※閑話です。時間軸は賊討伐に出陣する前ぐらいのお話です。
もう夜遅くになって、代官であるヴェルナーが休む為に自室に戻ると、ノイラートとシュンツェルがやれやれと言う感じで椅子に座り込んだ。
「ふう、しんどい」
「幼いころから鍛えていたらしいが、さすがの体力だ。働き者だな、ヴェルナー様は」
「インゴ様が苦労するとおっしゃられたのがよくわかるぜ」
ノイラートが苦笑した。正確には苦労するだろうがよろしく頼む、と言われて今の立場を受けたのである。大臣の子息、伯爵家嫡子の直属と言うのは名誉なことであるので、家の事も考えてその言葉の意味を深く考えずに受けたのは事実だ。
シュンツェルも同じような表情を浮かべて頷きながら応じる。
「だが学ぶところも多い」
「それは否定しない。退屈もしないしな」
ヴェルナーの発想は時々理解に苦しむほどではあるのだが、後から見るとなるほどと思えることも多いし、考え方は時に貴族として異質でさえあるが知識は豊富で参考になる。
ただ二人にとって謎なのは、ヴェルナーがいつ、どこであのような知識を身につけているのかが不明だという事であるだろう。学園のカリキュラムが変わったのだろうか等、仮説を立ててはいるが、依然としてその知識の源泉は二人にとって謎のままであった。
一方、武芸の訓練では二人とも剣を使えば間違いなくヴェルナーより強いので、その際はヴェルナーは剣ではなく槍を使うこともある。無論ヴェルナーにとっての訓練ではあるのだが、二人には槍を相手にする良い練習にもなる。
ヴェルナー本人は物欲が乏しいのか酒やその他の形で追加報酬もしばしば出るので、働き甲斐もある。ただ弱者に対して潔癖なところがあるので、威張りたいとか楽をしたいという人物には向いていない上官ではあるだろう。
「お二人はそれでもよろしいですよ」
「おう、フレンセン卿か」
「確かに卿は一人で大変そうだ」
書庫に資料を戻して来たフレンセンがこちらも疲れた顔で二人と共に座る。執事兼文官の二足の草鞋を履いているのだから確かに重労働だ。一つ溜息をついてやや愚痴っぽい口調になり二人に語り掛けた。
「疲れたときに飲む茶がおいしくないのが気になりますね」
「否定できん」
「ティルラとまで贅沢は言わないがリリーの淹れたものぐらいは飲みたいな」
ツェアフェルト家の先任
それも含めてツェアフェルト家の茶会は多く、ヴェルナーと
一方のリリーはもともと宿屋の娘であったということもあるのか、働くこと自体は苦にしていない。努力家でもあり、熱心に学んでいるので教えがいがあるらしい。素直で可愛らしい、と教える側のティルラも随分かわいがっている。
もっともくるくるとよく働くリリーはツェアフェルト家騎士団員や執事のノルベルトをはじめとする館の人間にも気に入られており、ヴェルナーに言わせると「ノルベルトの奴、孫娘を見るような眼で見てるなあ」ということになるようだ。
「ティルラは身長が高めのせいか、姉妹と言うにはなんだが」
「どちらかというとリリーの方が小動物だな」
「確かにそうですね」
今頃リリーがくしゃみぐらいはしているかもしれない。揃ってふとそのような想像を浮かべてしまい、三人で笑い合う。ふと気が付いたようにノイラートがフレンセンに向き直った。
「そういえば、ビットヘフト家の騎士団長の件、確かノルベルト殿が調べていたらしいが卿は何か聞いていないのか」
「ああ、勇者殿の両親が何か複雑そうな顔をしていたというあれか」
シュンツェルがそう続け、フレンセンがそんなこともあったなというような顔を浮かべる。伯爵家として調べていたのでノルベルトが担当ではあったが、フレンセンも調査には加わっていた。その調査内容を思い出し苦笑いをしながら説明する。
「あの騎士団長殿はアーレア村の村長の息子だったのですが」
「それは聞いている」
「若い頃、マゼル殿とリリーの母であるアンナにいい寄って振られたんだそうです」
「……は?」
ノイラートとシュンツェルの声が見事に重なった。最初にその話を聞いたヴェルナーと同じ反応をしている二人についフレンセンが笑う。
「アンナはアリーを選び、あの団長殿は振られた傷心から村を出て、その先でビットヘフト家に仕えることになったのだとか」
「つまりあの元村長からすると、息子を振って村を捨てさせた女性の長男が勇者だったのか」
「そうなります」
「……いろいろ
シュンツェルが何とも言えない表情で腕を組んだ。あの元村長に良い印象はないのだが、不満を持っていた理由としては理解できなくもない。と同時に、ビットヘフト家の騎士団長に出世した相手と顔を合わせた
「元村長はリリーを働きに出させようとしていたとも聞いています」
「どこにかは聞かないでおこう。ビットヘフト伯爵はそのあたりを知っていたのだろうか」
「知らなかった方が不自然ではないか?」
シュンツェルの慎重な疑問にノイラートが切って捨てる。が、それ以上は考えても寝酒が不味くなるだけである。知りたいことは解ったと判断したのであろう、やや強引に話を変えた。
「そういえば、ヴェルナー様の部屋に飾ってある絵はリリーのか」
「ええ。ハンカチも贈ったそうです。領主館で洗濯女として働いているご婦人方が話の種にしていました」
「ハンカチ……刺繍入りか」
「そうらしいですね」
この世界では基本的に服が高価である。そのため、古くから家柄が高い家でも女性が
そのうちに「愛情をもって服を繕うと、同じところを二度と怪我しない」という俗説が生まれ、それがさらに時代を下った現在「愛しい人を想って縫った布は相手を守る」という一種のお守りのような扱いになっている。
刺繍入りの何かを送るのは友人に対してのこともなくはないが、普通は家族か許嫁、あるいは恋人に旅や戦場での安全を祈って贈るものだ。ちなみに貴族女性の中で刺繍が嗜みとなっているのはこの俗説が由来で、もともとは繕い物の練習が目的であった。
「ヴェルナー様が知らないはずはないと思うが」
「知識としては知っていてもそのように考えていないのかもしれません」
シュンツェルの疑問にフレンセンが応じ、ノイラートがそのフレンセンに疑問を呈した。
「俺も決して女好きという訳ではないが、ヴェルナー様は淡泊というか女っ気がなさすぎないか? 勇者殿が近くにいたのは認めるが顔立ちも別に見苦しいという訳でもないし、家柄も伯爵家の嫡子だ」
「恐らく、女性に対する軽い不信感のようなものがあるのではないか、と。これはノルベルト様から伺った話なのですが」
幼少の頃にヴェルナーは馬車の事故に遭遇している。その際にヴェルナー自身は重傷を負ったが、兄である長男はより傷が重く、救助が来るまでに光の中へと旅立った、つまり死没してしまった。目撃者によると幼い弟、つまりヴェルナーを庇う形で傷を負っていたのだという。
問題はその後である。葬儀には兄の婚約者も参列したのだが、その婚約者は大人からは隠れるようにではあるが「文官の家になんか嫁がずに済んでよかった、死んでくれたことにお礼を言いたい」というような発言をしていたのだという。
話を聞いたノイラートとシュンツェルが呆れた表情を浮かべた。ノイラートが確認するように口を開く。
「政略結婚だよな」
「そうだとしか思えんが、それを理解していたのかどうかは疑問だな。伯爵は耳にしなかったのだろうか」
「そこまでは解りませんが、ヴェルナー様はどうも耳にしてしまったようです。その日は黙り込んでいたとか」
インゴは伯爵家当主として誰か要人の挨拶を受けるために席を外していたのかもしれない。もっともツェアフェルトとその家との関係が続いていないことから察することはできる。
一方でその後、奇妙なまでに女性関係に興味を示さなくなったヴェルナーに対し、周囲の者は女性に対する不信感でも持ったのではないか、と思わずにはいられなかったらしい。
「どうしたって伯爵家嫡子に向ける視線には打算が混じるだろうからな。自然と壁を作るようになってしまっているのか」
「貴族社会の女性に対し、無意識に相手の好意を頭から排除しているのかもしれん」
実際は半分正解、という所であっただろう。記憶を取り戻した直後で状況の把握、モブキャラの自分が四天王襲撃までに生き残る方法を考えないといけないなど、それまでの記憶にある兄との別れの感情も含めて当時のヴェルナーは完全にキャパオーバーであった。
その中での例の発言である。この世界で名もなき文官系モブキャラに対し、女性がどのような視線を向けているのかよくわかった、という歪んだ理解が生じてしまった事は否定できない。それ以降の最優先目標が自身が生き残る事であったことと合わせ、冗談めかしてマゼルと比較することはあっても、自分から特定の女性へ興味を持続させることはなかったのだ。
「なあシュンツェル、ひょっとしてリリーの存在ってかなり貴重なんじゃないのか」
「ああ、そう思う」
ヴェルナーも多少は柔らかくなっていることは確かだが、それでもここまで踏み込める女性がそうそういるとは考えにくい。恋愛関係の有無は別にして、女性に対する認識の修正という意味でも貴重な存在であることは確かだろう。
ふと思い出したようにフレンセンが口を開く。
「そういえば、リリーに何か贈るため市場に出る予定があると言っていましたね」
「ほう」
ノイラートが珍しくにやり、という顔を浮かべる。シュンツェルも頷いた。
「それはぜひ警護のために同行しなくてはな」
「ああ、重要な任務だ」
「……お二人が選ぶわけではありませんよ」
「当然だろう」
譲る気のなさそうな二人を見て、どうやら明日も一人で仕事をすることになりそうだとフレンセンはため息をついた。
後日、アンハイムの酒場では、やはり代官殿には婚約者がいるようだ、どのような女性なのだろうかとの想像で盛り上がっていたという。
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