そうしたなかで、「民族共同体」という言葉をキーワードとして巧みにドイツ人の支持を獲得していったのが、ナチ党だった。第一次世界大戦が始まった時の「城内平和」のようなドイツ人が団結した状態に戻ろうというのが、ナチ党の振りまいた「夢」であった。「政治的、社会的、宗派的な対立のない、議会も政党もない、調和的な国民国家というビジョン」(同書247ページ)こそが「民族共同体」の骨子であった。
しかしそうした「団結」や「調和」には裏の側面があった。
それは、ユダヤ人、シンティ・ロマ(「ジプシー」)、政治的敵対者(共産主義者・社会主義者・自由主義者など)、障がい者など、「共同体の敵」とされた少数派を徹底的に排除するという側面だった。
たしかに多くのドイツ人に対しては、家族支援、結婚ローン貸付金、有給休暇拡大、歓喜力行団による安価なパッケージ旅行など、さまざまな社会政策的な措置が講じられた。一家に一台車が手に入るという(結局果たされなかった)夢も振り撒かれた。
だが他方で、「共同体の敵」とされた人びとはそうした恩恵を受けられなかったばかりでなく、政治的敵対者は強制収容所に送られ、ユダヤ人は暴力を振るわれたり財産を安値で買いたたかれたりし、障がい者は断種手術を強制された。
こうしてナチ体制においては、「アーリア人で健康な、業績能力のあるドイツ人の「民族同胞」であれば、階級や教養、宗教、出身地域に関係なく「対等」な人間と見なされ、ナチ国家によって社会政策による支援を受けた。他方、民族的、社会的、生物学的、そしてとりわけ人種的に排除された人びとは「民族同胞」と対等の立場ではなく、法を奪われ、厚生・治安当局から排除され、追放され、もしくは生殖を阻まれた」(同書89ページ)のである。