この日の紙面の一面トップは恩赦。つまり罪が許され、軽くされた話題である。
明治以来六回目 九月二日以前の確定犯罪に適用
今回の大赦令は 大正元年九月二十六日恩赦令発布以来三回目で、前例には大正元年 明治天皇の御大葬と昭和二年 大正天皇の御大葬に大赦令が発布せられた。
さらに恩赦令発布以前に遡れば 明治元年一月十五日 明治天皇御元服に当たり発せられたもの、同二十二年二月十一日 憲法発布に際し発せられたもの、同三十年一月十九日 英照皇太后崩御に当り 特に新付の民たる台湾のみに施行されたものがあり 今回は六回目である
五回までは国家、皇室の吉凶により発せられたが 今回は大いに異なり その対象も未曽有の広範囲にわたり 刑法の不敬罪、内乱罪、国交に関する罪および安全秩序に対する罪の一部、選挙法違反の罪のほか 新たに治安維持法、国防保安法 その他思想、国防、会議などの取り締まりに関する各種特別法違反の罪、その他陸海軍刑法の罪の一部 および兵役に関する各種法令違反の罪 などが加へられ 九月二日前にこれらの罪を犯したものが含まれる
なほ 経済事犯で二年以上の懲役に処せられたものを再犯者は特に悪質と認められ、この恩典から洩れ または白金製品などの売り渡しに関する軍需省令第六十条の違反者、主食物などの食糧配給制の違反 および外国??管理法違反の罪は赦免されない
=中略=
今回の大赦により さきにマックアーサー司令部の指令に基づき拘留執行停止となったもの 即ち 徳田球一氏、三田村四郎氏などは名実ともに青天白日の身となったわけである
このときの恩赦は約3万7000人が減刑の対象となったという。
紙面には許される61の罪についても、小さい字で記載されているのだが、陸軍刑法や海軍刑法、治安維持法のような法律のほかにも、要塞地帯法違反とか、昭和4年樺太庁令第82号国境取締法施行規則違反の罪 など、いったいどういう内容なのかちょっとみてみたくなるような「いまは亡き法律」たちの罪の名も並んでいる。
このような恩赦の記事のウラ面には、新たな犯罪の記事が掲載されているのが何とも皮肉である。
女世帯一家四人を滅多斬り
中川村の惨殺事件 犯人厳探中
女世帯一家四人が惨殺された血温い事件
中川郡中川村字大富 農業 遠藤ヒデ(三二)、長女ハツ(一三)二女トシ(一一)三女タカ子(八つ)の四名が 鋭利な刃物で顔面、頸部を滅多斬りに惨殺されているのを十四日午前七時頃 同家を訪れた集乳員が発見、駐在所に急報した
所轄・名寄署では道庁刑事課の指揮を仰ぐとともに 及川名寄署長以下 現場を実検、全署員を動員して直ちに捜査網をはった
ヒデさんは八年前に夫と死別 その後 女手一つで三児を育て上げていたもので 農婦として働き者の評判も良く 他人から恨みを買ふやうな人ではなく 十三日午後五時過ぎまで畑で働いていたといふが 同日深夜 物取りに押入っての凶行と見られている
なほ附近にヒデさんの実弟が分家しているが 一家四人が死亡したため何を盗まれたか不明であり 捜査は専ら ??上から鋭意進められている
道北の静かな農村で起きた一家四人の殺人事件。
この事件については、今やネットで検索しても全然出てこないので、結論がどうなったのかはのちの新聞を読み進めていくしかあるまい。
さて、10月も半ば。札幌でも氷の張るような冷え込みの日が出て来て、おそらく雪虫も舞い出していただろうが、グラウンドにはスポーツの秋、熱い戦いがあった。
三対一で旭鉄勝つ 本社主催全道実業野球大会
本社主催 第一回全道実業野球大会は”再建北海道”の希望のまま 晩秋の陽光に明るい十七日午前九時から札幌市立球場で開かれた
三年ぶりで相まみゆる札幌倶楽部、札鉄、小樽協会、旭鉄の四球団ナインが歓喜を秘めて登場すれば 待望のファンまた定刻前すでにメインスタンド下から内外野席を埋め その数二万といはれ、この球場開設以来の記録的盛況であった
進駐軍将兵の姿も多く 大会本部のテント内やスタンドから声援し 拍手を送ったり 場内をかけめぐって盛んにカメラのシャッターを切るなど スポーツ親善の朗らかな風景を描いた
3年振りの野球大会ということで、札幌市民を中心に2万人が球場に押し寄せ、そこには進駐軍も混じっていたという。大盛り上がりの中の野球であり、プレーするほうも相当気合が入ったか。
9時40分に上原市長の始球式が行われ、続いて小樽協会と旭川鉄道管理部(旭鉄)の試合となる。
4-2で旭鉄リードで9回を迎えたが、小樽協会が土壇場で2点を返して同点となり、延長戦へ。
延長11回、旭鉄はスクイズで1点を勝ち越し、そのままサヨナラ勝ち。劇的な幕切れとなった。
続く第二試合は札幌鉄道管理局(札鉄)と札幌倶楽部の試合。こちらは打撃戦で、4回までは3-3の同点、7回を終わっても7-5と接戦であったが、8回表に札鉄が4点を挙げ、11-6で打ち勝った。
その後、観戦中の進駐軍が急遽チームを編成し、札幌倶楽部と短く交流試合を行い、午後3時半から札鉄VS旭鉄の決勝戦。
2回に札鉄が先制したが、3回に旭鉄がライトフライが犠打となって同点に追いつくと、このときの返球を捕手が取りそこない、ボールを探しているうちに、勝ち越しのランナーが生還。
7回にも旭鉄は三安打で1点を加え、そのまま3-1でゲームセット。旭鉄が優勝となったのであった。
決勝戦が終わったのは午後4時38分だから、試合時間はわずかに1時間と8分。
ちゃんと9回行っているのだから、ものすごくテンポよく試合が進んだこととなる。
栄冠の行方が定まり、10月の早い夕暮れがやってくる。熱気はあっという間に消え去り、冬の足音がきこえはじめた。
今日はここまで。
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