第8話 呪術師遭遇戦

第8話 路地、呪術師遭遇戦



 村にある警察署内の秋唯の部屋に椿姫は通された。特に手錠も(力を一定以上持つ妖怪には鉄の手錠などまるで意味がないが)かけられず、縛妖索ばくようさく羂索けんさくの類で術封じもされなかった。嫌疑をかけている相手に対して、甘すぎると椿姫は思った。


「手荒な真似をしてすまない」秋唯はそう言って、顎を撫でた。「君が殺人だなんてつまらない真似をする子ではないことくらい、私にはわかる。まだ、数えるほどしか顔を合わせていないがね」

「それは……どうも。じゃあ、連れてこられた理由を聞いてもいいですか」

「ああ、そのつもりでここへ来たんだ。君は地行浩介という男を知っているか?」


 秋唯は囲いの中に火術の札を敷いて、その上の網の上にやかんをおいて、術を発動した。湯が沸くまでに、急須に煎茶の用意をする。


「あれでしょ、山を開拓しようっていう実業家」

「その男の部下が君らしき影を見たと証言した。今朝、人斬りの現場でな。殺されたのは浪人だ。討幕戦争か、その後の芽黎戦争で落ちぶれた士族だろうな。

 我々はいついかなる時も中立でなくてはならないが、どう考えてもそれが当て擦りだとわかった。奴らは多分、柊殿を捕縛させようとでも思ったのだろうな」

「そういうことね。変わり身ってことか。……で、そいつらは柊を封じてどうしたいの?」


 火力の強い術であっという間に沸いた湯を注ぎ、蒸らす。しばらく無言で茶を用意し、棚からまんじゅうを取り出して、机に置いた。


「稲尾家を村から追い出すつもりだろう。君たちがいなくなれば、奴らは独力で支配できる算段があるに違いない」

「……ふん。何をされても出ていくつもりはない。私たちは千年以上ここを守ってきたのよ」

「だろうな。なんとか真犯人の尻尾を掴む。進展があるまで、不自由させるが……許してくれ」

「別にいいけど。……あの、一個聞いても?」

「どうぞ」


 秋唯はまんじゅうを一口齧った。こし餡の甘みを味わい、ゆっくり咀嚼して嚥下する。それを待ってから、椿姫は口を開いた。


「光希と仲悪いんですか?」

「……ああ。円満とは言い難いな、尾張の家庭事情は」


 秋唯はそれだけ言って、残りのまんじゅうを口に放り込んだ。

 どうやら、相当に複雑な事情があるようだと椿姫は悟った。


「退屈しのぎに、話してやろう」


×


「菘ぁー、どこだー」

「おーい、どこだよー」


 燈真と光希は村のあちこちで菘を呼んで、探し回った。修行を始めてしばし、顔見知りになった何人かの妖怪も手伝ってくれている。

 手拭いで髪の毛をまとめて汗が滴るのを防いだ二人は、暑さと疲労でへとへとだった。だが、自分たちがやめるわけにはいかない。


「警察署の方まで行ったんじゃねえか、菘」

「かもな。光希、お前は——」

「いいって、俺も行く」


 さっきのことを考えたら光希は遠ざけるべきではないかと思ったが、彼はそれを拒否した。

 光希にとっても菘は妹分だ。

 先ほど柊から念話をもらい、竜胆は狐の姿に戻って村の周囲を見回っているらしい。柊は、個人的なツテで殺人事件について調べているという。万里恵は気づいたらいなくなっていたというが、椿姫に仕える忍者を自称する彼女のことなので、無駄なことはしていないはずだ。


 燈真はさっきの秋唯の言葉を反芻していた。

 家督から逃げた臆病者——光希は、名のある一族の子息なのだろうか。

 稲尾家で修行することが、一体、なぜ逃避になるのか。


「顔に書くくらいなら、素直に聞けよ」

「悪い……」

「まあ、隠すほどのことでもねえし。……俺の家は、寺の木に落ちた雷から生まれた雷獣一族なんだよ。ずっと昔、中部の方の尾張寺ってとこだ。そういう、由緒のある家だから長男は問答無用で家督を継いで、雷獣らしく生きろって決めつけられる」


 医者の息子、というレッテルを貼られ、いらぬ期待をされた過去を思い出した。

 光希もあれの、きっと比較にならないストレスと戦わされたのだろう。


「俺は家の面倒な政治的な……くそったれな座席争いに興味はなかった。絵とか、彫刻とか……そういう芸術を極めて、飯を食っていきたかったんだ」

「それで、稲尾家に?」

「ああ。姉貴は最初、俺の代わりに家を継ぐって言ってたけど……親父が女に継がせる家はないって頑固に言い張ってさ。んで、三十年前にあの討幕戦争だろ。姉貴は武勲を立てるために幕府について、新政府軍に負けて、警官になって左遷させられ続けたんだ」


 裏目裏目に出て、今、というわけだ。

 光希が悪いというわけでも、秋唯が判断を間違えたわけでもない。どうしようもない時代のうねりが、姉と弟の絆を引き裂いたのだ。


「姉貴の今の態度は、確かに気に食わねえよ。……でも、姉貴を恨むことも、親父を嫌うことも俺にはできねえ。かといって、夢を捨てるつもりもねえんだ」

「そうか……。悪い、気の利いたことも言えなくて」

「いや。……おい、あれ」


 光希が何かを見つけた。

 道脇の路地から光を反射しているのは、桜色の鉱石を加工した首飾りだ。あれは、よく椿姫が見せびらかすもので、ときどき菘がくすねては自慢げに持ち出して怒られていた記憶がある。


 ——「で、お姉ちゃんの首飾りどこ」

 ——「おまもりにしてるだけ」


「あれ、椿姫のだろ。菘がさっき、お守りにしてるとかなんとか言ってたぞ」


 燈真が記憶を呼び起こし、そう言った。光希も首飾りを拾い上げ、頷く。


「確かにこれ、椿姫のやつだ。ほとんど菘の私物だけど……じゃあ、この先にいるのか?」

「落としただけであってくれ……」


 燈真たちは路地を進んだ。

 ぞる——と、首筋を舐める殺意。ひりつく空気と、喉がひくつくような圧迫感。


「あぶねえ!」


 光希が燈真を押し除けた。倒れた燈真の真上を、石礫が飛ぶ。光希は尻尾の毛を硬化させ石を弾くと、紙縒りの如く尖らせた毛針を引き抜き、指の股に挟む。

 燈真は咄嗟に立ち上がった。閉所である、刀は抜けない。得意の徒手で構え、妖力を拳に纏わせる。


「若いな。若い子と戦うのは、心理的に骨が折れる」


 穏やかな低い声。六間(約十メートル)先にいるのは、眼鏡をかけた無精髭の優男。

 くすんだ金色の髪に、深緑の着物、顔はひどく疲れており、不健康な肌の色をしている。腰には、一振りの太刀と脇差。


「んだてめえ」


 光希は臨戦態勢。さっきの石礫があいつの仕業だと断定していた。状況証拠的に、間違いないだろう。今の発言からしても、自白ととっていい。


「今朝、一人斬った。やつは僕の善意を笑った。施しを跳ね除け、見下すな、とね。……酷いじゃないか、なんでみんな、僕を除け者に」

「なんだよ気持ち悪い——まァ、てめえが犯人ってわかれば、上等だ!」


 光希が毛針を投擲。雷光を引くそれを、男は首を傾けただけで回避。太刀ではなく脇差の方を抜刀し、光希に切り掛かる。

 燈真が素早く前に出た。相手の手首に己の手首を絡め、円運動で刀を弾き——


「人間に興味はない」


 男は信じられない膂力で抵抗し、燈真の顔面に柄頭を打ち込んだ。視界に星が散り、姿勢を戻そうとした直後土手っ腹に蹴りがめり込んで吹っ飛ばされる。

 つまらなさそうに鼻を鳴らした男は、光希に向かって脇差を振るい、しかし短刀を逆手抜刀した光希は上段から迫る斬撃を防いで見せた。

 そのまま、通電。金属越しに電撃が流れ込むが、男は妖力で防御。それでも目元を痙攣させ、苦痛に口元を歪めた。


「化けイタチじゃないんだな」

「雷獣だよ。在来のハクビシンに、雷が落ちたんだ」


 ハクビシンが在来か否かは意見が分かれるが、栄戸時代以前から続く尾張の家系を考えるに、在来と言っていいかもしれない。実際はわからないので、言ったもん勝ちだ。

 光希は高速で短刀を振るった。左右のラッシュと真上からの突き下ろし、刺突、さらには左の帯電した拳に加え、蹴り。

 相手は脇差と奇妙な念力らしき術で鉄鞘を操り、攻撃を防ぐ。

 光希は毛を硬化させた尻尾を振るい、それで鉄鞘を弾き落とした。


「おっと」


 男の危機感がない声。

 光希は帯電した毛針を飛ばす。

 獣妖怪が持つ基礎術が一つ、毛針千本の術——それの、雷獣帯電版だ。

 男は脇差で毛針を防ぎ、瞬時に念力で石を舞いあげて防御。しかし一房の毛針が男の左肩を抉り、目に見えた苦悶を顔に浮かべた。


「やるなあ……若いのに、強いね」

「うるせえ。それより答えろ、菘はどこだ」

「スズナ……? ああ、あの女の子か」


 燈真は胃液を吐き出しながら立ち上がる。防御が間に合わなかった——己の不甲斐なさを、痛みと共に噛み締める。


「彼女なら僕が保護した。迷子だったから」

「俺らが保護者だ。返してくれ」

「種族が違わないか? 親子にも兄妹にも見えないな」


 この野郎、と燈真は思った。わかった上で、全部やっている。


「いい、殺して吐かせる」


 燈真は肩を回した。関節を外し、バキバキと鳴らしながら強引な柔軟をする。

 なにかが自分の中で切れたのがわかる。


「何を起こっているんだ? 僕は、善行を、」

「善人は、そんな根性の曲がった顔をしたりしねえよ」


 燈真が地面を蹴った。ガゴッ、と音を立て、踏み固められた土が砕ける。

 大砲めいた突進に、さしもの男も瞠目した。瞬時に念力で周囲の廃材をかき集めて盾を作るが、燈真の突進はそれを容易く砕いた。

 男の顔を掴み、脇の家屋の壁に叩きつける。バガッ、と音を立てて壁に穴が開き、屋内にいた婦人が慌てて飛び退いて大声を上げた。

 、燈真は男を振り回す。ちぎれた板の断面が首やら顔に当たり続け、壁の終端まで駆け抜け反対側の通りへ投げ飛ばす。通行人が飛び退いたが、すぐに喧嘩と見て野次馬が集まった。

 男がうめきながら立ち上がる。


「乱暴だな……強化術……にしては少し違うかな。君の術かい?」

「なんだっていいだろうが」

「これだから……話を聞かないガキは嫌いだよ」


 燈真は緩く、左をリードした構え。男は肘を曲げ、両前腕の間で頭を守る構えをとる。

 その守りごと、砕いてやる——燈真はすかさず動いた。渾身の右拳を振りかぶり、振り抜いた。男が両肘を立てて防ぐが、こちらの金剛力を防ぎ切ることはできない。

 姿勢を崩した男は、舌打ち。すぐに足回りを狙って屈み、燈真の膝を蹴りつけた。

 がくん、と姿勢を崩した燈真の脇腹にローキック、鳩尾に左の肘を捩じ込む。


「がふっ——ァ」

「大人を舐めるなよ、ガキ」


 男は燈真の顔面を掴み、そのまま地面に後頭部を叩きつけた。

 ゴンッ、と鈍い音がして、地面が微かに抉れた。

 衝撃で燈真は白目を剥いて昏倒。男は着物の襟元と、そのうちのワイシャツの襟を直し、何事もなかったかのように歩き出す。


「燈真ッ!」

「人間なら死んでるだろうけど、そいつは多分起きるんじゃないかな。是非、次は一騎打ちしたやり合いたいね」

「てめえ……」


 男は軽やかに跳び、家屋の屋根に登った。


御薬袋太一みないたいちだ。しがない、『呪術師』だよ」


 男——御薬袋はそれだけ言って、次々跳躍を繰り返して姿を消した。

 光希は舌打ちし、燈真に駆け寄る。息はある——それは安心したが、一刻を争う状態だろう。どうする——電撃を流して、強引に意識を呼び戻すか?


「どかぬか」


 しかしそこに現れた女を見て、光希はあらゆる心配を捨て去った。野次馬も、まるで初めからそこが定められた道であるように、ざわざわと開けていく。


「柊……」

「任せよ。……ふん、男前が台無しだぞ、燈真」


 柊がうっすらと輝く緑黄色の左手を燈真にかざした。

 妖力による他者の治癒——九尾ほどの一部の特殊な力が妖怪でなくてはできない、妖術というよりは仙術に近い術法だ。

 しばらくそうやっていると、燈真の呼吸が安定してきた。


「説教は全部終わってからにしよう。光希、燈真を担いでやれ」

「あ、ああ」


 光希は自分よりも大柄な燈真を平気な顔で担いで、柊に続いて歩き出した。


 村で突然起きた殺人事件、椿姫への冤罪、呪術師の襲撃、菘の誘拐——。

 一体、何が起きようとしているのだろうか。


 光希のみならず、その不穏な気配は村中に伝染しつつあった。

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