日本共産党は「民主集中制」ではない
はじめに
日本共産党が組織運営を巡って揺れています。
2023年に入ってから、党運営の在り方に異論を述べた党員を「規約違反」として除名、またその処分に異を唱えた党員も除籍、もしくは処分をちらつかせて警告しています。
今年初めに行われた党大会(党の最高機関)では、この異論排除に異議を述べた発言者に対し、執拗に人格批判を加えました。
自由な結社である政党が、内部でどのような規律を持つのか、またそれに基づいて構成員をどのように処分するのかは、党内のマネジメントにかかわることであり、党員が自律的に決めることです。その点、すでに離党(2020年1月)している自分は発言を避けてきました(意見してはいけない、とは思いません)。
一方、およそ民主的とは言えない党運営を「民主的」と自称するのは、主権者を欺く行為であり、許されません。これは党内のマネジメントの範疇ではありません。
組織の基礎知識
初めに、共産党の組織の仕組みを、簡単におさらいしましょう。
共産党は、大きく言って、中央・都道府県・地区・支部という4階層の構造になっています。
図の中で、実線は「選出」を、点線は「指導・援助」を示しています。
一番末端の「支部」は、職場・地域・学校など、ある程度まとまりに属する党員をもって構成されます。一部例外を除きすべての党員は「支部」に属し、そこで会議・宣伝・催し物・財政活動など、基本的な活動を行います。
「地区」は、都道府県の中をいくつかに分けて置かれます。街で見かける「共産党の事務所」はこれかもしれません。
あとは、都道府県ごとと、一つの中央で構成されます。
中央・都道府県・地区での最高機関は、それぞれ党会議(中央は「党大会」)で、たまに開かれます。そこで各級の委員会が選出され、さらにそこから、日常的に活動する常任委員会(中央は「幹部会))と委員長が選出されます。事務所にいつもいるのは、だいたい「常任」の人です。
日本共産党は権力分立制を取っていないのでこういう言い方はしないのですが、最高機関は「議決機関」、常設の機関は「執行機関」と言い換えるとわかりやすいです。
図を見て頂ければわかるように、各級党会議は下位の党会議から段階を踏んで選出されます。従って、中央を選出するまでに多くの段階を踏むことになります。
間接選挙なうえ、選出の方法も特殊で、党員の意見が反映しにくい仕組みになっているのですが、ここでは触れません。
建前での「民主集中制」
日本共産党は、民主集中制をどのように定義しているのでしょうか。 第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
組織のルールを明示した「規約」の第三条に、そのものズバリの規定があります。
(一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
(二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
(三) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
(四) 党内に派閥・分派はつくらない。
(五) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。
大きな特徴は、決定されたことに対する「行動の統一」です。
政党の政策は、国民に対する約束ですから、同じ党なのに人によって言ってること・やってることが違ったらおかしいでしょう。そういう意味では、この規定は、理解できます。もし、この規定が理念通りに運用されていたなら、今起きている問題はなかったはずです。
運用がおかしい
私が指摘したいのは、実際の規約解釈・運用が、この理念を大きく外れ、事実上「議論の抑制」として使われている、ということです。
運用上の問題点1:「決める過程」の議論を封じる
規約上は「決定されたこと」の順守を求めていますが、実運用上は、その前の「決定する過程」で、言論の統制が行われています。 松竹氏が行っている党内に自らの同調者をつくろうという活動は、「党内に派閥・分派はつくらない」(第3条)と明記した規約に反する行動を行うよう、党員にけしかけるものであり、党外から、わが党の自律的ルールである規約を破壊する行為です
除名問題では、除名された松竹氏自身が、党規約55条に基づき、党大会で再審査を請求しました。そして、党員に賛同を呼び掛けました。
これに対し、党は、松竹氏による「処分反対を求める訴え」を、分派を呼び掛けるものと決めつけています。
松竹氏の呼びかけは、来る党大会に向けたものです。すなわち、「これから決めるための議論」であり、「すでに決まったこと」への反対を呼び掛けるのとは、まったく違います。(党大会は中央委員会の上位であり、中央委員会で決定しているから反対できない、ということはありません。)
決める過程で、特定の意見を述べることができないなら、民主的とはおよそ言えない「異論排除」そのものでしょう。
運用上の問題点2。「賛同を求める行為」を敵視
上述の文書で、もう一つ特徴的なのは、「賛同を求める行為」を分派扱いし、敵視しているということです。
言うまでもなく、民主的な議論では、誰もが自分の意見への同意を求めるものです。多数派を目指してそれぞれの意見を自由に述べてもらい、議論を尽くしたところで多数決で決める。このプロセスを「かく乱」呼ばわりするなど、民主主義の基本を理解していないことを露呈しています。政権を目指す政党としての資質を欠いていると言えます。
運用上の問題点3。会議外の議論を禁止
会議外で、支部の範囲を超えて自己の主張をすることも、「分派の呼びかけ」とみなされ、処分の対象となります。以下に実例を挙げますが、「党内での議論」が禁じられていることにご注目ください。
党内の言論統制を擁護する人は、「会議で自由に発言できる」から統制などない、党内の議論は自由だ、と主張します。しかし、会議で発言できることは当然であっても(後述のように、それさえ出来ていません)、それだけでは十分ではないでしょう。
これについては、支部とその上級とで、少し事情が違います。
支部では、規約上は週1回、現実には月2回とかが多いと思いますが、それくらいの頻度で会議を開いており、所属する党員だれでも参加できます。会議外の議論を禁じるのは不当ではありますが、意見を言う機会は、それなりにあります。
一方、地区・県の単位では、党会議(議決機関)は年1回で、しかも代議員に選出された人しか参加できません。ほとんどの党員は、この範囲では「党内で議論をすること」さえできません。
つまり、党内の議論は、ほとんど支部内で閉じてしまい、支部外には伝わらないということです。党の方針や運営に問題があっても、それを党内で共有することはできず、よその支部の党員が何を主張しているか、わからないのです。会議外で、支部を超えて意思疎通したら、上に引用したように「分派」扱いです。
2023年に除名された松竹伸幸氏について、何人もの党員が「党内で主張せず、いきなり党外で主張した」と批判しています。
実際には、松竹氏は支部内で発言を続けていました。支部での議論が党内で共有されないために、支部「外」の党員に見えなかった、ということです。松竹氏を批判する前に、党内の風通しの悪さを省みたほうが良いでしょう。
運用上の問題点4。会議でも恣意的な運用
会議でも、実際には発言さえ認めないことがあります。これも例を挙げます。
上に引用の例はいずれも、「問題点1」で述べた「決める過程での排除」であること、一党員のミスではなく、機関として取った対応であること、を付言しておきます。
仮に、発言できたとしても、時間は数分しかなく、機会として十分ではありません。これに対し、党機関の側は、発言者の順序を操作して反論を組織したり、討論の結語として別途に意見を述べられます。党機関に対し「異論を述べる側」が、著しく不利な状態なのです。
中央の大会議案については、これに対する意見が募集され、反対意見も含めて特別誌に掲載され、党内で販売されます。これ自体は議論の不足を補うものですが、一度きりの掲載であり、また紙面が限られることもあって、「自由な議論」とは程遠いものです。
有権者に嘘をつくべきでない
以上をみれば、日本共産党の意思決定の仕組みは、およそ民主的と呼べないことは明白です。「民主集中制」という自称は不適切であり、あえて定義するなら「強力な言論統制による上意下達」でしょう。
日本共産党は、党員の発言に制限を加える根拠として、自由な結社内のルールであること、具体的には「規約と綱領を認めて入党したものであり、不服があるなら離党できる」ことを主張しています。しかし、規約と異なる運用をしていては、この理屈は成立しません。
日本共産党は、党運営の非民主性を指摘した外部の声に率直に耳を傾けるべきです。嘘の説明で有権者を欺き、外からの批判を「攻撃」と描いて敵視するのは無謬主義そのものであり、どんなに言葉を連ねようと、有権者との距離は広がることでしょう。
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