ユダヤ人が職(たとえば大学教授のポスト)を失うことでドイツ人が職を得ることもあったこと。東部へと移送されるユダヤ人の財産がドイツ人によって安く買いたたかれていたこと(いわゆる「アーリア化」)。ゲシュタポ(秘密国家警察)による住民の摘発が、多くの場合一般の人びとによる密告によって行われていたこと。前線や植民地において、多くのドイツ人が物質的利益を得ていたこと。東部においてユダヤ人が過酷な状況に直面していたことを、かなりのドイツ人が「公然たる秘密」として、ある程度知っていたにもかかわらず、彼らの運命にはおおむね無関心だったこと。
少なからぬ「ふつうの人びと」は、なぜこのようにナチ体制に協力、すくなくとも黙認していたのか。
それを考える上で欠かすことの出来ないのが、「民族共同体」という概念である。
「団結をもう一度」という掛け声
この言葉を理解するためには、歴史を第一次世界大戦まで遡る必要がある(以下、ウルリヒ・ヘルベルト、拙訳『第三帝国―ある独裁の歴史』(角川新書、2021年)の議論の骨子を引用する)。
第一次世界大戦が始まった当初、叫ばれたのが「城内平和」という言葉だった。それまでのドイツは政治的、社会的、宗派的に争いが絶えない状況だった。しかし今や戦争なのだから、ドイツ人同士で内輪もめしている場合ではない、挙国一致で敵に当たらなければならない。それが、この言葉に込められた意味だった。
だがドイツは第一次世界大戦に敗北した。ヴァイマル共和国になってもしばらくは内戦状況が続き、ドイツ人内部の対立はいよいよ抜き差しならないものとなった。その後数年間は比較的安定した政治が可能になったものの、世界恐慌以降は再び殺伐とした社会状況となっていった。