P.S.彼女の世界は硬く冷たいのか? 作:へっくすん165e83
時間を止めたまま漏れ鍋がある通りまで戻ってきた私は、近くの路地裏に入り込む。
そして周囲に人目や監視カメラがないことを確かめると、時間停止を解除して通りへと戻った。
私はそのまま何食わぬ顔で漏れ鍋の中に入り、カウンターに腰掛ける。
カウンターの向かい側にいる魔女は私の姿を見て少し驚いていたようだが、すぐに笑顔で接客してきた。
「おはようお嬢ちゃん。何か食べるかい?」
「簡単な軽食と紅……いや、コーヒーをお願いします」
「はいよ」
魔女は快く返事をすると、かちゃかちゃと準備を始める。
私はその様子をぼんやりと見ながら今後のことについて思考を巡らせた。
誰がどのような理由であのようなことをしたのかはわからない。
あの孤児院が狙われる理由なんてあるのだろうか。
なんにしても、ひとまず今後の宿を探さないといけない。
マグルの世界のホテルなどは警察に見つかる可能性があるから論外として、魔法界で宿を取るか、誰かの家にお世話になるか。
去年ホームステイしたロンの家はどうだろう。
いや、確か今ロンは家族と共にアーサーが懸賞で当てたガリオン金貨を使ってエジプト旅行に行ってるはずだ。
だとしたらハーマイオニーの家はどうだろう。
いや、ダメだ。
両親がマグルなため生活環境もマグル寄りだろう。
確か両親とも歯科医だと言っていたため、家はマグルの街にあるはずだ。
そもそも選択肢になかったが、これでハリーのおじさんの家にお邪魔するという選択肢も消えた。
「だとしたらマルフォイ……いや、あそこの家は今それどころじゃないか」
確かドラコの父のルシウス・マルフォイは数ヶ月前にホグワーツの理事を追われていたはずだ。
だとしたらこのタイミングでその騒動の真っ只中にいた私は歓迎されないだろう。
私はマーリン基金の金貨の入った小袋を取り出し、中身を確認する。
昨日グリンゴッツで補充してきたばかりなので、中身に関しては元の二百枚からほぼ減っていない。
魔法界の宿の相場がどの程度かはわからないが、贅沢しなければ夏休みの間ぐらいなら宿に泊まることは出来るだろう。
「はいよ。サンドイッチとコーヒーね」
そうしているうちに、私の目の前に頼んでいた軽食が差し出された。
あのような光景を見てすぐに食欲など湧くはずもないが、体は栄養を欲している。
私はサンドイッチを手に取ると、コーヒーで流し込むようにしながら胃の中に詰め込んだ。
「ご馳走でした。それとなんですが、ダイアゴン横丁に泊まれる場所ってありますか?」
私はカウンターの魔女に五シックル手渡しながらそう尋ねる。
魔女は少し考えた後答えた。
「そうねぇ。ここの上にも泊まれるし、結構高くなるけどグリンゴッツの近くにホテルがあったはずだわ」
「ちなみに、ここの一日の宿泊費は……」
「一日十シックルよ」
思った以上に高くはない。
そしてここより結構高いということは、グリンゴッツ近くのホテルはマグルのホテルと同じぐらい金がかかると考えた方がいいだろう。
「じゃあ、ここに宿を取ろうと思います」
「ええ、大丈夫よ。いつまでの予定?」
「夏休みの終わりまでなんで……八月末まででしょうか」
私がそういうと、魔女は驚いたような顔をした。
「そんなに? 別に泊まるのはいいけど……貴方お家は? 親御さんが心配しないかしら」
「大丈夫です」
「……そう、わかったわ。店主には私から言っておいてあげる。宿泊費は……そうねぇ。最後にまとめてでいいわ」
「ありがとうございます。昨日泊まった部屋にそのまま泊まる感じで大丈夫ですか?」
魔女はカウンターの下から簿冊を取り出すと、部屋の状況を確認し始める。
「ええ、大丈夫みたい。もしかしたら何かの理由で何処かの部屋に移動してもらうことになるかもしれないけど……」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
私は魔女に頭を下げると、階段を上り今朝まで寝ていた部屋にもう一度入る。
そして改めて室内を見回した。
「取り敢えず、一ヶ月はここが家ね」
私は力尽きるようにベッドに横になる。
これから先のことを色々と考えないといけないが、今だけは何も考えずにこうしていたい。
私は靴を放り出し、枕を抱えるようにしてベッドの上でうずくまった。
孤児院が襲われた次の日の朝、私は朝食を取りにパブの方へ下りてきていた。
昨日は一日中部屋の中で考えていたが、故人への想いと今後の不安が堂々巡りするだけで、いまいち考えはまとまらない。
一体誰が、なんの目的であんなことをしたのだろうか。
いや、犯人の目星は付いている。
シリウス・ブラック。
アズカバンから脱獄したという殺人鬼だ。
タイミング的に、奴がみんなを殺した可能性が非常に高い。
「……私の前に現れたら首を掻っ切って殺してやる」
私はボソリと呟くと、昨日と同じようにカウンターにある高い椅子によじ登った。
「おはようございます……って、バーテンダーさん今日は早いんですね」
私がカウンターの向かい側を見ると、いつも夜の時間にバーテンダーをしている男性が立っていた。
「バーテンダーか……まあバーテンでもあるんだが、今の私は漏れ鍋の店主だ。まあ気さくにトムとでも呼んどくれ」
バーテンダーの姿の彼しか見たことがなかったが、どうやらここの店主らしい。
「何にしても、デイジーから話は聞いた。夏休みの間うちに泊まるんだってな。言っとくが、宿代がタダなのは昨日だけだぞ?」
「そんなこと言わずにタダにしてくれてもいいのに」
「はっはっは。うちも商売なもんでね。まあ店の手伝いをするならその限りじゃないが……」
トムは冗談混じりにそう言うが、案外悪くない提案かもしれない。
どうせ夏休みが終わるまで暇なのだ。
ダイアゴン横丁を散策するにしても限度があるし、学校で出された宿題なんてとうの昔に終わっている。
やることと言ったら、私が殺したロックハートから借りた本を読むぐらいしかない。
それならば暇つぶしがてらパブを手伝うのも全然アリだ。
「それじゃあ、それでお願いします」
「『それで』って、うちの手伝いをするってことか?」
「はい。どうせあと一ヶ月は暇ですし、それで宿代がタダになるなら」
トムは一瞬キョトンとしたが、すぐに笑顔で答えた。
「嬢ちゃんみたいな可愛い子がウェイトレスやってくれたらうちは大繁盛だろうよ! それなら住み込み待遇として三食宿付きで給料まで出すぜ」
「ほんとですか! お小遣い少ないので助かります!」
嘘だ。
そもそも私が持っているお金は全て借り物で、正確には私のお金と呼べるものは何一つない。
マーリン基金自体返す必要こそないが、人から無償で恵んで貰ったお金であることに変わりはない。
だとしたら、心置きなく自分の好きに使えるお金を少しは作っておいたほうがいいだろう。
「さてさて……うちの制服にサイズが合うものがあるかな。まあ合わなかったら魔法で小さくすればいいか」
トムは飛ぶように店の奥へと走っていくと、五分もかからずカウンターへと戻ってくる。
手には真っ白なシャツと黒のベスト、そして黒パンツを持っていた。
私はその服を見て少し胸を撫で下ろす。
今までの会話からトムが変態趣味を持っていなさそうだとは感じていたが、フリフリの可愛らしいエプロンドレスを着させられる可能性は十分あったためだ。
「もっと可愛らしいのが有ればよかったんだが、生憎こういう堅苦しいのしかなくてな。どれ、サイズを合わせてみてくれ」
私は制服を受け取ると、階段を上って一度自分の借りている部屋に戻る。
そしていそいそと制服に着替え、部屋に置いてあった姿見の前に立った。
「……悪くないわね」
トムの見立ては完璧で、制服はジャストサイズだ。
十三歳の平均身長よりいくらか小さい私だが、シャツやベストがダブつくことはない。
私は元々履いていたボロのスニーカーを脱ぎ、ホグワーツの制服用の革靴に履き替える。
そしておかしなところが無いかを確認したのち、部屋を出て一階へと戻った。
「どうです?」
私はトムのところへ戻ると、腰に手を当てて胸を張る。
トムは私のベストの襟を少しだけ正すと満足そうに頷いた。
「うん、完璧だ。っと、そういえばまだ嬢ちゃんの名前を聞いていなかったな」
確かに、まだ名乗っていなかった気がする。
私は背筋を正すと、わざとらしくお辞儀をして名乗った。
「サクヤ・ホワイトです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしくな。それじゃあ早速仕事に取り掛かってもらおうか……」
トムはヘッヘッヘと悪党のような笑顔を作ると、台拭きを濡らして私に手渡してくる。
「それじゃあ、まずは机を拭いてくれ」
「かしこまりました!」
私は小さく敬礼を返し、台拭き片手にテーブルに張り付く。
まあ、私ぐらいの歳の少女に任せられる仕事なんてたかが知れてる。
孤児院でいつもやってることの延長程度のことしか任せられないだろう。
私が奥から順番にテーブルを拭いていると窓の外に一羽のフクロウが舞い降りる。
どうやら新聞配達のフクロウのようで、足には丸められた新聞を掴んでいた。
「おっと、はいはいお待ちを」
トムは窓を開けてフクロウを店の中に入れると、フクロウの足に取り付けられている革袋にクヌート銅貨を何枚か入れる。
フクロウはそれを確認すると、新聞を店の中に落とし、用は済んだと言わんばかりに飛び去っていった。
「新聞だよ。毎朝こんな感じで届けてくれる。フクロウが来たら足についてる革袋に5クヌート入れてくれ」
そういえば、ホグワーツでも新聞を購読している生徒が少なからずいたことを思い出す。
私はテーブルを拭く手を止めると、トムが広げている新聞を覗き込んだ。
『シリウス・ブラック マグルの孤児院を襲撃』
顔から血の気が引いていくのを感じる。
新聞には薄汚れた黒髪の男性が牢屋の中で叫んでいる写真が掲載されていた。
『昨日、ロンドン警視庁(マグルの治安維持組織)からの協力依頼を受けて魔法省の闇祓い数名がロンドンにある孤児院に捜査に出向いた。孤児院の中では職員児童含め三十二人のマグルが殺害されており、闇払い局は捜査の結果シリウス・ブラックの犯行であると断定。また、被害者や現場に魔法の痕跡はまるでなく、ブラックは魔法を使わずあえて刃物のようなもので被害者を切りつけたと見て捜査を進めている。この事件に対し闇祓い局長であるルーファス・スクリムジョールは「殺され方から見るに、ブラックは自らの快楽のために殺人を犯している可能性が非常に高い。ブラックは非常に危険で凶悪な殺人鬼だ。明日にでもやつをアズカバンに連れ戻す」とのコメントを記者に残した』
「ブラックがロンドンに……ていうか、うちの店の近くじゃねえか?」
トムは新聞を読みながら顔を顰める。
私はもう一度記事を読み返し、ある違和感に気がついた。
この記事には私のことが一切書かれていない。
もしかしたら、魔法省は私がここの孤児院で暮らしていたということを認識していないのかもしれない。
私は胸を撫で下ろし、テーブルを拭く作業に戻る。
まあ、私がその孤児院で暮らしていたということは遅かれ早かれバレることではあるだろう。
マクゴナガルやロン、それにロンのお父さんは私の孤児院まで来たことがあるし、ハリーやハーマイオニーも私が孤児院で暮らしていると知っている。
だとしたら行方不明になったと大騒ぎになる前にこちらから手紙の一つでも送るべきだ。
送るべきなのだが……どうにも気が進まなかった。
「こりゃやべぇな……せっかくサクヤがホールに入ってくれるのに、客足が遠のいちまう」
トムはぶつくさ言いながらカウンターの方に向かい、カチャカチャと料理の仕込みを始める。
私は最後のテーブルを拭き終わると、最後にカウンターを拭いてトムのもとへと戻った。
「テーブル拭き終わりました」
「おう、ありがとな。そしたら次はお使いに……いや、このご時世じゃ危険か?」
トムは新聞の記事をチラリと見ながら悩み始める。
「ダイアゴン横丁ならよっぽど大丈夫だと思いますよ。流石のシリウス・ブラックも白昼堂々ダイアゴン横丁の表通りで人を襲ったりしないでしょうし」
「そうなんだがなぁ……まあ、心配しすぎか。でも、絶対にノクターン横丁には近づくんじゃねえぞ?」
トムは羊皮紙に羽ペンを走らせ買うもののリストを作ると、私にそれを手渡してくる。
その後、私にガリオン金貨を三枚握らせた。
「こんだけ有れば足りる筈だ。お釣りは好きに使っていい。ただ、昼過ぎまでには帰ってきてくれ」
私は渡されたメモを見ながらコクリと頷く。
メモには腐りやすい食材がいくつかと、調味料がいくつか書かれていた。
「じゃあ、気をつけて行くんだぞ」
「わかりました」
私は一度借りている部屋に戻り、鞄の中からローブを取り出す。
そしてパブの制服の上からローブを羽織ると、鞄片手にパブの中庭へと出た。
私は中庭の奥のレンガの壁の前まで行くと、ゴミ箱の上から三番目のレンガを杖でつつく。
すると、みるみるうちにレンガはアーチ状に広がっていき、ダイアゴン横丁への入り口を作り出した。
家から近いということもあり見慣れた光景ではあるが、この夏は嫌になるほど出入りすることになるんだろう。
魔法界で暮らし、魔法界で働く。
私はもう、マグルの世界には戻れない。
「私はもう、魔法界に平穏を見出すしかないのか」
私はそう呟くと、ダイアゴン横丁に足を踏み入れた。
設定や用語解説
ウィーズリー家のエジプト旅行
ロンの父であるアーサーが日刊予言者新聞のガリオンくじグランプリで七百ガリオンを当てたため実現した旅行。
ハーマイオニーの両親
二人ともマグルであり、二人とも歯医者。
ルシウス・マルフォイ
他の理事を脅迫したことや、ダンブルドアを不当に停職させたことで理事会を追放された。
デイジー
ぽっとでのモブキャラ。モデルは映画に出てきた漏れ鍋の清掃員。
十三歳に仕事をさせるバーテンのトム
マグルの世界では論外だが、魔法界では割と普通。トム自身もデイジーからサクヤのことを家出少女か何かだと思うと聞いていたため、住み込みで働くことを提案した。
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