見出し画像

そうだ、挫折しよう

どうも、公認心理師試験に落ちました(暫定)。今年が現任者として受験できるGルート最後の年、初めての受験で一発勝負!これに落ちたら次はない!という状況だったのですが……なんだよ「愛の三角形」って!チャムグループって!!60代俳人って!!!その設定必要か?チャムってなんだペディグリーの方しか知らんぞ?もうほんとブループリントガン無視かってくらい訳のわからない難問ぞろいで撃沈。当日夜は酒をあおって泣きました。

ということで、自分の頭と要領の悪さと努力の方向性に計画性の杜撰さ、その他もろもろに絶望したわけですが、まあ思い返せばそりゃそうだな!これまでの人生で挫折も大きな失敗もないから学習できないし、やり方もわからないよな!という推測に至りました。

人生のなかで挫折を経験していない。これは私がとっても優秀かつハイスペック人間だからではありません。むしろその真逆で、子ども時代に知的障害を疑われたうえに発達障害の悪い方の特徴に近い性質をそなえた(あえてこう言いますが)ド低能だったからです。特に学校なんかではこういったド低能には挫折以前に「経験」すらさせてもらえないんです。簡単にいうとクラスの行事にも参加できず単に教室の置物でしかない。授業が進まないから体育は見学でいいと言われ、食べるのが遅いから給食ではグループを作らせてもらえないなどなど。こんなことが各場面であったんです。

そういったことに加え、大抵の人が経験することをしていないから挫折もないし、低能と思って扱われて生きてきたなかで心を守るために高く積み上げたプライドが行動の邪魔をします。勉強しなくても行ける家から近い学校、前科者ですら即日採用される業界、マッチングアプリやSNSで釣れた相手。夢も希望も願いもありません。とにかく子供のころから癖になっている「他者を邪魔しない、自分のプライドを壊さない置物」としての人生というか生活を選んでしまいます。

まあこんな置物ライフを長くやってきたので、人の話をニコニコ聞き流すのは得意ですが、自分の考えや意見や創意工夫といったものは微塵も持ち合わせていません。で、これが自主的な勉強や能力を高めるうえでは邪魔になるんですよね。置物は考えたり工夫したり学習したりできませんから。私を侮辱した社会をぶっ壊すというモチベーションくらいですかね。行動の原動力は。

そんなこんなで時々「生きてて楽しいの?」と言われますが、楽しいわけないじゃないですか。でもまあ死ぬのは結構ハードル高いので挫折の数をかぞえて復讐の人生を送っていきます。ほんといつにもましてためにならない記事ですみませんが。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。
座右の銘は「夢に人が絡むと儚くなる」(by岡田あーみん)、使命は社会福祉学、相対性貧困の観点から母原病をはじめとする「母親責任論」の罪を暴くことです。
そうだ、挫折しよう|ひいらぎ