第7話 斬奸状と人斬り

 八月九日。早朝。

 村の通りに人だかりができていた。そのひといきれを、黒い詰め襟を着込んだ警官が長い棒を手に押さえている。

 現場には布をかけられた遺体と、こびりついた血の痕。鑑識の鹿妖怪は、一目で切創による失血性ショック死だろうと見抜いた。


「尾張警部補」

「ガイシャは」


 現場にやってきたのは、普通の警官とは意匠が異なる制服を着て帯刀している女。五本の尻尾と耳はハクビシンのそれ。鋭い刃のような目つきに、女性らしくも無駄に大きすぎない整った乳房。全体的に均整が取れた、冷艶な美女である。

 目つきは鋭く、睨んだだけで木の葉くらいなら真っ二つに切れてしまいそうな印象だ。


「出会い頭に袈裟に切られたんでしょう。肩甲骨、鎖骨、それから肋骨を砕いて心臓を切っています」

「慣れてるな。初犯じゃないだろう。筋金入りの人斬りだな。見てみろ、いたずらに血が飛んでない。綺麗なもんだ」


 尾張——尾張秋唯おわりあきただはおとがいをしゃくって、地面を示した。

 確かに、それだけの損傷を与えたにしては飛沫が綺麗だ。


「ガイシャは村の貧民通りに暮らす浪人です。元士族ですよ。こんなに呆気なく切られますか」

「相手が馬鹿みたいに強いか、油断……いや、信頼させやすい人相だったか、だな。何か手掛かりは」

「これが落ちていました」


 秋唯は部下が差し出した紙を広げた。つらつらと、三十年近く前の討幕戦争時代のことが書かれている。最後の方に目を移すと、「此の悪漢、飛田牛作ひだぎゅうさくは幕府に与し我らが同胞を——」と、つらつら悪行とやらが記されていた。


「斬奸状だな」

「ざんかん……」

斬奸状ざんかんじょう。討幕の志士が、幕府の役人を殺す際にその悪行を書き連ねた紙切れだ。ち、穏やかな村に異動させられてのんびりできると思ったんだがな」

「そういえば警部補は、幕府の——」

「ガイシャを——仏を、せめて墓に入れてやれ。鑑識は済んだだろ。いたずらに野晒しにするな」

「はい。——お前たち、合同墓地に連絡を。お寺の住職に……」


 そこへ、封鎖していた警官の「ちょっと困りますよ!」という慌てたような、へりくだったような声がした。

 秋唯は目を細め、そちらを睨む。


「やあやあお巡りさん。ご苦労様です」


 そこにいたのは三尾の化け狸。実年齢はわからないが、外見は三十代半ば——だろうか。苦労と、そして一癖抱えていそうな、小皺が刻まれた顔。

 恵国の黒いスーツとやらを着込んでおり、隣には二人、お付きと思われる長身と太った男。


「なんだ貴様は。公務を妨害するな」

「怖いなあ、さすがは元真戦組しんせんぐみの隊士、目つき風格が違いますなあ」

「おい、連れ出せ」

「いや、しかし——この方はですね」

「ああ、いえ。失礼、私、地行浩介ちぎょうこうすけといいます。お見知り置きを」


 地行とやらは秋唯の手を取って、二、三回振った。やけに強い力で握り込んでくる。自尊心が強いのか、己を強く見せたいのか……。背も低く、だらしなく腹が出た姿からは大物には見えない。いわゆる、格、とやらも——お飾りという気がしてならなかった。

 尾張の一族は、稲尾ほどではないが人を見る目がある。というか雷獣は、天から授かったいかずちの力によって、生得的に目がいいのだ。

 秋唯はその雷獣の目に慢心する気はないが、この男は尊敬に値しない、と判断した。


「知らん名だ。悪いな、最近ここへ来たもので」

「私もです。元々は都にいましたが、実業家としてビジネスの気配を感じましてね。機巧からくり技術と、その動力となる龍脈炭の採掘事業をいくつかこなしております」


 ではこいつが、ときどき耳にする胡散臭い実業家か。


「そちらの事情はわかった。だがこの一件には関係ない。さっさと出ていってくれ。これ以上は公務執行妨害になるぞ」

「ああ、いえ。犯人らしき姿をね、うちの部下が目にしたみたいで」

「何?」


 部下、と言われて前に出たのは長身の男だ。胡散臭い、ぺったり張り付いた和紙に墨を垂らして描いたような、嘘っぱちの笑みを浮かべている。


「昨晩あそこの飲み屋で一杯引っかけてまして。そろそろ帰らねば明日の業務に差し障ると思った時にですね、を見たんですよ。颯爽と走っていって、こう、稲のような匂いがして……」


 秋唯は口元を結んだ。

 その証言には、心当たりがある。


「情報提供、感謝する。捜査協力費は、部下から——」

「いえいえ、そういうのは別に。我々も日が浅いとはいえ、村民ですから」


 どの口でそれを言う。

 秋唯は、何やら胡乱な気配が魅雲村に漂っているのを感じていた。


×


 屋敷の居間には、豪勢な料理が並んでいた。

 雪女や氷柱女の氷で冷やしながら運んできた魚を捌き、刺身や寿司にして並べ、妖狐の好物であるいなり寿司も所狭しとずらり。

 天ぷらと、唐揚げと、野菜や果物。汁物は透き通った胆汁だ。

 今日は椿姫の誕生日である。稲尾家では誰かの誕生日を豪勢に祝うようだと、燈真は知った。椿姫は「六十七歳になりましたー! いえーい」と菘を膝に乗せながら言っている。歳をとることに特別感を失うのは、妖怪あるあるである——と聞いたことがあるが、どうやら事実らしい。椿姫は歳をとることをなんとも思っていない。

 椿姫に手を取られ、好き放題踊らされている菘はむすっとした顔だ。だが、その目はいなり寿司に注視されている。


「椿姫、菘ちゃんに嫌われちゃうよ」

「菘は私のこと嫌わないって。ごめんね、はしゃぎすぎた」

「むう……おなかすいてるから、きげんわるいだけだよ」

「ほらね。で、菘。お姉ちゃんの首飾りどこ」

「おまもりにしてるだけ」


 むしろ腹が減って機嫌が悪い時におもちゃにされて、平然と許せる菘も凄いな、と燈真は思った。自分があれくらいの歳のころに同じことをされたら、拗ねていただろう。

 竜胆は「っていうか本当なら姉さんの歳だとまだ一尾なんだよなあ」と言っている。

 その竜胆だって、現在四十三歳。三尾というのは不思議である。菘も実年齢は二十一なので、二尾というのは特殊とまではいかなくとも、凄いことだ。

 本来、尻尾は八十年から百年単位で増える。妖力が高いもの、先天的な素質、後天的に霊場と呼ばれる力場を巡ったものは、若年にして尾が裂けるのだが——なるほど、魅雲村は霊山の麓。霊場と言っていいし、稲尾家は先祖が先祖だ。

 その、先祖は——、


「ガハハ、椿姫もそのうち男の一人二人を囲うようになるんだろうな! 楓のやつみたいに鬼嫁になるでないぞ! ガハハハハ!」


 などと宣って、すっかり出来上がっている。


「菘、竜胆、ああなっちゃだめよ」

「ひんがない」「僕が酒に飲まれるわけないだろ」

「先祖なのにすげー言われよう」

「ちょっと同情するよな」


 光希が果物に手を伸ばすのを、竜胆が素早く叩いて止めた。


「ダメだっての」

「なんだよ、ブドウの一粒くらい……」

「はいはい、そろそろ始めるわよ。じゃ、菘ちゃん」


 伊予が菘に言った。菘がぱしんっ、と手を合わせ、「いただきまーす」と言う。

 椿姫たちも、いただきます、と唱和した。

 そこへ——。


「ごめんください」


 凛とした女の声が玄関からした。術で声量を上げているのか、決してうるさくないが、全体に響く声だ。

 誰だろう——燈真が立ち上がると、光希が素早く出ていく。


「あ、おい」


 ずんずんと大股で進んでいく光希は草履を履いて玄関を開けると、そこに立っていた背の高い女警官を睨め上げた。


「なんだよ、クソ姉貴。帰る気はねえぞ」

「随分なご挨拶だな、愚弟。……お前に用はない。どけ」

「はあ? じゃあ、何の用だよ」

本妖ほんにんに話す。お前には関係ない」


 やり取りを離れた場所から見ていた燈真は、光希と女警官が姉弟であると察した。けれど決して、穏当なやり取りではない。剣呑、と言ってもいい。

 柊がやって来て、それから椿姫が続いた。


「稲尾椿姫殿。あなたには昨晩未明から早朝までの間に起こったと見られる殺人事件の嫌疑がかけられている」

「は……何言ってんの、秋唯さん」

「私にも、信じられない。だが私情を挟むことはできない。疑いを晴らすまでの間、勾留させていただくことになる」

「ふざ——」

「ふざけるつもりはない。抵抗するなら、それだけ犯人である可能性を強めることになる。聡い君ならわかるはずだ」


 秋唯はそう言って、じっと椿姫を見た。

 そばにやってきて抱きつく菘を優しく撫でてから引き離し、玄関に降りる。


「よろしい」

「な——いきなりやってきてなんだよ! 椿姫が何を、」

「お前とは話していない」


 光希の反論を、聞き入れることさえしない秋唯の態度は、部外者の燈真でも見ていて腹が立った。

 とりつく島もない。いや、話し合う相手とすら認めていない目つきだ。あれが、弟に向ける目か?

 不満げに唸る菘を、竜胆が優しく抱き留める。そうでもしなければ飛びかかりそうだったからだろう。


「家督から逃げた臆病者なんぞ、私には関係ないからな」


 冷たく言い放ち、秋唯は椿姫を連れて去っていった。

 光希の尻尾からぱちっと電撃が散る。それは怒りからではなく、屈辱からだと思えた。

 菘がそわそわし始めるのを、竜胆が宥めている。


 燈真は数回、深呼吸した。

 一旦落ち着かねば——椿姫が、殺人などするわけがない。過去に呪術師を斬ったことはあるだろうが、罪状もない者を斬るほど血に酔ってはいないはずだ。そこまで冷酷な女が、弟妹に慈愛を向けられるはずがない。

 しかし、菘にはその理屈がわからなかった。

「んうぅーッ!」と唸って竜胆を弾き飛ばすと、裸足のまま玄関を飛び出した。


「待って、菘!」

「またない!」


 竜胆の静止も聞かず、菘は戸を開けて飛び出して行った。

 燈真は光希の肩を叩いて、視線で玄関の外を示した。


「おい、光希。……柊、探してくる」

「ああ……こっちも、手を打つ」

「頼む。行くぞ、ほら光希」

「あ、ああ……」


 草鞋を履いてまろびでるように飛び出し、燈真たちは真夏の熱射が照りつける坂道を下っていった。

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