ゲザリウスは失笑を浮かべた。このような砦など、どのようにしても攻め落とせる程度の物でしかない。むしろこのような建築物に頼る人間の愚かさをあざ笑っているとさえ言える。
周囲に集まった魔軍の兵たちも同様の、やや獰猛さを加えた笑みが浮かんだ。ゲザリウスがにやりと笑って声を上げる。
『砦の奴らを食い殺せ!』
いきなり足場が消失した。土塁だと思われたそれを踏み抜いたのだ。土塁に見えたのはつっかえ棒に立てかけた戸板に薄く砂や土を塗っただけの代物で、魔物の体重を支えられるような代物ではない。
しかも踏み抜いた先には地面が掘り込まれており、太腿あたりまで踏み抜いた戸板に片足だけがはまり込んでしまう。結果的に魔軍は足を取られてその場に足止めされてしまった。
「放て!」
砦から無数の矢が飛び、足止めされていた魔軍にそれが次々と突き立つ。足を引き抜こうにも足場となる反対側の足も戸板の上にあるため、思うように力を籠めにくく自由に行動できない。片足が戸板越しに地面にめり込んでいるような形となり、動けないまま
二、三本矢が当たっても命を落とすことはないが、何本も刺されば命にかかわる。現に何体か板の上に斃れ伏して動かなくなり始めた。
『小細工を!』
ゲザリウスの怒りの声が矢音を圧して周囲に響くが、それを上回るようにさらに矢音が響いた。
「見事に踏み抜きましたな」
「跳躍力に優れている、とは聞いていたからな」
壁というより柱を並べた上に作られた板の上から戦況を見下ろしつつ、ホルツデッペの感心したような驚いたような発言にヴェルナーが応じる。
そのまま背後を振り仰ぎ、襲撃開始をアンハイムに伝えるため、砦から上がった狼煙を見ながらヴェルナーは言葉を継いだ。
「便利に使えそうなものがあればそこしか見えなくなるもんだ」
「そのようですな」
というより、踏み台に見える土塁もどきを作ったという方が近いであろう。ヴェルナーは王太子との会談で跳躍力に優れていると聞いたときから、逆にその足を殺す方法をいくつか考えていたのである。
なお土塁に見えるよう戸板に塗った土や砂を固定していたのはケーテ麦で作った穀物糊である。不思議とケーテ麦を煮て作った糊は動物や虫が食べないので、野外で使うのに重宝するのだ。発酵させると激辛になることに理由があるのかもしれないが、そこまでヴェルナーは興味がない。
「しかし、昼間から姿を隠しもしないとは」
「それだけ人間を甘く見ているという事だろうな。だからこそ罠が有効だとも言えるが」
「第二陣、来ます!」
「大丈夫だ、直接跳び込んでこないなら恐れなくてもいい」
ホルツデッペの呆れたような声に苦笑いしたヴェルナーの耳に緊迫した兵の声が届き、それに対して冷静な口調で応じる。
ずしん、とわずかに音が響いた。砦の壁に魔物がとりついたようだが、いくら
ヴェルナーは落ち着いた声と表情を作って、何事もなかったかのように話を続けた。
「放棄準備の方は大丈夫か」
「大丈夫です」
ホルツデッペの返答にヴェルナーは頷く。欲を言えば数日ここに足止めをさせたかったとも思うものの、元々廃棄するための砦である。欲を出すのはむしろ下策であろう。
人間を甘く見ていたから正面から突撃してきたのであり、もたもたしていたら砦を包囲されるかもしれない。身体能力の違いも想像より大きく、国境となっていた川をあそこまで簡単に渡られたことにヴェルナーでさえ驚いた面もある。
この砦での基本計画に変更の必要はないと判断し、ヴェルナーは指示を出した。
「よし、歩兵から順に準備に取り掛かってくれ。火に気を付けろよ」
「承知しております」
ホルツデッペが砦の中に降りていくのを見送り、ヴェルナーも視線を戻して落石などの準備を整えるようにノイラートに指示をだした。
獣のような顔をしている
困惑したところに柱の上から複数の石が叩きつけられ、その場で動けなくなるもの、命を落とすものもいる。そのような攻撃を受けながらも
砦の板壁は二重になっていた。そしてその間には
しかも二枚の板で革を挟み込む形となっているので、板を叩き壊そうとしても、革を張った内側がその衝撃を受け止め打ち消されてしまう。城壁の石壁ほど頑丈ではないにしても、鉄板で強化されているよりも丈夫な壁であると言える。
その上、革を裏側に挟み込んだことで、外から一見するとただの板壁に見えるのだ。まんまと魔軍はそれに騙され、大きな石でも投げ落とすだけで届くような壁の近くにわざわざ近づいてしまった形となった。
跳躍しようとする魔物にはシュンツェルの指揮する弓隊が優先的に矢を放ち、壁を破ろうにも頑強な壁は簡単に破れない。さらに壁の付近で立ち止まっていると石が降り注ぎ壁の上から汚物まで浴びせかけられる。
皮肉なことに、
かろうじて砦の中に跳び込んだ魔物もいたが、散発的な侵入では砦の中で待ち構えていた騎士によるヴェルナーの得意とする集団戦に持ち込まれて袋叩きにされてしまい損害が増えるだけである。
足止めされたものと壁にとりついたものとに分断された上でのこの体たらくに、ゲザリウスも獅子の顔に苛立ちを浮かべたが、小細工にしてやられたという面は否定できない。不快そうな空気を纏いながら、ゲザリウスは一度大きく吠えた。
「ヴェルナー様、敵が引きます」
「次は隊列を整えて一気に乗り越えて来るぞ。撤収準備急がせろ」
「はっ」
もうちょっと無理押ししてくれると思ったんだがなあ、と愚痴っぽい考えを持ちながらヴェルナーは敵の動きの奇妙な点をしばらく眺めていた。やがてその可能性に気がつき苦笑いを浮かべる。
この時点までその可能性に気が付かなかったのは我ながら鈍いな、と自嘲しながら急ぎ頭の中で計画を変更し始めた。
ゲザリウスが大きく吠えたのは、一度対岸に渡り集団を整えようとしていた直後である。砦の中に掲げられていたツェアフェルトの旗が取り込まれるのを目撃したためだ。
ここまで有利だった側が引き上げようとしているという状況に、魔軍であるゲザリウスもさすがに驚いたのである。あるいはその発想もマンゴルトやピュックラーの知識や記憶を奪った結果の賜物であったかもしれない。
ゲザリウスが声を上げ、魔軍はただの集団となって一気に川を渡って砦に押し寄せた。砦を回り込むのは時間がかかる。ゲザリウスを先頭に足場を確認すると足に力を込めた。
守る人間がいるときは超えることができなかった壁を一跳びで跳び超えると、砦の中は奇妙に黒い。その黒い煙のような中に飛び降りた途端、魔軍は混乱状態に陥った。
砦の中には尻を突かれて狂奔している十頭以上の豚が走り回り、それによって地面に敷き詰められていた黒い粉が舞い上がることで、砦の広場一帯にそれが充満していたのである。
粉が目に入ったものは苦痛を堪える声を出し、鼻に入ったものはくしゃみをしてその粉をさらに吸い込んでしまう。間の抜けたことに跳び込み着地した途端に動きを止めたため、後ろから飛び込んで来た別の魔物がその上に飛び降りてしまうような有様である。
砦の入り口にあたる門はいずれもしっかりと封鎖されており、舞い上がった黒い粉が逃げる余地は上にしかなく、恐怖と苦痛で走り回る豚のせいでさらに粉が舞い上がり密度が濃くなると壁ですら視認できなくなっていく。
次の瞬間、砦の外から火矢が飛び込むと、ゲザリウスたちの顔の前に炎が舞い上がった。
火矢を命じ砦から赤というより黄色に近い炎が吹き上がるのを確認するより早く、ヴェルナーは全速力での撤退指示を出していた。馬上、周囲を駆けていたノイラートとシュンツェルがヴェルナーに声をかける。疾走状態なので半分怒鳴り声だ。
「ヴェルナー様、今のはいったい?」
「魔法ですか?」
「あれは粉塵爆発って単なる現象だ。魔法じゃない」
燃えやすい素材の細かい粉が大気中に浮遊した状態で着火すると、爆発のように瞬間的に燃え上がる現象である。小麦粉や砂糖などでも発生するので前世でもまれに事故が起きていた。
「あの火炎の勢いなら結構な損害が……」
「ああ、あれ全然効果ないぞ」
「はっ?」
ノイラートに答えたヴェルナーの返答に二人は驚きの声を持って応じた。実際問題として、粉塵爆発は屋内や坑道のような密閉空間で起きると危険な現象だが、屋根のない屋外で起きると見た目のインパクトはあるがそれほど殺傷力があるわけでもない。爆発のエネルギーがすべて空に抜けてしまうためである。
しかも川に近い砦では湿気も多く、更に威力は期待できない。あの状況では人間相手であったとしても軽い火傷程度であろう。炭塵を使ったとは言えよくあれだけ火が上がったな、とヴェルナーが逆に感心したほどだ。
「そ、それではなぜ」
「単純に“何かが起きたが何が起きたかわからない”というのは足止めになる。それに……」
走りながらヴェルナーは笑った。
「『人間の罠は派手だが威力はない』と連中、誤解しただろうからな。これで恐れもしないで俺を追ってくるだろうよ」
単純に損害を出す罠なら油による火計なり落とし穴なりの方がよほど効果があっただろう。むしろ人間を軽んじる誤解を引き起こすために、ヴェルナーはわざわざ見た目は派手な粉塵爆発を苦労して用いたのである。
これで罠よりむしろアンハイムの城壁の方が連中にとって厄介な存在だと改めて確信しただろう、その前に仕留めたくなるだろうなと笑いながら続け、ツェアフェルトの旗を振り仰いだ。
「第二の砦が最初の山場だ。そこまで駆けるぞ!」
「ははっ!」
ヴェルナーの声に応じ、その一団は目立つように馬蹄の跡を残しながら第二の砦に疾走する。
爆炎と閃光にしばらく呆然としていたゲザリウスらが、怒りに任せて外側から閂をかけられていた扉や壁を叩き割って外に出た時には、ヴェルナーたちは既に影も形も見えなくなっていた。
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