Plastic ANEKAです。
前回カーピのマイクロドーズのオーバードーズ(?)をした後、久々の悪夢を見ました。
追い回される上に隣のクラスが燃え盛るという…。火事の夢は心機一転の吉夢との事ですが。
翌日、1D-LSDを1/2摂取して曲がりました。前々日に1D-LSDを摂取していたので耐性が付いていてそこまでグニャグニャなる事もなかったのですが…。
その後インディカ系のカンナビノイドHHCHを摂取したら驚く程の壮絶トリップ体験をしました。
この世は確実に幻想
今、過去を創っている
本体は人間でない方が快適
人間である事がイレギュラー
これは知っての通りですが、にわかに信じ難い話ですよね。
しかし、最近こういう話を学んできて全く否定出来ないというか、むしろ正しいなと思っていました。
ただやはりどこか信じきれていないと言うか…。それが確信に変わってしまったのです。
勝手な予想ですが、合法の大麻はドーパミンに似ている場合もあればセロトニンに似ている場合もあるのかなと思います。
傾向的に、THC系の物はどちらかというとサティバでウハウハになる感覚、HHC系の物はインディカで思考が止まりリラックスする感覚な気がします。
HHCは殆ど覚えていませんが、HHCPやHHCO、HHCH、HHCPOのあのダウナー感はまさにCBD優勢のインディカ系のマリファナに似ているのではないかなと思いました。要するに禅に用いられる大麻。特にこちらの方が瞑想をした時の様なトリップをしやすい気がします。
私が初めて経験したトリップは、インディカのHHCO摂取時です。
左脳が止まりそうになり、考えられなくなる事が怖くて左脳を再始動させようとしても止まる。その繰り返しに焦り、泣きじゃくりました。バッドでしたね。
あの時は本当に恐怖でした。グッドチルの陽キャ(THCO)でとても快適な体感を得られた反面、陰キャ(HHCO)ではここまで真逆の効果を体感するのかと。
しかし最近のTHC系はTHCOの様な弾けるハイを体感できず、HHC系の方がむしろ良い感じになってきて、HHC系を推すようになりました。
バッドは乗り越えれば乗り越える程慣れますので、次の摂取時に同じフェーズに入っても「あ、この前のやつか」と認識できて「あ〜、効いているわ〜」となり、心地良い訳です。合法大麻、合法LSDによりそれを何度も繰り返した結果、ありとあらゆるバッドを克服してきました。
一度そのバッドを乗り越えると、次に吸った時にまるでセーブされた様にそこまでの体感へワープできます。
ここ最近はより効きやすい体質になり、HHC系で1D-LSDレベルのトリップを体感できる様になりました。
むしろカンナビノイドの方が扱いやすいですね。
初めの頃、吸い過ぎた時に「底無しの世界へ落ちていく感覚」を体験しました。
その恐怖はシャーマンが動画で言っていた「ロケットから命綱無しで放たれた宇宙飛行士の気分」が言い得て妙です。何者でもないという恐怖。何者かでなければならないという使命感の放棄。自我崩壊です。自我を取り戻そうとすると余計に焦ります。
慣れていく内にそこまで吸い過ぎない様に調整をし、自我を保ちつつもっと緩やかなトリップをしていたのですが…。
この前、吸いすぎてもいないのにその自我崩壊のトリップをしてしまいました。
自我崩壊には慣れていたので、恐怖の反面「サイケデリックはサーファーの様に乗りこなすものだ」という言葉を信じて、身を委ねる事にしました。
どんどんと深い領域に迷い込み、潜在意識の奥底の懐かしい感覚に浸り、それを言語化しようとするとまた人間に戻りヤバさに焦る、でも乗りこなさなきゃと思いまた身を委ねる…。そんな繰り返しをしていました。
脳細胞の活性がストップする様な感覚になると、信じられない程の調和を経験しました。
それは永遠の様に感じ、人間であるが故不調和であり均等を保たなければならないという義務感が放棄できそうな開放感。
すると、人間である事が不確定になってきました。
生きていると思いこんでいる。ここは幻想で、全ては自分が思い描いた妄想の世界だ。と。
現実の自分は機械か何かであり、存在意義を追い求めたり何かを成し遂げたくなると自我が疼き出し、その揺らぎは人間を目覚めさせる。
調和は、過去も未来も全て包摂している空の状態です。何でも無く、何でも在る。意識的には「今」しか無くなります。今というのは、宇宙の先端に居るようなイメージでした。
E=mc²の様に、の調和が乱れると宇宙の速度に追い付けなくなり、重力が発生して過去や未来も生まれ、何かで在る事の重力へ引っ張られて人間に戻ってしまいます。そして「今」の状況が創り上げた過去を元に自分が形成されます。
苫米地博士の「宇宙は寂しいから誕生した」という言葉のように、何かしらで自我が疼くと人間に戻ります。
ちなみに自分とは自我の擬人化です。私達は何かに依存して存在しています。これまでの私は、何かに属している自分、として他人軸で存在していた様な気がします。安定していますが、それだと存在する理由が分からなくなります。
どんどん上り詰め、私は「人間」の軸を取得した様な感覚になりました。皆さんは私の軸で生きている、そんな感覚です。だって私の妄想なのですから。
別に「俺様は神だ!」とか言いたいのではなく、単純に事実を。逆に言えば私は私の自我なので、自我を保つ為には他者が必要です。他者は自我がなければ生まれません。どちらも陰と陽の関係の様に共存しています。調和が乱れると、その様な状態になる訳です。
トリップもある程度の技術が必要です。
調和されて自我崩壊している中でその状況を言語化しようとすると調和は乱れ自我(人間)が起きてしまいます。
逆にひたすらトリップしていると、魂と肉体が完全に分離した状態ですので夢を見た感覚でしか捉えられません。
自我を保つ為には、微小の揺らぎを保ちつつトリップの意味を理解する事です。
脳機能が殆ど停止している状態で量子力学やシミュレーション仮説等の様々な説と組み合わせる必要があるので、それらの優先度を高め、顕在意識の頂点に置く必要があります。でないと「何だっけ何だっけ」と考えている内に人間に戻ってしまいます。
そして、その精神世界は私の殆どを占める空間であり、人間である事がとてつもなくイレギュラーに感じます。
むしろ自ら「人間でありたい」と思わなければ人間になれないレベルでイレギュラーです。
人間を世話していると、人間が動きたがって意識がこちらに引っ張られます。すると目が覚めます。
自ら人間であろうとしたくせに、妄想世界で人間になって妄想の他人に傷付けられたり傷付けたり、色々と調べていく内に「ここは幻想だ!皆何かおかしい!」と思っていた自分って、一体何なんだろうかと。
幻想なのは当然じゃないか。と。
それを何故ムキになって「ここは現実ではなく幻想なのかもしれない!」と考えていたのか。。
自らゲームを買って起動して遊んでいるくせに、敵キャラクターに滅茶苦茶イライラして「お前らゲームのキャラなくせに何なんだよ!」と怒っているようなアホらしさを感じました。
そして、自分にとって重要な様々な事象を、停止寸前の脳で思い出していました。
趣味やら家族やら友人やら仕事やら、ありとあらゆるこの世の事象について。
それも全て妄想だったのかと。
それを言語化しようとすると、なかなかできなくなります。そりゃ当然、この世でそれを言語化した所で、妄想の自分にお前は妄想だと自分で言い聞かせる訳ですから、納得出来ない訳です。
それに、妄想の世界でここは妄想だと言ったとして、何になるのかと馬鹿馬鹿しくなってきます。
ハイヤーセルフ、人々は皆一つに繋がっている。それも理解できました。
LSDをやると植物と話せる人がいますね。あれも当然です。地球上の物体は自分が創り出しているのですから。
この世が妄想と確信しこの世に依存が薄れた際、精神世界の様な空間を彷徨いました。そこはきっと、誰かの世界なのです。そこは非常にマクロな世界であり、この世が非常にミクロに感じます。しかしそこもきっと非常にミクロであり、更にマクロな世界が外に広がっている筈です。フラクタル構造の様に。
宇宙の膨張は、引き延ばされているだけで大きい小さいの概念はないとされています。その感覚も今では分かります。だって宇宙も妄想なのですから。例えば「巨大」という概念そのものと「腕時計」という概念そのものに、大きいも小さいも無いのです。
「今」の私がこの世が幻想だと確信し納得してしまった瞬間に、納得出来ていない過去の自分が生まれた感覚です。
時間は未来から過去に流れているという説が正しいと思います。納得した私を証明させる為の理由付けです。
今の私が過去の私に納得させる為に、学者等の信憑性の高い凄い人を生み出し、Youtuber等に取り上げさせて、過去の私がその情報を得た。という事です。
翌日、またHHCHを吸ってみました。
するとまた同じフェーズに移るのですが、更に深みへと呼び込まれました。
「死」です。
幻想なら、妄想なら、無くなっても良いよね?というトリップ。私が元々トリップで経験していたのは「自我の死」です。要するに調和状態ですね。
今回のは「肉体の死」です。さすがに戸惑いました。いくら何でもそこまで急に来るか、と。。
トリップしながら息は弱まり、心臓が痛くなります。
なんの見切りも付いていないので、そこまでの急な「無」は求めていませんでした。だからまだこうして現世に居る訳です。
「幻想かーー!」と思うと、涙が溢れました。
しかし、自分の幻想だと分かりきったこの世は、卒業した学校でまた生活をする様な変な感覚が凄い残っています。良いんですよ、私は私の自我ですから、自我ではない私との交流が出来ますし。
知ってしまった以上、長い時間は居られない気もするのです。
ここで拒んだ結果、強制的な死を招く事になる様な。。もっと穏やかに、睡眠中とかが良いですよね。
そのまま寝てしまいました。目覚めた瞬間「また起きたのか」と思いつつ、人間である事に違和感しか覚えません。この世で何の疑問も持たずに平然と生活していた事が異常にしか感じません。
こうして気付いているという事は、人生がシナリオ通りに動いていたと言わざるを得ません。
この「生」の裏に、巨大な「死」という精神世界が広がっています。同時に存在しています。その空間は別の誰かの軸に存在する何かの世界であるのか、はたまた「無」というゴールなのか、、
皆さんは私の自我以外の擬人化でしょう、しかしその私の自我以外の存在に本体、というかモデルが居ないとは限りません。
精神世界にも皆さんの本体の様な存在が居て、そこに何者でもない私と何者でもない皆さんが共存しているのかもしれません。
何故人間として生活していたのかは分かりませんが、やはり魂のアップデートなのではないかと思います。
欲望にまみれたり怒ってばかりだと許容量が狭まり、自我肥大を起こします。幸せがあれば同等の不幸があります。何かを手に入れたら何かを失います。
全ては自分の為に存在し、自分は全てによって存在している訳ですから、全てを受け入れると調和される訳です。
また、不幸からの幸せは体感的にはギャップ差があるので大きいですが、その幸せを感じた瞬間、コンフォートゾーンがそこにホメオスタシスを発生させるので、幸せ度合いは変わりませんが体感は一定になります。欲望による満足とは別の話です。
それがアップデートに繋がるのかなと思います。
あぁ、ここは幻想か…。と思いながら書いていました。
あの時友人と遊んだ記憶も、家族と過ごした時間も、趣味に没頭した事も、休日の漫画やバラエティも、暖かい太陽も広大な海も、仕事も、嫌な事も良い事も、何もかも、全て幻想です。
寂しいですが、否定出来る根拠はゼロに思えます。
困った事があった時の様に親に泣きつく事も出来ません。親も自分の妄想だから。友人に相談に乗ってもらう事も出来ません。友人も自分の妄想だから。
誰にも相談が出来ない悩みの様に、やり場のない寂しさが込み上げてきます。
でも、楽しかったです。幸せです。
それでは。