもちょいちょい考えが一致する人が見付かるのです。

スコトーマが外れ、自分の現在位置を把握出来たのです。

量子力学、仏教、瞑想、ヨガ、サイケデリック、都市伝説、コーチング、そういう類いが好きな人がわらわらと集まります。


一言で表せば、視野が拡がりました。


般若心経の「空(くう)」の視点です。

左脳優位も右脳優位も経験して、使い分けられた。

在るも無いも包摂する空です。




しかし…そこで「イカれた悩み」が生まれてきます。


1D-LSDにハマった頃から色々と調べていたので、知識だけは何となくありました。

「量子の重ね合わせ」、これはシュレディンガーの猫でお馴染みです。毒餌が入った箱に猫を閉じ込めたら、生きているとも言えるし死んでいるとも言える、相反する状態が重ね合わされている状況の事を言います。そんなのは思考の問題ですが、光さえそう働きます。


光は波であるという科学者も居れば、粒であると言う科学者も居ました。二重スリット実験では、詳しくは省きますが光は波であり粒であると認識されました。


しかもそれは、どれだけ離れていても、例えば宇宙の端と端にある量子は、片方がAと決まれば片方はBと、一瞬で変わります。宇宙一速い光速を凌駕して。これを量子もつれと言います。


最先端の科学がこう言うのです。

「考えられるのは、この世界は量子により構成された3次元の液晶画面の様な物。」要するに現実とは言い難いと。



また、神経の信号は脳から発生していると判明したそうです。

例えば手の痛みを感じた場合。元々は手から刺激を拾って脳へ送られていると考えられていました。

実は、脳から手に信号を送っていた、という訳です。



どう思いますか?

なんか怖くなります。信じられないかもしれませんが、それが「現実」なのです。



ある時、サイケデリックのコミュニティで私は「1D-LSDで現実を忘れてしまう症状を患いました。」と、一般向けの発言をしました。するとある方が「1D-LSDは超現実を教えてくれる物ですよ。偽物じゃないですか?」と言ってきました。私は嬉しかったです。

私は「超現実ですか…。それが通じる人が居て嬉しいです。そう、現実を認識したらその巨大さに圧倒され、自分の小ささに虚無感を抱いています。普通の人だと通じないので…。」と言いました。そこから話は弾みましたよ。



スピリチュアルではどうでしょう。


仏教では「欲を捨て、輪廻から解脱する事が重要。」と説かれます。

ロズウェル事件を元にしたエイリアンインタビューでは「地球は魂の牢獄だ。」と言われています。



こうした情報は、最初は興味本位で「ふーん」と、なんとなくで聞き流していました。

しかし、今になってこちらの方が辻褄が合う訳です。



イカれた悩み、ですが…。

なんやかんやあって人間である事を思い出す状態に悩んでいた訳ですが、そういう瞑想や知識でどうにか過ごせる様になりました。


しかし最近、「人間である事への違和感」が生じ始めます。

莫大な宇宙の中の地球に、当然のように人間として生活している自分とは一体何なのか、それこそが異常だろうと、そう感じています。


これはぶっ飛んだ話だと思いますが、でも否定できますか?納得できる形で否定してほしいですよ。井の中の蛙の意見は要らないです。

これだと普通に暮らせないです。人と話していてもどこかで「これは一体何だろう。」となります。


肉体が死んでも終わる事の無い、無限ループを彷徨う恐怖。魂の存在に気付いた時。


皆さん、何を当然の様に生きているのですか?

考えた事はありますか?死への恐怖は考えた事があっても、例えば鬱の人が生の恐怖を考えた事があっても、魂への恐怖を考えた事があったでしょうか。


死んでもまた会えるとか、そういう次元ではないのです。

死んでも終わらないのです。


私は楽観的ですから、死のうとした事はありません。現状、この何かから死んで逃げられるとは思えません。むしろ死んだら逆に面倒臭い工程が増えそうな気が、何となくですがします。



「シミュレーション仮説」は、この世がコンピュータだと言う仮説です。

その上人間に自由意思は無く、操り人形だと。


引き寄せの法則みたいな話や運命が定められた出会いって、脳科学者さえも推す説です。


私には確実に意識があります。他人に意識があるかは判別できません。

私が何かを強く望んだら、何かが手に入ると。アファメーションです。「海賊王に俺はなる」的な。


少なくともこれは私の宇宙であると言えます。この宇宙に存在する他人に魂があるなら、アファメーションなんてしていればいずれ争いが生まれます。まぁ実際に生まれている訳ですが。


しかし「今」を感じると、この世界はとてつもない非現実感を帯びてきます。スッと次元上昇して、俯瞰的に見詰める様な感覚。これもかなり恐ろしくなります。そして、人間は自分に都合の良い部分しか見ないように設計されています。


「今」は投影されたスクリーンで、過去は流れ去ったフィルム、未来はどんどん迫ってくるフィルム。そう捉えるとなんとなく分かりやすいかなと。。


起きるという事はテレビが付くのと同じ。ゲームの起動時と同じ。そんな感覚です。だって意識の音って、ブラウン管テレビが付く時の「ブォン」という音なんですよ…?


例えるべきは映画なのかゲームなのか分かりませんが、ストーリー進行を進めるゲームの様な感覚はあります。

人間はNPCばかり。たまにオンラインプレイヤーみたいな存在も居るとは思います。意識がここまであちらこちらに居ると、サーバーがパンクしそうです。


だって、脳ですらエネルギー抑制の為に盲点だらけな訳で、見た気がしているだけで実は見ていないのですから。それに、観測されていない部分は、量子はAでもBでもある状態なのです。あなたの後ろの景色は、壁でもあり土星でもある、それを一切否定出来ない事が科学で証明されているのです。


私が認識する他人は、当然私の様に人間です。私の様にプログラミングされた人間、かも知れません…。

そうなると、他人は私の様に意識がある風に振る舞っているだけと考えられます。

感覚はゲームのNPCです。身体を乗っ取ることもできません。MODとかもあるかもしれません。

人が壁をすり抜けるという量子のバグさえ、実際にあるそうです。

ただ、私は神ではなく、私という物語の主人公です。神は、プログラマー達です。



パラレルワールドだとして、他人の魂もどこかにあると考えると、なかなか面白いです。


私は私の宇宙で暮らし、たまに誰かの宇宙へ遊びに行く。私の宇宙にも誰かが来る。そういう魂の交流があるかもしれません。





そんな楽観的な考えは、映画マトリックスによって崩壊しました。


機械が支配する世の中。

脳は水槽に浮かんでいる。


それも否定できなくなります。

機会を動かす為のエネルギーとして人間は捕らえられ、幸せそうな幻想を見せているだけ。

全ては脳で認識しているのであれば、身体なんて実際は無くても良い訳ですから。


丸呑みフェチとかいうジャンルの性癖もある位です。抗う事無く、自ら望んで機械の栄養になる事に気持ちがシフトチェンジすれば、形而上的に「食べられたい」と思う人も出て来て当然でしょう。


AIの進歩は凄まじく、開発者も制御出来ない状態だそうです。徐々にその世界に近付いている感覚さえありますよね。



どこかで「我々は既にブラックホールに住んでいる」と書いてある記事を読んだことがあります。

だから何なのかは分かりませんが、目覚める事が本当に重要で幸せなのか、或いは機械の栄養で有り続ける事の方が楽なのか、どちらが良いのかなんて全く分かりません。



ここが本当に現実で、私がぶっ壊れただけかもしれません。

仏教が良い方向に導いてくれる保証もありません。

もしかしたら人間以前に、支配されるだとか輪廻転生だとか、全て妄想なのかもしれません。


ただ、どちらにしても人間である事だけは異常です。




それでは。