第6話 猟師護衛任務
約束の一週間はあっという間に過ぎ去っていった。
柊は燈真にさまざまな武具を触らせ、適性を見極めていった。燈真は武具の才能なんてない、と諦めていたが、柊が無理やり握らせて椿姫相手に立ち会わせると、意外なほどなんでもそつなく使いこなす才を見出した。
基礎的な体力強化と、武具の扱い。それを椿姫と光希に付き合ってもらい、燈真は八月三日まで反復練習を繰り返し、鍛えた。
「山に水鹿を狩りに行く猟師がおる。そやつらを魍魎から守れ」
早朝、走り込みを終えた燈真たちは柊に前置きなくそう言われた。いつだって彼女は前置きをせず、いきなり本題から入る。
「水鹿って、水を吐いて外敵を仕留める幻獣だよな」
「そーそー。燈真がいう通り、……んで、問題なのはそっちじゃなくて魍魎の方だよ。等級は?」
「四、高くて三だ。お主らの敵にならん。燈真は甘く見ても四等級祓葬師の実力があるでな。お主らも、水鹿は好きだろ」
柊が左の親指の皮を捲りながらそう言った。本当に片手間に話してくれるな、と燈真はちょっとイラつく。もう少し真剣に話してほしい。命がかかっているのだから。
「妾もあれの水袋の炒め物が好きでな。珍味ゆえ、好みは分かれるが……無論、お主らへの報酬は妾が別途支払う。危険と判断したら猟師を連れて逃げれば良い」
居住まいを正した柊が、瑞穂国紙幣を取り出した。造幣院が発行している銀行券で、一万瑞穂冥貨札が十枚束になっている。
「四等級相当の案件だ。相場は八万から十二万
紙帯で固定された十万冥貨が二つ。差し出された、決して安くない大金を前に燈真はこれがプロとして受ける初の仕事になるのだな、と強く実感した。
光希は慣れているのか「わかった」と返事をして札束を受け取り、燈真はやや躊躇い、それから、もらうものはもらっとけよ、という光希の囁きに押され、金を手元に寄せた。
「よろしい。何度も言うが命が最優先だ。もっともお主らが実力を発揮できれば敵になる等級ではないがな」
どこからそんな自信が来るのか、柊は笑いながら燈真と光希の肩を叩いた。稲藁と酒の匂いが、ふわっと漂っていた。
×
「椿姫は?」
「あいつは二等級だから、俺らと同じ仕事を受けることはあんまりない。同じ等級の万里恵と、もっと危険な仕事をこなしてるよ」
午前九時。朝日は完全に空を照らしていた。蝉がうるさいくらいに鳴いているが、耳障りではない。吹き抜ける風が運んでくる青々とした匂いと、川のせせらぎとが相まって、瑞穂の夏、という気分を盛り上げてくれる。
一説によれば、このような感覚を楽しめる民族は世界的に見ても極めて少数らしい。燈真はそれについて詳しくはわからないが、やはり、自然と共生関係にある妖怪が間近にいる環境だったからだろうか——と勘繰っている。
山歩きに慣れている猟師が燈真たちを先導していた。ここは稲尾家が所有する鬼岳である。何かあればすぐに飛び出せる位置に、燈真と光希は控えていた。だがそこに祓葬師としての経験に優れた椿姫はいない理由は先の通りである。
祓葬師や魍魎には、わかりやすい指標として五から一、上等、準特等、特等の八段階からなる等級が存在する。
等級が変われば敵の強さも、祓葬師の力量も大きく変わる。仕事の危険度も大きく変動し、報酬の額もそれに準じていた。
燈真は猟師たちを見た。軽い雑談をしているが、油断している様子はない。民生品の村雨銃——民生品なので本来五発を装填できる薬室を単発式に改造されているボルトアクション・ライフルだ——を肩からかけている。
猟師は若い人間の女が一人と、その旦那であるという二尾の化け猫。香山という村の夫婦だ。人間の方は十代後半で、化け猫の方は人間換算で二十代後半くらいであった。
妖怪といえど、全員が全員妖術を巧みに扱うわけではない。人間だって、みんながみんな刀の扱いに秀でるわけではないのと同じだ。先天的に恵まれた妖力適性を持っていても、不全を起こしていたり、そもそも扱い方を学ぶ環境になかった、ということもあるし、戦闘以外の妖術に突出していることも多い。
たとえば椿姫は妖術不全を持っているし、竜胆は火術などではなく結界術が得意な妖狐である。もひとつおまけに、燈真も妖術不全を持っていた。彼は自前では妖術を扱えないのである。
掌を閉じたり開いたりする。
基礎術は使える——そう思っている。自分が「そうあるべき」と思った時の筋力は、明らかに生物の限界を超えているからだ。柊や椿姫、光希の助言で妖力の練り方と流し方は最低限身につけているし、そして左手に装着した
「漆宮さん」村雨銃を担ぐ化け猫が、口を開いた「こういう河辺に水鹿はおるんですわ」
「やっぱり、水の補給のためですか」
「そうです。元々反芻に使っていた胃が進化した水袋、そこに水を蓄えるために、やつらは水辺の近くに暮らすんです」
「山は彼らにとって最高の環境でしょうね。餌も水場も、隠れる棲家も豊富ですし」
「まったくです。昨今、魅雲周辺の山を鉱山として開発しようなんて話も聞きますが……もってのほかです。村人はみんな反対してますよ」
魅雲村を覆う山——蛾王連山や鬼岳、魅雲山は龍脈上にある霊山の一種だ。そこには豊富な鉱物資源と、龍脈炭が眠ると試算される。
しかし、霊場というのは妖怪や人間、そして動植物や幻獣にとっても重要な資産だ。それを破壊すれば、龍神の怒りに触れると言われている。事実瑞穂南西の砂漠地帯は、龍神アマツタツヒコの怒りに触れ、砂に没したと言われている。
「国の行政命令ですか、その鉱山開発ってのは」
「いえ。個人の実業家ですよ。資産家でもあるみたいです。私腹を肥やそうって魂胆でしょうよ」
「行き着くところは全部金、か……」
燈真は思わずぼやいた。義母も、父の稼ぎが目当てでくっついてきた女だ。
うんざりさせられる。がめついやつは、人間であれ妖怪であれ、平等に嫌いだ。そういう人種は、往々にして自分が中心で世界が回っていると本気で思う連中だ。そんな世迷言を本気で鵜呑みにし、他者を蹂躙する。
「みなさん、あそこ」
香山婦人が、指差した。小声で。
旦那の化け猫は「下がって、岩場に隠れて」と命じる。燈真と光希は狩りについてはほとんど素人なので、そこは彼らに任せることにした。
猟銃を撃つ際は、跳弾に気をつけねばならない。銃弾が外れたりした際、固いものに当たって跳ねたそれが当たれば、最悪妖怪でも死ぬ。女も岩場に隠れた。化け猫の花婿は膝を立てて姿勢を整え、村雨銃の銃床を肩に当て、脇を占めて頬を当てる。
安全装置を兼ねる
「耳を塞いでください。聴覚が麻痺してしまいます」
香山嫁に言われ、燈真は耳を塞いだ。彼女も耳を塞ぎ、光希は両手でハクビシンの耳をたたんだ。
花婿の方は慣れているのだろう。それから、術で耳栓をしたのかもしれない——とまれ、彼は目算で一町(約百九メートル)はある目標を、金属の照準器で狙う。
燈真は固唾を飲んで見ていた。弓の扱いは若干かじった程度で知っているが、銃は触れたことがない。そんな燈真は、椿姫のお下がりだという太刀を腰に
化け猫が呼吸を止めた。それから五秒、十秒と経ち、水鹿のオスがぴくりと首を上げた。生え変わった若い角が、感覚器のように働くのか——そいつはこちらに目を向け、
次の瞬間、乾いた銃声が響き渡った。
銃弾は狙い過たず水鹿の心臓を撃ち砕いていた。把手を引いて薬莢を吐き出し、厚い革手袋をした手でそれを拾い、腰の耐熱袋に入れる。
他の水鹿は突然の襲撃に驚き、逃げ出した。いくら水圧弾による戦闘能力を持っていても、好んで戦う生物ではないのだ。
「おい燈真、嫌な予感すっぞ」
「血の匂いに釣られたな」
光希が感じた嫌な気配は、燈真もうっすら察していた。
血の匂いの拡散と同時にあたりに迫る、穢れ腐った気配。甘ったるいような、
「下がれ!」
光希が怒鳴り、男の前に飛び出した。水鹿を付け狙う魍魎が、そこへ姿を現す。小鬼のような魍魎だった。
「燈真、そっちは任せる」
「わかった!」
燈真は己の持ち分を見定めた。ひっと息を呑む香山嫁に「大丈夫だ」と言い聞かせ、素早く太刀を抜く。
これでも中等学校時代から燦月町の道場に通い、闘士を目指し訓練していた。太刀の扱いは、基礎的な技術で言えば身についている。
(妖力を練る……
基礎基本を胸の内で読み上げ、大気中の妖気を肌から取り込む。それをへその下、丹田という臓器で練り上げる。瑞穂人のみが扱える妖力は、彼らが先天的に丹田という特異な臓器を持つためだ。
そこへ、内——己の妖気を混ぜ、全身に流した。その間四秒。まだ、遅い。
茂みの揺れがおさまり、燈真は太刀を正眼に構えた。
来る、その瞬間。
飛び出してきたのは燈真にとっては忌々しくも因縁深い、狼の魍魎——
「シッ」
飛びかかり、右前足の爪を立てたシアクロウを鎬で受け止め、蹴りで弾き飛ばす。
効率的に妖力を練れるおかげで体が軽い。燈真は満足感、それからすぐに慢心するなという自戒を己に言い聞かせ、肉薄。
一歩、二歩、三歩目で一気に踏み込み、刺突。シアクロウが左へステップするが、燈真は太刀の刃をそちらにくるりとむけると、素早く薙ぎ払った。
両耳と、頭部を薄くスライス。血が、瘴気と共に吹き出す。
「グギィッ——ッ!」
「まだまだ」
燈真はさらに踏み込もうとして、自分が護衛の仕事を受けていることをはっと思い出した。
その一瞬のためらいを、魍魎は見過ごさない。
すぐさま肩から体当たりを繰り出し、燈真の鳩尾を打った。
「がふっ」
真後ろに吹っ飛び、砂利の上を転がる。燈真は受け身をとってすぐさま起き上がり、太刀を脇に構え直す。シアクロウは戦う力を持たない女性に牙を剥いていた。
「きゃぁっ!」
「こっちだッ!」
燈真は袂から取り出した式符に妖力を込め、投げ飛ばした。自前では術は使えないが、外付けの術なら扱える。
放たれたそれは火術である。橙色の拳二つ分の大きさをした火球がまっすぐにシアクロウへ突っ込み、直撃。火焔を散らし、皮膚を焼く。
ブスブスと音を立て焼けただれた皮膚へ、燈真は真っ向唐竹割。そのまま胴を叩き切らんばかりの勢いで、振るった。
「ギャッ——フ——」
胴を腹の部分で真っ二つに断ち割られたシアクロウは、臓物をこぼし痙攣。燈真は苦しみを長引かせまいと、すぐに太刀を逆手に握り直して頭部へ切先を突き立てた。
瞳から光が失せ、がく、と力が消える。
「香山さん、大丈夫ですか」
「は、はい……」
女性はこくこく頷いた。怪我はなさそうだ。だが、油断した——燈真はそれが悔しい。
何はともあれ、浄化せねば。燈真は龍ノ手に妖力を流し、龍気を活性化させると、それで魍魎の穢れを祓い、周囲を清めた。
霧散して消滅したシアクロウが残したのは、鋭い爪が二本。これらは研究資材になったり、呪具の素材になるので集めておくのがいいらしい。
燈真はそれ単体で刃物になりそうな爪を布で包んでから拾いあげ、腰の袋に入れた。
と、バチィッと激しい雷鳴音が響いた。見れば、そちらで光希が小鬼のような魍魎相手に雷を叩き込んで、黒焦げにさせていた。魍魎の遺骸は合計で三つ。二体は現在抜いている短刀で、残りは今し方の雷撃で仕留めたのだろう。
燈真と光希は刃物を納め、周囲を見渡した。それから匂いと、肌の感覚と、聴覚とで探りを入れる。
「もう大丈夫っすね。今ので最後です」
光希がそう談判した。
猟師の夫婦は「ありがとうございます」「いやあ、助かりました」と頭を下げる。
人から感謝される——というのは、悪い気がしなかった。燈真はその感覚が、受け取った金銭よりも重く感じられた。
思えば今まで、憎まれこそすれ感謝されることはあまりしてこなかったな、と思う。
ひょっとしたら柊はそれを見抜いた上で、あえて護衛の仕事を託したのかもしれない。
「さ、手早く肉を処理しましょうか。お二方が素早く撃退してくれたので……私たちも腕前を見せましょうか」
「そうね。じゃあ、処理を始めますね」
猟師二人が腰から解体用の鉈を抜き、そう言うのだった。
×
一連の戦いを、離れた樹上から見下ろす影があった。
血のように赤い目が、二人の若い祓葬師を見下ろす。
影は何かを口走り、一足飛びにそこから去るのだった。
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