松本人志氏問題を元週刊誌記者が真剣に考察してみた
「週刊文春」記事の衝撃
ダウンタウン松本人志のスキャンダルが大きな話題となっています。大御所タレントが活動休止に追い込まれる事態となり、スキャンダルの推移とともにトラブルの行方が世間の注目を集めているなかで、元週刊誌記者として同問題について考察をしてみたいと思います。
まず昨年末、YouTubeLIVEで予想した通り、新年になって週刊文春文春の第二弾記事が出ました。
記事は『松本人志「SEX上納システム」3人の女性が新証言《恐怖のスイートルームは大阪、福岡でも》』というタイトルです。女性調達役がスピードワゴン小沢一敬氏だけではなく、吉本興業の後輩芸人もそうだったということをレポートしている内容です。
詳しくは下記記事を読んで頂ければと思います。
文春のリードにはこう書かれています。
『 後輩芸人が自身の立身出世のため、松本人志に女性を“献上”するSEX上納システム。女性を“モノ扱い”するかのような所業は長年にわたり、恒常的に行われてきた。前号で告発した2人に続き、新たに3人の女性が自らの体験を明かす』
『SEX上納システム』というのは強烈な言葉です。松本氏とその周辺が女性の人権を軽んじた行動をしていた、と記者が感じたからこの言葉が使用されたのではないかと思います。女性にとっては極めて不快な言葉だと思いますし、「性的虐待」と書くほうが適切であるという意見もあります。飲み会のなかで、女性が不本意な形で性的な関係を持ったということがあれば、それは性的虐待と表現するほうが良いのではないか、という意見にも個人的には同意します。当原稿ではSEX上納システムという言葉を不快に感じる方もいると思うので、以下「問題の飲み会」「問題飲み会」という表現で原稿を進めていきたいと思います。
「古い話」なのか!?
週刊文春の第一弾記事は2015年の事柄でした。「古い話をいまさら」と感じる人もいるかもしれませんが、いま話す理由が僕はあったと思っています。
どういうことかと言うと、2015年時点では僕は週刊誌記者でした。その時点の僕が現代的な問題意識に敏感だったのかというと、正直に言うとそうでもなかったと思います。
僕は芸能人とよく飲み会をしていた知人の港区女子に、「赤石さんに言ってないけど、本当は辛いこともけっこうあったんだよ」と言われたことがあります。今思えば「問題飲み会」のようなことが彼女にもあった、ということだったかもしれない。そして同じような「問題飲み会」トラブルがあちこちで起きていたということだったのではないか? とも思い返します。
現代的な問題意識があれば、「どう辛かったの?」と掘り下げて取材にすべき示唆です。
しかし、当時の僕は「付き合った、別れた」レベルの話かなと聞き流してしまっていたのです。。想像力というのは、記者にとって重要な資質の一つです。その意味では僕は本当に残念で、感覚の鈍い記者だったかもしれません。
僕自身の話として正直に言えば、こうした問題をどう考えるべきかということが整理されたのが、慰安婦問題の取材と、昨年のジャニーズ事務所の性加害問題を経験してからでした。とくに昨年、です。
BBCの報道をきっかけとして性加害の深刻さ、被害を訴えることの難しさを僕は改めて知りました。おそらくは、メディアの多くの人も同じように改めて考えたのではないかと想像します。
強者が弱者を捕食するという意味で、BBCはジャニー喜多川氏を「プレデター(捕食者)」と表現しました。日本でも強者が弱者を喰い物にするということが、世界的な価値化ではアウトであるということを改めて認識することになったのです。もっと掘り下げて言えば、メディアもまだまだ男性社会であるというなかで、女性の立場ということへの理解が男性記者には浅いところがあった。
実際、僕自身もそうだったと思います。しかし、ジャニーズ問題を取材する過程で、男性被害者の声を聞いて、問題を我が事のようにより感じられた部分が正直ありました。弱い立場であればトラウマを抱えることになる。男性もそうだし、それ以上に女性も同問題で苦しむ人が多いということを再認識した。
恥ずかしながら何となくは理解していたつもりでしたが、僕個人が時代遅れであるという反省も感じたし、記者としての問題意識を整理することになったのが2023年でした。
だから、8年前のことを今更ではないと僕は思っています。
ジャニーズ問題で揺れた2023年という年だったからこそ、「問題飲み会」を勇気を出して告発する環境が揃ったということが、僕は言えるのではないかと考えています。
対応の変化を考察
問題は過去であろうと直近であろうと変わらない。
文春の第二弾記事では「2019年、大阪リッツカールトン」での出来事が書かれています。つまり第二弾の記事は、過去の話ではないということを記者が意地と尊厳をかけて明らかにしたということではないかと僕は考えています。
今回の記事で、より慌てたのが吉本興業だったと僕は分析しています。第一弾記事では、吉本興業は12月27日週刊文春の発売日、ーーその前日の26日には文春オンラインで松本氏の疑惑が既に報じられているなかーー、27日に吉本興業が「事実無根」というコメントを発表していました。
ところが今回は違った。
ご存知のように1月8日月曜日に吉本興業は松本氏の活動休止を発表しました。週刊文春の第二弾記事の発売は1月10日、オンライン速報記事は一日前の9日に出たはずです。つまり、記事が出る前に吉本興業が休業を発表したことになります。第一弾記事とは違い、迅速に動いたことが示唆されているのです。
「問題飲み会」について文春は1月7~8日にかけて吉本興業サイドに当て取材を行っています。1月7日には黒瀬氏に直撃をしており、同日もしくは8日までに吉本興業に文春の当て取材が行っているいるはずです。そこで吉本は真っ青になったのではないかと想像します。
どういうことかというと、この展開はフライデーが報じた吉本興業芸人の闇営業問題と近い展開になる可能性があるからです。闇営業問題では吉本興業の対応が後手後手となり、様々な疑惑が噴出しました。会社も追い込まれ社長が記者会見をせざる得なくなった、というのが闇営業問題の展開でした。
松本氏の問題も当初はスピードワゴン小沢氏の飲み会、という単発スキャンダルかと考えたのだと思います。吉本興業は「事実無根」「法的措置」と強気の対応に出た。ところが第二弾の文春からの当て内容を見ると、どうやら全国各地で吉本芸人たちが松本氏と「問題飲み会」をしていたと書かれるらしいということがわかった。
松本氏が独身時代から後輩芸人とオンナ漁りをしていたというのは公然の秘密でした。僕がフライデー編集部にいたときから話は聞いており、実際に下記のような記事もたくさん出ている。改めて読むと、やはりどうかと思う行動内容も多々ありますね、、、。
松本氏のことをよく知っている吉本興業側が、今後どれだけ「問題飲み会」の話が出てくるかわからない、と考えても不思議ではないのです。つまり闇営業問題の悪夢がよぎったのではないか、と僕は想像します。
松本氏のブレ
そもそも裁判に集中するために活動休止、なんて聞いたことがありません。
裁判に臨むにあたって松本氏がやれることは陳述書をつくるくらいで、それほど多くない。陳述書は2~3日あれば出来るもので、その他の準備書面などは当然のように弁護士が作るわけです。
例えば僕たちもよく記事で裁判になりますが、だいたい通常業務を行いながら裁判資料を作成したり、出廷したりする。忙しくなるので困ることではあるのですが、十分に並列してこなすことが出来る。何が言いたいのかというと、活動休止の理由が裁判に集中するため、というのは本当なのか? という疑問を抱かざる得ないのです。
第一弾記事での対応は失敗だったといえるでしょう。吉本興業は「当該事実は一切ない」とコメントし記事を全否定したのです。
ところが年が明けた1月5日、「週刊女性PRIME」が「松本人志の性加害疑惑を告発した女性『本当に素敵で…』『最後までとても優しくて』会合終わりにスピードワゴン小沢に送っていた“お礼メッセージ”」と題した記事を掲載。その記事を受け、松本は同日、Xに〈とうとう出たね。。。〉と投稿したのです。ここで「当該事実は一切ない」と啖呵を切った吉本興業と、松本氏の足並みが乱れてしまったわけです。
御礼メッセージを松本氏が事実上認めたことで、小沢氏のハイアット会は実在していたことになった。
文春記事でもこう書かれています。 「小沢さんは自身とA子さんしか入手できないLINEのスクリーンショットを芸人仲間に横流し。松本さんは『これを公開すればええやん』などと息巻いていた。松本さんはXに投稿することで飲み会の存在自体を暗に認め、結果的に吉本のコメントと矛盾が生じてしまった」(吉本関係者、小沢の所属事務所はLINEの流出、拡散の事実を否定)
松本氏は20年8月に放送されたバラエティ番組『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)で、『もし不倫報道が出たらどうするか?』と質問されこう答えているんですね。
『全部その通りです』と、記事の内容を潔く認めると。その意図としては、あっさり認めてしまうことで文春側もやりようがなくなってしまうと語っていたのです。
当時、この松本発言は『カッコいい』と称賛されていたのですが、現実としては第一弾のときに松本氏は「記憶にない」とか「証拠見せてよ」と答えるのが精一杯だった。刑事は容疑者の視線の泳ぎ、鼻のピクつきなど肉体反応をみて追及すると言われてますが、松本氏のポストも二転三転する内容が投稿されブレまくりでした。何らかの動揺があったのではないか、と見られても仕方がないと考えられます。
霜月るな証言衝撃
3月15日発売の週刊文春では、『松本人志 vs. 告発女性「すべての疑問に答える」』という特集をやっています。3月28日から裁判が始まるというなかでの記事です。詳しい内容はぜひ、文春を読んで頂ください。
リッツカールトン大阪の件が吉本興行を震撼させたことは前述しましたが、こんどは文春に対する反証が出てきました。霜月るなさん証言です。霜月さん証言はネット世論を変えたとも評されています。
霜月さんは「松本人志さんの件について私はあんな嘘だらけの記事の内容に対して許せないから書きます」という言葉で始まるツィートは膨大なインプレッション、いいねを獲得し話題になったのです。内容は皆さんご存知だと思うので割愛しますが、文春記事とは逆の証言をしています。
この証言をどう読むか。3つポイントから考察してみたいと思います。
① 真実相当性はどうか?
霜月証言には2つの見方があると思います。真実なので怒りでポストした。また、松本人志さんたむけんを助けたくてポストした、という2つの見方です
霜月さん発言は尊重するとして、その中身を第三者の目線で証言をチェックする必要があるかなと記者としては思います。文春側の証言者に対しても、記者はその言葉を鵜呑みにはせずにWチェック、真実相当性のチェックをしているはずです。ポストの限定的なコメントのみでは、まだ足りない部分もあるんですね。霜月さんは楽しかったけど、他の人もそうだったのか。たむけんの言うように性目的ではないとして、そこでは何もなかったのか。確認すべきポイントがいくつもありと思います。
文春の取材を彼女が受けるならベストですが、嫌でしょうから。他社でもよいので記者の取材を受けたほうが個人的には良いかなと思います。証言に客観的な視点を入れることは重要なポントですよね。
② なぜいまポストをしたのか?
松本人志さんが裁判に専念するために休業しました。そこで霜月さんのポストが出てきたわけですが、なぜ記事が出てから一か月あまり時間が経過してポストをしたのかが気になるポイントですよね。
裁判の一環でポストをしたのか、もしくは単純に怒りが沸いてポストをしたのか背景が気になるところです。もちろん一か月悩んだ末というご本人の言葉もあるので、そのとおりだと理解することも出来ます。遅れたポストを否定するわけではなく、もっと詳細に背景と事実関係を語ってくれないと判断が難しいと思っただけです。
③ 証言は松本氏のシロを証明するものなのか?
橋下徹さんは文春の取材不足、真実相当性が揺らぐ証言だと評価してますが、果たしてどうでしょうか。霜月さんのポストと週刊文春の記事を照合してみると、16年夏元グラビアアイドルが証言した飲み会が霜月さんの飲み会だと思われます。
この飲み会の記述を改めて確認すると、この飲み会に描写には「たむけんタイム」も「携帯没収」も出てこないんですね。一点だけ違うのは、霜月さんが楽しいと感じた飲み会を、J子さんは「妖しい雰囲気をつくるシステムを感じた」と言うところくらい。大きな事実の食い違いは見受けられないので、橋下さんが言う取材不足という指摘はあたらないんじゃないかと思うのです。
もう1つ気になるのは、これはデイリー新潮でも指摘されていましたが、松本人志さんの裁判の対象記事が東京ハイアットでの記事だということです。つまり大阪リッツカールトンでの霜月さんの証言は、ハイアット記事とは直接関係ない。つまりハイアットでの加害が争点になるなら、訴外の話となる可能性があるわけです。
弁護士サイドとしては、霜月さんに証言台に立ってもらい文春の連続記事の真実相当性に疑義を投げかけるというシナリオを考えたいところですが、先ほどの理由からシナリオは不透明ですよね。以前の動画では、言った言わない議論になりやすい“たむけんタイム”が裁判での争点になるかもと話しましたが、そうなると「この飲み会ではあった」「この飲み会ではなかった」という議論になる可能性もあり、裁判のあるべき論点とはずれてくる。
証言台に立つ起こること
僕も名誉棄損裁判の証言台に立ったことがあります。まず、「真実をお話します」と宣誓をします。松本人志さんの弁護士から質問を受けて、その後、文春側の弁護士から質問を受けます。裁判長などから質問を受ける場合もあります。つまり3方向から証言にブレや矛盾がないかを見られます。おそらく文春側も証言台に立つ人を用意するはずです。記者もしくは被害者女性になるものと思われます。
文春記者も厳しく追及されるし、文春側は最終的には松本人志さんもしくは小沢さんに証言に立つよう要請することになると思います。
霜月さんは「なんなら出廷しましょうか?」ともポストしているので、いずれにしても証言台に立つということであれば裁判への注目度は更に増すものと思われます。
法律なのか記者なのか
もう1つ注目されたのが、文藝春秋の新谷学氏のリハック発言でした。僕たちの元上司です。
新谷さんは松本問題を警察は『100%無理ですよ。事件には絶対ならないよ』と発言し、「事件にはなかなかしづらいけれど、われわれからしてみると、警察に事件にすることができないならば、彼女は泣き寝入りしなければいけないのか?と言えば、そのことはないよなと思っていて」とコメントしたんですね。 「われわれは捜査機関でもなんでもありませんから、警察と同じような、条件が全て整わなければ記事にならないわけではないので」と、掲載に踏み切った経緯も口にした。このコメントに賛否両論が出ているようです。週刊誌記者ならこのコメントには納得がいくのですが、その理由についてお話したいと思います。
「記者は法律家ではない」。これは僕がフライデー記者になったばかりのころに先輩記者から言われたのですが、週刊誌は判例集を作っている訳ではないんですね。例え法律では裁けないとしても、おかしいことを、おかしいと言うことがメディアの役割の1つです。
記者というのは、裁く仕事ではなく「疑問を提示」する仕事だと思います。例えばパー券裏金問題で、事務担当だけが立件されました。幹部は無罪放免です。取材した記者なら知っていると思いますが、立件された事務担当者はとても慎ましい生活をしていて、家などを見たら『彼は絶対、私腹を肥やしていない』と思った記者は多い。じゃあ事務担当が巨悪だったのかと言えば、瑕疵はあったにせよ、裏金を何に使ったかも明細を出さない議員のほうが悪質だったのではないか? という疑念をメディアは言いつつづけなければいけない。当局はそれでいいのか? 法律が変じゃないのか? 木原事件もそうですよね。日本のシステムに死角はないか、問うのもメディアの役割だと思います。松本人志さん報道も同じだと思います。週刊誌にしか出来ない仕事であるはずだし、泣き寝入りでいいのかという問題提起はあってしかるべきだと思います。
週刊誌とは逆の立場で考えてみる
これまでは元週刊誌記者という視点で徒然に論じてきました。この項では報じられる芸能人側で考えるてみたいと思います。
もし僕が芸能事務所側だとして考えると、スキャンダル対策で肝要となるのは、「防衛ラインをどこで引くか」、「下交渉」の2点となります。以下に説明をします。
① 防衛ラインをどこに引くか。
これはかなり高度なテクニックになるのですが、もし記事を否定したいなら必ず考えないといけないことです。防衛ラインを引くという意味は、ここまでは事実だと認めるが、ここから先は認めないというラインを決めるということです。政治家が上手いのですが、例えばパー券問題で、会計責任者がやったことで自分は知らなかったということを言い張る、というのが防衛ラインです。防衛ラインを守るためには、完璧な口裏合わせが必要です。実は政治家も知っていたとなると、政治家まで捜査の手が及ぶことになるわけですから防衛ラインというのは生命線となるわけです。
②→下交渉
これはどういうことかというと、事務所側に取材がくるわけですから、記者とあってどこまで報道するのか感触を掴むなり、落としどころを探る動きをすべきということです。例えばどんなケースがあったのかは、後ほどお話します。
まず防衛ラインの話をすると、松本人志氏はスキャンダル対策で失敗しまくっている訳です。
最初の防衛ラインは「事実無根」でした。しかし、事務所は小沢に関し、「一部週刊誌の報道にあるような、特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」と疑惑を否定したが、飲み会はあったのか? など防衛ラインが曖昧になった。
更に第二弾記事が出たときに、アテンダーとされたたむけんが飲み会があったことについては「これは事実です。ありました」と認め、「ただ記事に書かれているようなことを目的としたものではなく合コン、飲み会的な感覚だった」と言い始めるワケです。
もし松本人志が文春記事は「でっちあげ」だったと言いたかったとするとマズイ展開でした。飲み会はあった→女性もいた、ということを後輩が証言してしまったので、「性目的ではなかった」あるいは「加害はなかった」というところまで防衛ラインがズルズ後退してしまった訳で、世間の心証がすこぶる悪い。
少なくとも不倫確定なのかという雰囲気のまま、それ以上の事柄があったら大変だとテレビやスポンサーが逃げ出してしまうのは必然なわけです。
さらに悪手だったのが、これは僕が批判されるかもしれませんが、霜月るなさん証言だったと思います。たむけんは号泣マークで感謝をしていましたが、松本人志擁護のはずが、前述のようにかえって文春記事は正確だったということを証明してしまう形になったわけです。一方で、飲み会にいた銀行員女性はどうなったかに言及しないという語られていない側面も垣間見えて、松ちゃんファンは溜飲が下がったかもしれませんが、真実相当性の議論においてはかなりマイナスだったのではないかと思います。
芸人さんや関係者が発言するたびに、松ちゃんの弁護士は頭を抱えるいるのではないでしょうか。たむけんさんも、小沢さんも「恥じることない」コメントも含めて、極めて感情的に発信をしているだけなのです。
週刊文春が誤報であったという証明にならない発信ばかりが現時点でされているわけです。このなかで、裁判で証言台に立って弁護士の反対尋問に耐えうる人がいるのか? と僕が弁護士なら思います。
もし僕が似たような事案で相談を受けたとしたら防衛ラインをどこに引くのか。一般論として言えることとしては胸に手を当てて真実を述べて謝罪したほうが傷は浅かったと思います。
そこで2つ目の「下交渉」となります。これは同僚記者から聞いた話ですが、なるほどと思ったのでここで紹介いたします。某芸能事務所のタレントが犯罪に問われかねないことを起こしていた。記事にもなった。そのとき芸能事務所はこんな動きをしたんですね。いち早く被害者のところに言って謝罪をし、誠意を見せて示談にしたのです。示談してお金を払えばいい、ということではありません。謝罪をし、誠意を見せたうえでの、「本人にも謝らせたい」と語ったという真摯な姿勢がまず必要なのだなと僕は理解します。
例えば傷害事件があったとして、殴った、殴らない論争が起きたとします。仮に小突いたことが事実とあった場合として話を進めます。殴ったとされた方が「申し訳ない。やりすぎたかもしれない。感情的になってしまったことは謝罪したい」と虎屋の羊羹を持ってきたとしたら、重症を負ってない被害者、少し傷んだ程度の被害者であれば「頭をあげてください。僕の態度も悪かったかもしれません」と返答することもあり得る。逆に「俺は指一本さわっていない」と加害者側が強弁したら、被害者は暴行を受けたと警察に行くでしょう。
話を戻しましょう。先のタレントのケースの結果どうなったか。そのタレントが犯罪に問われることなく済んだんですね。火消しという言葉は適切かわかりませんが、火消が出来たのです。
松本さん周辺に足りないもの
松本人志さんのケースは、まだ事実関係の議論の最中ですので事実認定は一回置いておくとして。一つ足りないものがあるとすれば、騒動を鎮静化、ちゃんと火消が出来る人がいないことが問題のような気がします。むしろ周囲があーでもない、ウソだと議論を続けることで、火を付け続け話題を長引かせてしまっている。
最低限の状況として、ホテル飲み会の話が続くことで松本人志さんのイメージが上がることはないわけです。唯一、週刊文春に一太刀浴びせたいという考えで議論していることが、松本さんのパブリックイメージを損ないながら行われるという諸刃の剣になっている。
彼らが釈明すれば釈明するほど松本人志さんのタレント生命が削られてしまっているというのが現実だと思います。週刊誌はウソばかりという防衛ラインで闘うというのは、徹底調査を行い事実をひっくり返す証拠を集めて100%完勝したところで、失うものも多い闘いなのです。逆に水掛け論、泥仕合のまま決着が付かなかったとしたらーー。
以上は、あくまで芸能事務所側に立って考えたとしたらの推論です。でも、被害者を訴えている人がいるという事実を考えたときに、どんな対応策があるかについては一考の余地があるのではないかと思います。
「時代」と「歴史」で審判される
話を元週刊誌記者としての視点に戻します。
これまで週刊誌VS吉本興業、というバトルは何回も行われてきました。
反社との関係で島田紳助氏、闇営業問題、いずれも吉本興業が事実上敗北するという結果になっています。
週刊誌側が威信をかけて新しい材料、証言者をどんどん集めていく。紳助さんのときは反社写真が出てきました。闇営業問題のときも動画や交際写真が出てきた。
裁判という手も、週刊誌側から見れば「逃げ」だと見えます。松本氏や吉本興業は発信力があるので、仮に事実無根だとするならば、記者会見でも開いて、どこのどの部分が事実無根であるかを詳細に説明をすればいいわけです。その反論が説得力あれば、世論も鎮火するはずです。それが出来ないから、裁判だと言って時間稼ぎをしているように見える。
民事裁判では白黒つけられない。裁判でハッキリすればいい、と考える人も多いと思いますが、民事裁判では物事がハッキリしない場合も多い。判決によっては、事実であっても名誉棄損というケースがあるからです。ですので訴訟で負けても、週刊誌は事実を報じたという一点が守れれば勝ちに等しいという考え方もある。
実際にジャニーズ裁判では、性加害が事実認定された一方で、週刊文春はその他の一部では敗訴している。しかしこの「性加害の事実認定」が後に大きな意味を持つことになり、BBC報道になり、ジャニーズ事務所は崩壊することになったわけです。
おそらく文春側は裁判は想定の範囲内としてより強力な証拠・証言を集め続けて行くと思います。松本氏が裁判に打って出るというのは、諸刃の剣でもあるということが言えると思います。
時代とともに社会規範は変わっていきます。芸能人と反社との関係が、世相やコンプラ意識の変化によりアウトになっていったという背景のもとに、闇営業問題などが糾弾されました。昔の芸能人からしたら「みな反社と付き合ってました」と思ったと思いますが、時代が変わったのです。
ジャニーズ問題は裁判ではなく、20年後に再問題化され審判された。つまり「歴史の審判」によってジャニーズ事務所は崩壊したということがいえると思います。
ジャニーズ問題で揺れた1年を経て、強者が弱者をハラスメントするという問題に対してより厳しい認識が企業、そして恥ずかしながら遅れてメディア間にも進んで行った。そうしたなかで注目されたのが、松本氏のスキャンダルだったワケです。
2027年の芸能界
僕は2027年までに芸能界は激変するはずだと考えています。アメリカのワンスタイン事件が2017年、それから10年遅れて日本にもその流れがやってくる、だろうという意味です。権力者だから、強者だから、社長だから、プロデューサーだから、ーー、が許される時代は終幕を迎えようとしているのです。あと3年で。
2024年、松本氏がどう反論し、メディアがそれをどう伝えるのかが問われる一年となるのではないでしょうかーー。
(了)
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