【車椅子の人「映画を見に行ったらいままで介助してくれたのに今後はダメと断られた!悔しい泣ける」 →イオンシネマが謝罪する事態に →賛否両論】
【別の車椅子の人「イオンシネマの件だけど、世の中は完全なバリアフリーではない。自分の身を守るためにも係員に無茶な要求をしてはいけない」】
【イオンシネマ騒動の車椅子女性(れいわ信者)が再び炎上!新幹線の中で迷惑配信をしていたと非難殺到】
Xより
この記事への反応
・当たり前ってやる側の意識であって求める側がそれ言い出したらカオスって事では?
・手助けして大丈夫な事とそうでない事があると思います。
今回の映画館の件は、手助けして大丈夫じゃない方。
・「当たり前」って何?
何が何をする事が当たり前なの?
・「善意」にしておいた方が良いと考えます。「当たり前」にすると、「ありがとう」を言う必要がない等と主張する人達がいますから。
例えば老いた夫婦間で、「ありがとう」の有無を原因として、時々トラブルになっている記事を目にします。お互いに「ありがとう」と言ってれば、不毛な争いを避けられる
・当たり前?
そんな「義務」は無いのでは?
・なるほど、確かにそれは「ヒトの行為として当たり前」かもしれない。だが、それは善意から来るものだ。善性のない者はそんなことはしない。
その善意の発露を当然の行為として受け止める行為こそ傲慢というものだ。
・いや、善意だよ
・善意?車椅子の人が、1人で好きな席で映画を見れるようにしようと社会が動くのは「当たり前」のことかと
あなたは車椅子になった場合、1人の時は一生車椅子スペースでしか見れなくて良いということですか?それとも今でも映画を見る時は前の方でしか見れなくても良いということですか?
その当たり前にすること自体が一番難しいし、出来るならもうとっくにやっていると思うよ
助けられる側が言うことではないし
助けられる側が助けるに値しない人間なら当たり前じゃなくなるよ
自分でその当たり前を放棄してる