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愛していると言いに行こう。

風呂に入って背中を洗う。どれだけ手を伸ばしても、届かない場所がある。たったそれだけのことなのだが、人間の体は他者を必要としているのだなと思う。私たちの体は一人で生きられるように作られていない。他者を必要とするように作られている。他者を必要としながら、私たちは同時に道具を発明した。道具を使えば、一人きりでも背中を洗うことはできる。物理的な問題はどうにかなるが、精神的な問題は少し違う。道具は、一人で生きるためではなく、誰かと繋がるためにあるのだと思う。自分で自分を抱きしめることもできるが、誰かに抱きしめてもらった時の温もりは、淋しさを溶かす。

金も言葉も命も道具だ。戦争のためにも平和のためにも使うことができる。道具に罪はない。使う側の問題だ。大阪在住の女性N様が、熱海に来てくれた。一年前、N様と会った時に「第一希望を取りに行け」という話をした。その言葉がトリガーとなり、N様は医学部を受験することに決めた。まだ、そのことを誰にも話していない。自分が医者になりたいだなんて言ったら、笑われてしまう。馬鹿にされてしまう。だから、まだ誰にもそのことを話していないのだとN様は言った。ちょうど今日、大学のオープンキャンパスがあった。それだけのために関西から関東まで来て、帰り道、時間があるから「あ」と思って坂爪さんに連絡をした。N様は、そのようなことを話した。

多くの人は自分の存在に大きな否定感を抱いている。生きる喜びを感じる以上に、自分が存在していることに対する罪悪感や、自分にはたいしたことはできないのだという無力感を覚えている。生活は豊かになり、清潔になり、便利になった。だからこそ、誰にも話すことのできない虚しさや悲しみは街を汚す『ゴミ』だと思われて、そんなものははじめからないのだという演技をする。元気な演技。明るい演技。楽しい演技。周囲とうまくやっている演技。不自然な明るさの裏には、一人になった時に襲われる虚しさがある。常に「自分はここにいてもいいのだろうか」と感じ続けている悲しみがある。安心したいと言う淋しさが、他者を道具にして、自分を道具にする。本来、手段であるはずの道具が目的になると、他者と繋がることができなくなる。

拒絶される恐怖、否定される恐怖より、自分の好きを口にする勇気を。好きな人から嫌われたとしても、自分は、その人を好きなままでいてもいい。愛したままでいい。この世で一番悲しいことは、自分の好きを諦めることだ。言葉だけが全部じゃない。頭だけが全部じゃない。どうすればうまくいくだろうとか、どうすれば好かれるだろうとか、本当は全然重要じゃない。大事なことは、自分の気持ちを伝えることだ。自分の好きを伝えることだ。誰かに会いたいと思う。何かを話したいと思う。だけど、全然、言葉が出てこない。そんな時は、ただ、愛していると言えばいいのだと思う。ただ、ありがとうと言えばいいのだと思う。何かをしてもらいたくて会ったのではなく、自分から何かをしたい、何かを言いたい、何かを伝えたいと思ったから、会ったのだ。自分にも、まだそれをする力があることを思い出すために、会ったのだ。その思いを、その好きを、恐れずに、真っ直ぐに差し出せばいい。

金も言葉も命も道具だ。残された時間に意味を与えるのは、自分の責任だ。誰もその責任を引き受けてくれない代わりに、誰にもその責任は奪えない。言葉だけではなく、頭だけではなく、ただ、抱きしめ合うこと、ただ、肌を触れ合わせることが、降り積もった哀しみを溶かし、温もりを生み出し、安心を与えることがある。言葉だけではない。頭だけではない。問題を解決することだけが人生ではない。私たちは、問題を抱えたまま、誰かを愛することができる。誰かと繋がることができる。傘を買えば雨が楽しみになるし、キャンドルを買えば夜が楽しみになる。自分の好きなものを見つけて、周囲の人たちと共有をする。道具を、自分一人で生きるために使うのではなく、他者と繋がるために使う。世界を変えるために使う。自分から愛して行くために使う。愛されることを待つのではなく、自分から、愛していると言いに行こう。どのような状態に置かれても、私たちには、愛を叫ぶ自由がある。

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おおまかな予定

3月20日(水・祝日)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!

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