翌日は夜の時間帯に人を大量に招いて報告会だ。まさかこんなことになるとは思っていなかったが、結果的には先んじて旧クナープ侯領の地理を調査させておいたことが役に立ちそうな気配。
ただ俺の事情を理解してくれているのと、この三人は俺と同行することが内定しているからか、ノイラートとシュンツェル、フレンセンも熱心に質問をしたり確認をしたりと俺が気付かない点もサポートしてくれている。
全ての貴族の館にではないだろうが、伯爵家ぐらいになると外に声が漏れないようになっている部屋と、逆に隣の部屋に声が聴こえるようになっている部屋がある。
胡散臭い客が来た場合には隣の部屋に兵士を待機させておいて、いざと言う時は「ものども、であえ、であえ~」とやるわけだ。あれ、この例えだとこっちの方が悪党か?
ただ今回は兵士ではなく、隣の部屋で話を聴いているのはリリーだ。結局最後にはリリーに図を描いてもらうことになるんで、本当なら最初からこの部屋にいてほしいぐらいなんだが、メイド服の子がずっと部屋にいるのもおかしいしなあ。貴族らしさの演出みたいなものはどうあっても必要だし。はあ面倒くさい。
この中世風世界、等高線図はない。リリーに等高線の説明をしたらわかったようなわからないような顔をされた。便利なんだがそもそも地図を必要としないからその辺が理解できないのかもしれん。
カラー図の場合、色の差で高低差を現すことはある。段彩図の走りみたいなもんだな。けれどまず測量技術を持ってる人間が圧倒的に少ないし、地図は軍事情報になるんで全部の山の高さを測るような国家事業もない。結果的になんちゃって地形図が多くなるし、普段の市民生活はそれでも十分。
みんなそれが普通だから、報告の際にはどうしても「右の丘より左の丘の方が高い」とか「左側の窪地と右側の丘との間に道路がある」とかの表現になる。話をする人間のルートや、調査した際の位置によっては方向までごっちゃになりかねないんで、説明を受ける際には注意しないといけない。
騎士団とかの場合は報告の際に使う方向の基準があるんだが、今回はあくまでも冒険者に依頼した格好だからな。相手を二度呼び出すわけにもいかないんで、聞き取りの時にフレンセンたちにダブルチェックもしてもらう必要まであるわけだ。手間かけてすまん。
余談だが前世の中世だと東が地図の上に来ていた頃もあるんだが、この世界だと前世日本と同じようにずっと北が上。わかりやすいからいいんだけど。これもゲーム世界だからか?
「はあぁぁ……」
「疲れましたね……」
二〇人ほどの報告を全部聞き終えたころには全員ぐったりだ。隣の部屋でずっと聞いていたリリーもちょっと疲れた顔をしているがそれでもお茶を淹れてくれる。ありがたい。
気を使ってくれているのか、淹れてくれたお茶はぬるめである。全員最初の一杯をほぼ一気飲み。
「悪いけど、おかわり頼む」
「わ、私もお願いします」
「俺も。あと、リリーも休んで。お茶も飲んでいいよ」
「はい、ありがとうございます」
俺も含め全員が二杯目まで頼む。律儀に自分は淹れるだけだったリリーにも飲むように勧めておいて、二杯目をちびちび口に運びながら書き取ったメモやら概略図やらを見ていく。うん、描けないけど大雑把には把握できた気はする。
「フレンセン、今朝頼んでおいた準備はできてるか」
「はい、麦も袋で運び込んであります」
「よし、もう少し休んだらそっちに行こうか」
あー、チョコとか飴とか欲しいなあ。
長めのひと休み後に全員で館の奥に移動。荷物を突っ込んであっただけの部屋を片付けて、小ぶり、と言っても六人ぐらいは周囲に座れそうなテーブルを持ち込んでもらい、真ん中に落下防止用の枠を付けた、大きなお盆のような板も設置済みと。うん、問題なさそうだ。
「これをどうするのですか?」
「今から作業さ。
時間がもったいないしさっさと作業に入ろう。ケーテ麦の袋から中身を器で掬いあげると板の上に直接ぶちまける。驚いた声が上がったが説明するより見せたほうが早い。
ちなみにケーテ麦って言うのはこの世界の植物で、強いて言うと極小麦とでもいう感じだろうか。粒の形は麦、けど実のサイズが小さくて胡麻と麦の間ぐらい。そのまま食べたり麦粥にすると普通に麦の味なのに、酒を造ると色は透明なのになぜか激辛になるという謎植物だ。ファンタジーなことで。
なお酒は好事家ならそのまま飲むらしいが、普通はホットソースの素材かカクテルに使う。俺は飲みたくない。まあそれはいいか。
ざくざくとケーテ麦をその上にぶちまけて大雑把に面として広げると、低めの丘になる一カ所を基準にして、山盛りにしたり逆に少し凹ませたり。俺が何をやっているのか最初に理解したのはリリーだった。
「あ……。ええと、ヴェルナー様、今作っている丘はもう少し高い方がいいです」
「ん、そうか?」
「はい、こちら側にあるはずの丘との高さが合わなくなるので」
「このぐらいか?」
「はい、それでこっちも盛りあげますね」
このやり取りでフレンセンたちも何をやっているのか把握したようだ。顔色を変えたフレンセンが「失礼します!」と断りを入れてすっ飛んで出て行った。ああ、ちょっとケーテ麦が足りんか。
ノイラートとシュンツェルも動き出し、さっき作ったメモや概略図を手にしながらいろいろ手を入れ始める。うん、やっぱり自分で作業内容を理解してから手伝ってくれるようになる方が動きがいいな。
戻って来たフレンセンも含めて報告内容を立体化していく。山がちの地域、窪地の位置、兵を伏せやすい場所、軍の移動効率のよさそうな地形、こうすることでようやく俺自身も全体が把握できるようになった。
「よし、こんなもんか」
「解りやすいですね、これ」
リリーが感心したように声を上げている。率直な称賛はうれしいが知らないからこそだよな。軍務でも平面の地図しか知らないノイラートとシュンツェルは完成したこれを見て絶句している。地図そのものがレアなんだから立体地形模型なんてこの世界にはない代物だし、無理もないか。
「悪いがリリー、二日程度かけていいんで、これを元にして全体が把握できる絵図にしてほしい。それは三枚ぐらい描いてくれ。それと、こっち側からこの高さで見た図と、あっち側から同じぐらいの高さで見たのも頼む」
「はいっ」
笑顔で元気のいい返事をありがとう。ここ数日、リリーにはいろんな絵を描かせまくっているんでこっちは内心申し訳ない気がしている。俺の依頼ばかりさせているとそのうち母から苦情が入りそうだ。
うーむ。それにしても守りやすい地形とは言えんな。地形に頼るより防御施設の方を充実させる方がいいか。いやむしろ……。
「ヴェルナー様、このような発想をどこで」
「ん? いや、俺自身が解りやすくしたかっただけ」
フレンセンの問いにそう応じる。実際、情報が決定的に不足してるからせめて得られる事前情報を確実に入手して把握しておきたいというのはあった。まさかそっちに赴任することになるとは思わなかったけどな。
「ノウハウはそのうち伯爵領のハザードマップ作製にでも流用するか」
「はざーどまっぷ?」
いかん、悪い癖で口に出ていた。リリーが怪訝そうな声で繰り返している。この中世風世界、立体地形模型もなかったし地図も一般的じゃない。ハザードマップなんて、もの、も……待て。
「じゃあリリー、頼むよ。フレンセン、リリーが図を描き上げるまでこの部屋の掃除は禁止だ、壊れても困るからな。ノイラートとシュンツェルはリリーが困ったら相談に乗ってやってくれ」
「は、はい」
「ヴェルナー様?」
突然早口になった俺にみんなが不思議そうな表情を浮かべるが俺の方に余裕がない。これはすぐ確認しておきたい。
「ちょっとすまんが気になることがあるんで調べて来る。後を頼む」
返答を待たずに部屋を出る。ノルベルトを探して執事室に向かった。速足になっているせいか、メイドさんたちに妙な目で見られたような気もする。
「ノルベルト、書庫の鍵を貸してくれ」
「これはヴェルナー様、作業中と伺っておりましたが。書庫に何か御用ですか」
俺の様子がおかしい事に気が付いてはいるんだろうが、いつもと変わらない調子で答える。さすがは伯爵家の執事だな。とりあえず思いついた嘘の理由を口にする。
「赴任の件で、参考になるような記録があるだろうからな」
「なるほど。伯爵家の領政記録でございますか」
そう言って屋敷の鍵束を取り出してきた。同行して鍵を開けるまでが執事の仕事だし当然か。魔導ランプも用意してもらってそのまま伯爵家の書庫に向かい鍵だけ開けてもらう。
さすがは大臣を務める貴族家の書庫、決して大きくないとはいえ、前世で言う所の八畳間ぐらいはある部屋で、扉と窓を除く壁面ほぼ全面が本棚。全部確認するのは流石に手間がかかりそうだ。ひとまず手近なものだけでいいだろう。
「それでは、お気をつけて」
「ああ、わかってる」
この場合気を付けるのは怪我とかじゃなく高価な本を傷つけないようにという意味だったりするんだが、実際気を付けないと荒っぽく取り扱いそうだ。とりあえず農政方面の記録と、歴代伯爵のうち、日記を書いている人の物があればそれも引っ張り出す。
と言っても詳しく読むわけじゃない。その単語を探してぱらぱらとページを捲っていく。十冊近くの本を確認して、俺の記憶に間違いがないことを確認し思わず茫然としてしまった。なぜだ。
なぜこの世界、大規模自然災害の記録がないんだ?
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