ジューダス・ビショップと最強のイマジナリーフレンド 作:束田せんたっき
「……だりぃー」
既に高く昇ったお日様の光を、鬱陶しく睨みながら俺は廊下を歩いていた。寝癖を右手で撫で付ける。昼過ぎまで寝坊してしまった。今日が日曜日で助かった。
あてもなくぶらぶらと歩いていると、俺はある違和感に気がついた。人がみんな、俺を避けていくのだ。レイブンクローやスリザリンだけでなく、グリフィンドールでさえもである。ハッフルパフは言うまでもない。
ほら、今も向こうから来たチョウ・チャンが、顔を青ざめさせて俺を見たかと思うと、目を合わせないように小走りで行ってしまった。以前は俺が挨拶すると、にこやかに返してくれたのに。
俺はバルコニーに出て、湖と山々のパノラマを眺めた。2月の冷たい風が頬を刺す。淀んだ曇天が空の彼方まで続いている。
ああ、むしゃくしゃする。俺が何をしたっていうんだ。もういっそのこと、全部めちゃくちゃにしてやろうか。何もかも消し去りたいという、暗い欲望が湧き上がった。
「……何とも悲しい曲じゃ。これは『暗い日曜日』かのう?」
俺は振り返らなかった。背後にいるのは見なくてもわかる。ダンブルドア校長だ。
「『暗い日曜日』がどうかしたんですか? 俺はあの歌はあまり好きじゃありません」
「ホッホッホッ、面白いことをいうのう。今もジューダスが口笛で吹いておるじゃろう」
「ゑ?」
ドクンと大きく心臓が波打った。俺は気取られぬように耳を澄ます。
――哀惜に満ちた旋律。
確かに俺は、無意識に腹話術で会話しながら、『暗い日曜日』を口笛で演奏していた。
「ゑっ? どんな状況だよ……?」
ダンブルドアが俺の隣に並ぶ。雲の向こうを見つめるようなアイスブルーの瞳。果たしてそこには何が写っているのだろう。
「音楽とは何者にも勝る魔法じゃ。そうは思わんかね?」
俺は答えなかった。音楽でミカエラが戻ることはないのだ。ならば、少なくとも友情という魔法には負けているではないか。
湖畔の木が小さく見える。あそこで去年親友と話したことを、否が応でも思い出される。
「先生、ミカエラは……俺の親友は死んでしまったのでしょうか?」
ダンブルドアはニッコリと笑い、杖を持った右手を左胸――心臓の上に置いた。
「ジューダス、ミカエラはここに生きておるよ」
「そんなの気休めにもなりませんよ。所詮は慰めの方便でしょう?」
俺の心の中に生きているぅ? もしも本当なら、俺は心臓をえぐり出してでも会いたい。
ダンブルドアは茶目っ気たっぷりにウィンクした。
「じゃが、生きておると思った方が楽しいじゃろう?」
またしても俺は沈黙を保った。何度もそう思い込もうとして、しかし自分を騙しきれなかった。
ミカエラと出会ってからの二年間は、夢幻の類だったのではないか。最近の白黒の日々は、俺にそう感じしめる何かがあった。
ダンブルドアは銀色の懐中時計を一瞥し、半月眼鏡の奥を瞬かせた。
「おおもうこんな時間じゃ。儂は戻るが、くれぐれも風邪には気をつけるんじゃよ」
「わかりました」
気配が消えた。俺は体感、9時間程そのまま景色を瞳に写していたが、チラチラと雪が降り始めたので振り返った。
足元に赤い毛玉が落ちていた。拾ってみると、手袋だとわかる。ダンブルドアの落とし物だろうか。
放置するのも忍びない。少々面倒だが、渡すのが優しさというものだろう。こう考えている時点で、俺は優しさを失っているのかもしれない。
時計塔を見ると、ダンブルドアが去ってから10分も経っていなかった。体感時間というものは、存外当てにならないものらしい。
数分前に校長が歩いた道を辿る。途中、スリザリンのセオドール・ノットとすれ違ったが、過度に避けられはしなかった。本当に『暗い日曜日効果』が働いていたようだ。
ある空き教室の前を通り過ぎた時、視界の端でチラリと何かが光った。俺は立ち止まる。さっきまで止まっていた心臓が動き出したかのように、鮮明に拍動が感じられた。芯から指先まで血が巡る。
俺は熱に浮かされたように空き教室に入った。中央に大きな鏡が座している。碧い瞳の下に濃い隈を作っている子どもが、狂気を帯びた目でこちらを見ている。もちろん俺だ。しかし問題はその隣の――
「ミカエラ……!」
女の子にしては短すぎる黒髪、暴力的な光を宿したオレンジの瞳、病的なまでに白い肌――突然姿を消した親友が、そこに写っていた。
「ミカエラ……?」
ミカエラはただつまらなそうに、鏡の中の俺を眺めていた。死相の出てる俺を。
「こっち見てよぉ……」
俺が鏡に手をつくのに対応して、鏡の中の俺は手の平を合わせてくる。その顔は絶望に染まっていた。ミカエラに見てもらえてるのに、何て顔しているんだ。
俺の願いが通じたのか、ミカエラは俺を見た。そして、唇を動かす。
当然声はないし、あの汚い英語も聞こえてこない。しかし俺は正確に内容を把握していた。俺の108つある無駄特技の内の1つ、読唇術が火を噴いたのだ。
「Give birth to me again……. わかったよ! わかったよミカエラ! 君をもう一度産めば良いんだね!? そうなんだろ!?」
気付いた時には、俺は空き教室を飛び出していた。入口にダンブルドア校長が立っていたので、押し付けるように手袋を渡す。
「これ! 先生の手袋ですよね!?」
「お、おお。ありがとうジューダス。大事なクリスマスプレゼントを失くす所じゃった」
「どういたまして!」
返事も程々に廊下を駆け抜ける。待っててミカエラ。絶対にもう一度産んでみせる。
「わからない……」
寮の自室で、俺は腕を組んで座っていた。先程からミカエラと出会った時を、思い出そうとしている。だけど、その後の出来事が濃密過ぎて、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていたのだ。
俺は右手で右脳の辺りを抑えた。頭が熱を持っている。
「痛い……」
少し考え過ぎたようだ。頭痛が痛くて危険が危ない。
一旦休んだ方が良いかもしれない。俺は椅子にもたれる。ふと、机に置きっぱなしの本が目に入った。
「これでも読んで休むか」
読書は呼吸と一緒。俺は薄めの本を手に立ち上がった。
夕方の談話室。俺はパタリと本を閉じた。題は『ジキル博士とハイド氏』だ。
顔を上げると、ハーマイオニーと目が合う。少し離れた所で『幻の動物とその生息地』を読んでいたハーマイオニーが、いつの間にか俺の本を覗き込んでいたのだ。
「ごめんなさい、邪魔するつもりはなかったわ。ジューダスがあんまりにも夢中で読みふけっていたから、気になっちゃったのよ」
「ああ、今読み終わった所だから。別に邪魔でもなかったよ」
「それなら良かったわ」
ハーマイオニーは安心したようにハキハキと言うと、チラチラと『ジキル博士とハイド氏』に視線を送った。読書談義をしたいのだろうか。俺は現実逃避を終えて、ちょっとブルーなんだけど。
「それは『ジキルとハイド』ね。面白かったか教えて貰えないかしら。私、スティーブンソンは『宝島』しか読んだことがないの」
「俺は逆に『宝島』を読んでないな」
「一読することをおすすめするわ。とっても面白い冒険小説よ」
「へえー。今度読んでみようかな」
「その時は感想を聞かせてくれると嬉しいわ」
ハーマイオニーは次はお前の番だと言うかの如く、好奇の眼差しで俺を見つめた。何でだろう、俺は物凄く『ジキル博士とハイド氏』の話をするのが嫌なんだが。こうなってはしない訳にもいくまい。
「あー、この本も中々に面白かったよ」
「……それだけなの?」
「いや? えーっと、二重人格って知ってる?」
「それぐらい知ってるわ。一人の人間に二人の人格があることでしょ? 『ジキルとハイド』はそれの代名詞になってるわね」
「うん、物語はジキル博士の恩人とされているハイド氏にまつわる事件を、博士の親友のアタスンが調査することで進んでいくんだ。アタスンは最初、ジキル博士が容疑者のハイドを庇うのは脅迫されているからだと思うんだけど……」
「実はハイドは博士の別人格だったということね!」
ハーマイオニーは手を打って言った。一瞬、周囲のグリフィンドール生の注目が俺たちに集まる。あまり目立ちたくはないんだけれど。
「当たらずといえども遠からずかな。要するに、この小説の面白い所は、二重人格の怪奇小説とも、アタスンを探偵役とした推理小説とも、博士とアタスンの熱い友情小説とも読めることなんだ」
「それは凄いわ! 一石三鳥じゃない!」
ハーマイオニーはよっぽど本の話に飢えていたのか、実に良い反応を示した。グリフィンドールは体育会系が多いし、仕方ないことなのかもしれない。
「ハーマイオニー、ちょっとちょっと」
ロンがハーマイオニーを手招きしていた。表情は去年のように強張っている。ハーマイオニーは神妙にうなずくと、極めて違和感少なに談笑を切り上げにかかった。
「同学年でこういう話ができるのはあなただけだったから、とても楽しかったわ。グリフィンドールの男子は本よりクディッチだし、女子は甘ったるい恋愛小説で砂糖吐きそうだもの」
「ミートゥー」
「それじゃあロンが呼んでるから私行くわね」
「シーユーアゲン」
「ちょっと適当過ぎない!?」
ハーマイオニーは何か言いたげだったが、状況は切羽詰まっているらしく、そのまま去ってしまった。一人残された俺は手元の本に視線を落とす。
本の場面は丁度、ジキル博士の告白の手紙だった。ジキル博士は己の『善を愛する性質』と『悪を欲する性質』の板挟みに苦しみ、その果てにもう一人の自分、博士に代わって悪事を成すハイドを薬で作り出したのだ。
「……似てる」
俺とミカエラに。動機も状況も違うが、自分を材料として新たな存在を産み出す――大筋が酷似していた。
二重人格とイマジナリーフレンド。同じようで違う。だが、これはミカエラを産む手がかりになる。
俺はバネのように立ち上がった。高々と拳を掲げて。
「ヤクブーツをやろう!」
スニッチを磨いていたウッドが、血相を変えて叫んだ。
「ついに気が触れたぞ! ハロウィーンのような被害が出る前に、ジューダスを取り押さえろ!」
一斉に大勢の男子生徒が俺に飛びかかる。皆、悲壮な決意を目に宿していた。
「離せ! 俺は薬物をキメなきゃいけないんだ! お薬の時間なんだ!」
パーシーが俺を羽交い締めにしようとする。耳元で怒鳴り声がうるさく響いた。
「自棄になるんじゃない! もっと自分を大切にしろ!」
「(自家製の)脱法だからセーフだって!」
「どこがセーフだどこが!」
パーシーの手から逃れようと藻掻く俺の胴に、丸っこい体がぶつかった。ネビルだ。
「それだけは駄目だよ! 僕は友達が薬中なんて嫌だ!」
「何泣いてんだよネビル! ちょっと(親友の元に)トリップするだけじゃん!」
どんどん拘束が強まっていく。7人がかりでの捕縛包囲網。多勢に無勢だ。俺は怒りのあまり絶叫した。
「ぬわああああああ! クスリイイイイイイイイイイイイ!」
その後、俺が解放されるまでに小一時間かかってしまった。別に俺は危ないおハーブを吸う気なぞ毛頭なかったのだが、話しても中々信じて貰えない。むしろ熱弁を振るえば振るう程、精神鑑定を勧められるのだ。なんて理不尽。
そしてパーシー率いる違法薬物取締機関グリフィンドール部の追求を躱し切った俺は、必要の部屋を訪れていた。
「クッスリー♪ クッスリー♪ バッベルッのクッスリー♪」
俺は本棚を鼻歌交じりに検分していく。『アモルテンシアで
「ラインナップ頭おかしいだろ!」
全く、必要の部屋って訪れた人の必要なものを出してくれる魔法の部屋じゃなかったのか? 俺は軽く失望した。
その時、歴史が動いた。
「『薬でもう一人の自分を作る方法〜ドッペルゲンガー・タルパ・イマジナリーコンパニオン他〜』これだ!」