渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

剣の心得

2021年12月20日 | open


「観の目強く、見の目弱く」
剣士ならば常識たる遠山の目付け。
この画像は先の全日本大会優勝者、
日本一の剣士の目。
こりゃ飲み会での目(笑
まあ、刀抜く時は、この人は武蔵
五輪書に書かれているのと同じく
目を細めて眉間を締め、穏やか
なるも凛とした目で抜いてます。

剣士の抜刀斬撃の時は歌舞伎みた
いな顔は駄目。
そんな顔はかつていにしえの江戸
期の有力剣士は誰も教えてません。
スーッと澄んだ面持ちにて、顔色
一つ変えずに抜いて斬る。
しかし、眼光のみは鋭い。
抜き即斬、はそれです。
現代でも、できる士は皆それをやっ
ている。

そのあたり、外国人とまるっきり
違いますよね。
外国人はなんというか、戦闘ナイフ
を構えても、ガオーとかギャオー
とかみたいな顔をして威嚇してる
のが大好きで。
あれ、日本人の剣術遣いからした
らマンガにしか見えなくて、です
ね(笑
肉弾戦闘でも日本人は顔色一つ
変えない敵のほうが恐ろしく感
じる。殺気を感じさせないのが
一番怖いし、警戒する。
歌舞伎の顔なんてのは、もうほん
にあれは芝居そのものでして。

そして、対峙した剣戟の場合は、
「外連味(けれんみ)」というのを
見せたら負けます。
ほんのちょっとした顔の筋肉の
動き、手の筋の動きで初動が事前
に判ってしまう。
できる剣士というのはメンタリスト
のようなもので、それを見逃さず
に次の動きが的確に予測できます。
剣でのやりとりは徹底したポーカー
フェイスでないと確実に負ける。
それが証拠には、高校生あたりま
での若年の剣道では、未熟者は
打ち込む前に目の瞼が開きます。
それから発声をして打ち込んで来る。
時間的にはコンマ秒の世界ですが、
動きが読めるのでこちらは絶対に
負けない。
しかし、これが練達者になって
くるとそうはいかない。
一刀流系の鶺鴒の剣先の動きをし
ていても相手は面持ちも崩さず
一切の隙がない。
無論、外人系のガオー、ギャオー
の顔などしません。日本人剣士の
それとなる。
こうなると、剣戟は勝ちの利を得
るのは非常に険しくなる。

そして、刀を抜いてから合わせるの
ではなく、納刀状態から居て合わ
せる抜刀術というのは、現代戦闘
ではいわばCQBであるのだけど、
その初動が相手に読まれたらアウト
なんですよ。
だから、平時となんら変わらない
ところからスッと抜く。
抜き付けながら斬る。構えてから
斬撃するのではなく、最初から斬
る。抜刀=斬撃で斬る。

この平常状態からの瞬時の動きは
一切力を使わない。筋肉をこわば
らせてから動く、という事をしない。
これ、武術の根幹でして、これに
より相手を腕力ではなく下に落と
し伏せる事もできるし、倒れさす
事もできる。
武技というのはオートバイの走行
理論と同じく、すべて物理現象を
いかに効率よく利用するかですの
で、腕力まかせのガオー、ギャオー
のこけおどしは全く通用しないん
です。

この平常状態からの瞬速展開とい
う武芸の根幹の要諦は、現代スポ
ーツでも大いに活用できる。
私は中学の時はバスケの選手でし
たが、そのスタートダッシュでは
「膝抜き」をする事でディフェンス
を抜いてカットインできる。動き
を察知させずに瞬時に速力を出せ
るから。
ポジションはパワーフォワードで
したが、インサイドにもどんどん
切り込んだ。
中学の大会で1試合の私が決めた得
点数が26点になった事もある。
まあ、パス回しのキャプテンの背
番号4番や45度が良いパス出して
くれる職人技だったからというの
もありますが。
要は、ダッシュは武芸の身体使い
を援用していた。

その身体の使い方を後年娘に教え
たのね。剣道で。
そしたら勝つ、勝つ。
広島県代表で2年連続北の丸の武道
館の全国大会に出場してた。
でも全国大会はさすがにツワモノ
が揃っているようで、全日本では
ポコンポコンに負けたみたいだけ
ど(笑
剣道で県代表で2年連続で全国大会
に出られた事は、あの子にとっても
よい経験になったと思う。
昇段試験の日本剣道形は個別自宅
学習として私が稽古をつけた。
一人の形稽古では真剣を持たせた。
木刀では駄目。刃筋が判らないか
ら。
真剣を用いて、どの切りおろし
でも同じ刃音がなるように手ほど
きした。文字通り手を取り手直し
しながら。
模擬刀ではなく真剣を待たせた。
また、刃筋の狂いと手のブレを無
くすためには真剣拵に入れた木製
のツナギを振らせた。
これ思いっきり振って、一切左右
にブレさせず、止めた時にもビヨ
ヨ〜ンとさせないようにするのは
かなりむつかしい。
しかし、やり方を知ればできる。
武芸の根元を思い出すのだ。
それは「力」を使わない事。
そこに刀術の理があり、また武術
の幹がある。
ガオー、ギャオーは駄目なのだ。

この記事についてブログを書く
« 花押(かおう) | トップ | 世界王者の教え »