ジューダス・ビショップと最強のイマジナリーフレンド 作:束田せんたっき
それから俺は、薬作りに没頭した。本を参考にしながら、試行錯誤していく。煮たり、焼いたり、揚げたり……時間は矢のように過ぎていった。
必要の部屋で俺がいつものように、乾燥トカゲの尻尾を切り刻み鍋に放り込んでいると、控えめにドアが開いた。
「やっぱり、ここに居ましたか……」
レインだ。脱狼薬の調合でもしにきたのだろう。俺は紫色に煮え立っている鍋を掻き回しながら、口を開く。
「ああ、ここって凄く便利だよね」
レインは猛獣に近づくかのように、そろりそろりと歩を進めた。今にも消え入りそうな声で、語りかける。
「ジュ、ジューダスは何を作っているんです?」
「……魔法薬学のテスト勉強だよ。学期末試験まで近いでしょ?」
レインがテーブルに置かれた様々な材料に、素早く目を走らせた。唾を飲み込んだのか、喉が小さく動く。
「……そ、それにしては材料が特殊ではないですか? 2年生には難し過ぎると思うのですが」
「スネイプ先生は本格派なんだよ。そういうレインだって、イッチ年生で脱狼薬なんて代物を調薬してるじゃん」
「私の場合はこれしか道がなかったというか……」
髪の毛をイジりながら伏し目になるレイン。俺はレインから目を離し、牛の肝臓を切り刻む。トントントンッと軽快なリズムを刻みながら、肝臓は細切れになっていった。
「ちょっ!? 何ですかその包丁さばき!? よく指無事ですね!?」
「孤児院では短時間で大量に料理を作らなきゃいけないからね。自然と身についたよ」
「それにしても残像が見えるスピードは異常ですよ……」
レインは信じられない目で、高速に振り下ろされる包丁を見つめていた。何を驚いているのだろうか。猫の手にすれば、指は絶対安全なのに。
そして、肝臓を大鍋にぶちこみ、暫くの間置いておく。すると色が紫からショッキングピンクに変化した。
「精神分裂薬……?」
知らぬ間にレインが『薬でもう一人の以下略』を手に取っていた。俺は出来上がった薬をフラスコに詰め、光にかざす。フラスコに歪んだ俺の顔が写った。
「その本によると、完成すると薬は真っ赤になるらしいんだけど、何度やってもピンク止まりなんだ」
「手順は間違っていませんか? 材料を入れる順番でかなり変わってきますよ」
「正しいはず……はず……?」
レインはパラパラと本を捲る。そしてあるページで手を止めると、声を上げた。
「あっこれじゃないですか? マジックマッシュルーム」
「そのキノコなら入れたよ」
俺は小さな白いキノコを取って見せる。レインはキノコを受け取ると、間近で観察したり、匂いを嗅いだりした。眉根を寄せ、数秒の沈黙。
「……これ、ただのマッシュルームですよ」
「マジで?」
「マジです」
俺は膝から崩れ落ちた。マッシュルームを手に、天を仰ぐ。頬を熱い涙が伝った。
「ああキノコ、あなたはどうしてキノコなの?」
いつも通りレインは冷ややかな目をして……いない。レインは深緑の瞳を潤ませ、膝を折った。ずいっと身を寄せ、俺の手を取る。何か近い。
「わかります! わかりますよその気持ち! 材料を間違えるなんて、あり得ないぐらい初歩的なミス! だからこそ悔しい! おふざけの1つもやりたくなりますよね! ジュリエットはやり過ぎですが、私も枕に顔を突っ込んで叫ぶぐらいはしたことがありますよ! ええ!」
俺は語気と比例して握力も増加していくのを感じた。レインは一息で言い終わると、慌てて手を離した。
「す、すみません。いきなり手を掴んだりして……」
「ん? 別に良いよ?」
俺は徐ろに立ち上がり、鍋の火を消す。グリフィンドールの赤いネクタイを正し、漆黒の杖をポケットに収めた。レインが不思議そうに、瞬きを2回した。
「どこか行くんですか?」
「マジックマッシュルームを持ってそうな人の所にね」
「ゑ? ハグリッドがいない?」
ハグリッドの小屋前。ケトルバーン先生は、ファングの皿にミルクを注ぎ、大義そうに腰を伸ばした。
「アイタタタ。ハグリッドはスリザリンの継承者の嫌疑がかかって、アズカバン送りになった。何かと話が合ったから、残念じゃ。知らなかったのかね?」
「ええ、友達作りに忙しくって」
レインはジト目で俺を見た。そういえば、ここに来る時も「ジューダスが何をしでかすかわかりませんから。監視です」と言っていた。信頼はゼロに等しいようだ。
ファングは一心不乱にミルクを舐めていた。
「それは良いことだ。儂も五体満足の頃はブイブイ言わせておったわい」
ケトルバーンは義手を撫でながら、包帯に覆われていない方の目で俺とレインを見た。魔法生物に突っ込んで行くから、しょっちゅう怪我をしているという噂は本当らしい。
「君はミスター・ビショップだね? そして君はミス・フォーリー」
「ええ、そうですが……」
レインは不可解な面持ちでうなずいた。多分俺も似たような顔をしていると思う。俺たちが名乗った記憶はない。ケトルバーンが、懐かしむように目を細めた。
「ヘクターは儂が危険生物をイギリスに持ち込むたびに、決まって取り締まってくる闇祓いだった。当時は煙たがったりもしたが、今となっては良きライバルじゃよ」
俺は去年贈られた写真を思い出す。仏頂面で勲章を一杯付けたヘクターさんが、ケトルバーン先生を追い回してる姿。想像に難くない。
レインが棘のある口調で言った。
「いや、教師が逮捕とか普通にアウトじゃないですか」
「せいぜい罰金刑じゃ。本当に危険な代物は……おっと、うっかり口を滑らせる所だった」
既に口を滑らせているのは俺の気のせいだろうか。いや、気のせいではない。
ケトルバーンは、俺たちの視線から逃げるように口を開いた。
「よ、要するにだ。儂がヘクターの数少ない縁者である君たちの用件を、ハグリッドに代わって聞くのも吝かではないということだ。素晴らしいことだと思わんかね?」
俺とレインは顔を見合わせた。ハグリッドならマジックマッシュルームを持っていそうだし、用途も聞かずに渡してくれるだろうと思って俺はここに来た。
しかしケトルバーン先生は、ハグリッド同じくらいイカれているが、ハグリッドよりは倫理観がありそうだ。
「そこまで言ってくださってありがとうございます、先生。しかし俺たちはハグリッドにクリスマスのお礼をしに来ただけですから」
「5月にかね?」
「はい……ロックケーキは雪解け水でふやかしたぐらいが食べごろですから」
俺は完璧な言い訳を披露し、その場を立ち去った。次はスネイプ先生に頼みに行こう。
城へと戻る道で、レインはポツリと呟いた。
「最近のあなたは、何だかおかしいです」
その言葉がいやに大きく聞こえた。耳をこじ開けて、無理やり鼓膜を震わせているみたいだ。俺はその違和感に振り向かずに言った。
「人は変わるものだよ。成長途中の俺たちなら尚更にね」
駆け寄ってきたかと思うと、レインが俺の肩を掴んだ。強制的に向き合わされる。深緑の瞳に驚くほど無表情な子どもの顔が浮かんだ。
「この間まで鬱々としていたのに、今度は変なことに熱を上げたり……絶対におかしいです。あなたはそんな乱高下するような人じゃない。常にテンション高止まりの、絵に描いたような楽天家です」
「最近の俺はシリアスな俺なんだよ」
「このままではあなたは道を踏み外します。そんな予感がするんです」
俺は身をよじったが、レインは手を離そうとしなかった。段々と脳みそに血が昇っていくのを感じた。
「離してよ」
「嫌です。精神分裂薬を何に使おうとしているんですか? スネイプ先生がそんな危ない薬を作らせるなら、私はダンブルドア先生……はいませんから、マクゴナガル先生に報告します」
「何だって!? ダンブルドア先生がいない!?」
今度は俺がレインの肩を掴む番だった。レインは一瞬、肩を跳ねさせたが、大きくうなずいた。
「本当に薬に取り憑かれていたんですね。良いですか? ハーマイオニーとペネロピー・クリアウォーターが、継承者に襲われました。その責任を取らされて、ダンブルドア先生は出ていったんです」
俺はガツンと頭を殴られた気分だった。夢から醒めたようだ。
「そ、それで? 継承者はどうなったんだ?」
「ロックハートは『ハグリッドが犯人だ! 危機は去った! 第二部完!』って言ってますが……私はそうは思いませんね」
俺は特大の羞恥心に襲われた。ホグワーツが大変な時期に、俺は何をしていた? 悲劇のヒロインぶって、妄想の世界に閉じこもった挙げ句、スネイプ先生から危険物を盗みに行こうとしていたのだ。できることなら、叫びながら全裸で湖に飛び込みたい。
目の前で佇むレインを見る。毅然としているようだが、その体は小さく震えていた。彼女も覚悟を決めて、キチガイと化した俺に向き合っている。そのことに気づいた瞬間、俺は頭を下げずにはいられなかった。
「ありがとう……!」
「ど、どうしたんですか!? そんな日本人みたいにお辞儀して!?」
「君のお陰で、大事なことを思い出せたよ」
失われた命は求めても帰ってこない。過去に囚われていると、未来を取りこぼす。こんな簡単なことに気づくのに、俺は随分と遠回りしてしまった。
「やっと次に何をすべきかわかったよ」
俺は顔を上げて、笑いかけた。久しぶりに心から笑顔になれた気がする。つられるようにレインも微笑んだ。
「力になれて良かったです」
空はどこまでも青く澄み渡っていた。イギリスの空じゃないみたいだ。
待ってろスリザリンの継承者。ミカエラとコリンとハーマイオニーとジャスティンとペネロピーとミセス・ノリスの仇、必ず取ってやる。
そう決意したのは良いものの、スリザリンの継承者を俺はぶっ飛ばしあぐねていた。捜査しようにも、夜間の外出はこれまで以上に取り締まられていたのだ。
俺は談話室の机に突っ伏し、唸った。昼間、ルーナと一緒に捜査してくれたネビルが言った。
「まあまあ、焦っても良いことはないよ」
「ネビルは石にされるのが怖くないのか?」
突然、ネビルは立ち上がった。ゴトンッという音と共に、机に乗っていたインク瓶が倒れ、真っ黒い洪水がぶちまけられる。俺とネビルは大急ぎでダムを建設し、インクを拭き取った。
「何やってんのさネビル」
「ご、ごめんね……でも僕が伝えたかったのは、石にされるのはとっても辛くて苦しいんだってこと! ペトリフィカス・トタルスを発明した魔法使いは、世紀の大悪党だよ!」
ネビルや、去年の呪文かけ直しをまだ根に持っていたのかい?
「去年のはごめんて……ん?」
「生徒は全員それぞれの寮に戻りなさい。先生方は大至急お集まりください――」
魔法で拡声されたマクゴナガル先生の声だ。ネビルが首を伸ばして、キョロキョロと見回した。
「何かあったのかな?」
少しして、ぞろぞろとグリフィンドール生が、肖像画を抜けて入ってきた。ただでさえ過密だった談話室の人口密度は鰻登りだ。ガヤガヤと話し声が大きくなる。
生徒たちの列の最後尾にはパーシーがいた。表情は硬い。
「グリフィンドールの生徒がスリザリンの継承者に襲われた」
パーシーの声は小さかったが、グリフィンドール生のざわめきを止める程の厳粛さがあった。室内は猫の子一匹いないようだ。アンジェリーナ・ジョンソンが辺りを憚るように、僅か言った。
「誰が襲われたの?」
「ジニーだ」
フレッドとジョージが、同時に息を呑んだ。俺はまたしても何もできなかった事実に、気が狂いそうだった。冷静になるために、ガンッとテーブルに頭を叩きつける。
「ジューダス、気持ちはわかるけど落ち着こう?」
ネビルに抱き起こされ、俺は渋々顔を上げた。額に手を当てる。痛い。
パーシーは、唇を噛み締めながら言った。胸のPのバッチが、鈍く光る。
「明日にも、僕たちは家に帰されるかもしれない。覚悟はしておいてくれ」
みんなが沈痛な面持ちで首肯した。俺はウッドが悔しそうに箒を磨くのを眺めていた。パーシーが言葉を続ける。
「これから点呼をする。アリシア・スピネット」
「はい」
俺はぼんやりと点呼の様子を眺めた。なぜか俺は点呼の順番を飛ばされた。
「ネビル、なんで俺呼ばれなかったの?」
「もうジューダスはいるってわかってるからじゃないかな……頭ゴン結構目立ってたし……」
そういうものか。パーシーは次の名前を読み上げた。
「ハリー・ポッター」
沈黙。どこからもハリーの声は聞こえてこない。パーシーが焦燥を隠さずに呼びかけた。
「ハリー? いるなら返事をしてくれ!」
どこからともなく、囁き声が広がった。パーシーは顔を青ざめさせる。最悪の予想に気がついたようだ。
「まさか! ロン! いるかい!」
再度静寂。大抵ハリーとロンはセットでいなくなる。パーシーはますます顔面を蒼白にした。
「ということは……ジューダス!」
「いるから! めちゃくちゃいるから!」
パーシーがほっと安堵の息を吐いた。イマイチ釈然としない。
「よし、念の為ハリーとロンが隠れていないか、手分けして探そう」
グリフィンドール生総出での捜索。探索範囲は寮の中だ。俺は一人で入り口付近を探していた。
辺りには誰もいない。脱出して継承者を探しに行くチャンス到来だ。俺は細心の注意を払って、肖像画を通り抜けた。
「あら? こんな時にどこへ行くの?」
太った婦人が話しかけてきた。俺は至って平然と振り返る。
「ちょっと雉撃ちに」
「あら、ごめんなさい」
俺は婦人が『トイレなら寮にある』という事実に思い当たる前に、全力で駆け出した。
しんと静まり返った廊下を走っていると、俺はとある問題に直面せざるを得なかった。というのも……。
「スリザリンの継承者ってどこにいるの……?」
計画性皆無! 思い立ったら即実行! それが俺の人生! はぁ……どうしよ……。
そして俺が角を曲がった時、事件は起きた。
「チ゛ュ゛ウ゛ッ゛!?」
足裏の柔らかい何かを踏み潰す感触。甲高くて汚い悲鳴。俺は恐る恐る足を上げた。
「ス、スキャバーズ――!?」