ジューダス・ビショップと最強のイマジナリーフレンド 作:束田せんたっき
俺は月光が差す廊下を歩いていた。石造りの床なのに足音は全くしない。完全なる無音だ。それが、どうしようもなく俺が孤独だと感じさせる。
トロフィー室を通り過ぎた頃に、ガシャガシャと金属が擦れる音が遠くで吠えた。徐々に近づいてきている。何だろう。
程なくして、音源がわかった。ポルターガイストのピーブズだ。廊下に立ち並ぶ騎士像を揺さぶりながら飛んでいる。丁度、上がりたい階段までの進路にかち合う場所だ。迷惑極まりない。
ピーブズを黙らせようと思った。そして、オレは習うまでもなくその術を知っていた。淀みなく右手をポルターガイストの小男に向ける。すると、赤の閃光が迸った。
再び廊下に静寂が満ちた。自然と頬が吊り上がる。白目を剥いて失神したピーブズを蹴飛ばした。これが『ステューピファイ』の正しい使い方だとでも言うように。
階段は4階西廊下に繋がっていた。入学式でダンブルドアが説明していた『禁じられた部屋』のある所だ。記憶が正しければ、今いる場所も生徒は立ち入り禁止のはず。立ち去らなきゃ。しかし意思に反して、オレはその奥、『禁じられた部屋』の扉の前に来てしまった。
『アロホモラ』を無言呪文で使うと、あっさりと錠前は陥落した。なんだ、簡単じゃないか。スルリと中に滑り込む。だがその先へは行けなかった。凶悪な顔をした三つ首の獣――ケルベロスの鼻面があったのだ。ケルベロスは匂いを嗅ぎつけたのか、歯を剥き出しにしてうなった。
ダンブルドアのお膝元で許されざる呪文を使うのは不味い。しかしそれら抜きで眼前の狂犬を突破するのは時間がかかる。刹那の逡巡の末、一度撤退することにした。
ケルベロスから目を離さずに引き返す。出口の敷居を跨ぎかけた時に聞えたのは、地響きのような心胆寒からしめる唸り声。
「クソっ、畜生風情が!」
裂けた大きな口には鋭利な牙が生え揃っている。喉奥の赤を視認したときにようやく俺は気付いた。この化け物に襲いかかられているのだと。
ガバッとベッドから跳ね起きた。おびただしい寝汗が寝間着に張り付いて気持ち悪い。ハイテンポで鼓動する心臓が、恐ろしい殺気の残滓を俺に伝えている。寝起きは最悪だ。
「よう、随分と良い目覚めだなァ?」
先に起きていたであろうミカエラが景気良くカーテンを開けた。朝の強い日差しが我が網膜を蹂躙した。
「おはようミカエラ。君も朝日に目ン玉を破壊されたのかい?」
「オレの目は至って正常だ。それに…………ん? 何だァこの匂い?」
片眉を上げてスンスンと匂いを嗅ぐミカエラ。言われてみればどこからか甘い香りが漂っている。
「あ! わかった! これカボチャパイを焼いてる匂いだ!」
「カボチャパイィ? アー、そういやァ今日はハロウィーンだったな」
「すっかり忘れてたよ! いやー楽しみだなあ、ハロウィーン」
他宗教に厳しめの十字教ですら、ハロウィーンは広まりすぎてて駆逐できなかったと聞く。そんな最高の祭りは悪夢の憂鬱を俺から吹き飛ばしてくれた。テンションは朝から最高潮だ。
「ハロウィーンってのはそんなに良いもんだったかァ? オレは知ってるぞ。孤児院でのお前にはトリックもトリートもなかった」
「でもここでは別さ! パーシーが言ってたんだけど、夜にはパーティーがあるらしいよ!」
「前向きなこった。お喋り守護霊かよ」
橙色の瞳で弧を描くミカエラ。いやはや、ミカエラがみんなに見えないのが残念でならない。一緒に仮装してマルフォイたちと肝試しでもしたら絶対にいい思い出になったのに。
そしてハロウィーンというものには人を惑わす魔力があるらしい。夢中に喋ってて注意が及ばなかったが、ここは相部屋だ。そして先日、ネビルは怪我から完治している。つまり…………。
「ジュ、ジューダス……? 誰と話してるの……?」
引き攣ったネビルの声。目を丸くしてこちらを見ている。ミカエラとの会話を聞かれてしまったようだ。そのことを理解した途端、冷や汗が吹き出す。
「ああいやこれはだね…………独り言だよ! 独り言!」
「それはちったァ無理があるんじゃねえか?」
「ええ……?」
ネビルは怯えたように視線を固定していた。このままでは俺が狂っていると思われてしまう。そしたら『第13次友達補完計画』がおじゃんだ。そんなのあんまりだ!
「今日ハロウィーンでしょ! そのせいで興奮しちゃってさあ!」
「そ、そうなんだ……。ジューダスは聖マンゴって知ってる?」
「何それ美味しいの? マンゴー製?」
「違うよ! 魔法病院でね。僕、そこのお癒者さんと知り合いでさ。よ、良かったら診てもらったら?」
「俺は正常だ!」
駄目だ。口を開けば開くほど状況が悪くなっている気がする。ネビルは可哀想な人を見るような、同情の籠もった目を向けてくる。同情するなら信じてくれ。
そこでふと思った。ミカエラなら何とか出来るんじゃないかと。実際、俺とネビルのやり取りをミカエラはあくびをしながら眺めている。
『友人とは互いに支え合うものであるが、役割分担も大事だ――ジューダス・ビショップ。』これでよし。
「助けて! ミカえもん!」
「自分で付けた名前もちゃんと呼べないのか? ジューカスは」
「どうかお力をお貸しください神の如き者、ミカエラ様」
ベッドから起き上がったネビルがオロオロとし始めた。
「本当にどうしちゃったの? 錯乱呪文でもかけられたのかな……?」
ミカエラはブツブツと「全く、オレがいなきゃジューダスはダメダメだな……」と呟きながらネビルに人差し指を向けた。
「オブリビエイト――忘れよ」
指先から飛び出た緑の光線がネビルを撃ち抜いた。気を失ってしまったネビルを支え、ベッドに横たわらせる。
「ありがとう。頼んでおいて何だけど、その呪文って安全なヤツだよね?」
「ただの忘却呪文だ。多分魔法省はしょっちゅうマグルにコイツをかけてるぞ」
信頼と実績のある魔法省がばかすか使ってるなら大丈夫だろう。ネビル、これは全て『計画』のためなんだ。許せ。
その日の『妖精の呪文学』は浮遊魔法だった。ちっちゃなフリットウィック先生が、積み重ねた本の上で言った。
「ウィンガーディアム・レビオーサ――浮遊せよ」
先生が杖を振ると、カエルのトレバーが天井近くまで浮き上がった。クラス中でどよめきが起こる。
「それではみなさん、ペアになって。配られた羽根ペンにやってみよう」
俺は偶然近くにいたシェーマス・フィネガンとペアになった。トレバーの主人のネビルは、ハリーと組むようだ。シェーマスが、自信ありげに言った。
「先にやってみても良い? 何だか出来そうな気がするんだ」
俺が了承すると、シェーマスは杖を手に取った。大きく息を吸って、杖を振る。
「ウィンガード・レビオーサ」
「伏せろ!」
ミカエラに頭を抑えられた次の瞬間、羽根ペンが爆発した。もう一度言う、羽根ペンが、爆発した。
「何だ何だ!?」
「クククッ、呪文を言い間違えたんだよ。それにしてもミスって爆破するとか、フフッ、センス良いな」
「笑ってる場合か。シェーマス生きてる?」
シェーマスは黒焦げになって呆然としていたが、暫くすると笑いだした。つられて俺とミカエラも笑う。うっかりトレバーを高速飛行させてしまったネビルも笑ってやった。なお、予備の羽根ペンを持ってきたフリットウィック先生に呆れられたのは言うまでもない。
授業が終わり、寮に帰る途中。ハーマイオニーが駆けているのが視界に入った。呪文学の教科書を握りしめ、その目には涙が光っている。
「どうしたんだろ? ハーマイオニーのペアはロンだったけど。喧嘩?」
「あのゴブリンの末裔先生に褒められて嬉し泣きかもなァ」
「そこまで極まってないと思うけど」
ハーマイオニーは『魔法薬学』以外の授業では大体褒められているから、嬉し泣きではないだろう。喧嘩か花粉症の説が濃厚か。まあ何にせよ、友達にはいつもスマイルでいて欲しいものだ。
日が暮れると、待ちに待ったハロウィーンパーティーが開幕した。大広間はジャック・オー・ランタンで飾り付けられ、数多のコウモリが羽ばたいている。俺は金の皿に載ったご馳走にありつきながら、ネビルに言った。
「あれ? そういやハーマイオニーがいないね」
「本当だ。午後の授業でも見なかったかも。ハーマイオニー、一度も授業を休んだことないのに」
やはりあの涙は何かあったのだろうか。もし今も1人で泣いてるなら何とかしなくちゃ。『友達が出来たらしたいことリスト』の未達成ミッションでもある。
対面に座っていたグリフィンドール寮生のラベンダー・ブラウンがカボチャジュースを飲み干すと、口を開いた。
「今はハーマイオニー1人にしてほしいみたい。あんまり詮索しない方が良いよ」
なんと、そこまでの悩みを抱えていたとは。これは敏腕心理カウンセラーの俺の出番じゃないのか? 俺は全力で振ったコーラのように立ち上がった。
「尚更放っておけない! さあ行くぞネビル! 友を救いに!」
ラベンダーが溜息をついた。頬杖をついて俺を眺めている。何だその目は。
「ジューダスって残念な感じだよねー。黙ってればもっと人気出ると思うんだけど。意外と成績良いし」
「僕は発作だと思って諦めてるよ」
「オレも今回ばかりはコイツらに同意だ」
「何だよみんな揃って! これがありのままの俺だ! 隣人愛を忘れるな!」
俺が言うと一同静かになった。何とも形容し難い表情を浮べている。リー・ジョーダンにいかにフィルチが間抜けだったかを演説していたフレッドとジョージが言った。
「「これがビショップ家の血筋か……」」
「そんなんじゃないから!」
バタン! と激しく扉が開かれる音が鳴り響いた。大広間の人々が一斉に振り向く。そこには、息を切らしたクィレル先生の姿が。
「…………トロールが地下室に……お知らせしなくてはと思って…………キュウ」
謎のうめき声を発して倒れるクィレル。その弾みに、室内は大混乱に陥った。しかしそれは長くは続かなかった。ダンブルドア校長が杖から紫色の爆竹を炸裂させたのだ。
「静まれ! 静まれー!」
生徒たちの注目を一身に受けたダンブルドアの声が、重々しく轟いた。
「監督生よ!」
意気揚々とパーシーが立った。監督生の仕事をするのが楽しくて仕方ないらしい。
「すぐさま自分の寮の生徒を連れて帰りなさい!」
監督生の誘導に従って生徒たちの大群がうねる。喧騒の中で、ミカエラのワクワクが抑えきれない声が耳に残った。
「さァて、犯人捜しと洒落込むか」