Plastic ANEKAです。
久々にサイコアクティブなカンナビノイドを吸ってみたので、使用感を書いていこうと思います。
1D-LSDをやりすぎて、シラフでも急にトリップする体質になってしまいました。
カフェインとCBNとニコチン以外の薬物(サイケ系)は、少量の摂取で手が付けられない程のトリップをしてしまいます。。。アルコールですらそれです。アルコールでトリップって何なんですかね。。
ここしばらくは「酔い」恐怖症でした。
リラックスしたいだけなのに、自我がまっさらに消えて無くなり、人間である事はまるっきり忘れ、まるで死後の世界で魂が彷徨っている様な感覚になるのです。
とは言え、自分の本体は人間ではないと思いますので、それが当然なのですが。
我々は「人間」である事に没頭しすぎなのです。
人間がゲームに没頭しすぎている感覚と似ています。
四六時中、ゲームの為に生きている様な。
何をしていてもゲームがよぎり、依存します。
でも飽きてくるとそれも徐々に上の空になるというか…。魂にとって人間ってそんなものなのかなと。
あまりにもトリップしすぎるので、こういう正当化をして乗り越えました。
未だに寝る時はトリップしやすいのですが、前よりはかなり良くなったしトリップしても慣れてきたし、とにかく乗り越えました。
とは言え、二週間に一回位は試し吸いしていました。吸うと言っても葉巻の様に口に溜め、それを吸い込む程度。最初の頃はそれだけでトリップです。ヤバいです。
だんだん、3パフやってようやくトリップが始まる程度に落ち着きました。しかしそれもマイクロドーズレベルでのトリップですから、昇華の様にカンナビノイドの良さを飛び越しています。
そして一昨日また試してみた所、3パフでトリップはせず、徐々に楽しくなってきました。数ヶ月振りのハイを体験できたのです。
そりゃもう感慨深さも相まって最高でした。麻抜きも必然的に出来ていますからね。
ちなみに未だにシラフでトリップする事はあります。
カンナビノイドの効果が薄れてきていると考えると、私の波動が下がりつつあるとも捉えられます。
しかし、あれだけ地に足がついていない状況だと本当に良くないです。慣れたとは言えどきつい事に変わりありません。
例えばこの世界が幻想だとして、でも我々はこの世界に居る訳です。
ゲームの主人公からしてみれば、私達が作ったのも動かしているのも気付けません。ゲームは作り話でも楽しむ事が出来ます。我々がゲームでそうしているなら、我々もそうされていると捉えてもおかしくないですよね。
そもそも人間や動物、植物がある環境が当たり前な感覚ですが、それも物凄く不思議な話なのです。
我々からしたら星のカービィはキャラクター感満載ですよね。しかし生まれてからずっとカービィの世界に居たら、あれが当然と思ってしまいます。
それと同じで、人間というキャラデザインも普通ではないとなるのです。
感覚まである物凄いリアルなゲームにあまりにも没頭しすぎて、これを現実だと思い込む。すると自分の世界はこれだけしかない、そうなりますよね。「幻想?な訳ねぇだろ、ここは現実だ。」という人は、受動意識仮説等を調べてみてください。真っ向から否定するのではなく、理解し考え尽くした上で否定してください。それがお互いの成長に繋がります。
この世界の私は現実の私に操作されている、と考えたら、我々キャラクター側からしたら寂しくなりますよね。
同時に、嫌な事等も楽天的に考えられます。
せっかくこのゲームに参加したのに、嫌になって投げ出すのは勿体無いですよね。人間になったのは魂の成長の為、なんて噂もありますから、無駄に死んだらいつまで経っても浪人生みたいな人生を送ることになります。
私は物を長く使いたい正確なので、身体を捨てる気はありません。しかしこう感じてしまってからは、今まで没頭していたのに急に現実を思い出したかの様な退屈感が芽生え、ずっとネガティブとポジディブの中間に居ました。宇宙は調和をしたがります。プラマイゼロでした。
その中でのハイな感覚は、とても楽しかったです。
ポジディブ寄りになった感じですね。それはまた宇宙に調和される可能性もありますが、ここをコンフォートゾーンにすれば、ここが調和の基準になります。するとどんどん上に登れる仕組みです。
自分を隠す必要もないし、何に属する必要もないし、、逆にあえて何かに属してみるとかもアリですし、何でも有りです。但しマイナスな事は避けたほうが身の為、魂の為です。
また、異常に死を怖がる必要がないなら、生に固執する必要もない訳です。長生きの為に頑張るというのは、楽しくなければほとんど無意味なのかなと。
真っ暗になったら簡単にぶっ飛んで、気付いたら朝になっていました。
起床ってゲームを再起動しただけで、8時間寝た感覚でも、実は数百億年の月日が流れていてもおかしくはありません。
そんな事を考えながら、幼少期の自分に食われるというトンデモナイ話を昨日書いていたのですが…。書くために鮮明に思い出していたからか、今日の起床時、寝ぼけた感覚の中でその時の体験が一瞬デジャヴ的に蘇ってきました。
相変わらず気分は悪くなかったです。
それでは。